ハンセン病の闘いの歴史に学びともに考えるBBS
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[2217] 物議を、ですか 投稿者:ET 投稿日:2010/08/25(Wed) 10:18  

ふ〜ん、“物議”を、ですか。
私はまた、全集第9巻を購入しないであろう人のうち、一人でも二人でも、おかの・ゆきお氏のこの文章にふれてほしいと思い、「傍観者の感想 おかの・ゆきお(ハンセン病文学全集第十回配本月報より一部抜粋)」を、某板で紹介させていただきました。(ぬぬぬ、反応はひとつもありませんでしたけど。それはそれで、別の問題としておいといて。)

なにがなんだかよくわかりませんけど、つまり、原告団にとって、おかの氏のような見方・考え方は、「臭いもの」なのでしょうか? で、当事者みずから、臭いものに蓋をしときたいってことなのかしら?(もしかして、私、何か失礼なこと言ってます?)
あの文章の「内容」が「光田擁護論」としてしか読まれなかったのだとした、そちらのほうがよほど問題だと思いますが。

>全集で、ハンセン病文学がはじめて世に出て行くのに、一般の人に、この程度だと思われるのがわたくしにはくやしくてなりません。

についていえば、あらら、あなたは「一般の人」じゃないわけね、って感じで、ちょい驚き。「この程度」って、普通、なかなか言えませんよねぇ、いったいどの程度なんでしょ?
虚心に読むってことは、とてもむずかしいことなんざんしょね。


[2216] 物議 投稿者:北風 投稿日:2010/08/24(Tue) 10:02  

文学全集9巻の月報のオカノさんの文章が物議をかもしているらしい。
********************************************************
ハンセン病文学全集第9巻に「傍観者の感想」おかの・ゆきお氏のしおりが付いております、その内容は光田擁護論でありますが、原告団として看過できない内容が随所に書いてあります。

文学全集を出したのは営利であり、何等出版そのものには問題はありません、なぜ皓星社が光田擁護しおりをつけたのか謝罪と撤回を求めていただければと思います。
********************************************************
予想しなかったわけではないので、表面化したら誠実に対応しようと思うが、文学全集が当事者に「営利」といわれるのも苦笑いである。

そういえば、文学全集の編集をめぐって以下のような意見を述べられた方もいる。
********************************************************
全集で、ハンセン病文学がはじめて世に出て行くのに、一般の人に、この程度だと思われるのがわたくしにはくやしくてなりません。
********************************************************
この思い込みと唯我独尊がどこから来るのか知らないが、これも苦笑いするしかない。




[2215] 編者をおみまい。 投稿者:北風 投稿日:2010/08/22(Sun) 18:44  

編集委員の一人、某先生が入院中なので、自宅に送った全集を目にしていないだろうと思って、お見舞いにS病院に。
第一回配本から8年が経過した、その8年の重みを実感する。横たわっていたが、声を励まして「おめでとう」といっていただいたが、ちょっと胸が詰まった。平癒を祈るばかりだ。
鶴見さん去年死にかけたけれど、今年は元気との便りだ。さすが悪党である。秋になったらたずねてみよう。
みんないつまでも元気でいてくれ。



[2213] Re:[2200] ご苦労  Re:[2198] 李君の 投稿者:北風 投稿日:2010/08/21(Sat) 10:44  

> > 書き込みは、読まずに削除しました。
> > 今後もします。
> > 削除はしないポリシーですが、李君に限って何の痛痒も感じません。
> >
> 本気です。せっかく書いて認証文字列を入力しても徒労です。
> 盗人猫のように何とか潜り抜けても、退社から翌朝の出社までの間です。
>

なし崩しにしません。
甘ったれないように。



[2212] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/08/20(Fri) 23:38  

[2209] 言い訳 投稿者:北風
>「元埼玉県民」さんにレスをつけようと思っていろいろ考えてどつぼにはまっています。
>書こうちゅう気持ちはあるんですが、今はそのことだけ言い訳しときます。

[2208] 差別と偏見と隠蔽体質 投稿者:元埼玉県民
>自分が良ければそれで良い、臭い物には蓋、自分達と異なる物は排除、事なかれ主義。
>日本に古くから根付く思想であり文化ですが、社会を牽引する立場の方々はそうであって欲しくないと願います。

[2207] ハンセン病差別をなくすためにも 投稿者:山口邦明
> 心苦しいお願いですが。

・・・*・・・*・・・
[2207][2208]を読んでいったんレスのようなものを書きかけたのですが、消してしまいました。
でも、「言い訳」を、ひとりこの板の運営者だけにさせて、ノウノウとしてるのもなんですから、ドツボに落ち込まないように、さっといってみます。
(こういうことはみんなで「ともに考え」ていかなくてはいけないことです、それだけははっきりしています。)

・[2207]につていえば、ちっとも「心苦しいお願い」などではないはずです。それなのに、なぜ「心苦しいお願いですが。」と言わねばならないのでしょうか? 多分、周りが、そういえる雰囲気ではないから、当然のことが当然のこととして通らないような雰囲気があるからではないでしょうか。
学校では、人権教育として、子供たちに「偏見・差別はいけません」と教えているはず。
地方自治体や団体の職員や学校教師でなくとも、地域の大人たちは、子供たちに、地域社会生活のさまざまな場面を通して、偏見・差別をしてはいけないということを、身を以て示していかなければならないはずです。それなのに、いったいどうなっているのでしょう。
「部落の職員は生まれつき障害者で、仕事で失敗を繰り返して迷惑だ。早く依願退職しなさい。」
という言い方には、「部落」差別、先天性の疾病や障害をもつ「障害者」に対する差別、「仕事で失敗」した人たちに対する差別が、明らかに表れています。

・[2208]について、日本国憲法に照らしていえば、主権在民のはずですから、本来的には、社会を牽引するのは主権者たる国民ひとりひとりでなければならないはずで、ほんとうは、主権者たる国民が社会を牽引していくべきなのです。(けれども、それができていないということ。)
だから、「社会を牽引する立場の方々はそうであって欲しくないと願」っていて、「偏見や差別」に悩んだことがあるのならなおさら、偏見・差別をしない/してはいけない、と言明しつづけていくべきだろうと思います。ひとりひとりがこうした自覚にたってモノを言っていくことからしか始まらないように思うのです。

では、そう言ってる私に何ができているかといえば、何もできていなくて、困ってしまうのですが。
まず自分自身の疾病障害に甘えない、負けない、でいこうという思いはあります。
そして、困難に遭っている人だけでなく、誰もが思いを言っていくこと、互いにそういうことを言いあえる場をつくっていく、というふうなことをできるだけやっていきたいと思っています。
なんともカッコウのわるいモノ言いしかできませんが…。



[2209] 言い訳 投稿者:北風 投稿日:2010/08/20(Fri) 21:06  

「元埼玉県民」さんにレスをつけようと思っていろいろ考えてどつぼにはまっています。
書こうちゅう気持ちはあるんですが、今はそのことだけ言い訳しときます。



[2208] 差別と偏見と隠蔽体質 投稿者:元埼玉県民 投稿日:2010/08/12(Thu) 13:39  

とある深夜のドキュメンタリー番組を拝見し、ハンセン病について色々調べていて、このサイトへ辿り着きました。

私は学生の時に精神科への通院をしていた事が有り、地方であった事も有り、自らの病と今から思えば軽度であったと感じますが偏見や差別に悩んでいた時期が有りました。

療養所内の火葬施設や納骨堂、そして監護施設の写真を見ると
悲しみではなく、国家、政府への強い憤りを覚えます。

全ての人間は法の下に平等なはずで公開された法廷にのみ人を裁く権利が有るはずですが、国民の知らない所で特例を設けて人権を侵す。

健常者にとっても明日は我が身だと思うべきでしょう。
日本国は何か理由を付けては法を超えて人権を侵すと。

私は精神科病院に入院している時に、何度も患者が職員に暴力を加えられているのを見た事があります。

自分が良ければそれで良い、臭い物には蓋、自分達と異なる物は排除、事なかれ主義。
日本に古くから根付く思想であり文化ですが、社会を牽引する立場の方々はそうであって欲しくないと願います。




