ハンセン病の闘いの歴史に学びともに考えるBBS
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[2323] すまぬ。 投稿者:河上肇 投稿日:2010/10/27(Wed) 21:48  

>川上肇と河上肇、一字で印象がまったく違う。本当に川上肇さんという人が投稿してくれたのかと思ったよ。

すまぬ。我が名を間違えるとは……。
歳はとりたくないなぁ。……といっても小生はもうあの世だ。


[2322] 市民デモ 「検察とマスコミの横暴を許すな」  投稿者:北風 投稿日:2010/10/27(Wed) 16:09  

おいらはといえば、金曜の夜行バスで鳥取にむかい土曜の晩はTさん宅に泊まり、日曜の早朝、Tさんと別れて東京に戻ったのだが、残念ながらデモには間に合わなかった。


□聖者が町にやってくる ── 10.24デモ従軍記(二見伸明)

 「義を見てせざるは勇無きなり」と老骨に鞭打って、24日のデモに参加しました。東京・銀座一丁目の水谷橋公園を出発したときは350人ほどでしたが、数寄屋橋交差点では最後尾が見えないくらいに膨れ上がり、デモをガードしているお巡りさんは「100人くらいと聞いていたけれど、口コミだけでこんなに集まるなんて、とんでもない大きなデモだ」と、にこにこしながら愚痴っていました。日比谷公園へ右折する8丁目の日航ホテル前では1000人に近い大集団になりました。観光客や買い物に来た人たちでごったがえす外堀通りの沿道からは手を振る人、カメラで撮る人、沿道の店員さんが飛び出してきて拍手するなど、反響は上々でした。

 参加した人は老若男女、千差万別です。大学の先生、お医者さん、物書き・評論家、中小企業の親父、サラリーマン、私と一緒に「検察、検察審査会の横暴を糾弾せよ」という横断幕を掲げた大阪から来た専業主婦三人組など、デモ初体験のご婦人たちや、北海道から、空路、駆け付けた人もいました。年齢的には分別のある、意識の高い中高年が多かったと思います。「小沢、真っ白」というプラカードを担いでいるオジサン、手製のチラシを楽しそうに沿道の人たちに配っているご婦人、それぞれ、好き勝手に自己主張していました。茨城から来た、デモ初体験のお医者さんの奥さんは、恥ずかしそうに「小沢は無罪だ」と叫びながら、「検察の抜本改革はしなければならないが、裁判所、とくに最高裁の改革が必要です。検察は自分でシナリオを作り、それに沿った調書を作っていることが明らかになりました。にもかかわらず、裁判官が『法廷での証言は信憑性が低い。調書の方が信憑性が高い』と考えているようでは、冤罪はなくならない」と、鋭い意見を述べていました。また、年金生活の男性は「最高裁は砂川事件以来、肝心なときには、憲法の番人ではなくなる。東京地裁、高裁は最高裁の態度を見ながら、『見ざる、聞かざる、言わざる』の『権力』に媚びへつらう事なかれ主義者だから、『議決無効』の訴えを棄却したのだろう」と憤っていました。

 デモは、民主主義を守るため、政治、経済、社会のあり方に警鐘を鳴らす、極めて重い意味をもつものでした。重いテーマをもちながらも、自由に、のびのびと明るく訴えた今回のデモは、マスコミが好んで使う「国民目線」のデモだったのではないでしょうか。なにしろ、町内会の歩け歩け運動のオジサン、オバサンが拳を振り上げて「マスコミは偏向報道をやめろ」と怒鳴ってるようなものですから。素朴で貴重な草の根運動を体験しました。

 デモの主催者は、デモに参加したことはあるけれど、デモを企画・運営したことがないド素人、スタッフも、デモに縁のない男女青年たちでした。国会正門前で、警察機動隊と睨みあい、「○○反対!」とデモった経験をもっていたのは私くらいかもしれません。

 「聖者が町にやってくる」――ルイ・アームストロングが唄って一世を風靡した「聖者の行進」は黒人霊歌で、アメリカ・ニューオリンズでは死者を賑やかに送る「葬送のマーチ」だそうです。その中の一節。

Some say this world of trouble, Is the only one we need,
But I'm waiting for that morning, When the new world is revealed

[この乱れし世も 我々に必要なものだと、人はいう。しかし、新しい世界が始まる朝を、私は待っている]

 私にとって、「聖者の行進」は「世論ファシズム」「言論ファシズム」「検察ファシズム」という「妖怪」を日本から追い払い、新しい朝を迎える「行進曲」です。

 東京都心で、マスコミには黙殺されましたが、「右」でも「左」でもない「普通の人びと」のデモがあったのです。時代を変える一石にしたいですね。

 皆さん、聴こえませんか。「一日一歩、三日で三歩。三歩進んで、二歩さがる」歌声が。「汗かき、べそかき」歩きましょう。小さな、小さな「聖者の行進」をしませんか。

投稿者: 二見伸明 日時: 2010年10月27日 09:27

http://www.the-journal.jp/contents/futami/2010/10/_1024.html  


[2321] 期せずして。 投稿者:北風 投稿日:2010/10/27(Wed) 13:36  

話題が「尻取り」みたいになっていますね。

刑務所−牢の中−旧い友人−古い友人を失う

ううむ。そんなことに感心している場合ではない!

