ハンセン病の闘いの歴史に学びともに考えるBBS
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[2465] 落首 投稿者:北風 投稿日:2011/07/16(Sat) 11:56  

あゝわがまごよ 君を泣く
君死にたまへこのばかめ
親はけんりょくにぎらせて
人を殺せとをしえしや

てれびで無知をさらせとて
七十二までそだてしや
にほんの原発ほろびると
貧しくなるとは何事ぞ
 

ふくしまのかげに伏して泣く
あえにわかき新妻を
君知らざるや、思へるや
にほんを誰にたのむべき
君死にたまへこのばかめ



[2464] Re:[2463] 今日は京都。 投稿者:北風 投稿日:2011/07/15(Fri) 12:40  

> 夕飯を食うためにだけいくのである。
>
久しぶり〔2,30年ぶり〕に寂庵に行く。
寂庵ができたときには、キキョウの苗を200株ばかり新築祝いとして贈った。貧乏人としては工夫したのである。
キキョウは、しばらくは寂庵の日当たりのいい庭の名物だった。

今度行ったときには、庭の木は大きくおい茂り、庭は苔むして、深山幽谷の面影になっていた。
キキョウはなくなっていたが、深山幽谷にキキョウは似合わないのでこれは納得である。それにしても歳月茫茫である。

桂川に望むお店で夕食をご馳走になった。相客に宮川町のお姐さんがいた。今日が90歳の誕生日だという。宮川町は格式では祇園より下というが、いまは、宮川町のほうが芸妓も若くて美人が多く人気だそうだ。
桂川の向こうの山に夕日が沈んでいくが、うまいものを食いながら、落ち着いて眺めていると、山の変化はいつまでも楽しめる。

ご馳走になってお話も無事終わり、新幹線でキキョウ。
京都滞在4時間弱であった。




[2463] 今日は京都。 投稿者:北風 投稿日:2011/07/14(Thu) 10:37  

夕飯を食うためにだけいくのである。



[2462] さっき帰京。 投稿者:北風 投稿日:2011/07/12(Tue) 19:39  

昨夜、旅先のホテルで書いた記事が残っている。
ちょっと後悔しているがこのままにしておこう。おいらが間違っているとも思えないが、駄々っ子のようないい大人の「小児病的」行為にまともに反応した己の未熟さへの自戒もある。

しかし、何だねリベルさんといい、読売の谷内君といい、東京新聞の田島といい、同じビヘイビアの人は存外多いねえ。





[2461] リベルさんのキンタマの軽重。 投稿者:北風@旅先 投稿日:2011/07/11(Mon) 18:46  

リベルさんの「ハンセン病のBBS」のページに、

http://www.geocities.jp/libell8/13keijiban.htm

>注:北風さんが運営するBBSは「ハンセン病」と全く無関係な個人的中傷の記載が多く見苦しい、とのご指摘が相次ぐため削除致しました。

という記述を見つけた。黙って削除するなら勝手だ。
しかし、「個人的な中傷」といっても誰かを批判したのは、対リベルさんだけである。「批判」を「中傷」としか捉えられない心の狭さ。
「相次ぐ」とは具体的にどうか?
「見苦しい」という指摘は誰が言ったのか。「土方歳三」さんがこのページでおっしゃったことがあるが、ああいうところに、こういう書き方をするのは「卑怯」である。自身の嫌悪を他人の言説のように偽装し、URLも表示されないから、読者が「検証」することもできない。読売新聞の谷内修三君と同じビヘイビアである。

リベルさんは、もう少しおおらかになったほうがよろしい。心の狭い「友人」を持つと難儀である。

ま、なっれっこだからいいけどね。

http://6610.teacup.com/libell/bbs


[2460] Re:[2458] 朝日の社説。 投稿者:北風 投稿日:2011/07/09(Sat) 19:18  

> 本日の馬脚。
>
> 今日の朝日新聞は、内閣と海江田の批判をしながら見逃せない一言をぽろっと漏らした。
> いわく
>
> 「原発再稼働という喫緊の課題」
>
> つまり、「原発の再稼動」に失敗したことを批判しているのである。ま、電力会社や経団連の広報誌紙の面目躍如ですね。
>
> まあ、当然ながら読売も露骨である。
> 「原発再稼動」できないから、菅を退陣させろという。あれだけ菅を持ち上げておきながら、制御不能になったということだろう。そういう意味では、菅も原発並みである。
>
> 国民が、菅の退陣を求めるのは、そのような理由ではない。
>
結局、「新聞」を根拠にものをいってはだめである。
高校では、「辞書」を引けと指導された。
「辞書」を疑えというのは、大学で最初に言われた。
自分の中に「権威」を持つな、持ったそのときに「学問」は終わると。

「権威」の存在を教えそれに従えば間違いないというのが「教育」であり、「権威」に拠らず己の頭で考えるのが「研究」であって、「教育」の怖いのは、時の権力者の都合でいかようにも「権威」を入れ替えることができるからである。
原発事故における御用学者、政治と政治家に対するマスコミ、現在われわれは、そのサンプルに事欠かない。








[2458] 朝日の社説。 投稿者:北風 投稿日:2011/07/08(Fri) 11:31  

本日の馬脚。

今日の朝日新聞は、内閣と海江田の批判をしながら見逃せない一言をぽろっと漏らした。
いわく

「原発再稼働という喫緊の課題」

つまり、「原発の再稼動」に失敗したことを批判しているのである。ま、電力会社や経団連の広報誌紙の面目躍如ですね。

まあ、当然ながら読売も露骨である。
「原発再稼動」できないから、菅を退陣させろという。あれだけ菅を持ち上げておきながら、制御不能になったということだろう。そういう意味では、菅も原発並みである。