[2207] ハンセン病差別をなくすためにも 投稿者:山口邦明 投稿日:2010/08/08(Sun) 10:22  

> 心苦しいお願いですが。
>
> 人権啓発活動の先導役であるべき大分県庁の幹部職員たちが、部落差別を長年に
> 渡って続けています。
>
> 前の大分県水産試験場の伊島場長と浅海研究所の羽田所長が、同和地区の県職員
> の自宅へ押し掛けて行き、「部落の職員は生まれつき障害者で、仕事で失敗を繰
> り返して迷惑だ。早く依願退職しなさい。」と退職を強要する事件が起きました
> 。現在の大分県水産研究部の田森所長も、「同和の職員は水産の県職員として不適格
> だ。」などと大分県人事課へ報告を続けて、分限処分の対象にしてしまいました。
> そして、大分県職員の指導者でもあるべき大分県人事課の諏訪人事企画監までもが、先日の
> 職員調査で「同和行政に対する県民の目を厳しいから、同和地区の職員が過ちを
> 犯したら反省の態度を示して依願退職するべきだ。」などと差別による偏見が先
> 行した職務命令を出しました。
>
> このような差別意識が強い大分県の幹部職員に対して、部落差別をしないように
> 指導をお願いします。
> 大分県庁人事課の連絡先は、Tel:097-506-2305(人事班)です。

この大分県の幹部職員による行為は、許せません。大分県人事課の人事企画監たちまでもが差別者
だったらと考えると人権問題を扱うことなど不可能でしょう。大分県人事課の人事企画監や水産研
究部の幹部職員たちを訴えなければならないと感じました。たしかに、法律の整備が遅れているの
は事実ですが、部落差別を放置して良いということはあってはならないことだということは憲法に
照らし合わせても分かることでしょう。泣き寝入りしているわけにはいきませんから、部落解放同
盟連合会など、大分県の知事部局とは立場を異にした機関へ相談します。
部落差別は、国をあげて無くそうと取り組まねばならないことなのに、行政や法律を扱うところや
大分県議会などで話題にすらできていないとすると、世界の国々から非難されてもしかたがないと
思えてきます。人権文化をしっかりしたものにできるよう、法律の整備をはじめとして、啓発活動
を充実するなどの対策について真剣に考えていきたいと思います。


[2206] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/08/08(Sun) 02:38  

>>文化功労者も大新聞もこの記事が米英人にどう読まれるかに気を配って頂きたいのです。

↑どうもひっかかるので、やっぱり書いておきましょう。
(どう読まれるかしれませんけど)

これって、文化功労者も大新聞も、米英人にどう読まれるかに気を配ってモノを言え、と言ってるように聞こえます。
つまり、米英人の顔色をうかがえ、と?

何を受け入れるか――
日本は核の傘を受け入れております。
米軍基地を受け入れております。

ネロの民はネロの民、ちゅう言葉があったのを思い出しました。


[2205] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/08/07(Sat) 19:39  

あらら、失礼。
「英米人」ではなく、「米英人」と書くべきでした。


[2204] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/08/07(Sat) 19:35  

>>悪意に発する投稿とアダルト関係の投稿は削除させて頂きますのでご了承ください。

>おいらは「悪意」と判定されたようだ。

私は読んでいませんけれど、このカキコからみますと、とても「悪意に発」した投稿とは思えません。
もしかしたら、“アダルト=成人”の意見とみなされたのでは? もしくは、たんに管理者にとって受け入れがたい投稿だったのでしょうか?

英米人に読んでいただく以前に、わが国の人々に読んでいただきたいものですわ。
かくいう私は、今日もまだ戦後と認識しています。



[2203] 削除 投稿者:北風 投稿日:2010/08/07(Sat) 18:55  

小生は、李君の書き込みは削除します、と宣言しています。

ところが、小生も削除される羽目になった。

朝日新聞のコラムの、日本人は戦争被害についてもっと怒るべきだという趣旨に、なにやら屈折した反論を書いている人がいた。
小生は、ことさら趣旨に反対はない。日本の戦争被害に怒ることが、日本の加害に対する被害者への想像力をいわば担保するし、戦争被害は、そのときだけでなく、今日まで続いていて過去の話ではない(ことに基地問題)と書いたら、これに対しての「反論」に下記の一行があった。

>文化功労者も大新聞もこの記事が米英人にどう読まれるかに気を配って頂きたいのです。

英米人にこそ読ませたい話で、そんな斟酌は不要だと書いたら削除された。そういえばこの人は、許しやら愛について書きながら、かつて小沢に対しては「聖処女と野獣(?)」と最大限の憎悪をむき出しにしていた。ちなみに「聖処女」ちゅうのんは、谷亮子のことでした(笑)。

この掲示板は、下記のような宣言をしている。

>悪意に発する投稿とアダルト関係の投稿は削除させて頂きますのでご了承ください。

おいらは「悪意」と判定されたようだ。





[2202] あきれる 投稿者:通信社 投稿日:2010/08/07(Sat) 01:46  

しかし、なんだねぇ。ユン氏の原稿は雑だねぇ。
文章そのものもだが、裏づけが希薄な内容だ。
ガキの感想文じゃあるまいし。

管理人殿。ユン氏の記事削除の場合、これも削除してください。


[2201] 最新のゲラじゃ。「聖母の騎士」出るぞよ。わっははははは。 投稿者:ユン 投稿日:2010/08/06(Fri) 20:48  

削除しますが、上の投稿の意味がわからなくなるので、全文消去します。



[2200] ご苦労  Re:[2198] 李君の 投稿者:北風 投稿日:2010/07/21(Wed) 19:53  

> 書き込みは、読まずに削除しました。
> 今後もします。
> 削除はしないポリシーですが、李君に限って何の痛痒も感じません。
>
本気です。せっかく書いて認証文字列を入力しても徒労です。
盗人猫のように何とか潜り抜けても、退社から翌朝の出社までの間です。




[2199] 第9巻が印刷所から届くのを待っています。 投稿者:北風 投稿日:2010/07/20(Tue) 09:25  

この、全集は著者は3000人、編集にかかわった人も50人はくだらない。資金的にも、公には小学館の「児童教育振興財団」からの助成金、個人的な援助、いつ完結するかもわからないのに全巻前払いしてくれた多くの読者、手弁当の編者、太っ腹な印刷所の社長などおびただしい人たちの協力で完成した。感謝申し上げます。

一方、おいらが「感謝」するのは筋が違うという思いもある。
それは、何よりもこの全集の主人公は延べ三千人にのぼる著者たちであって、おいらはそれをまとめる手伝いをしたのに過ぎない、あくまでも黒子にすぎないという思いがあるからだ。黒子であるからには、この間のさまざまな出来事や思いは表に出ることはない。しかし、表に出ることはないがゆえにかえって、大事な記憶として残る。

この全集は、1000冊の単行本を10冊に圧縮したアンソロジーであって、さらにその背後に各園機関誌、園外の歌誌、俳誌、同人誌などがあり、そこには単行本にまとめられなかったおびただしい作品があるはずである。
この「全集」が道案内になって、それらの作品群を掘り起こす読者が続くことを願っています。




