ハンセン病の闘いの歴史に学びともに考えるBBS
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[2179] ハンセン病市民学会 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/05/09(Sun) 10:21  

 北風さん岡山に行かなかったのですか?

 >全国ハンセン病療養所入所者協議会の神美知宏事務局長は、昨年4月に施行されたハンセン病問題基本法について「施行から1年たったが、国が解決に向けて真剣に取り組んでいるようには見えない」と指摘。療養所の将来構想については「入所者が1人もいなくなっても、国の負の遺産として資料館などにして残すよう提案していく」と述べた。


神事務局長の発言気になります。

それ以前にする仕事多々あると思います。
各園の外来入院制度は、ほとんどの園が未だ手をつけないです。
奄美和光園は退所者の診療もしていないです。現在医師三名
(定員)なりましたが?

園長は外来診療は検討するで、止まっています。
医師3名で49名の入所者を診ています。
私は全療協の仕事は他に多々あると思いますが?「ハンセン病基本法」は、??何をするのだろう1


[2178] 鳩山は 投稿者:北風 投稿日:2010/05/05(Wed) 09:18  

歴代初めて、「沖縄の負担軽減」を言いだした首相である。

マスコミは、目先の、一日の行動をめぐってあれやこれやといっているが、65年間の負の遺産を半年やそこらで解消できるものではない。
そに初めて手をつけた、鳩山に何の「非」があるというのだろうか。沖縄の負担軽減を言ったことが非ならば、何おかいわんやである。われわれとしては、結論を急がず、「沖縄の負担軽減」という初心を貫いてくださいと、応援すべきではないか。

ただ気になったのは、「勉強して海兵隊の抑止力云々」といっていたこと。君側に狐や狸のの奸臣が多いのか? 官僚に取り込まれつつあるのか? アメリカの恫喝に屈したか?






[2177] 誰かが 投稿者:北風 投稿日:2010/04/30(Fri) 20:24  

小沢一郎を「裏表のある人」の例に挙げていた。

しかし、おいらにわからないところは、なぜこれほどまでに小沢が執拗に検察、マスコミに付けねらわれるのか。

これはよほどひどいか、よほど恐れられているか、どちらかだね。小沢の案件(政治資金規正法の虚偽記載の共犯)という軽微な形式犯でしかもほとんど言いがかりに近い、いかにも無理筋をよってたかってたたくのは、よほど小沢が邪魔で怖いのだろう。

マスコミがあおりたて、都合の悪い人間を追い詰める。菅谷さんのとき、藤本さんのとき、狭山の石川さんのとき、冤罪事件ではじめからマスコミが疑問を呈したことは一度としてない。

後になって事実と違ったとき、マスコミも検察はじめ官僚も被害者に謝罪したことも、これまた一度としてない。

マスコミを鵜呑みにして魔女狩りをした市民も、二度三度同じ過ちを犯し、謝罪することもない。







[2176] Re:[2172] 栃尾さん一味のことですが 投稿者:通信社 投稿日:2010/04/19(Mon) 01:28  

この「一味」という言葉もお粗末。反吐が出る。
やくざの犯罪報道の記事を書いているわけではなかろう。

結局、ただの暴露記事を書いているだけだろう。


[2175] Re:[2168] 今、あわててDAYS JAPAN と週刊金曜日などの原稿をやろうとしてますが 投稿者:通信社 投稿日:2010/04/19(Mon) 01:22  

>  群馬で館林に行ってきました。

「で」は間違いだろう。言葉が雑ですな。

>  たしかに愛生園は間違い。愛楽園だった。そんなもんは、最後に編集さんが直す癖がついているので、ついつい。

本物のライターならば、編集者は原稿に手をいれない。お粗末な原稿を書き直すのは、力のある「ゴースト・ライター」だ。おそらくユン氏の原稿料よりも高額な報酬で仕事をしているだろう。馬鹿だねぇ。きちんと原稿を書ける力がないのだろうな。


[2172] 栃尾さん一味のことですが 投稿者:ユン 投稿日:2010/04/15(Thu) 18:58  

 どうやら15年ほど前に新共同体は沖縄にもいたとのこと。愛楽園にも司祭が出没していたらしい。今読んでいる名護教会の資料によれば。
 結局、何億円も集めるために各地に行き、最終的には四国にして、栃尾さんらを集めたのですが、最終的には破綻したということのようです。
 ヨハネ・パウロ二世が認めても、宣教先でトラブルを起こせば終わる。その一派ということでしょう。
 栃尾さんは、解体された修道会の日本の出先で行き場をなくして、鹿児島の田舎ということでしょう。
 東京の代表は深堀建太郎という人。この人もどこかに飛ばされたはず。
 それはそうだあ。韓国から法王の代理で、枢機卿が四国を現地視察して、完成した神学校の破棄を決めたというから、よほど大きなトラブルが起きたはず。
 問題は校舎は壊されても、土地はまだ新求道共同体の名義のままらしい。
 
 ま、あんまり教会関係者には近寄らないようにしよう。どんどん信仰をなくすので。このままでは北風オヤジ並みになる(嘘)。
 


[2171] ま、北風と谷内の古いじゃれあいですが Re:[2157] [2156] 追伸のようなもの 投稿者:ユン 投稿日:2010/04/15(Thu) 15:44  

> > 暗証キーを入力していないので、自己削除はできないけれど、[2155]、[2156]とも、削除してよろしいですよ。
> >
>
> アネックスは、現在李君以外にアクセス制限をかけていません。
> http://www.annex-net.jp/cgi-bin/libro/light/light.cgi
> 李君の場合は、事実と異なることを頻繁に書き込み、それによって実害が出ているからです。
> (実害をこうむっているのは、北風ではありません)
>
## また嘘をつく。
 http://www.annex-net.jp/fromyachi.html
 あんたと谷内の揉め事をそのまま引用したので、たしかアクセス停止になったんだが、うむ。
 過去を知らない人は上のサイトを丁寧に読むといいかも。


[2168] 今、あわててDAYS JAPAN と週刊金曜日などの原稿をやろうとしてますが 投稿者:ユン 投稿日:2010/04/15(Thu) 12:06  

 群馬で館林に行ってきました。イスラム系の難民がいるので。難民と食事をしたけど、彼らの食事は香辛料が利いてうまかった。写真もとったが、素人のできだからあかんね。
 北風オヤジがまた嘘をいっている。この人は、谷内を罵倒するためならばどんな嘘でもつく。かわいいおっさんです。天然記念物みたいに放置して置きましゅうぞ。
 たしかに愛生園は間違い。愛楽園だった。そんなもんは、最後に編集さんが直す癖がついているので、ついつい。
 ところで、愛楽園ってのは、もともとプロテスタントの元患者さんが名護に近い浜辺を見つけて、ゼロから開拓したところ。偉大な人だったと思います。
 彼らからすれば、後からカトリックが来て、勝手に園内に教会を作ったという思いが激烈。天久氏というカトリックの信徒代表は、青木という偉大なプロテスタントの代表にこれが理由で絶縁されたそうな。
 スンニ派とシーア派の違いを最近知り、紛争の原因が見えてきましたが、沖縄の教会でも色々あったような感じだわな。
 たしかなことは、北風オヤジは単なる棄教者。相手にせんことでしょう。


[2162] 言ってみるものですね! 投稿者:エミ 投稿日:2010/04/14(Wed) 11:33  

あらら、今度はアネックスΩにアクセスできました。
やっぱ、文句もたれてみるものですね。


[2160] ジャンプしてみましたけど 投稿者:エミ 投稿日:2010/04/13(Tue) 14:22  

    ERROR !
ただ今ご利用できません

やはり、↑のように表示され、アクセスできません。


[2157] Re:[2156] 追伸のようなもの 投稿者:北風 投稿日:2010/04/13(Tue) 09:24  

> 暗証キーを入力していないので、自己削除はできないけれど、[2155]、[2156]とも、削除してよろしいですよ。
>

アネックスは、現在李君以外にアクセス制限をかけていません。
http://www.annex-net.jp/cgi-bin/libro/light/light.cgi
李君の場合は、事実と異なることを頻繁に書き込み、それによって実害が出ているからです。
(実害をこうむっているのは、北風ではありません)

アネックスは、かなり強固な認証システムで迷惑投稿(ここに、連日あるような)がなくなったのでアクセス制限の必要がないからです。
こっちの認証システムも、そうしてもらえばいいんですが。

http://www.annex-net.jp/cgi-bin/libro/light/light.cgi


[2156] 追伸のようなもの 投稿者:エミ 投稿日:2010/04/13(Tue) 08:29  

暗証キーを入力していないので、自己削除はできないけれど、[2155]、[2156]とも、削除してよろしいですよ。



[2155] 標榜している三原則は果たされているか 投稿者:エミ 投稿日:2010/04/13(Tue) 02:00  

「閂はかけない」主義だとおっしゃっているので、疑問を呈しておこうかしら。

先ほど検索して確認してきたのだが、北風さんは、掲示板設置に関して、三原則を掲げていらっしゃる。(以下《 》部分は引用)

《アネックスΩの運営方針は、掲示板のことは掲示板で、言論には言論で、ということに尽き、管理を排した完全に自由で何人にも開かれた掲示板を志向している。

すなわち、アネックスΩは、(1)削除はしない(2)アクセス制限はしない(3)恒久的に存続することを目指し恣意的な閉鎖はしないという三原則で今後も運営される。これを「死守」することが、掲示板の設置者と参加者との最低の信頼関係の基礎であると考える。》

と、おっしゃっているけれど、私めなどは、2006年ぐらいからか、アネックスΩにアクセスできない状態になっている。2002年から2005年ぐらいまではアクセスできていたのが、ある時点からアクセスできなくなった。今もアクセスできない。私としては、アクセス制限の対象とされているとしか思えない。掲示板アネックスΩに嫌がらせの書き込みをした覚えはないのだが、なぜか、上記引用に掲げる“三原則”適応外とみなされたようだ。

つまり、エミというヤツは、[2154]投稿記事中の「李君は例外」同様、あちゃらの掲示板では“閂はかけない主義”の「例外」だということかしらん?
「最低の信頼関係の基礎」を掲げて、三原則を標榜しているけれども、はたしてその三原則は果たされているのかしらん? 常に例外は存在する、ということであれば、三原則などと標榜する必要がどこにある? 

