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改訂 Re: 専門的ページ作成 投稿者:リベル 投稿日: 2月28日(水)12時13分37秒 引用
> 「用語の解説」と「医学的資料」のページに、「ハンセン病」と「Leprosy」の専門的解説を追加。全て、ドン・キショットさんのご提供によるものです。未だ完成はしていませんが、殆どこの形で進めます。有り難うございました。
フォーマットを他のページと統一しました。「ハンセン病」、「Leprosy」をクリックして下さい。ご意見を戴ければ、有り難いと存じます。宜しくお願いします・・・m(_ _)m
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私の拘り! 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月28日(水)06時45分28秒 引用
>「誰の得にもならないことは、言ったり、したりしない」
>「誰にも損を与えないことは、許す」
多分、私に判り易くと「損・得」で表現して下さったものと考えますが・・・。
ここに重要な問題が含まれているように思います。
リベルさんというお立場からの言動です! リベルさんの主観的思いを否定することなど出来るはずも有りませんが、【得や損が生じる(生じた)と 誰 が、決めることが出来るのか?】という問題です。
以前より、「中庸」思想を尊んでいるからの 寛容 が滲み出ているとリベルさんのHPを、訪問するたびに、私は感じておりました。
私の思いというより、拘らざるを得ないのは、「リベル」さんは「リベル」が思っている以上に影響力・・・、先駆者的お立場になっているという現実の把握です。
北風さんが嫌う、「言論封じ」の様相も見え隠れする書き込みに成っている可能性も、自戒しつつ・・・・・・、
私が言いたいことは、今回の映画制作においてのリベルさんが導き出したという「支持・支援」というお立場が、私が想いを馳せた山下峰幸さんの、「シナリオ批判」との相違にあります。このことを少しでもチジメルことは出来ないだろうか?という思いが、私をより一層の 頑な に、した感はあるようです・・・。
私には、リベルさんとは同じ道程を突き合いながらも、共に歩んで行けるというものを感じていましたので、しつこく書き込みをさせていただいたのかもしれません。
しかし、先日も言いました、リベルさんの、
>>(リベル) 申し訳ありません。私は、72歳の、クタバリカケです。仰有ることが、理解できません。どうかもう、見放して下さい。こんな馬鹿に百万言を費やしても、どうしようもないと・・・。お願いします。夕焼けさんの素晴らしい熱意とエネルギーを、もっと有用な方向にお使いください。本当に、ご免なさい。努力したのですが・・・(涙)(2.8 23:46)<<
この言葉より、自分自身の傲慢さと、うぬぼれ、そして人に伝えることの不勉強を痛いほど感じてしまいました。
「自分を何様と思っているのか!?」・・・、このことに尽きると反省させられました!
昨日の、
>ありがとうございました・・・・・・、リベルさん!
は、そういう意味合いも含めてた、これまでの感謝の念でもありました。
改めまして、皆さまに・・・「多くを学ばせて頂きました・・・、心より感謝を込めて『ありがとうございました』」
じっくり・ゆっくり日本語のお勉強に精を出し・・・、上手く伝えられる様に!と、心底感じているのです・・・・・・。確かにやること、やらねばならないこと!、山ほどあります、リベルさん!!
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専門的ページ作成 投稿者:リベル 投稿日: 2月28日(水)05時45分6秒 引用 編集済
「用語の解説」と「医学的資料」のページに、「ハンセン病」と「Leprosy」の専門的解説を追加。全て、ドン・キショットさんのご提供によるものです。未だ完成はしていませんが、殆どこの形で進めます。有り難うございました。
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「ロードマップ委員会」の広報が出ました 投稿者:リベル 投稿日: 2月28日(水)00時01分2秒 引用 編集済
第4回ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会の開催について
3月8日(木)11:00〜13:30/東京ドームホテル B1階「シンシア」(東京都文京区後楽1-3-61)
#議案:「再発防止のための提言」に対する取組状況 (第3ー8)、その他
『「再発防止のための提言」に対する取組状況 (第3ー8)』が議案だそうです。これが全てを示唆しているではないですか?
「提言」に誰かが「取り組」んでいるのですか?「提言」をどうしようとしているのですか?「提言に基づく再発防止委員会」が、「取組状況」を議論するという、馬鹿馬鹿しさを通り越した「議案」ではないですか?この(第3―8)も何だか胡散臭いですし・・・。
傍聴申込の締め切りは3月5日(月曜日)です。
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夕焼けさんへ Re: 踏み込んだ議論に・・・。 投稿者:リベル 投稿日: 2月27日(火)23時22分36秒 引用 編集済
リベルさん発信の、
> >この映画が、積極的に社会悪をばらまいた
> >り、子供に悪影響をもたらしたり、しない
> >限り、容認する、というのです。
>
> を、読ませていただき、「公共の福祉」ならぬ「公共の被害」という言葉を連想してしまいました。
>
> この部分は、私が 苦悩 している 部位 と、とても似通っていますので、敢えて提言させて頂きます。
>
> とても乱暴な言葉の転換であるのかもしれませんが、感じるままに書き込みをさせていただきます。
>
> 「公共の被害という部分に触れていない限り、容認する、というのです」
>
> 全く、可笑しくも無く、批判されるような 概念 ではないのでしょうが・・・、北風さんの ことば を借りれば、「違和感」を、感じてしまうのです。
>
> 公共には個々ということばが、私には思い浮かばれるのですが、「個々」その立場、タチバとも言うべき箇所を、目配り・気配り・心配りといった、充分な配慮がされているのかを、必ず振り返り・立ち止まりながら「知行合一」を目指すべきだと・・・、この精査された のち の行為が必ずや多くの市民間からの共鳴に結び付くと、これまでの拙い体験・体感より感じ入っています。
ご懸念のとおり、「異議あり」です。私の書いた
「この映画が、積極的に社会悪をばらまいたり、子供に悪影響をもたらしたり、しない限り、容認する、というのです。」
と言う言葉は、前の「走り出した機関車が、当初の予定とは違うレールの上を轟音を立てて走っている。もう止まらないものを、身体を投げ出してまで止めようとは思わない。そういう、ネガティブな「賛成」なのです。」という自分の気持ちの説明を、補強する意味で書いたのです。
「特に積極的に、害悪を流す映画でない限り、私には反対する理由が有りません」と言うことを追加したかったのです。
ですから、この部分だけを取り上げて、「言葉の転換」をして
「公共の被害という部分に触れていない限り、容認する、というのです(たとえ、「個々」の立場に対する目配りが疎かになっても)」
という意味は、全く含んでいません。正確に言えば、そういう意識は私には全く有りません。
ということで、異議を申し述べさせて頂いたのですが、お分かり頂けたでしょうか?ポイントを外していたら、遠慮無くご指摘ください・・・m(_ _)m
チョット脱線かも知れませんが・・・、私は処世訓というか、人生訓というのか、いつも自分に言い聞かせることがあります。それは、
「誰の得にもならないことは、言ったり、したりしない」
です。私は以前から告白しているように、格好良く見せたがる、ペダンティックで、自己中心的な人間であることを自覚しています。これは、なかなか抜け出しにくい性癖で、今もしょっちゅう顔を出してきます。それを「モグラタタキ」よろしく叩き潰すために、そういう処世訓を言い聞かせなければならないのです。
その裏返しに、こう言い聞かせます。
「誰にも損を与えないことは、許す」
「この映画が、積極的に社会悪をばらまいたり、子供に悪影響をもたらしたり、しない限り、容認する、というのです。」
は、その言い換えだと説明すれば、ご理解頂きやすいかも知れません。
最後に、上に書いた悪い癖を、出します。ALSの師を看取る若いジャーナリストが書いた、ミッチ アルボム著「モリー先生との火曜日」の中で 、モリー先生がこんな言葉を言っていました。
「大切なのは、勇気、ユーモア、忍耐そして寛容。」
私は、「ユ・ユ・ニ・カ」と覚えています。そして列に割り込んで来る、それ風の若い衆がいたら、胸はドッキンドッキン張り裂けそうになりながら、「勇気、勇気」と呟いて、歩み寄って行くのです。そして小さな声で言います・・・「
おっと、寛容の話をするつもりだったのが・・・?
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平和祈念館 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月27日(火)20時42分21秒 引用 編集済
平和のあとは 祈念館と続くのが多いようです。
いろいろあるようだが どれが正確なのかよくわからない。
平和記念館もないわけではなく 戸田平和記念館 池田平和記念館 太刀洗平和記念館があり アウシュヴィッツ平和博物館もあります。嘉手納基地内のpeace parkの由来もかなり詳しくインターネットにありました。大分前でしたが。
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Re: ハンセン病問題:風化させず 鳥取県が「記念碑」建立 投稿者:リベル 投稿日: 2月27日(火)11時34分40秒 引用 編集済
> やはり「記念碑」ではありますまい。
>
> 毎日新聞
『碑文については、元患者から「無らい県運動犠牲者の碑」の案が出ているが、県は“加害者”イメージが強く受け入れられないとの立場を表明』
「無らい県運動犠牲者の碑」を県は拒否するという。なら作らなければ良い。そもそも「記念碑」なのですか?「記念碑」というのは「ある出来事や人物を記念して建てられた碑」と辞書にあります。
付記:原爆資料館、平和記念館は有っても原爆記念館は有りません。終戦記念日は有っても敗戦記念日はありません。ハンセン病の場合を考えれば、5月11日は記念日であっても、3月18日(癩予防ニ関スル件の公布日)は記念日とは言えません。「記念日」という言葉をもっと慎重に、大事に扱って頂かないと。(この節追加2.27 17:12)
やはり「記念碑」ではありますまい。
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誤解されやすいコトバ。それとも真意か? Re: 慰霊碑・記念碑雑感 投稿者: 投稿日: 2月27日(火)10時06分58秒 引用
> 「無らい県」を記念して記念碑をたてるという。
(中略)
> 私はハンセン病がなくなったので記念碑を建てたらどうだと言ったら、そんなことを言ってはいけません。これが飯の種の人がおおいのだから と 一喝された。
>
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Re:慰霊碑・記念碑雑感 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月27日(火)09時00分11秒 引用 編集済
追加です。
外島保養院の記念碑訪問については 以前に書きました。川の堤防にあり、洋々たる川を見て、当時の洪水の悲劇と悲しみを偲びました。戦時の外の園の悲劇に匹敵する、最大の悲劇と思います。
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慰霊碑・記念碑雑感 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月27日(火)06時37分51秒 引用 編集済
「無らい県」を記念して記念碑をたてるという。
記念碑はやはり関係の所に建てるべきであろうが、そういう理由で県庁なのだろうか。
慰霊碑は沖縄に多い。24万人の霊をまつり記銘した平和の礎(イシジ)は壮大である。各県の碑もその近くにあり、私は昭和41年にいった。熊本県の記念碑は不知火の塔という。平和の礎には何度もいったが、私は一度だけ6月23日の慰霊の日にお参りした。小泉首相が挨拶された。ハンセン病療養所で戦時期なくなった人も記銘されているのでお参りした。(その当時は1名であった)大勢の参加者の中に 4軍司令官である ヘイルストン将軍に会ったので挨拶した。(マダムヘイルストンは南静園に毎年寄付され、交流のある団体AWWAの長として、表彰されたことがある)
江戸時代に明和大津波とよばれる津波があったが、犠牲者の慰霊の碑が石垣島にある。宮古島にもあるようであるが、探せなかった。嘉手納基地の中には、終戦をサインした(昭和20年9月)場所にPeace Parkがある。戦争の後、マラリア撲滅した記念館は石垣島にあるし、フィラリア撲滅記念碑は宮古島福祉保健所にある。私はハンセン病がなくなったので記念碑を建てたらどうだと言ったら、そんなことを言ってはいけません。これが飯の種の人がおおいのだから と 一喝された。
記念館はいいと思う。ハンセン病療養所自体が 記念館であり、歴史であろう。
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踏み込んだ議論に・・・。 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月27日(火)06時35分3秒 引用
リベルさん、レス「ありがとうございます!」 私自身の思考も、より深まりを増している様で、感謝に耐えません。
リベルさんの書き込みを読ませていただいていると、「中庸の精神」・・・中庸主義を連想してしまいましたが・・・、この中庸は単なる不可知論的発想と誤解されやすいですね、私はそのこととの区別が出来る 人 でありたいと、以前考えたことがあります・・・。
リベルさん発信の、
>この映画が、積極的に社会悪をばらまいた
>り、子供に悪影響をもたらしたり、しない
>限り、容認する、というのです。
を、読ませていただき、「公共の福祉」ならぬ「公共の被害」という言葉を連想してしまいました。
この部分は、私が 苦悩 している 部位 と、とても似通っていますので、敢えて提言させて頂きます。
とても乱暴な言葉の転換であるのかもしれませんが、感じるままに書き込みをさせていただきます。
「公共の被害という部分に触れていない限り、容認する、というのです」
全く、可笑しくも無く、批判されるような 概念 ではないのでしょうが・・・、北風さんの ことば を借りれば、「違和感」を、感じてしまうのです。
公共には個々ということばが、私には思い浮かばれるのですが、「個々」その立場、タチバとも言うべき箇所を、目配り・気配り・心配りといった、充分な配慮がされているのかを、必ず振り返り・立ち止まりながら「知行合一」を目指すべきだと・・・、この精査された のち の行為が必ずや多くの市民間からの共鳴に結び付くと、これまでの拙い体験・体感より感じ入っています。
私は、今回の星塚敬愛園での「胎児標本の火葬問題」より、“やまね”さん、 “ドン・キショット ”さんの 言霊 が、十二分に理解し、理解できるのですが・・・、ただ前にも述べました「成仏」という概念が私を覆っていることも事実です。標本を 物 などという見方が出来ず、以前から言っていますように「変死体」という見方で見る以上・・・、もしも、もしも 私の子ども だったら・・・、その死体をいつまでも、ホルマリンの中で漂わせておくこと事態、耐えられるであろうか・・・?が、一つの苦悩で、皆さんが言う真相究明までは、断固!火葬などにはさせてはならない!!・・・、その通りなのですが・・・。
果たして、市民学会として公にしたという事実(※ホルマリンの中の変死体が、わが子ではないか?と、危惧されている全国に点在する関係者の苦悩!)より、その後の 交渉 なり 対応 は、迅速なものであったのか?という傲慢とも取れる思いを持ち合わせているのです!
親子鑑定にDNA鑑定は使え無かったのか?という糾弾!や、『謝罪はすれど、検視はせず』の厚労省の方針を 究明 は出来なかったのだろうか?・・・が、公表した方々の責任に於いて、慎重に、そして、迅速という矛盾を伴う大変な行為(作業)に、しっかり汗を掻いてきたのだろうか?が、私には付いて回っているのです。
以下は、先日も貼り付けさせていただきました、この部分に触れる書き込みです!
日時: 2006/06/15 07:02
名前: 夕焼け
志村さん、横暴な意見だと聞き流してください!
厚労省の統括責任者はその代表として、「謝罪」をしてくださいました。
しかし、
『謝罪はすれど、検視はせず』 との方針を打ち出し、丁重なる供養を実施するよう指示したと言う事が、報道で全国に流されておりました。
私はこの胎児標本問題を 世間に問う という姿勢を打ち出した時より、「変死体」という捉え方として、刑事訴訟法に則った過去の不作為が、今の世の中・・・、社会に大きな提起としての 課題 となるべき!と、軌道修正しこれまでの考え方を改めておりました。
今回の、「お詫び」を受け入れてしまいそうな風潮には、些か疑問を持ち合わせた朝となっています。
当初、胎児標本にかかわる遺族の心情を考えれば、公にする前に十分すぎるほどの多種多様な方々による論議が成され、「胎児標本問題」がなぜ?起きたのか!! が、現社会に大きな提起として問われ、市民の課題としての「問題提起」と成る筈!!が、私のこの問題を表面化することの 意義 で有りました!
刑事訴訟法に基づいた方針が川崎厚生労働大臣の口から聞かれなかった事に、「これで良いのか?」が、頭の中を駆け巡っております!
リベルさん!
私は、これからも「民主主義の深化・進化・真価」については、目を凝らしていきたい思いですし、当然、「文章力」の勉強も、頑張っていくつもり・所存です!!
ありがとうございました・・・・・・、リベルさん!
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第4回「ロードマップ委員会」 投稿者:リベル 投稿日: 2月27日(火)00時44分50秒 引用
第4回「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」
3月8日(木)11:00〜14:00/東京ドームホテル B1階「シンシア」(東京都文京区後楽1-3-61)
#原告団全療協からの推薦でお話をする人:小林洋二弁護士
#傍聴席:200席
#事前に申し込みをすれば席を確保できる可能性が高くなります。
直接厚労省に申し込んでいただくことになります。
#厚労省の広報はまだ何処にも見当たりません。
先回、第三回「ロードマップ委員会」のとき、小林弁護士がお書きになった「傍聴の奨め」をこちらに転載させて頂いてます。ここから、第一回の議事録をお読みになれますが、呆れ果てた茶番としか言いようがありません。恥ずかしくなったのか、第二回以降は(目下の所)議事録を公表していません。議事次第と提出資料のみ公表しています。
小林弁護士の仰有るように、このまま放っておいては、委員会自身の存立が危ぶまれる状況に陥りかねません。しっかり監視の目を見開いておかないと・・・。
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ハンセン病問題:風化させず 鳥取県が「記念碑」建立 投稿者:リベル 投稿日: 2月27日(火)00時20分29秒 引用
やはり「記念碑」ではありますまい。
毎日新聞
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夕焼けさんへ Re: 直面した課題・・・。 投稿者:リベル 投稿日: 2月27日(火)00時05分9秒 引用
> 映画化を、支援・支持する方々は、「映画化が再審への足がかりに成る」という思いは、皆さんが持ち合わせているのだろうか?と、気になっている点です。
まず、自分が「映画化を、支援・支持する方々」に属していると、再確認して、驚いているのだから、変な話ではありますが、これは事実なのです。このことは、しかし、後で説明します。
少なくとも、私は、「映画化が再審への足がかりになる」という思いは、全く持っていません。この映画が出発点で、どういう方向を向いていたかは、知る由もありませんが、もし「冤罪」を「科学的・実証的」に追求しようとするもので有ったら、そういう期待も持っていたかも知れません。
> 「ハンセン病問題の解決には、今、映画化することが必要なんです」 この映画化するという行為には、欠かせないと思える「遺族と共に!?」このこと抜きに※高齢で時間が無い(園内の高齢化率と、中山監督も最後の作品として・・・)のです。を理由として、映画化の正当性を訴えていましたが、到底、頷けるものではありません 。
前の話と関連するのですが、私はこの映画の「必要性」を感じたのでもなければ、「正当性」を認めているのでもありません。前に一度書きましたが、走り出した機関車が、当初の予定とは違うレールの上を轟音を立てて走っている。もう止まらないものを、身体を投げ出してまで止めようとは思わない。そういう、ネガティブな「賛成」なのです。
この映画が、積極的に社会悪をばらまいたり、子供に悪影響をもたらしたり、しない限り、容認する、というのです。
これは、非難されるべき姿勢かも知れません。がこれが(ちょっとオーバーに言えば)私の生き方なのです。小学5年の時に、敗戦による無茶苦茶に強大なパラダイムシフトを経験した子供の、「成れの果て」です。
が、恥じてはいません。戦争のせいにもしません。戦争の底知れない恐ろしさを今更ながら、噛み締めるのみです。
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まあ、 投稿者:北風 投稿日: 2月26日(月)16時49分26秒 引用
古い本ですから。
版元のキリスト新聞社は品切れ絶版。
キリスト教書専門古書店の「友愛書房」(神保町)「待辰堂」(西荻窪)に問い合わせたけれどない。ここになければ、まあ、他で見つけるのは無理かも。
昔、書店で見つからず石館先生のお宅の買いに行ったら在庫がどっさりあったけれど。
先生も今はない。手元の本も誰かに貸したまま戻ってこない。
(リベル) なるほど、そんな厳しい状況なのですね。これは、諦めなければならないかも知れません。お手数をお掛けしてしまいました。ご免なさい。
インターネットで、例えば「2ch」など、欲しい、求む、など呼びかける方法は無いものなのか、今夜、調べてみます。どこかに埋もれているに違いないのでしょうから。情報を、ありがとうございました 。(2.26 16:55)
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(無題) 投稿者:エリカ 投稿日: 2月26日(月)16時04分55秒 引用
>求む!『聖書の中の「らい」』
キリスト教書専門店ライフセンターには問い合わされましたか。
http://www.kyobunkwan.co.jp/Publish/Shops.html
(リベル) 有り難うございました。只今発注してきました。色々なところが有るものなのですね。有ることを祈って待つとします。(2.26 16:45)
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「聖書のらい」と「聖書の中の『らい』」 投稿者:リベル 投稿日: 2月26日(月)14時57分3秒 引用 編集済
犀川一夫著『聖書のらい』は遂に発見。古本検索のサイトなどで、しぶとく探していてやっと見付けました。「スーパー源氏」で。最近検索しても無かったのに、今日は有りました。奇跡的に。630円です。きっと送料や、振り込み手数料の方がかかるはずですが、とても嬉しくて。ところが・・・
『聖書の中の「らい」』:スタンリ−・ジョ−ジ・ブラウン著;石館守三訳 (キリスト新聞社)1981/09出版 が有りません。webcatで探しても、日本の図書館に5カ所しか有りません。
求む!『聖書の中の「らい」』
どなたかお持ちの方で、もう要らないと仰有る方、いらっしゃいましたら、価格を沿えてお知らせください。メールでも何でも、結構です。荒井英子著「ハンセン病とキリスト教」の中に、重要な部分は殆ど引用してあるのですが、それを使うと「孫引き」だらけになってしまうので、我慢が出来ません。
何卒、宜しくお願い致します・・・m(_ _)m
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怒られるかな。 投稿者:北風 投稿日: 2月26日(月)13時35分59秒 引用
「サムライ・ニッポン」といってもわからない人が多いでしょうから。歌詞をどうぞ。
二番です。
2 きのう勤皇 あしたは佐幕
その日その日の 出来心
どうせおいらは 裏切り者よ
野暮な大小 落とし差し
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余談:定年記念日を繰り上げて・・・ 投稿者:リベル 投稿日: 2月26日(月)13時08分33秒 引用
12年前の2月28日、私は定年退職をしました。その日から「自分発見」、文字通りの「自分発見」のための第三の人生をスタートさせました。最近出た、五木寛之氏の「林住期」を立ち読みしていて「第三の人生」という言葉を見付けて、我が意を得たりと、嬉しくなりました。
その、定年記念日を三日早めて、昨夜大酒を食らいました。先程目覚めましたが、非道い二日酔いに、苦しんでいます。また深夜に出直します。お許しください・・・m(_ _)m
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巧言令色鮮矣仁 投稿者:北風 投稿日: 2月26日(月)13時03分59秒 引用
夕焼けさんの発言は、判り易いとはいえないけれど、仰ることはわかるし、何よりも言うことにぶれがない。「サムライニッポン」的弁舌爽やかよりはるかに貴重。
(リベル) 同感、同感!全く同感です。それと、北風さんの”太陽”の部分に、感動して、涙・・・なのです。(2.26 15:01)
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直面した課題・・・。 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月26日(月)07時03分52秒 引用
「直面した課題」などという、大それた題名でとても恐縮なのですが・・・。
私事なのです。
以前より、私の書き込みが如何に判り辛いものであるのかは?心ある方々の心遣いより私自身も認知していました。
そのことへの 努力 は必要と、自分なりに意識し、拙い汗は掻いてきたつもりでしたが・・・、これも自己満足の域は出てはいなかったようです!
「学歴」の重さをたまに感じることがあります。高卒の私には、大学校で学ばれてきた方々との「差異」を至る場面・箇所で感じ取れることがあります。
「知識」の豊富さが、如何に 人に伝える行為 としては、大事なもので、知識という宝物があるということで、活かされた創造力に結び付き育んでいくのか!?を、やはり、侮れない・・・と、感じているこの頃です。
感性 というものは、とても大事だと思うからこそ、その知識の修練と、コミュニケーション術は必要不可欠であるということを、このBBSより私は学ばされております。
「直面した課題」というのは、「人に上手く伝えるための、文章力への強化」という、疎かにはできない大事な課題だという点です! しばらくは、この「上手く伝えるための汗の掻き方」と、いうものに本年の課題としても取り組むべきと、思っています。
余計なことなのでしょうが、「傾聴!徳田弁護士、藤本事件を語る!」を読み、徳田先生の「・・・再審を目指したが、遺族の強い意向もあって、断念せざるを得なくなった」という発言が、事実なら・・・、私は徳田弁護士の「恐さ・怖さ」を感じずには いられない(おれない) と、思いました!
この文章からの社会(世間・世論)への導きが、非常に一義的なものの見方からの示唆のように感じられるからです。
「状況が許せばやりたい、やらなければならない」という徳田弁護士の大いなる矛盾を、私は感じてしまいます。
再審を目指したが、遺族の強い意向(再審に対し反対)もあって、出来なかった!
この言葉を、発するからには、それなりの事情説明、「機微」なる行為が最も必要な時だと感じています。
「映画化制作」に対しての、疑念を市民学会に提起している方がいる以上、そこには機微成る抱擁からの言葉のあり方というものが合って、「然り」だと、思えるからです。
この時期に、映画化と再審が同じ導きの下にあるかのように取られる、言葉の羅列にはその発信する真意というものを、疑わざるを得ない心境です。
私たち?(私が)が今回提起している大きな矛盾の一つに、
<映画化が決して再審への道程になっていないと、思えるからこその「市民学会」に対する不満です。>
なのに、徳田弁護士の「遺族の強い意向もあって、断念せざるを得なくなった」その真意については、一言も触れようとしていないところに「なぜ?」が、私を覆っているのです。
リベルさんともこの点については、皆さまと、多くの論議をして来た様に思いますが、リベルさんが発する、
「やはり、「けりをつけなければ」と思って居られることを知りました。そうだったのか、諦めたわけではなかったのか・・・と」 この言葉を聞き、
映画化を、支援・支持する方々は、「映画化が再審への足がかりに成る」という思いは、皆さんが持ち合わせているのだろうか?と、気になっている点です。
「ハンセン病問題の解決には、今、映画化することが必要なんです」 この映画化するという行為には、欠かせないと思える「遺族と共に!?」このこと抜きに※高齢で時間が無い(園内の高齢化率と、中山監督も最後の作品として・・・)のです。を理由として、映画化の正当性を訴えていましたが、到底、頷けるものではありません 。
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Re: 傾聴!徳田弁護士、藤本事件を語る! 投稿者:北風 投稿日: 2月25日(日)09時47分56秒 引用
> 「裁判のやり方など問題も多く、再審を目指したが、遺族の強い意向もあって、断念せざるを得なくなった。しかし、状況が許せばやりたい、やらなければならない、という気持ちに変わりはない。私が引退した後も、後を継ぐ人にこれだけは託したい。日本の法曹界にとって、この問題にけりをつけないでいることは許されない」(熊日企画「ハンセン病とともに」から)
>
> やはり、「けりをつけなければ」と思って居られることを知りました。そうだったのか、諦めたわけではなかったのか・・・と。
これを関原勇弁護士が言うのではなく徳田弁護士が言うことに「違和感」を禁じえない。
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夕焼けさんへ Re: 「成仏」という概念が、私を悩ませます・・・ 投稿者:リベル 投稿日: 2月25日(日)03時42分4秒 引用 編集済
> 「何々の為だったら、多少の犠牲は・・・、仕方の無いことだろう!」
>
> 社会に中で活かされていると、こういう判断、決断に迫られることって、ただあるのでは?と、感じています。
>
> もし、時間がゆるされるのであれば、深められた論議の末にこの結論を導き出す努力が、より後世の 後輩諸君ら からも、支持されることにつながることだと考えています。
>
> 映画化問題でも、標本化問題でも、この部分が、蔑ろにされていた感が、私を覆い、「市民学会」と、名付けられたその真意を今一度、考えてみる必要性を感じています。
>
> いち市民として、この「ハンセン病市民学会」と、名付けられた市民学会という響きには、期待と、決して衆愚化(力なき正義は無力だ!を、一義的に前面に押し出し愚民視された集団)などにさせては成らぬという共同代表者の 願い と、「参画型民主主義」の意義を見つめて行くといった「大義」が感じられ、当初、期待を越えたものを持ち合わせていました。
>
> ただ、今、私の一番気にかかることといえば、冒頭に言葉にしました「正義?の為だったら、多少の犠牲も・・・」という風潮が、私には見え隠れすることです。
> この点は、今後も「被差別化」された多くの事象に一市民ではあるけれど携わっていくのであれば、もっと、もっと 憂慮 されていかなければと思っています。
>
> なぜなら、「何々の為だったら・・・、犠牲は・・・」 その犠牲からの「被害者」を根幹に立ち上げた「ハンセン病市民学会」であるはずだからです。
> 痛みを知り、分かち合える要因があるからこその、活かされた「市民学会」の方向性は、私たち市民の課題でもあるし、この信念からの共感が、「良好な人間関係」の 礎 のようにも感じています。
>
>
> 今回の「標本化」の問題で私を悩ませている大きなものは、わが子を守ることが出来なかったという執着からの、区切りです。
> 一つの出来事が、その人の人格までも変えてしまったという・・・、生かされていれば必ず起きるであろう事実に遭遇した時、その要因にいつまでも、思い考える行為が、いつの間にか、その人の精神構造までも・・・。
>
> 「成仏」という、広い意味での教義からの「安心」という概念が、この「標本化」の問題に触れ始めたとき、私を襲った 苦悩 でした・・・。
>
> この「苦悩」は、今だに持ち合わせているようです。どうやればこの苦悩から逃れられるのか・・・、示唆をお願いしたい思いです。
このご投稿が、「私を悩ませ」ました。「示唆を・・・」と仰有っているのに、書けないからです。理由は、お話しのポイントがなかなか掴めなかったからだと言うことが分かりました。今、ポイントを私なりに整理しました、大胆に。
1)市民学会は、『正義(?が付いていますが、大義とかでしょうか)のためだったら・・・、犠牲はやむを得ない』という考え方(風潮)による判断が多い。「映画化問題」でも「標本問題」でも、それが見られる。
2)「成仏」という言葉で、「わが子を守ることが出来なかったという執着」から逃れられない「その人の精神構造」を有耶無耶に(犠牲に)するのは、正しいのだろうか?その「苦悩」から逃れられない。どうすれば逃れられるか、示唆が欲しい。
夕焼けさん、こういう風に受け止めても良いのでしょうか?間違っていそうで、ビクビクしていますが。間違っていたら、ご指摘くださいね。
もし正しいとすれば、私の答えは、(恐らく、答えを求めて居られるのではないと、お察ししていますが)
「逃れる方法は、無いでしょう。みんなそうなのでしょう。そういう苦悩は身体の健康を害するものではないから、(仏門にでも入らない限り)堪えていくしかないと思います」
です。
なお、市民学会の今回の星塚敬愛園の「胎児標本問題」についての緊急声明を、もう一度読んでみました。読みにくいので、勝手に小見出しを付けてみました。ご参考までに。これを読む限り、私には「夕焼けさん解釈」が読み取れませんが・・・。
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傾聴!徳田弁護士、藤本事件を語る! 投稿者:リベル 投稿日: 2月25日(日)02時17分36秒 引用
「裁判のやり方など問題も多く、再審を目指したが、遺族の強い意向もあって、断念せざるを得なくなった。しかし、状況が許せばやりたい、やらなければならない、という気持ちに変わりはない。私が引退した後も、後を継ぐ人にこれだけは託したい。日本の法曹界にとって、この問題にけりをつけないでいることは許されない」(熊日企画「ハンセン病とともに」から)
やはり、「けりをつけなければ」と思って居られることを知りました。そうだったのか、諦めたわけではなかったのか・・・と。
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(無題) 投稿者:ルリカケス 投稿日: 2月24日(土)22時28分42秒 引用 編集済
ドン・キショット様
はじめまして、元和光園の森田です。
伊藤赤人さん2006年に帰天されたのですか?多磨の職員を通して「望郷の丘」頂きました。お礼の便りをいたし、多磨来園の折には訪ねる積りでいました。私も真似事でたまに五行歌を作り友人にメールで送りますが、今一五行歌の意味が知らないで、理解しがたいです。
今年あたり多磨「全生園」に行く積りです。私事で並里先生のクリニックを訪ねる積りでいました。多磨来訪の折には、納骨堂にお参りいたします。ではご冥福お祈りいたします。
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(無題) 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月24日(土)13時07分52秒 引用
*Ichiroさま:伊藤赤人さんのプロフィールを(簡略ですが);
1928(昭和3)年、北海道礼文島に生まれる。3歳のとき、警察官であった父が赴任地の礼文島で死去。以後、祖父母の住まう千葉県で育つ。1944(昭和19)年、16歳時に多磨全生園に入所。18歳時、母の死去に際し一時退所したが、後帰園。2006(平成18)年9月27日帰天、享年78歳。約60年を療養所に暮らした。
入所間もなくから詩作をはじめ、主として園誌『山櫻』(後『多磨』と改題)に発表。1950(昭和25)年12月創刊された藁半紙ガリ刷同人詩誌『灯泥(ひどろ)』に國本昭夫(衛)さんらと参加(このときの筆名は白浜博史。以後の詩作では、北見洋介、白浜浩、白浜広史などの筆名を使用)。全生園の詩話会同人が少なくなったことに加え俳句にも関心があったことから、1985(昭和60)年には多磨の俳句の会「芽生会」に参加(筆名、伊藤赤人)。1998(平成10)年9月から五行歌をはじめ(筆名、伊藤赤人)、最期まで句作と作歌を続けた。作品集に五行歌集『望郷の丘』(市井社、2004年)がある.
