ハンセン病の闘いの歴史に学びともに考えるBBS
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[1902] 野暮天 Re:[1900] 無題 投稿者:北風 投稿日:2009/01/10(Sat) 17:43  

> 頭にきたとおっしゃるので、削除しました。
> お互いに思うことは、多分同じ方向にあると思うのですが。。。
>
冗談の通じない人だ(苦笑)。


[1901] Re:[1898] [1895] こういう場合は・・・? 投稿者:リベル 投稿日:2009/01/10(Sat) 17:10  

> > しかし、これはこれ。だからと言って菊池恵楓園の状態を放置しておいても構わないという論法は成立しないと、私は思います。話をそちらへ運んで行くことは、問題のポイントを見逃す結果を齎らすのではないでしょうか。
>
> そういうときにこそ、「受身」で嘆くのではなく、自治会や全療協にたいして、社会的な弱者や被差別者と連帯していくことを働きかけるべきではないでしょうか。
>
> たとえば、職や住むところを失って途方に暮れている人達に、療養所の空き部屋を提供しようというような発想を(仮に実現困難だったとしても)期待するのは、荒唐無稽なことでしょうか。
> (これが出来ない理由は別なところにあることは承知しています)
>
>
> 【追伸】
> 誤解されやすいかなと思って蛇足を書きます。
> 長い戦いの末「強制隔離」を定めた「予防法」が廃止されました。これからの闘いは「隔離」に対してではなく、「一般市民」としていまだ残る差別・偏見、社会の矛盾と闘っていくことになりますから、同じ課題を抱える他の人々との共闘・連帯が不可欠です。
> ただ、「過去の補償を求める」闘いの場合のみ、他者との共闘や連帯は組みにくく、個別の闘いの方が「得」ということになります。しかし、この闘いも「裁判勝利」で一定の成果をあげました。
> この上は、未だに苦しんでいる難病や被差別者の先頭に立っていただきたいと願っております。
> 繰り返しますが、そういう活動をもって「悪意の攻撃」への答えとしていただきたいと願うものです。「攻撃」への反撃という一点に限っても、迂遠なようですが、これがもっとも有効で確実な方法だと思います。


その通りだと思います。全く異存はありません。前へ向いた考え方だと、満腔の賛意を表します。

一つ、分からないのは、何故このことを「フランクに」志村さんへも話しかけられないのだろうか?ということです。何も控えることのない、正論ではありませんか。これを私が「志村康さんとキャッチボール」へ転載する方が余程妙なことなので、それは致しません。

何よりも、堂々と志村さんご本人とお話しになることを期待しています。↓

なお、志村さんにもここでこういう遣り取りが行われていることを、一応ご紹介しておきます、志村さんもご存知だとは思いますが・・・。

http://hpcgi2.nifty.com/kwalk/patio/patio.cgi?mode=view&no=203


[1900] 無題 投稿者:あずき 投稿日:2009/01/10(Sat) 17:10  

頭にきたとおっしゃるので、削除しました。
お互いに思うことは、多分同じ方向にあると思うのですが。。。




[1899] Re:[1894] 全文を転載します。 投稿者:北風 投稿日:2009/01/10(Sat) 16:26  


> 北風さんからは予想通りのお言葉でしたね。安心しました。

これは孫悟空に対するお釈迦様めいて、人を愚弄した発言である。頭にきた。




[1898] Re:[1895] こういう場合は・・・? 投稿者:北風 投稿日:2009/01/10(Sat) 13:22  

> しかし、これはこれ。だからと言って菊池恵楓園の状態を放置しておいても構わないという論法は成立しないと、私は思います。話をそちらへ運んで行くことは、問題のポイントを見逃す結果を齎らすのではないでしょうか。

そういうときにこそ、「受身」で嘆くのではなく、自治会や全療協にたいして、社会的な弱者や被差別者と連帯していくことを働きかけるべきではないでしょうか。

たとえば、職や住むところを失って途方に暮れている人達に、療養所の空き部屋を提供しようというような発想を(仮に実現困難だったとしても)期待するのは、荒唐無稽なことでしょうか。
(これが出来ない理由は別なところにあることは承知しています)


【追伸】
誤解されやすいかなと思って蛇足を書きます。
長い戦いの末「強制隔離」を定めた「予防法」が廃止されました。これからの闘いは「隔離」に対してではなく、「一般市民」としていまだ残る差別・偏見、社会の矛盾と闘っていくことになりますから、同じ課題を抱える他の人々との共闘・連帯が不可欠です。
ただ、「過去の補償を求める」闘いの場合のみ、他者との共闘や連帯は組みにくく、個別の闘いの方が「得」ということになります。しかし、この闘いも「裁判勝利」で一定の成果をあげました。
この上は、未だに苦しんでいる難病や被差別者の先頭に立っていただきたいと願っております。
繰り返しますが、そういう活動をもって「悪意の攻撃」への答えとしていただきたいと願うものです。「攻撃」への反撃という一点に限っても、迂遠なようですが、これがもっとも有効で確実な方法だと思います。




[1897] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2009/01/10(Sat) 12:53  

頑丈な「嬢」←「錠」;「表」律も政策も←「法」
(ごめんなさい!)



[1896] 抜粋引用 投稿者:エミ 投稿日:2009/01/10(Sat) 12:47  

『死生学[5] 医と法をめぐる生死の境界』高橋都、一ノ瀬正樹編、東京大学出版会、2008所収八尋光秀著「11章 障害は社会のほうにある」より

――二〇〇七年度版『障害者白書』で政府は、わが国の精神科医療ユーザーは三〇〇万人を超えて増加し続けているとする。これに予備的な段階にありまた潜在的な患者を含めれば、その総数は五〇〇万人とも一〇〇〇万人とも推計しうるであろう。――(p.229)

――「誤った社会認識」という言葉は、いわゆるハンセン病国賠訴訟熊本判決において使用された。社会全体がハンセン病に対する誤った疾病観、人間観に満たされ、その誤解のうえで法制度上も市民生活全般においても、ハンセン病患者・元患者に対して不当な取り扱いを行い続けてきたとする。それは個人的な誤解ではなく、社会全体の共通認識としての誤りであった。不正義が法と民主主義における正義の仮面をかぶって刃を振るい続けたことを示した。(略)
差別や偏見は誤った人々の認識にとどまるものではない。認識だけであれば誤りを解けば正すことができる。しかし、この誤りは人間の認識を超えて感情や感覚、無意識のレベルにまで浸透していく。(略)
ハンセン病と精神病とは社会の誤った対応において、双子の様相を呈する。この二つの疾病への誤った社会認識に基づいて行われた終生の人間隔離、社会からの徹底した人間排除の歴史は私たちの国にだけあるものではない。世界中の国でハンセン病者と精神病者は同様に徹底した社会からの排除と隔離を受け続けてきた。(略)やがて病院という名の厚くて高い壁と頑丈な嬢のある隔離収容のための施設を設置し、そこに終生隔離を強いてきた。表律も政策も正義のきれいな顔をして、人間が生まれなかったもの、死んだものとすることに手を貸してきた。世界は一九五〇年代を境にその解消へと進んだ。今も諸所に人間の誤った歴史の傷跡を残しながらも、その修復に手をつけている。
しかし、私たちの国はそうではない。ハンセン病については一九九六年の法廃止と二〇〇一年の司法判断を基軸とした社会変革が、今やっと緒についたばかりである。その双子の一方である精神病についてはどうか。法と政策に基いて世界最大の患者収容を今も続けている。誤った人間の歴史のその真っ只中にあって、誤った社会認識の上で、誤った法と政策を持続しつつ、差別と偏見を作出・助長し、社会のあらゆる人々の認識と感覚と正義とを歪め続けている。だから、克服しなければならない障害は「精神障害者」にあるのではない。差別し続ける社会のあらゆる人々のほうにある。――(p.234-235)



