ハンセン病の闘いの歴史に学びともに考えるBBS
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[2253] ダラダラ 1 投稿者:ET 投稿日:2010/09/10(Fri) 18:23  

おかの・ゆきおさんの「傍観者の感想」を読んで:
おもいつくまま
(例によって、ダラダラになりそう。読みたくない方はどうぞすっとばしてください)

国立ハンセン病療養所の医師、ハンセン病医療に実際に関与した人の著作については、その気になればある程度読める。だが、ハンセン病療養所に勤務する(/していた)看護師、介護員、職員の著作物に触れる機会はあまりない。(多分、絶対数が少ないのだと思う。)そういった点でも、元愛生園職員・おかの・ゆきおさんの文章に触れることができてよかったと思う。
療養所の医療/療養の場、生活の場の内実を実際に見知っている者の視点は、外から眺めているだけの“傍観者”の視線上には浮かび上がってこないものをも捉えうるのであろうか、この文章に付された「傍観者の感想」の、「傍観者」は、かつて療養所に勤めていて、施策者側でも施設側でもなく、入所者側でもない者の視点=第三の眼差しをもっていたと思われる。その視点に見えていたもの、あるいはその視点によって見えてくるものが、この文章に現れている。
特に強く印象づけられたのは、改正らい予防法を厳格に解釈していれば、「隔離主義の弊害など出なかった筈である」、「らい予防法は「伝染の恐れのない患者の入所を規定していなかった」から」と述べ、「問題はらい予防法を光田式隔離主義のメガネで読んでしまったことにあったように思います。その反省がなかったために「らい予防法」がその後立派に廃止されたのに、その対価としてそのままハンセン病療養所を残すという、とんでもない代価を支払うことになったのではないでしょうか。」と提起されているところ。
そういえば、らい予防法の条文の文言に厳格に沿って、法が適正適用されていないことを指摘してみせた「惰眠論/惰民論」の森幹郎さんも、園に勤めておられた。

他者の視点から学ぶためにメガネをはずしてみること
北風さんの投稿によれば、おかのさんのこの文章を、Sさん(志村さん)は「光田擁護論」と、Kさん(=谺さん)は「第二の惰眠論」と受け取られたようである。
失礼ながら、志村さんは少々早とちりをしておられるのではないだろうか。“志村康さんとキャッチボール”36(No.51)に、「第9巻俳句・川柳には(おかの・ゆきお)氏が「傍観者の感想」という一文が添付されておりますが、氏がいうように光田擁護論です。」と、志村さんは書かれている。
たしかに、おかのさんの文章は、光田を擁護したり弁護したりもしているけれども、北風さんも書かれているように、「しかし、全体として「光田を擁護」するために書かれた文章ではない」ことは確かであるように思われる。
おかのさんの文章中で、光田式隔離主義に反対して予防法廃止に尽力した、その同じ人たちが、ハンセン病療養所が隔離主義時代の「ハンセン病療養所」という看板を掲げたまま、ハンセン病治癒者(=ハンセン病回復者)たちの住処となっていることに対して、「とくに法的考え方がよく分かっている弁護士さんたちが、そのことに気付かないのか、気付いても黙っているのでしょうか。この人達はらい予防法が廃止されたとき、どんなに遅くてもハンセン病国賠訴訟に勝訴したとき、当然の対応措置として、ハンセン病療養所の廃止を提案すべきであったと思います。」という部分を、志村さんは読まなかったのだろうか? そして、予防法廃止に尽力した人たち同様、光田亡き後、療養所の運営と行政を担った人たちが、ハンセン病が化学療法薬で治癒する時代になっていたにもかかわらず隔離主義を継承し療養所を存続させてきたことの責任を指摘し、その責は「光田と較べてより大きかった」と、批判していることを見逃していないか?
谺さんの読みは、ある意味で正しい読みであるかもしれない、とも思う。問題は、それを批判的に読むのか、あるいは学ぶべき論点・視点を含んでいると読むかどうかであろう。もしかしたら、谺さんは、隔離主義と表裏の関係にあり、それを補完するような“光田式隔離主義を裏返しにしたメガネ”のかかった眼で、この文章を読まれたのではないだろうか?
私はこの文章に示されている視点から学ぶべきことは多いように思われたのだが。
他者の視点から学ぶためには、まず己の眼にかかっている色付きメガネをはずしてみなければならない。
(わー、カンカンに怒られそうなこと書いちゃったかも)



[2252] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/09/10(Fri) 11:26  

薬の臨床使用について:
一般に、新薬が臨床適用されるまでには長期間を要します。
新しい薬が開発されるのにだいたいウン十年。その薬の有用性が基礎研究、前臨床試験、臨床試験で研究され、その効能・効果、用法・用量、安全性等々が治験で確認され、ある疾患や病態への適応が決定されて、製造販売承認申請され、承認を得たのちにはじめて一般臨床使用されます。
承認申請が規制当局から認可されるためには、開発された新薬の医薬品としての有用性が科学的データにより証明されなければなりません。通常、認可を受けるために、製造販売業者等は、申請にあたって新薬の有用性を証明する治験データを何百と積み上げます。そこで良好な成績を積み上げることができなかった場合、あるいは有効性と有害性のリスク-ベネフィット比でベネフィットが小さいと判断されるような場合、効能はあっても重篤な有害事象等の危険率が高すぎるなどの場合は、承認申請前に研究が中止されることもあります。
たとえば、ある新薬が海外で開発され、当該国の医薬品等の規制当局で承認されすでに臨床使用されているような場合でも、本邦の医薬品等の規制当局の承認を得るために、日本人における有用性を証明する国内臨床治験成績を提出しなければなりません。以前は、海外で承認されている薬でも、本邦で承認されるまでに同じような試験を繰り返す必要がありましたので、相当長期間を要しました。最近は、有用な新薬を最短期間で本邦でも臨床使用できるようにするために、ブリッジング試験という、海外での臨床治験データを外挿して利用し、治験から一般臨床使用までにかかる期間を短縮できるシステムに変わりました。したがって、どの時期であるかによって、薬の臨床使用に関する批判というのは軽々にはできないことになります。(薬の臨床使用もまた法的な縛りの下にあるということです。)

おかの・ゆきおさんの、「そのつど騙され続けてきた光田が、その治療効果をにわかには信じられず……」の部分についていえば:
そもそも、ある疾患の原因菌と抗菌薬との関係は、“おっかけっこ”になる宿命にある、という事情があります。これは薬学の専門家でなくとも、光田の時代にあっても、医師にとっては常識の範囲だったろうと思います。
ある菌に対し殺傷効果のある薬が開発され使用されるとします。すると使用されているうちに、その薬に対する耐性を獲得する菌が出現してくることがあります。(菌も生命体なので、自己保存のためにたとえば細胞膜の蛋白質構造のごく一部をちょこっと変更してみたりして生き残りを図るというようなことをこれはたくまずして自然にやっているわけです。)
そして、さらにいえば、臨床使用におけるほんとうの意味での「長期成績」というのは、その薬が実際に臨床使用されはじめて長期にわたる使用経験を積み重ねた上でなければでてきないものなのです。というのも、新薬の治験に関していえば、「長期投与試験成績」というのは、1年とか2年といった期間で研究されることがほとんどですから、10年、20年、ウン十年にわたる実際の使用経験のないところで出てくるものであって、超長期的視野からいえば「確立されていない」「確認されていない」ということになります。


[2251] 一言 投稿者:暇人、おせっかいおばさんはわたし 投稿日:2010/09/10(Fri) 09:43  

>確かに戦後プロミンなどの薬が開発され病気は劇的に治癒するようになりましたが、この病気が地上に発生して以来数千年ともいわれる間、根治薬がなく、光田が医者となってからも幾多の治らい薬を名乗る新薬が次々と開発されてきましたが、泡のように消えていきました。そのつど騙され続けてきた光田が、その治療効果をにわかには信じられず、それを確かめるには予後十年の観察期間が必要だと考えたのは医学者として光田の見識を語りこそすれ、責めることはできないように思います。