この板に関することではないことではあるけれども、
「李君は例外」というのを読んで、あらら、私もあちゃらでは「例外」扱いされてるのね、と思った次第。




[2154] 李君のそこの浅さ 投稿者:北風 投稿日:2010/04/12(Mon) 19:36  

療養所の名前も正確に書けない程度の取材ということですね。
それも、2回だからケアレスミスといういいわけも通らない。

「ダニみたいな阿呆が西洋ブームにのって、カトリックに来た時代」 天に向かって吐いたつばは己に還る。他人をダニ呼ばわる前に鏡を見よ。

削除・閂は欠けない主義ですが、李君は例外。





[2153] Re:[2150] [2149] 岡山といえば 投稿者:ユン 投稿日:2010/04/11(Sun) 21:17  

> >  光田の娘がカトリック教会にいる。あれはまだ親父の悪事を認めていないと聞いた。
> >  光田は晩年洗礼を受けたが、認知症だったので!
>
> ユンさんへ
>
>  光田先生の娘さんて、大西先生の妻ですか?
> 奄美でカトリックの診療所を無償で行っていました。
>
> 現在未だハンセン病療養所OBの医師に未だ光田派と言うのか?表現違うが、光田を尊敬している医師おります。
>
> それに多磨の国本衛氏と多磨の私の部屋で東京の支援会と一緒に話したことはあります。
>
> 私も第3次提訴でした。それで、本部では余り???

## 国本さんの思い出といえば、園内を何度か一緒に歩いたことでした。園内にある林元院長の銅像を前にして怒っていた。「こいつが死んだときに、園内の元患者らに献金しようと話が出た」と。戦後まもなくなので金が集まらずに、像は小さい。異様に小さい。が、存在する自体が悪だと國本氏は憤激しておりました。

 林に嫁いだのが光田の娘だったと思います。記憶で話しておりますが。
 林もカトリックになった気がしますが、ダニみたいな阿呆が西洋ブームにのって、カトリックに来た時代だったのでしょうね。
 沖縄の愛生園の場合は、もともと、聖公会の教会しかなかった。米軍のえらい医務官が、モロカイ島で、教派の違いが大混乱を生み出していたことを見て、カトリックの教会を作らなかったそうですねえ。
 元患者の信徒さんが動いて、そこにカトリック教団が乗り、金を出して、教会を作りましたが、往時信徒数は100人。今は30人に減っていると聞きました。
 島を出た方々が相当に多かったみたいです。それ自体はうれしいことです。
 愛生園の元患者に深い言葉を聞きました。「信仰は自分を支えてくれるものでした」。

 
>
> それにカトリックの学校の講演等については、そちらに有名方が沢山います。(厚労省)推薦の偉い方が?
>
> 私などそのような器ではないです。
>
> 現在「村松武司」氏の遥かなる故郷{ライと朝鮮の文学)を
> 読んでいます。
> 北風さんの影響かなー
>
> それにいよいよ日本を離れるのかなー気を付けて下さい。


[2151] Re:[2150] [2149] 岡山といえば 投稿者:ユン 投稿日:2010/04/11(Sun) 15:35  

> >  光田の娘がカトリック教会にいる。あれはまだ親父の悪事を認めていないと聞いた。
> >  光田は晩年洗礼を受けたが、認知症だったので!
>
> ユンさんへ
>
>  光田先生の娘さんて、大西先生の妻ですか?
> 奄美でカトリックの診療所を無償で行っていました。

## 偽善的な善行の見本です。それが。彼女は岡山の教会いますが、数年前にそこの主任司祭にきいたところ、娘だけが光田の政策を国家が謝ったあとにも、正当化しておりました。馬鹿な女ですね。
>
> 現在未だハンセン病療養所OBの医師に未だ光田派と言うのか?表現違うが、光田を尊敬している医師おります。

小生は師は持たないので、誰も偶像崇拝せず。カトリックの司教にもとんでもない阿呆がおります。傲慢の塊の。
>
> それに多磨の国本衛氏と多磨の私の部屋で東京の支援会と一緒に話したことはあります。
>
> 私も第3次提訴でした。それで、本部では余り???
>
> それにカトリックの学校の講演等については、そちらに有名方が沢山います。(厚労省)推薦の偉い方が?
>
> 私などそのような器ではないです。
>
> 現在「村松武司」氏の遥かなる故郷{ライと朝鮮の文学)を
> 読んでいます。
> 北風さんの影響かなー

## 北風オヤジは商業的な応援者。その点を割り引いても、ま、いい人でしょう。ふふふふ。
>
> それにいよいよ日本を離れるのかなー気を付けて下さい。

## 当分無理になりました。最近、日本人ジャーナリストが拉致されて、困ったことになりました。昨日もバンコクで日本人ジャーナリストが殺されました。



[2150] Re:[2149] 岡山といえば 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/04/11(Sun) 15:13  

>  光田の娘がカトリック教会にいる。あれはまだ親父の悪事を認めていないと聞いた。
>  光田は晩年洗礼を受けたが、認知症だったので!

ユンさんへ

 光田先生の娘さんて、大西先生の妻ですか?
奄美でカトリックの診療所を無償で行っていました。

現在未だハンセン病療養所OBの医師に未だ光田派と言うのか?表現違うが、光田を尊敬している医師おります。

それに多磨の国本衛氏と多磨の私の部屋で東京の支援会と一緒に話したことはあります。

私も第3次提訴でした。それで、本部では余り???

それにカトリックの学校の講演等については、そちらに有名方が沢山います。(厚労省)推薦の偉い方が?

私などそのような器ではないです。

現在「村松武司」氏の遥かなる故郷{ライと朝鮮の文学)を
読んでいます。
北風さんの影響かなー

それにいよいよ日本を離れるのかなー気を付けて下さい。


[2149] 岡山といえば 投稿者:ユン 投稿日:2010/04/11(Sun) 13:34  

 光田の娘がカトリック教会にいる。あれはまだ親父の悪事を認めていないと聞いた。
 光田は晩年洗礼を受けたが、認知症だったので、何が何かわからなかった可能性が濃厚。洗礼を授けたのはドイツ人神父。罪の償いをさせなかったのだろう。それじゃ、娘があーなるわけだわな。
 図書を集めることは大変意義があり。
 が、一番してほしいのは、戦後も、断種、堕胎に手を下した医師と看護婦の実名ならびに顔写真の公開。人道に反する犯罪に時効はあっていかん。法的には責任はとえないが、悪事として記録はしてほしい。ルリカケスさん、いかがか?

 生前、全生園の李衛氏に聞いた。なぜ、カトリックから離れたか。彼は少し教会に通ったそうですが、「祈り」ばかりを教える聖職者に嫌気が差したとのこと。それはそうだあ。祈る暇があれば、デモをせんとあかんかった。
 馬鹿な神父は相手にせんようにしましょうぞ。
 ルリカケスさん、お元気で!
 できたら、日本中のカトリック系高校で、リルカケスさんが戦後の経験を講演したらいいと思えてなりませんが、さて。
 
 


[2146] Re:[2143] ようやく Re:[2142] ミクシィを通して冊子の寄贈が来る! 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/04/10(Sat) 01:28  

> ようやく村松武司の蔵書目録ができました。
> ハンセン病関係と詩および村松自身の著書を残して、後は村松の親友だった神保町の主・山さんの忘れ形見(といっても大姉御)のゆりちゃんに整理を頼んだ。
>
> ルリカケスさんに、ハンセン病関係の目録を送ります。必要な書籍をチェックして返送してください。
>
> Aさんって、岡山?


北風さん世の中て狭いですね!

 私の作った「ハンセン病文庫」の件で、わざわざ蔵書を送って頂きました。
本人が、学生時代のハンセン病の研究他良く勉強されいる方です。
荷物を開けてみると、割と良い本が多かったです。
小川正子先生の本他いろいとと、そこで村松武司氏の名前の蔵書が見つかり、あれ何処かで聞いた方と思い、北風さんの掲示板を覗いてみました。
間違いなかったです。一応ハンセン病文庫に寄贈いたし、改めて文庫から借りて読みます。

現在400冊近い数になりました。これからもぼちぼちとハンセン病の蔵書を揃えていきたいと思います。

>それに村松武司の蔵書目録ができました。
良く目を通します。ありがとうございます。

また本人は静かにして貰いたいとのことで、氏名と住所の件は、本人に聞いて見ます。
岡山県ではないです。かなり勉強していますね!

氏名を書きましたら、北風さんは、直ぐ解ると思います。
一応本人に聞いて見ます。

では今後も宜しくお願い致します。



[2145] 冒頭を直して、敬虔な感じにしましたが、うむ。シスターがカンカンになっているというので(平伏)  投稿者:ユン 投稿日:2010/04/09(Fri) 15:27  