http://6610.teacup.com/libell/bbs


[2320] 古い友人を失う。 投稿者:北風 投稿日:2010/10/27(Wed) 08:40  

http://6610.teacup.com/libell/bbs

インターネット上で、10年ほど前から知り合いだったリベルさんに絶交された。
従来から、小沢一郎、鳩山由紀夫について悪し様に言っているので思わず異議を申し立てたのが気に障ったらしい。(参照URLからご覧ください)二つの「北風さんへ」の間のおいらの投稿が削除されているので、言われっぱなしである。

>あなたは人を楽しませたり明るくしたりすることを書くのがどうも苦手のようですね、逆に人を不愉快にすることを好んでお書きになる。それも良く読んで全体で何を言いたいのかを把握する前に、言葉尻を捉えてその言葉だけに反論を展開される、ご自身お気付きではないようですが悪い癖です

といわれた。後半は何を言っているのかよくわからない。自分ではその逆のつもりだが、まあ、そういうこともあるのかもしれない。トータルに把握する力がないというご批判だ。

前半は、そのつもりでなくても、結果としてそういうことを言っているのかもしれないと思う。しかし、自分と違う意見を「不愉快」と感じるのはいいとして、人間は感情のままに生きる動物ではないのだから、不愉快という感情を制御して、異論を吟味して己の考えに磨きをかけたほうがいいのではないか。

いずれにしても、つまらないことでこういう結果になった。
(実はつまらなくないのですが、政治の話はまた別に)

川上肇と河上肇、一字で印象がまったく違う。本当に川上肇さんという人が投稿してくれたのかと思ったよ。

http://6610.teacup.com/libell/bbs


[2319] 無題 投稿者:川上肇 投稿日:2010/10/26(Tue) 21:18  

……旧い友人が新たに大臣になったといふ知らせを読みながら……


わたしは牢の中で
便器に腰かけて
麦飯を食ふ。
別にひとを羨むでもなく
また自分をかなしむでもなしに。
勿論こゝからは
一日も早く出たいが、
しかしわたしの生涯は
外にゐる旧友の誰のとも
取り換へたいとは思はない。


[2318] 夜行バスに乗って。 投稿者:すとしみつ 投稿日:2010/10/25(Mon) 13:53  

鳥取まで、Tさんを訪ねて行ってきました。
Tさんは、よく勉強しているし博識である。
「刑務所で覚えた」という。「人生何年かは刑務所に入ることが必要だね」といって笑った。
ハンセン病問題を考えるとき、Tさんのような存在を補助線として引いてみることは、ひとつの「解」に近づく有力な方法であろう。
そうしないと、相対的に物事を見ることができず、内部に取り込まれてしまう。
内部に取り込まれるということは、行動としては異見の排除であるし、考え方としては、主流への迎合と思考停止である。そして、その代償として居心地のいい場所を得ることができる。
多くの場合、取り込まれていることに無自覚でここではないどこかがあるということすら考えないから、そこから出ようという発想はおろか、外をのぞいて見ようとさえしない。

僕も二十年間「外部」の存在に気づかなかったし、気づこうともしなかった。




[2317] Re:[2315] [2276] よろしく。 投稿者:朝潮太郎 投稿日:2010/10/18(Mon) 09:29  

> しかし05年に書かれた「傍観者の感想」は、よく読めば最後のところなど、まさに今唱えられている「療養所の開放」とたがわないものじゃないですか。
>
>

と書いてしまいましたが、「開放」というキーワードは同じでも実は似て非なるもの。真逆の方向性ともいえるのでしょうかね。

(以下、引用)
患者作業についてはその苛酷さについて、批判があり、反省すべき点があったことも事実ですが、考え方自体は今後我が国に福祉施設の在り方を考える場合大いに参考になるのではないでしょうか。たとえば老人問題を考える場合、老人人口が加速度的に増大する今日、現在の老人保護施設のようにケアー中心の消費を中心とした施設ではなく、もちろんその中核には老人病院、特養施設、身体障害者施設などなどがあって、その周辺に、各自の資金で、あるいは一般からの寄付によって建設される、愛生園流にいえば一〇坪住宅が散在してそこに人々が在宅居住し、各自の生活は年金や生活保護費で賄い、あとは健康の度合いにしたがって、老後の五年なり、一〇年なり、二〇年をそれらの施設に職員として、またパートタイマーとして勤務して、いくらかの収入を得、ある人は自分が好きな作業を自由に選択して農作業をやったり、畜産にはげみ、余剰生産物は施設に納入し、人によっては既得の職種の能力を生かし、村民を対象に理髪店や、クリーニング店を開業し、お互いがボランティアとして支え合い、必要に応じてそれらの施設を自らも利用できるような生産的な老人村的なコロニー施設、それも社会から隔離された場所ではなく、社会に開かれ、それと行き交う場所に構想することが将来求められることになるのではないでしょうか。その場合に、かってのらい療養所の仕組みは大いに参考になるのではないか、というより、今あるハンセン病療養所がそのような施設として総合的な福祉施設の特区として一般の老人や、身体障害者や、難病の人達のための施設として再構築されたらと私は考えています。