[2198] 李君の 投稿者:北風 投稿日:2010/07/20(Tue) 08:26  

書き込みは、読まずに削除しました。
今後もします。
削除はしないポリシーですが、李君に限って何の痛痒も感じません。



[2197] 本編担当の大岡信氏が予後のリハビリ中のため本稿をもって解説にかえさせていただきます。 投稿者:(文責・編集部) 投稿日:2010/07/13(Tue) 11:32  

   解説に代えて
俳句が座の文芸であってみれば、人の寄るところおのずから運座ができる。しかし、それが単なる手慰みではなく、文芸として成り立つには適切な指導者が不可欠である。
幸い、療養所では「院長以下みな句作者やはなこぶし」(大田あさし)と詠じられたように、職員にも俳句をたしなむ人も多く、そうした人を通じ早くから優れた俳人が入所者の指導に当たった。ハンセン病といえば「偏見差別」という先入観があり、そのことは動かし難い事実ではあるが、実に多くの俳人や句誌、同人誌が療養所の俳人との交流を行っている。
本稿では、俳句の鑑賞については、読者にゆだねるとして、多くは十年二十年、あるいは生涯をかけて療養所の俳人たちと交流し支援した人々の存在のあったことを指摘しておきたいと思う。また、これは俳句に限ったことではなく、短歌や詩などの文芸家活動全般にわたることであり、あるいは文芸に限らないことでもある。
こうした人たちの生涯をかけた行為が、決して単なる「救癩」意識というようなものからくるものなどではないことも指摘しておきたい。

かつて、詩人の村松武司は栗生楽泉園の詩話会の選者になったとき、高原の詩人たちにこう書き送った。
「(略)ひとは自分を加害者に列には加えたがらぬものです。悲劇が生ずれば、被害者の立場を錯覚します。
しかし被害者は同時に、したの部分に対し加害者の面 をもつのが普通です。(略)正直に告げて、今も私は加害者です。自己紹介ですから申したいのですが、かつて軍人であり、かつて植民者であり、いまはビルに 住む都会生活者です。ハンセン氏病の歴史は、私が申すまでもなく、アフリカからアジアにわたる屈辱が示すとおりです。いまわたしが、あなた方との間に横たわる河と崖を越えるとするならば、植民者、軍人、その他もろもろの自分の現代史の中のふるき勝利、新しき受益と戦うこと以外にありますまい。それはあなた 方の作品から学ぶことからはじめられるでしょう」
この姿勢は、療養所の文芸とかかわる多くの作家たちに共通するものといっても言い過ぎではないだろう。後述の、本田一杉は「俳句救癩」という言葉を使っている。しかし、それは、おおいに時代の制約からであって、その行動と発言の中から真意を探る読み方を、特に、予防法廃止、国賠裁判勝利以後のわれわれは謙虚に心がける必要があるのではないか。


  斎藤俳小星
全生病院の俳壇の指導者・斎藤俳小星は本名を徳蔵といい明治一三年に所沢町(現・所沢市)で生まれた。
ながく所沢町役場の収入役を務めた地元の名望家であった。大正半ばころからの春秋の俳句会には近隣の俳人を引き連れて、内外の交流をはかった。
高浜虚子門下で虚子に「百姓のことは俳小星に聞け」と言われた「農の作家」だった。
小星とは、お妾のことで、自分は俳句のお妾の意味であると、林芳信園長に語ったとある。また、「ホトトギス」の挿絵や短冊に俳画もよくしたという。

 春泥や蚕神まつりの畠道
 日帰りは老躯に難儀秋遍路
 麦僅か干し葵咲き家貧し
 太祖よりこの地動かず鍬始
 素麺やもてなし出来ぬ申訳

全生病院(多磨全生園)「芽生会」発会以来、太平洋戦争中に空襲を避けて三河の花蔵寺に疎開した数年を除き、所沢に帰るとすぐに雑詠の選を再開し最後まで選に当たった。昭和三九年一一月一六日早暁逝去。享年八二。
芽生会の追悼句。

 星消えて霜おく木々の虚ろなる   玲人
 菊活けて安らかなれと祈るのみ   暁雨
 紅椿冬日失い紅欝す        梯梧
 師を悼む妻の手借りて菊手向く   城山
 地へ黄金湛え大いなる銀杏散る  信乃夫
 生涯をホ句一筋に菊かおる     松誉
 菊供へ句と在る限り師は死なず   雄峰
 先生の死に愕然として咳はげし   一水
 落柿の大いなりせば悔い深し   伊津子


  本田一杉
本田一杉は、金沢医専在学中から、ハンセン病患者に接し、大正の末ころにはすでに療養所内に句作の集団のあることを知っていた。昭和九年の「ホトトギス」四月号の「診療閑話」で一杉がハンセン病に触れたことが患者の目に留まりその懇請によって長島愛生園を訪問し、爾来、療養所の俳句の指導にあたった。昭和一二年「ホトトギス」が、投句箋のついた五〇銭の「ホトトギス」の購入を投句の条件とし「自由投句制」を廃止し、事実上、患者の投句を制限したことに対し、私財を持って俳誌「鴫野」を創刊し患者の作品発表の場に公開した。戦時中も、患者の発表の場のなくなることを危惧して統廃合に応じず、そのために俳誌仲間との軋轢が生じたと伝えられる。

 恵那に雪三度来たれば里は雪
 秋の蛇岩を濡らして隠れけり
 合掌に柄杓を組めり岩清水
 雲海の果の一碧わだつみか
 み吉野は馬の背の町花吹雪
 稚児の袖口に咥へて放生会

一杉は、昭和二十二年栗生を訪れた際、浅香甲陽の句帳に「肉眼はものを見る。心眼は仏を見る。俳句は心眼あるところに生ず」と書いて励ました。
昭和二十四年一杉が没した後、七月二日長島愛生園の四十余名の俳人たちは「追悼句会」を催した。一杉がハンセン病の俳人たちとの交わりを開始してから一五年がたっていた。

 耳にある亡き師の言葉走馬灯    愛子
 ただ頼む灯のはたと消へ大雷雨   東月
 露の玉心に受けていたりしが    孤石
 露草の強き陽射を失へり      光波
 一杉忌胸に抱いて百合を剪る    新月
 花桐やその足跡の尊とけれ    美智子
 魂ぬけて花ほほづきに佇めり    月歩
 五月雨の夜半に目覚めて師を慕ふ あきら
 師を悼む窓を蛍の飛び交へる    青柳
 張り上げて泣く声欲しや五月闇   梵字


  大野林火
栗生楽泉園では本田一杉の死後、昭和二十五年十月まで中村汀女が、二十五年十月以降、大野林火が選に当たる。林火は二十六年四月始めて栗生を訪問するが、このとき当時の矢嶋園長に、「魂と魂のぶつかり合いでいきます」と語ったと伝えられる。

 タンポポに癩者と影を同じうす
 雀色時雪は光輪持ちて降る
 命惜しむ顔々に映え青山河
 交りを雨月ともにし深めけり
 盲導鈴降誕祭へ道つなぐ

「高原」昭和二六年早春号の選評では「病苦に甘えた悲劇の押し売りはやめて貰いたい」と書いている。
二九年六月の「文芸特集号」の「選後に」の一文では、作句態度を次のように求めている。
「俳句を抒情詩と認識することは、俳句を〈私〉に即くものと認識することと同じである。したがって、それは〈私〉の在り方にかかわるのだ。その点まだまだ〈私〉から離れて遊んでいる句の意外に多かったことは残念である。俳句を高尚なる?遊びごとに終わらしたくない。もっと、自分に引きつけて今の自分を冷厳に見つめて欲しい。自分をとくに意識し、生の証といえる一作一作を示して欲しい」
大野林火もまた、昭和五七年八月二一日没するまで、三二年間「高原」俳句欄の選を勤めた。享年七八。
高原会は、「高原」一二月号に「追悼句」を掲載した。