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よろしければ、このBBSの「投稿者」名をクリックしてご連絡ください。
(詩や俳句も少しご紹介させていただきたく存じます。)
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再度リベル様 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月24日(土)08時34分39秒 引用
おはようございます。
新井先生の本はまだ読んでいません。早速入手したいと思います。
話は変わりますが Wikipediaで書かれたことは100%正しいわけではないのですが、それを学生の試験でこれで勉強し間違いを回答するということが あり、禁止というか 注意が なにかに出ていましたね。(不確かな情報で申し訳ない)。
脇が甘い。
それから小生は一生は捧げていません。皮膚科医師と思っています。ハンセン病療養所勤務歴は14年です。
(リベル) Wikipediaは、何しろ、私の書いたものが、そのまま、「権威有る記述」であるかのように堂々と存在するのだから、いけません。先ず疑ってかからなければ。試験の答えの参考にするなどとは、本場アメリカの学生の認識が甘いとしか、言いようが無いのでしょうね。2月23日の朝日新聞です。
ご免なさい、「一生」か「半生」か迷ったのですが・・・(>_<)
「新井先生」ではなく「荒井先生」ですよ・・・もう・・・(>_<)(2.24 11: 49)
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リベル様 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月23日(金)21時56分54秒 引用
リベル様
Leprosy が現在の leprosyとは 違った病気をも指すということだと思われますが、リベルさんの研究をご教示ください。私は とんでもない 思い違いをしているようです。
ドン・キショット様
伊藤赤人さんは どんな方でしょうか。ご教示いただければ幸いです。
ハンセン病文学全集 8 には 歌人1200名の説明がありますが 掲載されていません。
(リベル) 私は、Ichiroさんが、「leprosy」に一生を捧げてこられたと、承知しています。その様な方に、駆け出しの私が、ご教示申し上げるようなことが、有ろう筈も有りません。「ダマスカスのジョンが憎い 投稿者:リベル 投稿日: 2月23日(金)05時03分48秒 」の書き込みを、良くお読み頂ければ、私の申し上げていることをご理解頂けると、思い、また、そう願っています。
ご免なさい、今、気付きましたが、私は、荒井英子著「ハンセン病とキリスト教」は、お読みになっていることを前提に、話をしていました。もし未だでしたら、第四章「ハンセン病と聖書」だけでも、お読み頂くと、私が何を言っているのかが、良くお分かり頂けるかも知れません。ご免なさい、思い込みが激しいものですから・・・。(2.23 22:26)
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Re: 象皮病など 投稿者:リベル 投稿日: 2月23日(金)17時52分16秒 引用 編集済
>エレファンチアージスは象皮病です。これは熱帯にみられるミクロフィラリアによるリンパ浮腫で、通常は下腿から足にかけてみられます。今まで知られたうちの最大のエレファンチアージスの人は奄美大島の3本足の方です。これは前インターネットにでていましたのを見ました。(捜してみてください)戦後、鹿児島県や沖縄県でも流行しましたが、現在は日本では根絶しています。
皆さんの、誤解を避けるために、書きます。Ichiroさんのお書きになっているのは、現在の「象皮病」の話で、現在は大辞林でこう説明しています。
『ぞうひびょう【象皮病】: 皮膚および皮下組織にリンパ液が鬱滞 (うつたい) して結合組織の増殖を来す病気。糸状虫や数種の細菌の感染によって起こり、患部は腫脹・硬化して象の皮膚のようになる。(中略)熱帯・亜熱帯地方に多い。 』
私の書いたのは、歴史上の話で、現在の「象皮病」の存在とは、全く関係がありません。「歴史を振り返れば、ガレンが「ハンセン病」のことをそう称した」という史実が有るだけなのです。
また、誤訳に触れて頂くのなら、「lepromatous leprosy」というのは、今の分類では、頭文字を取って LL型(らい腫型)と言う。のかどうか?むしろその辺に触れて頂けるのかと、期待していたのですが。
Ichiroさん、こういう話は、学者なのですから、誤解を招かないように、キチットご説明頂かないと、いけないのではと、愚考します。書いてあることを、もう少し良くお読み頂いて、それから、Ichiroさんがお書きになることが、どう読まれるか、医学博士の言葉が、どういう重みを持つかを、お考えの上で、お書き頂かないと。「尻拭い」は好きでやっているのではないことを、ご承知置き頂かないと本当に困ります、と・・・苦言を呈させて頂きました。失礼の段、平にご容赦を・・・。
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(無題) 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月23日(金)15時44分14秒 引用
*Ichiroさま:他園でのことはお聞きしたことがないので、申し上げられませんが…。
多磨における胎児標本の管理は(私の聞いた限りでは)かなり杜撰だったように思われます。
在園者の方から、子供の頃園内を散歩していて、納屋みたいなところに入ったら、棚に標本が並べてあった、という話をお聞きしました。
あくまでも想像にすぎませんが、恐らくは“利用”されなくなって以降、国倍訴訟時の証拠保全や検証会議等で胎児標本問題が公にされるまで、園側はほったらかしにしていたのではないでしょうか?
『開かれた扉』p.239-240を見ますと、邑久光明園における証拠保全時には、
「臓器室は施錠されており、」「臓器室内部には多数の臓器と胎児の検体があった。」
「自治会長も数日前まで、ここに検体が保存されていることを知らされていなかったらしい。」
とありますから、園によって保管状態はかなり異なっていたかもしれません。
しかし、医学研究に供された形跡はほとんどみられないといわれていますね。
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象皮病など 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月23日(金)12時45分26秒 引用 編集済
象皮病などなど
エレファスとは何ぞや。
リベル様 ご苦労様。
エレファンチアージスは象皮病です。これは熱帯にみられるミクロフィラリアによるリンパ浮腫で、通常は下腿から足にかけてみられます。今まで知られたうちの最大のエレファンチアージスの人は奄美大島の3本足の方です。これは前インターネットにでていましたのを見ました。(捜してみてください)戦後、鹿児島県や沖縄県でも流行しましたが、現在は日本では根絶しています。宮古島市の福祉保健所にフィラリアを根絶したという喜びの碑がありますので、いかれた方はご覧ください。
誤訳の源ですが、私はこれは盛り上がったもの、ということでつけたのではないかと想像します。すなわちハンセン病のL型、昔の言葉でいうと結節らいが入るのは当然ですね。味噌もくそも一緒という翻訳でしょうかね。どうも疑問をもちます。英語でいえば sweeping generalization.
聖書あたりにある白斑はらい性の白斑でなく、尋常性白斑と思います。これは治りにくい皮膚病の代表です。現在でも治りにくい。
なおダミアン時代でも、梅毒とらいは混同されていました。明治の初期に日本の病院を訪れたある外人は 日本人はハンセン病を梅毒と誤診しているとかかれていましたが、私はこの観察は疑問に思います。しかし、梅毒とらいは混同された時代があったのは事実で、ハンセン病を発病したダミアン師は 女たらしであるとハイドという神父から猛烈な言葉を呈せられています。(即ち 性病に罹ったと) 宝島を書いたスチーブンソンはこれに猛烈に反発して、ハイドを悪人に仕立てていました。なおダミアン神父が潔癖なことは ダットン神父が神父自身から告白を受けておられます。
(悪口の本はジキル博士とハイドといわれますが、小生は読んでいません。)
蛇足:ハイドの文章は私はあるエッセイに引用しました。話がごちゃごちゃですみません。
なお、leprosyは現在のHDを含むのは当然で、西洋のラザレット(寺院などにある患者の施設)を発掘した学者は、ハンセン病の変化を骨に証明しています。アレホド多数いたハンセン病患者がいなくなったのは学者が色々いっていますが、隔離のせいだけではないと思います。それより西洋の人が喜んだのはペストの消失で、ミュンヘンの市役所にある大きな時計をみるとその喜びがわかります。
夕焼け様
いろいろ考えることが多いですね。花見には恵楓園においでになりますか?
ドン・キショット様
伊藤赤人の5行歌のその歌ははじめて知りました。知らせてくださって有難うございます。しかし、ショックです。
そのためだけでは1体あればいいのでしょうが。 他の園でも、そのような使い方をしたのでしょうか。
標本は、部屋か倉庫の片隅に蓋がある戸棚にひっそりと保管してあるだけと思っていましたが..........
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(無題) 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月23日(金)09時36分22秒 引用 編集済
「夕焼け」さんのお名前を拝見するたびに、思い出すことがあります。それは、夕焼けさんが「風の舞い」BBSで、かよこさんに“猫パン”を注文されたときのことなのですが、あれは2003年末か2004年でしたか? こんなふうな関わり方って素敵だな、という印象があって、私のなかにはいまもしっかりと刻みつけられています。
苦悩を抱えてこられた方々とともにある問題を考えるとしたら、それに関わることによって自分自身もまた悩みつつ考えることになるのは当然なのかもしませんね。むしろ、自分自身の問題として悩まないですませるほうがおかしいかも。
(ごめんなさい。私自身しょっちゅうぐちぐち悩んでいるので、逆に、ちょっと勇気づけられました、ってことであります。)
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「成仏」という概念が、私を悩ませます・・・ 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月23日(金)06時44分40秒 引用
「何々の為だったら、多少の犠牲は・・・、仕方の無いことだろう!」
社会に中で活かされていると、こういう判断、決断に迫られることって、ただあるのでは?と、感じています。
もし、時間がゆるされるのであれば、深められた論議の末にこの結論を導き出す努力が、より後世の 後輩諸君ら からも、支持されることにつながることだと考えています。
映画化問題でも、標本化問題でも、この部分が、蔑ろにされていた感が、私を覆い、「市民学会」と、名付けられたその真意を今一度、考えてみる必要性を感じています。
いち市民として、この「ハンセン病市民学会」と、名付けられた市民学会という響きには、期待と、決して衆愚化(力なき正義は無力だ!を、一義的に前面に押し出し愚民視された集団)などにさせては成らぬという共同代表者の 願い と、「参画型民主主義」の意義を見つめて行くといった「大義」が感じられ、当初、期待を越えたものを持ち合わせていました。
ただ、今、私の一番気にかかることといえば、冒頭に言葉にしました「正義?の為だったら、多少の犠牲も・・・」という風潮が、私には見え隠れすることです。
この点は、今後も「被差別化」された多くの事象に一市民ではあるけれど携わっていくのであれば、もっと、もっと 憂慮 されていかなければと思っています。
なぜなら、「何々の為だったら・・・、犠牲は・・・」 その犠牲からの「被害者」を根幹に立ち上げた「ハンセン病市民学会」であるはずだからです。
痛みを知り、分かち合える要因があるからこその、活かされた「市民学会」の方向性は、私たち市民の課題でもあるし、この信念からの共感が、「良好な人間関係」の 礎 のようにも感じています。
今回の「標本化」の問題で私を悩ませている大きなものは、わが子を守ることが出来なかったという執着からの、区切りです。
一つの出来事が、その人の人格までも変えてしまったという・・・、生かされていれば必ず起きるであろう事実に遭遇した時、その要因にいつまでも、思い考える行為が、いつの間にか、その人の精神構造までも・・・。
「成仏」という、広い意味での教義からの「安心」という概念が、この「標本化」の問題に触れ始めたとき、私を襲った 苦悩 でした・・・。
この「苦悩」は、今だに持ち合わせているようです。どうやればこの苦悩から逃れられるのか・・・、示唆をお願いしたい思いです。
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ダマスカスのジョンが憎い 投稿者:リベル 投稿日: 2月23日(金)05時03分48秒 引用 編集済
ことの発端は、この一文でした。
In fact the Greek word lepra, derived from the biblical Hebrew word tsara'ath(ツァラアト),was not used to describe lepromatous leprosy until AD 800 by the Arab physician John of Damascus.(これの7頁です)
これを読んで、へえ、「lepra」が現在の「ハンセン病」の意味で用いられたのはAD800年頃からなんだ・・・と思いました。しかし、裏付けが無い。もう一つ、同様の記述を見付けようと、検索を始めたのです。
ここで吹き出される方を、尊敬します、と言うと、さらにバカにされるかも知れません。漁師山を見ずなどという次元ではないバカだったのですが・・・
いろいろ検索をしていると「聖ジョン・ダマスカス」という人が出てきます。あちらのWikipedia、ほかに。この人も中世の人で、同じ頃の人だから、間違えるのも無理はありません。実際には内科医の方は777-857年で、聖者の方は676〜749年だったのですが。
そういうややこしいことが有ったものですから、ここ2週間近く、あれやこれやと探したり、悩んだりしました。そして、少しずつ分かってきたのが、この二人は全く関係のない別人であること、に加えて、ショックだったのは、最初の英文の読み違いが、判明したことなのです。こんなのが見付かり始めました。
John of Damascus, an Arabic author(777〜857 CE), was the first to use the term lepra, and is said to have made one of life's biggest mistakes by describing a disease later to be known as Hansen's disease as lepromatous leprosy.( ここの94頁)
This mistake is an old one, first made by John of Damascus, an Arab doctor of the ninth century, who mistakenly took the Gtranslation(「ギリシャ語訳」の意味だと思います) of tzara'at, “lepra,” to mean “leprosy,” when in fact the Greek word for leprosy is something like “elephas.” (こちらのLeprosy in the Bibleの項。tzara'atも「ツァラアト」、elephasは「象皮病」です)
他にもあるのですが、もう止めます。何十枚も印刷して、英和辞典と何十時間も格闘して・・・。
何がバカか?
「Leprosy」が現在の「ハンセン病」の意味で使われるのは、ハンセンが「らい菌」を発見してから後に決まっているからです。この2週間は、何だったのか・・・呆然自失!
これ、無理ないでしょう・・・(o_ _)oパタッ!
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追加 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月22日(木)12時30分32秒 引用
違和感といえば、
“ハンセン病は治る病気です”
“ハンセン病は遺伝病ではありません”
“ハンセン病は感染力が弱く、感染してもまず発症することはない病気です”
といった類の、啓発宣伝文句。
突っ込みの趣味はないけれど、このような宣伝文句のどこが“啓発”なんじゃろう?
とギモンに思うことしきり。
(リベル) ご参考までに、新聞社、厚労省、法務省などの解説は、この様になっています。(2.22 17:30)
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(無題) 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月22日(木)12時10分5秒 引用 編集済
*未感染胎児
生きていた 伊藤赤人
姿のまま
ビーカーの海に
今も 漂っている
未感染 胎児
赤人さんが全生五行歌会にこの歌を出詠されたとき、ある女性がこう言われた。
「わたしたちも見せられた。結婚してもし妊娠したらこうなる、という脅しだった」と。
男性も見せられたそうだ。
もし断種手術を受けずに妊娠させてしまった場合にはこうなるという、見せしめとして。
断たれたいのちは、生きることを許されなかったばかりか、療養所内で結婚する人たちに断種/不妊を強いる圧力としての役割を担わされてもいたのだ。
その役割はとうに終えてしまっている。しかし、今度は“荼毘に付す”という名目で、国と園側は犯した過ちの証拠でもある胎児標本を慌てて処分しようとしている。
身元すら確認できない胎児たち、いのち断たれた後も抑圧の道具として利用された彼らは、もはや存在することも許されないのだろうか。
なろうことなら、胎児たちよ、「まだ、焼かないで」と声に出して言ってほしい。
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赤人さんが堕胎児標本の“ビーカーの子”を詠まれたものは(私の知っている範囲では)あと2首ある。
ハンセン病の 伊藤赤人
闇の中に半世紀
今当てられた
光りに戸惑う
ビーカーの堕胎児
唯一無二の 伊藤赤人
吾が子
堕胎児を
ビーカーに探す
老女の一念
上は『多磨』2006年7月号、下は同8月号に掲載。
五行歌をはじめてからの赤人さんはハンセン病のこと、隔離のことも随分詠まれている。けれども胎児標本のことを詠まれたのは最晩年になってからであった。よく歌会などの場では「昔と比べれば、今は天国」と仰っていたけれど、これだけはどうしても詠んでおかねば、というお気持ちだったのではないかと、今にして思う。
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○○さま
↑は、私的なダイアリーに書いたものですが、
リベルさんとこのBBSに書くことを躊躇う自分がおります。
でも、胎児標本が決して単に保管されていただけではなく、
こういうふうな残酷なかたちで使われたのだということを、
少しでも伝えたくて書いたものです。
このことについて、なぜ当事者たちがもっと声に出して言わないのかという、
私のギモンに対して、知人からこう言われたことがあります。
―あの方たちは傷ついている。あなたなどがその傷を抉る権利はない―と。
私はそのような意見に納得も加担もしてはおりませんが、
センシティヴな問題であるだけに、当事者から声をあげてほしいと思うのです。
私のようなごく普通の病気/障害もちは、
健常者の方から、こう言われています。
―あなたのような普通の障害者とあの方たち(=ハンセン病回復者の方たち)とはわけが違う、あの方たちの苦しみやご苦労が、一般の障害者にわかるはずがない。
わかるはずのない者が、わかったふうなことを言うな―と。
それを言っている健常者の方は、それこそ“差別意識のない差別”で、
一般の障害者とハンセン病後遺症の障害者を差別していることに
気づこうとすらしていません。
そういう方たちにとっては、ハンセン病だけが関心を向けるに値する“特別な病気”なのでしょうね。
ハンセン病問題に関わりはじめて最初に驚いたことの一つはそれでした。
ハンセン病問題に関心をもつ方々は、ハンセン病に特化した関心をもちやすいのでしょうか。ハンセン病という疾患が他の一般的な感染症や疾患と異なることは、
他の一般的な疾患より特別な関心をひくというところにあるような気がいたします。
その“特異性”は、非常に根深いところに発しているように思います。
日頃活動をともにしている健常者から、あなたがた普通の障害者にハンセンのことがわかるはずがない、と言われ続けていますが、一方、ハンセン病回復者の方からも同じようなことを言われます。
―ごく僅かの方(私の知っている方ではたったの二人だけ)が、“同じ社会人”で“同じ障害者”だと言ってくれていますが―この壁を、わたしはいまだに突き破れずにおります。
私がハンセン病問題に関わっておられる方々に違和感を感じている一つは、
ある人々にとっては“ハンセンがおいしい”病気(=問題)になっているということです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑は、私的なメールとして送信したものですが、ここに貼らせていただきます。
私がここで、“当事者”と言ったのは、堕胎をさせられた方々のみでなく、堕胎児の標本を見せられて、こころならずも断種/不妊を受け入れ、園の“掟”に従わしめられた方々を含んでいます。彼らもまた被害者でしょう。しかし、一方、すでに断種手術を受けて園内で結婚している人たちが、同じ悩みを抱えている人たちに、「私たちもやったのだから、お前もやれ」と説得する側にまわらなかったといえるでしょうか。辛い現実を受け入れ傷を負っている者が、今度は他者にも自分と同じ立場に立つように説得することで、この“掟”に関する園内秩序が保たれてきた経緯もあったのではないでしょうか。そういったことをも考えれば、彼らが胎児標本についてあえて強く“検証”せよと言わないでいることも肯ける部分があります。
しかし、しかしです、そうした個々人の抱える哀しみ乗り越えて、やはりこの問題をまっこう問い直してほしいと思います。でなければ、胎児標本という証拠がなくなってしまえば、風化していくだろうと思います。人は歴史から学ぶことができると信じて、この件を検証し追及してほしいと思っています。
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Ichiro さま 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月22日(木)07時41分45秒 引用
>>夕焼け様
お元気で書いておられるようでなによりです。
短くコメントしたいと思います。<<
Ichiro先生が気遣いして下さっています、「お元気で」・・・なら良いのですが・・・。
元気など、全くありません・・・ヨ、先生!
このBBSを訪問させて頂いているには、何度も述べましたように、「学び舎」としての位置づけから来るものです。
リベルさんより、
>>(リベル) 申し訳ありません。私は、72歳の、クタバリカケです。仰有ることが、理解できません。どうかもう、見放して下さい。こんな馬鹿に百万言を費やしても、どうしようもないと・・・。お願いします。夕焼けさんの素晴らしい熱意とエネルギーを、もっと有用な方向にお使いください。本当に、ご免なさい。努力したのですが・・・(涙)(2.8 23:46)<<
私は、リベルさんが言う「もっと有用な方向にお使いください」という思いを聞き、多くを考えさせられました。
「アクセスについては自由なのでしょうが、書き込みに対しては今ひとつ配慮するべきなんだろうなぁ〜」と。
たぶん、Ichiro先生もこのあたりを配慮してくださり、「お元気で、なにより!」と、発して下さったのではないのか?と、考えているところです・・・
しかし、間違いなく!!このBBSは私にとっては、「学び舎」であることには違いありません!
北風さんの、>>ひとつの違和感 投稿者:匿名希望@北風 投稿日: 2月20日(火)10時33分12秒 <<
を、読ませていただき、この書き込みに対しての「敬意」は、どうしても表したくなってしまいました!
リベルさんの、北風さんの想いに対する、素晴しい考察・・・、
>>事実を「受け止める」ということには二段階有ると思います。先ず事実を「知り」、それから「考える」、という二段階でしょう。(先ず事実を「認識」し、次に「思考・分析」するという意味です。これは只今注釈を。)「受け止める」際には感性と、勉強や、蓄積された経験が働きます。そして、それを土台にして、「知った」事実を「考え」、分析するのだと思います。「知る」段階で未知で未経験であった者が、どう分析し、対処できるのか?これが北風さんの問題提起の根元であり、「違和感」の発生源ではないでしょうか?<<
の後に、如何なものか?とも思ったのですが・・・、以前より私には、重い提起と、捉えていた「ついでに」という昨年の書き込みにも触れたいという思いもありまして、投稿させて頂いたという訳です!
私は、北風さんの今回の投稿より、 易経の原文に在るといわれる、『君子豹変、小人革面』の解釈を使って、改めて、敬意を伝えたいと思います。
>>※「先人の知恵を拝借」より・・・引用。
「立派な人物は、自分が誤っていると分かれば、豹の皮の斑点が、黒と黄ではっきりしているように、心を入れ変え、行動の上でも変化がみられるようになる。反対に、つまらぬ人間の場合は、表面上は変えたように見えても、内容は全然変わっていない」
「君子は豹変する」という教えは、変化し揺れ動いている現代社会に当てはめてみた場合、新しい意味を持ち、応用の範囲がひろくなっています。
現代社会の特徴の一つは 価値観の多様化であり、さらには価値基準の変革ではないでしょうか。
たとえば、「真理の探究」や「真実一路」の求道精神は最も高い美徳として考えられてきました。孔子は、論語のなかで、「朝に道を聞かば、タペに死とも可なり」と述べ、真理の探究に人生を捧げるその学究的な姿勢こそが、最高の人生航路の指針であると教えたのでした。
もちろん現代でも、真摯な態度で真理を追求することの大切さは変わっていませんが、真理そのものが相対化し、複数の真理が見いだされるようなことになると、あまりに一途な姿勢では、世の中がうまく渡れず、良好な人間関係を全うすることができなくなるのではないでしょうか。<<
故事に学ぶ・・・「先人の知恵を拝借」より、引用させて頂きました!
<追記>
[良好な人間関係]の、定義!「良好な人間関係ってどういう関係のこと?」を、考察しておくことも 大事 なことのように思っています。
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一郎先生・・・・・・。 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月21日(水)18時36分59秒 引用
昨年の夏、リベルさんのこのBBSで、身勝手な書き込みをさせていただきました・・・。
宮坂道夫先生のことも・・・。
時間がゆるすなら、目を通して下されば・・・と、思います。
医療倫理学の立場からハンセン病問題を研究する宮坂道夫・新潟大助教授。じっくり読ませていただきました。 投稿者:夕焼け 投稿日: 8月 4日(金)19時33分8秒 引用
宮坂先生の論考読ませていただきました・・・。
多くの 提起 を、投じて下さっています。この論考からの 学び が、一市民である我々には必要なものと、考えされました。
その前に、私がこの「胎児標本問題 」についての、主観的想いの変遷?(もしかして、当初の想いは変わっていないのかも???)について、以下に張り付けさて頂きますので、 志村さんとの問答 と、まではいきませんが・・・、この「胎児標本問題」と「藤本事件」の表面化、「公表するということの重み、重要性」を、今一度、その本質に迫ることが出来ればと・・・。
ここに、私の大好きな人物の言葉を引用させて頂きます。志村康さんの恩師といっても過言ではないものと自負しております!!
「・・・もとより、素人の私などに何かできるなどと思っているわけでなく、それはくらがりにじっとしておれず手探りするようなものに過ぎない。だが、何か真実をさぐりだす端緒になるものでもつかみ出せないものかといったのぞみは捨てきれないのだ」
増 重文 愛憎の村―藤本事件― より抜粋。
1963年「菊池野」(菊池恵風園自治会機関誌9月号)・・・「壁をたたく音が聞こえる」 ―ハンセン病患者冤罪処刑藤本事件に再審・無罪を― 内より。
★以下の書き込み貼り付けは、時間のゆるす方・・・、是非!ご覧(一読)に、なってください!!
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傲慢、自惚れ の域は所詮脱皮できないのかも・・・、しれませんが。あえて・・・。 投稿者:夕焼け 投稿日: 8月 4日(金)19時27分46秒 引用
Re: 志村康さんとキャッチボール 23 ( No.21 )
日時: 2005/11/30 21:08
名前: 夕焼け
戯言です、そのつもりでお聞きください!
たった今、「ハンセン病市民学会」のHP内の[2006年度 総会 ・交流集会]の中身を読ませて頂いていたのですが・・・。
>13日のシンポジウムのテーマについて、事務局としては、「強制断種・強制堕胎・新生児殺・胎児標本作製の真相」を提案いたします。
このシンポのテーマを読んだ時、血圧が上がるというか!?何かしら頭に血が上るような・・・、嘉子母さんの辛そうな顔が思い出され、身体に異変を感じてしまいました。私の取り越し苦労であれば!?と、感じた次第です。
事務局の、このテーマでやらなければならない!大きな伏線があってのことだ!と、推察は?されるのですが・・・、シンポジュウムとして語り合う題材としては、些か首を傾げたくなったという訳です。
嘉子母さん!操さん!そして、志村さん・・・、このおぞましいと思われる殺人行為を実体験されてきた方々は、果たしてこのシンポに進んで参加できるのであろうか?そのことがよぎってしまいました。
年に一度の大きなシンポで、ハンセン病被差別化問題からの更なる人権文化を構築していく為には、この題材がどうしても必要だったのでしょうか!?・・・、配慮 と、いう言葉がよぎってしまいました。
私だけの取り越し苦労なら、事務局の方々にお詫び・・・謝罪いたす覚悟で、あえて書き込みをさせて頂きました!!
日時: 2005/11/30 22:57
名前: 志村 康 <kiss-yo@aioros.ocn.ne.jp>
夕焼さん
断種・堕胎・その上に大学病院に対してハンセン病の病理解剖と称して生検体を提供し大学病院との連携を図るなど、医療の名の下に様々な実験医療が行はれていた事実、医が患者のためにではなく、医のための医療行為がそこから見えたのも事実です。
二度と繰り返されない為にも発表し、活字として残す必要があるように思います。そうしないと、やがて胎児標本が消え隔離政策が奏功し、ハンセン病が制圧されたと美化されて光田の高笑いが聞こえてくるように思われるのですが・・・
Re: 志村康さんとキャッチボール 24 ( No.83 )
日時: 2006/06/15 07:02
名前: 夕焼け
志村さん、横暴な意見だと聞き流してください!
厚労省の統括責任者はその代表として、「謝罪」をしてくださいました。
しかし、
『謝罪はすれど、検視はせず』 との方針を打ち出し、丁重なる供養を実施するよう指示したと言う事が、報道で全国に流されておりました。
私はこの胎児標本問題を 世間に問う という姿勢を打ち出した時より、「変死体」という捉え方として、刑事訴訟法に則った過去の不作為が、今の世の中・・・、社会に大きな提起としての 課題 となるべき!と、軌道修正しこれまでの考え方を改めておりました。
今回の、「お詫び」を受け入れてしまいそうな風潮には、些か疑問を持ち合わせた朝となっています。
当初、胎児標本にかかわる遺族の心情を考えれば、公にする前に十分すぎるほどの多種多様な方々による論議が成され、「胎児標本問題」がなぜ?起きたのか!! が、現社会に大きな提起として問われ、市民の課題としての「問題提起」と成る筈!!が、私のこの問題を表面化することの 意義 で有りました!
刑事訴訟法に基づいた方針が川崎厚生労働大臣の口から聞かれなかった事に、「これで良いのか?」が、頭の中を駆け巡っております!