何も知らないおせっかいおばさんのコメントですが。くだらんとおもわれるかたは一笑してください。
上記の趣旨もわかるような気がします。しかし谺雄二さんの抗議された気持ちもよくわかります。
谺雄二さんは気管に熱こぶが出来、呼吸困難に陥り病棟にかつぎこまれたそうです。当時はプロミンは希望する患者の数におよばす、くじで、対象者を決めていたそうです。そのくじに谺雄二さんも加えられプロミン治療を受けられました。プロミン治療は驚異的な効果をもたらし、谺さんは病棟から出られるまでに回復されたそうです。おそらく当時谺さんのような症状のかたも多くいらっしゃったと思います。気管を切開したり、呼吸困難に陥る疾患はハンセン病に限らず肺や心臓の病気など、たくさんあると思いますが、筆舌にあらわせないほどの苦痛をともなうものと思います。たとえ一人でもその治療効果を目撃したのであれば、患者の苦痛を軽減するために最善の努力をするのが医師としての任務ではないでしょうか。谺雄二さんはその体験者なのですから。当時しなければならないことはまず病苦から解放されること、そして隔離政策を廃止することではなかったでしょうか。
わたしのコメントは一応これで中断します。
なぜかというと、わたしの場合は本題から話がそれてしまったり、宗教的な話になったり、あらぬ方向にいってしまったりすることがありますので。
しばらくは我が家(自分の掲示板)に気ままに書きたいと思います。しかしなにかあると又飛び出してくることがあるかもしれませんが、そのときはよろしく。(*^_^*)



[2250] 意見交換してみませんか 4 投稿者:ET 投稿日:2010/09/09(Thu) 21:04  

◇傍観者の感想   おかの・ゆきお (ハンセン病文学全集第十回配本月報より) つづき(4)

以上横道にそれてもっぱら光田を弁護するようなことをあえて書きました。しかし私が書こうとするところに帰りたいと思います。
私が興味深くおもうのは、本文の最初に取り上げた現代の隔離反対主義者の間に、光田の影響といえば間違いかもしれませんが、光田と同様な論理が顕著に見られることであります。
その第一は、光田が採用した隔離政策の問題点はクロかシロか一方しかあり得ないという二元論的な思考様式であったと思います。もちろんそうしなければらい療養所など建設し、維持できなかったと思いますから、止むを得なかったとは思いますが、ともかく立て前としては隔離主義は絶対の善であってそれ以外は絶対の悪であるという論理を生涯貫き通しました。
この人達のとる論理は、光田の論理を全く逆に裏返しにしたもので、隔離主義は絶対の悪であって、反対は善であると言います。光田の場合は立て前はともかく実際問題としては一〇%は対所を認めました。しかしこの人達はその中間などは絶対に認めることができないという論理であります。したがって隔離にいくばくかの必然性があったなど言おうものなら、寄ってたかって、徹底的に糾弾するのであります。かって小笠原登という医者が、絶対隔離主義に異議を申し立てたとき光田等隔離主義者が一斉に小笠原を糾弾したといいますが、そのときのことを彷彿させられます。歴史は繰り返されるといいますが、光田の功績はともかく、せめてその誤りには大いに学んで欲しいと切に思います。
その第二は光田の隔離主義の最大の問題点は、病状に応じた対策をしらなかったことにあると思います。とはいえ五〇年前のことであり、退所者の安全を考えて一番重症の、そして、貧しい患者を護るために止むを得なかった面もあったかと思います。この人達は隔離主義には徹底的に反対して光田と対極的な立場に立って予防法の廃止に尽力しました。しかし入所中の、また退所後の回復者の生活の安全を考え、時代錯誤だと思いますがその人達が一人になるまでハンセン病療養所をそのまま断固存続すべきだと言い張ったのでありますが、結果的に見ればハンセン病療養所の存続を訴えるという一点において、光田と完全に一致していました。もちろん病状に応じて対策をとるという科学的な発想もなかったようであります。この点においては光田亡き後の五〇年、療養所の運営と行政に責任を担った人々も同様で、この場合は光田の時代と異なりハンセン病が治癒することが証明された時代にあったにもかかわらず漫然と隔離主義を継承してきたことの責任は光田と較べてより大きかったと思います。しかしすべては入所者の行く末を考えてのことであったようで、光田との間に五〇年の隔たりがありましたが、その考え方の論理と善意において三者は非常によく似ているように私には映りました。
第三は光田は昭和二八年に改正されたらい予防法を隔離主義の堤防として、自らの隔離主義がそこに貫けたと信じていました。不思議なことに隔離主義に反対する人々も、改正されたらい予防法が隔離主義によってがんじがらめにされていたと解釈していることにおいて、光田と考えを同じくしていることは興味深い共通点であります。
しかし本当は改正されたらい予防法を厳格に解釈していれば、言われている隔離主義の弊害など出なかった筈であることも見落としてはならないと思います。らい予防法は「伝染の恐れのない患者の入所を規定していなかった」からであります。問題はらい予防法を光田式隔離主義のメガネで読んでしまったことにあったように思います。その反省がなかったために「らい予防法」がその後立派に廃止されたのに、その対価としてそのままハンセン病療養所を残すという、どんでもない代価を支払うことになったのではないでしょうか。このことは隔離主義反対を貫くという観点から考えれば戦術として大失敗であったと思います。実質的な隔離政策を継続することを条件に「らい予防法」が廃止されたということにもなりかねないからであります。そのためハンセン病問題の真の解決は先延ばしにされてしまったのであります。現代の隔離反対論者は、皮肉なことにというか、立派にというか、忠実に光田の隔離主義を継承し、貫徹してしまったのであります。このままハンセン病の歴史を閉じるとしたら残念としかいいようがありません。ともあれこの不合理で、曖昧な処理の方法は結果的にハンセン病が治った人達に今後いろいろな面でマイナスに作用するのではないかと危惧されます。
そして現在すでに膨大な余剰施設をかかえる、ハンセン病療養所を急激に減少するであろう元患者だけの施設として継続することは、国家財政の上から考えても大問題であり、運営上も医者の確保などが困難になり、そこに入所している人達にとっても非常に不幸なことになるのではないでしょうか。
以上思いつくままに感想を書いてみました。
       岡野行雄(元愛生園職員・本稿は二〇〇五年に執筆された)

・・・*・・・*・・・
これで全文です。


[2249] 意見交換してみませんか 3 投稿者:ET 投稿日:2010/09/09(Thu) 21:01  

◇傍観者の感想   おかの・ゆきお (ハンセン病文学全集第十回配本月報より) つづき(3)

光田は医者としてらい患者に出会ったとき、奇特としかいいようがありませんが、二十二、三歳の若さで何とかして患者が安心して、生活と療養できる場をつくらなければと考えたようであります。これは当時の日本では、病気の種類が結節らいといわれる比較的症状の重い型の発症が多く、その割合は全体の七〇パーセントを占め、その悲惨は言語に絶し、しかも根治薬がなく、生活を主体にした専用の療養施設の必要を痛感したからだと思います。そのことが日本型ヒューマニスト光田のこの病気との関係の始まりだったと思います。
当時外国から来た宣教師や神父が、患者のあまりの惨状に驚き、救済の手をさしのべるべく、保護施設を二、三創設していましたが、それらは外国からの資金であったり、私財を投じてのもので、日本人からの資金提供は雀の涙ほどで、しかもその施設の規模は小さく保護できる人数もごくごく僅かな人に限られていました。
そのような状況の中で、光田は日本のように所謂慈善心のないところでは、人々の喜捨に頼るのではなく、国の責任でそのような場所を提供する以外に方法がないことを洞察し、そのために必要な経費は法律に裏づけされた公の施策でこそ可能であると考えたのであります。
そして、そのことを実現する戦術として―これは古今東西どこでも変らない方策ではあるのですが、光田は誰から教えられたわけではなしに嗅ぎつけたのが、次のような方策=作戦でありました。
その一つは、ことさらに伝染病であることを強調して、人々の心胆を寒からせ、施設を設置し、患者を隔離することが自分達を護るための唯一の方策であることを肝に銘じるように誘導したことであります。換言すれば伝染したら大変なことになるぞと脅しまくったということであります。要するに人々の損得勘定=恐怖心に訴えたということであります。
もう一つは、一九〇六年のことだといいますが、イギリス大使館の門前で患者が行き倒れになっているのを発見した館員が外務省を訪ね「日本のような一等国の町の中で患者が浮浪しているのは国の恥です」と言ったということがありました。その言葉を伝え聞いたのだと思いますが、光田は、その言葉にヒントを得て先進国の仲間入りした文化国家、日本国が悲惨な状況の中にある患者を放置するのは「国の恥だ」と言い立てたことであります。「恥」を文化とする国にあって、この作戦は見事に成功したのであります。今様な言葉でいえば外圧の利用ということでありましょうか。
その結果、日本(人)は世界の一等国といわれる国々に肩を並べるため、また自らを病気から護るための代価として、その費用を負担することをしぶしぶ受け入れたのであります。近頃では光田がハンセン病=患者を国辱としたという説がまかり通っていますが、この言葉の由来は以上の通りであります。
ともあれ、光田は目的を実現するために、一方では人々の自尊心をくすぐり、一方で脅迫まがいな方法を採用したということであります。その結果が癩予防法となって実り、曲がりなりにも療養所の設立となって、結実したのであります。当時療養所をつくるのにこれ以外の方法が何か他にあったでしょうか。その意味で光田の功績は絶大なものがあったということができると思います。
しかし、事は今日でも同様でありますが、この方策は何かを始めようとする場合には、はなはだ有効な殆ど唯一の方策ですが、人間のもつ原罪=性(さが)に訴えるこの方策は、継続されるとその結果は、それを発想した当の本人の予想(日本人的ヒューマニズム=善意)を越えて、その論理は一人歩きはじめ、時間の経過とともに、発想した本人自体をも支配するようになり、自転して予期しない結果を収穫することになります。ご多分にもれずこの法律=政策も幾多の弊害を生むようになったことは、ご承知の通りであります。そのことの故に光田を断罪する人も少なくありませんが、酷な話ではないでしょうか。
今日隔離政策に反対するひとの中には、らいはもともと治る病気で、他人に伝染させる病気ではなかったから、隔離する必要などそもそもなかった、生活環境が向上し栄養を充分とれば、放置しておいても自然に減少するのだから、あえて「立法化する必要はなかった」=要するに療養所など必要はなかったという人もいます。
しかし、明治、大正、昭和の前半の時代に、患者の三〇%が主として親族内伝染で感染したこと、顔や手足に醜い症状を呈したこと、それに根治薬がなかったことなどを考えると、隔離施設としての療養所が、どれだけの弊害を生み出したとしても、だからと言って患者にとって療養所が必要なかったというおとなど、私には信じられません。そしてらい療養所をつくるために光田を時代が要求したのではないかと思います。光田はその時代の要求に応えたのだと思います。