行き行きて 隣の芝は青かった
沖縄・奄美巡礼 その3

沖縄につく一週間ほど前だった。南山大学で教えていた『石垣永将の殉教 - 琉球最初のキリシタン』(青山玄神父著)を読んで、キリシタン禁令後に八重山で殉教した者がいたと知り、驚いた。名は石垣永将。八重山役人の最高位である頭役だった。
マニラのドミニコ会修道院から入手したトマス西の書簡や薩摩藩の史料に当たり、永将兄弟は渡名喜島の字新川にあるオンナーで火刑されたと青山玄神父は特定した。永将に洗礼を授けたルエダ神父は禁教令下の日本に潜入するために石垣島を狙った。マニラからスペイン船に乗って、現在の石垣島の富崎にきたそこで石垣永将と会う。沖縄本島へ行く途上にあったルエダ神父を自宅に招いて、長逗留させた。キリシタンになった可能性が高い。
ルエダ神父は地元の桃林寺を訪れ、住職と哲学論争を仕掛けた。過剰な宣教意欲が裏目に出た。桃林寺の僧侶は論破され、激した。尚家は徳川の禁令に過敏でなかったが、石垣の僧侶からの訴状が上ると、薩摩藩の手前、石垣永将に死罪をするしかなかった。ルエダ神父も粟国島に遠島となり、後に別の島へ移され、その途中、海上で殺害されたと青山玄神父は推定している。
那覇港で泊外人墓地に立ち寄った、ペリー上陸地の碑も立ち、大きなカトリックの墓石があった。フランスのウエルダンで1813年に生まれ、東洋伝道を志して1849年沖縄に到着したパリ外国宣教会のアドネ神父が眠っていた。同司祭は、日本語を習得する途上、無念にも、病に倒れ没した。1846年の時点で、長上のフォルカード神父は日本の代牧に任命されていたが、アドネ神父の帰天の時点で、ザビエル以来の日本再宣教を放棄した。パリ外国宣教会の再挑戦は18年後だった。このときに派遣されたのがプチジャン、フィーレの二人のフランス人神父。教皇庁の目的は、聖地である長崎に26聖人に捧げる新しい聖堂の設立。ところが、秘めた意図もあった。
― 天主堂
当初から大浦天主堂にはそう日本語で大書された。万が一にも存在するかもしれない日本人信徒へのメッセージだった。そして、ローマのもくろみは奇跡的に実現する。時に1864年。浦上の潜伏キリシタンが発見された。
那覇の繁華街・国際通りを進む。土産屋から流れる軽い島歌が心地よく耳に入る。交差点で180センチ以上ありそうな黒人青年を見かけた。質素の素地だったが、アイロンがちゃんとかかった背広とズボンは細身の長身に似合っていた。
「かっこういいなあ」
 試しに日本語で声をかけると、完璧な日本語が返ってきた。混血児だった。サングラスの下の目は微笑んでいたはずである。少数者の彼にとってのキリスト教は何か。アメリカでも沖縄でも社会的居場所が見つけにくいだろう。かりそめの対話を試みたくなったが、白い歯を出して、
「ありがとう」
大声で返事をして、青年は横断歩道の向こうに消えた。
― 沖縄には行かない
そんな信念を口にする女性が熊本にいる。国立療養所菊池恵楓園のカトリック聖堂で長年元ハンセン患者のお世話をしてきた人で、長女は修道女としてチャドにいる。幼少のころ、奄美の瀬留教会の信徒だった。赤尾木に家族で住んでいた。300キロ離れた沖縄から爆発音は聞こえてこなかったが、夜空を見遣ると何度か赤く染まった。米軍の攻撃が始まり、同胞が今殺されている。そう直感し、子供心にも戦慄したと教えてくれたが、平成の今、国際通りは本土並みに安穏として、三越のビルも最新型のモノレールもあった。
国際通りから近い安里教会でラサール神父と出会えた。宣教一筋で那覇の大衆と一歩づつ歩んできた様子だった。「まだ日本語は50年しか勉強していないですから下手です。これからも勉強です」。謙虚な言葉に嫌味さがなかった。
名護の信徒に「戦後、奄美に来たアメリカのフランシスコ会士らは日本人に殺される覚悟で上陸したそうです」と聞かされたが、沖縄のフランシスコ会士はレイ那覇教区初代司教の精神を継承している。その一人、ラサール神父は男性的な発想をするリベラルだった。ソウルにいた米軍の司令官が1990年代に従軍神父になぜその仕事をしているのかと問われて、「家計があるんです。娘の教育費が要るのです」と答えたと晴れやかな大声で冗談を飛ばす。豪快な率直さがいかにもアメリカ人だった。「9・11のとき、アメリカの司教団はイラクとの戦争を支持しましたが、反対です」
レイ神父は、戦中、グアムで日本軍に身柄を拘束され、神戸の中央区伊藤町に移送された。収容所内では、日本軍兵士は欧米人の捕虜を極度に狭い寝床に押し込み、作業のときは全員施設前に整列させた。食事は飢餓させない程度だった。牛馬の骨も捕虜はスープ代わりに吸った。炎天下のグラウンドでは、連日、行進や点呼の訓練。日本語で番号を言えないと、怒鳴られ、軍刀のさやで叩かれた。かくも苛烈な戦争体験を経てもなお、人類愛を体現しようとする峻厳な宣教姿勢がレイ師の圧倒的美質だった。
沖縄の地上戦には軍事戦略的には意味はあったともいう。
米軍からみれば、上陸前の艦砲射撃が不十分だったので、硫黄島では日本軍以上の7千人近い海兵隊員の命を失っていた。沖縄戦では同じミスを犯さないために、坪当たり一トンの砲弾が投下された。沖縄上陸前に徹底的に艦砲射撃で叩いた。『沖縄の心を』(著 佐喜眞道夫氏)によれば、その結果、250キロ爆弾一発で50メートルプール大の穴が地面にできる。半径700メートル以内の木造家屋は吹き飛ぶ。そんな爆弾が沖縄では坪当たり四個投下された。この軍事戦略はさらに進化を遂げる。戦後、技術と殺意の複合体による大量虐殺が始まったのがこの沖縄だった。ちなみにカプチン会の米人司祭と大阪教区の日本人司祭が両軍に分かれて参戦。沖縄で戦火に散った。
筆者の母は長崎で被爆した。爆心地から1100メートルの距離だったが、「半島人」だったことが幸いした。B-29の来襲を告げる空襲警報がやんだとき、家族ごと防空壕にいた。
外に出る許可を得たのは日本人だけ。彼らが防空壕から出た瞬間、母は轟音を聞き、同時に、落盤が起きた。数時間かけて、手で掘り、一家で表に出ると、先に出た者は即死していた。翌日から従兄弟を探すために父親に手を引かれて炎天下の焦土を歩いた。長崎市内には死体が溢れていた。戸板を腐りかけた死体の上にひっくり返し、腐臭を避けながら、母らは前進した。皮肉にも日帝下の差別待遇が母の一家を原爆の猛威から守った。だからだろう。正直に言えば、毎年夏が来て被害者たろうとする日本人を見てもそれほど共感できなかったが、今回、沖縄の信徒と話しこんで、日本軍に利用されて大量死を経験した沖縄の方々に深く同情できた。
― 戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です
1981年に広島がヨハネ・パウロ二世教皇が残した平和アピールの意味をやっと見えた。
 現在、那覇教区の信徒数は5600人弱。沖縄戦後、たった二人の信徒が生還した。ここまで短い間に成長させた原動力の一つは、軍政下の沖縄をアメリカ本土並みにキリスト教化したいという世俗的野心があったにせよ、レイ神父が自らの収容所体験を通じて、米軍から沖縄人が受けた暴力の痛みを我がことのように想像できたからだろう。以上、仮説に過ぎない。レイ師の沖縄日記のようなものがあれば、本音を一読したいとも思えてくる。
那覇の小禄教会で御ミサに預かった。主任司祭はインド人のジョンソン神父。祭壇には、たまたまニューヨークから来日されていたフランシスコ会のジョーン・マッヒュー副管区長。フィリピン人信徒のために英語で説教した。続いて、茨城からお見えになっていた千原通明司祭が日本人信徒に説教をした。教会を出ると、澄んだ陽光がフランシスコ会修道院の白壁を照らしていた。トヨタのビッツが停まった。ハンドルを握るご婦人は城間幸子と名乗る。
70年代に文豪の開高健らとベトナムの戦場を走り回った大写真家・石川文洋の縁者だった。「うちの甥がカメラマンでね。文洋の親父も貧乏な文士。どうやって生きていたんじゃろうね。琉球新報に売れない時代小説を書いていたけど」。あんたの素性を知っているぞといわんばかりにからからと笑った。(続)



[2143] ようやく Re:[2142] ミクシィを通して冊子の寄贈が来る! 投稿者:北風 投稿日:2010/04/09(Fri) 11:08  

>  私は浅く広く付き合いを致しています。
>
> 過日ミク友から、学生時代にハンセン病を研究をしたみたいです。
> Aさんは、私しと同じ位の年齢で還暦に近い、都会を離れ田舎暮らしを夫人と過ごされているみたいです。
>
> でもハンセン病の蔵書を捨てに持っていたみたいです。
> ようやくこの本が、行き先が,決まったと喜んでハンセン病文庫に寄贈されました。
>
> 早速本日30冊の図書寄贈が届いた。
> 中身を見ましたら、結構良い本があるではないか!私も未だ読んだことがない本もあった。
>
> 遥かなる故郷「ライと朝鮮の文学」村松武司他生き抜いた証に「ハンセン病療養所多磨全生園・朝鮮人・韓国人の記録他
> いろいろと良い本が多々ありました。
>
> 来週奄美市の市会議員のT議員他数名とハンセン病文庫友の会の数名と協議する。予定「議員控え室」で!
>
> その時にハンセン病文庫に納めて来ることにする。
>
> 今読みたい本・元和光園園長の馬場省二先生の「患者が待っている」医の本質を見つめてを読んでいる。
>
> Aさんありがとうございました。今年の総会で紹介致します。
> 感謝です。
>

ようやく村松武司の蔵書目録ができました。
ハンセン病関係と詩および村松自身の著書を残して、後は村松の親友だった神保町の主・山さんの忘れ形見(といっても大姉御)のゆりちゃんに整理を頼んだ。

ルリカケスさんに、ハンセン病関係の目録を送ります。必要な書籍をチェックして返送してください。

Aさんって、岡山?




[2142] ミクシィを通して冊子の寄贈が来る! 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/04/08(Thu) 14:50  

 私は浅く広く付き合いを致しています。

過日ミク友から、学生時代にハンセン病を研究をしたみたいです。
Aさんは、私しと同じ位の年齢で還暦に近い、都会を離れ田舎暮らしを夫人と過ごされているみたいです。

でもハンセン病の蔵書を捨てに持っていたみたいです。
ようやくこの本が、行き先が,決まったと喜んでハンセン病文庫に寄贈されました。

早速本日30冊の図書寄贈が届いた。
中身を見ましたら、結構良い本があるではないか!私も未だ読んだことがない本もあった。

遥かなる故郷「ライと朝鮮の文学」村松武司他生き抜いた証に「ハンセン病療養所多磨全生園・朝鮮人・韓国人の記録他
いろいろと良い本が多々ありました。

来週奄美市の市会議員のT議員他数名とハンセン病文庫友の会の数名と協議する。予定「議員控え室」で!