日時: 2006/06/15 21:21
名前: 志村 康
厚労大臣が確かに謝罪をし再発について触れましたが、法を運用するものを、ハイそうでございますかと信用は出来ません。
恵楓園は以下の態度です、始めの処分昭和35年園内火葬場の最後に償却、その年月日第2回解剖室解体時の焼却年月日、第3回昭和63年までは園長室隣の解剖標本と胎児標本の焼却年月日及び処分標本の数量を納得できる証拠を提示すること。
親が判明した分については早く当事者への告示及び火葬葬儀の方法等協議し謝罪すること。特定できない分についてはDNA鑑定保存すること、カルテ及び業務日誌等は永久保存し啓発及び再発防止の学術的資料として保管すること、各園で大正4年以降昭和23年優生保護法成立前の非合法手術件数を明らかにすること、また優生保護法による
手術は県に対し届け出の義務があり、全容を明らかにした後に胎児標本を火葬に付すこと、新生児標本及び埋葬許可が必要な4月以降については殺人罪が成立する可能性があるが、刑事裁判を起こせば当然支援することになります、胎児問題が取り上げられ老人性欝等が悪化したと言うことも聞いており、慎重にならざるを得ない事もあります。
日時: 2006/06/16 03:36
名前: 夕焼け
Re: 志村康さんとキャッチボール 23 ( No.23 )からの抜粋です!
>医療の名の下に様々な実験医療が行はれていた事実、医が患者のためにではなく、医のための医療行為がそこから見えたのも事実です。<
>ハンセン病が制圧されたと美化されて光田の高笑いが聞こえてくるように思われるのですが・・・<
上記は、私の 「Re: 志村康さんとキャッチボール 23 ( No.21 )」に対する志村さんからのお言葉です。
この時点をきっかけに、私の胎児標本問題を表面化(社会・市民に問うことの意義を見つめていくということ)することとは?を、“己に問う”ていたように思います。
ただの一市民でも、胎児標本問題は他人事ではない!と、いう意識が芽生えたのもこの時期ですし・・・、
ただ菊池先生の仰る『惻隠の情』があるのか?ないのか?については自己判断できずにいます。
しかし、先生が厚労省に対しての『惻隠の情』を投げ掛けているとするならば私は断固「その必要があるのか?」と、逆に問うてみたい思いです。
私の一義的な見方なのかもしれませんが、昨年度よりのこの胎児標本問題に対する国側の、17年度内に全ての遺体を供養というなのもとで「処分」するとしか思えない打診には、疑念を持ち合わせておりました!
しかも、検証会議最終報告書要約版の
提言1 厚労省は関係当局に検視の申し出か異状死体の届出をするよう意見を述べるべきである。
に対し、厚労省は早くから「検視の申し出などは『事件として立件できる見込みがない』と判断して行わない」と、幕引きを示唆していたように思えます。
この点も、どうして国側の意向を知りつつその対応が出来なかったのだろうか?が、圧し掛かってきています。「事件としての立件」という問いを、素人の域は出ないまでも、考えていきたい思いです!
日時: 2006/06/16 04:48
名前: 夕焼け
800字をオーバーしてしまいました。読みづらいでしょうが、2つに分けました!
>>続きです。
菊池先生! 一市民は知らないことが多く有ります。ある意味、先生のお蔭で、私自身は知識を修練するチャンスに恵まれているようです。
それから、先生のお言葉で、被害者・・・、「当事者」という言葉でなく「被害者」という捉え方が私と共通していたことを、嬉しく思っております。
先生!この「ハンセン病被差別化問題」の解決は、何を持って 解決した と、言うのでしょうね!
私は、この胎児標本問題はもとより、この「ハンセン病被差別化問題」の『被差別化』の論点に、○本松夫さん、『F事件』を据えております。しかし、この事件を未だ『F事件』、本名が公に出来ない!などの諸事象を鑑みた時、「世間の問題である!」と、いう捉え方が出来ないでいる我々市民の資質如何である!というところまでは察しているつもりです。世間の理解、社会の理解があれば、「F事件」にする必要も無いのでは?と考えるからです!
どうも「草の根的な啓発活動しかないでしょう?」と、言う多くの有識者の言葉には 疑問 を感じている自分がいます
「悪いことは悪い!」「いけないことはいけない!」と、言えない社会風土に些か 教育システムの疲弊 なるものを感じていますし、個の尊重と共に、社会で活かされている事の尊重も今以上に、投げ掛けるべきではないか?と、思っているからです!
日時: 2006/06/16 17:21
名前: 菊池 一郎 <GAH03306@nifty.ne.jp>
夕焼け様
惻隠の情はもちろん、被害者に対してですよ。厚生労働省に対してでは ありませんよ。
ということで、私はどうも、自治会から怒られそうなことを書いています。
PTSDを調べていただき感謝します。なお私の意見は 「わかれのやまい」(菊池野)に書いています。手元にないので、何号か忘れました。
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夕焼け様 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月21日(水)17時17分44秒 引用
夕焼け様
お元気で書いておられるようでなによりです。
短くコメントしたいと思います。
●熊本の市民学会でフロアから発表されたものは、極めて重要なことであったが、年報には掲載されていない。また、2006年の年報にもそういう動きがあった?なら、掲載されるべきであると思う。
●「胎児標本」問題を考えるためにー生命倫理の視点からー 宮坂道夫教授の文献は重要と思います。(年報2006) 先生は「パターナリズムに基く性の管理」を考えておられるようです。遺体をモノと考える西洋より、中絶や新生児殺は特別に弱者にたいして配慮すべきであると書かれているが、最終的な倫理的、法律的な判断はなお問題があるようです。倫理学を専門とする先生のご意見は貴重です。
●年報2006年116ページ。「まさにハンセン病療養所の医師たちは「悪魔の飽食」だったのです。胎児標本問題にたいする、最も手厳しい意見です。しかし この文章に抗議します。以前書きましたが、悪魔の飽食の3部作(昭和56年ー58年)を再読しましたが、この文章は当てはまりません。
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過去ログ再読 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月21日(水)15時57分32秒 引用
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議論の飛び火 投稿者:おせっかい 投稿日: 9月22日(金)08時53分50秒 引用 編集済
[42386] Re:[42324] 無題 投稿者:きゃっしー 投稿日:2006/09/22(Fri) 06:40
> 話題にしたかったのはね
>
> 薬害エイズも、薬害肝炎も、ハンセン病問題も、みんな同じだ
>
>
>
> ってことね
薬害エイズ、薬害肝炎、ハンセン病問題、これらは共通項が重要だけど
薬害じゃないエイズ患者も、薬害じゃない肝炎患者もおる。
そういう人たちにとっては、総理大臣が控訴断念するとか、
「勝訴」の紙切れを掲げる姿が華やかに報道されるアテはない。
「水俣病の場合、(原因は)明らかに国の失政。
皆さんは何も恥じることはない。堂々と生きてほしい」
これは、胎児性水俣病の患者たちがある療養所を訪れた時の
入園者さんのことば。原告の人だね。
んじゃ、国の失策じゃない先天性の疾患や障害は恥じなきゃなんないのか、
なんてツッコミを入れるつもりはないけど、
いかんのは、おんなじことをうちらがやってしまうことじゃないかな・・・
ハンセン病患者も元患者も差別をする。していた。
今もしている。そんなのあたり前。
偏見の固まりみたいな人もいる。それもあたり前。
だけど、やっぱ、ハンパじゃない被差別体験を生きてきたから
ご破算というのか、免罪符というのか・・・変だけど
そうやって許されてる面はあるかもしんない
うちらまで免罪符が出るわけじゃないのに
知ってるつもりの人間ほど、つい代弁をしてしまうだよな。
気がつくと、錦の御旗を振り回してる。
とにかく伝えろ伝えろと刷り込まれて来たし。
庇ってるつもりかもしらんけど。それもしょうがない。
けど、そういう時に、訴える相手のない、遺伝性や、先天性の
病気や障害があって、ギリギリにがんばってきた人にしたら、
堪えていた水風船みたいな感情が
プスリと針を刺されたようにこぼれ出して行くだよ
華やかな報道を横目でじっと見ていた身にしてみたらきついだよ・・・
ハンセン病にも時間がないけど、
あせび会がカバーしている疾患のほとんどが、平均年齢80歳には
ならないんだよ・・・
長年、ハンセン病患者にも寄り添って、活動もしてきた人なら
なおさら、
裏切られたような気持ちになるのは無理ないと思う。
その口惜しさを、末利光の本が癒してくれたんだろうね・・・
だからそんな本が間違って賞賛されることがないように
せめて、うちらが心配りをしてかなきゃいけないのかも。
心配りってのは、北風さんが「目配り」とか書いてあって
それで思いついただけなんだけど
ハンセン病患者もうちらも、社会の中で進行形で生きてるんだから、
世の中との繋がりを無視して、内輪で自慰してちゃいかん。
佐藤さんみたいな人をあっちにやっちゃ、いかんよ。
もう1年以上も過ぎてしまったたけど、
熊本の市民学会でNさんがあの手紙を出してくれたことを
もっと大事にしなくちゃいけないんじゃないのかな・・・
そうそう、Nさんという名前は、あとから人伝てに聞いた。
伝わってきたということは、他にも心にとめた人たちがいて、
ささやかにでも語り続けられているってことかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑は、「過去ログW」2006年9月22日“おせっかい”さんによる“きゃっしー”さんの他BBSからの転載投稿。
佐藤さん→稀少難病者の会「あせび会」 http://www.asebikai.com/
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「知る」という行為にも・・・、 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月21日(水)07時04分32秒 引用
「どこまで、何を知っているのか?」ということも問われているのかもしれませんね・・・。
知る行為には、その『認知度』も・・・、更に、深めていく!と、いう行為が、求められていることなのかもしれません! このことは、今回の 『映画化』問題 より、私は多くを学ばされているような気がしています。
「胎児標本問題」が、表沙汰・公(市民学会、第二回総会時のテーマ)に出すという、その行為の前に、この問題が持つ、女性蔑視!(柳沢厚労大臣を本気で恫喝できる方々の存在は如何に?)や、限られた社会制度(隔離の中での運営)が もたらす 様々な疲弊・・・、この理不尽とも思える行為の中より生じた決して表などにも出来るはずも無い、「胎児標本問題」の個々・・・。
「公」にするという行為が、「ただの可哀そうからの誘発、怒りの矛先が違うと思われるような示唆になってはいないか?」が、垣間見れ・・・、未だ、傍観者の域を脱し切れていない、自分の存在があります。
公の前に、論じ合う!多くの重い提起があったように思えています。
映画化する・・・、私には、この行為の先(評価)が、悲しくもこのことと髣髴されます・・・!
「市民学会」・・・、私たちがつくり上げているもの!と、するなら、大きな問題が生じているようにも思います・・・・・・・・・・・・
昨年来の「映画化」問題も、市民学会の後押しが無ければ、到底「クランクイン」など出来るはずも無かったのではないか?が、頭をもたげます。ものの見方によれば、冤罪潰し・・・、現・日本の司法上では、再審行為への抹殺につながる行為とも、とられかねません!
このような私の「暴言」を吐かせる行為には、理解のできない「市民学会の後押し決定」という、事実があることを・・・、忘れてはいけないと、思っています。
私には、北風さんの昨年の書き込みの中で、とても気に成っている提起があります。
>>ついでに 投稿者:北風 投稿日:12月12日(火)10時26分32秒 引用 編集済
この間のシンポジウムでのフロアからの発言に対し、終了後に(後日)その発言者の発言を非難する動きがあって、その発言者は「発言停止」を求められたという。
たとえ誤った発言であれ、関係者全員がシンポジウムの場に居たのであるからその場で指摘するべきであって、あとでそういうことをするのは、少々陰湿な感じがする。
こういうことが常態となったらフロアからの発言はなくなり、パネリストのお説を拝聴するかになってしまう。<<
この提起です!
このシンポ というのは、もしかして「胎児標本」問題でのシンポジュウムではなかったのではなかろうか? という思いです!
ここで言う北風さんの「フロアからの発言」というものが、如何なるものだったのか、は?私の未だ知る由でもないのですが・・・。
私が「市民学会」に対して初めて疑問を感じた、第一回の設立総会時の、フロアからの発言の、その後の対応と、今回のフロアからの発言からの提起に対する応対とが、重なり、そ・こ・に、本来我々の築いていかなければならない社会形態組織の最重要的要素が、内包しているように思えて成らないのです!
「知る行為」・・・、この行為は、多くの努力と勇気からの示唆を如何に我がものとできるのか?が、我々市民に問われている気がしています。
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やはり、ちょっと違うのかなあ? 投稿者:リベル 投稿日: 2月21日(水)03時22分42秒 引用 編集済
何が違うかと言いますと、私は、自分の行為に対する弁明を「自己分析」の形を借りて、行っています。そしてそれは、同時に北風さんの「自分の問題」に対する「弁護」にもなっています。
北風さんの言って居られるのは、こういうことです。
『こうしたわれわれの内包する意識(知りつつ放置してきたこちら側の子どもや被害女性への責任)も問題にしつつ、もっともっと権力の責任を追及すべきだと思います。というか、それ(知りつつ放置してきたこちら側の子どもや被害女性への責任)を抜きに徹底した権力側の責任、再発防止(つまり、そういうことを起こす体質)を追求することは出来ないのではないかと思います。』
必ずしも「自省」に終始している訳ではない。そういう反省を肚に据えた上で、そうしてこそ初めて可能になる「本質に迫る追求」をしようという、前向きの呼びかけなのではないか。
「弁明のための分析」は、気に食わねえ!との声が、聞こえて来るような、来ないような・・・?
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北風さん、遅くなりました。 投稿者:リベル 投稿日: 2月21日(水)02時32分13秒 引用 編集済
北風さんの二度の投稿を、先ず再掲載します。
胎児標本の存在は「裁判の過程」あるいは「検証会議報告書」で明らかになったわけではなく、みんな暗黙のうちに知っていた。詩や短歌にもうたわれているし、趙根在さんの写真にも撮られている。外部の人間でも知っている人は知っていた。少なくとも小生は70年代の終わりか80年代の初めには知っていました。
しかし、僕も関係者もこれに対して声を上げなかった。ある種の遠慮もあったけれど、意識の未熟さ低さは、自己批判されなければならないとおもう。知りつつ放置してきたこちら側の子どもや被害女性への責任。これを抜きに、園や厚労省の対応ばかり非難しても、この問題の真の意味を問うこと、本当の解決にはならないのではないか。
端折っていえば、こうしたわれわれの内包する意識も問題にしつつ、もっともっと権力の責任を追及すべきだと思います。
というか、それを抜きに徹底した権力側の責任、再発防止(つまり、そういうことを起こす体質)を追求することは出来ないのではないかと思います。
今日も、ICレコーダー片手に、考えながら歩いていました。北風さんの投稿は、キッチリ頭に入っていたので、印刷して居らず、いつものような、紙のクシャクシャ音は入っていません。バス停で、20分バスを待つ間に、「アンドレア・シェニエ」の歌詞の裏に、メモを書き付けました。今、読み返しました。少し読み辛いところもあるのですが、敢えてそのままを写します。
(投稿後読み返して、追加投稿です)北風さんは、冷厳な自省の言葉をお書きになっている、と同時に、みんなに呼びかけてもいらっしゃる。私はそう受け取って、自分に向けられた言葉に対する、返事或いは反応、という形で書いています。それを、一応お断りしておかないと、お読みになり難いかと・・・。
『私が、ハンセン病に関心を抱いて、取り組みを始めたのは、2000年の夏だったと思います。北風さんご指摘のように、当初から、この問題に出会いました。写真も見ました。その時、これは何事かと怒り、何とかしなければいけない、とは全く感じませんでした。これはいったい何なのか?それが、今になって、やれ厚労省だと騒ぐのは、それはおかしいぞ。「違和感を感じる」と言われても、一言もありません。
しかし、私には不思議に後悔の念が湧いて来ません。これは何なのでしょう。
事実を「受け止める」ということには二段階有ると思います。先ず事実を「知り」、それから「考える」、という二段階でしょう。(先ず事実を「認識」し、次に「思考・分析」するという意味です。これは只今注釈を。)「受け止める」際には感性と、勉強や、蓄積された経験が働きます。そして、それを土台にして、「知った」事実を「考え」、分析するのだと思います。「知る」段階で未知で未経験であった者が、どう分析し、対処できるのか?これが北風さんの問題提起の根元であり、「違和感」の発生源ではないでしょうか?
だからやむを得ない、と言ってはいけません。これまでに気付き、対処する機会は何度もあったのです。これは緊張感の不足によるものです。その点を深く反省致します。
志村さんがポツリと呟かれた言葉を思い出します。「オタク」と。この言葉を、「所詮は部外者だ」と私は受け取りました、前後関係から。(「志村さんとキャッチボール」2月5日19:10」)その通りでは有ります。ただし、私はこれを「恥」とは思っていません。』
以上が、殆どメモのままです。「」を追加したくらいで。
これが、北風さんの仰有っていることの、真意に沿ったものであることを、願っております。もし、そうでなかったら、ご遠慮なさらず追求なさってくださいよ・・・。(この敬語の使い方、少し違う気がします。求む訂正)
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そういう読み方は本位ではありません。 投稿者:北風 投稿日: 2月20日(火)19時35分54秒 引用
僕は、自分の問題として書いた。
かつて、その問題を知りながら、声を上げなかった自分の問題として書いたのであって、施設の元管理者に「同意」してもらうために書いたのではありません。
これだけは誤解のないようにしていただきたい。
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Re:一つの違和感 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月20日(火)19時13分40秒 引用 編集済
たしかに 違和感があります。
「回春病室」では、自分が自費で預けていた患者さんの子供もいたのに、また、夫婦生活が重要だと考えて光田健輔が そういうことになったのか、sex segregationを唱えた宣教師がおられます。と思います。その後の変節の歴史が重要でしょう。A study of history を著したArnold Toynbee は歴史は繰り返さないと 述べました。人々は歴史から学ぶからだというのですが、私にはちょっと疑問があります。必ずしも人々は歴史から学ばないからです。
また奄美大島の福祉の父 ゼローム神父 もおられます。(前に書きました)
前略 「あなた方は子どもたちをおろしてはいけません。皆にたいする責任は私達がもちます。」カナダ出身の管区長より、手紙が届いた。そしてフランスの総長より手紙が届いた。そしてシスター達がこられ全責任を引き受けた。これが天使園の開園です。
牧野正直園長(邑久光明園)が同じ問題について 新聞で語っておられるので紹介しましょう。
2月20日付け熊本日日新聞朝刊のコラムにでておられます。5段カラー写真付きですから大きい扱いです。
胎児標本問題について;>6つの施設に計114体の胎児標本が残っていたが、研究に活用された形跡がほとんどなく、無目的に保存されていた。当時の療養所内の倫理観の欠如を象徴している。光明園では49体のうち28体の身元がわかり、数体を親に返すことができた。一方では親がすでに亡くなっていたり、重い認知症を患っていたりする例も多く、もっと早くこの問題について手をつけておくべきであった。残念でしかたがない。光明園では昨年十月に慰霊祭を執り行い胎児を荼毘に付したが、これで終わりではない。園に残るカルテを洗い直し、光明園で何が行われ、この子たちがなぜ命を奪われなければならなかったのか、検証を続け、原因を明らかにしなければならない。<
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Re: ひとつの違和感 投稿者:匿名希望 投稿日: 2月20日(火)14時30分7秒 引用
> 端折っていえば、こうしたわれわれの内包する意識も問題にしつつ、もっともっと権力の責任を追及すべきだと思います。
というか、それを抜きに徹底した権力側の責任、再発防止(つまり、そういうことを起こす体質)を追求することは出来ないのではないかと思います。
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ひとつの違和感 投稿者:匿名希望@北風 投稿日: 2月20日(火)10時33分12秒 引用 編集済
胎児標本の存在は「裁判の過程」あるいは「検証会議報告書」で明らかになったわけではなく、みんな暗黙のうちに知っていた。詩や短歌にもうたわれているし、趙根在さんの写真にも撮られている。外部の人間でも知っている人は知っていた。少なくとも小生は70年代の終わりか80年代の初めには知っていました。
しかし、僕も関係者もこれに対して声を上げなかった。ある種の遠慮もあったけれど、意識の未熟さ低さは、自己批判されなければならないとおもう。知りつつ放置してきたこちら側の子どもや被害女性への責任。これを抜きに、園や厚労省の対応ばかり非難しても、この問題の真の意味を問うこと、本当の解決にはならないのではないか。
端折っていえば、こうしたわれわれの内包する意識も問題にしつつ、もっともっと権力の責任を追及すべきだと思います。
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胎児問題について! 投稿者:ルリカケス 投稿日: 2月20日(火)01時48分9秒 引用
6体の胎児標本の件で舌足らずで誤解が生じないように再度書き込みいたします。
私が言っている事は、再度厚生労働省宛に要請書を出すなりまたは行動を起こすことはないのか問いたいからです。宗教部会では、以前奄美和光園の宿泊所拒否問題を公に昨年の市民学会等で、確かでなかったと記憶してますが?私の間違いですかね。
私自身市民学会の会員ですが?いまいちすっきりしないです。
(リベル) 宗教部会でなく、市民学会から厚生労働大臣に「要請書」を出すべきだと、仰有っているのですね。ルリカケスさんの仰有るとおりだと思います。「ニュース速報」にも取り上げました。(2.20 03:00)
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胎児問題について! 投稿者:ルリカケス 投稿日: 2月20日(火)01時28分34秒 引用 編集済
>非道すぎます。認識のギャップで済む問題ではないです。有川園長が悪いのでしょうか?官僚が出来損ないなのでしょうか?国の在り方が悪いのでしょうか?私は、心底、腹が立っています・・・ (;`つ´)怒!
上記の文はリベルさんのBBSです。
さてこの度「市民学会&宗教部会」から、星塚敬愛園の胎児&標本の件で、「緊急声明&要請書」が園当局に出されました。本当に真摯に考えているのなら、厚生労働省にも出すべき要請書ではないですか?と一人考えています。
今後残された6体の標本の再調査等で何か新しい考えはないのか、これで最後の胎児が荼毘に付された後で、何を国求めるか?或いは身元が解るまで、6体の胎児を荼毘に付さない様強く要請するべきではないでしょうか?私自身の考えはそれが先だと思いますが、皆さんはどう思いですか?このままでは官僚の思うままです。有川園長は前医務局長です。本省とのパイプはあるでしょう。
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余談:脳のクオリア 投稿者:リベル 投稿日: 2月20日(火)01時10分35秒 引用 編集済
先日も取り上げましたが、最近茂木健一郎さんのblog、「クオリア日記」も毎日のように覗いています。その中にこんな文章があって、ギクッと足を止めました。
「英語で全ての教養を再構築する」というモットーの下に、英訳で読んでいるのだけれども
日本語では、ニーチェを完読した、と言うことか。私は高校生の時に、「ツァラトゥストラかく語りき 」を買いましたが、難しくて放り出したまま今日に至っています。教養を英語で再構築する、という話は、しかし良く分かります。凄い人だなあと、思います。痛む片腹では、どうせならドイツ語で読めよ、と呟いていますが。
話は変わるようですが、「峠の我が家」というアメリカ民謡があります。(厭な人間だなあ、今夜の自分は)原題は「Home on the Range」。
英語の歌詞はこう始まります。
♪ Oh, give me a home where the buffalo roam, Where the deer and the antelope play,
が、日本語の訳詞は様々で、例えばこうです。
久野 静夫訳詞 ♪ 空青く 山は緑 谷間には花咲き
龍田和夫訳詞 ♪ 空は青く 緑の野辺(のべ) なつかしの わが窓
岩谷時子訳詞 ♪ あの山を いつか越えて 帰ろうよ わが家へ
どうでしょうこれは・・・?buffaloはどこへ逃げていったのか?鹿は?羚羊は?
私の育った家の前の道路は、牛や馬の糞が、だから出来立てのが、ゴロゴロしていました。私にとってのふるさとは、だからやはり「Oh, give me a home where the buffalo roam」なのです。親友と戯れていて、べったりした馬糞を投げたら、首筋に命中して襟首から流れ込んで、泣き出してしまって、お母さんが怒鳴り込んで見えました。別の子の場合は、パチンコで絶対に当たらない筈が、小石が額に命中して、血が出て、母と謝りに行ったり、そんなことが多かったのです。
ニーチェなんか、糞食らえ・・・です。
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F事件から”現代”を考える会の・・・ 投稿者:リベル 投稿日: 2月20日(火)00時02分2秒 引用 編集済
「社会派映画の数々」を読みました。
100%、同感しました。
1)権力や裁判への疑問・問題点をストレートに訴えても良いのではないか?(「制作資金を確保するため、権力や裁判に対する批判を控えめにしているという感想があるようですが」)
2)「赤貧洗うがごとき」の制作費は、当初6000万円を予定していたが、4000万円以下であった。
3)「監督自身のブログで、映画の主旨や制作の苦労、迷いと決断などを正直に吐露しています。」というように、HPやblogを有効に使って、人の心を掴んだ。
こういう制作ニュースも発行していたようです。
こういうのを、中山さんや、関係者が読んで、真摯な対応を見せて欲しいです。中山さん自身の気が抜けてしまったのかなあ?と思ってしまいます。どこからも、熱気が伝わって来ないので・・・。
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偏見の強い地域(?) 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月19日(月)20時26分43秒 引用 編集済
偏見の強い地域
偏見が強い地域は、ハンセン病療養所などの近くである、ということは前にも述べました。
これも偏見かもしれませんが。
なお患者様とそれ以外の住民が渾然としている所は偏見は少ないようです。
それに関連して、牧野正直園長(光明園)が述べられている。
楓 2001年9月10日 (邑久光明園慰安会発行)
療養所近辺の市町村は一つの会があり、持ち回りで会を開いている。 一つは国からご苦労さんということで特別な予算があろとのことである。
(全国ハンセン病療養所所在市町村連絡協議会という名前だそうだ。)
その時は邑久光明園が担当であったので園長の牧野先生がその会に出席された。前に挨拶された人びとの話を聞いてびっくりされたという。
>たった今、皆様の話を聞き、私はたいへん驚きました。私は耳を疑いました。ハンセン病の差別がもっともひどいのは、なんといっても地元であると私は思っています。私はほとんどの療養所の話を聞いて知っています。本当に皆様の言われるとおりであれば、こんな会は必要ないのですよ。地元に差別が残っていることには、いろんな理由がありますが、これは事実であります。最も強い差別は地元にあるのです<
この話で雰囲気ががらっと変ったという。
>岡山県で問題となった小学校の副読本の問題でもほとんど理解されていません。邑久町で開かれた啓発講座でも、訳のわからない質問で出て、私達はいつまでハンセン病の啓発を続けなくてはならないのだろうか」と本気で悩んでしまいます< と、園長先生は書かれていました。2001年の話ですから、今はもっといい状態ではないかと思います。
北風様
失礼しました。小生が知りたい女医先生に会われたとのことで、よろしかったら、教えて戴けませんか。メールででも結構ですが。
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F事件から”現代”を考える会が更新 投稿者:リベル 投稿日: 2月19日(月)12時04分27秒 引用
こちら「社会派映画の数々」です。未だ読んでいませんが・・・
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(無題) 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月18日(日)19時25分32秒 引用
DNA鑑定で親子関係を証明するためには、親が鑑定を希望し、DNA採取ができなくてはいけませんよね。(園や自治会が勝手に鑑定するわけにはいかないでしょう?)
でも、「DNA鑑定などを試みたが」と言っている。
ということは、鑑定希望を名乗り出て鑑定してもらった夫婦が何組かはいて、その範囲では親子関係が証明できなかった、ということなのかしら?
どのような手法で鑑定したかも書かれていないし、調査に関する詳細は“プライバシー保護”といえば公開しなくてもすむ(と踏んでいるのでしょうが)。
どうも…ムニャムニャ…“身元確認”をではなく、“火葬”を急いでいる、としか思えない。
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見落とし Re: クリオン島の市長さん 投稿者:北風 投稿日: 2月18日(日)16時43分44秒 引用
> 一定時間調査の真似事をして、結局わからなかったということで荼毘に付すのであれば、リベルさんの憤慨する「官僚的」な対処だということになります。
> 再調査というならば、もっとも有効な方法をなぜ取らないのか。
>
http://www.christiantoday.co.jp/society-news-538.html#
DNA鑑定などを試みたが最後まで身元が判明しなかったという。同園は残り6体の身元確認を急ぎ、早急に火葬を実施する予定。
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Re: クリオン島の市長さん 投稿者:北風 投稿日: 2月18日(日)15時57分15秒 引用
>
> 北風先生
先ずお願い。「先生」はやめてください。そう呼ばれるような人間でも職業でもありませんので。
> 要求に関しては、よくわかりません。
> ちょっとうかがいますが ご本人たちは希望されているのですか。
> もしそうであれば何とかしなくては。費用の問題もあるのかな。
「ご本人」はわかりません。「ご本人」を探す調査ですから。
しかし、今回、両親の不明な遺体を荼毘に付すことは中止し、再調査の上、三月ごろに合同慰霊祭をする予定と聞いています。
一定時間調査の真似事をして、結局わからなかったということで荼毘に付すのであれば、リベルさんの憤慨する「官僚的」な対処だということになります。
再調査というならば、もっとも有効な方法をなぜ取らないのか。
費用の問題ではないでしょうね。
(リベル) 調べ方、などという技術的な方法論も追求されるべきかと思いますが、その元になる「心」がどうにも、我慢できないと思うのです。こうなのです。
>「星塚敬愛園では、葬儀・告別式を行い・・・(中略)式の中で
有川園長は
「長い間、保管してきたことを心からおわびしたい」と謝罪。
山口文夫自治会代表は
「母親の胸に抱かれることなかったあなたを、母は長い年月忘れなかったでしょう。今日を境に狭い空間を飛び出し安らかにお眠りください」
と小さな命の無念さを思いやった。」
国の代表は「長い保管」を詫びています。殺された胎児の魂は、その空疎な言葉をどう聞いていることでしょうか?(ここまで下の引用です)
この心の隔たりは、修復が不可能な域にあると思うのです。これは何を持ってきても、救い難い、救い得ないことですよね。やはりもう一度言います。「官僚」は・・・やはり止めます・・・。(2.18 17:35)
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クリオン島の市長さん 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月18日(日)15時23分1秒 引用 編集済
2月18日付朝日新聞
かって世界最大のハンセン病療養所があったフィリッピンのクリオン島の話題である。
Hilarion Guia(ヒラリオン・ギアさん)はフィリッピンのクリオン島の自治を勝ち取り
95年から市長さんである。1月下旬マニラで開かれたハンセン病回復者の国際会議でその経験を語った。
「普通の島」になり、家族が島にいるのを隠さない人も増えた。だが、100年積み重なった差別が簡単に消えるわけはない。「少しずつ、一歩づつ進むだけです」と語った。
北風先生
要求に関しては、よくわかりません。
ちょっとうかがいますが ご本人たちは希望されているのですか。
もしそうであれば何とかしなくては。費用の問題もあるのかな。
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両先生(笑) 投稿者:北風 投稿日: 2月18日(日)15時01分4秒 引用
ありがとうございました。
ではなぜ、療養所(厚労省)サイドはやろうとせず、自治会も要求しないんだろう?
いろんな問題があるのだろうけれど、希望者だけでもやったらいいと思うのですが。
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(無題) 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月18日(日)14時47分22秒 引用
日本法医学会の「親子鑑定の指針」、日本DNA多型学会の指針を遵守して
信頼性の高いDNA鑑定をしている民間企業にSRLなどがある。
SRLのURL http://www.srl-group.co.jp/service/dna.html
(完全長のDNAが採取できればOKじゃないでしょうか。これは親の側は口腔粘膜から簡単に採取できる。子の側もヌクレオチドシークェンスわかればよいわけですから、可能でしょう。)鑑定の信頼性と精度はかなり高い。
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北風先生へ 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月18日(日)14時02分57秒 引用 編集済
DNA鑑定は
技術的に可能かどうか よくわかりません。
しかし北朝鮮からもってきた頭蓋骨から DNA鑑定ができるようですから、
希望者がおれば 出来るのではないかと想像します。
私に聞かないで、北風先生、調べてくださいよ。
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DNA鑑定は 投稿者:北風 投稿日: 2月18日(日)13時32分20秒 引用
「胎児標本」の親子鑑定にDNA鑑定は使えないのですか?