国民が、菅の退陣を求めるのは、そのような理由ではない。





[2457] 清水昶さんの掲示板 投稿者:北風 投稿日:2011/07/05(Tue) 14:41  

10年続いてきた清水昶さんの掲示板が6月30日OTDによって閉鎖されました。
天狼のサーバに復刻版をおきました。
http://www.tenro.net/shimizu/index.php



[2456] 与謝野馨よ、君のお婆さまの詩だ。 投稿者:北風 投稿日:2011/07/02(Sat) 13:25  

駄獣の群(1915年)


ああ、此国の
怖るべく且つ醜き
議会の心理を知らずして
衆議院の建物を見上ぐる勿れ。
禍なるかな、此処に入る者は悉く変性す。
たとへば悪貨の多き国に入れば
大英国の金貨も
七日にて鑢にて削り取られ
其正しき目方を減ずる如く、一たび此門を跨げば
良心と、徳と、理性との平衡を失はずして
人は此処に在り難し。
見よ、此処は最も無智なる、
最も悖徳なる、はた最も卑劣無作法なる
野人本位を以て
人の価価を
最も粗悪に平均する処なり。
此処に在る者は
民衆を代表せずして
私党を樹て、
人類の愛を思はずして
勤物的利己を計り、
公論の代りに
私語と怒号と罵声とを交換す。
此処にして彼等の勝つは
固より正義にも、聡明にも
大胆にも、雄弁にもあらず、
唯だ彼等互に
阿附し、
模倣し、
妥協し、屈従して、
政権と黄金とを荷ふ
多数の駄獣と
みづから変性するにあり。
彼等を選挙したるは誰か、
彼等を寛容しつつあるのは誰か。
此国の憲法は
彼等を逐ふ力無し、
まして選挙権なき
われわれ大多数の
貧しき平民の力にては……
かくしつつ、年毎に、
われわれの正義と愛、われわれの血と汗、われわれの自由と幸福は
最も醜き
彼等駄獣の群に
寝藁の如く踏みにじらるる……




[2455] 今年は。 投稿者:北風 投稿日:2011/06/30(Thu) 15:12  

半ばだというのに、「追悼集」一冊、「遺稿集」一冊作ることになった。
それとは別に、「偲ぶ会」が、6月、7月と立て続け。




[2454] 甲府にて 投稿者:北風 投稿日:2011/06/28(Tue) 18:46  

はい。病状については、大体、弟夫妻から聞いております。
病院に担ぎ込まれたときには危篤状態で、弟はその夜のうちに、障子の張替えを行い早朝には庭の草をとって、弔問に備えたようですが、おかげさまで何とか回復し、孫たちもかけつけ、さらにはたった一日でまた救急車で戻ってきたとはいえ、帰宅もかないそのときには、ずいぶん様子も元に戻り、母を叱ったりしたそうです。
私は長男ですが、18のとき家を出て実家のことも省みない親不孝者ですが、弟夫婦が老親の面倒を実によく見てくれていますので、本当に感謝しております。その弟夫婦の疲労も心配しています。
父は93になり、祖母はよく「私の子どもはできのいいのからなくなっちゃって」といっておりましたが、父は4人兄弟の長男で最後の一人ですから、歳に不足もありません。ただいま点滴で栄養補給をしていただいておりますが、さらに静脈を切開してとか胃瘻のような不自然な延命処置は、本人も望まないと思います。この後は、なるべく自然に寿命を全うさせたいと思います。ただ苦しんだりしないよう必要があれば緩和措置は採ってくだされば幸いです。

そうですか。わかりました。



[2453] 光田が「権威」だったときには光田を疑い、「権威」によって光田否定がなされるときには、その「権威」を検証することだ。Re:[2452] ハンセン病患者隔離の二側面である「迫害されている患者の社会の圧力からの保護」と「感染源である患者からの社会の防衛」というダイナミズムが後者に傾いていったのが日本の隔離政策であるという論文を見た。 投稿者:北風 投稿日:2011/06/23(Thu) 12:26  

> ハンセン病患者隔離の二側面である「迫害されている患者の社会の圧力からの保護」と「感染源である患者からの社会の防衛」というダイナミズムが後者に傾いていったのが日本の隔離政策であるという論文を見た。
> 「迫害されている患者の社会の圧力からの保護」の側面を、湯ノ沢部落や楽泉園の自由療養地区に見、その崩壊が、「感染源である患者からの社会の防衛」という側面に収斂していき、日本の隔離政策が「感染源である患者からの社会の防衛」という側面の優位になっていくことを論証しようというもの。
>
> ところで、この二つの側面というと、直ちに想起するのはオカノユキオさんの見解である。
> オカノユキオさんは、光田健輔は「迫害されている患者の社会の圧力からの保護」を目指したのだが、それでは具体的な成果(社会の共感・予算の獲得など)が得られないので、表向き「感染源である患者からの社会の防衛」を訴え、療養所の建設・整備に実績を上げた、というものである。
> 「そこが光田さんの凄いところだ」といっていた。
>
> 小生は、オカノさんの見解に与するものではないが(実証的な論拠を持たない)、光田と同時代を生きハンセン病問題に誠実に向き合った人のひとつの見解・視点としてあげておきます。
>
> ただ、現実の社会は、単純な二元論ではなく虚実・本音と建前など重層的に成り立っているわけで、発言の一部を切り取ってあらかじめ用意した結論の補強に使うのではなく、こうした見解をもきちんと考察する必要があるだろうとは強く思います。
> (これは冒頭の論文に対していっているのではありません。為念)
>
現実の中では、ハンセン病患者隔離の二側面である「迫害されている患者の社会の圧力からの保護」と「感染源である患者からの社会の防衛」の二元論で割り切れるものではなく、その混合型、折衷型、その色合いも真っ黒から真っ白までのグラデーション、それらを表出させる要因のベクトル、検討すべきことは多いですわね。
さらに、被害と加害という二元論の危うさもあります。
若い学生などに、こうした単純化した二元論をしめして態度決定を迫るのは、いわば踏み絵のようなもので、やはりあくまで、資料を提示して己の頭で考えて決めさせるべきではないでしょうかね。
そのための資料は、それこそ資料館に行けば山のようにあるし、手前味噌ながら『ハンセン病文学全集』は格好の入門である。
それらを注意深く読めば、白黒二元論の「裁判の論理」と違った、歴史的事実が見えてくるはずである。主体的な現実への対応はそこから始まる。