[1895] Re: こういう場合は・・・? 投稿者:リベル 投稿日:2009/01/10(Sat) 12:46  

>> しかも匿名の悪意の攻撃など、無視するしかないですね。

>小生は必ずしもこう思いません。
こうした素朴な「攻撃」の多くは生活に苦しむ人たちのやり場のない気持ちが根底にあることが多いと思います。弱いものが弱いものを攻撃する、差別の構図そのものです。
そのことが誰を益するか明らかです。

>ハンセン病問題は、長い歴史の中で苦渋を強いられ、それとの闘いの中で現在を勝ち取ってきたのは確かです。しかし、社会には様々な差別や不当な扱いに苦しんでいる人たちがいます。画期的な(もちろん相対的ですが)成果を勝ち取った人達に、他の弱者や被差別者への支援と連帯を求めるのは無理なことでしょうか。
そうした目配りと連帯が、「匿名の攻撃」への雄弁な答えになるのではないでしょうか。
小生は、「かつてともに闘ったのに」という稀少難病の会(あせび会)のSさんの言葉が耳を離れません。

>ハンセン病の闘いが社会から孤立してはならないと思います。


それはその通りなのだと思います。私も大いに賛同します。

しかし、これはこれ。だからと言って菊池恵楓園の状態を放置しておいても構わないという論法は成立しないと、私は思います。話をそちらへ運んで行くことは、問題のポイントを見逃す結果を齎らすのではないでしょうか。


志村さんはこう嘆いて居られるのですから・・・

「このところ自治会がマスコミを介して社会に向かって発言しますと、俺たちの税金で食べているのに感謝こそすべきで、不満を国や社会に向かって言うとは何事かという反論が帰ってくるようになりました、勿論手紙の主は無記名で送りつけられてきます。

せめて住所氏名を明かしてくれれば、話し合いや場合によっては説得も出来ると思いますが、お定まりの匿名ではどうしようもないストレスがたまります。」

志村康さんとキャッチボールBBS↓

http://hpcgi2.nifty.com/kwalk/patio/patio.cgi?mode=view&no=203


[1894] 全文を転載します。 投稿者:あずき 投稿日:2009/01/10(Sat) 11:46  

Re: こういう場合は・・・? 投稿者:あずき 投稿日:2009年 1月10日(土)02時58分26秒  

> こういう輩に反論や説得をする公的機関と言えば「ハンセン病市民学会」なのでしょうか。しかし何をどうすれば良いのでしょう・・・私には分かりません・・・(汗;)

今は、派遣社員の解雇、社宅の強制退去などが深刻な問題になっています。それでもその方々にも、去年度の収入に見合った税金の支払いはあることでしょう。この例に限らず税金に苦しんでいる方々の怒りもわかるような気がします。しかし、その怒りは国に向けるべきもので、療養所の方々が永い戦いの結果に得られた今の生活に向けられるものではないはずです。

しかも匿名の悪意の攻撃など、無視するしかないですね。こういう行為しかできない人間は、おそらく療養所の方々だけではなく、無差別に匿名の悪意の攻撃をしているはずです。療養所の方々はお悩みにならないで、堂々とお暮し下さいますように。生意気を申し上げました。ご容赦くださいませ。


*以上が、あずきの書いた全文です。


[1893] リベルさんのBBSからの転載です。 投稿者:北風 投稿日:2009/01/10(Sat) 10:58  

Re: こういう場合は・・・? 投稿者:北風 投稿日:2009年 1月10日(土)10時56分55秒   返信・引用
> No.4090[元記事へ]

あずきさんへのお返事。

>
> しかも匿名の悪意の攻撃など、無視するしかないですね。

小生は必ずしもこう思いません。
こうした素朴な「攻撃」の多くは生活に苦しむ人たちのやり場のない気持ちが根底にあることが多いと思います。弱いものが弱いものを攻撃する、差別の構図そのものです。
そのことが誰を益するか明らかです。

ハンセン病問題は、長い歴史の中で苦渋を強いられ、それとの闘いの中で現在を勝ち取ってきたのは確かです。しかし、社会には様々な差別や不当な扱いに苦しんでいる人たちがいます。画期的な(もちろん相対的ですが)成果を勝ち取った人達に、他の弱者や被差別者への支援と連帯を求めるのは無理なことでしょうか。
そうした目配りと連帯が、「匿名の攻撃」への雄弁な答えになるのではないでしょうか。
小生は、「かつてともに闘ったのに」という稀少難病の会(あせび会)のSさんの言葉が耳を離れません。

ハンセン病の闘いが社会から孤立してはならないと思います。




[1892] 自分のBBSからの転載です。 投稿者:リベル 投稿日:2009/01/09(Fri) 00:28  

今「志村康さんとキャッチボール」を読んで驚きました。無断転載させて頂くと・・・

「このところ自治会がマスコミを介して社会に向かって発言しますと、俺たちの税金で食べているのに感謝こそすべきで、不満を国や社会に向かって言うとは何事かという反論が帰ってくるようになりました、勿論手紙の主は無記名で送りつけられてきます。

せめて住所氏名を明かしてくれれば、話し合いや場合によっては説得も出来ると思いますが、お定まりの匿名ではどうしようもないストレスがたまります。」

こういう輩に反論や説得をする公的機関と言えば「ハンセン病市民学会」なのでしょうか。しかし何をどうすれば良いのでしょう・・・私には分かりません・・・(汗;)

http://hpcgi2.nifty.com/kwalk/patio/patio.cgi


[1891] 陶芸展 投稿者:トラ 投稿日:2009/01/06(Tue) 21:26  

国立ハンセン病資料館のHPで
「北高作陶展 −仲間に支えられて−」と「多磨全生園陶芸教室のあゆみ展」のお知らせが出ていました。

http://www.hansen-dis.or.jp/exhibition/planning.html


[1890] 上田婦長さん。 投稿者:北風 投稿日:2009/01/05(Mon) 13:49  

二月の全生園の「陶芸展」に上田婦長さんがお見えになるそうです。

何日くらい滞在されますか?
私は独り者だから何日だっていいのよ。

ということなので、一日ゆっくりお話できる時間が取れそうです。

では、「陶芸展」っていつや? 
それは知りません。





[1889] 整理してみると 投稿者:杞憂 投稿日:2009/01/05(Mon) 13:26  

1)我々は以前から、「らい予防協会」を前身とする「ふれあい福祉協会」は「らい予防法」と表裏一体であって、「予防法廃止」あるいは遅くも「裁判勝利」と同時にその廃止を要求すべきだったと主張してきました。