ここで光田の名誉のために言っておきたいことがあります。光田は隔離主義者ではありましたが、光田ほど治療薬の開発に関心を寄せた人はいなかったということであります。戦後プロミンの話を伝え聞いた時、いち早く文献を取り寄せ、翻訳させ、治療の現場に持ち込むことに誰よりも熱意を示しました。また長島に療養所開設間もない頃、入所者が連れてくる子供達を引き取り保育所をつくり、その後職員家族の反対を押しのけ島内に設置された職員の子弟のための幼稚園に保育児童との共学を実現し、また保育児童の社会復帰の促進を図るために大阪と東京に寮を建設して、そこから円滑に社会へ巣立つことができるように、配慮しました。熊本の竜田寮事件のことは有名ですが、光田は保育児童の村の小、中学校への通学も、円滑にいち早く実現しました。それに驚くべきことですが、光田が園長をしていた愛生園からの軽快退所患者数は、森幹郎さんの論文からの孫引きで恐縮ですが、厚生省調査によると、明治四二年療養所開設以来昭和三〇年までの全国の療養所のそれが五%であったのに対して、愛生園の場合はダントツで一〇%を越し、どの療養所よりも軽快退所者が多いことも申し添えておきたいと思います。
その他、私達は光田から学ぶべき点は多々あると思います。療養所を運営するに当たって、患者作業を採り入れ、その種目は農作業から始まり、畜産、土木、電気、洗濯、理髪、看護、印刷、売店などなど、およそ一般社会に存在するほとんどすべての職種が含まれていました。その他患者に文芸や趣味、宗教、結婚、幼い子供達の教育なども積極的にすすめました。文芸でいえば現在、皓星社から出版されている『ハンセン病文学全集』はそこに咲きほこった患者の苦難と精進の成果ですが、良きに付け悪しきに付け、決して光田と無関係ではなかったと私は思います。
患者作業についてはその苛酷さについて、批判があり、反省すべき点があったことも事実ですが、考え方自体は今後我が国に福祉施設の在り方を考える場合大いに参考になるのではないでしょうか。たとえば老人問題を考える場合、老人人口が加速度的に増大する今日、現在の老人保護施設のようにケアー中心の消費を中心とした施設ではなく、もちろんその中核には老人病院、特養施設、身体障害者施設などなどがあって、その周辺に、各自の資金で、あるいは一般からの寄付によって建設される、愛生園流にいえば一〇坪住宅が散在してそこに人々が在宅居住し、各自の生活は年金や生活保護費で賄い、あとは健康の度合いにしたがって、老後の五年なり、一〇年なり、二〇年をそれらの施設に職員として、またパートタイマーとして勤務して、いくらかの収入を得、ある人は自分が好きな作業を自由に選択して農作業をやったり、畜産にはげみ、余剰生産物は施設に納入し、人によっては既得の職種の能力を生かし、村民を対象に理髪店や、クリーニング店を開業し、お互いがボランティアとして支え合い、必要に応じてそれらの施設を自らも利用できるような生産的な老人村的なコロニー施設、それも社会から隔離された場所ではなく、社会に開かれ、それと行き交う場所に構想することが将来求められることになるのではないでしょうか。その場合に、かってのらい療養所の仕組みは大いに参考になるのではないか、というより、今あるハンセン病療養所がそのような施設として総合的な福祉施設の特区として一般の老人や、身体障害者や、難病の人達のための施設として再構築されたらと私は考えています。



[2248] 意見交換してみませんか 2 投稿者:ET 投稿日:2010/09/09(Thu) 16:07  

◇傍観者の感想   おかの・ゆきお (ハンセン病文学全集第十回配本月報より) つづき(2)

今日ハンセン病問題に関心を持っている人、そして患者さん達から隔離主義者の親玉として批判されている人に光田健輔という人がいます。確かにこの人はらい予防法による隔離政策が最善のハンセン病予防=患者保護対策だと考えていたようで、一九五八年退任を記念して患者と一般社会の人々の手で建てられた自己の胸像の除幕式において、自らのうなじに手をあてながら「社会復帰など唱えるものは、この首を落として出てくれ」と挨拶したということであります。この挨拶の中に隔離主義者の親玉としての光田の頑迷さを読み取る人が多いと思います。
しかし私は賛否はともあれ、それとは別の解釈もあるのではないかと考えています。
確かに戦後プロミンなどの薬が開発され病気は劇的に治癒するようになりましたが、この病気が地上に発生して以来数千年ともいわれる間、根治薬がなく、光田が医者となってからも幾多の治らい薬を名乗る新薬が次々と開発されてきましたが、泡のように消えていきました。そのつど騙され続けてきた光田が、その治療効果をにわかには信じられず、それを確かめるには予後十年の観察期間が必要だと考えたのは医学者として光田の見識を語りこそすれ、責めることはできないように思います。
それは社会に存在する病気に対する差別と偏見のことを考えれば、仮に病気が治ったからといっても、後遺症を抱える者も多く、退所後の生活の保障などが全く考えられていない現状のなかで、退所者が社会的、心理的ストレスによって病気を再燃させることも予想され、安易に社会復帰させること、それを法的に規定することなど考えられなかったのではないでしょうか。ですから自分の出来る患者に対する最後のご奉公と考え、押し寄せてくる社会復帰の潮流を前に仁王様のように立ちはだかったのではないでしょうか。
こうなったことについては、光田という人が誰よりも深く、その生涯の全体をとおして、らい患者の悲惨を深刻に心に刻印されてしまっていたからだと私は勝手に解釈しています。

・・・*・・・*・・・
今ちょっと時間的に詰まっていますので、全体を5回ぐらいに分け、つづきをアップさせていただきます。
読みにくくなってしまうかもしれませんが、お許しあれ。

ルリカケスさん、こんにちは。
わたくしも、急がず、ぼちぼちでまいります。またあとで。




[2247] 無題 投稿者:北風 投稿日:2010/09/09(Thu) 16:03  

おかのさんの文章は、Sさんから「光田擁護論」、Kさんから「第二の惰眠論」と批判されています。
また、このことをもって全集が(皓星社が)「偏向した」という指摘をされています。

おかのさんの文章は、光田の言行に「理解」を示している部分もありますし、その「限界」を指摘している部分もあります。しかし、全体として「光田を擁護」するために書かれた文章ではないと思います。

