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[1661] 脚下照顧の材料として 投稿者:やまね 投稿日:2008/07/04(Fri) 01:27  

一度くらいは読んでみようよ。わが国の「出入国管理及び難民認定法」

 第二節  外国人の上陸
第 四条 削除

  (上陸の拒否)
第 五条 次の各号のいずれかに該当する外国人は、本邦に上陸することができない。
 一  感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(平成十年法律第百十四号)に定める一類感染症、二類感染症若しくは指定感染症(同法第七条の規定に基づき、政令で定めるところにより、同法第十九条又は第二十条の規定を準用するものに限る。)の患者(同法第八条の規定により一類感染症、二類感染症又は指定感染症の患者とみなされる者を含む。)又は新感染症の所見がある者
 二  精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者又はその能力が著しく不十分な者で、本邦におけるその活動又は行動を補助する者として法務省令で定めるものが随伴しないもの
 三  貧困者、放浪者等で生活上国又は地方公共団体の負担となるおそれのある者
 四  日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮(こ)又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者。ただし、政治犯罪により刑に処せられた者は、この限りでない。
 五  麻薬、大麻、あへん、覚せい剤又は向精神薬の取締りに関する日本国又は日本国以外の国の法令に違反して刑に処せられたことのある者
 五 の二 国際的規模若しくはこれに準ずる規模で開催される競技会若しくは国際的規模で開催される会議(以下「国際競技会等」という。)の経過若しくは結果に関連して、又はその円滑な実施を妨げる目的をもつて、人を殺傷し、人に暴行を加え、人を脅迫し、又は建造物その他の物を損壊したことにより、日本国若しくは日本国以外の国の法令に違反して刑に処せられ、又は出入国管理及び難民認定法の規定により本邦からの退去を強制され、若しくは日本国以外の国の法令の規定によりその国から退去させられた者であつて、本邦において行われる国際競技会等の経過若しくは結果に関連して、又はその円滑な実施を妨げる目的をもつて、当該国際競技会等の開催場所又はその所在する市町村(東京都の特別区の存する区域及び地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第二百五十二条の十九第一項の指定都市にあつては、区)の区域内若しくはその近傍の不特定若しくは多数の者の用に供される場所において、人を殺傷し、人に暴行を加え、人を脅迫し、又は建造物その他の物を損壊するおそれのあるもの
 六  麻薬及び向精神薬取締法(昭和二十八年法律第十四号)に定める麻薬若しくは向精神薬、大麻取締法(昭和二十三年法律第百二十四号)に定める大麻、あへん法(昭和二十九年法律第七十一号)に定めるけし、あへん若しくはけしがら、覚せい剤取締法(昭和二十六年法律第二百五十二号)に定める覚せい剤若しくは覚せい剤原料又はあへん煙を吸食する器具を不法に所持する者
 七  売春又はその周旋、勧誘、その場所の提供その他売春に直接に関係がある業務に従事したことのある者(人身取引等により他人の支配下に置かれていた者が当該業務に従事した場合を除く。)
 七 の二 人身取引等を行い、唆し、又はこれを助けた者
 八  銃砲刀剣類所持等取締法(昭和三十三年法律第六号)に定める銃砲若しくは刀剣類又は火薬類取締法(昭和二十五年法律第百四十九号)に定める火薬類を不法に所持する者
 九  次のイからニまでに掲げる者で、それぞれ当該イからニまでに定める期間を経過していないもの
  イ  第六号又は前号の規定に該当して上陸を拒否された者 拒否された日から一年
  ロ  第二十四条各号(第四号オからヨまで及び第四号の三を除く。)のいずれかに該当して本邦からの退去を強制された者で、その退去の日前に本邦からの退去を強制されたこと及び第五十五条の三第一項の規定による出国命令により出国したことのないもの 退去した日から五年
  ハ  第二十四条各号(第四号オからヨまで及び第四号の三を除く。)のいずれかに該当して本邦からの退去を強制された者(ロに掲げる者を除く。) 退去した日から十年
  ニ  第五十五条の三第一項の規定による出国命令により出国した者 出国した日から一年
 九 の二 別表第一の上欄の在留資格をもつて本邦に在留している間に刑法(明治四十年法律第四十五号)第二編第十二章、第十六章から第十九章まで、第二十三章、第二十六章、第二十七章、第三十一章、第三十三章、第三十六章、第三十七章若しくは第三十九章の罪、暴力行為等処罰に関する法律(大正十五年法律第六十号)第一条、第一条ノ二若しくは第一条ノ三(刑法第二百二十二条又は第二百六十一条に係る部分を除く。)の罪、盗犯等の防止及び処分に関する法律(昭和五年法律第九号)の罪又は特殊開錠用具の所持の禁止等に関する法律(平成十五年法律第六十五号)第十五条若しくは第十六条の罪により懲役又は禁錮(こ)に処する判決の宣告を受けた者で、その後出国して本邦外にある間にその判決が確定し、確定の日から五年を経過していないもの
 十  第二十四条第四号オからヨまでのいずれかに該当して本邦からの退去を強制された者
 十 一 日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを企て、若しくは主張し、又はこれを企て若しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入している者
 十 二 次に掲げる政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入し、又はこれと密接な関係を有する者
  イ  公務員であるという理由により、公務員に暴行を加え、又は公務員を殺傷することを勧奨する政党その他の団体
  ロ  公共の施設を不法に損傷し、又は破壊することを勧奨する政党その他の団体
  ハ  工場事業場における安全保持の施設の正常な維持又は運行を停廃し、又は妨げるような争議行為を勧奨する政党その他の団体
 十 三 第十一号又は前号に規定する政党その他の団体の目的を達するため、印刷物、映画その他の文書図画を作成し、頒布し、又は展示することを企てる者
 十 四 前各号に掲げる者を除くほか、法務大臣において日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者
2  法務大臣は、本邦に上陸しようとする外国人が前項各号のいずれにも該当しない場合でも、その者の国籍又は市民権の属する国が同項各号以外の事由により日本人の上陸を拒否するときは、同一の事由により当該外国人の上陸を拒否することができる。



[1660] Re:[1657] グローバルなレベルでハンセン病に対する無知と偏見に注意を喚起する格好の機会となるかもしれない。 投稿者:やまね 投稿日:2008/07/04(Fri) 01:16  

> 北京オリンピック委員会に端を発したこの問題は、グローバルなレベルでハンセン病に対する無知と偏見に注意を喚起する格好の機会となるかもしれない。
>
>

とても正論に見えますけれど、「グローバルなレベル」ってどういうことなんだろう?
中国のふり見てわが国のふり直せ、と思ってくれる他の国があればいい、というような意味なのかな。

東京の秋葉原で起きた事件の映像を北海道から沖縄の島々の人が一斉に見るような、それを地球規模に置き換えたような状況が「グローバルなレベル」だとしたら、それは世界というものに対する認識があまりに現実離れしていると思う。
「9.11」と聞いたら世界中の人があのテロを思い浮かべるに違いないと思いこんでいるのは日本にいるからで。CO2削減には世界的に取り組んでいるものと思っているのも、そういう情報発信がされる国に住んでいるからで。

スポーツや学術研究の世界はボーダーレスであらねばならないだろう。例えば世界ハンセン病学会のようなところが、今では誰も疑うことのないハンセン病に対する認識を「グローバルなレベル」で知らしめんと努力することは、それはそれで意味があるかもしれない。しかし、学術的な「正しさ」を以ってすれば政治に介入することもまた正しと考えたなら、恐ろしく危険なことに思える。

それでもやっぱり、ハンセン病についての「正しい知識」を知っているわれわれが、「無知と偏見に注意を喚起」したというニュースが日本全国流れれば、自己満足的な意味くらいはあるかもね。暴論かしら。ただ、ひとつだけ、昨今のインターネットの影響力というものが、特に中国、韓国・・・?日本ではちょっと理解し難い面もある。期待したいということでは決してないが。




[1659] 別の意味で違和感 投稿者:ひなげし 投稿日:2008/07/04(Fri) 00:38  

ずっとロムで拝見していました。
それぞれに考えさせられる提起の書き込みだと感じています。

なのに、頻繁にハンドル(名前)の無い書き込みがあるのは
なぜでしょうか。

何か不都合でもあるのでしょうか。
一連の真摯な書き込みに対して、水を射すような印象を
受けてしまいます。
ご一考ください。


[1658] Re:[1657] グローバルなレベルでハンセン病に対する無知と偏見に注意を喚起する格好の機会となるかもしれない。 投稿者:リベル 投稿日:2008/07/03(Thu) 23:33  