光田が「権威」だったときには光田を疑い、「権威」によって光田否定がなされるときには、その「権威」を検証することだ。「権威」を信じないことだ。「権威」に寄りかかって思考停止してはだめだ。





[2452] ハンセン病患者隔離の二側面である「迫害されている患者の社会の圧力からの保護」と「感染源である患者からの社会の防衛」というダイナミズムが後者に傾いていったのが日本の隔離政策であるという論文を見た。 投稿者:北風 投稿日:2011/06/22(Wed) 08:31  

ハンセン病患者隔離の二側面である「迫害されている患者の社会の圧力からの保護」と「感染源である患者からの社会の防衛」というダイナミズムが後者に傾いていったのが日本の隔離政策であるという論文を見た。
「迫害されている患者の社会の圧力からの保護」の側面を、湯ノ沢部落や楽泉園の自由療養地区に見、その崩壊が、「感染源である患者からの社会の防衛」という側面に収斂していき、日本の隔離政策が「感染源である患者からの社会の防衛」という側面の優位になっていくことを論証しようというもの。

ところで、この二つの側面というと、直ちに想起するのはオカノユキオさんの見解である。
オカノユキオさんは、光田健輔は「迫害されている患者の社会の圧力からの保護」を目指したのだが、それでは具体的な成果(社会の共感・予算の獲得など)が得られないので、表向き「感染源である患者からの社会の防衛」を訴え、療養所の建設・整備に実績を上げた、というものである。
「そこが光田さんの凄いところだ」といっていた。

小生は、オカノさんの見解に与するものではないが(実証的な論拠を持たない)、光田と同時代を生きハンセン病問題に誠実に向き合った人のひとつの見解・視点としてあげておきます。

ただ、現実の社会は、単純な二元論ではなく虚実・本音と建前など重層的に成り立っているわけで、発言の一部を切り取ってあらかじめ用意した結論の補強に使うのではなく、こうした見解をもきちんと考察する必要があるだろうとは強く思います。
(これは冒頭の論文に対していっているのではありません。為念)



[2451] 辻潤 「ふもれすく」 投稿者:北風 投稿日:2011/06/19(Sun) 15:07  

大杉君が「近代思想」を始め、平塚らいてう氏が「青鞜」をやっていた。僕は新聞の記事によってらいてう氏にインテレストを持ち、「青鞜」を読んで頼もしく思った。
 野枝さんにすすめてらいてう氏を訪問させてみることを考えた。
 社会主義が高等不良少年の集団なら、高等不良少女の集団は「青鞜」であった。少なくとも世間の色眼鏡にはそう映じたに相違ない。自然主義、デカダン、ニヒリズム――すべて舶来の近代思想などいうものにロクなものはない。しかし、日本固有の思想は全体どんなものか知らないが、泡鳴流の説なら僕も泡鳴が好きだったから賛成してやってもいいが、およそ思想などというようなものはみんな舶来のような気がしてならない。印度や支那の思想を日本から引き抜いたら、果たしてどんなものが残るのだろう。しかし、およそ思想といったって特別それが珍重されるべきものでなく、同じ人間の頭から生まれてきたのだから、早い晩(おそ)いを論じて優劣などを争うのは馬鹿気ている。いくら借り物だろうが、よければ少しも恥ずかしがらずどしどしと自分のものにして利用したらばいいのだ。なにも遠慮することはいらない。滑稽なのは昔借りた物を如何にも祖先伝来であるかの如き顔をして、臆面もなく振りまわしている馬鹿がいることだ。そしてそれより遙かにすぐれて進んだ物を見せつけられてもそれを借りることを恥辱であるかの如く、またなにか恐ろしく危険でもあるかの如く考えている。自分には祖先伝来の二本の足があるから、危険な電車や自動車には乗らないといって威張っているのと少しも変わりはありはしない。電気にしろ機械にしろ薬品にしろ、みんな危険といえば危険でないものは一つもない。だが、それに対する精確な知識と取り扱い方を知っていさえすれば、少しも危険でもなんでもないだろうじゃないか?
 野枝さんはらいてう氏の同情と理解によって、「青鞜」社員になって働いた。僕も時々らいてう氏を尋ねるようになった。そうして随分と厄介をかけたようだ。それから当時社内の「おばさん」といわれていた保持白雨氏、小林の可津ちゃん、荒木の郁さん、紅吉などという連中とも知り合った。「新しい女」は、吉原へおいらんを買いに行き五色の酒を呑んで怪気焔を吐き、同性恋愛の争奪をやり、若き燕を至るところで拵えるというような評判によってのみ世間へ紹介された。自然主義が出歯亀によって代表されたのと少しも変わりはなかったのである。だが、昔キリスト教が魔法使いと誤られて虐殺されたことを考えると、そんなことはなんでもないことなのかも知れぬ。近い話が大杉君だが、今でも社会主義といえばやたらと巡査とケンカをしたり、金持ちをユスッテ歩く壮士かゴロツキの類だと考えている連中がいるのだから助からない。中には社会主義だと称してそんなことばかりやって歩いている人間もあるのかも知れないが、それよりも堂々ともっともらしい大看板を掲げてヒドイことをやっている奴が腐る程あるのではないか。金さえ出せば大ベラボーの売薬の広告をでさえ第一流の新聞が掲載する世の中なのだ。