おかのさんの発言が、誠実に問題提起していると思ったから、掲載しました。

一部分を取り上げ決め付けるのではなく、その文章全体が何を言いたいのか読み取ること、多様な意見に対し聞く耳をもつ態度が大事だというのは、ほかならぬ全集編集にかかわって学んだことでもあります。

もし、間違っていたら改めるに吝かではありません。ぜひ、忌憚のないご意見を寄せてください。




[2246] Re:[2245] BBS上で意見交換してみませんか 1 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/09/09(Thu) 15:14  

> ◇傍観者の感想   おかの・ゆきお (ハンセン病文学全集第十回配本月報より)
>
> 今日、ハンセン病問題に関心をもち、この問題に取り組んでいる評論家や弁護士、学者その他おおぜいの人がいます。その人たちの労を私はおおいに感謝していますが、一つ不思議に思うことがあります。その不思議というのは、ハンセン病療養所が一〇〇年前と同様ハンセン病(らい)療養所という看板を掲げていて、そしてそこに病気を他に伝染させるおそれのない、病気の治癒した人たちが、患者として入所させられていることに全く問題を感じていないということであります。いないばかりか、そうあることがいいことだと一様に考えているとしか思えないことであります。
> ある人はそのように元患者を遇することが贖罪として当然だといい、それは元患者の当然の権利で、尊重しなければならないという人もあります。
> この人達に共通していることの一つは隔離主義に反対して、隔離主義こそ諸悪の根元であると言っていることであります。しかしこれこそが、非常に悪い現代版の人権という名をかりた隔離主義で、それが今なお続いていることが私は不思議で不思議でしょうがありません。
> ハンセン病療養所という看板のかかったところに、どういう理由があるにしろハンセン病でなくなった人をハンセン病患者として処遇することは人権侵害以外のなにものでもありません。
> とくに法的考え方がよく分かっている弁護士さんたちが、そのことに気付かないのか、気付いても黙っているのでしょうか。この人達はらい予防法が廃止されたとき、どんなに遅くてもハンセン病国賠訴訟に勝訴したとき、当然の対応措置として、ハンセン病療養所の廃止を提案すべきであったと思います。絶好の機会をみすみす見逃してしまったことは残念というしか言葉もありません。少なくともハンセン病療養所は、医療施設としてではなく、ハンセン病回復後保護施設=一般福祉施設の一つとして、看板替えすべきであったと思います。少なくともそう助言すべきでありました。
> このことと関連したことですが、ハンセン病が治癒した人達で、今もハンセン病療養所に入所している人達が自分達の組織している団体の名称を「全国ハンセン病療養所入所者協議会」と名乗っていることも、私には理解することができません。どうして「全国ハンセン病回復者協議会」としないのでしょうか。「全国ハンセン病療養所入所者協議会」という名称くらい世人に誤解を与えるものはないと思います。いろいろと言い分はあるかもしれません。しかし普通にこの名称を聞けば誰だってハンセン病の患者さんの団体だと思います。そして日本にはまだハンセン病療養所があって、そこに多くの患者さんが今もなお療養しているものと勘違いするに違いありません。そして、そう勘違いしたからといって誰がその間違いを責めることができるでしょうか。ハンセン病に対する偏見がそのような勘違いから生まれてきていることも見落とせません。私はそのような勘違い=偏見を再生産するような名称をあえてハンセン病が治癒してしまった人達が、よりによって、自分達の団体に名づけるべきではないと思います。そしてハンセン病が治癒した人達が自らの生活する場所を「ハンセン病療養所」と呼ぶこと、呼ばれることをよしとすることがあってはならないと思います。
>
************************
全くその通りと思います。

今日文学集届きました。

これからぼちぼち書き込み致します。

現在の和光園は、園の存続と掛け晴れた言動を行っています。

厚労省のHPしかり、施設と,厚労省とは、上手くお互いに
ツゥーカーに取れるし、明日への光も見えてこないです。


[2245] BBS上で意見交換してみませんか 1 投稿者:ET 投稿日:2010/09/09(Thu) 12:19  

◇傍観者の感想   おかの・ゆきお (ハンセン病文学全集第十回配本月報より)

今日、ハンセン病問題に関心をもち、この問題に取り組んでいる評論家や弁護士、学者その他おおぜいの人がいます。その人たちの労を私はおおいに感謝していますが、一つ不思議に思うことがあります。その不思議というのは、ハンセン病療養所が一〇〇年前と同様ハンセン病(らい)療養所という看板を掲げていて、そしてそこに病気を他に伝染させるおそれのない、病気の治癒した人たちが、患者として入所させられていることに全く問題を感じていないということであります。いないばかりか、そうあることがいいことだと一様に考えているとしか思えないことであります。
ある人はそのように元患者を遇することが贖罪として当然だといい、それは元患者の当然の権利で、尊重しなければならないという人もあります。
この人達に共通していることの一つは隔離主義に反対して、隔離主義こそ諸悪の根元であると言っていることであります。しかしこれこそが、非常に悪い現代版の人権という名をかりた隔離主義で、それが今なお続いていることが私は不思議で不思議でしょうがありません。
ハンセン病療養所という看板のかかったところに、どういう理由があるにしろハンセン病でなくなった人をハンセン病患者として処遇することは人権侵害以外のなにものでもありません。
とくに法的考え方がよく分かっている弁護士さんたちが、そのことに気付かないのか、気付いても黙っているのでしょうか。この人達はらい予防法が廃止されたとき、どんなに遅くてもハンセン病国賠訴訟に勝訴したとき、当然の対応措置として、ハンセン病療養所の廃止を提案すべきであったと思います。絶好の機会をみすみす見逃してしまったことは残念というしか言葉もありません。少なくともハンセン病療養所は、医療施設としてではなく、ハンセン病回復後保護施設=一般福祉施設の一つとして、看板替えすべきであったと思います。少なくともそう助言すべきでありました。
このことと関連したことですが、ハンセン病が治癒した人達で、今もハンセン病療養所に入所している人達が自分達の組織している団体の名称を「全国ハンセン病療養所入所者協議会」と名乗っていることも、私には理解することができません。どうして「全国ハンセン病回復者協議会」としないのでしょうか。「全国ハンセン病療養所入所者協議会」という名称くらい世人に誤解を与えるものはないと思います。いろいろと言い分はあるかもしれません。しかし普通にこの名称を聞けば誰だってハンセン病の患者さんの団体だと思います。そして日本にはまだハンセン病療養所があって、そこに多くの患者さんが今もなお療養しているものと勘違いするに違いありません。そして、そう勘違いしたからといって誰がその間違いを責めることができるでしょうか。ハンセン病に対する偏見がそのような勘違いから生まれてきていることも見落とせません。私はそのような勘違い=偏見を再生産するような名称をあえてハンセン病が治癒してしまった人達が、よりによって、自分達の団体に名づけるべきではないと思います。そしてハンセン病が治癒した人達が自らの生活する場所を「ハンセン病療養所」と呼ぶこと、呼ばれることをよしとすることがあってはならないと思います。

・・・*・・・*・・・
[2243]の「某掲示板」をわたくしめも覗いてきました。
[2228]「物議・第二弾」に「栗生のKさん」とあるので、「栗生の○さん」は、いまさらちゅう感じですけど。

その「問題の文章」といわれている、おかの氏の文章について、意見交換してみませんか?
ということで、上に、おかの・ゆきおさんの文章のはじめのほうの部分を引用させていただきました。


[2244] Re:[2241] 首つっこんでまおう 投稿者:ET 投稿日:2010/09/09(Thu) 10:57  

> あららん、最期をどう迎えたいのかと問うのはむごいでしょうかね。そうなのか・・・
>
> 私は、自分がどういう最期を迎えたいかというのが基準でライフスタイルを決めてきました。選択肢をつきつけられた時にはそこに戻る。私がヘンなのかな。今初めて気づきました。人の話は聞いてみるものですね。なんだかカルチャーショック?です。人生間違っちゃったかしら・・・・
> ちょっと考えなおしてみなくては。