2)その福祉協会が資料館を運営すること、および関係者が福祉協会の役員に名を連ねながら資料館批判をすることの矛盾も指摘してきました。
「市民学会」は上記2点には踏み込まなかった。

3)その意味で、どういういきさつがあったのか知りませんが理事・評議員を辞任するということは、そうした矛盾を解消しスジを通す意味で一歩前進だと思います。

4)しかしこの辞任は、最近おおきく「ふれあい福祉協会」が変化したために理事・評議員にとどまることは出来ないというわけではなく、理事・評議員の「ふれあい福祉協会」に対する認識や立ち場の変化によるもののようですから、なぜ役員であったのか、なぜ今辞任するのか総括の必要があると考えます。

5)また、「啓発や差別解消の仕事は誰かがやっていく必要があり・・・・ふれあい福祉協会にそのような役割をおわせていくことに反対しない」というには驚きました。
啓発や差別の解消に主体的に取り組むべき組織が「誰かがやっていく仕事」とはまるで他人事ではないか。
ふれあい福祉協会が「隔離政策の実行者」であるならばその組織がそのまま「啓発」をになうことは不可能であり、解散を求めていくべきであるし、その組織に役員として関わってきたことも有耶無耶にすべきではない。
「啓発や差別の解消」は、広範に互いの信頼と連帯のもとで行って行く仕事であって、不信を表明する団体にゆだねるなどと言うことは理解に苦しむのである。

4)そうした姿勢で誰が資料館を運営することになるのかわからないが、ふれあい福祉協会が運営するのと別な危惧を感じざるを得ないのである。



[1888] 少なくとも 投稿者:新年早々、杞憂であって欲しい。 投稿日:2009/01/03(Sat) 15:12  


「ハンセン病資料館」は誰のものかと考えたら、議論はもっとひろくなされるべきではないか。なぜ、もっとオープンにしないで、こうした議論が事後報告の形でなされるのか。

理事・評議員の辞任にしても「隔離政策に関わった云々」を言うならば、就任したことについての総括があってしかるべきだろう。



[1887] これも田中等君の言う「業界再編」の一環か? 投稿者:新年早々、杞憂であって欲しい。 投稿日:2009/01/03(Sat) 10:43  

[4455] 全療協ニュースNO.937 2009.1.1 より 投稿者:しゅう 投稿日:2009/01/02(Fri) 15:53


「事務局日誌」に資料館の動向に関するものがたくさん載っています。その部分だけ引きだしてご紹介します。

10.17/午前10時30分より国立ハンセン病資料館会議室において、ふれあい福祉協会の理事・評議員による懇談会が開催され宮里会長が理事、神事務局長が評議員として出席。北川理事長が辞任するに至った経緯と、その間の事情の説明を求められ、それぞれ報告した。

11.6/国立ハンセン病資料館で5日、全生園の元自治会長で入園者の平沢保治さん(81)らによるパネルディスカッションが行われた。街づくり支援に取り組むNPO法人「東村山活き生きまちづくり」が主催し、市民ら120人が聞き入った。パネリストは平沢さんのほか、前市長で同NPO理事長の細淵一男さん、元市長の熊木令次さんの3人。「『地域社会と全生園』明日に託すもの」をテーマに市民と入所者の交流の歴史や入所者が進めてきた園内の緑化運動などについて語り合った、と読売、朝日が伝えた。

11/17/午後2時、神事務局長と藤崎中執が厚労省上田博三健康局長と面談、ふれあい福祉協会の今後について全療協の意見を求められ、次の見解を表明した。@来年以降、ふれあい福祉協会の理事長に誰が就任しても、国立ハンセン病資料館の運営を委託することには反対であり、それは認めない。そのことでは先般、ハンセン病問題対策協議会においても全療協は「隔離政策の実行に携わった者は一切運営に関与すべきではない」と明確に申し入れている。Aふれあい福祉協会が資料館との関係を絶ったあとのことについて、われわれは関知したくない。課題として残っている啓発や差別解消の仕事は誰かがやっていく必要があり、これまでの在り方を総括したうえで、スタッフをどうするかも含め、ふれあい福祉協会を残すこととそのような役割を負わせていくことには反対しない。B現在のふれあいの理事、評議員の立場にあった宮里、佐川、平沢、神は理事会に辞任届を出しており撤回するつもりはない、以上。

11/19/午後2時より4時、国立ハンセン病資料館会議室において社会福祉法人ふれあい福祉協会の理事、監事、評議員懇談会が開催された。出席を求められ、宮里会長を除く3人(佐川、平沢、神)が出席した。ふれあい福祉協会改革についての文書(原案)が提出され、意見が求められた。以下の通り、事務局長が意見を述べた。@ふれあい福祉協会が来年度以降も資料館の運営に携わることには反対する。A資料館運営に携わらない立場で、ハンセン病問題の解決にむけた差別解消、啓発等の事業をおこなうことについては反対しない。B当方4人の辞表は撤回しない。C示された文書は原案として了解する。D来る26日開催されるという理事会で原案が了解されたら一般に公表すべきである、以上。

11.20/午後1時30分より国立ハンセン病資料館運営委員会が資料館会議室で開かれ、事務局長が委員として出席した。

11.26/ふれあい福祉協会の理事・評議員懇談会が都内・日本財団ビルで開催され、同協会の今後について協議を行った模様。

12.5/午前10時より12時、厚労省主催による「第3回ハ病資料館等運営企画検討会」が霞ヶ関ビル内東海大学校友会館富士の間において開催され、参集者の1人として事務局長が出席した。議事@平成20年度事業実施状況、A歴史的建造物保存検討作業部会について。Bその他、市民学会等から社会的に批判を受けているリニューアルオープン後の資料館の常設展示内容や運営のあり方および予算・決算の内容について質疑が行われた。



[1885] むむむ で、年越し!これもまた 粋な御仁 の示唆なりや 投稿者:夕焼け 投稿日:2008/12/31(Wed) 23:55  

歴史というものは、それぞれの立ち位置(立場)により歴史史観があること・・・つまり、都合の良い歴史観が語られることも 表現の自由 であることで、なおざりにされているということも知りました。