[2316] Re:[2314] 無題 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/10/16(Sat) 17:24  


> いえ、わたしは熱心なクリスチャンではないんです。教会も行ったり、行かなかったりで。まあ形だけの自称クリスチャンでしょうか。

> ハンセン病療養所はクリスチャンが多いと思います。
> 入所者の方々は苦渋の人生を歩んでこられた。苦しみが大きいほど、人は神を求めるのかもしれません。
> わたしは現在、回復者の方と交流してませんが、回復者の故松本馨さん、故関トミ子さん(長島愛生園に入所されていた)など、尊敬する入所者の方との出会いはとても学ぶことが多かったと思います。
エリカさんへ

私も熱心ではないです。社会復帰すると、日曜日に用事が重なります。療養所と違います。

今夜ミク友のオフ会ですが、休みます。

それに例の支援者ですが、先週日曜日に園を出て、明日午後から園に帰園し、19日関西に帰るみたいですが?

これまでの入所者に気移りいたし、外の教会の手伝いに行きました。今後園内では、支援者?として入所者との交流はできないでしょう!

まぁーキリスト教会の信徒ですが、和光園は99%カトリックです。
今後どのような行動に出るか解りませんが!とりあえず私は
手を引きます。

最後に支援者と回復者との交流は厳しいです。彼女も解ってくれるかなー

それに松本馨氏と2回程支部長会議で会いました。うん・拾年前に!関トミコさんは解りません。


[2315] Re:[2276] よろしく。 投稿者:朝潮太郎 投稿日:2010/10/16(Sat) 16:36  

> 全文をテキストにして>>>いってくれれば、月報を提供したのに。
> たくさん余っている。
>

いろいろ興味深い話題も出てきて、そこにえらく遅レスで恐縮ですが・・・

支援する会では、ETさんがこの掲示板にアップしてくださったものをコピぺして使ったそうです。
出席者が少ない雑談形式のなか、概ねは、惰眠論と同じようなことを言っている、特に耳新しいことでもない、という感想だったと伝え聞きました。それよりむしろ、SさんやKさんが晧星社に対して何やらモノ申している、そのこと自体に関心が持たれたようです。内容ではなくて、何が起きるのか、という。自分も含めて傍観者的な。

今月は3連休中日の日曜にまた定例会があり出かけたのですが、思わぬ電車の信号故障とかで足止めをくらい・・・と、要するに欠席でした。


以下は私が感じたこと。

まず、おかのさんの「傍観者の感想」は濫救惰眠論とは趣旨が違うということ。が、支援する会でも「惰眠論のようなこと」だという感想が持たれ、Kさんは「第二の惰眠論だ」と指摘されているとか。同じように感じたとすればそれは、たぶん、当事者として何やら批判されていると感じる点にあるのでしょう。

しかし、仮に「批判」だとして反論を試みようとしても、病気が治っているのに「ハンセン病療養所」としての存続を求めるという運動の姿勢や、今なお「療養所入所者協議会」と名乗っていること等に対して、返せる論を誰も持ち合わせていないだろう。そう考えていました。
が、そんなことは(少なくとも、ごく一部にせよ、弁が立ち運動をリードする立場にある人は)重々承知のうえで、それでもなお確信犯的に従前の姿勢を貫こうとしているのではないかと私はこのごろ思います。
確信ないですが。
言えるのは、ハンセン病という疾患によって「ひとつに括られること」と「医療の対象」であり続けること。これはどうしても譲れないらしいということ。

なぜ、「ひとつに括られること」が不可欠なのか。疾病を取ってしまったら、「障害」という理由づけが残っても個人差があり、全部の人をひとくくりにして等しく扶助の対象にしている制度そのものが合理性を失ってしまうから。療養所は歴史的に長い間、障害の程度に応じて保障を制度的に区別するということはしなかった。そうなれば療養所という小社会の崩壊につながりかねない。だから療養所内の為政者たちは、意識的にせよ無意識にせよ、ハンセン病という括りをはずしてはならないと肝に命じてきたのではないか。

それから、なぜ、「医療の対象」であり続けようとするのか。病気でないなら、医療は病気になったときにだけ提供されればよいことになる。が、入所者数が病床数でありそれによって医師や看護師の定数が決まるハンセン病療養所では、全員が病気であり続けなければならない。(これから先は病気の人を借りてきてでも?!)これは表面上の論であって、私は、もっと深いところに根づいた医療への依存という問題があると思っています。全然解決されていない。ルリカケスさんの掲示板でも少し書きました。
ハンセン病療養所では、水道の水のように蛇口をひねれば医療が出てきます。もちろんそこまでに至るまでがどれほど茨の道だったかは知りつくせるものではない。水もなかった時代を経て、水質についても、水量についても。今も問題がないというわけではない。そこはわかっています。療養所ではその代わり、他の蛇口があるところへ行ってみるということから長い間遠ざけられてきた。時代は変わっても、必要となる保険証もなければ行き方もルールも誰も教えてはくれない。たったひとつの水源しか与えられなければ、そこの水が枯渇するかもしれない恐怖がどれほどのものか。そこをもう少し私たちも理解しなければならないと思っています。このことはまた折に触れ。