私は、ぜんぜん、むごいなんて思ってないわけですよ。
けれども、こういったことをごく自然に、普通に話題にのぼせられるような場はそう多くはない。それは、死を語ることが忌まれてきたからでもあるだろう。なぜ死を語ることが忌まれてきたのか。古くは、死は一種のケガレとみなされ、死に触れた者、死の近くにいた者は、死のケガレに感染するとみなされていた。(このあたりの歴史的考察については全面的に略します。)死が感染するのではなく、死のケガレが感染すると考えられていたのである。ケガレが感染するというのは、つまり、ケガレそれ自体に感染力があると考えられていたということである。現在も告別式などにいくと会葬者におキヨメの塩が配られたりする。あれは死のケガレをキヨメるためのもの。服喪期間は、ケガレの感染力/影響力がなくなるまでの期間とされていた。それゆえ、一般に、死および死に関連することを口にすることも、ケガレを招くこととして忌まれたのだろう。とにかく、わが国においては、死を忌む、死のケガレを忌むということが慣習的に行われてきたという事情がある。その絡みからすれば、死を話題にするということ自体が論理的にではなく感性的な微妙な問題をはらむものであるという可能性は否めないだろう。(人間はあまり論理的な生きものではなく、どちらかといえば感性的な生きものだからして。)

私自身のこととしていえば、ほぼ本能にしたがって生きてきたみたいで、朝潮太郎さんのように、「自分がどういう最期を迎えたいか」というのを基準して「ライフスタイルを決めてき」たことはなかったように思う。だから、かなり驚いちゃいました!
わたくしめには、そもそもライフスタイルちゅうようなものはなかった、みたいです。
死のほうから眺めてみるというふうなことを考えだしたのは、幾度目かの手術の時、全麻の効きはじめに下意識のほうから「もう二度と目覚めないかもしれない」という想いが浮かび上がってきて音無しアラームが鳴り響き、つづいて全身痺れたようになったのを術後覚醒してからもしっかり覚えていた、ということがあってからのこと。以降、多少なりとも「死の臨床」に関心をもつことはあったけれど、そういったことを積極的に話し合う機会はあまりなかった。あのときは、一瞬死に触れたのかしらんという感じだったのだけれど、その感覚というのは、かなり澄明なものであって決してわるいものではなかった。
死のほうから眺めてみると、生というのは罪やら欲やらに塗れていて、決してきれいなものではない。タケイエミというふうに名づけられた或る個体にやどっている生というのは、じつにちっぽけであったし、真っ黒でもあった。でも、たんにきたない、真っ黒というものではない。きたないきれい、真っ黒白、みたいな感じといったらいいか。生がよきもので、死はわるいもの、といったものではむろんなく、また逆に、生はわるいもので、死はよきもの、といったものでもない。生死、善悪、正偽、黒白等々の二項にはとうてい分かちがたく、生死、善悪等々諸々を貫いてある自然のおのずからなる“法”――“いのちの法”とか“宇宙の法”――といったようなもの。死に触れたのかしらんと思ったときに垣間見た世界は、そんなふうな世界だったような気がする。それはひろびろとしていて、あまりにもひろびろとしているので、とてもヒト知恵なんぞでとらえきれるものではない、とも思った。それに、タケイエミという名で呼ばれるものが生者の世界で過ごすのほんの一時のこと。とはいえ、生あるうちは、そう生きるようにと与えられた生を生きるべし、死来りなば死に逝こう、という想いはのこった。これを諦めというのかどうかは知らない。

またしてもダラダラになっちゃいました。こんなことを書くつもりで書き始めたわけではなかったんで、こんど別にカキコしまーす。


[2243] 某掲示板 投稿者:北風 投稿日:2010/09/08(Wed) 19:36  

○○○さんとキャッチボール 36 ( No.60 )

日時: 2010/09/07 23:12
名前: ○○

 皓星社の件で栗生の○さんより電話が有りました。○さんも栞を読み皓星社の社長に対し直接、抗議をされたという事です。

 問題の文章は社長が・おかの氏に依頼したということでハンセン病文学全集が偏向されたことは間違いない、というべきです。

 話は変りますが台風が恵みの雨と、一時の涼をもたらしました。




[2242] 無題 投稿者:暇人、おせっかいおばさんはわたし 投稿日:2010/09/08(Wed) 13:37  

>あはっ。「暇人、おせっかいおばさん」ってのは、私のことですよね。

いえ。ETさんのことではありません。わたしのことです。ETさんは暇な方か、忙しい方か何もしりませんので。

>最期をどう迎えたいかを考えてみる、というのは、別に終末期であったり、死の宣告をされたりとかとは関係なく、まぁ、いってみれば、加齢とともに徐々に、ふっと思いうかべたりするようになって、いつのまにか親しんでいたりするものだったりしません?

わたしは最期をどう迎えたいかはあまり考えたことがないんですね。死んだらどうなるかとか、死ぬときは長患いせず楽に死にたいなと思うことはありますが、わたしのほうがむしろ変なのかもしれません。ちゃらんぽらんな人間ですから。

最期をどう迎えたいかについて思い出したのですが。

わたしは数年前テレビタイトル「あるホスピスケアの試み労働者の町山谷」を見た。
日雇い労働者の町" と呼ばれる山谷に、ホームレス・路上生活者のために設立されたきぼうの家。現在は、路上生活者のみでなく、末期ガン等に侵された余命に限りある方の終の棲家でもある。
入所者は元日雇い労働者だった高齢者の方が大半である。
その日は施設のたなばた祭で、入所者がたんざくに願い事を書いた。そのたんざくに
「真っ黒な人生を真っ白にしたい」という願い事が書かれていた。それをみたスタッフたちは「これは重大な意味がある」だと思った。それを書いた高齢者のAさんは、末期がんか何かで余命何ヶ月ということだった。Aさんは戦争で最前線に立ち戦った。生き延びたが多くの仲間の死をみてきた。その後は悪の道(やくざか何か)に入り、凄まじい人生を歩んできたようである。さっそくスタッフたちは牧師を呼んだ。
この人達はクリスチャンではないようであるがなぜ牧師を呼んだのだろうか。
Aさんの意味深長な言葉に自分たちでは対応できないものを感じたのであろうか。
人間の力が及ばない、神仏に頼らなければ解決できない問題だと判断したからだろうか。この人達の行為は適切だと思った。

真っ黒な人生を真っ白にしたい

はどういう意味がこめられているのだろうか。
あまりにも悲しい、凄まじい、暗黒の人生を歩んできたゆえにせめて、清らかな、安らかな気持ちで死を迎えたいという意味だろうか。それとも自ら悪の道を歩んできたというAさん。あのダビデの祈りのように魂の救いを求めているのだろうか。
数年前みたテレビタイトル「あるホスピスケアの試み労働者の町山谷」が未だに深く心に焼き付いているのです。
「真っ黒な人生を真っ白にしたい」これが、最期をどう迎えたいかという人間の叫びなのでしょうか。







[2241] 首つっこんでまおう 投稿者:朝潮太郎 投稿日:2010/09/08(Wed) 11:14  

あららん、最期をどう迎えたいのかと問うのはむごいでしょうかね。そうなのか・・・

私は、自分がどういう最期を迎えたいかというのが基準でライフスタイルを決めてきました。選択肢をつきつけられた時にはそこに戻る。私がヘンなのかな。今初めて気づきました。人の話は聞いてみるものですね。なんだかカルチャーショック?です。人生間違っちゃったかしら・・・・
ちょっと考えなおしてみなくては。


[2240] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/09/07(Tue) 16:54  

あはっ。「暇人、おせっかいおばさん」ってのは、私のことですよね。

〈ライフ・サイクル〉と〈ソウル・サイクル〉に分けて考えるという習慣は私にはないのだけど、分けて考えたほうがいいですか?
パンのことをいえば、パンのために必死こいて働いているつもりの私めといたしましては、パンの必要性をゆめ疑ったことはないのだけれど、それはちょっとおいといて。

最期をどう迎えたいかを考えてみる、というのは、別に終末期であったり、死の宣告をされたりとかとは関係なく、まぁ、いってみれば、加齢とともに徐々に、ふっと思いうかべたりするようになって、いつのまにか親しんでいたりするものだったりしません?