> ◇引用です。
>
>
> 後一ヶ月と数日にせまった北京オリンピック。
> 北京の組織委員会の外国人の入国に関するサイトに、「ハンセン病患者」の入国を禁ずる条項があることが指摘されている。
>
> 世界各地の友人たちにこの点を指摘して注意を喚起する−ともに北京オリンピック委員会に問題を指摘し改正を要請するー連絡をしている過程で、各国の入国管理規制はどのようになっているのかを調べていると、少なくない国で、『leprosy −ハンセン病』患者は入国拒否の対象とされていることが判明しつつある。
>
> 英国の場合も、医学的な検査を求める条項があり、ハンセン病である場合には医療審判員は「肺結核、らい、トラコーマ、精神障害、老衰、行動異常−アルコール中毒、薬物中毒、重大な性的逸脱−等の疾患や身体障害・変形、自制できないような発作」などの場合には、通常入国拒否を提言するべきである、としている。
>
> 北京オリンピック委員会に端を発したこの問題は、グローバルなレベルでハンセン病に対する無知と偏見に注意を喚起する格好の機会となるかもしれない。


同じブログに、こうも書かれています。

「北京オリンピックと入管 [2008年06月16日(月)]

北京オリンピック関連のサイトに、ハンセン病患者は入国させないという入管の情報が出ていると連絡があった。早速インターネットで見てみると、北京オリンピックの公式サイトの英語版のサイトには、なんと次のようにあった。

『中国に到着するとまず健康チェックがある。そこでビザとパスポートを見せ、健康についての申告書を提出する。次に記載されている病気の人は、入国禁止。

黄熱病、コレラ、性病、レプロシー(ハンセン病)、開放性結核、エイズ

Health Check
On arrival, the first check you have to pass is the Quarantine Check. At the checkpoint, you will be required to show your visa and passport and fill in a Health Declaration Form. Anyone with listed diseases such as yellow fever, cholera, VD, leprosy, infectious pulmonary tuberculosis or AIDS will be prohibited. 』

中国語のサイトには
黄熱病やコレラはないが、精神病、ハンセン病、開放性結核が並んでいる。

1998年、中国政府が第15回「国際ハンセン病学会」を北京に招聘したとき、学会は中国政府衛生部に対して、ハンセン病患者を入国規制の対象にすることの誤りを指摘し、中国側は間違いを改め、健康申告書からハンセン病(中国語では麻風病)が削除された。現在でも飛行機で中国に入るときの申告書にはハンセン病の名称はない。しかし、今回の北京オリンピックがらみで、このナンセンスな禁止条項が再登場した。無神経さにあきれる。

これではハンセン病が強烈な伝染性をもった病気である、といっているのと同じことで、間違いでは済まされない。誤解をいやがうえにも助長する。入管当局者の無神経では済まされない。情報発信の背後の大混乱をうかがわせる。」


[1657] グローバルなレベルでハンセン病に対する無知と偏見に注意を喚起する格好の機会となるかもしれない。 投稿者:  投稿日:2008/07/03(Thu) 19:44   <URL>

◇引用です。


後一ヶ月と数日にせまった北京オリンピック。
北京の組織委員会の外国人の入国に関するサイトに、「ハンセン病患者」の入国を禁ずる条項があることが指摘されている。

世界各地の友人たちにこの点を指摘して注意を喚起する−ともに北京オリンピック委員会に問題を指摘し改正を要請するー連絡をしている過程で、各国の入国管理規制はどのようになっているのかを調べていると、少なくない国で、『leprosy −ハンセン病』患者は入国拒否の対象とされていることが判明しつつある。

英国の場合も、医学的な検査を求める条項があり、ハンセン病である場合には医療審判員は「肺結核、らい、トラコーマ、精神障害、老衰、行動異常−アルコール中毒、薬物中毒、重大な性的逸脱−等の疾患や身体障害・変形、自制できないような発作」などの場合には、通常入国拒否を提言するべきである、としている。

北京オリンピック委員会に端を発したこの問題は、グローバルなレベルでハンセン病に対する無知と偏見に注意を喚起する格好の機会となるかもしれない。




[1656] 「死とどう向き合うか」を入院中も、退院後も大きな課題といて考えている。(第三回)  〜美空ひばりが歌った「一本の鉛筆」!                                                        投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/07/03(Thu) 00:40  



 「死とどう向き合うか」を広島日赤病院入院中も、退院後も大きな課題といて考えています。(第三回)〜美空ひばりさんが歌った「一本の鉛筆」を聴いて〜

    人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二  (’08年7月3日)


 広島日赤・原爆病院に入院中は、テレビはほとんど視聴しませんでした。各入院者の寝台脇には、患者の個々に、小型の冷蔵庫があり、その上にテレビが置かれ、イヤホンを付ければ音声が聴けるようになっていました。ただし、テレビも冷蔵庫も、1000円出してカードを買って、そのカードを寝台にあるカード入れに挿入して、はじめて使用されます。

 私も入院時に、1000円のカードを購入しましたが、冷蔵庫は使用せず、テレビも各社のニュースとニュース解説をそれもときどき視聴する程度で、もっぱら読書するか、自宅から持参したCDを小型のオーデオで聴くことで、時間を費やしたり、激痛が腰部から下脚部に起きた時に、「叙情歌」や唱歌・童謡を聴いて痛さを堪えることが多かったのです。しかし、新聞のテレビ番組の紹介欄を見て、興味ある番組が載っていたら、テレビを視聴しておりました。

 入院中にテレビを見て、興味あふれ印象深かった番組は、二つありました。それは、6月24の午後8時から45分間放送されたNHKの「歌謡ホール〜美空ひばり特集」が一つ。日にちは失念しましたが、午後7時30分から約30分放映されたNHKの「クローズ・アップ現代〜医療ミス特集」でした。

 後者からいうと、厚生労働省のサンプル調査によって推定すると、年間、医療ミスで死亡した人は、約2万5千人を数えると放送されていました。「近代医学」がもたらすものが基本的にある死亡事故です。その要因の徹底的解明と対策が愁眉の問題だと思いました。詳細は後日、このホームページにも投稿したいと思います。


 1937年5月29日に横浜で生れたひばりは、多くの不朽の名曲を残し、1989年3月22日に東京の順天堂大学に緊急入院し、間質性肺炎による呼吸不全で、6月24日に永眠しました。五十二歳の若さでした。その二年前には持病の腰痛が悪化し、済生会福岡綜合病院に1987年4月1日に入院しています。公表された病名は大腿骨骨頭壊死と慢性腎臓病です。その翌年の4月11日には東京ドームでコンサートを数万人の前にして行なっています。1ステージで約5sは痩せるといいます。さぞ、持病の腰痛も公演中に痛んだことでしょう。

 美空ひばりさんの最後の「新曲」は、死亡した年の1月に発売された「川の流れのように」(作詞:秋元 康、作曲:見岳 章、編曲:竜崎孝路)でした。また、最後のコンサートとなったのは、同年2月の「小倉」での公演でした。それをCDで聴いてみますと、公演中に「座って歌います」というほど、体力が弱くなっていました。「‥‥でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえない それもまた 人生」という歌詞は、ひばりさんの人生であったもあったし、私自身の人生のように思えてくるのです。


 美空ひばりが死亡して満19年の今年の6月24日。NHK歌謡ホールは、前述した痛り美空ひばりの歌の特集でした。@天童よしみが「柔」(作詞:関沢新一、作曲:古賀政男)、A森進一が「悲しい酒」(作詞:石本美由起、作曲:古賀政男)、Bジェロが「越後獅子の唄」(作詞:西条八十、作曲:万城目 正)、C神野美伽が「車屋さん」(作詞・作曲:米山正夫、編曲:松尾健司)、D伍代夏子が「花笠道中」(作詞・作曲:米山正夫、編曲:福田 正)、E細川たかしが「ひばりの佐渡情話」(作詞:西沢 爽、作曲:船橋 徹)、F秋川雅史が「川の流れのように」(作詞:秋元 康、作曲:見岳 章)を歌っていました。

 最後にかつてNHKで収録されていた美空ひばりのモノクロ画像で「真赤な太陽」(作詞:吉岡 治、作曲:原 信夫)が放映されていました。岩城宏之さんは「言葉を超越した音楽性」と題して、つぎのように書いておられます。「‥‥リズム感、表現力、無限とも思える音色の多彩さ。どれをとっても彼女に比肩できる歌手は、フィッシャーディスカウしかいないだろう。しかし、偉大なフィッシャーディスカウには失礼ながら、テクニックへの意識、自信を彼には感じるよきがあった。ひばりさんはそのようなことを、全く気取らせなかった。」と述べています。