その時にハンセン病文庫に納めて来ることにする。

今読みたい本・元和光園園長の馬場省二先生の「患者が待っている」医の本質を見つめてを読んでいる。

Aさんありがとうございました。今年の総会で紹介致します。
感謝です。



[2140] 本日入稿。ついに奄美からおさらば 投稿者:ユン 投稿日:2010/04/06(Tue) 17:27  

行き行きて 隣の芝は青かった
沖縄・奄美巡礼 その3

筆者の中の沖縄の記憶は、セピア色だった。
嘉手納基地に飛来するB-29 空母エンタープライズ号の佐世保入港をめぐる騒動など、みな、遠い昔、テレビ番組の中で見た本土復帰以降の古い画像だけだった。当時、中学生だった。沖縄になぜか自転車で行きたくて相当調べた。目的は沖縄一周の後にフェリーを乗り継いで、台湾の基隆港まで行くことだった。実現させる資力はなかったが、世界地図を読みふける。それだけで楽しかった。そのころと今の違いは、世界各地を少しは見ていること。その後、洗礼を受けたこと。教会にも行かず、敬虔なキリスト者の偽善さを傍観すること。沖縄の伊江島で戦死した世界的従軍記者アニーパイルの名を冠したアメリカの大学院の校舎に通ったので、アメリカに親和感も覚えるようになったことか。
 テントと寝袋を積んだ自転車で那覇の繁華街・国際通りを行く。筆者がアメリカにいたころ、まだジャマイカからの移民の子パウエルは統合参謀本部議長だった。その後、黒人牧師の娘のライスが国務長官になる。筆者は幼少だったが、35年前に佐世保の外人バー通りを歩くと、黒人と白人のMPが組んで歩いていた。「白人の喧嘩には白人だけ。黒人の喧嘩には黒人MPがいく」。要するに女衒の親玉だった。佐世保市内で外人バーを営み、軍からの横流しで入手した黒い7リッターのフォード・トレノを自慢げに乗っていた叔父にそう聞かされたが、ついに黒人のオバマが最高権力者になった。
 土産屋から流れる島歌が心地よく耳に入る。交差点で190センチ以上ありそうな黒人青年を見かけた。安手の素地だったが、アイロンをちゃんとかけた背広とズボンは長身に似合っていた。
「かっこいいねえ」
 日本語で声をかけた。
 混血児だった。完全な日本語が返ってきた。サングラスの下の目は微笑んでいたはずである。少数者の彼にとってのキリスト教は何か。アメリカでも沖縄でも社会的居場所が見つけにくいだろう。かりそめの対話を試みたくなったが、白い歯を出して、
「ありがとう」
大声で返事をして、青年は横断歩道の向こうに消えた。
― 沖縄には行かない
そんな信念を口にする女性がいる。熊本の国立療養所菊池恵楓園のカトリック聖堂で長年元ハンセン患者のお世話をしてきた人で、長女は修道女としてチャドにいる。訳を聞くと、幼少のころ、奄美の瀬留教会の信徒だった。赤尾木という地区の山に家族で住んでいた。300キロ離れた沖縄の戦地からは爆発音は聞こえてこなかったが、夜空を見遣ると何度か赤く染まった。アメリカ軍の攻撃が始まり、同胞が今殺されている。そう直感し、子供心にも戦慄した。そう教えてくれたが、平成の今、国際通りは本土並みに安穏として、三越のビルもあった。
沖縄には銭湯と鉄道がない。そう聞いていたが、最新鋭のモノレールはあった。円高のせいで、「海兵隊員も基地から出ない。彼らの給料では基地の外で羽目をはずすことは無理」と地元の新聞記者はいったが、居酒屋の一杯300円のハブ酒が3ドル以上となると、新兵には狂気の物価だろう。円高が戦後を終わらせたのか。
国際通りから近い安里教会でラサール神父と出会えた。学生相手に書籍から拾った知識を述べていれば事足れる東京のイエズス会の学僧とは異なり、沖縄で宣教一筋に生きてきた経験を経て、那覇の大衆ととぼとぼ歩んだのだろう。「まだ日本語は50年しか勉強していないですから下手です。これからも勉強です.」。ラサール神父の謙虚な言葉に嫌味がなかった。
後年、那覇教区の初代司教になったレイ神父には、戦中、グアムで日本軍に身柄を拘束され、神戸の中央区伊藤町に移送された。収容所内では、日本軍兵士は欧米人の捕虜を極度に狭い寝床に押し込み、作業のときは全員施設前に整列させた。食事は飢餓させない程度だった。牛馬の骨も捕虜はスープ代わりに吸った。炎天下のグラウンドでは、連日、行進や点呼の訓練。日本語で番号を言えないと、怒鳴られ、軍刀のさやで叩かれた。かくも苛烈な戦争体験を経てもなお、日本人を憎むことなく、人類愛を体現しようとする峻厳な宣教姿勢がレイ師の圧倒的美質だった。
沖縄の地上戦には軍事戦略的には意味はあったという。アメリカ軍からみれば、上陸前の艦砲射撃が不十分だったので、硫黄島では日本軍以上の7千人近い海兵隊員の命を失っていた。沖縄戦では同じミスを犯さないために、坪当たり一トンの砲弾が投下された。米軍は沖縄上陸前に徹底的に艦砲射撃で叩いた。『沖縄の心を』(著 佐喜眞道夫氏)によれば、その結果、250キロ爆弾一発で50メートルプール大の穴が地面にできる。半径700メートル以内の木造家屋は吹き飛ぶ。そんな爆弾が沖縄では坪当たり四個持投下された。
この軍事戦略はさらに進化を遂げ、5年後には朝鮮半島では空爆という形に変貌し、その15年後の1695年にベトナム戦争で、さらにイラクでもアフガニスタンでも民間人を犠牲にする空爆を起した。技術と殺意の複合体大量虐殺が始まったのがこの沖縄だった。ちなみにカプチン会の米人司祭と大阪教区の日本司祭が両軍に分かれて参戦。沖縄で戦火に散った。
  名護の信徒に「最初、奄美に来たアメリカのフランシスコ会士らは日本人に殺される覚悟で上陸したそうです」と聞かれさていたが、沖縄のフランシスコ会士はレイ司教の精神を継承している。その一人、ラサール神父は男性的な発想をするリベラルである。広島・長崎への原爆投下を人道に対する罪を批判する。ソウルにいた米軍の司令官が1990年代に従軍神父になぜその仕事をしているのかと問われて、「家計があるんです。娘の教育費が要るのです」と答えたと笑う。晴れやかな大声で冗談を飛ばす。豪快な率直さがいかにもアメリカ人だった。「9・11のとき、アメリカの司教団はイラクとの戦争を支持しましたが、とんでもない。大反対です」
  筆者の母は長崎で被爆した。爆心地から700メートルの距離だったが、「半島人」だったことが幸いした。B-29の来襲を告げる空襲警報がやんだとき、家族ごと防空壕にいた。先に出たのは日本人だけだった。町内の日本人が防空壕から出た瞬間、母は轟音を耳にした。同時に防空壕内部で落盤が起きた。
  数時間かけて、手で掘り、一家で表に出ると、外に出た日本人の大人は即死していた。翌日から従兄弟を探すために父親に手を引かれて炎天下の焦土を歩いた。長崎は崩壊していた。市内に死体が溢れていた。生き地獄だった。戸板を腐りかけた死体の上にひっくり返し、腐臭を避けながら、母らは前進した。皮肉にも日帝下の差別待遇が母の一家を原爆の猛威から守った。だからだろう。正直に言えば、毎年夏が来て被害者たろうとする日本人を見ても共感できなかったが、今回、沖縄の信徒と話しこんで、日本軍に利用されて大量死を経験した民に深く同情できた。
  現在、那覇教区の信徒数は5600人弱。沖縄戦後、たった二人の信徒が生存しただけだった。ここまで成長できたのも、レイ師が収容所体験を通じて、沖縄人が巻き込まれた暴力の痛みをありありと想像できたからだろう。以上、想像と仮説に過ぎない。レイ師の沖縄日記のようなものがあれば、一読したいとも思えてくる。
  那覇の小録教会でミサに預かった。演壇には、ニューヨークから来たフランシスコ会のジョーン・マッヒュー副管区長。フィリピン人信徒のために英語で説教し、続いて、茨城からお見えになっていた千原通明司祭が日本人信徒に日本語で説教をした。主任司祭はインド人のジョンソン神父だったが、遠来の千原神父にその日のミサを任せて、久保田終身助祭は粛々とミサを進め、告知を合間に入れた。沖縄にふさわしい多民族性のミサだった。
 教会を出ると、澄んだ陽光がフランシスコ会修道院の白壁を照らしていた。ホンダのビッツが止った。ドアが開く。助手席にはベトナム人の若い神父が同席していた。ハンドルを握るご婦人は城間幸子と名乗った。70年代にその絶頂にあった作家の開高健らとベトナムの戦場を走り回った写真家・石川文洋の縁者だった。「うちの甥がベトナム戦争のころからカメラマンだった。文洋の親父も貧乏な文士でね。どうやって生きていたんじゃろうね。琉球新報に売れない時代小説を書いていましたが」。あんたの素性を知っているぞとばかりにからからと笑った。(続)



[2137] ま、基礎学力というか 投稿者:ユン 投稿日:2010/04/02(Fri) 23:26  

 栃尾は複雑なことは思考できず。せめてちゃんと日本でスコラ哲学でも修めていればよかったのでしょうが、かわいそうに、「信仰」という名の思考停止集団に入り、形式だけローマにいき、新共同体に二重の洗脳をされた可能性が大。
 それでもたかがミサ程度ならばできる。司祭が足らんからでしょう。あれもまた良し。
 松山さんは健常者です。施設の中の教会ばかり行く方です。宮崎さんは健常者かもしれません。菊池の達城さんのお世話を長年していた方ということです。
 
 それはともかく、少数者の厭なこともある。己の苦しみしか語ることができない人が多い。それほど大変なことはわかっておりますが、己にとっての苦しみを、己とは違う種類の苦しみを己のものとする人こそ、真の少数者だろうと思いますね。

 いつだったか、全生園の李氏と話し込んだのですが、60年代までは、同じハンセン病元患者でも、在日の方は支給額が圧倒的に低かったということ。そんな日は施設の陰で、日本人の元患者に対する待遇(具体的には食事など)を見て、泣いていたそうです。
 栃尾の愚を犯さないために、小生は小生なりに、常に、ある状況下で、少数者との交流を最重点事項にしているつもりです。
 正直申し上げあげて、日本の中のハンセン病元患者の問題にはもう関心がありません。半世紀で相当の進展があったからです。進展があっても、無駄になった人生の時間は帰ってきません。これが残念といえば残念です。

 今一番関心があるのは、イラクでもアフガニスタンでもいいのですが、戦乱の地で、ハンセン病患者や精神病患者がどう扱われているか。彼らにはどんどん支援すべきと考えておりまして、ルリカケスさん、機会があれば、どんどん寄付になり、現地視察なりにご参加ください。
 栃尾がいなくても、愛の行為は実現できると思っております。海の向こうにも神父はおりますので。


[2135] Re:[2123] 沖縄の助祭いわく 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/04/02(Fri) 20:22  

>  ルリカケスさん、ところで、昨日、菊池の教会に来る松山さんと話をしましたが、彼女は「沖縄にはいけない」というのです。彼女のご両親は、瀬留の信徒だったらしいのです。熱心な信徒ではなく、お嬢さんにミサ参加強要はしなかったとのこと。それはともかくとして、戦争中、赤尾木の自宅から夜空を見上げると、沖縄方面が瞬間的に何度か真っ赤になたそうです。子供心にも艦砲射撃の威力が想像できて、恐怖を感じて、沖縄といえば、殺戮の地という先入観ができているとのこと。
>  一月に菊池の元患者の宮崎さんが愛楽園を訪問していたそうです。残念ながら小生はそのときいたのですが、お目にかからず。残念でした。
>  宮崎さんは、小生が尊敬する達城さんの生前の親友でした。菊池ではお目にかかったことがあったはずですが、沖縄ではすれ違いだったようです。


ユンさんへ

栃尾さんは、多分ネットしていないと思います。
私もあれから会ってないです。

それに今日午前中柳本神父さん会って来ました。
大熊教会時には、良く和光園に行ったみたいです。
私は柳本神父さんより、ゼローム神父の本を頂きました。
ハンセン病資料館に別のDVD(昔の天使園)と一緒に送ります。

それに菊地の信徒さんは、解らないです。元患者に宮崎さんは、熊本にいるのですか?
それに松山さんは、トラウマですかね!太田さんの教会ですか?
 