【参考 抜書き】

保持白雨=保持研(子)

保持研・「青鞜」を支えた人
著者 高市俊次
刊行年月日 2001.1
巻号 47
掲載 文化愛媛

小林哥津=小林可津=小林歌津

1894−1974明治-昭和時代の小説家。
明治27年11月20日生まれ。小林清親(きよちか)の5女。明治44年「青鞜(せいとう)」の編集助手となり,同誌を中心に戯曲「お夏のなげき」,小説「麻酔剤」などを発表。大正3年退職し,外国文学の翻訳のほか,東京を回想する随筆や父にかんする研究資料をかいた。昭和49年6月25日死去。79歳。東京出身。仏英和高女卒。著作に「瑞典(スウェーデン)のお伽噺不思議な旅」。

荒木郁

荒木郁研究
著者 前原美香
刊行年月日 2000年02月
巻号 38
掲載 国語国文研究と教育

尾竹紅吉=尾竹一枝=富本一枝

明治26年に富山で生まれ、大阪で育ちました。尾竹家は画壇で有名な家柄で、紅吉は芸術家の血を受け、自由な性格に育っていきました。紅吉は女子美術学校で日本画を学んでいましたが、性に合わず中退しましたが、19歳で展覧会に入賞するなど、天才女流画家とも騒がれていました。そんな紅吉が興味を抱いたのが平塚らいてうが発刊した「青鞜」大阪に住んでいた紅吉はしきりに青鞜へ手紙を書いたのです。
青鞜では「ちょっと変な手紙を書いてくる変わった女性がいる」ということで、紅吉に興味津々。そしてとうとう、紅吉は青鞜に入社することとなったのです。紅吉は自由奔放に生きてきたのびのびとした女性でした。
そのため、らいてうはそんな紅吉をとても可愛がりました。
さて、まだ十代だった紅吉は、青鞜のために何かしたかった
それに背伸びもしたい年齢だった。

紅吉は青鞜が赤字経営と知ると、手柄をたてようと「メイゾン・ド・鴻の巣」という人気のある大人のバーから広告をとって来ようと意気込んで出かけました。ここで紅吉はマスターに「五色の酒」というお酒を作ってもらい、何度も通いました。

が、これが問題に。マスコミは「青鞜の新しい女は、女のくせに五色の酒を飲んでいる」と批判したのです。現代では女性がバーに行って飲みに行くのは普通のことですが、この時代はすごい批判されるものだったんですね〜
さらに批判される事件が。それが「吉原登楼事件」です
これは紅吉の叔父がらいてうや紅吉・中野初子の三人に「女の解放とか言ってるが、それなら女の暗闇を見せてやる!」と、三人を吉原遊郭へ連れて行ったのです。
紅吉は遊女の境遇などに関心を寄せたわけではなく、その独特の吉原の世界のとりこになった。紅吉からしてみれば、吉原で働く女性というのは、絵空事の世界だったからです。
ここで吉原をきちんと理解していて、マジメに吉原に働くことになった女性の境遇などの辛さをわかってあげれば良かったのに、若い紅吉は「吉原」という甘美で怪しげな世界に憧れていただけの若い女の子だったのです。。紅吉はこの吉原遊びをいろんな人に喋りました。これが大問題となるのです。
怒った男性マスコミの人々は、青鞜の社員の私生活をおもしろおかしく書いたりと、今では考えられないようなことまでしちゃいました。

さらに青鞜の社員の間でも内部分裂が!
マジメ派で、最初から青鞜に関わっていた保持研子は「私達は真剣にやっているのに、不真面目な人のせいで青鞜がおかしくなってきた」と、怒り出したのです。
また、らいてうが紅吉を可愛がるのもマジメ派からしてみればおもしろくなかったのです。

紅吉は仲間に責められ「死んでやる!」と手首を斬りましたが、浅かったため大事にはいたらなかった。
そしていつまでたってもらいてうが紅吉をかばうので、「もしかしてレズ?」という噂が出始めるのです。確かに同性愛だったのかもしれません。
そんな紅吉ですが、肺結核になってしまい、神奈川県の茅ヶ崎へ療養にいくことになりました。らいてうはすぐさま茅ヶ崎へ行き、病院の近くに家を借りて住んだのです。

ある日、青鞜の関係者である西村陽吉という男性が着ました
このとき、一緒にやってきたのが、21歳の学生、奥村博史でした。博史とらいてうはお互いヒトメボレしてしまったのです。
らいてうを奪われ嫉妬に燃える紅吉は、よくも!と、奥村博史に恨みの手紙を送ります
そのため、らいてうと紅吉の間に亀裂が入ってきてしまいました
さらに奥村博史の友人は「あんな女達に近づくとロクなことがない!」と大反対していました。紅吉は、らいてうを奥村博史に奪われたことにショックを受け、とうとう青鞜を退社することにしたのです。

紅吉のすぐ後に青鞜に入ってくるのが、伊藤野枝です。
そして青鞜に対抗して「番紅花(さふらん)」を出版するも、長くは続かなかった。
大正四年、奈良の陶芸家と結婚。らいてうは当たり前のようなフツーの結婚をした紅吉にがっかりしたという。
が、夫が浮気したりと、この結婚はあまり幸せではなかった。それでも紅吉は昭和になってからも「女人芸術」や「暮らしの手帖」などに関わり、女性のために活動し続け、昭和41年に71歳で死去しました