時間はかかっても可能性があるならするべきだと思いますが。
「技術的」にはどうなんですか?Ichro先生?
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水子への慰霊 (南静園) 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月18日(日)07時37分21秒 引用 編集済
おはようございます。Ichiroです。
ウイキペデイアはまだ訂正できないでおります。勉強しなくては。
例えば Ridley-Joplingの分類からして あれは 病理学的の分類ではないのです。
あれは菌に対する細胞性免疫による分類であります。病理学的は ペケです。
たしかにリドレー先生は病理学者ですが、病理学的分類と考えている人はいないと 思います。それでT型は tuberculoidの略です。即ち、菌に対する細胞性免疫がある 方の極といえます。なぜ tuberculoidになったのでしょう。
それは 病理学的に結核の組織に似ている(tuberculoid)、ちょっと間違えました、 結核結節に似ているのです。それは ラングハンス型巨細胞が 出現するからです。
この細胞の出現は 菌にたいする細胞性免疫があることを意味しています。それは ハンセン病以外でも同様です。
菌にたいする細胞性免疫がある場合は 症状は軽く、他の人に伝染させる可能性は少なわけです。Jopling先生も T型の人を隔離するなら 裁判に訴えようと 私に手紙を呉れました。
もう一つ追加します。光田反応(光田健輔の研究で結果的に明らかになった)は、細胞性免疫の有無を調べる検査となりました。光田反応陽性は T型、正常人、陰性は らい腫型 lepromatous L型、陽性と陰性の中間が borderline型、B型です。これはこの種の世界最初の検査法です。確かに光田先生は ハンセン病隔離政策で批判されていますが、医師は違った目でみていると感じるでしょう。それは この事がある、と私は思います。
沖縄タイムスの最近の報道は 間違いではないのですが 宮古南静園では 平成14年以来、毎年慰霊祭がある度に、水子の霊の慰霊を行っています。具体的には、祭文で触れ、子どもが喜ぶ何か(風車であったと思いますが)を 祭壇に供えていたのです。
これも報道して欲しいですね。私は平成15年3月まで いましたので 確かな話です。
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この「へだたり」は何なのでしょう 投稿者:リベル 投稿日: 2月17日(土)17時44分11秒 引用 編集済
以下はルリカケスさんのBBSからの引用です。
「星塚敬愛園では、葬儀・告別式を行い・・・(中略)式の中で
有川園長は
「長い間、保管してきたことを心からおわびしたい」と謝罪。
山口文夫自治会代表は
「母親の胸に抱かれることなかったあなたを、母は長い年月忘れなかったでしょう。今日を境に狭い空間を飛び出し安らかにお眠りください」
と小さな命の無念さを思いやった。」
国の代表は「長い保管」を詫びています。殺された胎児の魂は、その空疎な言葉をどう聞いていることでしょうか?
何ですか、これは、一体!
非道すぎます。認識のギャップで済む問題ではないです。有川園長が悪いのでしょうか?官僚が出来損ないなのでしょうか?国の在り方が悪いのでしょうか?私は、心底、腹が立っています・・・ (;`つ´)怒!
これを書いた後で、こんな記事が有ることに気付きました。ここでも「お上」のものの考え方を、厳しく批判しています。
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(無題) 投稿者:エリカ 投稿日: 2月17日(土)15時17分3秒 引用
Ichiro様、皆様
Ichiro様返信ありがとうございます。
Ichiro様がおっしゃるように確かに療養所には宗教施設が作られ、いろんな宗教に帰依し、心のささえにしておられる入所者の方がたくさんおられるようです。
わたしは「母の愛」はなんと強く深いものか。またその「母の愛」がこの回復者の方の心のささえになっているということに感動を覚えたという趣旨のことを述べました。たまたま天理教新聞にそのことが記されていたわけで、宗教の宣伝ではありません。
何卒誤解なきようお願いいたします。
(リベル) 私は、テッキリ、天理教の宣伝だと思いこんでいました。というのは全くの嘘で、誰もそんな風には受け取っていないと思っています。どうぞ、そんなご心配は、なさらないでください。エリカさんならではの細かいお心配りに、感服しました。(2.17 17:17)
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清貧な患者様 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月17日(土)13時47分22秒 引用 編集済
2人の天理教信者で 清貧の方でタイヘン感銘をうけたことがあります。Ichiro です。
一人は韓国で民間会社に働いておられ、応召されハンセン病に罹られました。昭和17年ころです。内地に帰られ農業をしていましたが、昭和21年ある療養所に入所。幸いT型で症状も軽くてすみました。
元軍人ですが、当然軍人恩給の資格がありますが、今後自分の家族にこの病気がでないことを祈念し(本人の話。遺伝説ですが)雑念を絶ち、資格を断念しました。ほかの人から、お前はバカだなあと言われたそうです。(すみません 禁句でしょうか)
彼の部屋もガランとしていました。彼に尋ねたら”軍人恩給でお金がじゃんじゃん入った人はバタバタと死んでしまった”と語りました。
(私の昔の作文を見ながら書いています。実はある人(私の作文をみてやるといわれた人)にこれを見せたら、色々文章的に欠陥があり、文句をいわれました。発表していません)
もう一人の人は完全失明ながら昔の話が好きで、旅行がすきという陽気なお爺さんです。前の人と同じように部屋はガランとしています。他の人のためにはお金を使い、自分のためには使わないので色々なものがないのです。清貧の思想といっていいでしょう。
(当時は清貧の思想とかいう本がありました。)
完全な失明でも、旅行が好きというのは、どういうことなのでしょうか。それは連れて行く人の景色などの説明をよく聞いて、心に刻み付けるのです。
こういう話は療養所では よく聞いていました。なおこの二人は前に書いたように天理教の信者さまでした。こういう方もおられたという趣旨の発表で、こういう人が望ましいという趣旨ではありませんので、その点は宜しくお願いします。
(リベル) >幸いT型で症状も軽くてすみました
Ichiroさんは専門家ですから、よくご存知ですが、私は「T型」を知らないので、検索して、あちらこちら読んでみました。どれも、難しいのです。一番分かり易いのが「Wikipedia」のようですので、紹介しておきます。
Ichiroさん、この「Wikipedia」の説明で、間違いは無いでしょうか?お教えください。(2.18 01:31)
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エリカさまへ 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月17日(土)08時31分58秒 引用 編集済
天理教はハンセン病療養所と深い関係があるようです。
Ichiroと申します。
私は以前菊池恵楓園と宮古南静園に勤務していました。
天理教というとなつかしいですね。信者さんもおられ、たいへん清真な生活を送っておられました。また、夏ごろ、天理教の方からも多数の方が 奉仕にこられていました(菊池の方)。宮古には 天理教の教会がありました。沖縄県の通例として 仏教寺院はありません。そこにあるものは、3つのキリスト教(宮古発祥のもの、日本基督教団、カトリック)の教会以外には、天理教の教会しかありません。いかに天理教が重要な位置を占めているかおわかりと思います。天理教と聞くと、たいへん懐かしく思い出されるので 書いてみました。入所者に聞くと(菊池の方)昔は歩いて天理までいった、という凄い話を聞いたことがあります。
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タイヘン失礼しました 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月17日(土)08時16分33秒 引用 編集済
リベル様
タイヘン失礼しました。インターネットで調べたら、岡村の方も記載されていましたね。ぜひ人名の方にも記載されるように希望します。
大風子油は あまりに有名なのでよく調べませんでしたが(これが失礼ですね)、リベルさんにより、たいへん 正確に記述されているので 感銘を受けました。あの写真は愛生園のものでしょうか。
菊池恵楓園の方では だいぶあとまで 大きな釜が医局にあり、溶かして使用したようです。筋肉注射ですが、注射の跡が 残りますね。また化膿したり、注射されたものが出てきたり、固まったりということです。多くの方が痛かったと書かれていますが、他に余り信用できる治療法が無かった時代ですので、タイヘンだったと思います。
らい予防法のあと、いろいろ在宅で昔治療された人を診察しましたが、この注射の跡を 一つの重要な、ハンセン病を治療したという根拠にしました。
(リベル) 大風子油の写真は、無断転載していました。ご免なさい。今出典を書いてきましたが、一つの方はネット上から消えていて、Googleでは、私のサイトが出てしまいます。ほら、堂々たる確信犯も「必要」でしょう?(笑)(2.17 12:33)
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怠慢というか・・・ 投稿者:リベル 投稿日: 2月17日(土)04時43分1秒 引用 編集済
「以前はらい菌の名から、癩病(らい病)と一律に呼ばれていた。」
(言葉の歴史についての文章なので、古い病名を使うことをお許しください)
これは、Wikipediaの「ハンセン病」の冒頭「名前」の項の書き出しです。いや、でした。長い間、このままでした。Yahoo!でもGoogleでも「ハンセン病」で検索すると1位か2位に来る「Wikipedia」がです。
えーと、と疑問に感じたのは、数日前です。待てよ、らい菌が発見されたのは1873年。らい菌は学名が「Mycobacterium leprae」。でこの命名の元になった「lepra」という言葉がいつ生まれたのか?これはB.C.250年頃、ヘブライ語の旧約聖書の「ツアラアト(tsaraath)」をギリシャ語に訳する時に生まれたのです。これは「起源と歴史」にも書いています。この「lepra」から「Mycobacterium leprae」が命名されたのに違いはないでしょう。
だから、やはり「らい菌」という名前は1873年に生まれた、で正しいのです。
では日本で古くから出てくる、「白癩」(聖徳太子の「法華経義疏」)の「癩」はどこから来たのか?です。これはどこにも書いてないので、分かりません。しかし、「韓非子」(B.C.233頃)に「氏iらい)憐王。」とあって、白川静さんの「字通」によれば氏≪嘯ニありますから、中国では、この頃からあった。それが私の調べた限り、初出なのです。
だから、Wikipediaの「らい菌の名から」というのは、やはり間違いです。あえて言うなれば「韓非子」から、なのです。なので、私は先日その部分をカットしておきました。長い間気付かなかったのは、怠慢でした。緊張感の欠如というか、あまりにも堂々と書いてあったので・・・(恥)
「韓非子」以前の記述が有れば、お教えください。宜しくお願いします。「起源と歴史」に追加しなければなりません。
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患者さんと、回復者の受け入れ 投稿者:リベル 投稿日: 2月17日(土)02時11分37秒 引用 編集済
このテーマが登場してから、もう5日経ちます。「とても詳し」くはないのですが、私なりの整理をしてみました。先ず頂いた投稿を再掲載します。
【1】1960年ごろの鹿児島でのハンセン病者 投稿者:tubaki 投稿日: 2月12日(月)11時57分31秒
1960年ごろ、私の故郷である鹿児島の小さい温泉町の温泉銭湯で、よくハンセン病の女性が入浴されるのと一緒になりました。もう治っているし、感染しないとの触れが入浴客に行き渡っており、何回か浴室で一緒になりました。しかし、この頃の「らい予防法」に代表されるハンセン病への社会的、公的偏見を思えば、この方がどういう経緯でこのように普通に生活できたのかが、今大きな疑問となってきました。退所して、このように生活されているかたも多かったのかどうかがわかりません。プロミン治療による軽快退所者が1951年に第一号として熊本から出ていることは年表により確かめられますが。しかしこの方も地域に住んだのは、長い年月ではなかったと思います。強制隔離政策の中で、彼女はどのような意志でと思うと、大変気になります。どなたかコメントお願いします。56歳
【2】(無題) 投稿者:あずき 投稿日: 2月14日(水)17時33分29秒
最近偶然に、島尾ミホ(島尾敏雄夫人)の「祭り裏」というエッセー集を読みました。ミホの少女期の七編の回想録です。舞台は郷里の奄美大島の南端にある「加計呂麻島=かけろま島」です。ミホは多分一九二〇年生まれですから、書かれた時代背景は一九三〇年頃と思われます。初出は一九七〇年後半です。
このなかでは「ニジロおじ」という癩者が、普通の島民として登場していますね。
(エッセーからの無断孫引き:http://www.haizara.net/~shimirin/blog/akiko/blosxom.cgi/book/20070202223707.htm#writebacks より)
『辺境では中央の及ばない文化があったのだと思います。地方名は忘れたけれど、療養所にいくと帰ってこられなくなるからと村ぐるみ(役場も含めて)匿ってくれたという記述を読んだ記憶があります。特に共同体の意識の強い離島では、大いにありうるというより、普通だったと思います。』
【1】は回復者に対する小さな町の温泉銭湯の冷静で、暖かい接し方です。これは先日引用した庵治町の例(ページの下の方の質疑応答のところ)や、黒川温泉の宿泊拒否とは、対極にある対応です。
前に私は「「下手な」問題意識は、事態を逆に悪くする。自然に醇化されていく例もあるではないか」と書きました。庵治町や、黒川温泉の場合は、「下手な」問題意識が事態を悪化させています。
このケースのように、冷静で、暖かい対応が、問題を醇化した例は、他にも実は沢山あるのだと思います。
【2】は時代が遡って、治癒していない患者さんの場合です。この場合は、前に書いたように、「地域社会の自己防衛・自己保全」の原理も働いたのではないかと、私は推測しています。ですから、これも表には出ないで、数多く存在したと想像します。
ところで、こういう対応が、動機や現象こそ違え、何故起こったのか?これらの事実が代表する二つのケースに通底するものは何なのだろうか?
それは「無らい県運動」や「らいの根絶策」や「国際世論を無視したらい予防法の存続」、などの形をとった「お上の押し付け」に対する「市民のささやかな反抗」だと、(これまた大胆に)推測します。単なる中傷が発端の強制収容も有ったようです。市民の意志を顧みない頭ごなしの押し付けに対して、「それでよいのか?」という素朴な疑問と反発から生じた、ごく自然な「お上に対する抵抗」なのでしょう。
またまた、お前は、結論を「国」や「厚労省」に持ってくる、と言われそうです。でもこれは結構自然な結論でしょう・・・?牽強付会ではないと、私は確信していますが・・・。
あえて、火中の栗を拾いました。おあとがよろしいかと、存じます・・・
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新聞の記事を読んで 投稿者:エリカ 投稿日: 2月16日(金)22時01分1秒 引用
わたしの家では天理教新聞をとっています。
わたしは天理教ではありませんが、祖母が天理教だったので、毎月送られてきます。たまたま手にとってみるとハンセン病の記事が掲載されていました。「ハンセン病療養所の教友たち」というタイトルで、読んでみると、美しい親子の情愛が描かれ、深い感銘を覚えましたので、記事を転載しました。
http://www.sutv.zaq.ne.jp/ckaty207/tenri.html
(リベル) ここにも、入浴の話が出てきますね。
>その夜、母は入所者と同じ風呂に浸かった。入所者の一人が心配顔でいった。「そんなことをしたら、病気がうつってしまいますよ」。母は毅然として応えた。「息子と同じ病気にかかって死んでも本望です」
有り難うございました。(2.17 01:02)
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? 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月16日(金)12時24分2秒 引用 編集済
当時は そう思っていましたが
今では書きすぎであると批判されていまして(月子さんからです)
反省しています。
ええとどなたが送ったのかな。教えてください。
リベルさんへ
反省して 書いたり、検索したりしながら、訂正などしました。
順序が違いますね。
岡村さんも 出ていましたか?姓名の ところですが
(リベル) 下の文章は「ハンセン病のリンク集」に記載させて頂いているものです。
先程の「大風子油」もそうですが、私のサイトを良くお読み頂いていないのを、知ってガックリしました。せめて関係のお有りのところは、お読み頂いていると信じて、お話しさせて頂いていましたから。
先ず、人が書いていること、それをお読みにならないで、自分の書きたいことだけを、ズバリ書くのは、如何なものでしょう。私は方針として、何でも、お書きになりたいときに、お書きくださいと、申し上げていますが、人の書いていることを先ず読むのは、当然のことだと思って書いていません。当たり前のことを書くのは、失礼だと思って、書きません。でも如何でしょう、先ず何が書かれているかを読んでから、投稿するのが、最低限の礼儀ではないかと思います。このあたりの「言わずもがな」のことを申し上げるのは、大変失礼なことなのですが、こんなに親しくして頂いている以上、言わないのは、かえって失礼だと思いまして。
私は、体育系なので、こういうことをかなり平気で、書いてしまいますが、Ichiroさん、私の気持ちを、お汲み取り頂きたい、と、泣きたいほど、思っています。よろしくお願いします(2.16 18:07)
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菊池先生 投稿者: 投稿日: 2月16日(金)11時56分24秒 引用
http://www.okinawa.med.or.jp/old/kaihou/k0105/p118.htm
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ありがとう 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月16日(金)10時47分29秒 引用 編集済
北風さん ありがとう。
悪乗りではなく どしどし指摘してください。
この方の情報は いろいろ インターネットにありました。
コメントが付いたのは そのままにします。
(リベル) 私も、「ハンセン病のリンク集」の「用語集」で「大風子油」を解説しています。こちらの方はご覧頂いていないようなので、膝元が、ガクガクしております・・・(苦笑)
「岡村平兵衛」で検索したら、私のサイトが8番目、9番目に出てくるのですが・・・(涙)(2.16 12:20)
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悪乗り 投稿者:北風 投稿日: 2月16日(金)09時56分0秒 引用 編集済
泉州境の岡村製薬所→泉州堺の岡村製薬所
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すみません 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月16日(金)08時46分22秒 引用
リベルさんへ
また 間違えました。その通りです。
火へんでした。ローマ字でKaro-Tosen とあります。自家出版です。
著者は1931年生まれで、西尾市民病院長を定年まで勤め、その記念に作られた本です。医史学にくわしく、今まで私が参考にしたのは、周防博士のことでしたが、後藤昌文親子、遠山道栄親子、小笠原登、瀉血から屁の功罪など面白いことがたくさんかかれています。
(リベル) 「絽」というのは夏用の織物ですから、洒落て作られた題名かな?と思っていましたが。 (2.16 12:24)
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菊池恵楓園 旧本館(2) 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月16日(金)07時16分29秒 引用 編集済
社会交流会館 (歴史資料館)(2)
薬学研究室の主について調べた。
故 佐竹芳継先生
菊池恵楓園で治らい剤を研究された先生。熊本薬学専門学校卒業、九州大学、満鉄病院勤務の後、中華人民共和国で留用、その国の製薬会社で指導されている。昭和30年11月から昭和49年11月まで菊池恵楓園に勤務。 治らい薬の合成をされた。 その中でDDSのアセチール化誘導体DADDSはその後広く使われるようになった。(恵楓園でアセタミンといっていた)その後、西九州大学教授、副学長。
平成9年12月21日に逝去され 日本ハンセン病学会雑誌 67(3)411-415,1998に、 写真が掲載され、追悼の言葉が述べられている。
昭和42年に第12回櫻根賞受賞。
平成になっても時々こられていた。治らい薬の開発についての話を承った(前に書いた)
岡村の大風子油
プロミン出現以前の治らい剤大風子油は泉州境の岡村製薬所のものが品質が優れ、従って広く使用された。
夏絽冬扇 佐久間温巳(はるみ) 平成9年による
岡村平兵衛は偶然みつけたらい患者を助け(明治21年ころ)、自宅で救済した。千数百名(一説によると1400名)という。(他の本でこういうことは書いてあったのか)所蔵の本草書を読み大風子油の有効性を知った。明治34年、最後の2人の患者は復生病院に運んだ。
岡村の大風子油は500ml入りの壜に詰め主として塩野義製薬、明治41年以降は藤澤薬品から発売された。岡村家にはこれは残っていず、ラベルが1枚あるだけである。
(私が運んだものは貴重品というわけだ!)
昭和7年、大風子は30000キログラム輸入。岡村の生産は数千キログラムであったから、本邦の生産の大部分と考えられる。昭和19年に輸入がとだえ、プロミン時代になり、数百年の大風子油時代の幕が降りた。
ある先生から、岡村の大風子油の新聞広告を戴いた。菊池恵楓園社会交流館に寄付しよう。
追加:ホームページをみますと、岡村の大風子油は愛生園にも保存されていました。
宮崎園長で思い出したこと:ハンセン病問題は園長は医学だけの問題でないと断定した。そしてらい研究所は 社会的に研究する人々もいれるべきと述べている。しかし実際はそうならなかった。私としては宮崎園長の先見の明に驚くとともに、園長の言われた通りにならなかったのは、残念なことだと思っている。医学薬学化学の専門家は どうしても入園者のおかれた立場への理解が少なかったのではないか。
追加:双見美智子さん ほんとうにお元気ですね。大分前ですが、そこの図書館で資料を読みたくて、会いました。お仕事にご熱心な方でした。雑誌投稿もあり、お世話になりました。ご長寿をお祈りします。
(リベル) Ichiroさん、「夏絽冬扇」は「夏炉冬扇」の間違いではないのですか?検索しても有りません。なんかの洒落なのかとも訝りますが。(2.16 08:06)
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リベルさんへ。 投稿者:あずき 投稿日: 2月16日(金)02時09分43秒 引用 編集済
わたしへのお返事はしなくていいと思います。無理はいけませぬ。
ではおやすみなさい。
(リベル) 有り難うございます。元気になってきましたので、今、下にレスを書いてきました。
お心遣い、有り難うございました・・・m(_ _)m (2.16 02:20頃)
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鹿児島でのハンセン病者 投稿者:tubaki 投稿日: 2月15日(木)17時49分52秒 引用
リベルさん、気になっておられるようですので正確な場所を明らかにしましょうね。
薩摩川内市入来町副田温泉場の柴垣湯です。現在も存在します。湯源は同じですが、建物や内装は確か2回改装されて、現在も小さいながら町営風呂として営業しています。100円です。湯上りが何ともすっきりと爽快な温泉ですよ。
私はこのことをエッセーに書いたことがありますが、「副田温泉」と呼ばれたこの温泉の文書上の初見は建徳二年、(1843年)『入来文書』に付された資料の渋谷重門の置き文の中にあります。160年前には「湯治客が絶えることなく、多い時は数百人に及ぶ」との記述が物の本にあるそうです。源泉で56度〜60度。そのままでは熱くてはいれません。
副田には現在3つの町営温泉銭湯が存在しますが(全部100円)、入浴客は老人が主です。淋しい事ですが、大変寂れてしまいました。
その白いマスクの人はあるとき突然現れ、しばらくして見えなくなってしまいました。このことも気になります。どこに行ってしまわれたのかと。個人風呂のほとんどない時代でしたから、例えば、寝たきりの老人や、全介護状態の女の子なども常連でした。数名で連れてきて入れるわけです。
私がそのマスクの人と数回同じ風呂場で入浴したのは事実です。その人は痩せた体を片隅でマスクを取って洗っていることもありました。その人を見ると、不安にさせまいとしてか母は必ず「もう治っていて移らんらしかよ」と言いました。2003年のアイレディース黒川温泉ホテル宿泊拒否事件は、ですから複雑な気分でした。私としては、柴垣湯の管理人あるいは町が入浴拒否しなかった背景に何かあったのか、又は、病名も知らないほど無知な昔人だったか・・・。そんなはずはないと思います。実は昔は日本のあちこちで、人々は殊更言わないが、このような寛容なつながりがあったのかもしれません。この病気にとても詳しい皆さんのご意見を伺いたくて投稿したのです。
(リベル) いま、返事を書きかけましたが、一杯やってしまった後で、ボキャヒンに陥っていますので、一寝入りしてから、また改めて。ご免なさい。(2.15 18:12)
ただいま、目覚めましたが、珍しく体調整わず、また明日、参ります。悪しからずご容赦ください。(2.16 00:37)
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菊池恵楓園 旧本館 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月15日(木)17時38分5秒 引用 編集済
社会交流会館 (菊池恵楓園 旧本館)
先日菊池恵楓園の社会交流会館にいった。たまたま その日に映画監督に会ったり(報告した通り)などしたので これについて触れることが遅くなった。
この古い大きい2階建ての建物は旧本館である。昭和30年7月1日に国立らい研究所分室が出来たとあるので、その頃完成したのであろう。らい予防法のお陰である。当時の全体の長は小林六造であった。分室長という記録はない。2年1ヶ月後、昭和32年7月31日に分室は廃止になった。経緯はよくわからない。
ハンセン病研究50年のあゆみ 国立感染症研究所ハンセン病研究センター 2005年 による
宮崎園長は昭和33年9月に退職した。その経緯も私にはよく判らない。1900年生まれであるから58歳で働き盛りである。
私が知っていることは、当時は学位制度が変るので研究が盛んに行われたことだ。大学の例えば解剖学の雑誌を見るとすぐわかる。たしか昭和35年を境に凄く厚かったのが薄くなった。博士様になった人達は 恵楓園をすぐ離れてしまった。話を聞けば当時の医師の待遇は最低であったという。
この建物の立派さをみれば、当時は宮崎園長の力が相当強かったことがわかる。らい研究所分室として、厚生省の予算をたくさん分捕って作った。そういう理由で、外の療養所からの怨嗟の声があったと聞いている。2階建て、中は木造だが、木材は厚く、がっちりしていて、私は昔の兵舎を思い出した。
(蛇足ですが、中学、高校、大学、就職してからの合計3年半、旧兵舎を使ったのが私である、最初の2つは熊本の第6師団、大学は鹿児島の伊敷の兵舎、あと国立熊本の兵隊の学校の跡で看護学校の講義に使った)
私が昭和39年から45年にかけて大学から仕事にいった時は(診療援助)旧本館の2階に医局があった。物凄く大きい図書館があり、別室には資料が乱雑に置かれていた。その中には強制収容の顛末を書いたり、園長の演説の草稿などもあった。図書館には鳩の糞が大量にあった。
建物の前に高い塔があり、宮崎園長時代、退所者があると鐘が鳴らされたというがすぐ鳩が棲みついて鳴らなかったという。
平成元年に今度は正式の定員として、再度ここに入った。ということで私にとっては懐かしい建物である。医局はまさに大部屋であった。平成5年5月、新しい本館ができてホッとした。旧本館は介護員などの控え室などにも使用された。今回は資料室として、再生である。
入園者と色々なモノを保存する意思があるか、当時話しあったことがあるが、あまり熱心でなかった。現在の話ではない。昔は歌舞伎の道具などあったが、と言う話は聞いた。
平成の初めであったが、高松宮記念ハンセン病資料館ができるので調査にきた。勿論入園者とは話し合われたのであろう。私のところにきたので 壁を移築してくれといった。無理な話である。資料として重要なものを保存しようということで、当時の本館の2階の薬学研究室(正式の名前ではない)にあった、岡村の大風子油●をかかえて成田先生にもっていったのは私である。熊丸園長の許可をえて持っていった。
●岡村の大風子油は使用当時最も高級品であった。提出した時はなんとなくすっきりしなかったので、菊池恵楓園とワープロで記載した。長く高松宮記念ハンセン病資料館にあったが、最近みていない。
社会交流館に並べてあるものは 残りの品々である。
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Re: 島尾ミホ氏が書かれたこと 投稿者:あずき 投稿日: 2月15日(木)14時14分49秒 引用
> あずき様 こんにちは。Ichiroと申します。
>
> 加計呂麻島には先日ボランテイアさんのご好意で行ってまいりました。
Ichiroさん。こんにちは。そうでしたか。偶然ですね。
島尾敏雄・ミホ夫妻のことは、自分のサイトに書きましたのでここにリンクをつけておきます。自分のサイトの紹介はちょっと心苦しいのですが、お時間のある時にどうぞ。ほとんどIchiroさんのお書きになったことと重なるかとおもいますが。。。
http://www.haizara.net/~shimirin/blog/akiko/blosxom.cgi/book/20070202223707.htm#writebacks
http://www.haizara.net/~kirita/takata/
(リベル) あずきさんのサイトを訪問してきました。充実した感じを受けて帰ってきました。今一杯やった後なので、一寝入りして、また、書き込ませて頂きます。ご免なさい。(2.15 18:17)
今、目覚めましたが、珍しく体調不良なので、また明日、お目にかかります。ご容赦ください。(2.16 00:39)
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島尾ミホ氏が書かれたこと 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月15日(木)12時25分54秒 引用 編集済
島尾ミホ氏の書かれたこと
あずき様 こんにちは。Ichiroと申します。
加計呂麻島には先日ボランテイアさんのご好意で行ってまいりました。
その節は有難うございました。
島尾敏雄氏は九州大学を繰り上げ卒業、特攻隊を指揮するために加計呂麻島に派遣されました。特攻艇を隠した壕もあります。(見てきました)そこで恋に落ちて夫人と結婚、戦後数々の文学作品を書かれました。特に夫人の病気を扱った「死の棘」が有名ですね。東京にもでてこられ、たしか後では鹿児島県立奄美図書館長をされたと思います。ミホ氏も土地に密着した作品があり、最近書かれた、対談もある本を読みました。私はハンセン病の患者さんが出てくる、その本は読んでいませんが、土地柄を考えると、納得できるのであります。
画家田中一村は、ひょうひょうとしていて、和光園にいた小笠原登の好意で、一時は和光園の官舎に住んでいました。(その頃はそんなことも可能だったのでしょうか。)ハンセン病裁判の後、入所者にお金が入ったので家族が入所者を訪れた際に、家族は入所者にプレゼントされた田中一村の画を持っていったそうです。ちょっと寂しい話題でした。
(いまでは田中一村の絵はお宝であります)
死の棘は読みましたが、タイヘン重い本でした。加計呂麻島は観光にもお勧めです。奄美大島の山からみると、水雷を使う特攻隊は、いかにもこんな所を選ぶだろうという地形でした。私は宮古島でも、水雷艇を隠す壕をみてきました。また加計呂麻島は、寅さんが最後にロケした地があります。
リベル様
また また 失礼しました。
(リベル) 「失礼しました」などと、とんでもありません。お好きなときに、お好きなことを、書き込んで下さい。(2.15 18:21)
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余談:アリア「母の死を」 投稿者:リベル 投稿日: 2月15日(木)03時37分33秒 引用 編集済
このアリアを初めて聞いたのは、トム・ハンクスがオスカーを取った「フィラデルフィア」の中ででした。YouTubeでそのシーンが視聴出来ます。親切にもこちらに字幕を書き出しました。読みながらお聞き頂くと、入りやすいと思って。(デンゼル・ワシントンが、最初は全く関心がないのに、その内徐々に引き込まれていく様を、巧みに演じているのを見るのも一興ですが)
私は、初めて聴いた時、母親の死を嘆く歌、くらいに軽く受け止めて、ほとんど聞き流していました。それから随分たってから、近所のスーパー前広場で半額の「マリア・カラス」のCDを見付けて、(そのころ、人間の声こそ最高の楽器であるとか、そそのかされていたので)聴きました。
お察しの通り、「ある晴れた日に」以外に、聞き咎めたのがこの曲でした。何処かで聴いたことがある。ひょっとして、と「フィラデルフィア」のビデオテープを早送りして、左にCDプレーヤー、右にビデオデッキを置いて、聞き比べました。シンクロしたことは言うまでもありませんが、私にとっては、ちょっと神がかった、ドラマティックな出逢いだったのです。
最近、講演の録音を目的に、ICレコーダーというものを買いました。これにアイポッドやウォークマンのような機能が有るとは知らなかったのですが、早速散歩の時のマーチとして、ラテンのアルバム、カーペンターズ、武満徹、メンデルスゾーン(こんな程度なのです、私にとっての音楽は)と取り込んで、最後に「母の死を」を付け加えました。
ところが、今毎日聴くのは、この「母の死を」だけになってしまいました。5分弱なのですが、一日に4〜5回は聴きます。とてもドラマティックで、奥深いものが引き付けるのです。歌詞の意味は勿論全く分からないまま、聴いていました。映画のシーンや、トム・ハンクスの解説など、覚えていませんから、ひたすら何か、「懐かしい」という感覚で、毎日聴き続けました。
そしてある日ついに、調べまくって「アンドレア・シェニエ」のあらすじを見付けて読み、歌詞を見付け、英訳、和訳を見付け、印刷して持ち歩いて、時々取り出して見ています。今では、10%〜15%は、イタリア語で歌えるかな、くらいになっています。
悲劇のどん底にあって、「自分は愛する人にまで、不幸をもたらしてしまう」、と悲痛な叫びをあげたとき、呼びかけて来るものがあった。それは「神」であり「愛」であった。というところで松本馨氏を思い出しました。魂の根っ子の所に、訴えかけてくるアリアです。心を和らげ、否応なしに心を純にしてくれます。それが「懐かしい」という感覚を呼んだのでしょう。これはやはり、芸術だ、と思います。
なんといま、私の書架の片隅には、白水社の「新伊和辞典」が違和感を醸しながら、鎮座ましましています。
この写真、一昨年の暮れにも紹介したものです。これは最高!