[2129] 小野田もラサールで胡散臭い神父にだまされて、東大を出ても社会的に居場所がなし。日本の修道会にも教区にもおいてもらえずにローマにいったが、同類の新共同体には厳しいもんだわな。小野田はソウルにカルト修道会で遊んでいる。 投稿者:ユン 投稿日:2010/04/01(Thu) 23:10  

新求道共同体運動とは?

 以前、掲示板で次のようなご質問を私どもにして下さった方がいらっしゃいます。
「高松教区なんかで盛んな新求道共同体の運動についてはどう思うか?」

 既に掲示板でお答えしましたが、それとほぼ同じものをここに掲載いたします。

 新求道共同体運動とは、英語でNeo Catechumenal MovementとかNeo Catechumenate Movementとかと言われるものの日本語版だと思います。

 私は、新求道共同体についてあまり詳しい資料を持ち合わせておらず、手元にあるのは取りあえず「高松教区立国際宣教神学院便りRedemptoris Mater」1999年5月30日発行の第7号ぐらいです。が、少ない資料ではありますが、それを拝見すると、そこで働いておられる方や、神学生の方々は、善意を持った熱心な方だとはすぐに分かります。また、これ見ると使われている独特の専門用語があるらしいことにも気づきました。例えば「新求道期間の道に入る」「新求道期間の歩み」「洗礼刷新の道」「聖書を通してのカテケジス」などなど。

私は、ご質問に出来る限りお答えするため、以下に聖ピオ10世会アジア管区のニュースレターの1999年7-8月号を参考にして、少し問題点をまとめてみました。これは、ウェッブ・サイトでもご覧になることが出来ます。http://www.sspxasia.com/Newsletters/1999/July/The-Neo-Catechumenal-Way.htm

 もちろん、新求道共同体を調べようとするには、関係者の方々も否定できないような公の資料を使ってその内容を検討するのがよいと思われます。しかし、これは新求道共同体について本格的に調査研究することを目的としたものではなく、いろいろあった質問のうちの一つに取りあえずお答えするもので、まず私以前に誰かが調査したものを使うことにしました。

 そこで、私にとって一番信頼の置ける、ローマ(と言ってもローマ市内ではないのですが)にある、福者パドレ・ピオをある意味で霊的指導者にもっていた女子修道会から出している刊行物「Si si no no紙」の内容を日本語に翻訳したのです。この修道会に信頼が置ける、と言ったのは、これは、聖ピオ10世会ではありませんが、今でも聖伝のミサをそのまま守っており、もっとも伝統的な修道会の一つだからです。昨年、私はローマに巡礼に行く機会に恵まれましたが、その時、ここも訪問させていただきました。

 ここの修道院からは2週間に1回づつSi si no no紙が発行され、ヴァチカン中の枢機卿や司教さまたちに送られています。この内容の一部がフランス語に訳されてCourrier de Romeとなり、月に一度発行されています。この発行物の内容と情報の正確さは有名で、信頼に値するものです。そして、聖ピオ10世会アジア管区のニュースレターのこの記事は、フランス語の「ローマ通信Courier de Rome」の1991年2月号をもとに作られているのです。

 私は新求道共同体の方々の善意と熱心と誠意を賞賛し、またそれを前提としながらも、それにも関わらず問題点である新求道共同体の活動原理である霊性をここで見てみることにします。
 以下に書くものは、決して個人攻撃でも、個人的な非難でもありません。
私たちにとってもっとも大切なことは、カトリック信仰を純粋に守ることであって、私たちの同胞兄弟たちが、この聖なる唯一の信仰を保って下さることのみを願うばかりです。天主様に特別の聖寵を願って、聖霊の識別のたまものを祈りましょう。

 さて、この運動の創始者は、キコ・アルグエヨ氏Kiko Arguelloと呼ばれる人です。
ところで、上記のアジア管区のニュースレターは、キコ・アルグエヨとカルメン・エルナンデスCarmen Hernandezが、「カテキスタ」たちに与えたアドバイスを集めた400頁ほどの本を分析しています。この本はスペインで1972年2月に出版されていますが、共同体の教師たち以外は秘密の書類でした。この本の内容は絶対に秘密にされていなければならないと書かれています。

 このキコの秘密の本のはなしですが、

Directions for running Introductory Catechesis sessions (translation, punctuation and emphasis are from the English typescript for N-C catechists)

と言う題で、英語訳の抜粋がホームページに掲載されています。

http://ourworld.compuserve.com/homepages/ronald_haynes/nc-catin.htm

 私は、残念ながらここを全て読んだのではないですが、少なくとも噂の「秘密の本」が存在していた事は事実と言えると思います。

 また、フランス人のSebastien NICOLASと言う心理臨床医学者が作っているホームページにもこの本のことがでてきます。(この人がどのような人が余りよく知りませんが、ダットコムのダット(・)を三つの点で書いているところを見ると、フリーメーソンの人なのかな?と思ってしまいました、がそれはそれとして)

http://www.psychologueclinicien.com/chemin.htm

の中の、

Analyse critique de la catechese numero 1 du chemin

を見ると、「回心の段階のためのカテキスタ達のグループへの指針」という最初のカテケーシスが1972年に出され、それは373ページの本で、カテキスタ達がこれを使っていると言っています。セバスチアン・ニコラ氏はこの本を持っていると言っています。

そして、ニコラ氏によると、この「カテキスタ達のグループへの指針」は段階を踏んで進むようになっており、合計は2800ページのタイプされたものだそうです。しかし、「新求道期間の道」のメンバーにはこの本の存在が知らされておらず、手に入れることが出来ないのだそうです。「新求道期間の道」自身も長い間このような文書が存在していたことを明らかにせず、バチカンがこのことを知ったのはようやく1999年になってのことでした。

実は、ホームページの掲示板をご覧になった或る日本の女性の方が「新求道期間の道」のメンバーである(と思われる)一人の神父様のメールをどう思うか、と転送してきて下さいました。この神父様はこう書いておられました。ここではこの神父様の個人がどうこうという問題ではなく、このような神父様でさえも全く知らなかったと言う事実を指摘したいと思います。

「私は、8年間ローマにいて、ずっとキコらと近いところにいた人間としての直接経験から証言します。・・・(略)・・・ 小野田神父さんは、「おそらく教皇様は、キコとカルメンの書いた本の事を知らなかったのでしょう。もしこの本のことを知ったら、誰もこの運動を支持しないでしょう・・・」と書いておられます。「教皇様」という言葉で、ラッツィンガー枢機卿を始め、ローマ、バチカンの教義聖省の神学者達が、今や日本の我々でも知っているこの「重要文献」のことを全く知らないとお考えでしょうか。あなたの識別力はどこに行ってしまったのでしょう。

私の弁別の結果は以下の通りです。

1.新求道共同体と近いところにもう10年もいる私、キコやカルメンと何度も個人的に会ったことのあるわたし、が一度も聞いたことのない「秘密の本」など存在するはずはない。存在しないから、バチカンも教皇様も知るわけがない。そんな本があると言うのは嘘、でっちあげにちがいない。

2.百歩譲って、(実際には上の推論の通り存在しないはずであるが)仮に、そんな本がキコとカルメンの名を語ってでっち上げられて存在したとしても、バチカンの識別力をもってすれば、それが偽物であることを見抜き、完全に無視したことでしょう。・・・」

これで引用は終わります。

 この神父様は、善意の方なのですが、残念ながら新求道共同体に、いえ、「新求道共同体と近いところ」に10年もかかわっておられたにもかかわらず、キコやカルメンと何度かたとえ個人的に会ったとしても、1972年のこの本について、一度も聞いたことがなかったのかも知れません。まあ、「秘密の本」なのですから、ちっとやそっとで知られてはならないのかも知れません。神父様がたとえこのことをご存じなかったとしても、それは神父様の責任ではありません。

 しかし、私たちが手に入れることの出来る情報をよく考えて評価してみると、この本の存在を疑うのは非常に難しいと思われます。

 さて、先ほどのニコラ氏は、次のような疑問を提出しています。

 何故「新求道期間の道」はこのような文書が存在していたことを否定してきたのか?

もし、カトリック教会の教えと一致していたのなら、何故このような本を秘密にしなければならなかったのか?

 何故、段階を経ないと次のことを知ることが出来ないようになっているのか?(ニコラ氏は、これはカルト的な特徴だと指摘しています。)

 何故、メンバーがそれを要求したとしてもそれを手にすることが出来ないのか?

 今となってはこの文書の存在が多かれ少なかれ知られるようになりましたが、もう有効ではないとか、認可を受けたとか、いろいろなことを聞きます。一体何故か?どうしたら正確なことを知ることが出来るのか?どうして確かめたらよいのか?

 話はあちこちに飛びましたが、話を聖ピオ10世会アジア管区のニュースレターのこの記事に戻しましょう。

 この記事によると、キコの秘密の本は、聖伝のキリスト教(つまり、洗礼があり、初聖体があり、主日のミサがあり、天主の十戒があり等々)が、キリスト教ではなく汚物だと教えているそうです。そのようなことを信じているキリスト者は「前キリスト者pre-Christians」だったのです。天主様は、いまや「再生」(言い換えれば本当のキリスト教)へと向かうように「求道共同体」Catechumenal Movementを創立するようにと呼びかけておられるのであり、2000年のカトリック教義と教会のしてきたことを無視し、知らなくても良いと言います。
 新求道の道は原初の正真正銘のキリスト教の価値を再発見することを主張しています。

 この本の中には、少なくともカトリックとは相容れないと思われる6つの点があります。

(1) 救いにかんするルター的な考え方
新求道共同体の指導者は、第2バチカン公会議による神学の刷新のため、今日では贖いの教義ではなく、イエズスの過ぎ越の神秘がむしろ語られなければならない、といいます。
ところで、ルターの教えの中心点は、祈りによって息吹かれた良き業や償い、愛徳の業をしなくても「救われた」と言うことを信じさえすれば救われる、と言うことです。ルターによる「信」とは、本質的に、天主様がイエズス・キリストのために罪を大目に見て下さるという「信頼」のことです。ですから、ルターにとって「悔悛の秘蹟」とは、無用なのです。
この本の中でキコとカルメンは「人はよい業によって救われるのではない、イエズス・キリストは模範的な生活を私たちに与えるために来られたのではない、聖霊は私たちを監督と良い業に導かない、キリスト教は私たちから何も要求しない。天主は「イエズスが救い主である」と信じる全ての人の罪を無償で許される。善行は、信仰の印である。」などと言っています。
これを見ると、たとえ彼らがプロテスタントではないとしても、彼らの救いに関する教えはプロテスタントそのものだと言うことが出来ると思います。
カトリックの教えによれば、善行は印であるのみならず、救いに必要な事柄なのです。