ハンセン病という疾患によって「ひとつに括られること」と「医療の対象」であり続けようとすること。これらのことは、思想とか信念とかいうものではなくて、もっと、何というか、雨が降ったら傘をさす、雨が降るから傘を持つというのと同じくらい無意識的に、日々の生活や運動の積み重ねの中で滲み付いてきたものではないかと思います。はじめは傘がなくて濡れる寒さや惨めさを避けるために傘を持とうとした。やがて傘なしで歩く人はいなくなった。二度と傘を失わないように、傘がなくて濡れたときの恐怖だけは語り継がれ、見えない根を深くはる。あまり的確な喩えではないですけど、思い浮かばなくてすみません。言いたかったのは、そういうものはなかなか論理ではひっくり返せない。ましてや「どうして傘なんですか?カッパじゃだめなんですか?」などと言っても聞く耳持ってもらえないと思います。少しでも傘不要論(ととれるような論)など唱える人があろうものなら見つけ次第叩き潰す。そこに使命感のようなものを持っておられる方たちがいる。
しかし05年に書かれた「傍観者の感想」は、よく読めば最後のところなど、まさに今唱えられている「療養所の開放」とたがわないものじゃないですか。提唱者と言ってもいいかもしれない。少なくとも一番の理解者のひとりと言えるでしょうに。哀しいかな。


さいごに光田擁護論だという指摘について
光田を擁護していると思います。おかのさん自身も「弁護」だと言っている。けれどもSさんは全文の趣旨を読み取っておられないと思いました。叩き潰すことより、光田をどう解釈するかはもっともっと議論すべきです。頭がまわらなくなったので別の機会にします。



[2314] 無題 投稿者:エリカ 投稿日:2010/10/16(Sat) 13:19  

>熱心なクリスチャンです  か?私も日本キリスト教団の信徒です。まじめでないが?

いえ、わたしは熱心なクリスチャンではないんです。教会も行ったり、行かなかったりで。まあ形だけの自称クリスチャンでしょうか。
それから、わたしの拙いBBSを読んでいただいてありがとうございます。
ハンセン病療養所はクリスチャンが多いと思います。
入所者の方々は苦渋の人生を歩んでこられた。苦しみが大きいほど、人は神を求めるのかもしれません。
わたしは現在、回復者の方と交流してませんが、回復者の故松本馨さん、故関トミ子さん(長島愛生園に入所されていた)など、尊敬する入所者の方との出会いはとても学ぶことが多かったと思います。




[2313] 支援者と呼ぶべきか? 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/10/16(Sat) 10:25  

>エリカ様ありがとうございます。コメントいただいて!
 それにBBSを読んでいます。熱心なクリスチャンです  か?私も日本キリスト教団の信徒です。まじめでないが?


>来訪する人にお聞きになればいいのではないでしょうか。
「あなたはなぜ訪れるのですか」って。
ただ
>特定の方と仲良くなり又療養所を訪問しているが

*******************

そうですね、本人に聞いてみますね!同じ教団ですので、
しかし、何故ハンセン病療養所を訪問するか、意図が解らないので、次回来た時に聞きます。

私は全国13園回る必要はあるか、疑問持っています。
それは、誤った国の強制収用で長い間隔離生活を強いられかわいそうだととの声多いと思います。


では今後どうしたいのか、療養所のおじさん&おばあさんをそれに何ができるか、聞いてみます。

今回で2回園に来ましたが、実際交流し方何名もいないです。

次回は私の手を離れ、自分で園の宿泊申請いたし、好きなようにさせます。
私はしばらく遠くから様子を見ています。




[2312] 無題 投稿者:エリカ 投稿日:2010/10/15(Fri) 17:23  

>最近ハンセン病療養所に良く来る若い方が多い!

>本当に強制収容で長い間苦しんだ入所者とどう向き会うか?
理解できないままで、何故来訪するのだろうか、解らないです。

誰か詳しいい方いないですか??

来訪する人にお聞きになればいいのではないでしょうか。
「あなたはなぜ訪れるのですか」って。

人権の見地から訪れる人もあると思いますが、若い人の心をひきつけるものがあるからではないでしょうか。
わたしはハンセン病文学全集をはじめいくつかのそれに関連した本を読みましたが、死、自殺という語句がよくでてきます。
そこには入所者の涙と祈り、慟哭。松本馨さんの「生まれたのは何のために」という問い。生と死の問題。苦痛、絶望、格闘。そこには厳かな静寂と入所者の苦難の中で真剣に生きた証が刻まれている。
現代の若者が抱く虚無感。人間不信。空しさ。生きる意味が見出せない苛立ち。「なぜわたしは療養所に魅かれるのか。」そこには現代の若者が求めているのもがあるからだろうか?。訪れる若者も何を求めているのか明確な答えをもっていないと思いますが。

ただ
>特定の方と仲良くなり又療養所を訪問しているが

というのはわかりませんが。



[2311] でた。 投稿者:北風 投稿日:2010/10/15(Fri) 11:34  

ついに出たという感じですね。
今まで、多くの人が、言いたくても言わなかったことだと思います。

誰も、真正面からこのことについて考えた人はいないのではないか? もちろん小生も含めて、よく考え直さなくてはならない問題だ。
よく考えてまた投稿しよう。




[2310] 支援者とは! 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/10/15(Fri) 11:25  

 最近ハンセン病療養所に良く来る若い方が多い!