http://www.mariacallas.de/galerie.html
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(苦笑) 投稿者:北風 投稿日: 2月14日(水)19時11分43秒 引用 編集済
リベルさん、本当に時間をください。
なにか、われわれが見落としてきた、とても大事な問題が含まれているような気がするのです。
【閑話休題】
このデータベース(まだデータが粗く校正しては入れ替えています。また、目録を原稿にしているので重複があります。その辺をご承知の上)で「癩」を検索すると88件ヒットします。
http://www.annex-net.jp/ks1/
なかには青木大勇の「癩療養所を隔離し監禁本位より治療−−研究本位へ(上、下)」なんていう論文があったこともわかります。
ただし「隔離し監禁本位より」というのは[隔離監禁本位より」の誤植だと思います(苦笑再び)。また巻号の表記もおかしい(原因はわかっています)。
(リベル) 北風さん、決して催促はしていません。気持ちの中は別にして。じっくり練り上げてから、ゆっくりお書きください。何とか、年内には・・・、程度で結構ですので。
1998年7月7日に香川県庵治町で町職員が、大島青松園に対し町営公衆浴場の使用を「特定の日に」と申し入れた事件が有りました。これは予防法廃止後、ごく最近の出来事です。それに触れられた森和男氏の文章がここにあります。
「下手な」問題意識は、事態を逆に悪くする。自然に醇化されていく例もあるではないか。
「とても大事な問題」というのは、ヒョッとしてこの辺なのかな?と、これって、やはり催促ですよね。もう、やめとこうっと・・・。
雑誌記事索引データベースで、しばらく遊ばせて頂きました。前に書いたこともある、私の祖母の弟(大叔父ですか)の菅井竹吉も7件有りました。先日読ませていただいた、「婦人公論」の「救癩献身の聖者に訊く」も有りました。無きゃ、おかしい、のですね・・・(笑)(2.15 01:36)
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(無題) 投稿者:あずき 投稿日: 2月14日(水)17時33分29秒 引用
最近偶然に、島尾ミホ(島尾敏雄夫人)の「祭り裏」というエッセー集を読みました。ミホの少女期の七編の回想録です。舞台は郷里の奄美大島の南端にある「加計呂麻島=かけろま島」です。ミホは多分一九二〇年生まれですから、書かれた時代背景は一九三〇年頃と思われます。初出は一九七〇年後半です。
このなかでは「ニジロおじ」という癩者が、普通の島民として登場していますね。
(リベル) 貴重な情報を有り難うございました。島尾ミホという名を、初めて知りました。Amazonで「祭り裏」他の著作を調べました。島尾敏雄さんも恐らく初めて聞く名前です。不勉強を思い知らされました。
1935年生まれの私は、同和問題で、中学一年の時、強い強い思い出になる事件を、当事者として体験しました。親友との仲を、彼が同和地区の人だと言う理由で、頑固な田舎弁護士の父に、全く生木を裂くように裂かれてしまいました。同和地区の存在さえ明確には認識していなかった自分にとって、それは本当に驚天動地の出来事でした。
しかし、ハンセン病に関する出来事の記憶は全くないのです。(2.14 18:06)
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北風さん Re: 1960年ごろの鹿児島でのハンセン病者 投稿者:リベル 投稿日: 2月14日(水)15時19分42秒 引用 編集済
> > 1960年ごろ、私の故郷である鹿児島の小さい温泉町
>この投稿すごく気になっているのですが、すぐにまとまりません。落ち着いてよく考えて書こうと思っています。
>栗生楽泉園のある草津の町の例や、僕らの小学校の頃には障害のある子と机を並べて休み時間は一緒に遊んだけれど、今はみんな養護学校に入れることなど断片的に思い浮かべます。
>必ず書くと予告編。自分を縛らないと怠けるからね。
1960年ごろ、私の故郷である鹿児島の小さい温泉町の温泉銭湯で、よくハンセン病の女性が入浴されるのと一緒になりました。もう治っているし、感染しないとの触れが入浴客に行き渡っており、何回か浴室で一緒になりました。しかし、この頃の「らい予防法」に代表されるハンセン病への社会的、公的偏見を思えば、この方がどういう経緯でこのように普通に生活できたのかが、今大きな疑問となってきました。退所して、このように生活されているかたも多かったのかどうかがわかりません。プロミン治療による軽快退所者が1951年に第一号として熊本から出ていることは年表により確かめられますが。しかしこの方も地域に住んだのは、長い年月ではなかったと思います。強制隔離政策の中で、彼女はどのような意志でと思うと、大変気になります。どなたかコメントお願いします。56歳
この投稿ですね。期待してお待ちしています。
tubakiさん、もう少し、お待ちください。
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貝塚茂樹氏 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月14日(水)15時07分18秒 引用
たしか湯川博士の弟さんではなかったかな。
伯牛だったですか。どなたかが ハンセン病ということは うろ覚えがあります。
顔のつく人では、なかったですね。古い時代ですから 括弧してハンセン病とする方法もありましょう。版権を持っている人が決定していいのでは。
(リベル) 貝塚さんは湯川秀樹のお兄さんです。Ichiroさんは学者なのですから、この辺は良く確かめてからお書きにならないと、小学生ならずとも、間違って覚えてしまいます。現に、私もあれっ!と思って調べたくらいです(恥)
顔のつく人というのは顔回だと思いますが、この人がハンセン病に関係があったというのは初耳です。豊富な蔵書の中からお探し頂ければ有り難いのですが。よろしくお願い致します。(2.14 15:17)
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光田健輔がWikipediaに有りました 投稿者:リベル 投稿日: 2月14日(水)14時57分25秒 引用
こちらです。2005年1月11日に執筆開始が「履歴」から読み取れます。長い間気付きませんでした。ご免なさい。
最初の執筆者(時間をかけて、多くの人の加筆などによって、出来上がりますので)が感想に「書いているうちに怒りで悪意が籠もってしまったので、中立的かつ批判的な記述を加筆して下さい。」と書いて居られるのを、面白いと思ったので、紹介させて頂きました。
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素朴な疑問 投稿者:リベル 投稿日: 2月14日(水)14時38分51秒 引用 編集済
「歴史と起源」の注の部分に、貝塚茂樹氏(1987年没。奇妙な偶然。しかし問題有りなので記入)の「論語」の注解を追加しようとして、気付きました。持っているのは、1999年第76刷と有ります。この本の121頁に注解として「門人冉伯牛が悪疾にかかって命が危ない。悪疾は、ふつうの病気ではなく、癩病のことだといわれています。」と書いてあるのです。
講談社現代新書の係へ電話したら、現在(2006年7月13日付)88刷で、その記述はそのままだと言います。貝塚氏は亡くなっておられる。この本はよく売れる。間違った表現は、さあ、どうなるのでしょう?
この本の担当の方がいらっしゃらなかったので、メールを頂くようお願いしておきましたので、起きている内に、来るかも知れません。「講談社として、どうなさるかを知りたい」と申し上げておきました。
正に打って付けのご指南番がいらっしゃいます。北風さん、お教えください。出版社が勝手に表現を訂正するわけにもいかず、ご遺族なりの著作権者の了解を取り付けて「修正」するなどということが、可能なのでしょうか?それとも絶版に?これは無いだろうし?と悩んでおります。宜しくお願いします。
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リベルさんへ 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月14日(水)12時22分56秒 引用
もう一度メールします。
>いわゆる<壮丁らい>の年次推計は、1887年から1937年にいたるまでに
となっていました。小生のメールは無視されています。
一番いいのは 原本をさがすことです。
探しました。
日本らい学会雑誌 64,3,273−275
第68回日本らい学会総会における「らい予防法」についての学会見解の口述全文
学会の前に渡された文章と口述の文章は異なります。その点をつかれて閉口したらしく、この文章の中では 口述のみの部分は 括弧で わかるようにしています。
文章は当然 1897年から 1937年です。
(リベル) なるほど、そうでした。でもIchiroさん、これは直し損ないですよ。無視されたら変更は無かったはずです。私の調べでも1897年になっていますから。もう一度メールなされば、お詫びが来ると思います。
日本ハンセン病学会のHPに、「原本」があります。それは正しく「1897年」となっています。また、国賠最終準備書面にもこう書いてあります。『1、日本における疫学的減少の事実 徴兵検査の際に発見されたらい患者、いわゆる壮丁らいの年次推移は、一八九七年から一九三七年にいたるまでに、急速な減少傾向に向けての明らかな漸近線を示している。一九三一年の癩予防法制定以前の時点でも同じである(和泉調書一回一二六ないし一三五項)』
どうぞご安心ください。(2.14 12:28)
Ichiroさん、ほら、チャント直っていますでしょう。矢張り、直し損ないだったでしょう。(2.15 01:47)
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Re: 1960年ごろの鹿児島でのハンセン病者 投稿者:北風 投稿日: 2月14日(水)11時53分43秒 引用
> 1960年ごろ、私の故郷である鹿児島の小さい温泉町
この投稿すごく気になっているのですが、すぐにまとまりません。落ち着いてよく考えて書こうと思っています。
栗生楽泉園のある草津の町の例や、僕らの小学校の頃には障害のある子と机を並べて休み時間は一緒に遊んだけれど、今はみんな養護学校に入れることなど断片的に思い浮かべます。
必ず書くと予告編。自分を縛らないと怠けるからね。
(リベル) 北風さん、首を長くして、お待ちしています。tubakiさん、もう少し、お待ちください。(2.14 12:16)
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素早い反応! Re: 訂正について 投稿者:リベル 投稿日: 2月14日(水)11時38分27秒 引用 編集済
> そうでした。早速当該HPへ 訂正すべきであると送信しました。
流石、Ichiroさんですね。
日本らい学会の見解、もうチャント直っていました。感謝、感服、です。見事に「借りを作」ってしまいました・・・(>_<)
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訂正について 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月14日(水)01時56分25秒 引用 編集済
リベル様へ
そうでした。早速当該HPへ 訂正すべきであると送信しました。
ある先生の書かれた内容の間違いを指摘したことがあるのですが、HPの管理人と書かれた人が別人で なかなか通じなくて そのまま というのがありました。指摘のしかたも心したわけですが。
まあ、一番タイヘンなのは当然、厚生労働省が相手の時でした。
外国のHPで 訂正追加してもらったことは あります。
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ハンセン病療養所 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月13日(火)17時25分23秒 引用 編集済
最初、療養所探検という題にしましたが、不穏当と思い訂正しました。
すでに色々の写真集やホームページで紹介されているのであるが.............
療養所を探検するということは、長年の歴史に触れるという側面もある。また各所に記念館とか資料館とか社会交流館ができつつある。 小生は現存する13国立療養所のうち12の療養所を訪れた。(東北新生園はまだである)。
大阪を訪れた際に外島保養院跡地の碑(●大きな川に面している)を捜した。タクシーを使ったが、なかなか見つからなかったが、年をとった町内会長さんを見つけた。そして昭和9年9月20,21日の大水害の思い出話を聞いた。(この大水害で犠牲者が多くでて、療養所はなくなった。日本らい史には患者173名、職員同家族14名の殉難者と書かれている。) そのあと大阪の人権博物館を訪れた。(ハンセン病の資料があった)
探検すべき、お勧めの場所をちょっと書いてみたい。全生園では、武蔵野の雰囲気を残す散歩道、神社(●菊池の恵楓神社に比べて庶民的である)、農園、各県の木が心に残る。菊池恵楓園では長い壁を全周に亙って歩いてみよう;古い方の刑務所などであろうか。トンボの池で、トンボを探す。(コフキヒメイトイトトンボがいる。ちょっと間違ったかな。季節や、時間があわないと見つからない)
宮古南静園ではもちろん、入園者が戦争中隠れたヌスドガマ(正確にはヌスツウガマ)であるが、米軍上陸に備えて掘った機関銃をすえつけた洞窟とか(簡単に入れます)、拝所などもある。拝所は個人的に作ったので今も残っているかどうかあやしい。初期の水利用の場所も海岸に残っている。恐らくここで洗濯をしたのであろう。
あとでいろいろ書いてみたい。
●恵楓神社の写真は「壁をこえて」にある。(2006年)
●ヌスドガマ訪問は「検証会議」にある。(2005年)
●蛇足:大きな川に面した療養所として、外島保養院の外に、カーヴイルの療養所(小生はいったことはない)、バンコックの療養所、長江(揚子江)に面した泰興県療養所、 また川の中州にあるチェンマイのマッキーン療養所がある。外島保養院の悲劇は真に残念であった。
リベル様へ 医学的知見の中で どこからかの引用かどうか わかりませんが、平成7年の日本らい学会のステートメントで 8と9を間違えています。
>いわゆる<壮丁らい>の年次推計は、1987年から1937年にいたるまでに
の最初の年は1897年です。これは訂正できませんかね。
(リベル) おお、確かに間違っています。これは実は駿河療養所のHPに書いてありますので、そちらへ話をすれば修正して頂けるのではないかと思います。これは私の仕事ですが、Ichiroさん、如何ですか、一肌脱いでは頂けませんか?そうして頂けると本当に助かるのですが。借りを作らせて下さいませんか?図々しいお願いで、ご免なさい。
勿論、上手く行かなかったら、私がやりますので・・・。(2.13 23:04)
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一段落。 投稿者:リベル 投稿日: 2月13日(火)03時47分11秒 引用 編集済
「医学的知見の変遷」、一応判決文からの読取りは終了しました。形式の統一などが未だですが。とにかく、堅い文章を自分の言葉にするのに疲れます、これは・・・。
これからの楽しみは、和泉眞蔵氏の「医者の僕が・・・」からの読み込みです。こちらは文章が平易なので、楽しさのみ・・・であることを、期待していますが。和泉氏の闘いの跡をもう一度辿るだけも、しあわせ感を覚えます。
ご批判や、ご意見や、お叱りをお待ちしております。どうぞ「あら探し」をお願い致します・・・m(_ _)m
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最新情報! 投稿者:リベル 投稿日: 2月12日(月)18時08分4秒 引用 編集済
しゅうさんのBBS「東風吹かば」からの転載です。森田隆二さんのBBSにもあります。
『[3135] お知らせ!―星塚敬愛園の赤ちゃんたち 投稿者:やまね 投稿日:2007/02/12(Mon) 17:57
しゅうさん、みなさま、
たった今入った情報では、身元がわかっていない6体については、14日には火葬されないことになったそうです。
中止と書いていいのか、延期と書いていいのか、詳しいことはわかりませんが、午後5時すぎに正式な園内放送があったということです。
とり急ぎ、お知らせいたします。
多くの方たちのお気持ちが届いたことと思います。
皆さま、本当にありがとうございました。』
取り急ぎ・・・。
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tubaki様 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月12日(月)16時22分41秒 引用 編集済
1960年というと昭和35年ですね。これは貴重な事実です。
小生は熊本に住んでいます。本妙寺の周辺にはハンセン病の患者さんが明治4年くらいからおられました。1割?だったかの人が発病されていました。4つの集落がありました。この一帯では ハンセン病患者さんに対する偏見は少なかったといわれます。近くのハンセン病の病院待労病院が戦後火災にあった時は、周辺から たいへん同情を集めました。
少し離れた周辺には偏見の強い人々がおられました。(青松園の近くに住まれていた先生もそのような傾向があるといわれています)
回春病院の周辺の黒髪町は、ハンナリデルが直接病院をひらいたので、偏見が強かったといわれます(黒髪校事件がおきました)しかし通学賛成派、反対派渾然としていて、全員が偏見をもっていたわけではないようです。
鹿児島県のその温泉町のことは貴重な報告と思います。
(リベル) おや?Ichiroさん、「修正」が出来るようにおなりですね。ご努力に脱帽、感服しました。(2.13 00:12)
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1960年ごろの鹿児島でのハンセン病者 投稿者:tubaki 投稿日: 2月12日(月)11時57分31秒 引用
1960年ごろ、私の故郷である鹿児島の小さい温泉町の温泉銭湯で、よくハンセン病の女性が入浴されるのと一緒になりました。もう治っているし、感染しないとの触れが入浴客に行き渡っており、何回か浴室で一緒になりました。しかし、この頃の「らい予防法」に代表されるハンセン病への社会的、公的偏見を思えば、この方がどういう経緯でこのように普通に生活できたのかが、今大きな疑問となってきました。退所して、このように生活されているかたも多かったのかどうかがわかりません。プロミン治療による軽快退所者が1951年に第一号として熊本から出ていることは年表により確かめられますが。しかしこの方も地域に住んだのは、長い年月ではなかったと思います。強制隔離政策の中で、彼女はどのような意志でと思うと、大変気になります。どなたかコメントお願いします。56歳
(リベル) tubakiさん、ご投稿有り難うございました。
黒川温泉の宿泊拒否事件は、2003年でした。1960年頃のお話しとすれば、貴重な事実です。どなたか、情報をお持ちの方は、よろしくお願いします。(2.12 12:38)
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経過報告がありましたので、転載。 投稿者:しゅう 投稿日: 2月12日(月)11時21分17秒 引用
http://www.shuu.org/cgi/bbs/kochi03.cgi?
日付が変わってしまいましたが11日は都内で開かれた2.11東京集会でアピールの時間を取っていただくことができ、3名で出向きました。皆さん真剣に耳を傾けてくださいました。終わって、近くにいた年配の女性に、一番大きい赤ちゃんは身長が49センチ(新生児の標準的な身長は50センチ前後)だと話をしたら、びっくりされていました。
9日には面会にも応じなかった有川園長が、11日は自治会長さんも同席で話は聞いてくれたそうです。けれども、マスコミにももう発表されている、「18体」だと報じられている、などを理由に受け入れられなかったとの知らせを聞きました。
園長と鹿屋、鹿児島の各支援会の代表の方たちとの面談は実現することになったようです。わずかな望みをつなぎます。
身元が判明した赤ちゃんたちについては14日に荼毘にふすにしても、身元が確認できていない子たちを一緒に火葬しなければならない理由はありません。園長の裁量で、暫定的な措置は可能であろうと考えます。
そこで、お願いしている厚生労働大臣への要請に加え、敬愛園・有川園長へも、ぜひ、皆さんの声を届けてください。
有川園長宛ファックスの送り先は、
星塚敬愛園 園長 有川 勲 様
FAX番号:0994−49−2542(敬愛園)
のこり2日間になりました。どうかよろしくお願いいたします。
http://www7.tok2.com/home/infantem/
(リベル) 分かりました。良く分かりました。有川園長にも送りましょう。早速送ります。(2.12 12:02)
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北風さん、ドン・キショットさんへ 投稿者:リベル 投稿日: 2月12日(月)01時43分15秒 引用 編集済
全く仰有るとおりだと思います。
読売新聞の記事の中には、藤本事件の「F」も、冤罪の「エ」も出てきません。報道管制のようなものが有るのかと思わせるほどです。でも毎日新聞は先日の社説で「藤本事件」、「冤罪の可能性」と明確に書いています。
読売新聞のああいう記事を「提灯記事」と言うのでしょう。この記事を書かせたものは何か?と問いたくなります。「正義」も「自由」も、そのカケラも見当たりません。スーパーのチラシと何ら変わりがありません。何も訴えていません。夕焼けさんの、良くお使いになる「言霊」、正しい意味での「言霊」が無い。私が、ここで喚き立てても、何も変わらないでしょうけど。
思えば「江川卓問題」の時、スポーツ部長が、全七段か、全十段を費やして江川擁護論を書きました。私は猛烈なジャイアンツファンだったので、新聞も読売新聞でした。その記事を二度、三度、赤鉛筆まで使って読みました。そして、怒って、読売新聞とジャイアンツファンと、この両方を止めました。
今でも、その決断は正しかったと、再確認しなければならないのは、悲しいですよ、読売新聞さん。
レールを切り替える「ポイント」という装置があります。(映画について触れないといけません。)私はポイントが切り替えられて、違う線路上を機関車が走り出してしまった、と考えています。文化庁(2000万円の助成金を得たと聞いています。間違っていたらご指摘ください)や全療協の了解を取り付けています。たとえその前に身を投げ出しても、列車は止まりません。飛び乗って、運転士に「何故こっちへ来たのか?」「何故そんなにお金を集めなければならないのか?」教えてくれと叫ぶことしか出来ません。
「だから、今、私はそうしている」、と言うのが、正確な、気持ちの伝え方かも知れません。
映画の問題に関連して、最近「自分の場合も、これに近いのかな?」と思いながら読んだ文章を紹介させてください。
『最近つくづく思うことは、最初から自分に近しいもの、全面的に肯定すべきものとして近づいてくるものよりも、敵であると知覚されるもの、強烈な違和感を感じさせるもの、これ、ダメじゃん、と思わせるようなもののほうが、もしその後に共鳴の回路を見いだせるのならば、深いレベルでの自分の糧になることが多い、ということである。』(「やわらか脳」茂木健一郎)
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(無題) 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月11日(日)22時37分44秒 引用 編集済
>無実を訴えながら死刑になったハンセン病元患者をモデルにした映画「新・あつい壁」(中山節夫監督)が、国立のハンセン病療養所・菊池恵楓(けいふう)園(熊本県合志市)などで撮影中だ。
「無実を訴えながら死刑になった」人をモデルにしながら“冤罪”に触れない、というのは「無実」の「訴え」を取り上げないに等しい。それはかつて司法が犯した過ちを問わずにすますことで、真実を覆うことに寄与することにもなりかねないではないか?
真実は追究いたしません、しかし“啓発”はやります、できます――それでいいんでしょうか?