(2) 贖いの否定
カトリックの教えによれば、私たちの主イエズス・キリストの御受難が私たちの贖いの原因でした。何故なら、天主様のご計画により、私たちの全ての罪の償いとして私たちの主の御受難こそが、私たちの救いの値だったからです(コリント前6:20)。
ところで、キコとカルメンはこう書いています。
「ユーカリスチア(感謝の祭儀)の中にいけにえという概念が入り込んだが、これは異教の考え方に由来するものだ。天主はご自分の御子の血によってなだめられる必要がない。主の御復活によって、イエズスは天主が私たちを赦そうと望まれていることを示している。イエズスの十字架でのいけにえが私たちに許しを得させたのではない。私たちは、第2バチカン公会議の神学の刷新によって、贖いの教義よりもむしろイエズスの過ぎ越しの神秘を語らなければならない。」
私たちは、それに答えてこう言わなければなりません。いかなる公会議も教会の不可謬の教えを変えることが出来ない、と。天主は無限の知恵と愛とによって、天主の第2のペルソナである御一人子が人性を取り、私たち罪人の代わりに、天主御父の栄光と私たちの贖いのために十字架の上でいけにえとなることを望まれたのです。

(3) 悔悛の秘蹟の否定
キコとカルメンによると、罪の許しを得るために自分自身の罪を告白すると言うことは、魔術のようであり、あまりにも個人主義的な考え方である、そうです。彼らによれば、悔悛の秘蹟において一番大切なのは罪の赦しを得ることではなく(というのは、既に私たちはイエズス・キリストにおいて赦されているから)、教会共同体というイエズス・キリストの印が私たちを赦すと言うことにある(!)そうです。

彼らは、イエズス・キリストが「信者共同体」ではなくご自分の使徒とその後継者たちに罪の赦しを与える権能を与えたこと(マテオ16章19)を忘れているようです。

 *** 日本で求道中のある一人の(お名前からお察し申し上げると)女性の方が私の掲示板をご覧になって次のようなメールを下さいました。一応ご参考までに。

「はじめまして。新求道共同体で求道中のものです。・・・私が身近で、見ている、宣教師さん(新求道共同体)などはしょっちゅう、神父様に罪の告白をしています。私にも、そうやって神父様に話すといいよと教えて下さいました。(告解で、求道中の私でもしたければしてもいいと教えていただき、私も罪の告白をさせて頂いたこともあります)それと、イエス様の肉体の復活も教えていただいております。私は、あまり頭がよくないので、はっきりした聖句の言葉、場所などを覚えておりませんが、弟子の一人が、肉体の復活を最後まで信じなかったところです。その弟子は、イエス様のわき腹など、穴の中に手を入れないと肉体の復活を信じないと言いましたが、その後イエス様がその弟子の前に現れて、実際に手を入れさせて、「見ないと信じないのか」と言われたというところがありますがそのところを、ちゃんとこのように肉体の復活はあったと新求道共同体所属の神父様に教えて頂きました。」

(4) ミサのいけにえの否定
キコとカルメンによるとミサとは「イエズスの過ぎ越し、すなわちイエズスの死から生命への通過の記念」に過ぎないそうです。彼らによると初代教会には、ミサに関する神学には、イエズスのいけにえとか十字架やカルワリオのいけにえとかの観念がそもそも無かった、あったのはただ「賛美のいけにえ」だそうです。
これは、典型的なプロテスタントの考え方です。これは、トリエント公会議によって荘厳に排斥された謬説です。

(5) 御聖体における主の現存の否定
キコとカルメンはカトリック教会が実践し続けてきた聖伝のやり方をあざけります。例えば、御聖櫃、御聖体の祝日、聖体降福式、御聖体顕示式、御聖体行列、聖体礼拝、聖体訪問、跪き、御聖体拝領でイエズス様を私たちが受けると言うこと、御聖体拝領後の感謝の祈り、信徒なしで司祭が1人で立てるミサ、これら全てはユーカリスチア(感謝の祭儀)を小さくしてしまい、復活の精神からかけ離れている、と非難します。
彼らにとってもっとも大切なことは、御聖体の秘蹟の中にイエズス様がまことにましますことではなく、過ぎ越しの秘義としてのユーカリスチア(感謝の祭儀)なのです。その昔ヘブライ人たちがエジプトから逃げた第1の過ぎ越しにおいて天主がおられたように、死者のうちからの復活により霊的に現存される、と言うのです。
私たちは、トリエント公会議に従って、パンとぶどう酒の形色のもとの御聖体のうちに、私たちの主は、御体、御血、御霊魂、御神性、すべてが、真に、実際に、実体的にましまし給うと言わなければなりません。

(6) ご復活の否定
キコとカルメンはこう書いています。「使徒たちは復活したキリストをどうして見たのか?それは、霊が生かされ、彼ら自身のうちにだ。」
かれらは、カトリック教会がイエズス・キリストの肉体の復活を教えていることを忘れ、霊的復活を語っています。そして、彼らは主の肉体の御復活が信仰のドグマであることを忘れているようです。

 さて、以上のような教えを持つにも関わらず、この運動は、ローマによって奨励され、ヨハネ・パウロ2世教皇様によって認可されているようです。1990年10月に、「トレンタ・ジョルニ(30日)」という雑誌は、「新求道者にゴーサイン」と言う見出しで、ヨハネパウロ2世教皇様が新求道者の道を賛美する、という記事があります。
 おそらく教皇様は、キコとカルメンの書いた本のことを知らなかったのでしょう。もしこの本のことを知ったら誰もこの運動を支持しないでしょう。この公的承認は悲劇的です。教会内で、大手を振ってカトリック信仰が破壊されるからです。ガン細胞がキリストの神秘体の中に入ったかのようです。教皇様の認可を得て、この運動の神学校は世界中で作られつつあります。ローマにも、ニューヨークにも、マドリッドにも、ワルシャワにも、コロンビアのメデリンや、ペルーのカリヤオにもです。

 カトリック信者は高位聖職の方々が行う全ての行動を、無条件に受け入れて従順でなければならないのでしょうか?たとえそれが一、聖、公、使徒継承の教会の代わらない信仰に明らかに反しても?

 教会に反して働く秘密組織に対して、教会を守るために、カトリック信者はその秘密の仮面を剥がす義務があります。

 新求道共同体で働き、また勉強されている方は、熱心で善意のすばらしい方々なのです。ただ、公会議が打ち出した新しい理念を素直に実践されているだけなのだと思います。高松教区では、この新しい理念に基づく「新求道期間の道」のプログラムに従って司祭が養成され、新しい夕イブの司祭が生まれているのです。
 公会議が打ち出した新しい理念を受け入れて、今までとは違った新しい司祭を作ろうということでは、東京大神学院も同じなのだと思います。
 私たちは、今日、新求道共同体運動の本当の姿を、いえ、第2バチカン公会議の本当の「実り」を皆の前に暴かなければならないのだと思います。

 この記事がご質問にお答えしていることを祈ります。

文責: トマス小野田神父

以下は、ご参考にどうぞ

Kiko Arg醇・lloによる「新求道期間の道」とは何か:What is the Neo-Catechumenal Way?は、ここをご覧下さい。

また、Pius Sammut神父は、「新求道期間の道」を弁護しています。| Home | Next |

Elena Curtiがカトリック週刊紙The Tabletsに書いた「新求道者とは何なのか?」は、英語の原文がL'original en anglais iciここで読めます。


イタリア人による「新求道期間の道」を疑問視するイタリア語のサイトIl Movimento Neocatecumenale di Kiko ARGUELLO: una innovativa realt醇A cattolica o una setta eretica? Documenti e testimonianzeはここです。http://www.geocities.com/Athens/Delphi/6919/

これの英語版はhttp://www.geocities.com/Athens/Delphi/6919/english.htmにあります。


 もちろん、ここに断っておかなければならないことは、これらのホームページに書かれていることが「不可謬」というわけではなく、ただ参考資料としてとしての価値しかないと言うことです。

 誰かのホームページに悪く書かれたから、悪いのだ、というのではありません。一応、念のため申し上げました。

2001年3月19日 ソウルにて トマス小野田神父



[2123] 沖縄の助祭いわく 投稿者:ユン 投稿日:2010/03/31(Wed) 12:35  

 栃尾さんが鹿児島にいけたのは神父不足だったからという理由だった。
 沖縄は新共同体出身者は拒否ということでした。
 ということで、哀れに感じたのか、司教が自分が育った教会で引き取ったということでしょう。
 ただし、栃尾さんが「新共同体」と縁を切ったかは不明とのことでした。たぶん残っているのではないとその沖縄の助祭は推察して、批判しました。
 ルリカケスさん、ところで、昨日、菊池の教会に来る松山さんと話をしましたが、彼女は「沖縄にはいけない」というのです。彼女のご両親は、瀬留の信徒だったらしいのです。熱心な信徒ではなく、お嬢さんにミサ参加強要はしなかったとのこと。それはともかくとして、戦争中、赤尾木の自宅から夜空を見上げると、沖縄方面が瞬間的に何度か真っ赤になたそうです。子供心にも艦砲射撃の威力が想像できて、恐怖を感じて、沖縄といえば、殺戮の地という先入観ができているとのこと。
 一月に菊池の元患者の宮崎さんが愛楽園を訪問していたそうです。残念ながら小生はそのときいたのですが、お目にかからず。残念でした。
 宮崎さんは、小生が尊敬する達城さんの生前の親友でした。菊池ではお目にかかったことがあったはずですが、沖縄ではすれ違いだったようです。
 


[2118] Re:[2113] 李君が連れてくるのか? 投稿者:ユン 投稿日:2010/03/30(Tue) 00:42  

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またかね。北風オヤジが谷内を名乗る。裁判沙汰になるぞ(嘘)。

 が、おいらが来るとエロサイトが続く。ほかの掲示板では起きていない。奇妙な話です、うむ。
 なんど考えても腹が立つ。栃尾はやはり平信徒がいい。そうなれば納得できる。誠実な平信徒になれる。しかし、あれが聖職者だと。長い歴史の中でいくらでも不適格者が神父になっただろうからなんとも思いませんが、それにしても、新共同体はあんな風になるのか。人に与えることではなく、取ることばかり考えているのでしょう。
 都会ならばばれるから奄美を亡命地にしたのでしょう。
 その意味では、栃尾を自宅に庭みたいな教会に置いた鹿児島司教はとんでもない人間通かも。くわせものということ。栃尾は残りの人生を奄美の僻地で幽閉ということでしょうぞ。バチカンとしても、四国の不祥事は困る。かといって、栃尾の場合は、ローマで引き取るだけの語学力がない。となると、国内に捨てるしかない。日本中、あれの神学校出身者は相手にしない。捨てるならば、奄美があったということだろうねえ。
 