 師の遺墨掛け秋の暮座してをり   化石
 雁聴いて師の四七日の泊りかな  文次郎
 師を慕う一人一人に秋日差     草人(*)
 日に風に枯向日葵の光けり    春星子
 師とありし歳月黄落月夜かな    武雄
 亡師供養の旅なり萩の日和なる   晃典
 師の言葉泉と共にありにけり    母杖
 白萩の白きはまりし忌日かな    賀子
 奥山の奥まで澄めり七七忌     房枝
 師に遂にお会ひせぬ悔い夜長なる すなほ
  * 小林草人= 小林茂信(栗生楽泉園園長)

すぐれた俳人を輩出した療養所俳壇を支えた、多くの有名無名の俳人の存在と生きようもまた我々の財産として語りつがれていかなければならない。
本編担当の大岡信氏が予後のリハビリ中のため本稿をもって解説にかえさせていただきます。(文責・編集部)


[2196] 15日から。 投稿者:北風 投稿日:2010/07/13(Tue) 10:13  

札幌に行きます。
データベースが北海道は0なので、てこ入れです。
帰りは、五所川原の某坊さんのところをたずねて、ゆるゆる南下してきます。
帰ってきたら、9巻「俳句・川柳」編が出来上がっているはずです。

「焼け跡の青春」は、全集完結後に、村松武司の資料の整理を始めますので、おいおい、感想を書いていこうと思います。




[2195] 連載中断のお知らせ。 投稿者:北風 投稿日:2010/07/11(Sun) 11:07  

筆者の都合により「焼け跡の青春」連載は一回を持って中断します。wwwww

昨日で、ビッグサイトの展示会終了。
金曜日、Tさんの第一回公判にはぜひ鳥取地裁に傍聴に行くつもりだったが、ついに抜け出せなかった。
土曜日、香山末子さんの詩の朗読会が、京橋のギャラリー椿であった。撤収を大急ぎで行って、駆けつける。ああいう、泣かせる演出は参る。
日曜日、少し虚脱感である。






[2194] 焼け跡の青春 投稿者:北風 投稿日:2010/07/05(Mon) 15:00  

未知の人から手紙が来た。
村松武司さんがお亡くなりになっているのを知りました。もしやお墓をご存知でしたら教えてください。お墓参りに行きたい。
村松さんは、私の青春でした。最近、木田元さんの『なにもかも小林秀雄に教わった』というご本が出ましたけれど、私にとっては村松さんはそのような存在でした。

ということは「純粋詩」「造形文学」の時代だ。村松が25,6ならば、この人は18,9の文学少女だったということになる。

いろいろあって、文学ときっぱりと縁を切って結婚したので、その後のことは何も知らないのです。
ごつごつの兵隊靴を履いて、でもやさしくて憧れの人でした。
昨年でしたか、安野光雅さんが新聞のコラムで村松さんのことを書いていらっしゃいました。何でも、ハンセン病にもかかわっていらしたそうで、それなら御社に伺えば、わかるかもしれないと思って。

村松武司が死んで、もう18年だ。18年前に村松の死を知っても、そういう気持ちにはならなかったかもしれない。かつての「いろいろあった」文学少女が、そのころに向き合うのに必要な時間だったかもしれないし、残りの時間を意識しての行動かもしれない。
今年、村松の遺品を子息のS君から預かって、僕が村松と知り合った以前の、焼け跡の青春のにおいを少しばかりかいだときである。あわてて、「純粋詩」「造形文学」のバックナンバーをひっくり返すと確かにその人の名がある。