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これは重要! Re: 立ち止まって考える 投稿者:リベル 投稿日: 2月11日(日)12時02分6秒 引用 編集済
>昨日の読売新聞の記事
>今回のモデルになったのは、52年、元村職員殺人で元患者が逮捕された事件。死刑判決に対して支援運動も起きたが、再審が認められないまま62年、刑が執行された。
「死刑判決に対し支援運動が起きた」のか、「冤罪に対し支援(抗議〕行動が起こされたのか」では雲泥の差。
捜査や訴訟指揮が「偏見差別」に満ち、量刑が不当(ひとり殺して死刑は稀)だからハンセン病差別の裁判というのか、藤本さんは「冤罪」であるというところから映画を作るのでは、全く違う。
下手をすると藤本さんは「偏見差別」の犠牲者かもしれないが、犯人であったかもしれないということにされてしまう。
そうなると、藤本さんはかつては「権力による殺人の犠牲者」であり、今度は「啓発運動」の犠牲者になってしまう。
>入所者自治会の工藤昌敏会長も「人権無視で人間らしい扱いを受けなかった裁判。事件のことを広く知ってもらいたいと、映画に全面協力しています」と語る。
本当に上記のようにコメントしたのならやはり「おかしい」といわざるを得ない。かつて菊池の自治会も全患協も明確に「冤罪」を主張した。「冤罪」に触れず、「裁判」だけを問題とする自治会長の発言は映画の製作側の説明に沿うもので、あきらかに当時の自治会、全患協などの主張から「後退」している。
これは、ポイントを厳しく咎めた、重要なご指摘が多く含まれていますね。じっくり考えさせて下さい。また印刷して、早春の畦道を歩きながら、読ませて頂きます。
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菊池恵楓園の面積:縮小 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月11日(日)10時17分22秒 引用 編集済
菊池恵楓園の面積が 縮小されました。
各地のハンセン病療養所の面積は たいへん広い。私は勤務していた時の菊池恵楓園の広さを実感している。そして それは 1単位になっている。現在では 甲子園とか 東京ドームとか 東京駅前(1万坪といっていた)その面積を測る単位(何倍とかいう)であったが、マア そんな感じで恵楓園の面積を受け止めていた。
面積は19万坪であったが 最近18万坪になった。東官舎の土地が更地になり、管理が変わったからである。
菊池恵楓園をメグル一周道路を正確に測ると3.7キロであった。一キロ四方より狭い(1キロ四方だと36万坪)東官舎と元刑務所は一周道路の外側である。
例えば中国の天安門広場は 恵楓園より狭いし、ロマンチック街道(ドイツ)の城壁都市の一つを訪れたときは、なんだ、恵楓園よりは狭いのだなと計算した。
モット広い療養所もある。長島は100万坪だったかな。宮古南静園は5万坪である。恵楓園では広いので事務にお願いして自転車を手に入れてもらった。(いろいろ落ちていたので)園の中にも自転車屋さんがあったが いつの間にかなくなった。
(リベル) なるほど、減った部分が「一万坪」なのだから、これは広大な土地ですね。(2.11 12:32)
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立ち止まって考える 投稿者:北風 投稿日: 2月11日(日)08時59分39秒 引用 編集済
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/cinema/topics/20070210et01.htm
> 今回のモデルになったのは、52年、元村職員殺人で元患者が逮捕された事件。死刑判決に対して支援運動も起きたが、再審が認められないまま62年、刑が執行された。
「死刑判決に対し支援運動が起きた」のか、「冤罪に対し支援(抗議〕行動が起こされたのか」では雲泥の差。
捜査や訴訟指揮が「偏見差別」に満ち、量刑が不当(ひとり殺して死刑は稀)だからハンセン病差別の裁判というのか、藤本さんは「冤罪」であるというところから映画を作るのでは、全く違う。
下手をすると藤本さんは「偏見差別」の犠牲者かもしれないが、犯人であったかもしれないということにされてしまう。
そうなると、藤本さんはかつては「権力による殺人の犠牲者」であり、今度は「啓発運動」の犠牲者になってしまう。
>入所者自治会の工藤昌敏会長も「人権無視で人間らしい扱いを受けなかった裁判。事件のことを広く知ってもらいたいと、映画に全面協力しています」と語る。
本当に上記のようにコメントしたのならやはり「おかしい」といわざるを得ない。かつて菊池の自治会も全患協も明確に「冤罪」を主張した。「冤罪」に触れず、「裁判」だけを問題とする自治会長の発言は映画の製作側の説明に沿うもので、あきらかに当時の自治会、全患協などの主張から「後退」している。
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確信犯 投稿者:リベル 投稿日: 2月11日(日)01時25分39秒 引用 編集済
「ハンセン病の起源と歴史」をチェックしていたら、今度は「Science」誌が「登録」を求めてきました。膨大なアーカイヴなので、これはやむを得ないと思いますが。
が、念のため、と、また例の悪い癖を出しました。登録して、画像も含めて、我が家(ホームページビルダー)に取り込みました。だからいつでも、お読みになれます。お暇な方は、これをどうぞ。
左上方の「Account Information」に、犯人の名前が出ています。この辺が、憎めないところ・・・(>_<)
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お詫び! 投稿者:リベル 投稿日: 2月10日(土)23時45分15秒 引用
「余談:クオリア日記のコメントは、死にませんでした 投稿者:リベル 投稿日: 2月10日(土)17時50分29秒」は削除しました。
「余談」を書いている場合ではないし、タイトルも不謹慎なので。<(_ _)>
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「新・あつい壁」、読売新聞の報道 投稿者:リベル 投稿日: 2月10日(土)18時19分1秒 引用
ご存知かも知れませんが、読売新聞にこういう記事が。
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緊急行動の宛先&要請書サンプル 投稿者:リベル 投稿日: 2月10日(土)12時12分23秒 引用 編集済
北風さん、有り難うございました。心当たりへは、転載させて頂いてきました。(2.10 12:48)
下の投稿から、まとめなおしたものです。
【厚労省関係】
●厚生労働大臣執務室 柳澤 伯夫 様 FAX番号:03−3595−2020
●厚生労働省医政局局長 松谷 有希雄 様 FAX番号:03−3592−0710
●厚労省宛てメール(投稿フォーム):https://www-secure.mhlw.go.jp/getmail/getmail.html
【星塚敬愛園】
●国立ハンセン病療養所星塚敬愛園園長 有川 勲 様 FAX番号:0994−49−2542
要請書 サンプル:下の北風さんご紹介のものと同じものです。念のため。
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緊 急 要 請 書
厚生労働大臣 柳沢伯夫殿
国立療養所星塚敬愛園では突然、数日後の2007(平成19)年2月14日という友引の日に、遺族の承諾もないまま、「胎児等標本」(人工妊娠中絶もしくは自然流産または人工早産などによる胎児・新生児のホルマリン漬け標本)という名称の子ども達の最後の火葬焼却が行われようとしています。
2年前に貴省に報告された「ハンセン病問題に関する検証会議」の最終報告書によれば、「中には新生児に対し療養所職員による刑法上の殺人が行われていたのではないかと考えざるを得ないケースも存在する」との報告がされていますように、合法性はもとより、殺人罪の可能性をも問われています。
現在星塚敬愛園に保管され荼毘にふされようとしている18胎児の中には、いまだにご両親が未確定と考えられる子ども達も存在すると聞き及んでいます。
国家的犯罪と断罪された「らい予防法」とその政策による強制堕胎等の被害の歴史が未だ十分に検証されていないまま、強制堕胎された子ども達が、闇から闇に葬られようとしていることに、許し難い激しい憤りを感じざるをえません。
そのため緊急要請として、いまだご両親が未確定、または肉親による荼毘の承諾がない子どもたちを荼毘にふし火葬焼却することを中止され、真相解明の調査を継続されますよう、強く要請致します。
なお、現在、全国各地に退所し生活している退所者は、現在療養所に入所してられる回復者の約半数の1500人近くに及びます。これら退所者のうち、子どもが「胎児等標本」にされていた時期に療養所に入所されていた方々の安否は知るよしもありませんが、厚生労働省の疾病対策課等が掌握中の資料等によるご両親捜しは行われたのでしょうか。火葬焼却される前にお一人でも多くのご両親ご親族を探され承諾を得ることを合わせて要請致します。
緊急を要する事態でありますので、すみやかなるご対処をお願い致します。
何卒、対応可否のご回答を頂きたく伏してお願い致します。
2007年2月○○日
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転載 投稿者:リベル 投稿日: 2月10日(土)11時57分33秒 引用 編集済
緊急のお願い 投稿者:朝潮太郎 投稿日: 2月10日(土)02時14分41秒
ルリカケス様
星塚敬愛園の赤ちゃんたちの標本が、急遽、来週14日(水)に荼毘にふされてしまうことになりました。年度末と言われていたのに、たいへんショックです。突然のことで星塚の皆さんも混乱されているようです。
14日はいわゆる「友引」の日。一般には葬儀をしない、火葬場はお休みの日です。その日にいっぺんに「焼却処分」をしてしまおうというのでしょうか。横暴な進め方に怒りがこみあげてきます。
療養所に残された赤ちゃんたちの標本はこれで最後です。敬愛園には、まだ身元がわかっていない赤ちゃんたちと、ご自分たちのお子さんを探しておられるご家族がいます。厚労省内も含めた諸資料との照合など、あらゆる方法に手を尽くしたのか、納得できないままです。
なんとかして、まだ身元が判明していない赤ちゃんたちだけでも、待ってもらうことができないものでしょうか。
13日(火)午後には鹿児島の支援の方たちも集まって緊急の抗議集会が行われると聞いています。
私たちは有志で厚労大臣宛てに緊急の要請書を作成し、ファックスで送信しました。
大臣に対応してもらうには、もう連休明けのたった1日しか猶予がありません。これをご覧になっている方々もどうか下の要請文を参考に、この連休中、厚労大臣宛に声を集中させてください。
ご協力、よろしくお願いします。
<<転載歓迎>>
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緊 急 要 請 書 ★以下は、北風さんご紹介のものと同文なので省略します
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(無題) 投稿者:北風 投稿日: 2月10日(土)11時38分17秒 引用
キリスト者女性のネットワーク 情報No.78
■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「すべての暴力を克服する10年」関連
■■■■■■■■■■■■■■■■■■
―――緊急―――
★ 胎児標本一斉火葬・埋葬に関して、
キリスト者女性ネット緊急お願い
昨年、全国のハンセン病療養所に残されている胎児標本
を一斉火葬・埋葬しようとすることに対して多くの市民
の抗議がなされ、一斉火葬は止めることができました。
厚生労働省から大臣ないしは担当者が療養所を訪問して
、「胎児標本が永年にわたって放置されていたこと」へ
の謝罪がなされました。しかし、堕胎が強制されたこと
、中には生きて生まれているのに殺されたと証言する女
性達がいることについては、黙したままです。
この度、最後まで火葬されないでいた鹿児島県鹿屋市の
「国立ハンセン病療養所 星塚敬愛園」に保存されてい
る胎児標本18体が火葬されることになったとの情報が
入りました。この胎児達のうち6体は身元が判明してい
ません。そして4人家族が「堕胎あるいは殺された」自
分の赤ちゃんを探しています。
この6体について詳細な鑑定もしないまま、火葬・埋葬
してしまうことに反対、抗議をお願い致します。「身元
の分からない6体についての火葬・埋葬をやめてほしい」
旨、それぞれの言葉で発信してくださるようお願いしま
す。
火葬が予定されているのは14日朝8時だとの情報を得
ています。大変急を要しますので一人でも多くのご協力
をお願い致します。
NCC女性委員会
FAX送り先:
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
国立ハンセン病療養所 星塚敬愛園
園長 有川 勲 様
0994−49−2542
==================
厚生労働省医政局
局長 松谷 有希雄 様
03−3592−0710
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
=========================
東京都新宿区西早稲田2−3−18−24
NCC女性委員会
TEL03-3203-0372
FAX03-3204-9495
Email ncc-j@jca.apc.org
--------------------------------------------------------------------------------
Re: 転載 投稿者:北風 投稿日: 2月10日(土)11時35分25秒 引用
> [3125] 緊急のお願い 投稿者:やまね 投稿日:2007/02/10(Sat) 10:05
>
>
> ○○さん、こんにちは。
>
> 星塚敬愛園で最後に残っていた「胎児等標本」が、来週14日(水)に急きょ荼毘にふされることになりました。
>
> 私たちは有志で緊急の要請書を柳沢厚生労働大臣宛てにファックスを送信し、緊急の対応を求めています。まだ身元が判明していない赤ちゃんたちも含まれており、その子たちだけでも、何とか、火葬(焼却)を中止できないものでしょうか。残された時間はわずかしかありません。どうかみなさまも、下記の緊急要請書をお読みの上、大至急、それぞれの声を届けていただければと思います。
>
> -----------------------------------------------
>
> 緊 急 要 請 書
>
>
> 厚生労働大臣 柳沢伯夫殿
>
>
> 国立療養所星塚敬愛園では突然、数日後の2007(平成19)年2月14日という友引の日に、遺族の承諾もないまま、「胎児等標本」(人工妊娠中絶もしくは自然流産または人工早産などによる胎児・新生児のホルマリン漬け標本)という名称の子ども達の最後の火葬焼却が行われようとしています。
>
> 2年前に貴省に報告された「ハンセン病問題に関する検証会議」の最終報告書によれば、「中には新生児に対し療養所職員による刑法上の殺人が行われていたのではないかと考えざるを得ないケースも存在する」との報告がされていますように、合法性はもとより、殺人罪の可能性をも問われています。
> 現在星塚敬愛園に保管され荼毘にふされようとしている18胎児の中には、いまだにご両親が未確定と考えられる子ども達も存在すると聞き及んでいます。
>
> 国家的犯罪と断罪された「らい予防法」とその政策による強制堕胎等の被害の歴史が未だ十分に検証されていないまま、強制堕胎された子ども達が、闇から闇に葬られようとしていることに、許し難い激しい憤りを感じざるをえません。
>
> そのため緊急要請として、いまだご両親が未確定、または肉親による荼毘の承諾がない子どもたちを荼毘にふし火葬焼却することを中止され、真相解明の調査を継続されますよう、強く要請致します。
>
>
> なお、現在、全国各地に退所し生活している退所者は、現在療養所に入所してられる回復者の約半数の1500人近くに及びます。これら退所者のうち、子どもが「胎児等標本」にされていた時期に療養所に入所されていた方々の安否は知るよしもありませんが、厚生労働省の疾病対策課等が掌握中の資料等によるご両親捜しは行われたのでしょうか。火葬焼却される前にお一人でも多くのご両親ご親族を探され承諾を得ることを合わせて要請致します。
> 緊急を要する事態でありますので、すみやかなるご対処をお願い致します。
>
> 何卒、対応可否のご回答を頂きたく伏してお願い致します。
>
>
>
> -----------------------------------------------
> 大臣執務室 FAX番号:03−3595−2020
> ===============================================
>
> 厚労省宛てメールは
> https://www-secure.mhlw.go.jp/getmail/getmail.html
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ゼローム神父 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月10日(土)10時52分0秒 引用 編集済
「奄美の使徒ゼローム神父記念誌」
編集委員の方よりいただきました。ありがとうございます。写真がたくさん含まれた大きな本です。ハンセン病の歴史にも関係すると思い アップします。
昭和29年11月 ハンセン氏病未感染児収容所「こどもの家」創設
(子どもを抱いた7人のシスターの写真あり)
昭和34年 「名瀬天使園」と改名
(写真あり)
(ほかに14名の乳幼児と少年、少女、神父さん、シスターたちのカラー写真あり)
奄美福祉の父 ゼローム神父 (大茂卓郎さん)
前略 「あなた方は子どもたちをおろしてはいけません。皆にたいする責任は私達がもちます。」カナダ出身の管区長より、手紙が届いた。そしてフランスの総長より手紙が届いた。そしてシスター達がこられ全責任を引き受けた。これが天使園の開園です。
昭和62年 第38回南日本文化賞 受賞 (ハンセン病未感染児の養育事業にたいして)
平成元年 南海文化賞 南海新聞社
私とゼローム神父さま (嘉元 伸一さん)
らい予防法が廃止された年、奄美和光園で感謝のミサがあった。「全国のハンセン病療養所のなかで唯一ここだけ子どもが授かり、孫までいる。神父さんありがとう」と言ってくれて、そのことを口にされ、(神父さんは)タイヘン嬉しそうにしておられた。
ゼローム神父は大正11年(1922年)アメリカのコネチカット州ニューへブンで生まれ、昭和27年奄美にこられ、平成15年(2003年)3月19日昇天された。享年80歳。1992年名瀬市名誉市民。(10人目)
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転載 投稿者:北風 投稿日: 2月10日(土)10時19分14秒 引用
[3125] 緊急のお願い 投稿者:やまね 投稿日:2007/02/10(Sat) 10:05
○○さん、こんにちは。
星塚敬愛園で最後に残っていた「胎児等標本」が、来週14日(水)に急きょ荼毘にふされることになりました。
私たちは有志で緊急の要請書を柳沢厚生労働大臣宛てにファックスを送信し、緊急の対応を求めています。まだ身元が判明していない赤ちゃんたちも含まれており、その子たちだけでも、何とか、火葬(焼却)を中止できないものでしょうか。残された時間はわずかしかありません。どうかみなさまも、下記の緊急要請書をお読みの上、大至急、それぞれの声を届けていただければと思います。
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緊 急 要 請 書
厚生労働大臣 柳沢伯夫殿
国立療養所星塚敬愛園では突然、数日後の2007(平成19)年2月14日という友引の日に、遺族の承諾もないまま、「胎児等標本」(人工妊娠中絶もしくは自然流産または人工早産などによる胎児・新生児のホルマリン漬け標本)という名称の子ども達の最後の火葬焼却が行われようとしています。
2年前に貴省に報告された「ハンセン病問題に関する検証会議」の最終報告書によれば、「中には新生児に対し療養所職員による刑法上の殺人が行われていたのではないかと考えざるを得ないケースも存在する」との報告がされていますように、合法性はもとより、殺人罪の可能性をも問われています。
現在星塚敬愛園に保管され荼毘にふされようとしている18胎児の中には、いまだにご両親が未確定と考えられる子ども達も存在すると聞き及んでいます。
国家的犯罪と断罪された「らい予防法」とその政策による強制堕胎等の被害の歴史が未だ十分に検証されていないまま、強制堕胎された子ども達が、闇から闇に葬られようとしていることに、許し難い激しい憤りを感じざるをえません。
そのため緊急要請として、いまだご両親が未確定、または肉親による荼毘の承諾がない子どもたちを荼毘にふし火葬焼却することを中止され、真相解明の調査を継続されますよう、強く要請致します。
なお、現在、全国各地に退所し生活している退所者は、現在療養所に入所してられる回復者の約半数の1500人近くに及びます。これら退所者のうち、子どもが「胎児等標本」にされていた時期に療養所に入所されていた方々の安否は知るよしもありませんが、厚生労働省の疾病対策課等が掌握中の資料等によるご両親捜しは行われたのでしょうか。火葬焼却される前にお一人でも多くのご両親ご親族を探され承諾を得ることを合わせて要請致します。
緊急を要する事態でありますので、すみやかなるご対処をお願い致します。
何卒、対応可否のご回答を頂きたく伏してお願い致します。
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大臣執務室 FAX番号:03−3595−2020
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厚労省宛てメールは
https://www-secure.mhlw.go.jp/getmail/getmail.html
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余談:エジソンの言う天才 投稿者:リベル 投稿日: 2月10日(土)01時30分35秒 引用 編集済
茂木健一郎さんの「クオリア日記」(2004年12月21日―いまこれは「やわらか脳」という本になって徳間書房から出ています)にこう書いてあります。
『エジソンの、Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration
(天才とは、1%のインスピレーションと99%の努力である)という有名な言葉の意味が
従来よりはっきり判った。
ひらめきは一瞬で来る。しかし、そのひらめきを実際に形にして、人々の間で流通するようなものに仕上げるには、長い時間と地道な作業の積み重ねが必要となる。
それが、99%の努力となる。』
私は、えぇっ!と思いました。私はエジソンのこの言葉は「99%の努力の積み重ねが有って、初めて1%の閃きに恵まれる」という意味に解釈していました。例えば湯川秀樹の中間子理論の発想、絵画や音楽のような芸術作品の誕生、などはそうなのだろうと。
しかし、茂木さんに言わせれば、「クオリア」が先ず閃いた。しかし、それを今のように認知して貰うのは、容易でなかった。99%の汗をかいた、ということなのかも知れません。ダーウィンの例を引いて居られます。
両方言える、としますか?
いや、私は、茂木さんが勘違いをなさっていると思います。茂木さんの「クオリア」の閃きは、無から生じたものではない。ダーウィンの閃きも然り。そこに至るまでの、地道な長い努力の下地があって、初めて、素晴らしい閃きが生まれたのだ。そう思います。
真相は、茂木さんはそれを100も承知していて、逆説的に言い換えられたのかも知れない。茂木さんの「謙虚さ」のなさしめたこと、なのだろうと・・・さあ・・・?
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(無題) 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月 9日(金)15時34分25秒 引用 編集済
見せかけの優しさで
汝(な)を縊り殺そうとするものを
拒め
律法従うに足らざれば
順わぬ者たれ
拙歌。四句めの「律法」を「司法」と言い換えました。
“確信犯”的行為主体であるリベルさんに頂いていただけて、光栄です。
(チャンチャン!)
(リベル) な、な、なんと!拙歌とは・・・!
エミさんは、詩人でいらっしゃいましたか?お医者さんかと思わせるかと思えば・・・。恰も牛若丸ですね。わたしゃ、恰も弁慶の如く、右往左往で御座います・・・。(2.9 17:37)
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ロードマップ委員会(加筆、再掲載) 投稿者:ルリカケス 投稿日: 2月 9日(金)14時30分17秒 引用
リベル様へ
こんにちは、ルリカケスです。早速拝見致しました。小林弁のロードマップ委員会の説明生きてきましたし、重みが出で来ましたですね。さすがお御所ですね。
さて他でもないですが「ハンセン病対策基本法」自体が詳しく書かれていますか?未だ各支部等でも、議論の段階と思います。それに私自信が未だ詳しく把握いたしておりません。
リベル様このHPにて、何処に詳しく書かれていますか?教えて下さい。今日仕事休みでHPを観ています。宜しくお願い申し上げます。
(リベル) 今現在、私は具体的なことは何も承知していません。「ハンセン病問題を考える」のページで「ハンセン病首都圏市民の会」のHPから転載したものの範囲しか知りません。これを機会に、勉強してみます。有り難うございました。(2.9 15:20)
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(無題) 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月 9日(金)14時11分35秒 引用
> 『どうもわが国民の気風は、国家が無罪と判決しないうちは無罪と認めない体制順応の傾向が強い。しかし無罪判決がマスコミではなばなしく報道される裏には、無罪判決のない無罪が、夜空の星の数よりも多いことを知らなければならない。これがほんとうの冤罪である。今後はそういうものの発掘にこそ努力しなければならない。そして体制側の刑事訴訟手続きでは、どうしようもないものは、私たちによって、人民の名において無罪の判決をすることになるであろう。それはあるいはすでに刑が終ったのちの裁判になるかもしれないが、そういうものであっても、現在の裁判をただすためには、決して無意義ではないとおもう。』(森長英三郎「冤罪の証明」・旺文社文庫・解説から)
・・・・・・・・・・
“有る”ことの証明に比べ、“無い”ことの証明は非常に困難であるといわれる。
司法によって一旦“有罪”の烙印を押されてしまったものについては、その“有罪”判定が過誤である可能性が全く無でない限り、再び司法手続きをもって“無罪”が証明される可能性がある。そして、司法の“有罪”判定が過誤であった場合には、その過ちは正されなければならない。
藤本さんの場合は、再審請求中であるにも拘らず刑が執行された。このことひとつをとってみても、司法は過ちを犯しているといわざるをえない。もし司法のこのような過ちを正そうとする志を放棄するのであれば、わたしたちの誰もが、“無い”ことを証明できない場合にはいつでも司法による不当な裁きを執行される可能性があるということを自ら受け入れることになるではないか。もし、わたしたちがある人の「無罪判決のない無罪」を信じるなら、たとえ司法の場での“無罪”証明はできずとも、わたしたちひとりひとりの良心に照らしていまだ証明されずにいる“無罪の判定”をすべきであろう。
司法従うに足らざれば 順(まつろ)わぬ者たれ
(リベル) >司法従うに足らざれば 順(まつろ)わぬ者たれ
これは、頂きます。私の「著作権法」も、この伝です。
ところで、この言葉は、どなたのものでしょうか?ソクラテスの逆ですね。お教えください。宜しくお願いします・・・m(_ _)m (2.9 15:08)
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控訴断念の時の坂口さん 投稿者:リベル 投稿日: 2月 9日(金)13時55分34秒 引用 編集済
公明党のHPに有ったので、拾ってきて、保存しました。「確信犯」・・・(笑)
また、真っ昼間から泣かされました・・・(涙)
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ロードマップ委員会(加筆、再掲載) 投稿者:リベル 投稿日: 2月 9日(金)12時52分14秒 引用 編集済
西日本弁護団のメールニュースに「ロードマップ委員会を傍聴しましょう」という小林弁護士の一文があることを、「森山一隆氏のBBS」で見付けて、小林氏の許可を得て「ハンセン病問題を考える」に、掲載しました。目次の下から二番目です。
「ロードマップ委員会」は小林弁護士の仰有るとおり、余程真剣にウォッチングしていないと、厚労省が「委員会」の存在自身を有耶無耶にし、抹殺してしまう危険性が大です。
考えてみると、今紹介した「ハンセン病問題を考える」だけでなく、現在取り組んでいる「医学的知見の変遷」にしても、厚労省との「闘いの歴史」です。そう思って振り返ると、これまで作ってきた年表の殆ど全てが「厚労省(内務省・厚生省)との闘いの歴史」なのです。事あるたびに、障害物として立ち塞がってくるのが、厚労省なのです。なにゆえか。公務員・公僕が、何故、国民の利益を最優先にしなかったのか、しないのか、出来ないのか!
お目触りを覚悟しつつ、列挙したくなりました。
「略年表」
「病名の変遷」
「主な法律の変遷」
「国賠訴訟関連年表」
「統一交渉団の歩み」
「検証会議関連年表」
「年表 日本のハンセン病」
「ハンセン病問題を考える」(年表とは言えないかも知れませんが)
私の作った(除く「宿泊拒否問題関連年表」、「藤本事件関連年表」)全ての年表が「厚労省との闘いの歴史」であることに気付いて、唖然とします。どの国の、どんな年表も、このように「官権」との闘いの年表なのでしょうか?
日本の厚労省の、ハンセン病に関する対応が、如何に非道なものであったか?、そしていまなお非道なものであるか? 怒りを禁じ得ないのです。
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医学教育を受けた最初の女医 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 9日(金)05時44分42秒 引用 編集済
忘れないうちに 書きます。
熊本のハンナ・リデルに関して Lady Julia Boyd がいい本を書かれてから10年以上経ちます。小生は少々加勢したので、たまたま昨年英国にいったので、会いたいと連絡しました。丁度ご主人が大学を辞めたり、大英博物館のチェアマンを辞められた時期にあたり、住居などの関係で会えず、その代わり携帯で何回か電話しました。
その時に判ったのですが、いい本を書かれていました。世界最初の女医の本です。
http://bakercenter.utk.edu/Ladyboydflyer.pdf
Lady Julia Boydは 相変わらずご活発ですね。ドライバーは女史の方が多く、ドライブ中ではご主人がでられて恐縮しました。(Sir Boyd ケンブリッヂのどこかの学長、大英博物館のチェアマン、10年以上前の駐日英国大使)朝出勤前に女史に電話して比較的長く携帯で電話できました。もう、住居がきまり、会えるとは思いますが。
ハンセン病に関していい本を書かれた方が 世界最初の女医について 本を書かれたということで ハンセン病に関係があるという話は微妙ですね。怒られそうです。
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余談:福音 投稿者:リベル 投稿日: 2月 9日(金)03時08分16秒 引用
茂木健一郎さんが、経営学者の野中郁次郎氏(著書が全米出版協会「ベストブック・オブ・ザ・イヤー」を受賞)の主催する研究会で話を聞いたときのことを、書いています。
『野中さんは学童疎開で沼津に行って、そこでB29が駿河湾から富士山に向かってまっすぐ飛んでいくのを見ていたそうだ。
「それでね、途中で右折するんですよ」
と野中さんが言われた時、「右折」という言葉に物凄いリアリティがあって、戦慄が走った。
「沼津の途中で機銃掃射してね、逃げながら見上げると、パイロットが笑っていてね、クソ、と思いましたよ。あれが私の人生の原点ですね。アメリカめ、今に見ていろ、と思いましたよ。それがアメリカに実際に留学したら、コロリと好きになってしまって」
部屋の中を魂がよぎっていく気配がした。
その瞬間の空気の変容を、私は、野中さんが与えてくれた福音であるように感じた。』
私は、この最後の2行を何度も読み返しました。「福音」って知っている以外の意味が何かあるのかな、と辞書を引こうかと思いましたが、止めました。立ち上がると何か今掴んだとても大事なものが、逃げていくような気がして。それよりも、今何を掴んだのか、良く確かめなければ。分からないので。
(リベル) 分かりました。茂木さんの持ち合わせている「感性」です。
魂がよぎっていく気配を感じる「感性」、福音であるように感じる「感性」です。
これが私には乏しい。無くはないから、余計気になる。口惜しい。私があの場にいても、同じことを感じたか?否です。そういう「感性」をどうやって磨いたのか茂木さんは?今から、私でも磨けるようなものなのか?これがとても大事なものの正体でした。へへ、もう遅いよ、と言う声が聞こえてきます。クソ、と思わなければ・・・。(2.9 03:29)
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ロードマップ委員会 投稿者:リベル 投稿日: 2月 9日(金)01時03分56秒 引用 編集済
西日本弁護団のメールニュースに「ロードマップ委員会を傍聴しましょう」という小林弁護士の一文があることを、「森山一隆氏のBBS」で見付けて、小林氏の許可を得て「ハンセン病問題を考える」に、掲載しました。目次の下から二番目です。
「ロードマップ委員会」は小林弁護士の仰有るとおり、余程真剣にウォッチングしていないと、厚労省が「委員会」の存在自身を有耶無耶に消し去ってしまう危険性が大です。
考えてみると、今紹介した「ハンセン病問題を考える」だけでなく、現在取り組んでいる「医学的知見の変遷」にしても、厚労省との「闘いの歴史」です。そう思って振り返ると、これまで作ってきた年表の殆ど全てが「厚労省(内務省・厚生省)との闘いの歴史」なのです。
お目触りを覚悟しつつ、列挙したくなりました。
「略年表」
「病名の変遷」
「主な法律の変遷」
「国賠訴訟関連年表」
「統一交渉団の歩み」
「検証会議関連年表」
「年表 日本のハンセン病」
ここに挙げなかった「宿泊拒否問題関連年表」と「藤本事件関連年表」以外の全てが「厚労省との闘いの歴史」であることに気付いて、唖然とします。どの国の、どんな年表も、このように「官権」との闘いの年表なのでしょうか?
日本の厚労省の、ハンセン病に関する対応が、如何に非道いものであったか?、そしていまなお非道いものであるか? 怒りを禁じ得ないのです。
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コスモスの花陰で(2) 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 8日(木)21時19分45秒 引用
コスモスの花陰で(2)
横川 つる (光明園)
井上 テイ (敬愛園)
小川 正子 (愛生園)
林 富美子 (全生園、愛生園、青松園、復生病院)(林文雄の妻)
名和 千嘉 (愛生園、宮古南静園で診療援助)
渡邊芳子 (全生園)
高橋竹代 (大島療養所、北部保養院)
松田さだ (東北新生園)
高野桑子(島野)(栗生楽泉園)
竹下 芳 (敬愛園、楽泉園)(光田健輔の長女)
川原 ユキエ (待労病院長)
永井 深 (待労病院長代理)
岡村和子 (全生園、復生園)
榎本てい (敬愛園)
板倉和子 (待労病院長)
横田百合子 (愛生園、新生園、小鹿島病院)(林文雄の妹、光田健輔三男横田篤三と結婚)
田 豊子 (敬愛園、小鹿島病院、新生園)
神谷 美恵子 (愛生園)
嶋崎紀代子 (韓国定着村)
松本淑子 (青松園)
安藤 智恵子 (光明園)
湯川 智 (復生病院長)
鈴木道子 (新生園)
小原安喜子(おばら先生●千葉大昭和39年卒 大島青松園、光明園、韓国などで働く、韓国医師免許もおもちであった。宮古の学会の時は園で宿泊された)
光田健輔は仕事上にも縁戚関係を作っている。なかなか仕事に入ることが難しい時代であった。蛇足であるが、小生の経験でも、以前は ハンセン病療養所では職員がなかなか集まらず(スチグマのせいもあろうが)、職員の縁戚などをたくさん採用することになった。そういう理由で、その関係も把握しなくてはならない。
昔は、女性はあまり医学部に行くことが少なかった。それで東京女子医大出身の女医の先生の比率が多かったのであろう。現在は仕事の上では、医師の出身大学などは、あまり問題にしない。ほかに、小生が知っている女医先生は熊本大学、琉球大学出身である。あと何人か知っているがどこ出身か知らない。
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コスモスの花陰で(1) 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 8日(木)21時15分45秒 引用
コスモスの花陰で(1)
「らい医療にたずさわった女医達の記録」 東京女子医大皮膚科学教室 (教授 肥田野 信) (ここの卒業生(前身を含む)のみの女医です、最後に例外あり) 関連の文章などあり、すばらしい本です。らい学会記念平成2年発行。なかなかいい資料である。
●ご本人の手記、林富美子先生などの文章、過去に出版された文章、手記などによりなる。名前の表現が一定しない。例えば最初の場合、服部ケサ、服部けさ子、服部袈裟子などある。園の名前も書かれたママにした。
●11の文献を挙げてある。その一つは「らい園と女医列伝」桜井方策著(昭和29年)である。
●波乱万丈の人生を送られたかたもおられる。服部ケサ先生、田中逸野先生、松田なみ先生などである。
●名前と関係療養所などを挙げる。
服部ケサ (明治38年東京女医学校入学。全生病院、草津バルバナ医院開業)
田中逸野(潮崎)(韓国定着村、愛生園など)
西原ツボミ (全生園、大正14年)
(国立らい療養所最初の女医とあるが、服部ケサ全生病院 大正6年、大政みよし 大正13年より後である)
大政みよし (外島保養院)
三宅美登 (大島青松園、敬愛園)
梅川ちよの (光明園、松ヶ丘保養院)
芝 八重子 (光明園)(賀川豊彦が義兄)
五十嵐まさ (全生病院)
松田 なみ (九州療養所、愛楽園、敬愛園、愛楽園)
波乱万丈の生涯である。九州療養所へは昭和10年、当時のことも書かれている。医務課長(副園長)は内田守氏であった。昭和13年乞われて国頭愛楽園へ、宮崎園長の許可なく、辞表を提出したという。愛楽園では、地上戦ともなった凄惨な戦いの中で過ごした。医局長であったという。「医局看護科には男性が3名いたが、応召、戦死された。(介護員のことと思われる)三上婦長を中心に7人の白衣群はまるで戦場における七人の武士のように勇敢に最後まで踏みとどまって職務を遂行した。」敬愛園には昭和21年、また愛楽園には昭和41年に転勤。
続く
●閑話休題:女医の問題です。
世界で始めて医学教育を受けた女医は誰でしょう?
ヒント:ハンセン病に関係があるかどうか 微妙な問題です。
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医師の評価 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 8日(木)17時45分16秒 引用
医師の評価
森鴎外は 医師としては 森林太郎である。陸軍軍医である。
彼の医師としての業績は惨憺たるものである。それこそ帝国を累卵の危うきに陥れた。彼一人ではないが、彼はその首魁といえよう。
ご存知の通り、脚気の問題である。彼は陸軍である。
海軍には高木兼寛がいた。こちらは麦飯で脚気は殆ど0にまで抑えた。日清戦争の時、陸軍は白米を使い、陸軍兵士、17万名、戦死者 453名、脚気患者 41,421名、死亡4,064名。
海軍では少数の脚気患者が出て、死亡者は3名であった。
明治天皇自ら脚気になり、海軍の説を重んじた。
海軍の学者も負けてはいなかったが、すべて出世を妨げられた。
森鴎外は出世した。
ということである。森鴎外の文名は矍鑠たるものである。軍医として出世もした。
責任問題は起こらなかったのであろうか。少々割り切れない。
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待老ですと!!Re: 先生は結構肝心なところで誤字がおおい(笑)Re: 女医たち:失礼! 投稿者:リベル 投稿日: 2月 8日(木)12時15分24秒 引用
> > 板倉和子院長を忘れていました。琵琶崎待老病院院長です。
>
> 待労。待老だと、リベルさんが反応しそうでしゃれにならない(笑)。
「待老」ですと!!そうではありません。
「既老」、「既老」ですよもはや・・・。昨今の私をご覧頂けば、火を見るより明らかでしょう・・・(笑)
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失礼しました 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 8日(木)11時56分7秒 引用
いつも間違わないように注意しているのですが、そのまま入力する時に間違ってしまいました。板倉先生はよく知っているので 益々 赤面です。
失礼しました。
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先生は結構肝心なところで誤字がおおい(笑)Re: 女医たち:失礼! 投稿者:北風 投稿日: 2月 8日(木)09時20分33秒 引用
> 板倉和子院長を忘れていました。琵琶崎待老病院院長です。
待労。待老だと、リベルさんが反応しそうでしゃれにならない(笑)。
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女医たち:失礼! 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 8日(木)09時00分20秒 引用
失礼しました。
板倉和子院長を忘れていました。琵琶崎待老病院院長です。タイヘン失礼をしました。
コスモスの花陰で らい医療にたずさわった女医達の記録
が見つかりましたので、一覧表などアップしようと思います。
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「とつぼ住宅運動」については・・・ 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 8日(木)07時48分30秒 引用
私は多義的な考察が求められていると思っています・・・
リベルさんが敬意を表していると思えるお方の、まずは論考です!
http://homepage3.nifty.com/akito/news885-1.htm
続いて、
http://ww32.tiki.ne.jp/~jitikai/totubojyuutaku.htm
この文章の中に僅かですが重い言葉が告げられています・・・「恩賜記念館の背後は断崖で海に面しており,自殺の名所とも言われ,投身自殺をされる方が多々いました。長島愛生園では他園と比較すると自殺をされた方が多いそうです。また,戦中戦後の死・・・・・・
http://www.h4.dion.ne.jp/~t-fujita/data/b-h/h-h/b-aiseien-g-nagasima.html
リベルさん、私は現在に於いては、「誘導からの 煽動 がとても容易ならざるが如し」と、思っているのです。私も多種多様な情報からの考える行為が成されていなければ、悲しいかな「映画制作推進者」と、なっていただろう、マスコミの映画制作に関する情報からだけでは・・・、そして、志村さんと出会っていなければ・・・!?・・・そう思うのです。
(リベル) 申し訳ありません。私は、72歳の、クタバリカケです。仰有ることが、理解できません。どうかもう、見放して下さい。こんな馬鹿に百万言を費やしても、どうしようもないと・・・。お願いします。夕焼けさんの素晴らしい熱意とエネルギーを、もっと有用な方向にお使いください。本当に、ご免なさい。努力したのですが・・・(涙)(2.8 23:46)
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余談:反省 投稿者:リベル 投稿日: 2月 8日(木)02時54分1秒 引用 編集済
今年に入ってからか、殆ど毎日、何か反省をしている私ですが、もう一つ反省を・・・。
先頃から、2度取り上げた千住博さんの「ルノワールは無邪気に微笑む」を今日読み終わりました。ましたのですが、どうも参りました。先日「決してお薦めはしません」と書いた、その舌の根も乾かぬ内に、またや前言取り消しをしなければなりません。
どうも金持ちのボンボン育ちで、挙げ句の果てに「芸術は平和創造のプロセス、ピースメーキングプロセスだ」と宣うに及んでは、匙を投げかけていたのですが、やはり「人の話は最後まで聞け」でした。最後の章の8頁だけで、ノックアウトを喰らいました。
水が入りすぎて、崩壊寸前のダム状態だった私が、この最終章のワンパンチで、一挙に崩壊してしまったようなものです。この本の題名の意味が一挙に理解できて、何と、やはり「芸術はピースメーキングプロセス」なのかも知れないなどと・・・教祖性があります、この人、千住(?)観音さん・・・。
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お前もか・・・ 投稿者:リベル 投稿日: 2月 8日(木)01時38分46秒 引用 編集済
下の記事の冒頭の、「ひとすじの光へ続く道のはじまりは、九州弁護士会連合会に届いた一通の手紙」というのは、故島比呂志氏の手紙のことです。
1990年6月、星塚敬愛園の故島比呂志氏はエイズ裁判原告赤瀬範保から「癩患者はなぜ怒らないのか?」という手紙を受け取りました。そして1995年7月、島氏は「患者の権利法をつくる会」事務局長池永満弁護士に手紙を書きました。これが国賠訴訟のキッカケとなったというのは、有名な話です。
この経緯について、島氏自身がお書きになった「やっと燃えた怒りの火―ハンセン病訴訟・告訴宣言」という歴史的一文が「けんりほうnews」82号に出ていました。いました、なのです。それは消えるまい、と信じていた私がバカでした、とどこかの歌謡曲かメロドラマみたいなことを口走らざるを得ません。「けんりほうnews」よ、お前もか!です。
どなたか、これを入手する方法を、ご存じないでしょうか?お助けください・・・m(_ _)m
(リベル) URL変更でした。ホッ!