[2114] その気がない人にはすべて無駄ですが 投稿者:ユン 投稿日:2010/03/29(Mon) 15:03  

http://fsspxjapan.fc2web.com/other/neo.html

やはり新共同体が問題があるようです。神学的にも相当に。だから逆に法王が認めたといいつのり、四国で献金集めに燃えて、最後は失敗したのでしょう。
 さきほどある聖職者から聞いたのですが、栃尾さんはたぶん新共同体をすでに辞めて、鹿児島教区の教区司祭になったのではないかという話でした。
 ただし、問題が残る。
 彼がやたらセクト的な動きをして、イエズス会批判、フランシスコ会批判を口にした理由はなんだったのか。穏当な物言いだったが、小生には分派主義的に聞こえた。
 小生のごとき、チンピラ信徒には、そもそも聖職者の背景は関係ない。どこの会にいるかは気にもしないのですが、さすがに、今回の一件で、目が覚めました。
 栃尾さんの神学理解が案外新共同体時代のままかもしれません。ルリカケスさん、あの程度でもまた神父。じっくりと噛んで含めるようにいろいろと、ハンセン病元患者から見た教会の歴史を彼に勉強させるといいかもしれません。
 小生もほとんど何も知りませんが、この8年ほど前から、菊池で縁ができました。あそこに在日韓国人の元患者がいました。ある司祭が親友で連れていってくれたことが始まり。次に東京の全生園。駿河の施設にも行きました。その程度ですが、北風オヤジともであい、いろいろと考えました。
 ハイライトは、全生園の李氏の祖国訪問に同行できたことでした。週刊金曜日の編集者もともに。李氏は鬼籍に入りました。あの方はついに洗礼をうけず。聖書を読んだ時代があたそうですが、祈っても園内の状態は変わらないので、直接行動と道を選んだそうです。
 彼の奥さんはカトリックでしたが。
 それこそ、信徒の皆さんで要望を出して、栃尾さんを北インドのヒンズー教の寒村でも宣教させてみてもいいかも。北インドがハンセン病の発祥地のようですねえ。皮肉なことに仏教の伝来とともに中国・朝鮮経由で日本にハンセン病が来たと知りました。
 栃尾さんの信仰がそのとき本物かどうかわかるような気がしますが、ま、戯言に過ぎません。
 
 


[2113] 李君が連れてくるのか? 投稿者:谷内修三 投稿日:2010/03/29(Mon) 14:12  

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[2112] Re:[2110] ま、このことは知らん振りしてましたが、膿があるな。 投稿者:ユン 投稿日:2010/03/29(Mon) 01:33  


>  司教たちは、共同体の「思考方法」と日本文化、典礼などの問題への「態度」に関して、その動きに「重大で深い」問題をなお感じている、と岡田大司教はUCAN通信に説明した。バチカンがそのことを理解しているか、との質問に、岡田大司教は、「まだ、私たちとはギャップがある」ものの、事態は「進展している」と感じる、と語った。教皇が聴いてくれたことが大きな励ましになったと言う。
>

## つまり栃尾みたいにイタリア語もできんまま、ローマに行き、片言節句だけかじって、平信徒にはったりをかますす連中は、最初から、祖国をお金を収奪する場所とか見ない。
 栃尾らが通った神学校建設のための寄付の強要に四国の信徒が怒ったららしい。


[2107] 大変事になっているね! 投稿者:ルリカケス 投稿日:2010/03/28(Sun) 14:08  

ユンさんへ

大変な事になりましたね!

私は栃尾神父にハンセン病については、教えないです。
四国で「大島青松園」に行ったことがあると聞きましたので!

それに本は幾らでも貸しますが?

昨日貴方の伝言を栃尾神父に話しました。
本人は怒っていました。FAXが届いたのですですか?

まーぁ派手にしないで下さい。
どちらの味方もしないけど!


[2106] 神父を食わすために羊はいるのかねえ 投稿者:ユン 投稿日:2010/03/28(Sun) 13:34  

またある聖職者から情報があり。栃尾さんをあそこの教会に置いた司教はたぶん四国でのトラブルの実態を正確にふまえいなかっただろうし、同時に、栃尾さんが今度こそ心を入れなおして、主の教えに微力ながらでも忠実に生きようとしたと判断して、任せたのだろうということだった。
 これからは持論ですが、日本は世界的に見て神父の数が多すぎる。教会の数が今の三分の一でもいい。その代わり、良い聖職者だけに厳選する。
 日本のキリスト教は外人司祭が命がけで持ってきた。それ自体は賞賛できますが、この過程で、信徒の依存体質ができた。とくに奄美・沖縄がこれに当てはまる。まだ日が浅いからそうなのだといういい訳も成り立ちますが、今回、奄美・沖縄を歩いてまわり、幸福の科学や創価学会などが大躍進していることに愕然とした。
 知りうる限り、彼らがハンセン病問題などの社会問題に懸命に取り組んだ過去は不勉強なので聞いておりません。では、なぜいったい人気が出るのか。これがなぞといえばなぞ。なんともいえん気になったねえ。
 沖縄で幸福の科学の研修道場を取材したのですが、説明した若い人いわく「モハメッドもイエスも預言者です」。唖然とした。もう社会的にはどこで生きていくこともできないから、教祖の教えに洗脳されて生きているのでしょうが、見た目は、綺麗な30代の女性。もともとバプティストの教会に通っていたそうですが、沖縄からハワイ留学。そこでなぜか幸福の科学と出会い、大川に指名されて、今は、広報をやっておりました。
 沖縄だけで幸福の科学の教会は15もあるというそうです。社会的少数者の側に立つことももう年齢的には無理かもしないので、栃尾さん、幸福の科学になんだったらいつでも移籍してもいいかもしれませんぞ。
 


[2105] 聖職者を堂々と品評すること、メディアの使命なり 投稿者:ユン 投稿日:2010/03/27(Sat) 23:44  

そういえば色んな思い出があり。

 1 ドンボスコのえらいさんが来日。彼の仕事を献金を集めること。頼まれて、長崎に同行して、顔見知りの本島元市長に合わせた。「その白さ程度に生きてますか」と本島氏がいう。ステンカラーの白さを指して、遠まわしにそのえらい神父に嫌がらせをいう。
 2 今の上智の専門学校にいる喜田という腐れ神父は完全なるアル中だった。学生に軽蔑されていた。
 あれのせいで、創価学会に逃げた若い学生がいた。喜田の生き方がそのまま、創価学会の批判に当てはまるので。この喜田は、誰の前でも同僚を批判する馬鹿だった。女を買ったという理由で叙階できなかったアメリカ人を学生の前で口にしたときにはみな唖然。
 3 ま、栃尾もその系譜かも。ただの人間。
 栃尾はもともとで気が悪く大学にもいけなかった。
 人にはいろいろと事情があるからそれはいいが、英語が趣味だったという。
 それで英語を学びたくて、何かの縁で、豊島教会に通い、外人神父と知り合いになり、洗礼を受けた。案外、そのままだったらよかったのかもしれないが、新共同体という修道会は、教勢を水増しするためにも、誰でも入会させたのもしれない。栃尾を拾ってくれたらしい。


[2104] 用心せんとあかんぞ 奄美が大変なことになるかも 投稿者:ユン 投稿日:2010/03/27(Sat) 22:54  

「高松教区の信徒の体験から」


 「新求道運動とは」 デルコル神父著 ご存じですか?シリーズ61巻をもとにして検証
私が、ネオ・カテクメネートについて今一番心配していることは、この運動が、信徒個人や、信徒間の人間関係に及ぼす影響です。
ネオに関わった多くの人たちは心に深い傷を残し、人間関係に溝が残ると言われます。
果たして真実はどうなのか、知りたくて、高松教区で新求道共同体に関わった多くの方々に、この運動について聞いてみました。
しかし、なかなか納得のいく話しが聞けず、いくつかの疑問が湧いてきました。
そこへデルコル神父様の「新求道運動とは」という本に出会いました。
ここに、この本の内容をもとに、信徒の体験、聞き取り、他の資料とも照らし合わせて、その疑問を検証してみました。
訂正や補足がありましたら、遠慮なく、お知らせください。みんなで、できるだけ正確な姿を作り上げていければ、と思います。


<疑問1>
なぜ、ネオを辞めた人は、他の人に、ネオでの体験を話さないのか?

「新求道運動とは」 より (以下は主に本著からの引用文です)                       
この運動の中にあらそい、衝突がおこります。
運動の集いのときにおこることについて、絶対沈黙と秘密を守るように要求されます。
他の体験文にも、「それは新求道共同体の歩みを続けるため、段階をふんで救いにいたるための条件として彼が主張しているものである」と書いている。
みことばの祭儀のときに、皆の前で公式告白をさせられることがしばしばあります。
かくれた大罪を公に告白すると、若い人と子どもたちにとって、大きなつまづきとなります。


(検証)
集団の中で告白するということは、自分の知られたくない影の部分が集団に知られるということです。
お互いに影の部分を知り合っていることは運命共同体的「負」の連帯感を生むのではないでしょうか。
そして、縄張り意識が形成され、集団の閉鎖性が強まっていきます。
反面、ネオでの体験はネオを辞めても決して明かせない心の傷として残り、また、決して体験を明かしてはならないという指令は、「この指令に反してしゃべったら、どうなるだろうか?」という強い恐怖を生み出すと思われます。
自然に心に何重にも鍵がかかっていき、、決して明かしてはいけないというようになっていったのが、不思議でした、と体験者。
ネオについて知りたいと思って、体験者に電話をかけてもなかなか話してもらえませんでした。強いおびえが伝わってきました。何かにおびえているのです。
体にしみついた恐怖、不安、それも深くしみこんだ恐怖に反応し、コントロールされています。主の平和は感じられません。

<疑問2>

ネオが実際に入った教会の人たちやネオをやめた人たちからいくら話を聞いてもネオがどんなものかつかむことができない?

新求道運動の指導書を手に入れるのは大変困難であった。極秘だったからである。
その指導書のはじめあたりにも、途中にも何回も、次のような警告が書いてある。
すなわち、
「このような話を一般の人にはしてはならない。でないと逃げてしまう」、
「今、私が言ったことは、一つも人々に言ってはならない」、
「このような話をすると、きっと問題がおこるから、絶対に話してはいけない」 などと。
しかし、これほど本音をかくすなら、どうなるだろうか?人々は何も分からなくなるのではないだろうか?
これに対してキコは答える。
「心配無用である。かえって人々が本当のことを分からないようにしなければならない」 と。


(検証)
ネオには、「秘密のオリエンテーションガイド」というマニュアルが存在し、そのマニュアルをもとに、カテキスタが口頭でステップに従って信徒を養成すると聞きました。
書いたものは、決して渡さないそうです。
結局、ネオに参加している人たちが一番ネオのことについて分かっていない可能性があると思われます。
体験者は、ネオについて何の説明も受けず、ただ聖書の勉強会、新しいやり方に参加しているという思いしか持っていなかったそうです。
歩んでいく中で、何かおかしい、と感じ始めたのです。

<疑問3>
そしたら、人々はネオの何についていくのか?