何故ですかね!支援者ですかね!私は古い人間ですが?支援て、何か援助・手を差しのべるとか入所者に支えるのが、支援者ですかね!

私も大学生を受け入れたり、他の園の方を紹介していますが?どうも支援者に見えない。何故でしょうか?

特定の方と仲良くなり又療養所を訪問しているが?以前として解らない。

本当に強制収容で長い間苦しんだ入所者とどう向き会うか?
理解できないままで、何故来訪するのだろうか、解らないです。

誰か詳しいい方いないですか??


[2309] 権威に弱いひと。 投稿者:北風 投稿日:2010/10/15(Fri) 09:38  

小沢の問題にしても、中国のノーベル平和賞に対する態度を批判するにしても、検察特捜部が絶対の正義であるということ、ノーベル平和賞の選考がまったく公正で一片の政治性が含まれていないということを前提にしないと成立しない。
権威を無批判に信じることは、思考停止以外の何者でもない。

検察の捏造は大阪地検だけ、ないしは村木氏の問題だけということを信じるおめでたい人は少ないだろう。
ノーベル平和賞だって佐藤栄作ももらっているしね。

もっとも、中国を擁護するのではなく、一方的かつ独善的に中国批判をしている人に申し上げただけ。



[2308] 何でNO2 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/10/13(Wed) 22:00  

今日市内の医院で退所者とばったり会う!

 彼女の旦那さんが、元退所者を連れて良く東京に来てた私が本部勤務時に!

旦那は元気ですかと聞きましたら、人口透析を受けがら、若干認知症にかかり、苦労していると、伺った。

実は待合室であちらから森山さんではと話して来た。
良く新聞等を読んでいますと言いました。

私は彼女の旦那さん(元私の下で仕事していた・私が辞任後自治会長)でしたが、直ぐに退所した方です。

脱線したが、退所会はあるのと聞いたが、最近会を開いていないので、あるか、ないか解らないと、言っていた。

退所者会があるなら、それなりの事はして貰いたい。


[2307] 何で! 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/10/13(Wed) 18:57  

過日紹介した。来客は私の子供みたい子である。

余りしたくした方が悪かったかなー

その支援者(偽善者)は、私に関西の退所者(奄美出身)から、聞いた話を私に伝えた。

要件は奄美の退所会の皆様と仲良くしていただきたいと言われたみたいです。
私は会の方々と話し合いも何もないです。まして誰と喧嘩するのですか?相手も見えないし??

私は、彼女(偽善者)に奄美に退所会があるのと聞きました。それに誰が、退所会の代表ですか?何名会員いるの?事務事務局は、どこにあるのと聞きました。

彼女はそれ以上黙ってしまいました。私に退所者の自宅に案内して下さいと?私は歩いて行きなさい。それともタクシーで行きなさいと言いましたら、誰にも会わないで帰るのかなー

奄美の退所会はないのに等しいです。
ただ弁護士の先生が来園時にたまに集まるみたいですが?
私に言わせると、幽霊退所会ではと言いました。

新聞等に顔&氏名も出さないです。
私は支援者&偽善者にこれ以上他の園他紹介しないことにしました。

「ハンセン病療養所の方々は、長い間隔離生活を強いられ、私の大切な、おじさん&おばさんであると言っているが」?行動が、私から見れば、入所者を騙しているように見えるのは、私一人かなー

現在園にいないが、また2日位入所者の家に泊まりたいとメール来ていますが?
私は園内の宿泊所を進めているが?どうなるでしょう!
私は、電話に出ない事に決めているし、今後相談に乗らないです。

余り近くなったら、いけないですね!最近の若者は??
他の方は違うと思いますが?手の掛かる子だ!


[2306] Re:[2305] 無題 投稿者:北風 投稿日:2010/10/13(Wed) 15:15  

> 見ている人はわかっている(←どうかなぁ? ギモンなり)
>
> そうして、そのうち、誰も何も言わなくなる、かも。
>
> (稀少難病者の会「あせび会」の佐藤氏からかつて提言のあった、ハンセン病に関する啓発活動の一環として語られている“遺伝する病気ではありません”に関しても、その後、ハンセン病回復者と支援者の間でどういった考慮がなされたといったことなども、何も聞こえてきませんけど。……だいたい、私はモノを知らなさすぎるんで、特別に疎いってことかな?)