私はひとり暮らしなので、ときどき考えちゃうんですよね。
すごく下世話な話ですけど、たとえば、ゴミ箱と化したマンションの部屋で誰も知らないうちに死んでたなんてことにはなりたかないなぁ、とか、働けなくなったり動けなくなったりして飢え死にするのもイヤだなぁ、とか、痛み発作でそのまま痛み死にに死ぬのはごめんだわ、とか。そして、最期をひとりで迎えるというのは、やっぱりさびしいだろうなぁ、とか。
高尚なことでも哲学的なことでもなくて、現状の延長線上に思い描くならば、最期もやっぱりひとりで迎えるのかな、ってことになりそうなわけなのですよ。

最期をひとりで迎えたくないとしたら、では、どうすればいいのか。これがなかなか具体的にイメージできない。具体的にイメージできないってことは、つまり、ちゃんと考えていないからだ、と思うわけ。具体的にイメージするってことには、想像的な力がはたらいていなければならないのだなぁ、ということを実感として感じているわけなのです。この能力なしには自分自身の死を創造するなんてとてもできないだろうとも。
だから、まぁ、約めていえば、これは私自身の問題。



[2239] 無題 投稿者:鈴虫、暇人、おせっかいおばさん 投稿日:2010/09/07(Tue) 07:11  

>これから先どのように生きたいか、というふうに想っても具体的にイメージすることが難しいならば、逆に、どのような最期を迎えたいかというふうに、

>最期をどう迎えるか、自分自身の死をどのように創造するかというのは、そのまま、今をどのように生きるかということであって、誰にとっても自分自身の問題のはずです。

大切なテーマですね。
入所者の方々や、高齢者の方々だけの問題ではなくわたしたちの問題でもあると思います。

ただちょっと。
最期をどう迎えるかというと、末期癌患者とか、余命どのくらいだとか、死を宣告された患者に対して言っているような気もするのですが。

将来構想について
「平均年齢が78歳を超えたいま、入所者は、この先、療養所でどういう暮らしができるのか、どういう医療体制が確保されるのか、将来像が見えないまま、不安な思いを募らせています。ある入所者は、「国は最後の一人まで面倒を見ると言うけれど、最後の一人にはなりたくない。その前に死にたい。」とその思いを語っています。
 私たちは、長年強制隔離政策に苦しめられてきた入所者が、その晩年を、社会から切り離されることなく、たとえ「最後の一人」になるときが来るとしても、社会の中で生活するのと遜色のない生活及び医療が保障され、安心して暮らすことができることを願っています。」と記されていますが。

老後を安心して送りたいというのは入所者の方々だけの問題ではなくわたしたちの問題でもあります。


>最期をどう迎えるか、自分自身の死をどのように創造するかというのは、そのまま、今をどのように生きるかということであって、誰にとっても自分自身の問題のはずです。

「どのように生きるか」というのは人生観を問うているようですね。
「人生には、「どう暮らすか」というライフ・サイクルと「どう生きるか」というソウル・サイクルがあると言われます。ライフ・サイクルでは、誕生し、乳幼児期・児童期・青少年期・青年成人期を経て、どのような社会性、どんな資格、能力、特技を身につけるかが問題になります。
一方、ソウル・サイクルでは、「自分は一体何者か、どう生きたら良いか」を問いつつ生きることがテーマとなります」
「老後をどう暮らすか」「老後をどう生きるか」前者は世俗的なニュアンスがありますね。後者は哲学的で高尚な感じもしますが、一般人我々が考えるのは前者でしょうね。
後者は「パンのみで生きるのではない」ということでしょうか。でもパンは必要だと思います。「パンのみで生きるのではない」というのはパンは必要ではないという意味ではないと思うんです。
まず生活が保障されること。そのうえでどう生きるかということでしょうね。
わたしもだらだら書いてごめんなさい。



[2238] おお、すばやいこと! 投稿者:ET 投稿日:2010/09/07(Tue) 03:15  

あらら、ルリカケスさん、悪者にされちゃいましたか!
それにしても、園長さん、なかなかすばやい対応をしましたね。まぁ、療養所の医師募集とあっては、写真を使われた方もあまり強くは言いにくかったのでしょう。

でも、園長さん、なにも怒ることはないでしょう。
むしろ、入所者さんが言いたいことをどんどん言うようになったことはいいことだ、ぐらいに受け止めてほしいものですわ。


[2237] 園に行って来ました。 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/09/06(Mon) 20:08  

 昨日HPの写真の女性朝に園長から、写真をみせて頂き!
施設へのクレームなし。

綺麗に園長にまるめられました。
それに施設の動きは早い、昨日昼に入れた情報は夜には、園長の耳に入る。

朝一番で説得いたし、めだく終わりになりました。
知らないで、自治会に行きましたら、本人からもう良いですと返事頂いたそうです。
自治会で電話等で本人と話したら、よいですとの返事でした。

人騒がせなおばさんでした。施設の動きには、(@_@;)です。

悪者は、私になりました。園長は怒っていたみたいです。((笑))


[2236] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/09/06(Mon) 00:40  

“将来構想”にもかかわることですけどね、逆に死のほうから考えてみるのもいいかも。

これから先どのように生きたいか、というふうに想っても具体的にイメージすることが難しいならば、逆に、どのような最期を迎えたいかというふうに、死のほうから、自分自身が迎えたい望ましい死を想像して、それを実現するにはどうすればいいのかというふうに考えてみたらどうだろう。将来構想などとおっこたらしいものではなくて、自分はどういうふうな死を迎えたいのか、というほうからイメージしてみたら……。

知人に、「療養所の中で死ぬのはイヤ」と言っていた人がいて、その方は数年前に退所され、「社会人になって嬉しい!」と言っています。きっと、退所されたことでいろいろご苦労されているだろうと思うのですが、でもサポートしてくれる人たちもいる、と言っています。
“このまま療養所の中で終わるのはイヤだ、社会復帰をはたしたい”という思いから、退所を決断されたとお聞きしました。

最期をどう迎えるか、自分自身の死をどのように創造するかというのは、そのまま、今をどのように生きるかということであって、誰にとっても自分自身の問題のはずです。こればかりは医師にも、看護師にも、介護員にも、(全療協+弁護士にも、厚生労働省にも、)まかせたりゆだねたりできるものではありません。いろいろとサポートはしてもらうにしても、自分の生き方を決定できるのは自分だけなのですから。
ということは、将来構想なるものも、実は、今日ただいまの自分自身の生き方に直接かかわる問題であって、自分には関係ないよ、とか、厚生労働省は何もやってくれていない、なんてことはいってられないはずではないか。
ひとりひとりが、自分はどういう最期を迎えたいか、ということを考えて、そこから出てきたものを、こうしてほしい、ああしてほしい、と言っていけばいいのではないかしら。
そして、そのシステムには、できるだけ個々の要求に対応可能な柔軟に運用できるものが望まれる。(おもいついたまんま、ダラダラですみません!)


[2235] Re:[2234] 無題 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/09/05(Sun) 21:44  

> >写真は一番嫌いだそうです。
> >明日施設にクレーム付けると言っていましたが?
> >
> >写真のカットしないでしょう!施設&厚労省
> 推測でいっちゃいますと、医政局 政策医療課で勝手に写真を使用したとは思えませんので、――多分、ですが――施設側から提供されたものを使用しているのではないでしょうか。
> 施設としては、外科診察風景の女性像は背面像であって、しかも側面から見える顔面もマスクでかなり隠れているので、特に特定しようとしないかぎり特定できないであろうということで、一応プライバシー配慮はされているものとして提供されたのだろうと思います。(施設側の肩をもつわけではありませんけど。)
>
> 施設側には、今後のためにも、きちんと言っておいたほうがいいかもしれませんね。(ペイシェントファーストの精神が足りとらんのじゃと思ってしまうよね!)
>
> そちらの療養所の医療現場ではインフォームドコンセント(IC)はきちんとなされていますか?
*******
*ETさん久し振りですね、昨日北風さんと、電話で15分程話しました。

>>問題そこなんです。

>>施設が厚労省に送った意図は、おそらく推測ですが?
>>ちかじか、園に病院機能評価が入ります。

>>それで、本省にゴマすりでしょう!

>>でも本人の同意は得ていません。

>>HPの写真を持って行きます。
>>私は、施設幹部(園長・副園長・総看護師長)嫌われいます。

>いろいろ外部から、意見言いますので!
>>他の方(職員&自治会&入所者)誰も正しい意見言えません。

>>作日知人の医師にHPを読んで下さいとメール入れました。

>>先輩医師から〜読んで、笑っていました。
>>知人は園長の性格良く知っている医師です。
>>また明日は施設と喧嘩になるでしょう((笑))


[2234] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/09/05(Sun) 19:36  

>写真は一番嫌いだそうです。
>明日施設にクレーム付けると言っていましたが?
>
>写真のカットしないでしょう!施設&厚労省は?
>このような写真をHPに記載することは?法律では、どう解釈しますかね!