政府見解と違う有識者の弁があったとしても 罪 にはならない・・・果たしてそうなのだろうか?
後の祭りにはならないのだろうか!?危惧されます。
言葉による格闘をそれぞれの立ち位置で論議は尽くされているのでしょうか?熟された民意を導き出す努力を忘れてはならない!!と、強く感じた年の瀬でした。

論議せずに進むことの愚かさは、「新・あつい壁」でこりごりした2008年でした・・・。来年は心豊かな一年になれますよう・・・、多くの皆様とこのことについて語り合っていければと・・・願っています。




[1884] むむむ 投稿者:北風 投稿日:2008/12/31(Wed) 14:55  

相見ざる 投稿者:ET 投稿日:2008年12月31日(水)10時11分44秒   返信・引用  編集済
  言霊は奇すしかりけり 相見ざる人の心も深く結びて  平泉澄

 この歌について何か言いたいわけではない。歌だけをとってみればどうということはないかもしれない。しかし、こういう歌がエッセイとともに広く一般に読まれるとしたら、それは知らず識らずのうちに右に靡かせるもののひとつとなる、という印象を受けた。

 皇国史観といい、国史・国体という極めて危険な思想は、戦後もしぶとく生き残っている。否、生き残っているだけでなく、昨今、ますます勢いを増してきているように思われる。平泉は、たしか戦後早くから“押し付け”憲法改正(=改悪)論を唱えていた人だ。
 その“平泉史学”の御大の『山彦』が、2008年11月に増補再版されている。どんなものかとざっと眺めてみたのだが、頻出する“皇国史観”と“精神主義”に閉口して途中で放り出してしまった。文章は巧い。簡にして要を得、妙な説得力がある。「相見ざる」人といえども――読むべき者が読めば――互みに「心も深く結」ばしめ心酔せしむるだけのものがある、とみえた。(つまり、読むべからざる者が読めば、実にくさいものなのだが…。)

 おもんみるに、このような人が東京帝国大学で教鞭をとっていて、歴史学を歪めてきたわけだ。ということは、そこで薫陶された門下生たちがいる、ということでもある。(あぶない、あぶない。)

○阿部猛「平泉澄とその門下」(『太平洋戦争と歴史学』吉川弘文館、1999、p.38以下)が下記URLに掲載されている。
 http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/abe-takeshi-hiraizumikiyoshi.htm
 以下に、一部を引かせていただく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(略)かれの学位論文となった『中世に於ける社寺と社会との関係』(大正十五年、至文堂)は、西欧における中世史研究の動向をも視野に入れた斬新な学風を示すものとして注目をあつめたという(日本史大事典』5「平泉澄」大隅和雄稿)。平泉の考え方は、右の書の「序」に明らかに記されている。

 いふまでもなく学としての歴史は、一般化的法則を求むるものにあらずして、個別なもの特殊なものを叙述すべきである。

 また同年に出版された『我が歴史観』(至文堂)は、

 明治以来の学風は、往々にして実を詮索して能事了(おわ)れりとした。所謂(いわゆる)科学的研究これである。その研究法は分析である。分析は解体である。解体は死である。之(これ)に反して真を求むるは綜合である。綜合は生である。而(しか)してそは科学よりはむしろ芸術であり、更に究竟すれば信仰である。(中略)歴史を生かすものは、その歴史を継承し、その歴史の信に生くる人の、奇(く)しき霊魂のカである。この霊魂のカによつて、実は真となる。歴史家の求むる所は、かくの如き真でなければならない。

と記している。平泉の歴史観は、かくして明らかなように、歴史は芸術であり信仰であるとし、科学としての歴史学を否定する。「平泉氏の歴史観は、平板素朴な精神主義的歴史観であり、きわめて唯我独尊的な歴史観である。それ故にこそまさに、日本ファシズムをささえる歴史観となりえた」のである(松尾章一『日本ファシズム史論』法政大学出版局;この注については一部ET補足)。
・・・・・・・・・・・・・・・

むむむ。



[1883] よきお年をお迎えください。 投稿者:あずき 投稿日:2008/12/31(Wed) 12:59  


台風に揉まれし茎を起こしゐる草の自立は野にひそけしよ        赤沢正美 



[1880]  今日はクリスマスです。職を失い、食うも、住む家もない、多くくの人たちを思うと胸がつまります。 ( 投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/12/26(Fri) 00:58  

 昨日(12月24日)は、クリスマス・イヴ。しかも水曜日は「あすなろデイ・サービス」に介護を受ける日です。ところが早朝から体調が悪く、首部から下の全身が「痛む」という神経性障害が起きて難渋しました。でも、クリスマスの歌の特訓をした以上、どうしても、あすなろデイ・サービスにおいでの皆さんに、クリスマスの歌を聴かせたいと思い、午前8時45分に自宅にきた送迎車に乗りました。

 午前9時には各家々を廻って送迎車は「あすなろ」に到着。早速、二階の大きい部屋に入り、コーヒーや日本茶を飲み、体温、血圧、脈拍などの測定を受けました。しかし、動脈硬化のある右脚が「血流」が行きにくいのか、足首や太股が氷のように冷たく、かつ、痛みますので、「温度のあるお湯で脚を温めといので、お願いします!」と云って、ベッドに横たわっていました。職員に、脚を温める小さい袋状のものを貸して貰いましたが、なかなか、右脚に冷たさも全身の「痛さ」も治りませんので、難渋しました。お昼前にお風呂が開き、両方の脚をお湯の入ったバケツで温めることが出来ました。

 午後2時半には、大きなクリスマス・ケーキとコーヒー・紅茶などが出され、「滝尾さん、クエイスマスの歌を唄ってください」という職員の要望もあり、二曲ばかり、カラオケの伴奏をCDにかけてもらい、唄いました。最初は「賛美歌109・きよしこの夜」、次に「赤鼻のトナカイ」です。「<赤鼻のトナカイ>の歌をご存知の方は手を上げてください」と私が言うと、職員の方がひとり上げられただけで、十人ほどの介護者の方からは手が上がりませんでした。

 もっとお年寄りも知っている童謡・唱歌、それに叙情歌を習って歌うか、氷川きよしの「ズッコン節」などをこれからは、「デイ・サービス」では唄う必要を感じた次第です。


 帰宅後も体調はすぐれず、づーっと寝室で横たわっていました。25日のクリスマスの朝は、身体を温めるため入浴しました。ところが、それまでは浴槽からひとりで、握り棒を使って立ち上がることが、今日はそれが出来ず、また、別部屋にいる妻に、介護を頼もうとも、携帯を入浴中は持参していないので、裸でたいへん困りました。昨日まで出来ていたことが、今日は出来なくなるということが、加齢とともに起こるものです。だから、今晩は、杖を持参して入浴し、どうにかひとりで入浴を済ませました。