これが故 島氏の文章です。
矢張り、認知症が進んでいました。心配して、既に取り込んでいたのです。このページの下の方です。嗚呼!!!(2.8 02:23)
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朝日新聞の「人脈記」 投稿者:リベル 投稿日: 2月 8日(木)01時14分25秒 引用
昨日の夕刊か、今日の朝刊の筈です。当地宝塚では今日でした。「弁護士の魂」No.11。
「徳田は、だれもいない会議室で机に突っ伏して泣いていた。」に、思わず涙でした。
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名和千嘉さん 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 7日(水)16時16分25秒 引用 編集済
北風様
文献ありがとうございます。たくさんミスしています。読んでみたいですね。
名和千嘉さんはどういう感じの方でしょうか。名嘉千嘉さんは 宮古南静園に診療援助にこられ、学童検診もされ、とくに某島における検診をされました。
宮古島のハンセン病覚書 日本ハンセン病学会雑誌 72,3-9,2003
昭和43年5月のことです。
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名和千嘉さんには会ったことがある。 投稿者:北風 投稿日: 2月 7日(水)14時20分36秒 引用
分類 0800 VIII 人物 No.93
種別 掲載
題名 癩園と女医列伝
原著者 桜井 方策
訳者
掲載誌 愛生第8巻第12号
発行 昭和29年12月1日(1954年)
発行所 長島愛生園慰安会
所蔵者 愛生図書館
内容抄録 服部けさ子、小川正子、田中いつの、西原つぼみ、高橋竹代、林富美子、五十嵐まさ、永井よし子、松田なみ、前田てい、榎本てい、梅川千代の、松田さた、名和千嘉
抄録執筆者 井上
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療養所を支えた女医たち 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 7日(水)12時31分13秒 引用 編集済
療養所を支えた女医たち
福西征子園長、杉山和子副園長、野上玲子副園長、並里まさ子副園長、服部けさ先生、小川正子先生、神谷美恵子先生、小原安喜子先生など療養所を支えた女医は多い。また、男性医師が出征した後の仕事を任せられたこともあろう。
(名前を挙げるべきで挙げていない人が多いと思います。御免なさい)
平成2年、東京女子医大の肥田野信(あきら)教授が主催されて、第63回日本らい学会が開催された。その時の出席者へのお土産は 東京女子医大出身の女医でハンセン病にかかわった人たちの記録(本)である。その中に松田ナミがおられる。
突然話題が変るが、志村さんによると今度の映画出演のケーシーさんの母親は東京女子医専(東京女子医大の前身)出身の女医で、第2回卒業とある。たしかケーシーさんは一時は医学を志しておられた。
それで思い出したのであるが、松田ナミは1935年九州療養所に勤務、誘いがあり、宮崎園長の許可なく、国頭愛楽園に転じ、医局長として、戦災時そこの患者を支えた7人の女性の一人となった。沖縄に転じた時の心境はいかばかりであったか。沖縄県民は 戦前の最後の沖縄県島田知事のことを崇拝しているのである。私は最後の沖縄県庁といわれる轟壕をたずねたことがある。(島田知事は犠牲になることはわかって行った)
クリスチャンで、菊池恵楓園のある元患者さんが松田ナミ先生の思い出を書いておられた。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~BCM27946/matudanami.html
http://www.eonet.ne.jp/~libell/nihonmtl.html
追加:小原安喜子先生の追悼記事が、日本ハンセン病学会雑誌、73(3)203-206,2004にあります。小原先生は松田ナミ先生から学費の援助を受けたそうです。
(リベル) 折角ご紹介頂いた「MTL」のURLに間違いがありました。正しくはこちらです。[http://www.eonet.ne.jp/~libell/nihonmtl.htm]。(2.7 17:49)
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「プロパガンダ」 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 7日(水)07時56分33秒 引用
この「プロパガンダ」については、およそ2年前になりますが 恵泉女学園大学・大学院教授、アジア太平洋資料センター共同代表の 内海愛子女史(http://www.taminzoku.com/news/kouen/kou0209_utsumi.html) の、講演を聞く機会を与えられました。アジア太平洋戦争時の戦時プロパガンダより「アジア解放」「桃太郎海の神兵」「アジア解放の聖戦」など、日本が宣伝し国民が誘導されていった事実を 機微 に渡り学ばされたようです。
時代は変わり、マスコミへのアプローチが如何にことを成すには、有利・便利であるかを様々な事例より感じ取れますが、昔のような一元的な報道とは違い、多元的な情報がもたらすことにより、より意義ある「考える葦」と成りえそうな・・・、我々一市民には大事な要因だと思っています。
平たく言えば、「誘導からの煽動がとても用意ならざるが如し」といえそうですし、マスコミへの不信という事実も高まっているのかもしれません!
「十坪住宅運動」の史実はしっかり自分のものとして、残しておきたいと思っています。
(リベル) 一読して、理解できませんでした。よく拝読して、夜中に、レスを書きます。お許しください。(2.7 17:32)
もう一度、良く読みましたが、駄目でした。、「誘導からの煽動がとても用意ならざるが如し」これは「容易」だろうと思いますが、それでも「十坪住宅運動」との関係とか、仰有りたいことが分かりません。
ご免なさい。駄目じゃ、儂はもう・・・(虚ろな笑)(2.8 03:48)
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やはり、厚労省はロードマップ委員会を・・・ 投稿者:リベル 投稿日: 2月 7日(水)01時21分16秒 引用 編集済
やはり、厚労省は丸投げ態勢に入ったようです。第3回ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会。厚労省のHPには取り上げず、WAM NETで議事次第・資料を公開しています。
スタコラサッサ、という奴ですか・・・お見事・・・。
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失礼いたしました 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月 6日(火)21時37分52秒 引用 編集済
Ichiroさま:大変失礼いたしました.ご教示ありがとうございます.
一般に広くカタカナ表記が通用している方以外の海外の研究者名は,
できれば欧文表記で書いていただきますと,おっかけやすくなります.
わたくしども“ど”のつく素人への配慮もどうぞよろしく!
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Bhutani LKです 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 6日(火)20時53分8秒 引用 編集済
リベル様 ドン・キショット様
一瞬ひやっとしました。高貴なお方と関西地方の作家の方と、それから某独裁者の何番目かの夫人を思い浮かべてしまいました。いずれの場合も外国語では あっ という別の意味になってしまいます。
最近では ある紛争の島と同じ名前の人が その国の人に対して、説明するなどというエッセイを読みましたが、姓名は何の罪もないはずですが、たまたま外国語では特別な意味を連想するのです。私の名前もある国語では ヘンナ意味でないことを望みます。熊本にある名前ですが(名前は伏せておきます)、別の県の人が どうも ヘンなことを連想するといわれました。
日本らい学会雑誌 61(3),182-184,1992
The 18th World Congress of Dermatology
第18回世界皮膚科総会出席記
教授は有名ならい学者で何度も來日しているし、論文も多い。司会者でもあるが、らいの一般的な話と病型の話を格調高い英語で講演された。彼はハンセン病という言葉の使用には反対であった。(ママ)ハンセンはこの病気に罹患したわけでもなく、病原菌でもないからである。しかし、leper(らい患者)という言葉は我々がこの会場からでた瞬間から使うべきでないと力説した。(教授が演説している写真も掲載している)
あとで難しい免疫学の話があった。Joplingに総会で聞いた免疫学は難しいと書いたら、私に諭された言葉も述べている。
なお教授とleprosyを検索したら 28編の論文がでてきた。
ドン・キショット様
私も間違われた経験がありますが、名前を間違えて印刷することさえあります。
英文にする時の間違いもあります。検索する時は それを考慮して検索します。とんでもない間違いであれば、永久に検索にひっかかりません。ああ。
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Butani, L.K. 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月 6日(火)20時20分31秒 引用 編集済
International Journal of Leprosyの著者にButani, L.K.がみえますが,
その方でしょうか?
Butani, L.K., Bedi, T.R., Malhotra, Y.K., Kandhari, K.C., and Deo, M.G,: Histoid leprosy in North India. Int J Lepr 42:174-181, 1974.
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悪魔の飽食 第三部 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 6日(火)12時51分14秒 引用 編集済
悪魔の飽食 第3部
角川書店 昭和58年
倉庫を捜していたら出てきた本である。
内容は作者(森村誠一)が現地を訪れて書いたものである。
第1,2部も詳細すぎて、私は現地を訪れて書いたものと勘違いしていた。詳細は省く。
ハンセン病市民学会年報 2006 116ページの
まさにハンセン病療養所における医師たちは 「悪魔の飽食だったんです」に強く抗議する。
1,2部については前に書いた。理由も前に書いた。
リベル様
1)のほぼ同数には同意します。ちょっと差がよくわからなかったので。なおleprosyについては私は詳細に調べましたが●、国々によって受け取り方が違います。日本のらい よりは 普通名詞的に受け取っている国が多いようです。特にハンセン病に歴史が古い、ヨーロッパですが。2)については よくわかりません。実はこのデータベースの責任者に聞きたいことが別にあるのですが、どうも方法がわからないのです。どなたか 教えて下さい。特に問題になったとか、文句を言ったという話は聞きません。
leperは禁止用語かどうか 小生もはっきり認識していませんが、以前書いたのですがニューヨークの国際皮膚科学会のハンセン病のセクションで、この場を去った時点で絶対に使うなという激烈な言葉をききました。インドのブタニ教授です。有名な方です。
このことは、確か、志村さんが出席された、私の講演会で私が喋ったようで、志村さんも何かに引用されていました。
●北京の国際ハンセン病学会のプログラムで調べました。
(リベル) ここは、医学者の方のBBSではありません。「ブタニ教授です。有名な方です。」と仰有っても、へえと思って検索したら「ぶたにしんじゅ」が出てくるではありませんか・・・(笑)「leper」は「禁止用語」に近いと受け取らせて頂きました。(2.6 18:00)
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Ichiroさん Re: データベース(1) 投稿者:リベル 投稿日: 2月 6日(火)12時33分35秒 引用
> leprosy を検索すると 18,963編の論文がでてくる
> Hansen's diseaseを検索すると 17,657編の論文がでてくる
結局、
1)ほぼ同数存在する
2)leprosyからHansen's diseaseへと転換(日本の「らい」から「ハンセン病」のように)する機会は無かった
この二つが、重要な事実だと思います。
二つ目は、ハッキリこう言ってしまっても良いのでしょうか?お教え下さい。
それから、知る限りでは「leper」は、使うことが避けられているそうですが、これを証明する事実とか、それはいつ頃からであったと示す事実などは、あるのでしょうか?お調べ頂ければ、有りがたく思いますが・・・。宜しくお願いします。
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失礼しました 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 6日(火)08時39分13秒 引用
リベル様
名前を間違えて 失礼しました。訂正しようかと思いましたが、自戒をこめて。
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データベース(2) 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 6日(火)07時28分16秒 引用 編集済
データベース(2)
●インドの論文については思い違いがあり著者は光田で宮崎でないので、訂正しました。
前に書いたように、leprosy, japanで検索すると262編の論文が出てきた。 以下に書いたように、日本語雑誌は比較的多く感じられると思うが、これはIndex Medicus(電子版になる前の雑誌)の方針で各国一つの分野は一つの雑誌は採用するということである。この条件にあてはまらず、採用されていない有力商業雑誌や学会雑誌(西日本皮膚科など)もある。調べてみれば、世界に通用する(?)と思われる英文誌でも、審査が厳しく時期的に採用されていないのもある。
日本語からのものは、英文抄録付のものである。japanをつけたので純粋の基礎、臨床論文はここにはない。
日本ハンセン病学雑誌 49編の論文 日本らい学会雑誌 57 レプロ 16
これらは同じ学会誌で、名称が変更したものである。レプロが少ないのは古いからその活躍の時期はIndex Medicus開始以前なのである。なお レプロは ラテン語で らいのことである。
Int J Lepr 30(アメリカ、最近廃刊)
Lepr Rev 10(イギリス)
総合看護 9
Lancet 8
●この雑誌はleprosyの発表は多い。japanを省くと229編もでてきた。
看護学雑誌 5
医療 3(国立病院系)
1,2編の論文がある日本の雑誌 23
1,2編の論文がある外国雑誌 37
●看護系、学会誌、専門外国誌を除くと、すばらしくばらばらに発表されているという印象がある。
なお全体の内、歴史を検索すると50編でてきた。●宮崎松記の論文があった。1969年12月の発行であった。(宮崎氏死亡1972年6月)
題に日本人人名が出てくるものの人名:光田健輔、宮崎松記、林芳信, 綱脇竜妙,村田正太,浜野kikuo(藤楓協会理事長)
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データベース(1) 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 6日(火)07時25分54秒 引用
データベース(1)
図書館の分類において、未だ”らい”が使われているということで、清野さんの努力で、”ハンセン病”に転換しつつあるのは快報である。
ちょっと、意味が違うと思うが、医学データベースではどうであろうか。調べてみた。
Leprosy=Hansen's diseaseであれば、検索など同じ数字が並ばなくてはいけない。ところが代表的な医学検索システムであるPubmed(medline)では 異なるのである。理由はよくわからない。
leprosy を検索すると 18,963編の論文がでてくる
Hansen's diseaseを検索すると 17,657編の論文がでてくる
その差1,307は 約7%の差
leprosy, japan を検索すると(日本も検索語にした) 262編の論文がでてくる
Hansen's disease, japan を検索すると245編の論文がでてくる
その差 17は 262の約7%
これは年代を変えても変らない。
(リベル) 清野氏ではなく、清見(久夫)氏のことでしょう。取り敢えず修正。
あとは良く読んでから・・・(2.6 17:59)
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昨夕の、私の書き込み後より・・・ 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 6日(火)06時32分51秒 引用
「村八分」より、学ばされました!誤認識が産みだすことで、辛い あ・つ・れ・き というものも、生じてしまうのでしょうが、昨夜のような事も ある ことがわかり、久しぶりに温かい布団の中での 一夜 を、過ごせたようなそんな 朝 を迎えることは出来ましたが・・・。
ただ、「村八分」への語源への 示唆 が無ければ、気付かず・・・まるで反対の意味合いしか取られ兼ねない、相手に対しての言動であったことに・・・、今、私は感じ入るものがあります。
(森長英三郎「冤罪の証明」・旺文社文庫・解説から) 内より・・・
>>無罪判決のない無罪が、夜空の星の数よりも多いことを知らなければならない。
ほんの一部なのでしょうが、 http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/link-enzai.htm 現実・史実を知るという作業からの 個・・・自主・自律的な思い(怒りであるのか、どうかはリベルさんが言うように、それぞれであることには違いないのでしょうが・・・)を、導き出さなければ、昨夜の私同様、ご認識のままで過ごす可能性がある・・・、それでよければ、話しはべつだが・・・!?私は、この 事実 も、私たちは知らなければならないと、今、強く感じています!?
>>今後はそういうものの発掘にこそ努力しなければならない。
この 努力 するという行為が、まさに風見さん、森長さんがいう、「刑は執行されてしまったら、刑そのものの重みによって正当化され、刑は自己の正当性を主張します」
「どうもわが国民の気風は、国家が無罪と判決しないうちは無罪と認めない体制順応の傾向が強い」このことの現実は、私はいっこうに変わってはいないのではないか?むしろ後退(核家族化・個人主義・人権がただの御旗と成り、その尊厳を重んじる気風を、はなからバカにしている気質・等など)しているのでは?と、思えて成りません!
この現実からの 努力 と示唆してくださっている言葉の重みが、私の中でも響ききれていない事実を、今、悟らされています・・・。
>>そして体制側の刑事訴訟手続きでは、どうしようもないものは、私たちによって、人民の名において無罪の判決をすることになるであろう。それはあるいはすでに刑が終ったのちの裁判になるかもしれないが、そういうものであっても、現在の裁判をただすためには、決して無意義ではないとおもう。
せめて、森長さんが締めくくりの言葉として語っているこの言葉の意味合いだけは・・・、自分のもにいたいと思っている 朝 です。
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リベル様へ 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 6日(火)03時54分0秒 引用
了解です。
私が調べた本は 「ハンセン病医学」(教科書)と犀川先生が書かれた厚い本と、ジョップリングの教科書で、いずれも医師が書いた本です。和泉先生のは ちょっとどこかへ行ってしまいました。ルックの教科書(皮膚科)も調べました。裁判所で証言するなら 恐らく教科書通りなんでしょう、と 考えます。
一般の本は まだ調べていません。
(リベル) お手数をお掛けしました。有り難うございました。
実は、私のサイトでも、「サルファ剤」は全くなく、全て「スルフォン剤」としていますので、場合によっては全て修正かと、心配して、それでお願いしてしまいました。有り難うございました。(2.6 03:59)
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もう、駄目だっ! Re: 「ハブ」 「ハブる」 投稿者:リベル 投稿日: 2月 6日(火)02時59分39秒 引用 編集済
> [若者言葉で一人を仲間はずれにすることを「ハブ」「ハブる」というが、これは村八分が語源といわれている。]
>
> こんな響きで捉えていました! 語源を知り恥ずかしさで一杯です。
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%85%AB%E5%88%86
>
> 失礼を・・・、お詫びいたします!
いま、よそのBBSを読んでいて、気付かされました。上の遣り取りの、意味が分からなかったのです。
もう、やっぱり、駄目だっ!出処進退を考え始めることにするか、やはり・・・。でも87歳にはまだ15年有る・・・(謎)
本当に、ご愁傷様でした・・・。
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このBBSに対する非難の声 投稿者:リベル 投稿日: 2月 6日(火)02時42分3秒 引用 編集済
「志村さんとキャッチボール」に「こころ」という人と「清見」氏が私の「みものです」と書いたことに対する批判を書いて居られます。一度お読みください。
私は一度、抗議めいた投稿をしたのですが、しばらく訂正を入れたりしている内に、馬鹿馬鹿しくなって止めました。上記のお二人が、ここを読んで居られるかも知れないことは、承知で書いています。
そんなことに、取り合っている場合じゃない。次元が違いすぎます。闘うべき相手は、厚労省です。もう無駄な労力を、方向違いな処に費やしている時間が、私には残されていません。また「年寄り臭い」と叱られそうですが・・・(笑)
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見事な一編の風物詩 投稿者:リベル 投稿日: 2月 6日(火)01時34分58秒 引用
甲州の冬は綺麗です。
笹子トンネルを抜けると遠景に南アルプスの雪をかぶった峻烈な峰が連なり、車窓の丘が平らに続くのはぶどう棚です。
もう少しすると、左手の御坂山系からなだらかに甲府盆地にくだる斜面はいっせいに桃の花が開きます。まさに桃源郷です。昔は、蕾は全部咲かせてから摘果して一枝に幾つとならせる数を調節したのですが、今は摘蕾といって、咲かせる花を調整します。それで、昔ほどの花盛りにはなりませんが、しかし、村一面のピンクの桃の花は見事なものです。
葡萄の里の勝沼を過ぎると列車はまっすぐに甲府に向かわず、ずっと右、塩山に迂回します。これは、明治の昔、鉄道王といわれた「雨敬」こと雨宮敬次郎が自分のうちの前に列車を通らせたためといわれます。田んぼの中に「ひとつ位俺の言うことを聞いてくれてもいいじゃないか」と駄々をこねて新幹線の「岐阜羽島」の駅を作らせてしまった自民党副総裁大野伴睦といい、昔の人はなんか憎めませんね。
塩山は、枯露柿の里です。
塩山に限らず、甲州では秋から冬に掛けて家ごとに棚を立てて、夜なべで大振りの渋柿を剥きます。遠目に見ると濃い黄色の簾を立てたようですが、これが秋の深まりとともに、盆地の寒気と八ヶ岳から吹きくだる空っ風(北風!)で乾燥して色の深さを増し、冬になると表面がにじみ出た糖分で白くなります。これを「こうが吹いた」といって食べごろですが、これは田舎の餓鬼の口には入りません。暮れになるとこれまた夜業で綺麗な化粧箱につめ町の市場に持って言って正月の仕度をするのです。
書かせる側から、書く側へ宗旨替えなさったらと思わせんばかりの名文ではありませんか・・・。
バーのカウンターで、コピーライターと「漢字力」競争をしたのを思い出します。たとえば「せい」という読みの漢字をどちらが多く書き出せるかを競います。そのとき聞いた話では「こう」と読む漢字が一番多いとやら。調べたことはありませんが。
枯露柿が吹き出す「こう」は漢字で書くと・・・?「粉」臭いですね。きな臭い話を避けたくなるのは、やはり年寄り臭い・・・(笑)・・・ですね。
明日の朝は、桃の花ならぬ、三っつ開いた庭の白梅の花を眺めるとしますか・・・快晴のようですし・・・
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Ichiroさん Re: リベル様 投稿者:リベル 投稿日: 2月 6日(火)01時13分32秒 引用
> DDSはdiamino-diphenyl-sulfoneというところからsulfone剤というのが正確と思います。他のsulfonamides(sulfomethoxypyridazineなど)もsulfone剤と表現されるとすれは 特化云々のことはちょっとよくわかりません。
これで、悩みが氷解しました。投稿日: 2月 5日(月)00時57分14秒 のところで辞書を引いています。
【スルホンアミド剤】 〔sulfonamide〕 ⇒ サルファ剤
ですから、「判決文や最終報告書での『スルフォン剤』という使い方は、医学的・薬学的に正しい」と断言しても良い。のですよね? しつこいかな・・・Ichiroさん、一言返事をくださって、安心させて下さい・・・m(_ _)m
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リベル様 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 5日(月)22時38分20秒 引用 編集済
失礼しました。
DDSはdiamino-diphenyl-sulfoneというところからsulfone剤というのが正確と思います。他のsulfonamides(sulfomethoxypyridazineなど)もsulfone剤と表現されるとすれは 特化云々のことはちょっとよくわかりません。
なおDDSは予防法廃止以前から水泡症など皮膚疾患にも使われていました。それで比較的容易に保険に採用されましたが(レクチゾール)、あとで保険採用に 困ったのはMDT のclofazimine(lamprene)です。(らい予防法の存在で、すぐに保険採用とならず 困ったことでした)
DDSには 確かにDDS症候群や、白血球減少、貧血などの副作用がありますが、普通の薬に比べると副作用は少ない印象でした。
夕焼け様
その言葉は知りませんでした。
語源で面白いと思ったのは”社会の窓”は、実際社会科の先生が電車の中で出されたのが語源という話です。どこで聞いてきたのか失念しました。英語や国語の先生でないところが面白いですね。
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悪いのはこちら 投稿者:北風 投稿日: 2月 5日(月)18時23分1秒 引用 編集済
妙に思わせぶりの書き方をしてしまってごめんなさい。
甲州の冬は綺麗です。
笹子トンネルを抜けると遠景に南アルプスの雪をかぶった峻烈な峰が連なり、車窓の丘が平らに続くのはぶどう棚です。
もう少しすると、左手の御坂山系からなだらかに甲府盆地にくだる斜面はいっせいに桃の花が開きます。まさに桃源郷です。昔は、蕾は全部咲かせてから摘果して一枝に幾つとならせる数を調節したのですが、今は摘蕾といって、咲かせる花を調整します。それで、昔ほどの花盛りにはなりませんが、しかし、村一面のピンクの桃の花は見事なものです。リベル翁をお連れすれば、寿命が20年は延びて、老人臭いことはいわなくなるのは間違いないのですが。
葡萄の里の勝沼を過ぎると列車はまっすぐに甲府に向かわず、ずっと右、塩山に迂回します。これは、明治の昔、鉄道王といわれた「雨敬」こと雨宮敬次郎が自分のうちの前に列車を通らせたためといわれます。田んぼの中に「ひとつ位俺の言うことを聞いてくれてもいいじゃないか」と駄々をこねて新幹線の「岐阜羽島」の駅を作らせてしまった自民党副総裁大野伴睦といい、昔の人はなんか憎めませんね。
塩山は、枯露柿の里です。
塩山に限らず、甲州では秋から冬に掛けて家ごとに棚を立てて、夜なべで大振りの渋柿を剥きます。遠目に見ると濃い黄色の簾を立てたようですが、これが秋の深まりとともに、盆地の寒気と八ヶ岳から吹きくだる空っ風(北風!)で乾燥して色の深さを増し、冬になると表面がにじみ出た糖分で白くなります。これを「こうが吹いた」といって食べごろですが、これは田舎の餓鬼の口には入りません。暮れになるとこれまた夜業で綺麗な化粧箱につめ町の市場に持って言って正月の仕度をするのです。
そのとき、うちの御爺さんは、雪に降られた笠地蔵を無視したために今でも貧乏です。
そういうわけで(どういうわけじゃい!)、夕焼けさん、紛らわしい書き方をしてごめん。
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「ハブ」 「ハブる」 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 5日(月)17時45分34秒 引用
[若者言葉で一人を仲間はずれにすることを「ハブ」「ハブる」というが、これは村八分が語源といわれている。]
こんな響きで捉えていました! 語源を知り恥ずかしさで一杯です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%85%AB%E5%88%86
失礼を・・・、お詫びいたします!
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Re: プロミンあれこれ 投稿者:リベル 投稿日: 2月 5日(月)17時44分11秒 引用 編集済
> サルファ剤とスルフォン剤は 単純に同じと思っています。
それは、失礼を顧みず申し上げると、極めて安直なお答ではないでしょうか。
Googleで、「サルファ剤」を検索すると55,000件有ります。一方「スルフォン剤」は183件です。
この検索結果の内容を見てみると、「スルフォン剤」はどうもハンセン病に特化されて、使われているのではないか、と言うのが、私の疑問であり一番知りたいところなのですが・・・。
そのことは、説明が難しいところなのでしょうか? 何故「判決文」はポピュラーでない「スルフォン剤」だけを使ったのか? 杉山裁判官は不勉強だったのか? 医学的・薬学的根拠が、有るのではないか? というのが、私の誠に素朴な疑問なのですが・・・。
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プロミンあれこれ 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 5日(月)12時57分7秒 引用
ドン・キショット様
詳しい説明ありがとうございました。
サルファ剤とスルフォン剤は 単純に同じと思っています。
医学術語はドイツ語、英語、特殊科の専門語などが入れ混じっていますので私は単純にそう思っていました。スルフォンアミド、スルフォン誘導体などもあります。
折角なので 私が感動した最初のサルファ剤の最初の著効例の文献を書きます。
「モノが語りかけるハンセン病問題 昭和女子大学光葉博物館
p32−33
らいの化学療法への協力 石館守三
(日本で初めてプロミンを合成した東大教授)
”この時、唯一人結節らいの重傷者で中国の戦地から帰ってきた青年で、どうせ先の見込みのなり自分だから私にやってみてくださいと申し出た者がいた。これに約60日間、1日置きに静注したところ、まったく奇跡的に顔面の結節が落ち、失明寸前の眼もかなり回復したとの報告を受けた。私が再び患者を見舞った時は、その青年は私に飛びつかんばかりの感激で顔を輝かしていた。”
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夕焼けさんへ 投稿者:リベル 投稿日: 2月 5日(月)11時56分24秒 引用 編集済
レスが遅くなってご免なさい。
昨日、いつものようにプリントアウトして、読ませて頂きました。先ず、失礼なことに夕焼けさんはもしかしたら森長さんの文章を未だお読みになっていないのではないか?と思っていました。そうであれば、冤罪についての考え方が、かなり基本の部分で違ってくるからと。
しかし、夕焼けさんは、ちゃんとお読みになっていました。そうとすると、これはなまなかな意見交換では及ばないぞ、と考え込んでいました。
言い換えれば、もうBBSで取り上げる域を越えるのではないか。二人の間に限定された議論になるのではないか。私は、そう判断して考え込んでしまったのです。
夕焼けさんに、個別に連絡する方法が有りません。それを咎めることは、出来ないことです。そうなれば、どうすればよいか?