 今回、退院して「カラオケ喫茶・城」へ行き、最初に唄い、且つ、毎回唄う歌謡曲は美空ひばりさんが歌った曲でした。「川の流れのように」をはじめ、「愛燦燦」、「みだれ髪」、「哀愁波止場」、「港町十三番地」、「お祭りマンボ」、「車屋さん」、「柔」、「悲しい酒」、「越後獅子の唄」、「一本の鉛筆」、「さくらの唄」、「花笠道中」、「人恋酒」、「カチューシャの唄(復活唱歌)」、「津軽のふるさと」、「東京キッド」、「真赤な太陽」などです。「裏町酒場」、「夾竹桃の咲く頃」、「今日の我に明日は勝つ」、「ひばりの佐渡情話」、「リンゴ追分」、「悲しき口笛」、「私は街の子」、「人生一路」など、まだまだ唄いたいひばりさんの歌を未だ歌っていません。


 もちもん、その真似事すら出来ない私ですが、美空ひばりさんの歌から一つでも二つでも、歌を学ぶことが出来たらと思い唄っています。 『朝日新聞・大阪本社版』の‘08年7月1日の記事は、<ひばりの愛した反戦歌「一本の鉛筆」、もう一度広島で>と題して、つぎのような記事が掲載されていました。紹介します。「一本の鉛筆」を歌うコンサート(広島ホームテレビなど主催)は8月6日午後、広島市の原爆ドーム対岸の平和記念公園内で開かれるといいます。当日は、ぜひ、このコンサートには行きたいと思っています。

       ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

<ひばりの愛した反戦歌「一本の鉛筆」、もう一度広島で> 『朝日新聞』の‘08年07月01日のホームページより

 歌手美空ひばり(1937〜89)が34年前、広島で発表した歌がある。彼女のヒット曲のなかでは目立たないが、彼女自身は好きな持ち歌ベスト10に選んだ。「皆さんにぜひ愛していただきたい歌」とも語った。反戦を静かに訴えるこの歌が、今夏、広島から再び発信される。


 「一本の鉛筆」が初めて歌われたのは74年8月。広島テレビが主催した第1回広島平和音楽祭で発表された。

 「世界に平和を発信したいという音楽祭に乗り気になってくれた」。日本コロムビア(現コロムビアミュージックエンタテインメント)の当時の担当ディレクター・森啓(あきら)さん(66)は振り返る。ひばりは幼少時、横浜大空襲に遭い、父が徴兵される戦争体験を抱えていた。音楽祭を総合演出した映画監督の松山善三さん(83)が作詞した。

 《一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く
 一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く》

 一人でも一本の鉛筆で反戦を訴えることができるというメッセージだった。曲は黒澤明監督の映画音楽を手がけた故佐藤勝さんが作った。


 音楽祭のリハーサルでは、冷房付きの控室が用意されていたが、ひばりはずっと、猛暑のステージのかたわらにいて、「広島の人たちはもっと熱かったはずよね」とつぶやいた。ステージの上からは「幼かった私にもあの戦争の恐ろしさを忘れることができません」と観客に語りかけた。

 それから14年。ひばりは第15回の同音楽祭でこの歌を歌うため、再び広島を訪れた。大腿(だいたい)骨骨頭壊死(えし)と肝臓病で入院した翌年だった。出番以外の時は楽屋に運び込んだベッドで点滴を打った。だが、観客の前では笑顔を絶やさなかった。ステージを降りた時、「来てよかった」と語った。翌年6月、帰らぬ人となった。


 今年3月、ひばりと20年近い親交があった俳優奈良岡朋子さんがテレビ番組でこの詞を朗読した。リサイタルでひばりが歌う時、「次に歌う歌はこれまでの歌とは少し違いますが、ぜひ皆さんに聴いてほしい」と話す姿が印象的だった。

 奈良岡さんの朗読を偶然、目にした音楽事務所社長の高嶋弘之さん(74)はこの歌の存在を初めて知った。詞の冒頭のロマンチックな印象は徐々に薄れ、最後に「広島の歌だったのか」と驚かされた。旋律を聴くと、美しさに息をのみ、即座にCD化を決めた。知人のソプラノ歌手、丹藤まさみさん(38)に歌ってもらうと「平和」が自然と胸に染みてくるようだった。


 6月上旬、高嶋さんとともに広島を訪れた丹藤さんは、原爆ドームわきの元安川を目にして衝撃を受けた。豊かな水をたたえて流れる川をこれまでは小川だと思っていた。水を求めて倒れた人たちで川面が埋めつくされた光景を想像した。「知っているつもりで広島から目をそむけていた。知った以上、伝えていかなくては」と感じた。


 CDは7月30日にKTRレコード(03・5491・1557)から発売される。「一本の鉛筆」を歌うコンサート(広島ホームテレビなど主催)は8月6日午後、広島市の原爆ドーム対岸の平和記念公園内で開かれる。入場無料。問い合わせは高嶋音楽事務所(03・5491・7245)。(秋山千佳)



[1654] 違和感 投稿者:  投稿日:2008/07/02(Wed) 20:15  

かつて昭和天皇の大葬にあたっての「恩赦」の項目に「らい予防法違反」というのがあったのを記憶している。下級役人が、さして恩赦しても当たり障りのない、「罪状」をリストアップしたのが新聞に出てしまったのだろう。
(これは第一報だけですぐに削除された)

北京五輪のリストも、どのレベルで誰が書いたのか。中国に固有のことなのか。

鬼の首をとったように言う前にこれを機会に脚下照顧の材料にしたほうがいいのではないか。

そういえば以前、図書館の検索キーワードに「らい」「癩」があるのが問題になっていた。国会図書館は、いまだ「癩」がある。




[1653] こういうことの意見集約はどうしているのだろうかという与太はさておくとして。 投稿者:  投稿日:2008/07/01(Tue) 11:24   <URL>


あるいは、外国に対してはすぐ反応するけれど、「基本法」の評価や見解については歯切れが悪いというか、何も発言せずにという与太もさておき。


ハンセン病市民学会発2008年度第3号

北京五輪外国人入国拒否者リストの扱いについての要望書

厚生労働省大臣
舛添 要一 様

ハンセン病市民学会 共同代表 和泉眞蔵・内田博文・鎌田 慧・訓覇 浩・神美知宏・志村 康・徳田靖之・牧野正直
           
事務局 〒 862-8680 熊本市大江2-5-1 熊本学園大学遠藤
隆久研究室

 時下麦秋の候、舛添大臣におかれては日頃ハンセン病問題の最終解決のためにご尽力下さり、心より感謝致します。私たちハンセン病市民学会は単なる研究者の学会ではなく、研究者・市民とハンセン病被害に遭われた当事者の方たちとで成り立ち,交流・検証・提言を3つの柱にして我が国の学会の中でも新しい試みとして4年前に産声を上げ、現在850名を超える会員を擁する学会です。

この度、6月2日に北京五輪組織委員会が発表され公式HPに掲載されております「五輪期間における外国人出入国・中国滞在期間に関する法律指針」には、「五輪開催期間中の入国が禁止される」外国人として「精神病・ハンセン病・性病・開放性肺結核等の伝染病に罹患している」者が挙げられていたことに、私たちは驚きを禁じえませんでした。

 私たちがこのことを座視し得ない問題と考えましたのは以下の理由にあります。
 入国拒否の理由となっているハンセン病以外の病気についても疑問を禁じ得ませんが、私たちがとくに関心を持ち続けてきたハンセン病は本来、短期間の接触で感染する病気ではなく、また治療薬を服用中の患者は感染源にならないことが国際的に広く認知されている疾患であり、伝染病として特別扱いする必要がない疾患です。さらにハンセン病回復者には特有の後遺症が残る場合があり、こうした後遺症があることにより回復者が患者と誤認され、中国への入国を拒否される場合も想定されます。こうした禁止規定は、オリンピック観戦のため中国を訪れたハンセン病回復者を排除するばかりではなく、オリンピックという場でハンセン病を恐ろしい感染症とする間違った理解と偏見を世界中に発信し、人権を傷つける結果を招く虞があります。日本国内でも2001年5月11日の熊本地裁判決以来、貴省を始め地方自治体も挙げて啓発活動に取り組むようになった矢先に、世界に向かって北京五輪組織委員会の誤った措置によってハンセン病への誤った理解が発信されることを防ぐことは、私たち日本国民の共通の責務だと考えております。