 パソコンから情報を得、また、私のホームページの投稿原稿のことも気にかかりながら、やっと今、済ませた次第です。今年は急速に体力がなくなり、介護者の方がたにご迷惑をおかけしております。枕元に置いているテレビを視聴して、「赤字国債」の膨大なツケを子や孫たちに、これ以上お願いしてよいのだろうか、総選挙を見込んだ「ばらまき」予算を自公政権は、しかも来年3月を目当てにやるということです。食事や住む場所のない人たちのことを思うと、また、中小・零細企業の経営者やそこで働く労働者たち、派遣労働者や、自然災害を受けれ、家と働く職を失った人びとのことを思うと、政治の非情さと無能さに腹立たしくてなりません。なぜ、解散・総選挙をして国民の民意を聞こうとしないのか、麻生内閣の政治姿勢に怒りがわいてきます。

 今年の後、数日です。みなさま幸多かれと祈るばかりです。今年は、私たちにとって、最悪の年だったと思います。夢の持つことが出来がたい年でした。


             人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                2008年12月25日(木曜日)  23:55



[1879]    東京少年少女合唱団、東京放送児童合唱団の天使の声のようなクリスマス=サンタさんの歌を聴きながら、サンタの歌を特訓中!                                                                                     投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/12/21(Sun) 22:50  

 12月24日(水曜日)は、近くにある「あすなろデイ・サービス」を受けに午前9時から午後3時40分まで、介護を受けにゆきます。数年間もカラオケに通っている者として、クリスマス=サンタさんの歌を「あすなろデイ・サービス」で皆さんの前で唄おうと、只今、特訓中です。


 2008年を回顧しますと、暗いことが余りにも多すぎます。寝室の寝台の枕元に置いているテレビのニュースを視聴するのが、辛くてなりません。見たくなくて、テレビのスイッチを切ることが、しばしばです。来年は総選挙が必ずあります。このまま、「自公による政治」をつづけさすわけには、いかないと思います。

 そんなことを思いながら、クリスマス=サンタさんの歌を練習している昨今です。東京少年少女合唱団、東京放送児童合唱団の天使の声のようなクリスマス=サンタさんの歌を聴きながら、12月24日に唄うクリスマスの歌を唄えるように特訓中です。

             人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

               ‘08年12月21日(日曜日)22:32

           ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 ジングル・ベル 
 もみの木 
 あわてんぼうのサンタクロース 
 きよしこの夜 
 赤鼻のトナカイ 
 サンタが町にやってくる
 ホワイト・クリスマス 




[1878]   ロシア歌謡のなかに、「一週間」というのがあります。この「一週間」に倣って、私の「一週間」を書いてみましょう。                                                                                                        (滝尾) 投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/12/14(Sun) 23:53  

「‥‥広島市立安佐市民病院の精神科・精神科で先日、診察・検査して精神医の説明によると、<加齢による「認知症」で、ストレスや「怒り」の感情が「痛い病」を引き起こし、それが「激痛」の要因だから、自己の生活環境を変化さすことであり、「痛さ」は薬を飲んでも一時しのぎで、神経や脳を治す方法はない、ともかく「怒る」環境を避けることである。>と云うことです。腹の立つ現今ですが、楽しいこと、不安感からの回避することが、必要だという精神科・精神科医の意見でした。それにしても「腹だたしい」現今ですが、当分、介護施設、リハビリなどの整形外科の通院、歌謡のための「カラオケ」通いに専念するようにします。」

 こういう一文を過日(12月6日)の私のホームページの掲示板に掲載dしました。皆さまに、ご心配をおかけしております。加齢による「認知症」で、ストレスや「怒り」の感情が「痛い病」は、テレビなどカスコミ報道や、仄聞する「ハンセン病問題」など人権問題を知ると、私も一言したいと思うことがありますが、既にここ十数年、私の意見や行動は、雑誌や新聞など、さらに近時は、『滝尾英二的こころ』や『滝尾英二的こころ・第二部』などで、掲載していますし、諺に「沈黙は金」ということも、いわれています。精神病など私や介護をしてている妻など介護者などのことも考えて、その思いは、なるべく控えるようにしています。


『滝尾英二的こころ』の総訪問数は、現在で、2万6750人、『滝尾英二的こころ・第二部』の総訪問数は、現在で、1万5352人で、合計しますと、4万2100余になりました。これを支えているスタッフの方がた、更に、私に情報を届けていただいている福留範昭和先生をはじめとする方がた、訪問者の方がたがあってのことだと、感謝しています。

 ロシア歌謡のなかに、「一週間」というのがあります。この「一週間」に倣って、私の「一週間」を書いてみましょう。

「日曜日」には、歌謡の勉強。一日中、自宅の寝室のベッドの枕元にあるテレビで、衛星NHKテレビの「遠藤 実」の紹介を視聴していました。ゲストに、作詞家のいではく、歌手で遠藤 実さんの自宅で歌謡を教わった千昌夫さんが、故・遠藤 実さんを語っていました。この十二月六日に、急性心不全で亡くなった遠藤 実さんは一九三二年生まれ。私より、一歳若く、幼くして新潟に転居し、そこの自然である山・川・海・動植物や、人情の美しさを終生忘れず、それを曲にされたといいます。音楽・作曲は独学です。はじめは歌手になろうと思われたそうです。

 「北国の春」「星影のワルツ」「高校三年生」「ふるさとの四季をうたう」「くちなしの花」「すきま風」「夢追い酒」「こまっちゃうな」「アケミという名で十八で」「若き日の歌」のよういな民衆のこころに響く歌謡の作曲をされたのです。今晩は「篤姫」の最終回を視聴しました。近代国家とは何か、という問題・課題を考えました。


 「月曜日」は、午前10時半から正午まで、高陽整形外科クリニックスへ「リハビリ」と薬を貰いに行き、整形外科クリニックスのすぐ隣にある「うどん屋」で昼食をとり、手押し車を押して、300メートルほど離れた「カラオケスタジオ・よりみち」へ行き、歌います。演歌ではなく、鮫島有美子さんがCDで歌っている叙情歌、民謡、同様・唱歌などを歌おうと思っています。

リハビリでは腰の力をつける為に、息をいっぱい吸って下腹部を膨らませ、少しずつ口から吐くのですが、その息の「あ・え・い・お・う」と言葉をのせると、まさに歌謡曲でいう「複式呼吸」となります。「リズム、声の大小(音域が上がる時は声を上げ、下がる時はだんだん小さくするのが、原則です)、メロディー」を歌詞の意味を理解して歌うのが歌謡の原則のようです。これも「頭などの体操」のつもりでやっています。

 「火曜日」は自宅で、パソコンを視聴し(DVDやCDを視聴します)、メールを送信します。今年は「介護制度」の見直しです。介護費用が3パーセント増額すると報道されていますが、これはあくまで、介護施設者へ増額されるので、介護する労働者、職員たちの介護条件=賃金や重労働の改善には、直接にはならない場合があるようです。小泉主相自大から社会福祉費は年二千二百億円も毎年減額されたもので、高齢者の増加が増大する中で、3%の増額でこと足りるという問題は深刻です。