「ハンセン病は遺伝病ではないから、家族差別をやめよ」というキャンペーンに対し、あせび会の佐藤さんが「希少難病の8割は遺伝病だ。希少難病は差別されてもかまわないということか。そういうキャンペーンはやめてほしい」といった問題ですね。
これに対してどう答えるべきかという問題は、岡山の難波さんが第一回のハンセン病市民学会の時から問題提起していますが、見事にスルーですね。
全生園の長老S氏は、直接この問題に関してではありませんが、他の問題と関連付けると焦点がぼけるからハンセン病に特化すべきであるという話をしていましたね。





[2305] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/10/13(Wed) 14:28  

見ている人はわかっている(←どうかなぁ? ギモンなり)

そうして、そのうち、誰も何も言わなくなる、かも。

(稀少難病者の会「あせび会」の佐藤氏からかつて提言のあった、ハンセン病に関する啓発活動の一環として語られている“遺伝する病気ではありません”に関しても、その後、ハンセン病回復者と支援者の間でどういった考慮がなされたといったことなども、何も聞こえてきませんけど。……だいたい、私はモノを知らなさすぎるんで、特別に疎いってことかな?)


[2304] Re:[2303] [2302] あの問題。 投稿者:北風 投稿日:2010/10/12(Tue) 16:51  

> > 結局うやむやのうちに終わりか?
> > 公にしてもらって、こちらも反論をしたかったが。
> >
>
> 「あの問題」などと言わずに、はっきりくっきり明示的に仰ったほうがよいのでは?

ま、見ている人はわかっているのだから。

しかし、なんともね。




[2303] Re:[2302] あの問題。 投稿者:ET 投稿日:2010/10/10(Sun) 09:58  

> 結局うやむやのうちに終わりか?
> 公にしてもらって、こちらも反論をしたかったが。
>

「あの問題」などと言わずに、はっきりくっきり明示的に仰ったほうがよいのでは?


[2302] あの問題。 投稿者:北風 投稿日:2010/10/10(Sun) 09:03  

結局うやむやのうちに終わりか?
公にしてもらって、こちらも反論をしたかったが。



[2301] Re:[2298] CiNiiでは 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/10/08(Fri) 17:05  

> 「居場所」
>
> 例を挙げると;
> 「社会的養護の退所者が居場所に求めているもの」
> 「「らい予防法」体制下の「非入所者」家族:ハンセン病問題聞き取り〈調査ノート〉」
> 等々

***************

現在ミクともが、関西から来客で聞いている。
園の宿泊所にいる。

しかし彼女は、支援者と呼べるかは、疑問符であるが?
関西の知人が、元回復者であるし、公務員OBである。
多分?府の?「ハンセン病回復者」の相談窓口で仕事していると

その知人が病院に行った時に元ハンセン病回復者と言えなかったみたいです。

私は知人あるので、顔を出して啓発活動をやるように進めています。

相談窓口の方が、そのような態度では、相談に来る回復者に
どんな対応するか聞いてみたい。

知人のミク友は関西は偏見差別が今でもあると言いますが?
でもいつまでも「居場所」から、出ることは出来ないのか??


[2300] Re:[2292] 居場所ということ 投稿者:北風 投稿日:2010/10/07(Thu) 09:57  

> 最近、「居場所」ということをよく聞く。

何でこだわるかといえば、このコトバが多用されるようになったことと、1990年以降の社会状況と相関関係があると思うからです。



[2299] いずれにしても、1990年以前はこれだけしかない。 投稿者:北風 投稿日:2010/10/07(Thu) 08:03  

【註】2297のNDL OPACの検索結果は、単行本の場合です。


# 居場所 (詩)
著者 閏荘年子
刊行年月日 昭和21年10月1日
巻号 1-4
掲載 午前
1
# CiNii 「私」の居場所(文芸時評)
著者 円谷 真護
刊行年月日 1977-03
巻号 32ノ3
掲載 新日本文学
2
# CiNii 33回転地球木馬館-3-視点と居場所
著者 林 光
刊行年月日 1978-03
巻号 36ノ3
掲載 音楽芸術
3
# CiNii 亭主の居場所を考える (三世代同居の時代<特別企画>)
著者 山崎 健一
刊行年月日 1982-03
巻号 21ノ1
掲載 中央公論経営問題
4
# CiNii 「ひろば」としての塾--子どもたちの居場所となるための屈折した展望 (学習塾<特習>)
著者 斎藤 次郎
刊行年月日 1985-07
巻号 39ノ9
掲載 児童心理
5
# CiNii 5057 中学生の生活空間に関する調査研究 : 家庭および地域における居場所について
著者 小澤 紀美子
刊行年月日 1986-07-25
巻号 1986ノ0
掲載 学術講演梗概集. E, 建築計画, 農村計画
6
# 妻の居場所を創りましょう(実例研究)
著者 天城泰代
刊行年月日 1987年
巻号 72-1新年特大号(864)
掲載 婦人公論
7
# CiNii 世界に日本の居場所を明示せよ--外に貢献,内に公正な枠組みを (竹下内閣を考える<特集>)
著者 中谷 巌
刊行年月日 1987-11-17
巻号 65ノ49
掲載 エコノミスト
8
# CiNii 世界に日本の居場所はあるか--我々は何者か,何をなすべきか
著者 対談 盛田 昭夫、対談 黒沢 洋
刊行年月日 1987-10-20
巻号 65ノ44
掲載 エコノミスト
9
# CiNii 登校拒否児の居場所--ろば子屋学舎との出会いから (利用者とその家族の声<特集>)
著者 松浦 幸子
刊行年月日 1987
巻号 12ノ4
掲載 ソ-シャルワ-ク研究
10
# CiNii 5188 教職員スペースの再構成に関する研究 : その1 教師の一日の居場所と行為
著者 長沢 悟、山中 一郎、黒瀬 雅夫
刊行年月日 1988-09-01
巻号 1988ノ0
掲載 学術講演梗概集. E, 建築計画, 農村計画
11
# 《〈特集〉男から女へ贈りたい男性学》〈中年男のため息〉どこにも居場所がないんです
著者 無記名
刊行年月日 1989年6月
巻号 74-6(898)
掲載 婦人公論