PASCHのHPより
メンバーは、ネオカテクメナーテのライフスタイルが、彼らを「何か素晴らしいもの」に導いてくれると告げられており、それを共有するのに、一生懸命であるからだ。
多くの人々―中には教区司祭も含まれる―は、「カテケージス」での経験に基づいたシステムに従って行動している。
「何か素晴らしいもの(Something wonderful)」
(これが何であり、どのようなものかということについては、教会の他のメンバーには語ることができない何か)、それに導いてくれるという約束によってつき動かされている。


(検証)
求道期間の第一段階は、人集めから始まりました。
カテキスタは、数週間のカテケージスの間でネオに合う人たちに目をつけ、個人的に「とてもいいグループだから入りませんか」と一本釣で声をかけてきました。
釣られていった人達は、幼児洗礼や、要理を余り勉強していない人、洗礼を受けて間もない人、など自分の信仰に自信のない人たちが多かったようです。
ある体験者は、「私も、受洗してそんなに経っていなかったので、まるでイスラエルの民が旅するような充実した気持ちになって、ズズーッと引き込まれていきました」 と言っています。
参加の呼びかけに「 Yes 」と言った人たちは、次の週から、週の火曜か水曜にみことばの祭儀、土曜には感謝の祭儀(独特の)を始めていきました。
カテケージスでは、最初、我慢強く聖書の指定した箇所(予求道期間のテーマ)を聖書思想事典などで研究させられます。
そして、グループのみんなの前で発表させられます。その内容については、一切コメントなくすべてを受け入れられます。
この訓練によって、気の弱い人は強気になる場合もあり、内的な苦しみを出して無条件に受け入れられた人は、自らの罪深さに気づき、大いなる回心と喜びを体験した人もいました。
思いあまって、泣きながら、声を震わせながら、分かち合う人もいて、その様子が人の心をひきつけるのです。
強烈な神秘体験と感じられた人もいるかもしれません。
そして、アガペー(ミサと宴会)や、平和のあいさつ(抱き合ってお互いに祝福し合う)などの体験の積み重ねは、人々をこの「何か素晴らしいもの」に酔いしれ、突き動かせていく原動力になっていったのではないでしょうか。
四角の祭壇には花が一面に飾られ、花の香が満ちあふれ、歌ったり、踊ったりの大騒ぎをする中で、「蜜のような甘い香りにひかれていくような感じがした」と言った人もいます。
私自身、子どもの練成会で、ネオ方式を取り入れた子どもミサに与った時、ギターの独特のリズムに合わせて、抱き合い、手を握りあう平和のあいさつに、しばしその雰囲気に酔いしれるような感動の盛り上がりを感じた覚えがあります。
あの独特のリズムは、不思議な作用を持っていると何人かが言いました。
あの一体感は、何ともいえない満足感を与え、特に孤独な人には、自分を受け入れてくれる場(帰属意識)を与えるでしょう。
ですから、それまで孤独だった人、受け入れられてこなかった人は、この場から離れられなくなる場合が多いのではないでしょうか。

<疑問4>
ネオに入るとどうして簡単にお金を差し出していくんだろう?

特に、みことばの祭儀のときに、カテキスタたちは、2,3時間説教し、最後に誰も意見を述べられないように沈黙を皆に守らせます。
その次に、いろいろな”要求”をします。
すなわち、「金銭に愛着しないように」、「財産を売ってお金を運動の発展のために献金するように」。
こうして、”要求”される金額は、大きなものでした。
これらの金額は、カテキスタたちにとって、大きな収入となっています。


(検証)
どうして、このような心理状態になるのか?考える上で、このような体験を聞きました。
カテケージスの後、かれらは、まず雰囲気を盛り上げます。そして、その場の流れを利用して、お金を出しやすくしていきます。
始めは、「神学校に寄付しますから」と言って、信徒から浄財をつのりました。
そして、カテケージスの段階を昇るごとに、金額も上がっていきました。全収入の10分の1から数百万単位のお金が、どんどんつぎこまれていきました。
ミサの花代、ローソク代も余分目に出さなければならず、余ったお金は、神学校の資金にと、手元には戻りませんでした。
その他、宣教家族の生活費、学資、家賃なども別枠で面倒をみなければいけませんでした。
全国大会ともなれば、数日間で、何百万円のお金がネオに入っていきました。
その時、お金を持っていなくても、紙切れに金額を記入させて、後から司教の特別口座に振り込ませるのです。
一般の集まりの時でも、その時必要な金額が提示されて、まわされてきた袋に各自お金を入れてまわし、最終的に金額が足らなければ、もう一度、袋がまわってきます。
その時も、現金が残っていなければ、紙切れに書いて、後から振り込みました。
こうしてお金を差し出させるように、うまく仕組まれているのです。
ネオの司祭から「あなたの一番大切にしているものを持ってきなさい」と言われて、自分が一番大切にしている物を集会に持っていきました。
そしたら、「これをお金に替えるとしたら、いくらになりますか。今度集まるときまでにお金に替えて持ってくるように」と言われました。
ある体験者は、「今思うと、おかしいと思うのですが、そのときの私の頭の中は、売れる物を探していました。『これを売ったらいくらになるだろう。誰に売ったら一番高く売れるだろう』ということしかありませんでした」と言っています。
「お金や地位、人間関係は偶像的なもので、これらのものへの執着が苦しみを生み出すものだから、これらの物への執着を捨てなさい」、と勧めるやり方は、先日テレビで見たヤマギシ会のセミナーのやり方とまったく同じでした。
1990年にマツノイパレスで行われた練成会でのキコの迫力あるスピーチにも、びっくりしました。
何度も何度もお金のジェスチャーをくりかえしていました。
また、「行事に参加させる場合には、直前まで予定を知らせず、急に遠くまで集団で移動させたり、それに対して迷わずついてくるよう指示された。上から言われたことは、疑うことなく黙って従うように持っていかれた」 ということを、聞いた時には、視野狭窄を、思い浮かべました。
馬車につながれた馬が、御者のたづなのとおりに走っていく。疑問を抱くことも、考えることもなくなっていく。ただ、命じられるとおりに動いていく。
見えるのは、狭い範囲の前方しかありません。
閉鎖的な環境の中での、週に2回の「みことば」と「感謝」の祭儀への長時間の参加、そして、「40日のつどい」の定期的な合同黙想指導は、信徒をネオに強く結びつけていくと思われます。
生活の中心がネオになり、ネオ中心にしか物事が考えられなくなり、社会的にはまったく見えなくなっていく心の状態を感じます。
ある人は「自分がだんだん無くなっていき、ネオなしでは生きていけなくなっていった」、と言っていました。
今、実際にネオの運動に参加している人たちのことが心配です。
司祭に勧められて、何も知らずに入った人のいい信徒たちが、大切な財産をみんな差し出してしまうかもしれません。孤独なお年寄りも入っておられます。
この方々の将来は、この方々だけの責任で済まされる問題でしょうか。

<疑問5>
この運動は、どうしてこんなに深刻な分裂をもたらすのか?

この運動の中にあらそい、衝突がおこります。
この運動から抜け出られた人の証言
わたしは、5年間も“新求道のあゆみ”に属してきましたが、とうとうぬけでることができました。
この運動は、権力をふりかざしたり、圧迫感を与えるやり方で、人間の尊厳を傷つけるものですから、カトリック者にとって大きな危険になっています。
実際、かれらの要理指導書やキコのオリエンテーションの中にはかれらの3つの同心円を描いて見せている。
真ん中の円のなかには“塩”[知恵]と書いている。これは新求道共同体の歩みに従っている人々をさしている。
第2の円の中には“塩“づけられた”[知恵を知りつつある]と書いてあり、これらは神が良き知らせ(福音)を知るように招いた人々であろう。
最後に第3の円の中には”ユダ”と書いてあり、新求道共同体を支持しない者どもであろう。
神は”ユダたち”を知恵を知りつつある者になるようにはなさらない。
それは如何ともしがたい。それは善でもなければ悪でもない。それはそうであるしかない。おしまい。
おまけに、ユダはイエズスを殺すように定められていた。
もしあなたがイエズス・キリストになるように呼ばれているなら、あなたのユダがいるに違いない。(訳者註=反対者があることが、その道が正しいことのしるしだ)


(検証)
このような考え方が存在するとしたら、「ネオを支持する者は救われ、ネオを支持していない者はイエズスを殺すユダと見なされ、救われない」、という単純な考え方で信徒は分類されていくことになるのではないでしょうか。
このような人間観に、果たして「良きサマリア人」の例えでキリストが教えられた隣人愛が存在するでしょうか。
当然、ユダに対するネオの行動は人間の尊厳を傷つけると考えられます。
ネオだけを愛するエゴイスティクな運動は、ネオを支持しない信徒をはじきだす流れを生むと考えられます。
ネオ側に含まれる信徒は同様の行動で含まれない信徒をつぶしはじめる、つまり、一般の信徒は、全体としては多いのですが、日頃は群れていないので、いざという時には個人対集団という図式になりやすいと考えられます。
実際に、昨年ネオに反対を表明したために、高松教区の信徒が受けた徹底した弾圧は、この考え方によってでしかできないと思われるような人権を無視したものでした。
人間の尊厳を尊重したものだったとはとても考えられません。
この傷は、なかなか癒されないものであり、人間関係に深いヒビが入りました。
私としては、「みせしめ」になったという感想を持ちました。
「みせしめ」になった者(第3の円)、「みせしめ」にした者(真ん中の円)、「みせしめ」によって反対することがどのような結果を受けることになるかを見て自分を守るために逃げる者、(第2の円)という図式にあてはめると、いかがでしょうか。
どの円に含まれても、信徒は傷つきます。「ゆるしあえない」思いが残るのです。
ネオが入って分裂した教会には、深刻な人間不信の溝ができてしまっています。
この溝は、私たちが作った溝ではないのです。
ネオという組織が、自分たちだけの存続を中心とすることから起きた分裂なのです。
この溝は、将来状況が変わっても、残る可能性は大きいと考えられます。
この溝を、どう修復していったらよいのか。今、この溝をはさんで両側に分けられてしまった信徒の和解が大きな課題です。
そして、ネオの支配が広がるにつれて、拡大していく問題なのです。
最後に、最も深刻な報告をしましょう。
いくつもの教会で、この運動に入ったために、精神科の病院に入院した信徒がいるそうです。
医師から、「この運動から離れないと、あなたの病気は治りませんよ」 と言われ、カウンセリングを受けている信徒がいるのです。



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