 「水曜日」は、早朝より「あすなろデイ・サービス」に行きます。「木曜日」は週二度目の高陽整形外科クリニックスへ「リハビリ」に行き、帰路に「カラオケ喫茶」へ行きます。

 「金曜日」は、妻に連れられて広島市立安佐市民病院の精神科・精神科と、内科へ行き、帰りに、病院の近くにある「カラオケ喫茶・城」へ久ぶりに行こうと思います。

 「土曜日」は、今週は散髪屋さんが来て、千円の料金で「あすなろデイ・サービス」において散髪の出張。その為「デイ・サーブス」に行き一日を過ごします。


 高齢者となり、複数の病気をもつ身となりました。「年賀状」も今年から、失礼しようと思います。老人となる、病んで死ぬのは、自然の摂理です。死ぬ瞬間まで、毎日をいかに生きるかが、問われていると思います。


             人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

               ‘08年12月14日(日曜日)23:45





[1877] 無題 投稿者:夕焼け 投稿日:2008/12/11(Thu) 16:27  

いろんな見方があってこそ・・・確立は為されるものと思っています。

http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=1752378

私にとっての チャンス です!

「日本国憲法9条」の死守論者 & 「日本国憲法改正」必須論者

そう長くない時代にどちらかの・・・択一も責められてくるのでしょう・・・、その日のためにしっかりとした判断ができる自分でありたいと、切に願っております。


[1876]  “Corporate Japan's War Stories” (福留範昭先生からの紹介です。 滝尾)                                                                                                                                      投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/12/09(Tue) 17:34  


Far Eastern Economic Review (online)
2008年11月26日掲示
http://www.feer.com/international-relations/2008/november/Corporate-Japans-War-Stories

“Corporate Japan's War Stories”
“日本企業の戦争物語”

by William Underwood and Mindy Kotler
ウィリアム・アンダーウッド、 ミンディ・カトラー

第二次世界大戦終結以降、日本企業は、自国の戦時の歴史を書き直す戦いで後衛を務めることに、余念がなかったようです。繰り返し現れたこの傾向は、戦後の日本をめぐる関係に悪影響を及ぼし、世界の企業市民としての日本の努力を傷つけてきました。

歴史修正の最新の例は、ホテル・マンション開発業者アパグループが主催した「真の近現代史観」論文コンテストです。田母神俊雄空将(航空自衛隊幕僚長)は、日本帝国が、ソビエトによって操られた米大統領が仕掛けてきた戦争を戦ったのは正しい戦いだった、と主張する論文でそのコンテストに優勝しました。

田母神空将は即座に更迭されましたが、彼が発表した論文は孤立した事件ではありません。 麻生太郎首相のファミリー・ビジネスを引き継いだ会社を含み、多くの日本企業が、自分たちに都合のよいアジア太平洋戦争の物語を広めてきました。

1975年、家族企業帝国の設立百周年を記念するため、麻生セメント社の社長兼最高経営責任者だった麻生太郎は、社史の出版を監督しました。完成した1,500ページの本は、麻生鉱山が日本の戦争遂行に果たした役割を賛美し、アパグループ主催による論文コンテスト優勝作と同様、日本は米国を攻撃するよう騙されたのだと示唆しています。

社史のうち、「戦う麻生」のセクションでは、米国の指導者が1941年12月7日以前の日本の軍事計画に関して詳細な知識を得ていたと、述べています。 それによれば、「リメンバー・パールハーバー」が米国人の合言葉となるよう、日本にわざと最初の一撃を打たせたというのです。田母神空将と同じように、麻生企業の歴史家たちは、「これが、対日戦争に関する米国の世論を巧みに統一したのだ」と結論付けています。

社史によれば、麻生鉱山はその後「神風生産特攻隊」になりました。 日本人の坑夫が九州から戦場に去った後、「その補充に朝鮮人労働者や中国人俘虜などが、当てられるようになった」。

しかしながら社史は、麻生鉱山のために無給で石炭を掘らされた300人の連合軍捕虜 (オーストラリア人197人、英国人101人、オランダ人2人) については全く触れていません。 この事実は2006年に広く報道されましたが、日本外務省はそれらのメディア報道に反論し、「我々の政府は、当該会社が強制労働者を使用したといういかなる情報も受け取っていない」と主張しました。 麻生氏はその当時外務大臣でした。

しかし日本政府は1946年前半、300人の連合軍捕虜の生活・労働環境を詳細に伝える麻生企業の会社報告書を、連合軍の戦争犯罪捜査官に提出していました。 麻生鉱業の社内便箋に書かれ社印が押されたこの報告書は、米国国立公文書館で閲覧することができます。それは、捕虜強制労働で利益を得た50社以上の他の日本企業が占領軍当局に提出した報告書とさして変るところのないものでした。

野党議員の一人は今月初め、麻生企業の会社報告書を拡大した写真を使い、彼の家族が課した強制労働について、国会で直接首相に質問しました。麻生首相は、戦争が終わったとき彼がたった5歳だったことを述べ、「これは確認は全くされていない」と挑戦的に主張しました。

これらの歴史修正にともなう問題は、日本の経済界が強制労働の被害者である連合軍捕虜や朝鮮人中国人に対し、和解に向けた行動を避けるのを、それが許してきた点です。日本その他で開かれた法廷が、日本政府や企業を個人的に訴える被害者の権利は戦後の条約で放棄されていると何度も裁定を下しているのですから、法的義務への恐れから過去の行為と向き合うことを拒む理由はもはやないはずです。残っているのは道義的責任だけなのです。

イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、オランダ、そしてノルウェーの各政府は、日本が行動を起こそうとしない現実に対応し、生存する自国の元日本軍捕虜に補償する、という措置をとりました。彼らは、それが元捕虜に対する名誉の義務であると考えたのです。 韓国の政府も、日本での徴用犠牲者に国家による支払いを始めました。

アジアと西洋の強制労働者が日本の法廷で起こした訴訟は全て棄却されましたが、法廷は彼らの苦しみと補償の欠如は認めているのです。 日本人裁判官の何人かは、政府か日本企業のどちらかが自発的に補償することを勧めました。

悲しいことに、日本の経済界はそれらの解決策を払いのけてきました。彼らは田母神空将と麻生首相と同じ誤った歴史観に頼っています。2005年の弁護戦略として、三菱マテリアル株式会社の弁護士は、東京裁判を「東京裁判史観」とこきおろし、日本はいったい本当に中国を「侵略したのか」と、疑問を投げかけました。 彼らは、中国人の年老いた強制労働の生き残りに補償をすることは、日本人に「誤った心の負担」を負わせることになると、福岡の判事に警告しました。

「日本は侵略国家であったのか」と題した田母神空将の論争は、例外的なものでもオリジナルなものでもありませんでした。その論文と日本産業界の戦争の過去から逃れようとする姿勢は、同一パターンを形成しており、それは、責任あるパートナーとしての日本の国際的信頼性を、傷つけ続けているのです。