推測でいっちゃいますと、医政局 政策医療課で勝手に写真を使用したとは思えませんので、――多分、ですが――施設側から提供されたものを使用しているのではないでしょうか。
施設としては、外科診察風景の女性像は背面像であって、しかも側面から見える顔面もマスクでかなり隠れているので、特に特定しようとしないかぎり特定できないであろうということで、一応プライバシー配慮はされているものとして提供されたのだろうと思います。(施設側の肩をもつわけではありませんけど。)

施設側には、今後のためにも、きちんと言っておいたほうがいいかもしれませんね。(ペイシェントファーストの精神が足りとらんのじゃと思ってしまうよね!)

そちらの療養所の医療現場ではインフォームドコンセント(IC)はきちんとなされていますか?
最近は、医療機関はどこでも神経質なぐらいにICが履行されています。たとえば何か検査をする場合でも、○○を調べるために◇◇の検査をやらせてください、とか、◇◇検査をやりたいのですが、やっていいですか、と言って本人の同意を得てから検査申込書に記載して予約する、そんな具合です。採血する場合でも、氏名確認して、では採血させてくださいね、みたいな感じになっていますよ。

私は二十数年前、術中ビデオ撮影をされたことがありますが、その時も、事前にちゃんと医師から学会発表のためビデオ撮影をさせてくださいという申し出がありました。
術後も写真を結構撮られましたけど、すべて同意の上でした。

写真の無断使用とICとが直接的に関連するわけではありませんけど、でも、日常臨床においてICの考え方が行き届いていたなら、こういった無断使用なども起こらなかっただろうと思われます。
クレーム申し立て、ガンバレ!(←フレー、フレー、と煽ってます)




[2233] Re:[2232] [2231] 無題 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/09/05(Sun) 18:27  

> > 先ほど、「ハンセン病対策の推進」予算と、
> > 厚生労働省の「国立ハンセン病療養所医師募集パンフレット」(2010年8月発行)を覗いてきました。
> >
> > パンフレット:http://www.mhlw.go.jp/general/saiyo/hansen-doctor-pamphlet.pdf
> >

********************

今日園に行って来ました。

厚労省のHP(外科)での治療中の女性に会って来ました。

写真は一番嫌いだそうです。
明日施設にクレーム付けると言っていましたが?

写真のカットしないでしょう!施設&厚労省は?
このような写真をHPに記載することは?法律では、どう解釈しますかね!


[2232] Re:[2231] 無題 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/09/04(Sat) 22:19  

> 先ほど、「ハンセン病対策の推進」予算と、
> 厚生労働省の「国立ハンセン病療養所医師募集パンフレット」(2010年8月発行)を覗いてきました。
>
> パンフレット:http://www.mhlw.go.jp/general/saiyo/hansen-doctor-pamphlet.pdf
>
> 2010年5月現在、国立13園の入所者数は2,427名、平均年齢80.9歳

***************

>>何故!奄美和光園なの!

>>私自身は良い施設と言い難いが?
>>何故だろう!

>>看護科等は、何かにおびえて仕事していますが?

>>このような写真を何故だしたのでしょう!




[2231] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/09/04(Sat) 17:20  

先ほど、「ハンセン病対策の推進」予算と、
厚生労働省の「国立ハンセン病療養所医師募集パンフレット」(2010年8月発行)を覗いてきました。

パンフレット:http://www.mhlw.go.jp/general/saiyo/hansen-doctor-pamphlet.pdf

2010年5月現在、国立13園の入所者数は2,427名、平均年齢80.9歳


[2230] Re:[2229] 無題 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/09/04(Sat) 15:41  


>
> 確かに、医師や看護師の欠員が恒常化しているというのは早急に解決されるべき問題である。
> しかし、「生存権を否定するが如き」というのはどうだろう? 
> 全療協会長ご自身が仰っているように、「長年、蓄積されてきたハンセン病療養所特有の看護・介護制度」は、まさに“ハンセン病療養所特有”の看護・介護制度であって、一般の高齢者や疾病障害をもつ者に適用されている制度に比べ、“特別”に厚いものとなっている。医療と看護・介護をすべて無償で保障されている「療養権」についても、同様である。
>
> ハンセン病問題の解決の促進に関する法律(平成二十年六月十八日法律第八十二号)[基本法と略称]によれば、
> (国立ハンセン病療養所における医療及び介護に関する体制の整備のための措置)第十一条は、
> 「国は、医師、看護師及び介護員の確保等国立ハンセン病療養所における医療及び介護に関する体制の整備のために必要な措置を講ずるよう努めるものとする。
> 2  地方公共団体は、前項の国の施策に協力するよう努めるものとする。」
> である。
>
> 「生存権」は、もちろん、全国民が日本国憲法のもと、保障されている。
> くわえて、ハンセン病療養所の入所者には、「療養及び生活」と「良好な生活環境の確保」も保障されており、さらに基本法第十三条では、(福利の増進)として、
> 「国は、入所者の教養を高め、その福利を増進するよう努めるものとする。」
> と、入所者の「教養を高める」ことまで、「国」が努めるものとしている。
>
> 現時点でもハンセン病療養所では一般の高齢者や疾病障害者に比べ、法的に、療養権から“教養権(?)”にいたるまで格段に手厚く保障されており、相当バランスを欠く適用となっている。ハンセン病療所の入所者数が年ごとに減少していくなか、「在園保障」の「基本方針の確認」として、「定員削減対象からの除外、賃金職員の定員化」などが協議されているようだが、この協議内容がもし実施されるなら、アンバランスの拡大となることは間違いない。入所者数は徐々に減少していくのに、定員削減対象から除外せよというのは、普通に考えておかしくはないか? それでも、「私たちは実力行使を含むあらゆる手段を駆使し、死に物狂いでこれを阻止する決意です。」と言うのはもちろん自由だけれども、どうも納得できない。
> 必要な定員を満たせという要求ならむろん理解できるし、納得である。こういっただれもが理解できる要求はどしどしやるべし、である。
> 余計なことをいえば、入所者の「教養を高める」ことは入所者自身の課題ではないかしらんと思ったりもするのだが、入所者は、これについては、国に何をどう努めるように求めているのだろう?


>>私はETさんに一表です。

確かに全療協会長の言わんすることは、解らないでもないが?奄美和光園は入所者47名対し、医師3名それに職員数(賃金含む)120名位います。

私の私見ですと、職員は足りていると思うし、施設側トップは、一人でも、数を減らして行くように思える。

その中で、賃金職員は、園を辞めたら、明日から、職場がなるから、現在の仕事にしがみつているのが、現状です。
全療協様、13園のデータの下ではなしているのですか、伺いたいです。




[2229] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/09/03(Fri) 16:30  

◇2010年8月1日発行「全療協ニュース」No.955で、全療協会長:神未知宏氏は次のように述べている。
――今年は私たちの生存権を否定するかの如き合理化政策がまた新たにハンセン病療養所に及んでくる予兆があります。それは人事院勧告という名のもと、実質的に療養所を支えている850人にも及ぶ「臨時職員の雇用適性化」と称する問題です。
 この勧告が導入されれば長年、蓄積されてきたハンセン病療養所特有の看護・介護制度の瓦解を招くことは必至で、私たちは実力行使を含むあらゆる手段を駆使し、死に物狂いでこれを阻止する決意です。――

また、同じNo.955で、全原協会長:谺雄二氏も――医師欠員は恒常化し、看護師欠員も増すばかり、さらに介護員は定員削減、うち賃金職員の場合は長年、処遇据え置きのうえ今年、人事院勧告によりクビ切りの危機にあります。――と述べている。

確かに、医師や看護師の欠員が恒常化しているというのは早急に解決されるべき問題である。
しかし、「生存権を否定するが如き」というのはどうだろう? 
全療協会長ご自身が仰っているように、「長年、蓄積されてきたハンセン病療養所特有の看護・介護制度」は、まさに“ハンセン病療養所特有”の看護・介護制度であって、一般の高齢者や疾病障害をもつ者に適用されている制度に比べ、“特別”に厚いものとなっている。医療と看護・介護をすべて無償で保障されている「療養権」についても、同様である。

ハンセン病問題の解決の促進に関する法律(平成二十年六月十八日法律第八十二号)[基本法と略称]によれば、
(国立ハンセン病療養所における医療及び介護に関する体制の整備のための措置)第十一条は、
「国は、医師、看護師及び介護員の確保等国立ハンセン病療養所における医療及び介護に関する体制の整備のために必要な措置を講ずるよう努めるものとする。
2  地方公共団体は、前項の国の施策に協力するよう努めるものとする。」
である。