村松の墓を知らせて、あらかじめご連絡いただいたらご案内しますと書いてしまった。そのはがきがついたその日のうちだろう電話があった。

続く




[2193] 7月刊行。 投稿者:北風 投稿日:2010/07/01(Thu) 15:29  

俳句・川柳編(これで終わり)
 不備もあり見落としも多いであろうが、咎め賜もうな。
          ぬぬぬ、全集なのに目次のノンブルが……

目 次


俳 句

一九二六年
檜の影 第一集… …………… 九州療養所 檜の影會 3
一九三二年
句集 雑林… …… 全生病院 白石天羽子・熊倉双葉編 7
一九三三年
青柚子…………………………… 全生病院 武井柚史 12
一九三四年
句集 日時計… …………………… 回春病院 立田俳壇 14
一九三五年
檜の蔭の聖父… ………………………………九州療養所 18
蕗の芽句集………………… 長崎愛生園 蕗の芽句會 26
一九三六年
草の花句集………………… 九州療養所 草の花会編 28
句集 邱山… ………………… 大島療養所 患者慰安会 34
一九三八年
河鹿集…………………… 身延深敬病院 田中豊久編 37
一九三九年
露草…………………… 九州療養所 水野竹声・民子 41
一九四〇年
俳句三代集……………… 癩予防法協会 田尻 敢編 44
句集 公孫樹… ……………… 長島愛生園 大田あさし 60
一九四三年
鵜飼…………… 大島青松園 邱山俳句会 喜田正秋 62
春眠…………………………… 多磨全生園 早川兎月 63
 一路集… ………………… 多磨全生園 早川一路 64
一九五〇年
白夢 栗生楽泉園… ………… 栗生楽泉園 浅香甲陽 65
一九五一年
句集 草の花… …………………… 九州療養所 草の花 66
句集 真珠… …………………… 長島愛生園 蕗之芽会 68
一九五二年
句集 杖… …………………………… 邱山会 藤田薫水 74
句集 卯の花 第一集………… 邑久光明園 卯の花会 75
一九五三年
河鹿集 第二集… …………… 身延深敬園 田中豊久編 77
東風 邱山会第二句集… ……… 大島青松園 邱山会 79
一九五四年
四十代………………………… 大島青松園 辻 長風 83
一九五五年
句集 火山翳… ………… 栗生楽泉俳句会 大野林火編 85
一九五六年
火星人……………………… 大島青松園 火星俳句会 91
窓俳句………………………… 駿河療養所 窓俳句会 92
一九五七年
年輪………………………… 邑久光明園 卯の花句会 93
句集 芽生… ……………………… 多摩全生園 俳句会 97
一九五八年
河鹿集 第三集… …………… 身延深敬園 渓風俳句会 103
一九五九年
窓 第二集… …………………… 駿河療養所 窓俳句会 105
句集 海綿… …………………… 大島青松園 辻 長風 107
句集 露七彩… ………………… 長島愛生園 青山蓮月 109
句集 巣立… ……………… 東北新生園 新生園慰安会 111
句集 聖痕… ………………… 大島青松園 邱山俳句会 115
句集 窓… ……………… 国立駿河療養所 伊藤朋二郎 118
一九六〇年
合同句集 光風… …………… 菊池恵楓園 光風俳句会 119
句集 そてつ… …………… 奄美和光園 そてつ俳句会 121
一九六一年
句集 麦笛… …………………… 星塚敬愛園 麦笛句会 124
句集 疎林… …………………… 駿河療養所 石浦 洋 127
一九六二年
句集 松風… …………………… 松丘保養園 俳句の会 129
一九六三年
埋火…………………………… 長島愛生園 中江灯子 134
句集盲導線…………………… 菊池恵楓園 平良一洋136
河鹿集 第四輯… …………… 身延深敬園 田中豊久編 137
句集 窓 第五集… ……………… 駿河療養所 鈴木才雄 139
一九六四年
尖 窓六句集… ……………… 駿河療養所 草野京二 139
一九六五年
窓七句集…………… 駿河療養所 山人・たけ子句集 140
句集 雪割… ………… 草津栗生楽泉園 楽泉園俳句会 141
句集 火星人 第二集……… 大島青松園 火星俳句会 145
蘇鉄の実…………………… 沖縄愛楽園 愛楽園句会 148
一九六八年
山本肇句集…………………… 長島愛生園 山本 肇 150
一九六九年
句集 菊守… …………………… 多磨全生園 桂 玲人 153
島の土………………………… 大島青松園 山田静考 154
一九七〇年
遺句集 海紅豆… ……………… 菊池恵楓園 量 雨江 156
句集 そてつ 第二輯…… 奄美和光園 そてつ俳句会 158
合同句集 群礁… ……………… 長島愛生園 蕗之芽会 159
一九七一年
句集 浜蟹の爪… ……………… 沖縄愛楽園 石垣美智 163
句集 埴輪童子… ……………… 星塚敬愛園 中村安朗 165
青木恵哉遺句集 一葉… ……… 沖縄愛楽園 青木恵哉 166
一九七三年
句集 鷹の里… ………………… 沖縄愛楽園 翁長 求 168
一九七四年
海の石………………………… 長島愛生園 須並一衛 170
句集 冬銀河… ………………… 長島愛生園 中江灯子 171
合同句集 心開眼… ………… 全生園多磨盲人会俳句部 172
一九七六年
句集 一代畑… ……………… 栗生楽泉園 高原俳句会 178
句集黄鐘……………………… 長島愛生園 和公梵字182
一九七七年
雀人句集……………………… 菊池恵楓園 松原雀人 184
遺句集 ななかまど… ………… 長島愛生園 中江灯子 186
一九七九年
句集 朝日子… ………………… 菊池恵楓園 原田一身 187
句集 觸るる… ……………… 菊池恵楓園 原田美千代 190
彌撒旦暮……………………… 菊池恵楓園 岡村春草 191
一九八二年
杖國…………………………… 星塚敬愛園 不動信夫 193
山本 肇集 最終船… …………… 長島愛生園 山本 肇 195
一九八三年
須並一衛集 天籟… …………… 長島愛生園 須並一衛 195
渡辺城山遺句集 闘病鬼… …… 多磨全生園 渡辺城山 196
一九八四年
望郷独語……………………… 栗生楽泉園 金子晃典 193
句集 一処不動… …………… 大島青松園 蓮井三佐男 200
一九八五年
句集 喜雨… ………………… 栗生楽泉園 白井春星子 203
句集 天涯の座… ……………… 菊池恵楓園 増 葦雄 204
一九八六年
わがいのちわがうた… ……… 長島愛生園 玉木愛子 207
一九八七年
島葛………………………… 宮古南静園 湧川 新一 209
海の音 山本 肇第三句集…… 長島愛生園 山本 肇 210
一九八八年
句集 寒林… …………………… 大島青松園 桂自然坊 211
雪間…………………………… 栗生楽泉園 後藤一朗 213
父似…………………………… 栗生楽泉園 上山茂子 215
一九八九年
句集 花鳥山水譜… ………… 栗生楽泉園 高原俳句会 216
青浄土………………………… 栗生楽泉園 白井米子 225
句集 望郷… …………………… 多磨全生園 児島宗子 226
句集 ひとつぶの露… ……… 菊池恵楓園 中村花芙蓉 228
一九九〇年
句集 蓼の花… ………………… 多磨全生園 吉田香春 230
片山桃里遺稿集… …………… 多磨全生園 片山桃里 233
一九九一年
句集 遠かもめ… …………… 長島愛生園 蓮井三佐男 234
一九九二年
蕗童子………………………… 栗生楽泉園 後藤房枝 235
句集 鬼やらひ… ……………… 多磨全生園 秩父雄峰 237
盲導鈴 第二部・善… ………… 多磨全生園 氏原 孝 239
一九九三年
句集 冬さうび… ……………… 多磨全生園 金田靖子 241
護身………………………… 栗生楽泉園 白井春星子 242
一九九四年
星浄土……………………… 多磨全生園 杉浦 強編 243
二〇〇〇年
晩晴集………………………… 栗生楽泉園 金子晃典 245
二〇〇七年
村越化石自選八十句… ……… 栗生楽泉園 村越化石 246
解説………………………………………………………………252
著者紹介…………………………………………………………255
テキスト一覧… …………………………………………………301

川柳

一九四〇年
浮雲………………………… 北部保養院 北柳吟社 編 329
一九五五年
ひさご…………………… 大島青松園 ひさご川柳会 341
川柳句集 七草 一集……… 長島愛生園 川柳七草会 345
一九五七年
七草 二集… ………………… 長島愛生園 川柳七草会 346
一九五九年
川柳 こだま… …………………… 東北新生園合同句集 352
一九六〇年
浮雲 第二集… ……………… 松丘保養園 北柳吟社編 358
一九六一年
烏羽玉……………………… 長島愛生園 浜口志賀夫 366
一九六三年
断種(七草三集) … ……… 長島愛生園 大森風来子編 369
一九六五年
番茶………………………… 駿河療養所 番茶川柳会 373
一九六八年
句集 生門… …………………… 長島愛生園 岡 生門 375
一九七〇年
七草 第四集… ……………… 長島愛生園 川柳七草会 377
浮雲 第三集… ……………… 松丘保養園 北柳吟社編 382
一九七二年
ふるさとを捨てて… …… 栗生楽泉園 伊藤柳涯子編 391
一九七三年
句集 白い杖… ………………… 長島愛生園 島 洋介 407
一九七五年
川柳句集 きさらぎ… ……… 松丘保養園 山野辺昇月 409
熟さない木の実… …………… 栗生楽泉園 山本良吉 411
句集 筏… ……………………… 長島愛生園 東 一歩 412
川柳句集 雪の匂い… ………… 松丘保養園 原 七星 413
一九七六年
川柳 春の土… ……………… 松丘保養園 茅部ゆきを 414  
青葉香歩遺句抄……………… 青葉香歩 416
一九七七年
生門 第二集… ………………… 長島愛生園 岡 生門 417
虹のかけ橋…………………… 邑久光明園 合同句集 418
一九七八年
あかね雲……………………… 大島青松園 田中京祐 422
一九八〇年
遺句集 夜の夢昼の夢… ……… 栗生楽泉園 山本良吉 424
浮雲 第四集… ……………… 松丘保養園 北柳吟社編 425
一九八二年
合同句集 高原… ………… 栗生楽泉園 高原川柳会編 429
一九八八年
川柳句集 義眼の達磨… ……… 栗生楽泉園 五津正人 434
一九八九年
川柳句集 偏平足の唄… …… 栗生楽泉園 松岡あきら 436
句集 父子獨楽… …………… 邑久光明園 中山 秋夫 438
一九九〇年
川柳集 夫婦道… ……………… 星塚敬愛園 山下紫春 440
川柳句集 試歩の道… ………… 大島青松園 桜井 学 444
一九九二年
句集 海鳴り… ……………… 長島愛生園 辻村みつ子 446
一九九三年
川柳句集 冬の月… …………… 大島青松園 桜井 学 451
一九九四年
視力ない車椅子… ………… 栗生楽泉園 田中美佐夫 452
句集 続々々生門… …………… 長島愛生園 岡 生門 454
一九九六年
句集 日向ぼっこ… ………… 星塚敬愛園 園井敬一郎 456
一九九八年
一代樹の四季… ……………… 邑久光明園 中山秋夫 458
一九九九年
川柳句集 心眼… ……………… 松丘保養園 高野明子 460
二〇〇〇年
満ち潮………………………… 松丘保養園 天地聖一 463
二〇〇三年
川柳句集 めおと独楽… … 栗生楽泉園 景山晴美 セツ子 464
解説………………………………………………………………470
著者紹介…………………………………………………………478
テキスト一覧… …………………………………………………498