奥村博史=若い燕
奈良の陶芸家=富本憲吉


[2450] 無題 投稿者:北風 投稿日:2011/06/19(Sun) 14:25  

「青踏」の紙魚はばからぬ裏表紙 湯川加寿代 沖 199811


[2449] 『青鞜』100年 投稿者:北風 投稿日:2011/06/19(Sun) 14:22  

『青鞜』に掲載された俳句一覧

保持白雨(計129句)

「百日紅」(第1巻第1号・明治44年9月)
耳聾いて愚なる子や百日紅
蝉ねらふ烏に智あり雲の峯
鳴神や今蛟龍の雲を得て
薫風や五山にまかる朝の人
遠雷を釣らで苫屋に人語など
腑の病遠雷きくも夢心地
立秋や悩み覚ゆる虫の毒
松原に綱あむ漁夫や雲の峯
胡軍過く(ママ)蹕塵千里雲の峯

「秋海棠」(第1巻第2号・明治44年10月)
筆持てば物書かんとや秋海棠
指に巻きて捨る抜毛も秋の雨
がてんして茶に焼く舌も新酒酔
秋扇で一茶が膝の拍子など
汐干狩アラ藻の上を這ふたこや
若竹や産子を知らぬ旅の父
秋晴や鳩の脚に似し蕎麦の茎
秋風や小男腕を撫でゝ見る
破芭蕉寺の横壁古代文字

「菊日和」(第1巻第3号・明治44年11月)
何の功曽祖に贈位や菊日和。
叡慮三度蛟龍菊に廬を出づる。
富士の眺め黄菊白菊畑続く。
菊に凝る老翁隻眼の士に秘を語る。
山鳩の絶へしが久し暮るる秋。
白鳥の眠りも画題秋雨のして。
土潰せし山裾にして女郎花。
人の子の親ともならず秋の暮れ。
肥を願ふ郎が秘術や渡り鳥。
地裂して湖埋めし古話の山眠る。
ふと解雇(とき)し老婆哀れむ夜長かな。

「冬籠」(第1巻第4号・明治44年12月)
座せば足袋脱がん癖あり冬籠る
冬を爐に籠れば疎き艶話など
国寒し腹中の計半ば就る
木枯の大野吹きぬくや戻り猟
雪に逢ふ笑話の余暇を稿つゞる
物いみて早寝せし旅雪に来て
雪嶺に土踏まぬ雷鳥と我と太陽と
熊追ふて深く入る山雪女
吹雪野に上臈一人遅歩の難
野戦幾日雪に烽火のこゝかしむ
瀧に来て雪踏むも興や山は紅葉す

「初空」(第2巻1号・明治45年1月)
初空の人岩の鼻に亀を得し
かくて遂に拝観す古城の初日の出
動く灯に動く杉影初烏
食好みある病余の君に屠蘇の酔
初夢に麒麟竭(テドメ)くすりを印度より
歌合せも寮の御慶日和なる
病余の寒を五山の梅にまた遊ぶ
星の井に汲む若水も癒ほぎて
墨汁の名残る画書院に福寿草
波なき白山笑ふ湖畔の船に釣る

「冴え返る」(第2巻第2号・明治45年2月)
冴え返る夜を逃げし鳩物おぢし
別時句なく病躯を梅に帰る友
化されし逸事も夜寒秘めごとや
とがめしを癒ゑし効説く梅の温泉や
訪へば夜寒尚眼疾と廬に籠る
吸入も療治や風邪に一家族
堆き砂吹き散りり洲や群千鳥
教子の首尾夜寒を咳きつ問ひやれば
鳩の巣を作る日うらゝ人の来て
君が口癖第一印象もふじ川春の会
春を会す同社の友の寄せ書きて
森ヶ崎の夜や世界観も酢牡蠣ありて

「木瓜」(第2巻第3号・明治45年3月)
首絞り松隣る寺木瓜咲いて
縫へば朧我に婚を問ふ人よ
座に攻撃の酒論あり野路朧
隣る部屋廓女が朧眼をやみて
囈笑に倦めば朧宵聞く火番
造船も日うらゝ浦の高浪や
駄菓子買ふ子日うらゝ縄飛びもす
母屋寄の帰路悪寒あり鳥交る
棺二つ村院より暮れて沈丁花

「松の花」(第2巻第5号・明治45年5月)
聖女おはすとや南湖院は松の花
今朝来しは斑鳩よ橡は松の花
視咎めし似顔温泉の町若柳
肥料藁切る日苺苗植ゑし
狗背に登山逸話あり君肥大にして
木の芽に煎汁も何の根ぞ加治の法
南山に人去りてより連翹に又詩客無し
奨学の妻いむも若鮎に酒香知りて
花壇弄りに手荒れ忌む君謡曲もす
株根堀りし松山躑躅花赤き
我が逸話渡舟に聞きし蘆の角
行春の雨に躊躇の旅情断つ
覇気の計蔵むや若楓の山庵に
君が憂心を聞きし夜を鳴きし青鷺の

「紫陽花」(第2巻第6号・明治45年6月)
恙ありと違約紫陽花に使来る
包みしを探りあてし秘事紫陽花に
恋ききし雨に灯(とも)さで紫陽花の
埋立地建築も半ば青田凪
夢の告気病みしが青嵐の旅に癒し
沖釣りの鮹(たこ)値切ればつく子初鰹
悪戯の陥穽(おとしあな)も磯の梅雨晴れや
漕ぐを習ひし男一人鮎漁の戻るさに
謡声耳につく日頭痛を罌粟に寝し
閑居熱にうなされて覚むれば青鷺の
蟄居面会を断つと頼りあり青嵐の宿
新婚を温泉にさけし青嵐の旅
人生観ぞ不安なる罌粟散りて(恋を得て白雨にこの句あり―R―)