※ ウィリアム・アンダーウッド博士は、日本の強制労働の歴史を専門にする独立学者。ミンディ・カトラーは、アジアの安全保障を研究するワシントンベースの「アジア・ポリシー・ポイント」のディレクター。



[1875]    日本、太平洋戦争中にハンセン病患者を集団虐殺 (聯合ニュース)の記事を紹介します。     (滝尾)  投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/12/08(Mon) 13:42  

 福留範昭先生から韓国の過去問題に関する4記事が滝尾宛にメールで送られてきました。これを『滝尾英二的こころPar2』の掲示板に掲載します。福留範昭先生と「聯合ニュース」の記事の翻訳していただいた森川静子先生に感謝します。

 なお、前文と(1)日本、太平洋戦争中にハンセン病患者を集団虐殺 (聯合ニュース)の記事は、『滝尾英二的こころ』などの掲示板に掲載します。

               人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                ‘08年12月8日(月曜日)13:30

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

福留です。韓国の過去問題に関する記事を紹介します。

1) 日本、太平洋戦争中にハンセン病患者を集団虐殺 (聯合ニュース)
2) 韓国・朝鮮人の元BC級戦犯遺族 つらい経験語る ソウルで交流 (北海道新聞)
3) 「からだに時限爆弾を抱えて生きる人たちの目標は一つ」 (オーマイニュース)
4) <インタビュー> 日本の史学の「若い血」 斎藤一晴 (聯合ニュース)
5) 10日に年末臨時国会を召集、会期1カ月 (聯合ニュース)

1) ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

[聯合ニュース 2008-12-07 10:12]
【日本、太平洋戦争中にハンセン病患者を集団虐殺】


(東京=聯合ニュース)イ・ホンギ特派員= 日本が太平洋戦争中に占領していた南太平洋の小さな島国ナウルで、日本軍が、現地のハンセン病患者39名をボートに乗せて海に流した後、砲撃と銃撃で虐殺したことが明らかになった、と共同通信が7日報道した。

日本の関東学院大の林博文教授が、オーストラリアの国立公文書館に所蔵されていたBC級戦犯裁判の記録などを通して明らかにしたもので、ナウルのハンセン病患者虐殺事件を具体的に立証する文書が発見されたのは初めてだ。

通信の報道によれば、オーストラリアが委任統治していたナウルを1942年に占領した日本軍は、隔離中のハンセン病患者たちが米軍の空襲で逃走することを憂慮し、現地の海軍第16警備隊が別の島に移送するとだまして、患者たちをボートに乗せ、海に誘導した後、砲撃して沈没させ、溺死をのがれた患者たちは銃で射殺した。

この時、犠牲になった患者は、11歳から69歳で、男性24名、女性15名だ。

オーストラリアは、戦後、現地の住民たちの証言を基に、調査に着手し、事件に関与した日本の軍人たちのうちで戦死を免れた軍曹長と砲撃を担当した下士官を戦犯裁判で起訴し、終身刑を宣告させた。

林教授は、「太平洋戦争中に多くのハンセン病患者が飢餓などで死んだことは知られているが、日本軍が虐殺行為まで行ったことを示す史料が発見されたのは初めてだ」とし、戦争中に太平洋地域で日本軍がなした行為は、詳細に把握されておらず、今後も真相を明らかにする必要がある、と語った。

                                 〈森川静子訳〉



[1874]   島田等・著『次の冬』の詩の中に、「捨てる」という題名の作品がありました。それを紹介します。            (滝尾) 投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/12/08(Mon) 00:50  


 今日は日曜日でした。昨夜、NHKで「裁判制度改訂=重要刑事事件裁判の市民参加」に関する放送を視聴したら、「刑法裁判の訴訟の数々」を思い出し、それが神経・脳に刺激を与えたせいか、肩から腕、腹部、両脚などが、針で刺すような「激痛」が起こり、難渋しました。

 そうした神経的・精神的な情況を変えるため、午後1じから7時まで、近くにある「カラオケ喫茶」に行き、先日亡くなられた遠藤実先生の作曲された「北国の春」「星影のワルツ」「すきま風」「アケミという名で十八で」「くちなしの花」「みちずれ」「君がすべてさ」など哀悼を込めて歌いました。

 ついつい調子ついて藤山一郎、美空ひばり、三輪(丸山)明宏、五木ひろし、森山良子、岡林信康、鳥羽一郎、吉幾三、小林旭などなどの歌手たちが歌った歌謡曲を三十曲唄ったところで、家からの電話がかかり、「身体は大丈夫? 夕食時なので帰りなさい」との連絡がありました。

 不思議なことに6時間も、カラオケで歌謡曲を唄っている時は、「痛い病」は感じませんでした。広島市立安佐市民病院の神経科・精神科の医師がいう通りです。自己の置かれている「辛い」そして「嫌な暗い」環境からの脱出=捨てることが私には必要なのでしょう。


 論楽社の代表である虫賀さんから島田等・著『次の冬』などの本がたくさん寄贈されてきました。虫賀さんに感謝します。島田等・著『次の冬』の詩の中に、「捨てる」という題名の作品がありました。それを紹介します。


       捨てる    島田 等

    「昔は良かったねえ」
    話が仕事のことからはなれると
    変わりばえのしない言葉がきかれたが
    意外というわけでもない
    <人間国宝>といういい方は馴染めないが
    彼らの話は楽しい

    それがどんなに良くても
    それを共有する人間は
    確実に減っていく
    失うことはあっても
    捨てることはむつかしい

    「おまえは、おまえの半生で
    何を捨ててたか」
    うしろ姿で
    名人は問う

                               人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二
                              ‘08年12月07日(日曜日)  23:59



[1873]   近況のご報告です。加齢と病いには勝てません!    (滝尾)                                                                                                                                   投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/12/06(Sat) 14:06  


近況のご報告です。加齢と病いには勝てません!