[2192] Re:[2191] 本日。 投稿者:北風 投稿日:2010/07/01(Thu) 08:35  

> 「ハンセン病文学全集」第5巻評論編が届く。
> 800頁に数頁足りない。
>
> 本文もだが、付録として光岡良二の「書誌・多磨五十年史」を収録した。これは山桜−多磨の記事を材料に光岡自身の見聞を加えた文学通史で、多磨を材料にしているが他園への目配りも利いていて格好の道案内である。多磨誌に連載されたものだがこれで優に単行本一冊分はある。類書もないので8p3段で収録した。
>
第一部 ハンセン病文学の起源と意味

「癩文学」の起源と意味 … ………………………………………… 多磨全生園 古家嘉彦  一
癩文芸現状… …………………………………………………………… 大島青松園 氷見 裕  五
療養所文芸の暗さに就いて… …………………………………… 多磨全生園 於泉信雄  七
癩文学私論 ………………………………………… 九州療養所 森田竹次  九
山桜誌に寄せて……………………………………………………… 九州療養所 森田竹次 一三
癩文学といふこと… ………………………………………………… 多磨全生園 北條民雄 一八
癩文学に於ける私小説性 … ……………………………………… 多磨全生園 光岡良二 二一
散文について ………………………………………………………… 多磨全生園 光岡良二 二三
或る往復書翰… ………………………………………………………… 長島愛生園 宮島俊夫 二七
                                           多磨全生園 厚木 叡
続往復書翰 … …………………………………………………………… 長島愛生園 宮島俊夫 二九
                                           多磨全生園 厚木 叡
プロレタリア文学と癩文学… …………………………………… 星塚敬愛園 島比呂志 三四
大きな矛盾… …………………………………………………………… 多磨全生園 氷上惠介 三七
オームの国からの解放 …………………………………………… 長島愛生園 森田竹次 四一
精神の喪失 … …………………………………………………………… 多磨全生園 野谷寛三 四五
療養所における文学の不振について……………………… 多磨全生園 田島康子 四八
らい文学滅亡論……………………………………………………… 多磨全生園 野谷寛三 五二
現実と文学… …………………………………………………………… 長島愛生園 森田竹次 六〇
新しい人間像の形成 … ……………………………………………… 長島愛生園 中島住夫 六五
文学の功罪 … …………………………………………………………… 長島愛生園 森田竹次 六九
ライ文学は衰退したかどうかに就いて… …………………… 栗生楽泉園 沢田五郎 七五
らい文学を考える … ………………………………………………… 長島愛生園 佐治早人 七九
回復過程の文学活動… …………………………………… 長島愛生園 しまだ・ひとし  八四


第二部 偏見・差別に抗して

新しい時代の明暗(1)〜(5)
二十世紀後半の救癩事業に望む… …………………………… 多磨全生園 湯川恒美 九一
二十世紀後半の在り方… ………………………………………… 長島愛生園 川邊 龍 九三
悲しいこと… ………………………………………………………… 長島愛生園 宮島俊夫 九九
ペンに寄せて… ……………………………………………………… 長島愛生園 田中文雄 一〇一
癩を治そうとする努力が尚一層払われなければ駄目だ……………… 多磨全生園 湯川恒美 一〇六

ライの意識革命と予防法闘争(1)〜(15)
レプラ・コンプレックス……………………………………… 多磨全生園 光岡良二 一〇八
ハンゼン氏病の盲点 宮ア恵楓園長、光田愛生園長証言の批判……… 星塚敬愛園 月田まさし 一一二
ライ予防法の改正は何故必要か… ………………………… 多磨全生園 湯川恒美 一一七
癩予防法改正運動についてのわれらの反省………… 星塚敬愛園 石村通明 一二五
「癩予防法改正運動についてのわれらの反省」の作者に一言! ……… 星塚敬愛園 つきだ・まさし 一二九
評論「癩予防法改正運動についてのわれらの反省」 について…………………… 星塚敬愛園 石村通明 一三七
強制収容・懲戒検束の廃止なくして、新しき療養所なし… ……………………… 多磨全生園 光岡良二 一三八
「ライ予防法案」は何故悪いか… ………………………… 栗生楽泉園 横山石鳥 一四四
人間になる日… …………………………………………………… 多磨全生園 光岡良二 一四九
癩予防法改正運動について… ……………………………… 長島愛生園 中園 裕 一五三
あなた達に言いたい… ………………………………………… 長島愛生園 豊田一夫 一五七
ライの意識革命について…………………………………… 星塚敬愛園 島比呂志 一六二
劣等感の克服… …………………………………………………… 長島愛生園 阿部 肇 一六六
特権意識と劣等意識 … … …………………………………… 長島愛生園 森田竹次 一六九
本当の偏見はどこにあるのだろう……………………… 多磨全生園 藤田詩朗 一七四

黒髪小学校問題(1)〜(2)
未感染児童の「未感染」なる用語に対してわたしは抗議する… ………… 星塚敬愛園 つきだ・まさし 一七八
むごさについて………………………………………………… 長島愛生園 阿部 肇 一八二

ライ療養所の論理と倫理(1)〜(2)
ライ療養所の論理と倫理…………………………………… 多磨全生園 野谷寛三 一八五
(一)光田健輔論
(二)光田氏的理念の崩壊
(三)倫理の成立とその限界
(四)倫理の形成
故光田前園長と療養人の像… ……………………………… 長島愛生園 今西康子 二〇五

「惰民論」と転換期の療養所(1)〜(8)
「惰民」には誰がした… ……………………………………… 長島愛生園 森田竹次 二一〇
惰民論の観念性………………………………………………… 多磨全生園 光岡良二 二一七
森論文の波紋について… ……………………………………… 栗生楽泉園 沢田五郎 二二四
ひとつの段階のしめくくり… ……………………………… 長島愛生園 森田竹次 二二九
社会復帰の障害について…………………………………… 栗生楽泉園 横山石鳥 二三九
戦後療養所論… …………………………………………………… 多磨全生園 光岡良二 二四八
〈転換期〉という意味… ……………………………………… 長島愛生園 根来 育 二五二
世界医療センター… …………………………………………… 多磨全生園 松本 馨 二六二

藤本事件(1)〜(6)
藤本事件の真実追究を阻むもの… ……………… 菊池恵楓園 いりえ・しん 二七一
藤本氏の無実の罪であることを 信じている私は思う … …………… 菊池恵楓園 隈川 清 二七五
偏見がつくりあげた藤本事件… …………………………… 栗生楽泉園 加藤三郎 二八〇
藤本事件について… …………………………………………… 菊池恵楓園 増 重文 二八六
藤本松夫救援運動の発展のために……………… 菊池恵楓園 いりえ・しん 二九一
偏見・予断・処刑 藤本松夫氏の死刑に抗議する………………… 長島愛生園 森田竹次 二九四

コリアン患者の足跡(1)〜(2)
コリアン患者の足跡
在日外国人ハ氏病患者同盟の活動…………… 菊池恵楓園 韓 石峯 三〇七

沖縄から(1)〜(3)
療友に訴う… …………………………………………… 宮古南静園 松村憲一 三二四
今後の癩予防法に要望して… ……………………………… 沖縄愛楽園 源 靜夫 三二七
読谷高校の本園退園児進学拒否問題について… …… 沖縄愛楽園 島中冬郎 三三四

闘いのうちそと(1)〜(5)
ハ氏病盲人の訴え… …………………………………………… 長島愛生園 吉成 稔 三三七
朝日訴訟をめぐって… ………………………………………… 長島愛生園 佐治早人 三四五
婦人よ、明日のために… ……………………………………… 栗生楽泉園 浅井あい 三五一
『らいからの解放』出版にあたって… …………………… 多磨全生園 大竹 章 三五四
共闘について… …………………………………………………… 多磨全生園 鈴木禎一 三五九