「樹下闇」(第2巻第7号・明治45年7月)
企業を会す樹下闇の庭鳩も居て、
絵絹張る君樹下闇に禅釈も、
習作の画蚊遣の君に野心あり、
違例大漁梅雨の浜に干鰯せる、
尚解けぬ心に鮎の遊舟や、
洲の水村地産を分つ葮の富、
波の下駄追ひし砂丘昼貌の、
救はれし子髪切してふ夏座敷、
探しあてし江の一舟葮の晴、
葮切に湖畔風呂人参の効験や、
爵録食まず龍門の策を避暑の地に、
更けて叩く即興も都人や蚊遣たく。

「日盛」(第2巻第8号・明治45年8月)
日の盛り 切りし路を御寮馬の
日盛りの十字街を痩せ猫の茶色なるが
日盛りを土人行く鰐河の土手椰子の森
プツと切れし綴り糸気病む肺の子夏の夕
眠(ねむ)う読む日盛りを新内の流し行く
御籤占も日盛りを友が神詣
いたづらに試筆せぬよ院に暑う住む
曹達湯に猫の蚤取る暑さありと
病むを見舞へば遊漁と湖に芦の晴れ
豪遊?と拗戻(すね)て胡瓜愛す君
飼へば忘る病児金魚に馴染(なじ)むひる
謡声は君か昼を初雷の雨
心浄と夏を白塔の寺に籠る
迷ひ猫が悲しう鳴くよ庵は夏の月
馬入遊船を鮎に流す三ヶ月の凪
北斗数へて船遊を独り惰(ものう)がり
買いし家の主立たぬ避暑地督促の使
虚を伝ふ万犬に驚けば日向草の
葉鳴る芦の乗り捨て舟に釣垂るる


平塚らいてう(計6句)

「花芙蓉」(第1巻第2号・明治44年10月)
   病床にて
鳴神や、仁王の臍の紙礫。
今朝の秋虫歯の数をかぞへけり。
蚊帳越しの暁寒し白芙蓉。
芙蓉さくや白鳩の眼の紅に。
火食せぬ人のむすびて秋の水。
太腹の和尚めでたき踊哉。


[2448] Re:[2447] 本日の朝日新聞。 投稿者:北風 投稿日:2011/06/17(Fri) 08:48  

> 劣化、劣化といっている朝日新聞だが、政治面以外は悪くない。といっても、うちが出ているからだけど。
> 本日の夕刊2頁目。
> 「出版サバイバル 中小の挑戦」です。見てね。
> 能登の死について読売(5月1日)、朝日(6月16日)がかいてくれた。小さな雑誌が2誌追悼文を掲載してくれた。
>
リベルさんのページで激励にあづかった。
繰り返すが、氏とは長いお付き合いで年長者にこういう言い方は失礼ながら、友情を感じている。
ただ一点、検察のリーク、新聞やテレビの捏造報道(あえて言う)を鵜呑みにした小沢一郎評に疑義があるのとそれへの批判を「削除」や「アクセス禁止」で応じる姿勢はなっとくできないのである。

同じような「疑惑」をもたれながらなぜか自民党議員はスルーして小沢氏のみを執拗に追う検察(しかも立件できなかった)、そのリークを垂れ流す新聞テレビ、すべて同じ論調の全国紙。こうしたことがなぜおきているのか。
そこにこそもう一段掘り下げた、「政治・社会の問題も従来通り追求していく、それは変わりない決意です」の切れ味を期待するのです。



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[2447] 本日の朝日新聞。 投稿者:北風 投稿日:2011/06/16(Thu) 15:03  

劣化、劣化といっている朝日新聞だが、政治面以外は悪くない。といっても、うちが出ているからだけど。
本日の夕刊2頁目。
「出版サバイバル 中小の挑戦」です。見てね。
能登の死について読売(5月1日)、朝日(6月16日)がかいてくれた。小さな雑誌が2誌追悼文を掲載してくれた。

http://www.libro-koseisha.co.jp/sinbun/asahi110616.gif


[2446] 無題 投稿者:北風 投稿日:2011/06/15(Wed) 13:56  

  「清水昶を偲ぶ会」の御案内

拝啓

向夏の候、皆様におかれましては、益々ご清硯のことと存じます。
すでにご存知のことと思いますが、去る五月三〇日、清水昶さんが急逝されました。ご葬儀は近親者のみにて執り行われました。
そこで、このたび何人かの方からぜひ「偲ぶ会」を、という声があがり、清水昶さんのその人柄と詩業をあらためて語り合いながら、偲ぶ会を開催いたすこととなりました。ご多忙中のところ恐縮ですが、なにとぞご参席くださいますようご案内申し上げます。
                             敬具

          記

日時 二〇一一年七月一七日(日) 午後二時-四時半(受付一時半より)
場所 アルカディア市ヶ谷《私学会館》(JR・地下鉄市ヶ谷駅下車徒歩二分)
  (千代田区九段北四?二?二五) 電話〇三・三二六一・九九二一

会費 八〇〇〇円

呼びかけ人 井川博年 小田久郎 金井雄二 倉橋健一 佐々木幹郎 
      正津勉 杉本真維子 斎藤愼爾 田村雅之 月村敏行
      福島泰樹 藤井貞和 八木忠栄 八木幹夫

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[2445] 見落としていました! 投稿者:北風 投稿日:2011/06/14(Tue) 10:09  

土方さん、出番だ。

リベルさん小沢長期政権を予言。

> クールビズ亡国論?
> 投稿者:リベル 投稿日:2011年 6月 8日(水)01時20分13秒 返信・引用 編集済

見落としていましたがこんなくだりも。

[引用]