[2298] CiNiiでは 投稿者:ET 投稿日:2010/10/06(Wed) 23:00  

「居場所」の検索結果1906件。

例を挙げると;
「社会的養護の退所者が居場所に求めているもの」
「「らい予防法」体制下の「非入所者」家族:ハンセン病問題聞き取り〈調査ノート〉」
等々


[2297] NDLでは。 投稿者:北風 投稿日:2010/10/06(Wed) 14:52  

「居場所」なる言葉は、国会図書館のOPACだと、292件検出し、1976年が初出、1990年を境に増え始める。(雑誌記事と同じ傾向)
やはり、バブルの崩壊、「失われた十年」と軌を一にするわけで、その間の社会的な現象と無縁ではないようである。




[2296] アマゾンで・・・ 投稿者:あずき 投稿日:2010/10/05(Tue) 22:30  

試しに「居場所&和書」で検索をしましたら、200冊近い本が出てきます。びっくり!   

ではでは。


[2295] 居場所の構想 投稿者:あずき 投稿日:2010/10/04(Mon) 22:51  

http://www2.rikkyo.ac.jp/web/htanaka/01/ibasho01.html

こんなものも見つけました。


[2294] 居場所をください。 投稿者:あずき 投稿日:2010/10/04(Mon) 21:30  

ここで「居場所」という言葉を読んだ時、まず「子供たちの居場所のことかしら?」と思いました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E5%A0%B4%E6%89%80%E3%82%92%E4%B8%8B%E3%81%95%E3%81%84%E2%80%A6

そして「居場所」で検索かけましたら、こんな↑結構大がかりなテレビ番組が2006年から放映されていたらしい。観たことないのですが、おそらくこれを読むと「子供の問題」がテーマらしい。想像ですが、こんなところから始まったのかなぁ?


[2293] 「居場所」概念の検討 投稿者:北風 投稿日:2010/10/04(Mon) 14:18  

「居場所」概念の検討
著者 中島喜代子、廣出円、小長井明美
刊行年月日 2007年
巻号 58
掲載 三重大学教育学部研究紀要

抄録: 現在「居場所」という言葉は、日常的によく使用されているが、「居場所」の概念は、一般用語としても、また研究の面においても捉え方が様々であり、明確な定義は定まっていない。そこで、本稿では、子どもの「居場所」の概念を明確にすることを目的としている。この目的を達成するため、まず一般用語としての「居場所」の概念を捉えるために、「居場所」という言葉の登場時期と使用状況を検討し、子どもの「居場所」と社会的背景との関わりの検討を行った。さらに子どもの「居場所」に関する研究を検討することにより、研究レベルの「居場所」の概念を検討した。以上の検討を踏まえ、「居場所」の定義づけを行い、また「居場所」の構造を捉えるため「居場所」の構造を検討し、さらに「居場所」の実態を具体的に捉えるため「居場所」の持つ概念の諸側面を明確にした。そして、現在の子どもの「居場所」づくり事業を検討し、今後の事業に対する提案を行った。


[2292] 居場所ということ 投稿者:北風 投稿日:2010/10/04(Mon) 13:52  

最近、「居場所」ということをよく聞く。
雑誌記事のデータベースで検索してみると、一般の用語だけでなく、学術的な用語としても1990年代に入ってよく使われるようになり、1990年代半ばから激増する。
どうも、おいらなぞにはあまりなじみのない言葉だけれども、誰が使い始めたのか、どういう意味でどのように使われるのか、誰か解説してくれませんか?