ヒューマニズムの虚偽(1)〜(4)
ヒューマニズムの虚偽テレビドラマ 「この道遠く」について… ………………………………… 長島愛生園 根来 育 三六五
「ある結婚」放映前後… ……………………………………… 多磨全生園 小杉敬吉 三六九
人間列島… ……………………………………………………………… 退所者 伊波敏男 三七一
二つの鎖… ………………………………………………………… 多磨全生園 松本 馨 三七五

知識人のらい参加(1)〜(4)
癩園に於ける二つの性問題論文の対照… ……………… 星塚敬愛園 神山南星 三八二
労働の回復―永丘智郎… …………………………… 長島愛生園 しまだ・ひとし 三八七
臨床における価値の問題―神谷美恵子… …… 長島愛生園 しまだ・ひとし 三九五
らいにおける福祉の意味―杉村春三… ……… 長島愛生園 しまだ・ひとし 四〇二

病醜のダミアンをめぐって(1)〜(2)
「病醜のダミアン」像… …………………………………………… 退所者 冬 敏之 四一一
ダミアンの沈黙……………………………………………………… 退所者 伊波敏男 四一四

遠ざかる神の国(1)〜(2)
遠ざかる《神の国》…………………………………………… 長島愛生園 島田 等 四二〇
らいと天皇制… …………………………………………………… 長島愛生園 島田 等 四二六

国はおかしたあやまちを謝罪せよ(1)〜(3)
いのちの重み… ………………………………………… 多磨全生園 ラザロ・恩田原 四三七
今、問われていること… ……………………………………… 栗生楽泉園 谺 雄二 四五一
国はおかしたあやまちを謝罪せよ……………………… 多磨全生園 松木 信 四五七


第三部 文学は社会復帰したか

短歌の表現に就いて(文芸祭講演) … ……………………… 長島愛生園 依田照彦 四六三
作家の密室… ………………………………………………………… 多磨全生園 厚木 叡 四六六
美登志・多一郎・保・治子… ………………………………… 栗生楽泉園 秩父明水 四七一
島比呂志論… ………………………………………………………… 長島愛生園 甲斐八郎 四七三
北條民雄論… ………………………………………………………… 多磨全生園 野谷寛三 四七九
絶望の文学… ………………………………………………………… 長島愛生園 森田竹次 四九六
短歌は社会復帰したか… ……………………………………… 星塚敬愛園 神山南星 五〇四
共感と不満… ………………………………………………………… 長島愛生園 島田 等 五一七
ハ氏病療養所の詩人たち……………………………………… 長島愛生園 根来 育 五二三
内田靜生論… ………………………………………………………… 多磨全生園 野谷寛三 五二八
打ち込まれたままの杭… ………………………………………… 長島愛生園 根来 育 五三九
山本肇論… …………………………………………………………… 長島愛生園 今西康子 五四四
短歌とは何か… …………………………………………… 長島愛生園 しまだ・ひとし 五四八
遂に「不死鳥」は飛ばず……………………………………… 星塚敬愛園 風見 治 五五四
断種の句碑と共に… ……………………………………………… 長島愛生園 大庭可夫 五六〇
俳句における「癩」の用語問題… …………………………… 菊池恵楓園 増 葦雄 五六五
「白描」の作者とその周辺… …………………………………… 長島愛生園 今西康子 五七四
強いられた問い………………………………………… 長島愛生園 しまだ・ひとし 五七九
わたしのトロチェフ… ……………………………… 長島愛生園 しまだ・ひとし 五八五 
大江満雄論… ……………………………………………… 長島愛生園 しまだ・ひとし 五九〇
あとがき――解説にかえて… …………………………………………………………………編集部  
解説… …………………………………………………………………………………………………… 七六七
著者紹介… …………………………………………………………………………………………… 七七三
凡例… …………………………………………………………………………………………………… 七八二
付録 書誌・「多磨」五十年史… …………………………………………………  光岡良二 五九七


[2191] 本日。 投稿者:北風 投稿日:2010/06/29(Tue) 11:08  

「ハンセン病文学全集」第5巻評論編が届く。
800頁に数頁足りない。

本文もだが、付録として光岡良二の「書誌・多磨五十年史」を収録した。これは山桜−多磨の記事を材料に光岡自身の見聞を加えた文学通史で、多磨を材料にしているが他園への目配りも利いていて格好の道案内である。多磨誌に連載されたものだがこれで優に単行本一冊分はある。類書もないので8p3段で収録した。

結局、原稿を削ることができずに巻を追って分厚くなってしまった。編集者失格である。




[2190] 無題 投稿者:北風 投稿日:2010/05/30(Sun) 10:43  

首相の普天間「決着」――政権の態勢から立て直せ―――朝日新聞
「普天間」政府方針 この首相に託せるのか―――毎日新聞
普天間日米合意 混乱の責任は鳩山首相にある―――読売新聞
取り返しつかぬ鳩山首相の普天間失政 ―――日本経済新聞
普天間日米合意 国益損なう首相は退陣を 逃れられぬ迷走と失政の責任―――産経新聞


どこかのサイトで、こう並べて「鳩山首相の失政を叱正する」といっていた。
しかし、この間の検察審議会の11人全員一致といい、全国紙の横並びの一致した論調といい、こっちのほうに空恐ろしさを覚えないのだろうか?
おりしも、自民党政権時代、官房機密費がマスコミ関係者に渡っていたことを、野中元官房長官が自身の体験として「告白」している。








[2189] DVDプレイヤー 投稿者:北風 投稿日:2010/05/29(Sat) 23:51  

知り合いのおじさんが、小津の「東京物語」を見たいという。
小津映画のDVDを売っていたので買って届けた。

ところがDVDプレイヤーがない。出入りの業者に頼んだら、20000円以上といわれたらしい。
商品知識の乏しさに加え、配達の便、アフターケアなどの理由で高いものを売りつけられている実態が垣間見える。

ビックカメラで2900円で買って届ける。
弊社も「ハンセン病を食い物にしている」といわれたことがあったが、いろいろあるようだ。
ちなみに、食い物にしているといわれた『ハンセン病文学全集』が、この6月やっと完結する。






[2188] 何が変わったのだろう! 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/05/28(Fri) 16:14  

>○会長は支部長から選ぶんじゃなかったんですか?

これで、丸く治まったんかなー

本部中央執行委員はだれもいないし、会長&事務局長が常勤ですか?

何か、可笑しいのでは?

外部の人だから、余り発言出来ないが?
代表者会議で決まったのだからこれで良いのだろう!


[2187] 無題 投稿者:北風 投稿日:2010/05/27(Thu) 22:18  

ハンセン病:全療協新会長に神事務局長就任

 全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協、本部・東京都東村山市)は25日、都内で代表者会議を開き、06年から会長を務めてきた宮里光雄氏(75)に代わり、新会長に神(こう)美知宏事務局長(76)を充てる人事を決めた。後任の事務局長には藤崎陸安(みちやす)・中央執行委員(67)が昇格する。任期はいずれも6月1日から1年。

 神氏は会議の後、「我々に残された時間は少ない。入所者が安心して暮らせ、地域住民と交流できるよう、医療・介護の充実と地域開放を進める」と語った。【江刺正嘉】
【関連記事】

* 全療協:新会長に神氏 事務局長には藤崎氏
* 天皇、皇后両陛下:ハンセン病施設など訪問し帰京
* 天皇、皇后両陛下:ハンセン病療養所、24日午後に訪問
* 天皇、皇后両陛下:植樹祭出席などで神奈川県中井町へ
* ハンセン病:対策充実を−−参院本会議

毎日新聞 2010年5月26日 東京朝刊



○会長は支部長から選ぶんじゃなかったんですか?