  人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

              ‘08年12月06日(土曜日)  13:50

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 昨日(12月5日)は、近くの「介護施設のデイサービス」に行きました。自宅の午前9時に、施設から、大型乗用車で迎えにきて、6時間半ほど「デイサービス」を受けました。これからはs、毎週、通所しようと思います。毎週1日で、散髪をしてもらう曜日は、土曜日ですから、隔月に散髪してもらい、その月は週5回、通所します。料金は、要支援ですから、月2500円(一割自己負担)で、その他に昼食代が450円を別に支払います。午後3時半に大型乗用車が、介護施設を出発し、帰宅は午後4時前でした。

 私が選んだ介護施設は、広島医療生活協同組合が事業を行っています。鉄筋コンクリート二階建てで、一階は、内科と小児科の診療を行い、二階が介護施設となっています。だから昨日は、私は一階の診療所へ行き、インフルエンザの予防ワクチンをしてもらいました。

 介護施設のある二階には、寝台 ベッドが8台ほどあり、眠くなると仮眠でます。浴槽(風呂)もあり、必要ならば、利用できるようです。一日の利用者は十二、三人のこじんまりしたデイサービスです。看護士など介護職員は数人います。責任者を含めて全員女性です。おやつには、お菓子やコーヒーが出ます。昨日は、手つくりの「ぜんざい」が午後に出ました。体操の時間などありますし、作業として、ちりり絵、色エンピツでの塗り絵など「頭と手」の体操があります。

 私は、自宅からノート・パソコンを持参し、ワ−ドでホームページの原稿を書いたり、歌謡曲のDVDやCDをヘットホンで視聴したりして、自由の時間を楽しんでいます。

 週の二度、近くにある整形外科クリニックスで、リハビリと、腰と肩のホット・パックや、腰に「電気」をかけに通院しています。また、健康とストレス解消、頭の体操を兼ねて、カラオケ喫茶・スタジオへ通っています。なるべく外出して、気分の転換に努めています。自宅では、パソコンでホームページの原稿を書いたり、またいろんなホームページを見たりし、メールを「メル友」に書いて送信したりの毎日をしております。


 ともあれ、広島市立安佐市民病院の精神科・精神科で先日、診察・検査して精神医の説明によると、<加齢による「認知症」で、ストレスや「怒り」の感情が「痛い病」を引き起こし、それが「激痛」の要因だから、自己の生活環境を変化さすことであり、「痛さ」は薬を飲んでも一時しのぎで、神経や脳を治す方法はない、ともかく「怒る」環境を避けることである。>と云うことです。腹の立つ現今ですが、楽しいこと、不安感からの回避することが、必要だという精神科・精神科医の意見でした。

 それにしても「腹だたしい」現今ですが、当分、介護施設、リハビリなどの整形外科の通院、歌謡のための「カラオケ」通いに専念するようにします。

近況のご報告をしました




[1872] 夕焼け 投稿者:夕焼け 投稿日:2008/12/05(Fri) 16:02  

来年の三月に古都で・・・、T先生の美声をカラオケ店で聴けることを楽しみにしています・・・ヨ。

「無理しすぎて、セミナーに参画できなくなりました」
なんて・・・、嫌ですよ!

無理の利く体でないことの自覚をお忘れなく!?


[1871] 弾の会 投稿者:北風 投稿日:2008/12/05(Fri) 15:15  


駆け出しの頃、同世代の幾つかの出版社と集まって「弾の会」を名乗って共同のDMなどをしていた。
「鉄砲玉のお使い」といえば世間じゃ当てにならないものの代名詞だが、仰せのように返品自由の出版の業界じゃ、それこそ望ましいものであった。
そのときのメンバーは、いまやちりじりになってしまって、噂に聞けば「鉄砲玉」どころか「本職」の幹部になっているのもいるという。
弾の会ではなかったが、S社なんぞは、金素雲の落し子という武井某の一万円札偽造の共犯として逮捕され会社は消滅した。武井遵は、その後秋葉原の宝石商をピストルで撃って無期懲役。1987年のことだったからもう出所しているだろう。

歳月茫々です。

T先生は昨夜はカラオケの由。カラオケにいけるくらいなら大丈夫だ





[1870] 梓弓 投稿者:北風 投稿日:2008/12/04(Thu) 13:50  


帰へらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる
              楠正行

こっちは、正行君の真似だろうね。

かえらじとかねて思えば梓弓積る思いを討ちて晴らさん 
              神風特攻隊 海軍中尉床尾勝彦



[1869] では。 投稿者:あずき 投稿日:2008/12/04(Thu) 12:28  

お答えさせていただきます。

「梓会」は「梓弓」からとった名前ですね。
「NRの会」は「No return」のNとRからとった名前。
「弾の会」、これは銃の弾のことでしょう。

以上、三つの名称のもととなったものの共通性は「行ったら返ってこない。」ということです。
つまり「返本がないように。」という、出版社の切実な願いがこめられたものではないでしょうか?


[1868] Re:[1867] 回答 投稿者:北風 投稿日:2008/12/04(Thu) 11:18  

>
> > いちおう謎々なので、答えは後で書きます。
>
> 今、答えを出したらダメですか?

ええですよ。



[1867] 回答 投稿者:あずき 投稿日:2008/12/04(Thu) 10:38  


> いちおう謎々なので、答えは後で書きます。

今、答えを出したらダメですか?


[1866] 「全集」あと二巻の印刷代を確保する Re:[1865] 緊急保証制度 投稿者:北風 投稿日:2008/12/04(Thu) 09:39  

>
> 一匹狼を気取ってきた零細出版社が群れ始めたのか、その総てなのかもしれない。

零細出版社が「群れ始めた」というのは説明が要る。
かつても、今も出版社の団体や組織はたくさんあった。
しかし、それは相互の研鑽・親睦のためのものであったり互助組織的なものであって、今回のように出版社の団体が「陳情」めいたことはしたことがなかった、ということである。
(小生の記憶違いで過去にもそういうことがあったのなら陳謝)

ところで謎々です。出版社の団体名で「梓会」、「NRの会」(NR出版協同組合)、「弾の会」などというのがあり、またあったのですが、この3つに共通するのはなんでしょう。

いちおう謎々なので、答えは後で書きます。



[1865] 緊急保証制度 投稿者:北風 投稿日:2008/12/03(Wed) 22:02  


さて、アメリカ発の金融パニックに、総選挙目当てのばら撒きがあざなえる縄状態で中小企業向け「緊急保証制度」がスタートして、中小企業は何とか年が越せるかなという感じである。

この緊急保証制度というのは、政府が原油高などによる「不況業種」を指定して信用保証協会が保証をつけ、銀行からの借入れを容易にする制度だが、この「不況業種」にわが出版界は入っていないのである。
当初指定の500何業種に、11月に入ってソフトウエア、情報処理などの業種が追加され、中小企業の7割近くが「不況業種」に指定されたのに、わが出版業界は「不況」じゃないちゅうのんかということで、遅ればせながら業界団体が「指定」を中小企業庁に要請している。

どうも出版業には主務官庁が無いらしく、経済産業省に行けば文部科学省にいけ、文科省に行けば経産省にいけということらしい。(弾圧だけは警察から来るが)

しかし、思い返せば、「緊急保証制度」というのは、その時々の情勢に応じて過去に何度か創設されていたのであるが、出版業界が揃って「不況業種」に指定せよと、官庁に詰め寄ったのは今回が初めてじゃ無いだろうか。

かつては、零細出版は「権力のおこぼれ、お情け」には縋らぬとばかりに、こういう制度を無視してきたように思う。
出版業界が根性がなくなったのか、それだけ不況が深刻なのか、一匹狼を気取ってきた零細出版社が群れ始めたのか、その総てなのかもしれない。

昨日は何とかなったと思ったら、今日は情勢が変わって「師」ならぬおいらも、走り回っている暮です。



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