 また国連人権理事会において日本政府が提案し、中国も共同提案国となって全会一致で可決された国連に加盟する各国がハンセン病患者とその家族に対するすべての差別を撤廃するための措置をとることを求めた決議案が6月19日に可決されたばかりの時期に決議に逆行することは座視できることではありません。提案国となった趣旨に沿っても日本国政府のなすべきことは間違いなくあるはずです。健康な人も病気や障害をもった人も含めて世界中から多くの人々が集う北京オリンピックは、国連を挙げて差別の除去に取り組んでいるハンセン病へ理解を世界に働きかける場であっても、ハンセン病差別を植え付ける場とならないように取り組むべきだと考えます。

 貴省が直接、中国大使館に要請をすることや、外務省を通して中国政府に働きかけることも可能だと思います。舛添大臣におきましては、この問題の重要性をご理解頂き、すみやかに北京五輪組織委員会及び中国政府に対して「法律指針」からハンセン病を外すこと及び「法律指針」の準拠法の改正を働きかけ、外国の治療中のハンセン病患者およびハンセン病回復者が安心して北京五輪を観戦に訪れられるように尽力されるように要望致します。

 また、オリンピックは健康な人だけのものではなく、全ての人に開放されている祭典であることを考えると、ハンセン病以外の病気についても、緊急避難的な場合を除き、不必要に疾病を理由とした観戦制限をすることは極力避けるべきことは当然のことと思います。そのことについても、要望する際にはご高配頂きますように合わせてお願い致します。
                                    2008年7月●日
                     
[賛同団体]
  特定非営利団体ハンセン病問題の解決をめざして共に歩む会
               理事長  松下徳二・倉園尚




[1652] 「死とどう向き合うか」を広島日赤病院入院中も、退院後も大きな課題といて考えています。(第二回)     滝尾英二 投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/07/01(Tue) 07:16  

「死とどう向き合うか」を広島日赤病院入院中も、退院後も大きな課題といて考えています。(第二回)

人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二  (’08年7月1日)


 「第一回」の「死とどう向き合うか」を書いたとき、<‥‥「◆自己の消滅への不安、及び◆死後の審判や罰に関する不安」について、アルフォンス・デーケン教授の書かれている記述をまず紹介します。>と述べています。最初にこの紹介をしていきます。

◆自己の消滅への不安
死によって自分の存在が完全に消滅してしまうのではないかという不安は、自己保存本能としての自然な反応です。しかし、永遠の生命を確信する人にとっては、死後にも続く生命への希望が大きな支えとなります。

◆死後の審判や罰に関する不安
 人類の歴史と文化の中では、死後に審判があり、善悪それぞれに報いがあるという教えが広く信じられてきました。死後の生命を信じる人々の中には、死んでから裁かれて罰を受けることを何よりも恐れているという人がいます。しかし、人間は誰でもが不完全な存在です。死後の厳しい審判を想像して過剰な不安におののくよりも、現在を精いっぱい生き抜こうと努力を傾ける生き方のほが、こうした不安を鎮める一つの道だと考えます(164〜165ページ)。


◆「苦痛への恐怖」ということは、いま「腰部背柱菅狭窄症」を患う私にとっては、切実な問題であり課題です。

 持続する腰部から下脚にかけての激痛は、実際に体験したものでないと、分からないと思います。日赤病院に入院した当夜、零時をまわった時に、この激痛が起こりました。私は当直の看護師さんに、激痛が起こっていることを知らせました。看護師の方は担当医にそのことを「携帯」で連絡されたようですが、病室にあう食卓の椅子に座り、頭を食卓につけて、鎮痛剤の座薬を入れて激痛がおさまったのは、午前3時でした。

 その間の3時間を私は、自分ひとりで激痛を耐えなければなりません。「なぜ、救急病院である大きな日赤病院に、はやくアフタ・ケアができないのだろうか」と、その時は思いました。自分でこの激痛が起きないようにコントロールができないのです。

 この3時間は、5時間にも10時間にも、長時間に感じました。この激痛は、数日間は毎晩のように起きましたが、2回目以後は、ボルタレンサポ50mgという鎮痛剤を使用して、腰部から下脚にかけての激痛は30分か1時間で、それまで我慢すれば、治まるのだと、自分に言い聞かせました。しかし、このボルタレンサポ50mgという鎮痛剤の使用は、1日1回です。死ぬときは、心臓麻痺などで「ポックリ」と死ねないな、そして痛みで簡単には死ねないものだと、激痛が治まって、つくづく考えました。


 何回目かの入院中での激痛が起きた時、ちょうど私の担当看護師の方がおられて、痛む私の側に座って時どき痛みのはしる個所をさすってくださいました。痛さは、メンタル(心理的)なもの、精神的なものか、鎮静剤で痛さが治まるまでの時間が短く感じましたし、孤独で痛さを堪えるのではないんだという安心感・信頼感のようなものを感じました。激痛が起きる要因は、背骨から出た神経に、固いものが触ると起きるようです。しかし、精神的要素が痛さを引き起こすとも考えます。


 退院後も、長時間の激痛が一度あり、退院時に渡された「ボルタレンサポ50mgという鎮痛剤」を使用しても、なかなか痛さは治まりませんでした。しかも、左半身だけが痛むという初めての経験でした。小さい痺れや痛みは絶えずあり、難渋しています。だから、発作の後の心配や不安、こだわりが日常化しています。発作は何度となく繰り返しています。だから、この不安感をどのように克服するかという問題が私自身の大きな課題のように思います。

しかも、私の持病は@糖尿病も、A脳梗塞からくる前頭葉の感情のコントロールが自身ではコントロールが難しいということも、B全身の老人性湿疹のあることも、C前立線肥大による排尿の困難さも、D腰部脊柱管狭窄症からくる歩行困難や、不意に起こる激痛も、E動脈硬化症も、現在の医学ではなかなか治癒することは、困難なようです。

 F加齢による骨のカルシューム度が落ちているそうです。だから、転倒して骨折したり、尻餅をついたりしない注意をするように、退院する時、私の主治医から云われました。最近も久しぶりに行った「カラオケ喫茶・城」で、歌謡曲を唄った後、人前で転倒しました。幸い怪我はしませんでしたが‥‥。こうした病を私は、死ぬまで「同伴」します。


 ところが、アルフォンス・デーケン教授は、自著『死とどう向き合あうか』(NHKライブラリー)の中で、つぎのようにお書きになっておられます(158ページ)。

 ‥‥この潜在的能力について、心理学者たちは、それぞれ多様な見方をしています。スイスの心理学者ユングは「普通の人は大体自分の中の能力の五〇パーセントくらいを開発しているだけだ。後の半分は置きっぱなしにしている」と言いました。

 ところが、最近のアメリカでは、もっと厳しい見方をする心理学者が多いようです。たとえば、ウィリアム・ジェームスは「私は今まで自分の潜在的能力の一〇パーセント以上を使っている人間には合ったことはない」と言って」います。また私と同じ大学で教えていたマーガレット・ミードは、平均すれば六パーセントくらいしか、自分の能力を発揮していない人がほとんどだと言い、オットーという学者になると、五パーセントが普通dと言っています。これを言い換えますと、大抵の人はまだ九五パーセントもの可能性を眠らせたままにしているというということです。死への恐怖が、この未開発の能力を引き出す具体的な挑戦になるということも十分考えられます。

                                       (以上、未完です。=滝尾)




[1651] 愛生の尾崎先生 投稿者:ルリカケス 投稿日:2008/06/30(Mon) 20:44  

島をさって!

掲示板書き込ありがとうございます。小生にも同じメールが届いていますが?

今回のハンセン病基本法の件を少しだけ、返信致しました。現在の奄美和光園の事をですが?私が外から見る限りでは、自治会と本部それに他の支部とは、まだまだ温度差ある様に取れます。

良いのか?悪いのか?どちらが良いのでしょう??