[2186] 全療協会長決まる! 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/05/26(Wed) 22:04  

 >神氏は会議の後、「我々に残された時間は少ない。入所者が安心して暮らせ、地域住民と交流できるよう、医療・介護の充実と地域開放を進める」と語った。

北風さん、どう思いますか?

シナリオ通りですか?神会長発言の度変わっているみたいです。


[2185] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2010/05/12(Wed) 13:59  

たとえば、DPI(障害者インターナショナル)日本会議
http://www.dpi-japan.org/index.html

のコンテンツ「障害者を取り巻く問題」
・地域生活の確立に向けて
・障害者差別禁止法制定に向けての取り組み
など

>「国が解決に向けて真剣に取り組んでいるようには見えない」

とか言うんじゃなくて、当事者(及びその代理人等)が、自分たち自身の声で要望を出していってる。
わたしたちの参加なしにわたしたちのことを勝手に決めないで! とも言ってる。



[2184] 湯浅氏、再び内閣府参与に 投稿者:北風 投稿日:2010/05/11(Tue) 16:46  


『湯浅氏、再び内閣府参与に』

 内閣府は10日、「反貧困ネットワーク」事務局長の湯浅誠氏を、同日付で参与に起用すると発表した。同氏は内閣府参与として年末年始の「公設派遣村」開設に取り組んだ後、3月に参与を辞任した。政府は11日、緊急雇用対策本部の下に「セーフティー・ネットワーク実現チーム」を立ち上げ、長期失業者への支援検討に入るが、湯浅氏にチームへの参加を求め、再び内閣府参与とした。 
<[時事通信社]2010年5月10日(月)>



[2183] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2010/05/11(Tue) 14:05  

全療協神事務局長の発言に少しかかわるかもしれぬ;

>療養所の将来構想については「入所者が1人もいなくなっても、国の負の遺産として資料館などにして残すよう提案していく」

と述べた、そうだが。
将来構想、将来構想、と言うけれど、いったい、“将来構想”というのは誰のための将来についての構想なのか、何のために構築されるべきであるのか、ということがあまりにも顧みられていなさすぎるように思う。そのことに、まず驚いてしまう。
なにゆえに、まず、「入所者が1人もいなくなっても」というふうに考えるのだ?
そうではなく、地域で普通に暮らしている高齢者であろうが(いま現に、疾病障害を抱えていようといまいと)、ハンセン病療養所の入所者であろうが、退所者であろうが、非入所者であろうが、――おそらく人生の最終ステージ近くなれば誰もが抱えることになるであろう問題――最終ステージをいかに生きるか、どのように過ごしたいか、ということから考えるべきではないだろうか。

人生の最終ステージをどのように生きるか、という問題は、なにもハンセン病療養所に限らない。誰もが加齢とともにいずれはでくわすことになる問題だ。
ハンセン病療養所に特化した将来像というのではなく、施設内・外を問わず、いま現に実際に生きている高齢者たちが切実な問題として抱えている問題に応えていくようなかたちでの将来構想でなければ、意味がないだろう。

高齢社会の医療・看護・介護のあり方として、社会・地域全体を療養所ととらえ、“地域で診る”“地域で看る”という方向に向かっている。社会全体が、高齢者、疾病や障害をもつ人たちと《共に生きる社会の方へ》と向かっている。

全療協も、そろそろ療養所特化の活動から、地域化へと、方向転換されてはいかがか?



[2182] 再び 投稿者:北風 投稿日:2010/05/11(Tue) 10:18  

どこかで、民主党が谷亮子を参院候補に擁立を決めたことを、感情丸出しで批判していた。タイトルは「ガマガエルと聖処女」だった。

小沢のご都合主義だというんだろうが、この批判はまったく谷の主体性を無視している。谷が頭が空っぽで、権謀術策の塊の小沢にいいように操られたということを前提にしなくては成り立たない。

谷亮子に失礼だろう。
小沢憎しで思考のバランスを欠いてしまっている。



谷さんは、「比例代表選挙に立候補させていただくことになった」と述べたうえで、小沢幹事長には、田村姓だった頃から大変お世話になったことを明らかにし、「3月に出てはどうかとの話があり、4月下旬にやってみようという決断をした」と立候補に至る経緯を述べた。また、柔道家として世界のいろんな国を訪れたこと、国際交流やスポーツのあり方を学んでいる最中であり、スポーツ振興や、スポーツ省の設置などに取り組みたいと、当選後の抱負も明らかにした。さらに、現役続行も表明し、「いろんなことにチャレンジしているが、誰もが希望を持てる社会にできたらいいと思う。地球を覆うほどの愛で頑張っていきたい」と決意を表明した。


[2181] 市民学会 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/05/11(Tue) 00:11  

>それより先、神事務局長と、「差別者の僕にささげる」の三宅一志さんの対談。司会の八尋光秀弁護士が笑いながら言っていたように、かみ合わない対談だったが、神さんが「自分は(その若き日に)ハンセン病療養所のこのひどい状況を改善するために、一生かける決意をした」いうのが印象に残った。この神さんの発言は、ほかの場所でも「自分はハンセン病は治ったが、運動のためにあえて療養所に残った」というのを聞いたことがあった。
>いわば「職革」ですね。

神さんの発言ね!いろいろな場所で発言いたし、社会復帰者からも、クレームが付いたが?

神さん自身が、ハンセン病療養所のために全療協の役員ですか?

私なら一回社会復帰致して貰いたいですね!
それなら別な角度から意見が言えるのではないでしょうか?
耳タコになるほど、その話は聞いています。

辞めて頂きたい発言です。




[2180] 市民学会 投稿者:北風 投稿日:2010/05/10(Mon) 12:03  

市民学会初日に出席した。
レセプションは、趣旨に疑問があるので欠席して岡山から日帰り。

タブー視されていた光田園長の功罪について初めて話題になったのは、話題になっただけでも一歩前進だろう。
総括座談会で、九州大学の内田博文さんは光田園長はパターナリズム(家父長主義)であったといい、それを引き取って徳田弁護士は、「光田は慕ってくるものには親切だが、反抗するものは徹底して押さえつけた。その根底にあるのは上から目線の救ライ意識であった」とまとめた。
そんなことは言い古されたことで、目新しいことは何もないのだが、ハンセン病関係者でも、指導者意識が強く自分のいうことを聞いていればいいのだという、一部の人のことを言い当てているようでもあった。
光田園長に限らず普遍的な問題なんだね。

それより先、神事務局長と、「差別者の僕にささげる」の三宅一志さんの対談。司会の八尋光秀弁護士が笑いながら言っていたように、かみ合わない対談だったが、神さんが「自分は(その若き日に)ハンセン病療養所のこのひどい状況を改善するために、一生かける決意をした」いうのが印象に残った。この神さんの発言は、ほかの場所でも「自分はハンセン病は治ったが、運動のためにあえて療養所に残った」というのを聞いたことがあった。
いわば「職革」ですね。

レセプションに参加しなかったのは、このレセプションが「市民学会」主催ではないからである。

第1回のときは妙に豪華なレセプションなのに会費1000円とかいうので聞くと、弁護団主催の「裁判勝利記念」(当時、弁護団はお金があった)でこれに市民学会が乗せてもらっているとの話だった。「弁護団にご馳走になるのはおかしい。柿ピーと缶ビールでいいから、市民学会で主催せよ」といったら、今回のレセプションは「弁護団・原告団・全療協・市民学会共催」ということであった。
断っておくが、弁護団、全療協に反対するわけではない。市民学会は弁護団からも全療協からも自由な、主体性を持ったもっと開かれたものであるべきと考えるからだ。



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