一度クールビズのない年を作ってご覧なさい、キット長期政権が誕生しますよ・・・

[引用終わり]

なんと、真夏でもスーツにネクタイを欠かさない小沢一郎氏を念頭に長期政権を予言…。なわきゃあ無いでしょうが、「小沢は嫌いだが、この点は買う」と書く度量も無いねえ。(書いたことを後悔してるかな?)ふふふふ。



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[2444] 滝尾さん消息。 Re:[2442] 寺島万里子『韓国・台湾のハンセン病』(写真集) 投稿者:北風 投稿日:2011/06/13(Mon) 17:48  

> 寺島万里子『韓国・台湾のハンセン病』(写真集)が出来上がりました。定価1800円+税。
>
留守中に、写真集をお送りした滝尾英二さんからお礼の電話。 最初奥様が出たが、滝尾さんに代わって元気な声だった由。

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[2443] リベルさんが小沢一郎賛歌。 投稿者:北風 投稿日:2011/06/09(Thu) 08:13  

クールビズ亡国論?
投稿者:リベル 投稿日:2011年 6月 8日(水)01時20分13秒 返信・引用 編集済

正直言って私はクールビズとやらをのっけから嫌っているのです。(略)
私の若い頃は、世の男どもは「職場=戦場」と心得るべし、みたいに教えられて自らネクタイでギュッと首を絞めることで気分まで引き締めるものだと信じてきました。暑くても今のように冷房完備でなくても身体は汗みどろになっても、顔は涼しい顔をしているのが男の心意気みたいに思っていたものです。いやそうとでも思わなければ、やってられなかったというのが本音かもしれませんが。

官庁の職員の皆さんは軽装でも良いでしょう、しかし国民を代表する選良の皆さんはピシッとネクタイにスーツ姿で頑張って頂きたい、少なくともだらしない胸元をテレビに晒すのはお止めになれば如何でしょう。それに見合う歳費は払って差し上げているのですから。ネクタイとスーツにかかる分、私達に払い戻してくださいますか。

[引用終わり]

愚直にスーツにネクタイスタイルを変えないのが小沢さん。
服装もぶれない。はははは。

また、土方歳三さんに怒られるかな。




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[2442] 寺島万里子『韓国・台湾のハンセン病』(写真集) 投稿者:北風 投稿日:2011/06/07(Tue) 13:52  

寺島万里子『韓国・台湾のハンセン病』(写真集)が出来上がりました。定価1800円+税。



[2441] 今回のどたばた。 投稿者:北風 投稿日:2011/06/04(Sat) 09:25  

今回の不信任に対して腰砕けだの鳩山の裏切りだの小沢の行動が腰抜けだのいろいろ騒がしい。

しかし、整理すると、

1) 菅退陣の流れを作った。
2) 不信任による菅のやけくそ解散を封じた。
3) 民主党分裂は回避された。
4) 敵と味方をはっきり焙り出した。

ということだろう。菅は必死で巻き返しを図っている。しかし、流れは変えられないだろう。
不信任に賛成すると表明した「造反議員」の数を菅は無視できない。

結構、高等戦術だったのではないか。



[2440] 総選挙。 投稿者:北風 投稿日:2011/06/02(Thu) 09:11  

前回の政権交代につながる総選挙を、菅は己が党首として闘ったわけではない。さらに、そのときのマニフェストもことごとく反故にしてきたのも菅である。
その菅が、不信任なら解散総選挙という。それこそ、三百代言・枝野の言う「論理矛盾」だろう。



[2439] 権威、多数派に拠っていれば間違いが無い…。 投稿者:北風 投稿日:2011/05/30(Mon) 08:29  

>光田健輔はNotableと言うより「Notorious」だろうと私は思っていますが・・・

光田の功罪はいまだにまともに検証されていない。
「光田健輔研究会」を作ろうとしたら、某筋から圧力がかかったことがある。
「検証会議」で結論が出ているから余計なことをするなと…。

考えてみれば、光田礼賛一色の頃、光田批判をし、光田批判一色の今、何か変だと感じているおいらは、ただのつむじ曲がりだろうか?

Notorious=悪名高い、札付きの

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[2438] Re:[2435] 太平洋戦争と明治維新。 投稿者:北風 投稿日:2011/05/29(Sun) 12:13  

>
> 今は、首相更迭を言うときではなく、力を合わせるとき、という俗論が幅を利かせている。
>
> 東条ではだめだといわれながら東条を変えられず、破局の道を突き進んだ太平洋戦争。
> 外圧にさらされながら、倒幕に走り結果的に外圧を跳ね返した明治維新。

そうそうイギリスは、第二次世界大戦中、チェンバレンをチャーチルに替えて戦況を一変させた。

> 吟味すべき二例ですね。
> 「俗論」を持てあそんだ結果は、己に跳ね返るということもきっちり認識すべきだね。
>
>


[2437] どうだろう土方さん。 投稿者:北風 投稿日:2011/05/29(Sun) 11:09  

リベルさんが閂をはずしたようだ。いろいろ理由を挙げているが、ああいうフェアでないことは、己の良心が痛んで居心地が悪いものだ。しかし、

>今後も、有ってはならないと信じることは、歴史の問題に止まらず、政治・社会の問題も従来通り追求していく、それは変わりない決意です、誰がどこで何と仰有ろうと。

だそうだ。
これは、具体的には小沢と鳩山攻撃のことだ。だって彼の「社会的発言」はそれ以外見たことがない。彼なりの正義感だろうが、見当違いの正義感ほど怖いものは無い。
断っておくが、小生はリベルさんの立ち位置を「非難」しているのではない。まあ、「批判」はするがね。己の言説に反対したり批判する意見を認めない固陋な態度を「非難」している。