[1650] 愛生の尾崎先生 投稿者:  投稿日:2008/06/30(Mon) 14:31   <URL>

島を去って
                           基本治療科 尾崎元昭

 去る3月31日で愛生園を定年退職しましたが、自治会や入所者の方々からのお別れやねぎらいの言葉、ありがとうございました。園のご配慮でこれからも基本治療科の仕事を続けることになり、月に数回愛生園に伺うことになりました。少しでもお役に立つのなら事情の許すかぎり通わせていただくつもりです。よろしくお願いします。

 3月の後半は身辺整理に追われて、あっという間に過ぎてしまった。官舎の家財道具は京都の自宅と重なるものが多く、持ち帰ってもリサイクル・ショップに直行になりそうだった。幸いなことに、愛生の看護学校を出て島に残る卒業生が引き取ってくれることになった。それぞれ欲しいものの仕分けが済むと、電化製品から小皿・スプーン類にいたるまで運び出されて官舎はみごとに空っぽ。家具類を動かしたあとは掃除してあって、しつけの良さに感心した。お蔭で官舎の引き払いも楽になり、妻は「ありがたい」の連発だった。
 
 31日には退職の辞令交付式と自治会主催のお別れ会があるとのことで、30日に「いこいの村」に泊まった。展望浴場から長島の夜景を眺めつつ、1969年初めて赴任して以来のできごとを想いかえしていると、静かに重いうねりが胸の奥を流れていった。
翌朝は曇りがちで「瀬戸の曙」を愛でることはできなかった。島影に見入っていると「つぶさ備に諸苦を受けたりし島」という原田禹雄先生の歌が浮かんできた。入所者の苦難の歴史もさりながら、奄美や南九州から看護学校に入り光明・愛生の両園で働いた看護師さんたちにも諸苦があったことが想われた。これからは、こんな風に島を外から眺める感じで愛生園に付き合っていくんだなとも思われ、心の中でハンセン病の占める部分が急速に縮んでいくのを感じた。
 
退職の辞令をもらってあいさつ回りしたあと、愛生会館でのお別れ会に出席した。別れを惜しんでくださる方たちと言葉を交わしていると、1960年代末から70年代の互いの苦労がよみがえってきて、握手に思わず力が入ってしまった。自治会長の高瀬さんと自治会本部まで話しながら歩いていたら、胸が痛むと言うのですぐ心電図や血液の検査を受けるよう勧めた。高齢化は自治会メンバーにも及んでいて、高瀬さんに何かあると影響が大きいので心配になった。入所者の平均年齢が80歳くらいになり、関心は自分の健康や生活に集中する傾向が強まっているので、全員の意向をまとめながら自治会活動を担っていくのが難しくなっているように見える。将来構想も含めて、ここ数年で自治会の存在意義が問われるのではと予想している。

気になるのは、今後の愛生園や自治会だけではない。いま「ハンセン病基本法(案)」が検討されているとのことだが、内容をみてがっかりした。基本法というなら、ハンセン病の医療と福祉を今後どうしていくのか理念や指針が示されるべきであろう。しかし、案文ではひたすら入所者・元入所者のことだけ取りあげられていて、過去に療養所に入らずに治療を受けた患者さんたち、あるいは療養所に入らない近年の患者さんのことは無視されている。ハンセン病の問題は入所者だけの問題ではないのだが、予防法廃止のときと同じ過ちが繰り返されてしまうのではと案じられる。ハンセン病の医療と福祉の現場にいる人たちとの連携がないまま、こうした視野狭窄的な法案作成が進むというのは、ハンセン病を病んだ人たちにとって不幸なことではないだろうか。

備前焼の記念品を頂いて自治会を辞し、官舎に戻って残った荷物を車に積んだ。官舎に鍵を掛けたあと庶務に寄って鍵を引き渡すと、これで官舎生活も終わりという実感がわいてきた。島を出て黒井山(道の駅)で魚や野菜を買ってブルー・ラインから山陽道に入り、加古川で高速を降りた。一般道路を篠山に向かって走り、デカンショ街道の緑豊かな景色を楽しんだ。桜は少し早かったが、ミモザが満開でヤマツツジともども彩りが映えていた。

 とまどいと開放感のうちに退職後の1週間が過ぎた。日曜日の夕方には早めに食事して家を出て、夜10時過ぎに官舎に戻るという生活が続いていたので、日曜日の夕方にのんびりできるというのが新鮮だった。ウィーク・デイに出歩けるのはありがたいもので、秀吉の花見で知られる醍醐寺の桜を数十年ぶりに見にいった。しばらくはのんびりしなさい、との勧めも多いので、なるべく仕事や予定を入れず気ままに過ごすつもりである。



[1649]  「死とどう向き合うか」を広島日赤病院入院中も、退院後も大きな課題といて考えています。(第一回)    滝尾英二                                                            投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/06/29(Sun) 23:06  

 <「死とどう向き合うか」を広島日赤病院入院中も、退院後も大きな課題といて考えています。(第一回)>

           人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二(‘08年6月29日)


 アルフォンス・デーケン教授は、自著『死とどう向き合あうか』(NHKライブラリー)の中で、「死への恐怖のさまざまな形」の項(159〜165ページ)で、つぎの7点をあげていま。

◆1、苦痛への恐怖
◆2、孤独への恐怖
◆3、家族や社会の負担になることへの恐れ
◆4、未知なるものを前にしての不安
◆5、人生を不完全のまま終えることへの不安
◆6、自己の消滅への不安
◆7、死後の審判や罰に関する不安

 その中、「◆自己の消滅への不安、及び◆死後の審判や罰に関する不安」について、アルフォンス・デーケン教授の書かれている記述をまず紹介します。私自身についていうと、こうした不安は、「自己の消滅」への不安は存在しますが、「死後の審判や罰に関する不安」は、全くありません。だって、人間は誰でも「真っ白」の人は存在しませんし、また「真っ黒」の人は存在しません。すべて「灰色」です。ただし、「真っ白」に限りなく近い人と、「真っ黒」に限りなく近い人とは存在します。また、同一人物でも時代と場所により、それぞれ、その「灰色度」は異なると思います。


 上記の問題について私の感想をいうならば、ここ十余年、弁護士たちと関わってきた過程でいえば、裁判をすすめる場合に「勝訴」を目的とした担当弁護士と、「真実を追究」することを至上の目的とする研究者である私とは、自づから、或る人物や現象乃至、事実への評価が異なりました。


職業上、単純化し典型化して裁判を有利に展開しようとする弁護士と、歴史的事実を多様な角度から「真実」を追究しようとする研究者である私とでは、当然のことですが、意見が食い違い、衝突することは、やむをえないことだったかと思います。だから、神仏が行なう「死後の審判や罰」は、生前は全員がその度合いは異なれ、すべて「灰色」だから、どこで線引きを神さまや仏さまが行なうか、神仏でない私=「灰色」の私には、それを恐がっても仕方がありません(笑い)。アルフォンス・デーケン教授は、「死を前にした生きがい」として、つぎのように書いています。(174〜176ページ)


‥‥たとえ死が目前に迫っていても、残された時間を積極的に生き抜いた人物像の一つに、黒沢明監督の映画「生きる」があります。ごらんになった方も多いと思いますが、ちょうど私がフォーダム大学大学院に留学していたころ、ニューヨークで上映されていました。私はあの映画に感動して、何度も映画館に通ったことを覚えています。

 この映画の主人公は、市役所の職員として定年間近まで、すべて事なかれ主義で過ごしてきました。ところが偶然、自分ががんであと半年の命しかないことを知ります。彼はそれまでの六〇年近くを、本当の意味で生きて来なかったことを悟るのです。

 その反省から、せめて生涯の最後の半年間を人間らしく生きたいと思い、小さな児童公園づくりに執念を燃やします。彼の唯一の生きがいとなった公園は、多くの困難の末に、ようやくできあがりました。

 ラストに近いシーンはとくに印象的でした。夜更けの雪があたり一面に降り積って行く中で、彼は完成した公園のブランコに独り揺られながら、静かに息を引き取るのです。このシーンは今も私の目に焼きついています。

 彼は自分の死期が迫ってくるなかで、初めて他者へ愛を捧げる喜びを知り、深い満足感に包まれて亡くなりました。逆説的ですが、この映画の主人公は、死に直面することによって、初めてよりよく「生きる」ことができたと言えましょう。


 死へのプロセスというのは、自分自身のかけがえのない生命を最後までどう生きぬくかという重要な時期です。ドイツ語では、動物の死と人間の死を、二つの違う単語ではっきり区別します。動物の死はフェアエンデル(verenden)、人間の死はシュテルベン(sterben)です。動物の場合は、肉体的な衰弱のうちにやがて死に至りますが、人間の場合、肉体は同じように衰弱して行っても、精神的・人格的には成長を続けて尊厳に満ちた死を迎えることが可能なのです。

                          (以下、未完です。=滝尾)



[1648] 下関市嶋倉剛教育長の「植民地支配は歴史的事実に反する」という発言についての続報を掲示します。 (滝尾) 投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/06/28(Sat) 18:50  