「生存権」は、もちろん、全国民が日本国憲法のもと、保障されている。
くわえて、ハンセン病療養所の入所者には、「療養及び生活」と「良好な生活環境の確保」も保障されており、さらに基本法第十三条では、(福利の増進)として、
「国は、入所者の教養を高め、その福利を増進するよう努めるものとする。」
と、入所者の「教養を高める」ことまで、「国」が努めるものとしている。

現時点でもハンセン病療養所では一般の高齢者や疾病障害者に比べ、法的に、療養権から“教養権(?)”にいたるまで格段に手厚く保障されており、相当バランスを欠く適用となっている。ハンセン病療所の入所者数が年ごとに減少していくなか、「在園保障」の「基本方針の確認」として、「定員削減対象からの除外、賃金職員の定員化」などが協議されているようだが、この協議内容がもし実施されるなら、アンバランスの拡大となることは間違いない。入所者数は徐々に減少していくのに、定員削減対象から除外せよというのは、普通に考えておかしくはないか? それでも、「私たちは実力行使を含むあらゆる手段を駆使し、死に物狂いでこれを阻止する決意です。」と言うのはもちろん自由だけれども、どうも納得できない。
必要な定員を満たせという要求ならむろん理解できるし、納得である。こういっただれもが理解できる要求はどしどしやるべし、である。
余計なことをいえば、入所者の「教養を高める」ことは入所者自身の課題ではないかしらんと思ったりもするのだが、入所者は、これについては、国に何をどう努めるように求めているのだろう?



[2228] 物議・第二弾 投稿者:北風 投稿日:2010/09/03(Fri) 09:36  

今朝、栗生のKさんから、電話。
例の、オカノさんの論考に対し「第二の惰眠論」ではないかということであった。
そういう位置づけをしたらしい。しかし、小生としては、「惰民論」についてもきちんと再評価すべきであると思っている。
Kさんは、かんかんである。最後に、「覚悟しろよ」といって電話を切られた。

覚悟しないといけないらしい。




[2227] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/08/31(Tue) 19:06  

「自己陶酔サイト」というカキコに、鋭い突っ込みを期待したのは、期待しすぎだったのじゃない? ほんとうに言いたいことがあれば、新世紀エヴァンゲリオンさんもまた書きにきてくれるでしょう。
それに、「ハゲみ」という語の片仮名表記部分に対して、ビックリマークを4つも使うなんて、これも過剰反応なんじゃない?
昭和21年でしたっけ、『世界』11月号に桑原の「俳句第二芸術論」が載ったとき、虚子は「俳句は第二十芸術ぐらいのところ、それを桑原は十八級特進させてくれたのだから結構じゃないか」といったというんですね。
それとこれとじゃ話がちがうかもしれないけれど、サイト運営者として、もう少しデンとしておられたほうがいいように思いますけど。

自己陶酔――これはサイトに対する評ですから、北風さんひとりが言われたのではありませんね。

まあ、言われれば痛いことばというのがあるのは確かですけど、でも、言いたいことがある人は、やっぱり言ったらいいのです。
新世紀エヴァンゲリオンさん、何か言いたりてないことはないの?



[2226] 自己陶酔について 投稿者:鈴虫 投稿日:2010/08/31(Tue) 14:10  

>自己陶酔サイト
まず断っておきますが、このサイトが自己陶酔サイトという意味ではありません。自己陶酔かどうかはおいときまして
わたしも自己陶酔は誰でもあると思います。
たとえば、シンガーは自分の歌に陶酔し、その波動が観客にも伝わる。観客も歌手の歌に聞き惚れ陶酔する。そこに一体感が生じる。
ある歌人が自分の歌を詠みながら、涙を流したことが記されていた。それは自分の歌を読んだ読者が自分の歌に感動している姿をあたまに描いているのでありそこには自負がある。自己陶酔に浸るとき相手を意識しているのである。
民衆に向かってメッセージを語る演説者は自分の演説に人々が興奮し、拍手するのをみて、陶酔し勝利感に浸る。
芸術家は人々が自分の作品に感動する。それが、人生の喜びではないでしょうか。

>人は、誰しも周囲から評価されたい、みとめられたい、という願望を持っていると思います。

わたしもそのとおりだと思います。そこで、以前松本馨さんのことが論じられてましたが、
松本さんは周囲から評価されたい、認められたいという願望をもたない、ごくまれな人だと思います。
松本さんは著作集「いのちの重み」で
「私は「いのちの重み」が現代人に理解されるとは思っていない。らい患者の書いたものとして問題にされないだけでなく、気違いか被害妄想患者の書いたものとして無視されるであろう。それを承知の上で書いた。」
と述べておられます。
また自分の著作集を英訳してほしいとおっしゃっています。
それは世界の人々が自分の著作集を読んで、高く評価し、感銘を受け称賛されたいと願っておられるのではないことは明確である。
「語らなければならない」使命感のようなものをもっておられるのだと思います。

>民衆に向かってメッセージを語る演説者は自分の演説に人々が興奮し、拍手するのをみて、陶酔し勝利感に浸る。

と述べましたが、宗教家といわれる人でさえ例外ではないと思います。某牧師は「わたしは、耳触りのよい、人に喜ばれるようなメッセージを語りたいのだが、人々を正しい方向に導くためには苦言を呈さなければならない」
松本馨さんと同じような心情なのでしょう。





[2225] Re:[2224] 自己陶酔サイト 投稿者:北風 投稿日:2010/08/31(Tue) 12:54  

>
> いいじゃないですか。それがハゲみになる。

だれだ!
「ハゲ」をわざわざカタカナにしやがって!!!



[2224] 自己陶酔サイト 投稿者:貞子 投稿日:2010/08/31(Tue) 12:00  

> > > どう見ても、自己陶酔サイト
> >
> > うむ。
> >
> で?
>
> 「新世紀エヴァンゲリオン」なんて、自己陶酔もいいとこ名乗っているのだから、鋭い突込みを繰り出してくるのかと思ったら、尻きれトンボか。
> 期待はずれですね。
>

いいじゃないですか、「自己陶酔サイト」。
人は、誰しも周囲から評価されたい、みとめられたい、という願望を持っていると思います。

周囲が評価してくれないなら、自分で評価してあげる、自分で自分を褒めてあげる。

いいじゃないですか。それがハゲみになる。

自己陶酔、自己満足。おおいにけっこう!
と思いますよ。


[2223] Re:[2222] [2221] 無題 投稿者:北風 投稿日:2010/08/30(Mon) 08:03  

> > どう見ても、自己陶酔サイト
>
> うむ。
>
で?

「新世紀エヴァンゲリオン」なんて、自己陶酔もいいとこ名乗っているのだから、鋭い突込みを繰り出してくるのかと思ったら、尻きれトンボか。
期待はずれですね。





[2222] Re:[2221] 無題 投稿者:北風 投稿日:2010/08/27(Fri) 14:28  

> どう見ても、自己陶酔サイト

うむ。



[2221] 無題 投稿者:新世紀エヴァンゲリオン 投稿日:2010/08/26(Thu) 21:46  

どう見ても、自己陶酔サイト


[2220] 無題 投稿者:北風 投稿日:2010/08/26(Thu) 07:27  

アネックスは開いているよ。



[2219] Re:[2213] [2200] ご苦労  Re:[2198] 李君の 投稿者:ユン 投稿日:2010/08/25(Wed) 21:27  

> > > 書き込みは、読まずに削除しました。
> > > 今後もします。
> > > 削除はしないポリシーですが、李君に限って何の痛痒も感じません。
> > >
> > 本気です。せっかく書いて認証文字列を入力しても徒労です。
> > 盗人猫のように何とか潜り抜けても、退社から翌朝の出社までの間です。
> >
>
> なし崩しにしません。
> 甘ったれないように。

# わかった。それで梵がくるアネックスになんとかつなぐ方向で検討してくれよ。
 国体前夜だが、おいらの地元の選手が、インターハイと、都道府県対抗大会で、一人、優勝。さらにもう一人も優勝。他にも5位が出た。マラソンに匹敵するロードレースでは最後まで先頭集団に食い込み14位。自転車部隊が大暴れ。今年は千葉国体。来年は地元の山口。
>


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