また、朝日の若宮が主筆に就任した記事を上げて彼を持ち上げていた。
しかし、今ほど朝日の偏向、東大の堕落等々、旧勢力のぼろが現れてきているときに、批判精神抜きに「権威」に寄りかかって、「変わりない決意」とはねえ。「決意」というのも大仰だが。

それにしても、リベルさんのおつむは、白髪も無く後退の気配も無い。うらやましいことだ。





[2436] 鳥取地裁 Re:[2426] 市民学会 投稿者:北風 投稿日:2011/05/28(Sat) 19:54  

>
> 今回は出席を断念。
> まあ、忙しいこともあるが、しいて行く気も起こらない。
> 27日の鳥取の高橋君の裁判の傍聴には行こう。
> 彼の裁判は、ハンセン病関係諸団体はすべてスルー。
>
傍聴にいってきた。歳のせいか夜行バスはつらい。
弁護士は、3人。ハンセン病弁護団は「個別の案件」なのでタッチしないということだ(人づてに聞いたことで確証は無い)。
しかし、高橋君は「非入所」だった母親の被害の補償とその相続、本人も非入所者家族としての被害の補償を求めて国と県を訴えているわけで、決して「個別の案件」ではないと思うが。
思い返せば、高橋君が度重なる行政の不誠実な対応に腹を立てて傷害事件を起こしたときも「ああいうやつは運動の邪魔だ」と切り捨てた人がいたなあ。
高橋君の極端な人柄自体長い間の彼のおかれた状況からくる被害のひとつの形であろう。

大阪と長島から何人かの方が傍聴に見えていたが、組織的支援も無く孤独な戦いである。
しかし、三人の弁護士は、辛抱強く高橋君に接してくれている。ありがたいことである。




[2435] 太平洋戦争と明治維新。 投稿者:北風 投稿日:2011/05/28(Sat) 12:15  


今は、首相更迭を言うときではなく、力を合わせるとき、という俗論が幅を利かせている。

東条ではだめだといわれながら東条を変えられず、破局の道を突き進んだ太平洋戦争。
外圧にさらされながら、倒幕に走り結果的に外圧を跳ね返した明治維新。

吟味すべき二例ですね。
「俗論」を持てあそんだ結果は、己に跳ね返るということもきっちり認識すべきだね。




[2434] Re:[2420] 歴史の転換点 投稿者:北風 投稿日:2011/05/25(Wed) 14:07  

> しかし、今回の地震・津波は、1755年のポルトガルはリスボンの大津波にも比すべき歴史のターニングポイントであろうと思います。
> リスボンの大津波を境に、海外植民地の拡大の勢いはそがれ、ポルトガルの国力は徐々に衰退に向かって250年後の今日まで回復していない。
> 思想的には、18世紀の啓蒙時代にあって、ヴォルテールやルソーなどにも大きな影響を及ぼしたという。

小生は、このリスボン大津波と今回の震災がダブって仕方が無い。違うのは復興を担ったのが「さあ、死者を葬って生者を助けるんだ」といったというやり手のポンバル公爵と無策の菅直人の違いと、原発事故の有無。

日本は、日露戦争以来の勘違いした一等国志向をすて、原発神話、成長神話と決別してベネルクス(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)のような名誉ある三流国家を目指すべきでは。皇室もこうした体制下では意味があるかもしれない。(ベネルクス三国はみな王制〈立憲君主制〉である)






[2433] Re:[2431] 浜岡原発停止とハンセン病裁判控訴断念。 投稿者:北風 投稿日:2011/05/25(Wed) 10:15  

> 二つはよく似ている。
>
> 1)政権浮揚のパフォーマンスであること。
> 2)根は、反原発でも反差別でも無いこと。
>
> ハンセン病裁判控訴断念で人気を得た小泉がその後にやったことを思い返すと、首の皮一枚でつながった(としたら)菅がこの後やることを考えると恐ろしい。消費税アップ、TPP、基地問題の後退、アメリカ様の言うがまま。
>
> 断っておくけれど、控訴断念に反対というわけではない。しかし、その動機において評価する必要も無く、まして感謝などもってのほか。
>

ビヘイビアにおいて共通性があるということは、結構似たもの同士ということになる。
理念も哲学も無く、あるのは強欲さだけだから「ご主人様」は御しやすい。「ご主人様」の意を汲んだマスコミも、なんだかんだといいながら延命に手を貸すところも、いつか見た風景。






[2432] 誰も来ない。 投稿者:北風 投稿日:2011/05/21(Sat) 12:13  


土方さん、見かねて何か言ってくれない?




[2431] 浜岡原発停止とハンセン病裁判控訴断念。 投稿者:北風 投稿日:2011/05/18(Wed) 16:46  

二つはよく似ている。

1)政権浮揚のパフォーマンスであること。
2)根は、反原発でも反差別でも無いこと。

ハンセン病裁判控訴断念で人気を得た小泉がその後にやったことを思い返すと、首の皮一枚でつながった(としたら)菅がこの後やることを考えると恐ろしい。消費税アップ、TPP、基地問題の後退、アメリカ様の言うがまま。

断っておくけれど、控訴断念に反対というわけではない。しかし、その動機において評価する必要も無く、まして感謝などもってのほか。



[2430] Re:[2429] [2394] 無題 投稿者:北風 投稿日:2011/05/18(Wed) 12:21  

> > 寺島万里子さんの写真集と森幹雄さんの本を作らなくてはならない。
> > 「植民地教育史年報」も雑誌「トスキナア」も作らなくては。
> >
>
> 寺島さんの写真集とトスキナアは印刷所に渡した。
> あと少し。

「植民地教育史研究」13号、今号の特集は「植民地と児童文化」。本日下阪。





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