下関市嶋倉剛教育長の「植民地支配は歴史的事実に反する」という発言についての続報を掲示します。これは、『小鹿島(ソロクト)更生園の入所者による訴訟』を支援し、闘った一人として、且つまた、2005年2月3日の衆参両議会において、全会一致で成立した「改正ハンセン病補償法」とも、相違する見解であり、この嶋倉剛教育長の妄言に対して、私は怒りに震えています。即刻、下関市嶋倉剛教育長の謝罪と辞職を要求します。

          ‘08年6月28日(土曜日)  18:30

        人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 下関市教育長「植民地支配は歴史的事実に反する」‘08年6月28日 17:05の『朝日新聞』のホームページより


 山口県下関市の嶋倉剛教育長(44)が26日、学校への教育補助金増額を求めて訪ねてきた山口朝鮮学園の金鍾九理事長と保護者らに、日本の朝鮮半島に対する植民地支配について「植民地支配は歴史的事実に反する」と述べた。

 同学園は山口朝鮮初中級学校を運営。この日、保護者側は「植民地支配によって日本に渡航せざるを得なかった朝鮮人子弟が通っている。ほかの外国人学校とは経緯が違うことをふまえて対処してほしい」と要望した。これに対し、嶋倉教育長は「植民地支配という部分については歴史的事実に反するので受け入れられない」と述べた。

 保護者らは机をたたくなどして激しく抗議し、金理事長も「歴史的事実は歴史的事実と受け止めて」と主張した。嶋倉教育長は「日朝併合の部分をいかに言うかは自由」と言いつつ、植民地支配であったことは改めて否定。「そこは日朝交渉でやって頂ければいい話」と述べた。


 金理事長は「日朝平壌宣言や日本の首相談話にも植民地支配への謝罪が盛り込まれている。それを否定することは国のトップを否定することだ」と話す。嶋倉教育長は朝日新聞社の取材に「助成の話に昔の話を持ち出すのは筋違い」と話した。


 嶋倉教育長は87年に文部省に入省。教育財政室長などを歴任した。下関市では前任の教育長が突然辞職して4月から空席だった。市は後任を文部科学省に求め、嶋倉氏が5月に着任した。

 下関市と朝鮮半島はつながりが深い。戦後、朝鮮半島に帰る船に乗ろうと下関には多くの朝鮮半島出身者が集まった。現在もその子孫が多く住み、約4千人が韓国・朝鮮籍で外国人登録をしている。下関市と韓国の釜山市との間には関釜フェリーが就航し、両市は姉妹都市として提携している。(島津洋一郎)

     ◇

 山口県下関市の嶋倉剛教育長が「(朝鮮半島の)植民地支配は歴史的事実に反する」と発言したことについて、渡海文部科学相は27日の会見で、「我が国の植民地支配によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えたという認識を政府は表明しており、私の認識も同じ。もしそれに反する発言ということであれば、大変遺憾だ」と話した。



[1647] 滝尾さん、お帰りなさい 投稿者:リベル 投稿日:2008/06/28(Sat) 14:03  

ご退院おめでとう御座います。

早く元気なお声が聞けて、ホッと安心しました。

また豪快に、しかし、身体には十分ご注意なさって、ご活躍なさるようにお祈りしています。


[1646]   広島赤十字・原爆病院を退院しました。; 下関市の嶋倉剛教育長の発言に対する抗議を要請いたします! (滝尾)                                         投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/06/28(Sat) 04:19  


 広島赤十字・原爆病院を退院しました。同病院の私の主治医である内分泌科の医師と、循環器科の医師、及び外科の医師が相談されて、今回は「人工血管手術」はしないことになりました。このことは、動脈硬化症、腰部脊柱管狭窄症、さらに動脈硬化による心筋梗塞などの冠動脈疾患や血流からの疾患などが改善されたわけではありません。それを防止する服薬も追加されました。だから「退院」をすなおによろこべないのです。

 しかし、入院中の多くの方がたからメールやホームページなどで激励や見舞いの意を送られて感謝します。このことが、どれほど不安と孤独のこころを癒したか分からないほどです。入院しますと「孤独なこころの傷」がたえずあります。こうした不安などが身体に影響し、また「激痛」を引き起こします。身体とこころは絶えず連動することをこの度、痛感しました。このことは「ハンセン病問題のこと」でも、とりわけ「将来構想」を考える際にも云えると思いました。


 安原さんから下記のメールが滝尾宛にも届きましたので、詳細は『滝尾英二的こころPart2』の掲示板に掲載します。『滝尾英二的こころ』などは、要約しますので(長文となり煩瑣になりますので)、ご面倒ですが『滝尾英二的こころPart2』の掲示板をご覧ください。

 滝尾からも下関市の嶋倉剛教育長の発言に対する抗議を要請いたします。「 転載転送大歓迎」だそうです。この点もよろしくお願いいたします。安原さんたちに感謝します。

          ‘08年6月28日(土曜日)  4時00分

           人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

      ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 安原です。教育界がじわじわと変質しているのでしょうか。

-----Original Message------------------------------------------

転載転送大歓迎です。重複して受け取られる方、ごめんなさい。
友人からのFAXです。下関の教育長の妄言に対して、ぜひ抗議してください。

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<下関市教育長の歴史改ざん発言に抗議の声を>

仲間のみなさん

 26日、教育補助金増額を求めて交渉した山口朝鮮初中級学校の関係者に、応対していた嶋倉剛下関市教育長が「植民地支配は歴史的事実に反する」と言い放つ事態が起 利ました。保護者らの抗議に対しても植民地支配を否定し「補助金助成の話に昔の話 を持ち出すのは筋違い」とも話しました。(27日付朝日新聞から)

 嶋倉教育長は文科省から今年5月に市教育委員長に着任した人物です。教育長の発言 は歴史を反省しないどころか改ざんするもので、教科書の沖縄戦書き換えに現れた文科省の姿勢と同じといえます。ただちに発言の撤回と辞任を求める抗議FAXを送りましたが、より多くの個人、団体が、地域を越えて抗議することが必要と思いこの文を送 ります。教育長宛のFAX、メールなどを集中してください。この出来事を広く伝えてく ださい。韓国などに知り合いのいつ方はそちらにも伝えてください。よろしくお願い します。

住所 山口県下関市南部町1-1 083-231-1111(下関市役所)
教育委員会(教育政策課TEL 083-231-1560) FAX 083-222-8333
メール kisomuka@city.shimonoseki.yamaguchi.jp(教育委員会総務課)

下関 大谷正穂
(宛先部分、一部加筆訂正しました)

   ***********************************************************

朝日新聞の記事はネットで探しきれませんでしたが、共同通信配信のニュースはすぐに見つかります。例えば、「嶋倉剛」で検索ください。


OHKI KENJI(大城研司)
fjmtc727@yahoo.co.jp

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『毎日新聞』ホームページからの検索による。=滝尾からの検索です。

<山口・下関市教育長:戦時下の朝鮮半島、植民地支配「事実に反する」と発言> 『毎日新聞』6月27日 西部夕刊より

 山口県下関市の嶋倉剛教育長(44)が、戦時中の日本の朝鮮半島支配について「植民地支配というのは歴史的事実に反する」と発言していたことが分かった。26日、山口朝鮮初中級学校(同市)への教育補助金増額の要望に訪れた山口朝鮮学園の金鍾九理事長と保護者らに回答した中で述べた。

 金理事長らの要望に対し、嶋倉教育長はいったん「現在の補助金は公教育のルールにのっとって決められている。加えて、市には財源がない」と回答した。しかし、学園側の出席者が「植民地支配によって日本に来た朝鮮人子弟が通っている。他の外国人学校とは歴史的経緯が異なることを踏まえてほしい」と述べると、嶋倉教育長は「植民地支配という部分は歴史的事実に反するので受け入れられない」などと反論した。

 27日に取材に応じた嶋倉教育長は「(学園側は)補助金の話で来たのに、歴史認識の話を持ち出すのは筋違いなので否定した。日朝併合(日韓併合)と植民地支配は違うと考えているが、異なる考え方があることも理解している」と話した。

 一方、金理事長は27日、「憤慨している。教育長の発言は、日朝平壌宣言の否定につながる。誤った歴史認識をもった人が『長』として教育現場に携わることを懸念する」と話し、発言の訂正と謝罪を求めている。

 嶋倉教育長は87年に文部省(当時)に入省し、小中学校の教育財政部門などに携わっていた。下関市は前任の教育長が突然辞職し4月から不在だった。このため、市の招請に応じて今年5月、文科省から嶋倉氏が派遣された。同省派遣の現職教育長は、九州・山口ではただ一人。【取違剛】
毎日新聞 2008年6月27日 西部夕刊