「居る場所」だよってのはやめてね。



[2291] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/10/03(Sun) 23:48  

『精神病院の起源 近代編』小俣和一郎著(太田出版、2000年)に、次のように書かれている。

――明治新政府において医学・医療政策の大筋を定めることになった指導的医師たちの多くが軍陣医学の習得を出発点にしていたこと、新政府最初の洋式病院が軍陣病院であったこと、それゆえ、明治における日本の近代医学・医療が、ヨーロッパにおける啓蒙主義期の近代化の中で誕生したのとは違って、はじめから軍陣医学によって主導されていたという事実だけを確認しておきたい。このことは、本書で取り上げる日本の精神病院・精神医療のその後の歩みにとっても、少なからぬ影響を与えたと考えられるからである。――

――京都癲狂院の発生については、当時の京都府知事で、京都地場産業の近代化を断行した槇村正直(まきむら・まさなお)が、岩倉大雲寺の茶屋(民間旅館)群における素人的で非人道的な病者の扱いを不当とし、廃仏毀釈によって解体された南禅寺の一角に設置を決めたことに由来する。
(略)
 しかしながら、わが国最初の公立精神病院とされるこの施設において、患者がどのような処遇をうけていたのか、とくに岩倉大雲寺茶屋群におけるそれとどう違っていたのか、については不明といわざるをえない。この施設における入院患者の処遇については、わずかに、以下の「癲狂院治療条則」(明治八年七月)から類推するほかに史料はない。

癲狂院治療条則
第一条 此院ニ来リテ治療ヲ乞フ者ハ先ツ事務掛ニ申達シ事務掛ハ其住所姓名年齢族籍職業ヲ帳簿ニ記載シ医局ニ達スベシ。
第二条 医師患者ヲ診察シ適当ノ室ニ入ラシメ事務掛ハ番号鑑札ヲ認メ其付添人ニ渡スベシ。
第三条 患者入院ノ法則ハ七等之配分ヲ以テス、養生ハ七等ノ席ニ所シ病一癒スレバ六等ノ席ニ所シ二癒スレバ五等ノ席ニ所シ三四五六癒シ壱等ニ所スレヲ得バ平癒出院セシム。
(中略)
第七条 患者ノ衣類薬価ハ其本籍親類或ハ朋友ヨリ供スベシ。但薬価ハ病症ニヨリ一ナラザルガ故ニ月末勘定書ヲ示スベシ。
第八条 毎朝七時医師各病舎ヲ見巡リ患者ヲ診察スベシ。
(以下略)――

・・・*・・・*・・・
1900年、「精神病者監護法」発布・施行。
同書によれば、この日本で最初の精神病院に関する法律は「悪法」であったといわれている。
著者は、その理由を2つ挙げ、

――その最大の理由は、江戸期以来「入檻」といわれ、各家庭がいわば自己責任において処遇してきた精神病者の私宅監置(いわゆる座敷牢)を法的に是認し、それによって再び国家や自治体などの公の側からの処遇を棚上げにした点である。同法第一条には、「精神病者ハ其ノ後見人配偶者又ハ四親等内ノ親族ニ於テ之ヲ監護スルノ義務ヲ負フ」と明記されている。
 私宅監置すなわち座敷牢を設けて収容することの不可能な場合にのみ、精神病院への隔離・収容がなされることになったわけで、精神医療の大幅な後退、とくに公的な医療の欠落が是認されたことになる。

(略)
 精神病者監護法が悪法とされる第二の理由は、精神病院への入院手続きすべてを警察の管轄下に置いたことであろう。これまた同法第九条によれば、「公私立精神病院及公私立病院ノ精神病室ハ行政丁ニ許可を受クルニ非サレハ之ヲ使用スルコトヲ得ス」とある。これによって、私立の精神病院でさえ、実際上は警察およびその上部に位置する内務省の監督下に編入されたといっても過言ではない。医学的な意味での疾病が、医療によってではなく、治安によって管理されるという、ヨーロッパでいえば啓蒙主義期以前の状況に逆戻りしてしまったといってもよいほどの後退である。
 この精神病者監護法は、結局、戦後の一九五〇年に至って、GHQの指導のもとで精神衛生法が施行されるまで、日本で唯一の基本的な精神病院関連法規であった。ただし、公立病院の圧倒的不足は、その後の日本社会の推移の中で無視することのできない不利益をもたらし、一九一九年に至って、その補助的な法律である「精神病院法」を公布させることになる。――

・・・*・・・*・・・
長々と引用ばかりで、すみません。
むむむー、と感じるところいろいろありまして…




[2290] 蕪村 投稿者:北風 投稿日:2010/10/03(Sun) 08:56  


蕪村の句に、

岩倉の 狂女恋せよ ほととぎす

というのがあるらしい。



[2289] 岩倉あるいは日本のゲール 投稿者:北風 投稿日:2010/09/30(Thu) 10:27  

鶴見さんの住む左京区岩倉は日本のゲールだったと教えてくれたのは、同じ岩倉で論楽社を運営する虫賀さんだった。

そのことを書こうと思ったけれど、付け焼刃なのでURLを紹介しておく。

精神病者の権利はなかったのか? 橋本明
http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10001880/0/index.html

ゲールの由来〜聖ディンプナ伝〜
http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10001880/0/kouza/section3.html

日本の「ゲール」〜岩倉での精神医療〜
http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10001880/0/kouza/section8.html

あたしも、当時の面影を唯一残しているという「病人宿」の建物を見て、元大雲寺境内にあった霊泉の水を飲んできた。

参考
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0470.html




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