[1645] 以下、末の件での問い合わせ 投稿者:yoonglee 投稿日:2008/06/23(Mon) 10:37  

この度は「市長への手紙」メールをご利用いただきありがとうございました。
春日居郷土館は平成3年に春日居町立の総合博物館として開館しました。館内には総合展示室・特別展示室があり、総合展示室では春日居地区の歴史・文化に関する資料を展示し、特別展示室では春日居町名誉町民第1号『小川正子女史』の関係資料を展示しています。
小川正子女史は春日居町桑戸で生まれ、岡山県の長島愛生園で勤務し、手記『小島の春』を出版しました。
平成14年、春日居郷土館では『名誉町民小川正子女史生誕百周年記念事業展』を開催し、小川正子女史の事績を伝え、現在も特別展示室では『小島の春』や小川正子女史の手紙等を展示しています。
また、小川正子女史が故郷桑戸で生活した家は、平成3年に郷土館敷地内に移築し公開しています。
末氏はNHKアナウンサーとして甲府支局等で勤務し、『NHKのど自慢』春日居大会等を通じて当時の春日居町長と親交を重ね、『全国各地の放送局で勤務した末氏の人脈等により春日居郷土館をアピールする』ことを目的に春日居郷土館の館長として採用されました。
平成9年以降、春日居郷土館は全国各地の放送局で仕事をしてきた末氏の経験により様々な催しを開き、今日に至っています。
末氏は長年、春日居郷土館の館長として勤めてまいりましたが、本年度末で退職することになっております。
なお、ハンセン病をめぐる国の判決に対する末館長の考えは、個人の問題なのでコメントは控えさせていただきます。

平成20年6月20日

笛吹市教育委員会



[1644] Re:[1642]  「循環器科」の医師から、詳しい私の情報を妻と一緒に聞いて、人工血管手術を実施していただくように考えています。(滝尾) 笑い! 投稿者:リベル 投稿日:2008/06/23(Mon) 00:40  

滝尾さん、拝読しました。

強靱な滝尾さんのことです。必ずチャレンジに成功なさると信じます。一刻も早く、元気なお声を聞かせてください。お待ちしています。


[1643] Re:[1641] 人間は生をうけてこの世に生まれれば、万人は必ず「死」ぬ。しかし、その生きた精神は、後世に引き継がれて、死ぬことはない!                                             投稿者:北風 投稿日:2008/06/22(Sun) 18:46  


>  人間は生をうけてこの世に生まれれば、万人は必ず「死」ぬ。しかし、その生きた精神は、後世に引き継がれて、死ぬことはない。だから、恥じることのない生き方をして、この世から去らねばならないと思う。

滝尾さんの手術の成功と本復を祈ります。





[1642]  「循環器科」の医師から、詳しい私の情報を妻と一緒に聞いて、人工血管手術を実施していただくように考えています。(滝尾) 笑い! 投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/06/22(Sun) 16:53  


 『医学雑誌』を編集されている親しい友人から、下記のようなメールが届きました。広島赤十字病院の「循環器科」の医師から、詳しい私の情報を妻と一緒に聞いて、人工血管手術を実施していただくように考えています。そうすれば、この『滝尾英二的こころPart2』などのホームページへの投稿・掲載が当分、出来なくなります。その点、気がかりですが、帰宅すれば、掲示板への投稿・掲載を再開します。それまで、しばらくご容赦ください。よろしくお願いいたします。

            ‘08年6月22日(日曜日) 16:45

          人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

             (自宅から病室へ戻るときに、掲載しました!)

       ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

(友人からのメール=参考資料)

 滝尾英二さま

 メールを拝受いたしました。

 人工血管による血管形成術に関して、参考にましましたら‥‥。

1:ASOに関するQ&A[一般向け説明]
http://www.jsivr.jp/people/aso/a_Q.html

2:第46回日本脈管学会総会 講演7

[人工血管に関する研究の現況がわかります。専門的]
http://www.jc-angiology.org/journal/pdf/2006/165.pdf

3:日本人工臓器学会 人工血管[一般向け情報]
http://www.jsao.org/public/7.html

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 ステント留置による血行再建に関しては、ベアメタルステントと薬剤溶出性ステントがあり、最近は薬剤溶出性ステント使用の傾向です。

 血流の滞った自らの下肢血管走行が、複数の小さな副側血行路を形成しているようですので、医師お勧めの、人工血管による血管形成術適応は充分納得できます。


 十分な説明を受け、納得されたら、どうぞチャレンジしてください。

また、外科的処置には、身体的/精神的ストレスにもなりますから、処置に臨んで、ストレスを溜めないで、ゆったり、気持ちを大きく解放して、医師と協働して――自ら治す――ような気持ちで臨んでくださいませ〜。いい結果を得られることと思います。


[1641] 人間は生をうけてこの世に生まれれば、万人は必ず「死」ぬ。しかし、その生きた精神は、後世に引き継がれて、死ぬことはない!                                             投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/06/22(Sun) 13:19  






 鄭根植さん(ソウル大学社会学科教授)と、市場淳子さん(韓国の原爆被害者を救済する市民の会 会長)から『韓国原爆被害者 苦痛の歴史』(明石書店、2008年5月20日発行、B6判502ページ、3500円+税)の寄贈本が贈られてきた。

 現本は、韓国で「図書出版・先人(ソニン)」で2005年に出版されたものである。序文は「出版にあたって」が、同書にふせられていて、それを一読して驚いた。それは、つぎのように書き出されていた。

「今年[2005年]で広島と長崎に原子爆弾が投下されて六〇年になる。どんな理由であれ、その時、そこにいた人々は、その多くがすでに故人となった。私が歴史の現場である広島平和記念公園を訪れたのは、今から一〇年前だった。韓国ハンセン病史の研究者である滝尾英二先生が、被差別部落地域とともに、この公園を案内しながら、原爆ドームと韓国原爆犠牲者慰霊碑にまつわる話をしてくれた。‥‥」


 人間は生をうけてこの世に生まれれば、万人は必ず「死」ぬ。しかし、その生きた精神は、後世に引き継がれて、死ぬことはない。だから、恥じることのない生き方をして、この世から去らねばならないと思う。


 今日、広島赤十字・原爆病院の病室に帰る。右下脚の動脈硬化の手術(人造血管との入れ替え手術)をすれば、当分は帰宅して、ホームページへの投稿も出来ない。しかし、この私の精神は、きっと後世に引き継がれていくにちがいない。だから、「恥じることとのない」生き方を書いて残しておかなければならないと思った。それが、この「激動期」を生きた者としての努めだと感じた。


             2008年6月22日(日曜日) 午後1時15分

           人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二




[1640]   近況のご報告です。 6月23日(日曜日)  早朝です! 投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/06/22(Sun) 01:26  

                           
『ハンセン病の闘いの歴史に学びともに考えるBBS』の北風さん「エミ」さんなどの記事を拝読しました。広島日赤病院から、今日、一時帰宅しました。1週間分のメールや、ホームページなど読むのが精一杯で、在院中の疲れが、どぉーとでて、帰宅後、寝台で眠りこけていました。午後11時に目が覚めて、この一週間の報告など書いています。


(1)私の健康問題でいえば、やはり、右下脚の「ひざ」上から、下部の「こう」あたりにかけて、動脈硬化で右下脚の「ひざ」にかけて動脈からの「血流」が出来ていないから、人造血管などを右下脚に、埋め込む手術をしないと「壊疽」(エソ)など「血流」しないという現象から脚の切断ということになる、ということです。「血流検査」と「MRI」の検査などで、判明したことです。

 かなり過去からあった「動脈硬化症」で、さいわいなことというか、人間の「神秘」というか、「硬化した動脈」も脇に血管の細い血管の「バイパス」が出来て、その「バイパス」血管から右下脚に血液を送っているが、送れる血液の量は少なく、従って「人口血管」の埋め込み手術が必要だろう、というのが主治医である内分泌科の医師の意見です。


(2)「血流」などに関しては、「循環器」科の専門の医師が諸検査をみて6月23日(月曜日)の午前中に日赤病院で入院のまま、内分泌科から、「循環器」科の医師の診断を受け、手術するか、どうか診断するそうで、家族(妻)もこの診断に私とともに同席します。

 まあ、ここ10年の「ハンセン病問題」の闘いなどの一種の「勲章」だと思えば腹がたりません、また、それが「後期高齢者(福田首相たちがいう「通称・長寿者」)」の宿命だかも、しれません。人間はこの世に生れた以上、老いて、病をして死ぬのは自然の成り行きです。

 幾人かの知人など連絡可能な方がたに病院から、電話でご意見をお聞きしました。するろ「‥‥滝尾さんにはまだ、10年は生きて活動・運動してこらいたいので、この際、手術するため、1ヶ月間の入院を延長して、人口血管の埋め込み手術をしたらどうか」というご意見が、ほとんどでした。

 最終的には月曜日の広島日赤病院の「循環器」科の専門の医師の意見をお聞きして、判断します。土曜日の午後は「整形外科」の医師との今まで実施したWRIなどのこの度の入院に実施しました諸検査をもとに、今後の対応を対応について話し合います。老人になるとどうすても「複数の病気」を持つものです。


これから「ハンセン病療養所」では「将来構想」が、論議されますが、やはり「将来構想」で医療・介後されるという「予定者」の一番心身に障害を多くもち、深刻か方がたの立場にたって、「入所者」や「近隣地域の老人や障害者の立場に立って「将来構想」を考えてみることが、きわめて重要だと考えます。その際、ともすれば「画一性」が問題となります。また、「近代医療」の持つ「うすっぺらい合理性」や、諸調査を軽視し、無視して小人数による「思い付き」的な計画が行なわれられないことを切望します。

 とりあえず、短いものですが、近況のご報告です。

          ‘08年6月22日(日曜日)午前1時10分

           人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二





[1639] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2008/06/20(Fri) 08:10  

[1639][1640]の2件を自己削除。


[1638] Re:[1636] そういえば、 投稿者:北風 投稿日:2008/06/19(Thu) 10:33   <URL>

> ハンセン病図書館友の会が解散してから、その後の残務整理について、目録はどのように処理したとか、どのような利用に供される予定とか、その他いろいろあるだろうに、元執行部から報告があった、という話をいっこうに聞かない。
> どうなっているのでしょう?

現在、会計監査と目録担当からの連絡まちです。
会計監査は日程、目録担当者は意見調整に時間がかかっているようです。



[1637] こだわります。 投稿者:ルリカケス 投稿日:2008/06/18(Wed) 21:46  

>あれから、一週間以上がたつが、弁護団関係のホームページを見ても、「基本法」の報告も総括も見つからない。

どのように総括したのか伺いたいのはもちろんだが、少なくとも報告は、署名した90万人への義務ではなかろうか?

************************
少なくとも、基本法は後退ですよね!

何故全療協&各支部は急いで、「将来構想」に走るのですかね!弁護士のコメント聞きたいですね!



[1636] そういえば、 投稿者:エミ 投稿日:2008/06/18(Wed) 19:28  

ハンセン病図書館友の会が解散してから、その後の残務整理について、目録はどのように処理したとか、どのような利用に供される予定とか、その他いろいろあるだろうに、元執行部から報告があった、という話をいっこうに聞かない。
どうなっているのでしょう?


[1635] こだわるわけではないが。 投稿者:北風 投稿日:2008/06/18(Wed) 17:40  

あれから、一週間以上がたつが、弁護団関係のホームページを見ても、「基本法」の報告も総括も見つからない。

どのように総括したのか伺いたいのはもちろんだが、少なくとも報告は、署名した90万人への義務ではなかろうか?








[1634] ハンセン病文庫の件につて! 投稿者:ルリカケス 投稿日:2008/06/18(Wed) 11:25  

皆さんこの度はいろいろとアドバス頂きありがとうございます。
それにりベル様、京子先生とは、現在連絡取っております。
ありがとうございました。

それに北風さん、どうにか「ハンセン病を正しく理解する週間」には、オープン出来そうです。
いろいろとこれからも宜しくお願い致します。

それにエミさん、ありがとうございました。取り敢えず開設を先に致します。


[1633] Re:[1632] [1631] [1620] 無題 投稿者:北風 投稿日:2008/06/18(Wed) 09:59   <URL>

> > > http://6322.teacup.com/takaamami/bbs
> > >
> > > ルリカケスさんが、ハンセン病文庫開設を計画。
> > > 小学校低学年児童向けの図書資料・冊子等「余分にないですか?」と呼びかけておられます。
> > >
> >
> > きょうこさんの作られた、一連の絵本は如何なのでしょう。こちら↓です。
> >
> > http://www.ctb.ne.jp/~mizochan/ehonkona.htm
>
> これ「リアル」な絵本ですか?
> ネット上の「ヴァーチャル絵本」みたいですが。

オンデマンド印刷で小部数作ることができそうですが。
このさい、作りますか?
普通のオフセット印刷よりずっと安くできますが、それにしても費用はどうする?



[1632] Re:[1631] [1620] 無題 投稿者:北風 投稿日:2008/06/18(Wed) 09:40   <URL>

> > http://6322.teacup.com/takaamami/bbs
> >
> > ルリカケスさんが、ハンセン病文庫開設を計画。
> > 小学校低学年児童向けの図書資料・冊子等「余分にないですか?」と呼びかけておられます。
> >
>
> きょうこさんの作られた、一連の絵本は如何なのでしょう。こちら↓です。
>
> http://www.ctb.ne.jp/~mizochan/ehonkona.htm

これ「リアル」な絵本ですか?
ネット上の「ヴァーチャル絵本」みたいですが。



[1631] Re:[1620] 無題 投稿者:リベル 投稿日:2008/06/18(Wed) 07:20  

> http://6322.teacup.com/takaamami/bbs
>
> ルリカケスさんが、ハンセン病文庫開設を計画。
> 小学校低学年児童向けの図書資料・冊子等「余分にないですか?」と呼びかけておられます。
>

きょうこさんの作られた、一連の絵本は如何なのでしょう。こちら↓です。

http://www.ctb.ne.jp/~mizochan/ehonkona.htm


[1630] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2008/06/17(Tue) 21:49  

『会いたかった』
三重県人権センター http://www.pref.mie.jp/jinkenc/hp/publication/pub_01.html
を見てみましたが、「配布は終了しました」となっていました。

ちょい気になる『光田健輔物語』ですが;
「日本の古本屋」で検索してみましたが、ヒットせず。


[1629] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2008/06/17(Tue) 21:27  

>それにエミさんの紹介の冊子も興味ありますね!在庫あるのかしら?
・・・・・・・・・・・・
*ルリカケスさん;すみません! 手抜きでした。
『ばらの心は海をわたった』は、PHP研究所HPで検索してヒットしませんでした。(たぶん在庫なしでしょう。)
amazon.co.jpでも、現在「在庫なし」のようです。
(他の2点、未検索です、ごめんなさい!)

*あずきさん;
ご推薦の『ハンセン病文学全集』の児童作品の巻ですが、
極私的な意見としては、児童作品だから児童向けというわけにはいかないのではないか、と。
もちろん、児童にもどんどん読んでほしいですけど。
ただ、この全集の児童作品の巻では、小学生児童が読むことを想定した編集制作上の配慮はなされていないように思います。
通常、“児童向け”図書の場合、北風さんの投稿記事の中にもあるように、「小学○・○年」とか「小学○年以上」などのように、読者の学年層(年齢層)を想定し、想定対象学年以下の学年で学習する漢字以外の漢字にはルビを振るなど、想定対象学年層にあわせた編集制作上の配慮がなされ、解説、解題などについても、こういった配慮がなされます。
『ハンセン病文学全集』の児童作品の巻、これの児童向けに編集されたものに、解説がついたものがあるといいですけど、…ね。


[1628] 追加です。 投稿者:あずき 投稿日:2008/06/17(Tue) 10:05  

皓星社の「ハンセン病文学全集」の「児童作品」の巻があります。これはすべて児童が書いたものでしょう。
一番ふさわしいものではないでしょうか?


[1627] ありがとうございました。 投稿者:ルリカケス 投稿日:2008/06/17(Tue) 05:51  

北風さん&エミさんありがとうございます。

北風の紹介の冊子ほとんど1冊は持っています。それに決めましょうか?

それにエミさんの紹介の冊子も興味ありますね!在庫あるのかしら?

昨日は役場職員からの電話で「ふれあい福祉たより」早速学校に配布しますとの電話来ました。

それに知人の町会議員が自宅に来まして、来週教育委員会の長に会う時に、役場に同行する見たいです。
それと私の書棚を見てびっくりして帰りました。


[1626] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2008/06/16(Mon) 20:33  

[1625]の3点とも未見。うち
○光田健輔物語 1994年 防府青年会議所
   ↑
児童向け図書で、光田健輔がどのように描かれているか、ちょっと気になりますね。