1)沈黙を守るか、
2)言外にお伝えするか、
しか方法がありません。
さらに正確にそして、正直に言えば、私にはもう、能力が有りません。
私の気持ちを、出来るだけ正確に、お伝えしました。これ以上でなく、これ以下でもありません。ご理解を賜らんことを、祈るのみです・・・。
(リベル) この文章は、修正・加筆の可能性が有ります。私が自己中心的な性格のため、独りよがりや、分かり難い記述が有るかも知れないからです。基本的に述べている内容には変わりはありませんので、念のためです。(2.5 17:25)
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Re: 夕焼けさんへ Re: リベルさんとの相違をまずは埋める汗 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 5日(月)04時57分54秒 引用
> 夕焼けさんが、三年前にまで遡って、もう一度藤本事件について、整理をして下さいました。感じていることは、先ず共通しているのですが、再審についての理解に、少し食い違いが有るのではないかと思いました。
>
> 『どうもわが国民の気風は、国家が無罪と判決しないうちは無罪と認めない体制順応の傾向が強い。しかし無罪判決がマスコミではなばなしく報道される裏には、無罪判決のない無罪が、夜空の星の数よりも多いことを知らなければならない。これがほんとうの冤罪である。今後はそういうものの発掘にこそ努力しなければならない。そして体制側の刑事訴訟手続きでは、どうしようもないものは、私たちによって、人民の名において無罪の判決をすることになるであろう。それはあるいはすでに刑が終ったのちの裁判になるかもしれないが、そういうものであっても、現在の裁判をただすためには、決して無意義ではないとおもう。』(森長英三郎「冤罪の証明」・旺文社文庫・解説から)
>
> これは山下峰幸氏の「壁をたたく音がきこえる」の中の「悼む 藤本松夫」と題する関原勇弁護士の講演(「菊池野」1984年12月号・1985年1月号から)の中から、拾ってきました。以前にもっと短く紹介したことがあります。
>
> 夕焼けさんはこの本は、お読みになったと思うのですが、(もし未だでしたら、購入方法はこちらです)この考え方については、どのようにお考えかを知りたく思います。その辺が、隙間を埋める手がかりのような気がしますが、如何でしょうか。よろしくお願いします。
>
> 追記:なお、もし必要と有れば、関原氏の講演部分はA4で約10枚なので、メールを頂けば、一日後くらいには(ゼロックスをとりますので)お送りできると思います。
>この考え方については、どのようにお考えかを知りたく思います。その辺が、隙間を埋める手がかりのような気がしますが、如何でしょうか。
私は、「食い違いを」少しでも補正できるものならと、友達へのメールまで引用して 伝える努力 をしたつもりです。森長英三郎さんの「冤罪の証明」内のこの文章は私にとっては、とても深く・重いものでした。
リベルさんが、この文責を持ち出し、私との食い違いを指摘していると考え、私なりの思いを述べたつもりなのですが・・・。
この部分(「冤罪の証明」内のこの文章)の 捉え方 は、非常に重要であると疑いません。ですから是非ともこの文責を<題材>に語り合う必要性を、私は感じていますし、お願いしたい部分だったのです。
私は、この文責を多くのハンセン病問題に携わるすべての市民(原告・弁護士・人民)が、読解されてさえいれば・・・、今回のような映画制作からの「論議、そして分断からの乖離」など昨年中に羅針盤の修正が出来たのではないか!と、後悔しております!!
文化庁からの2千万円が、なければ・・・と、悔しい思いをしているのは私だけでしょうか!? 期限付きの助成金さえなければ・・・、とても悔しい、です!
☆ご遺族との離反ではなく、「絆」を本当に大事にされたのだろうか?ご遺族・家族の機微にわたる思いを察していたのだろうか・・・?
☆自力・自作での映像化でありさえすれば・・・、かえって多くの市民運動をひき起こす要因もあったのではないか?
宝塚のYさんがいう 「ずらされた主題」 が、今、重く圧し掛かっています!?
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(無題) 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月 5日(月)03時02分3秒 引用 編集済
>ところでドン・キショットさんは何故そんなにお詳しいのですか。もしかしてお医者さんでは・・・?(2.5 02:03)
あはは,ドン・キショットは,お医者さんではありません.
ごくフツーの病気もち障害もちの一市民でありまして,
しこしこ内職しながら,ときに風車に突っ込みたくなる人なのであります.
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私は変わっている? 投稿者:リベル 投稿日: 2月 5日(月)02時29分21秒 引用 編集済
本当に変わっている、というひとの人生はしばしば崖っぷちの行き止まりに辿り着いてしまいます。その先は大海原です。仕方なくその崖から大海原に飛び込み、命綱なしの遊泳となり、ますます「やっぱり変わっている」となります。しかしこれではいずれ死んでしまいます。ある方が人類の歴史は「臆病で普通の人々の歴史」で、「勇気がある、変わっているということは、それでは必ず近いうちに死ぬ、殺される、ということを教えてくれるのが歴史」だと言うのです。考えさせられる言葉ではあります。
そのような意味で、私は最も普通の、だれとも変わっていない一人の現代を生きる人間として生きて来たつもりですし、これからも私は価値判断の基準をそのようなところに置くことに変わりはないでしょう。
ただ、皆さんが気付いていないこと、忘れていることを思い出してもらったり、必要と思っていることを指摘したりする、そのようなことは大切なことです。同時代の文化に関わるとはそのようなことを発言する立場、とも言えるわけで、オタッキーにわかるやつだけ相手にして仲間だけで集まってごそごそやっている、ということではなく、広範囲に、全方向に「どうです?すばらしいでしょう?」と相手を選ばず問い掛けをしていくコミュニケーションこそが私の目指している芸術です。
これで、ばれましたね。これは、今トイレに置いてある千住博さんの「ルノワールは無邪気に微笑む」からの転載です。
「臆病で普通の人々」であることの大切さを、頭に刻み込みました。
ただし、この本は、決してお薦めはしません。凄く良い本だとは、思っていませんので。
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判決文や最終報告書では 投稿者:リベル 投稿日: 2月 5日(月)01時53分51秒 引用 編集済
スルフォン剤が使われています。
最終報告書では、「第十五 国際会議の流れから乖離した日本のハンセン病政策」の中に、「スルフォン剤」が8回、「サルファ剤」が1回出てきます。「サルファ剤」が出てくるのは11頁ですが
『1952 年に同協会主催の「国際ハンセン病化学療法研究会」が東京で開かれ、熱こぶは神経型の患者に免疫の能力が出来た状態であると報告した。光田は「神経型の患者に自己免疫は絶対出来ない。」と同協会の結論に反対した。しかし、サルファ剤の治療により神経型患者で病状の改善したものは、光田ダルメンドラ反応テストにおいて擬陽性の者が続出して、皮膚テストでは菌陰性の者が増えたという(某医官談)。』
これだけです。
判決文の中には「サルファ剤」という言葉は有りません。「スルフォン剤」は91回出てきますが。
なおGoogleでは、「サルファ剤」が54,400件、「スルフォン剤」が184件のヒット数です。この検索結果などから見る限りは、「スルフォン剤」はハンセン病に特化して使われている、と思われるのですが。
医学的或いは薬学的には、下のドン・キショットさんの引用も含めて、私の理解力の範囲を越えています。どなたか、お助けください・・・Ichiroさん、お助けください・・・m(_ _)m
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またまた追加 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月 5日(月)01時32分17秒 引用
sulfoneスルホンは,一般構造式 R'-SO2-R" (「SO2」の「2」は下付き)の化合物.
(↑『ステッドマン医学大辞典』第5版を参照)
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夕焼けさん Re: 田舎で満喫されてくること、祈っています。 投稿者:リベル 投稿日: 2月 5日(月)01時20分17秒 引用 編集済
リベルさん、まずは「ハンセン病の落書き板」のお陰で、私も二分の「触れ合い」が、発生している 現実 を、自覚でき・・・、「ありがとうございます、リベルさんのご努力によるこのBBSに、心より感謝を申し上げます!!」
誰もが、書きたいこと(除く悪意・中傷)を書ける場所を、私は提供しているだけです。そんなにお礼を言われると、恐縮してしまいます。
> 特に 億 を、超えるような事業計画であるなら、事業推進収支予算計画書の中でも、大きく事業費収支と活動費収支の随時公表は、支援者・支持者への感謝の思いが実ならば、数字が現す真実というものにも 誠意 が、当然必要なのでしょう!
「中山さんの映画blog」に、ドン・キショットさんと私が投稿していますが、未だに返事がありません。左側の「Comments」欄です。やはりメールでないと駄目かなと、様子を見ているところですが・・・どうも、なかなか・・・(>_<)
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(無題) 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月 5日(月)01時15分24秒 引用
ジアミノジフェニルスルホン=ダプソン.DDSはその略号です.
一般名と製品名(商品名)と化学名がありますから,薬剤名はややこしいです.
(リベル) なるほど、ややこしいですね。しかし、お陰様で、私の中では、解決しました。ところでドン・キショットさんは何故そんなにお詳しいのですか。もしかしてお医者さんでは・・・?(2.5 02:03)
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ありゃりゃん 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月 5日(月)00時57分14秒 引用
リベルさんは「スルフォン剤」と書かれているのに、
Ichro先生のお答えでは「サルファ剤」となっていますよ。
(リベル) 本当だ。いま辞書を引きました。
【スルホンアミド剤】 〔sulfonamide〕 ⇒ サルファ剤
【サルファ剤】 〔sulfa drug〕 スルファニルアミド誘導体の化学療法剤。グラム陽性球菌・グラム陰性球菌および一部の陰性桿菌 (かんきん) に有効。広義には、利尿降圧剤・血糖降下剤として使われているものを含む。スルホンアミド剤。スルファ剤。
とあります。スルホン剤で引いても有りません。では「スルホン剤」が間違っているのかもしれない。さあ、大変だ、今から調べまくります、ではでは・・・(2.5 01:06)
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ドン・キショットさん Re: 追加 投稿者:リベル 投稿日: 2月 5日(月)00時51分41秒 引用 編集済
『今日の治療薬2007』は2月15日頃に発行されるのではないかと思いますが,
> 未見.
> 一般に「ダプソン」と呼称されているのは,スルホン系薬剤のジアフェニルスルホンではないかと思います.
> ジアフェニルスルホンとグルコスルホンナトリウムの両スルホン系薬剤の「重大な副作用」の項にDDS症候群が挙がっています.
「年表 日本のハンセン病」の1947年のところに、こう書いています。
『静脈注射によるプロミンに代わって経口薬 ダプソン(dapson―DDS―diamino diphenyl sulfone)が作られる。これにより初めて医療現場におけるハンセン病治療が可能となる』
これは、確か栗生楽泉園のHPの並里先生の解説から頂戴したと思うのですが、ドン・キショットさんも下の方に同じことをお書きになっています。Ichiroさん、これはどれが正しいのでしょうか?お教えください。宜しくお願いします。
なお、多剤併用療法というのは、ドン・キショットさんが下に紹介なさった、リファンピシン、DDS、クロファジミンの三種類の薬の併用療法です。蛇足ですが・・・。
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Ichiroさん Re: リベル様 投稿者:リベル 投稿日: 2月 5日(月)00時18分42秒 引用
サルファ剤について
>
> 正しい表現と思います。構造式を調べれば、もっと正しいのですが、手元に資料がありませんので。
> いつか調べたのですが、DDSの副作用もないわけではありませんが、普通の薬に比べてほとんど副作用がありません。それで耐性がわかるのが遅かったり、いろいろありました。一時、DDSを続けさえすればいいという神話みたいなのがありました。(刷り込み現象と考えたのですが、ちょっと表現が強すぎますね。)
>
> 平成から働き始めた小生は、DDS服用を止めさせる努力をしたものです。
>
> ●必要ないのにDDSを長期連用すると、耐性菌をつくるなどの不都合がある。
>
> 歴史を調べれば、DDS神話を作ったのは、医師の怠慢ということではなく、それ相応の理由があったと思われます。
>
> リファンプシンは殺菌的に働くことがわかりMDTの一つであることは有名ですね。プロミンも最初は結核菌の薬として開発されました。この様に、もともとの目的でなく、あとから有効とわかった薬にエイズの場合もあります。
わあ、有り難うございました。良く分かりました。
昨年末に、卒論を書いていると仰有る大学生からメールを頂戴し、「医学的知見の変遷」から、引用したいとのこと。まだ未完成なのに、「恐い」と、思いました。キチント理解した上で記述しないと、単なる「判決文」からの引き写しでは、こういうお方に申し訳ありません。
そう言うわけで、また質問させて頂くかも知れません。明日をも知れぬ、くたばり損ないですが、「やり残した」と後悔せずに、くたばりたいので、頑張ります。未だ、和泉眞蔵氏の本からも、沢山拾わなければいけないのです。なかなか、バイバイ出来なくて・・・(心細い笑)
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追加 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月 4日(日)23時16分24秒 引用 編集済
『今日の治療薬2007』は2月15日頃に発行されるのではないかと思いますが,
未見.
一般に「ダプソン」と呼称されているのは,スルホン系薬剤のジアフェニルスルホンではないかと思います.
ジアフェニルスルホンとグルコスルホンナトリウムの両スルホン系薬剤の「重大な副作用」の項にDDS症候群が挙がっています.
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ちょこっと、横レス 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月 4日(日)22時10分7秒 引用 編集済
ハンセン病治療薬
『今日の治療薬2006』南江堂,2006年2月15日発行を参照してみますと;
(○:一般名,◇:製品名,特:特徴,適:適応症,重大:重大な副作用,
剤形:錠,注,カプセル で表記)
○ジアフェニルスルホンdiaphenylsulfone [ダプソン]
◇レクチゾール Lectisol (三菱ウェルファーマ) 錠
◇プロトゲン Protogen (三菱ウェルファーマ) 錠
・特:M. lepraeの増殖を阻止.作用は静菌的.
・適:@[適応菌:らい菌]ハンセン病.(A省略)
・重大:DDS症候群.血液障害(無顆粒球症,再生不良性貧血,メトヘモグロビン血症,溶血性貧血など).SLE様症状,腎障害,皮膚粘膜眼症候群,中毒性表皮壊死症,好酸球性肺炎.
○グルコスルホンナトリウム glucosulfone sodium
◇プロトミン Protomin (三菱ウェルファーマ) 注
・特:ジアフェニルスルホン参照
・適:ジアフェニルスルホン参照
・重大:DDS症候群.血液障害.SLE様症状.腎障害.
○クロファジミン clofazimine
◇ランプレン Lampren (ノバルティス) カプセル
・特:らい菌のDNAに直截結合し,DNA複製阻害作用.
・適:[適応菌:らい菌]ハンセン病(@多菌型,Aらい性結節性紅斑)
・重大:腸閉塞.脾臓梗塞.血栓塞栓症.
○リファンピシン rifampicin(RFP) 【抗菌薬】
◇リファジン Rifadin (第一) カプセル
◇リマクタン Rimactane (ノバルティス) カプセル
◇アプテシン,◇リモベロン など
・特:細菌のDNA依存性RNAポリメラーゼに作用し,RNA合成を阻害.耐性菌出現しやすい.
・適:[適応菌:結核菌,らい菌]@肺結核,その他の結核症.Aハンセン病.[▲添付文書外情報:メチシリン耐性黄色ブドウ球菌感染症]
・重大:劇症肝炎などの重篤な肝障害.ショック,アナフィラキシー様症状.腎不全,間質性腎炎,ネフローゼ症候群.溶血性貧血,無顆粒球症.血小板減少.偽膜性大腸炎等重篤な大腸炎.皮膚粘膜眼症候群,中毒性表皮壊死症,天疱瘡様・類天疱瘡様皮疹,扁平苔癬型皮疹,紅皮症.間質性肺炎.
・・・・・・・・・・・・・・・・・
*DDS:ダプソン=dapsone, 4,4-ジアミノジフェニルスルホン=4,4-diaminodiphenylsulfone
*上記のほかに,○オフロキサシン ofloxacin(OFLX) ◇タリビッド Tarivid (第一)
の適応菌にらい菌が挙げられています.
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田舎で満喫されてくること、祈っています。 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 4日(日)09時58分52秒 引用
>今日は田舎に言(行)ってまいります。村八分でも二分の「お付き合い」が発生。
リベルさん、まずは「ハンセン病の落書き板」のお陰で、私も二分の「触れ合い」が、発生している 現実 を、自覚でき・・・、「ありがとうございます、リベルさんのご努力によるこのBBSに、心より感謝を申し上げます!!」
北風さんの、『(あるいは、批判とは別に) 』 この言葉の重みを、私も認知しておきたい、と思っています。それほど私から見れば善男善女の方々を冒涜した行為はないと思えるからです・・・。人権尊重とは掛け離れた行為が、“映画を作る”の中に、内包されてしまった感がしています。このことも私たちは 知る ことが求められているし、そこから考えていくことの 課題 もあると、考えています。
協力金・賛助金(助成金・交付金も含めて)の支援はどの世界にもあることで、そのこと事態を云々する気はありません。しかし、それぞれの 人のお金 を預かっている意識からの「言動」・若しくは「事業計画推進」が、どのような収支予算の中で、行なわれているのか?常に公表されていることでその執行側の「誠意」が見えてくるものと信じています。
特に 億 を、超えるような事業計画であるなら、事業推進収支予算計画書の中でも、大きく事業費収支と活動費収支の随時公表は、支援者・支持者への感謝の思いが実ならば、数字が現す真実というものにも 誠意 が、当然必要なのでしょう!
以下の貼り付けは、“「新あつい壁」製作発表 行ってきました”内のJ.Oさんの文責によるものです。中山監督のお言葉が、記されています。
主人公のルポライターを演じる趙さんは、「台本を見たときに非常に重いテーマだと思ったが問題を風化させてはならないと強く感じた。
若い人たちにこの映画を見てもらいたい」と意気込みを語りました。また、中山監督
は、「男性の死刑を後押ししたのは一般市民による差別であり、そこを問わなければ
この問題は永遠に終わらないと思う」と述べました。
「新・あつい壁」は、来月には完成し、5月から全国で上映されることになっていま
す。
http://www.freeml.com/message/hansen@freeml.com/0000430;jsessionid=luhoc6h742
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Re: 北風様 投稿者:隣の人 投稿日: 2月 4日(日)08時41分16秒 引用
Ichiro様
隣の人です(苦笑
> たまたま、研究者が小生の親戚とある所で隣同士で、そちらに波風をたてないようにしただけで、頼まれれば協力するにやぶさかではありません。当方が年齢が上ですので。
「波風」が立ちますか?
「頼まれれば」とは誰に頼まれたら何を協力するのですか?
私(突然出てきてすみませんmm)は、
北風さんや夕焼けさんに完全に同意する者です。
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リベル様 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 4日(日)07時42分52秒 引用 編集済
サルファ剤について
正しい表現と思います。構造式を調べれば、もっと正しいのですが、手元に資料がありませんので。
蛇足を追加します。
他にシノミンなどを使ったこともあります。これはサルファ剤で、商品名です。成書にハンセン病に使われていたと書いているか、ちょっとわかりません。(塩野義製薬がつくった)
恵楓園に勤務した当時、名前を失念しましたが薬剤師の方で研究されている方がおられました。らい菌も結核菌も同じ抗酸菌ですので、結核に効く薬は全部試したはずですといわれました。(菌が培養できないのがネックになっている)他の薬が使われなかったのは 副作用を考えてでしょう。長く使うハンセン病の場合はこれが重要です。
いつか調べたのですが、DDSの副作用もないわけではありませんが、普通の薬に比べてほとんど副作用がありません。それで耐性がわかるのが遅かったり、いろいろありました。一時、DDSを続けさえすればいいという神話みたいなのがありました。(刷り込み現象と考えたのですが、ちょっと表現が強すぎますね。)
平成から働き始めた小生は、DDS服用を止めさせる努力をしたものです。
●必要ないのにDDSを長期連用すると、耐性菌をつくるなどの不都合がある。
歴史を調べれば、DDS神話を作ったのは、医師の怠慢ということではなく、それ相応の理由があったと思われます。
リファンプシンは殺菌的に働くことがわかりMDTの一つであることは有名ですね。プロミンも最初は結核菌の薬として開発されました。この様に、もともとの目的でなく、あとから有効とわかった薬にエイズの場合もあります。
研究室のある所に 山とつまれた散薬は あれは何だったろうかと考えています。恵楓園でも研究は続けられていました。
蛇足の蛇足:プロミンは静脈注射です。これも信仰みたいなものがあり、私は平成に入って患者様からプロミンを注射してくださいと言われ仰天しました。薬局には プロミンがありました。
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北風様 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 4日(日)07時23分37秒 引用 編集済
コメントありがとうございます。
小生の表現が不十分でした。申し訳ありません。
事件が、人間関係の問題ということではありません。小生の方の問題です。
たまたま、研究者が小生の親戚とある所で隣同士で、そちらに波風をたてないようにしただけで、頼まれれば協力するにやぶさかではありません。当方が年齢が上ですので。
年齢といえば小生の年齢は監督より一つ上です。小生の年齢は車に紅葉マークをつけた年齢といえばお分かりかと思います。
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昨年の8月24日に、私の 友人 に宛てたメールの一部です。 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 4日(日)06時57分27秒 引用
今、しきりに「藤本事件」の深層の真相を、実録化したい願望に駆られています!
1962年(松夫さん没)といえば日本国が高度経済成長期の真っ只中に入った時期です。世界(WHO)の方針にはそぐわない隔離政策(強制・絶対)を推進・容認してきたのは、この経済成長期からの「大国論」が大きなかかわりとして挙げられるようです。
高度経済成長の国策の一環として、隔離政策論が、なぜ?人権蹂躙(侵害)を承知の下に、日本国憲法に抵触しているにも拘らず・・・、なぜ?
この経済成長で財閥系企業が立ち直ったのもこのころだと言われています。
その要因は、政治と経済の深い結びつきと、財閥とされる子孫の現在を、今一度探っておく必要があると思っています。 安倍・麻生・谷垣すべて、小泉の 同階層 とされ、数年先には憲法改正を踏み切った 先駆者 と、いっても過言ではなさそうな雰囲気です。
「腹をくくって、時期政権下での 戯れの阻止 を!」と、「藤本事件」に拘って来た多くの同志の声が、黄泉の国や現世から声には出ない声で叫んでいるのかもしれません!! その声を聞き留める 一市民 の励みが、求められているのでは?と、思います!
「藤本事件」から脱線したかのように思えますが、“藤本松夫さんがなぜ?死ななければならなかったのか!?”の探求の果てに結びつく・・・、決して空論・空想なんかではないと思っています。
弱者とされる階層はいつの世にも存在します。今、現在に於いての 弱者階層 が持つ悩みや雄叫びを 他人事 と思えている間は、権力・搾取側の思う壺です。そう言った観点からも、もし、「藤本事件」の映画化を唱えるとするなら、再審後のドキュメンタリーとしての映像化にして欲しいと思います。
このまま推し進めた映画化にするのであれば、「藤本事件」を全く抜きにした、ハンセン病啓発映画の域であって欲しいと思います。
風見治さんが言う、
>刑は執行されてしまったら、刑そのものの重みによって正当化され、刑は自己の正当性を主張します。
関原さんの『悼む 藤本松夫 ―二十三回忌追悼講演―』に、引用してくださった 森長英三郎「冤罪の証明」・旺文社文庫・解説より、
>「どうもわが国民の気風は、国家が無罪と判決しないうちは、無罪と認めない体制順応の傾向が強い。しかし無罪判決がマスコミではなばなしく報道される裏には、無罪判決のない無罪が、夜空の星の数よりも多いことを知らなければならない。これがほんとうの冤罪である。今後はそういうものの発掘にこそ努力しなければならない。そして体制側の刑事訴訟手続きでは、どうしようもないものは、私たちによって、人民の名において無罪の判決をすることになるであろう。それはあるいはすでに刑が終ったのちの裁判になるかもしれないが、そういったものであっても、現在の裁判をただすためには、決して無意義ではないとおもう」
この両者の言葉を何度も噛み締めています・・・。
以上が私の、友人に宛てたメールの一部です!
リベルさん―
私は、この時期より明確に「藤本事件」が、主題でも題材でも 映画化などという行為そのものに反対の立場でいました。そのことを 確信 させられた思いとして、風見治さん・森長英三郎さんの ことば に、私は耳を傾けていました。
日本の今の制度では再審開始は容易でないことがこの藤本事件から学びました。
「再審の支援」ではなくて、「再審開始を求めていく運動」というものを何年も何十年もやっている現実も知りました・・・。
その再審開始を求めていく 運動 すら、起こしきれていない状況下での、映像が問う「藤本事件」というものに、大いなる危険性を感じたからです。(後に、宝塚のYさんが『シナリオ第4稿批判から 』を、機関紙にだし私は頷かされましたが!)
今の制度で甘んじている国民の資質状況下では松夫さんのご遺族との 絆 が如何に蔑ろにはできないものか?は、映画制作サイドも充分承知されています。ここに、「副次的矛盾」生じています!
この部分の導きが、我々市民に問われていることだと・・・、考えています、が。
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Re: 横レス失礼 Re: 監督が会いにきた 投稿者:リベル 投稿日: 2月 4日(日)06時54分18秒 引用 編集済
>したがって「冤罪追求は、種々困難があって不十分だが、現情勢下ではやむをえない。差別や偏見解消を訴える映画だからその限りにおいて支援しよう」という姿勢そのものも厳しく「批判」の対象になっています。
うーむ、私の考え方は、安直なのだろうか?分からない。これも、基本に戻って、良く考えてみます。
> ◎おいらはといえば、「入所者・退所者の熱い思い」「80歳になろうとする高齢」「今作らないと」といったおためごかしの常套句をちりばめ、必ず「よい映画にするために」あの手この手で「監督にいい映画を作ってもらうために」「資金集めにご協力ください」で結ばれる実行委員会の文面にいささかやり切れない思いです。
> 監督を責任者とする制作側への批判と同時に(あるいは、批判とは別に)、坂本牧師を委員長とする、あるときは「いい映画を作ってもらうために」と別組織・別主体であることを強調し、あるときには連名でアッピールする「実行委員会」の姿勢と責任も問われなくてはならないのではなかろうか。
これには、全く同感なのですが、さて・・・。
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43.36% 投稿者:リベル 投稿日: 2月 4日(日)04時44分56秒 引用
過去一年間に「ハンセン病のリンク集」への総アクセス数は 398759、その内「目次」のページへは 172558。と言うことは、約43%は目次を開かれる。「ニュース速報」は、僅か 22821、と少ないのです。
そこで、見落として頂きたくない「速報」を、見て頂くよう、「目次」に「その日のニュース」を入れるように、仕様変更しました。
チョット、見辛いかな? 不格好かな?・・・?
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横レス失礼 Re: 監督が会いにきた 投稿者:北風 投稿日: 2月 4日(日)04時35分26秒 引用 編集済
>
> 夕焼けさんへ
>
> ご批判は甘んじて受けますが、人間関係のことで深入りは避けています。ご了解ください。
早起きしようと寝たら、えらく早く目が覚めてしまった。
今日は田舎に言ってまいります。村八分でも二分の「お付き合い」が発生。
◎ところで「藤本事件」は、「人間関係」の問題なんだろうか。
端的に言えば「疑問はあっても、知っている人は批判しない」ということですか。
「らい予防法」の廃止ができなかったり、医療事故を実証するのが困難だったりするのは、こういう「責任」より「仲間意識」を優先する風土が背景の一つでしょうね。
◎また、藤本事件の「冤罪」を「人民の名において明らかにする」ということと、今回の「映画批判」は、まったく別なことだと思います。批判は、「映画制作そのもの」にかかわっています。
したがって「冤罪追求は、種々困難があって不十分だが、現情勢下ではやむをえない。差別や偏見解消を訴える映画だからその限りにおいて支援しよう」という姿勢そのものも厳しく「批判」の対象になっています。
◎おいらはといえば、「入所者・退所者の熱い思い」「80歳になろうとする高齢」「今作らないと」といったおためごかしの常套句をちりばめ、必ず「よい映画にするために」あの手この手で「監督にいい映画を作ってもらうために」「資金集めにご協力ください」で結ばれる実行委員会の文面にいささかやり切れない思いです。
監督を責任者とする制作側への批判と同時に(あるいは、批判とは別に)、坂本牧師を委員長とする、あるときは「いい映画を作ってもらうために」と別組織・別主体であることを強調し、あるときには連名でアッピールする「実行委員会」の姿勢と責任も問われなくてはならないのではなかろうか。
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これも「無視」 投稿者: 投稿日: 2月 4日(日)04時00分36秒 引用
この記事へのコメント
おひさしぶりです。以前、映画撮影の時に、実家を撮影に使って頂いたことを記憶しています。あれから、ご健勝のことと思います。現在、私は、東京に住んでおります。実は、お願いしたいことが、ありまして、コメントさせていただきました。よろしければ、返信の方を、よろしくお願いします。
Posted by hayasi at 2006年09月15日 00:21
2000万おめでとうございます。
ただ、なぜHPという手段をもちながら情報が公開されないのか不思議です。何か理由があるのしょうか?
Posted by @@ at 2006年12月01日 22:2
(リベル) 今気付きました。
「トップページの左側Comments欄に入っているコメントに、返事を見かけません。見落としていらっしゃるのではないかと、お節介ですが・・・。」
と、最新の記事にコメントを付けましたので、さあ、みものですね・・・。
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Ichiroさん、ちょっとお教えください 投稿者:リベル 投稿日: 2月 4日(日)02時23分16秒 引用 編集済
判決文を読んでいて、良く分からないことが有るので・・・。専門家のお知恵拝借です。
スルフォン剤・DDS・ダプソンの違いについてです。
スルフォン剤にも色々あって(プロミン・プロミゾール・ダイアゾンなど)、その中にDDSが有る。しかも代表的(または「基礎となる」―判決文の表現です)なものである。
そして、DDSの経口薬がダプソンである。
こう理解して、正しいのでしょうか?お教えください。イエス・ノー程度でお願いします。余り詳しく解説されると、私の知識では追いつけなくなりますので、よろしくお願いします・・・m(_ _)m
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夕焼けさんへ Re: リベルさんとの相違をまずは埋める汗 投稿者:リベル 投稿日: 2月 4日(日)01時48分29秒 引用
夕焼けさんが、三年前にまで遡って、もう一度藤本事件について、整理をして下さいました。感じていることは、先ず共通しているのですが、再審についての理解に、少し食い違いが有るのではないかと思いました。
『どうもわが国民の気風は、国家が無罪と判決しないうちは無罪と認めない体制順応の傾向が強い。しかし無罪判決がマスコミではなばなしく報道される裏には、無罪判決のない無罪が、夜空の星の数よりも多いことを知らなければならない。これがほんとうの冤罪である。今後はそういうものの発掘にこそ努力しなければならない。そして体制側の刑事訴訟手続きでは、どうしようもないものは、私たちによって、人民の名において無罪の判決をすることになるであろう。それはあるいはすでに刑が終ったのちの裁判になるかもしれないが、そういうものであっても、現在の裁判をただすためには、決して無意義ではないとおもう。』(森長英三郎「冤罪の証明」・旺文社文庫・解説から)
これは山下峰幸氏の「壁をたたく音がきこえる」の中の「悼む 藤本松夫」と題する関原勇弁護士の講演(「菊池野」1984年12月号・1985年1月号から)の中から、拾ってきました。以前にもっと短く紹介したことがあります。
夕焼けさんはこの本は、お読みになったと思うのですが、(もし未だでしたら、購入方法はこちらです)この考え方については、どのようにお考えかを知りたく思います。その辺が、隙間を埋める手がかりのような気がしますが、如何でしょうか。よろしくお願いします。
追記:なお、もし必要と有れば、関原氏の講演部分はA4で約10枚なので、メールを頂けば、一日後くらいには(ゼロックスをとりますので)お送りできると思います。
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ドン・キショットさんへ Re: 「全患協ニュース」No.201より 投稿者:リベル 投稿日: 2月 4日(日)01時08分8秒 引用 編集済
「全患協ニュース」No.201(1962年10月15日発行)より
>
> ◇遺書かく時間も与えず真実の叫びを圧殺
> ―関原勇主任弁護士談―
> 藤本氏の処刑はまつたく抜きうちのむちやくちやなやり方だ。家族にも兄弟にも弁護人にも、そして本人にも知らせず、ヤミからヤミにほうむつたのだ。真実の叫びを一こともいわせぬように圧殺してしまつたのだ。
> 福岡刑務所の豊田教育部長は、三回“お別れ”を言つたとき、はじめて藤本氏が“死”を知つたようだというが、無実であり、再審の申立てをし、無罪を確信している人が、“お別れですね”といわれてピンとこないのはあたりまえだ。遺書を書く時間も、心の余裕を与えず、殺してしまつたのだ。
> 藤本氏の処刑は、きわめて計画的に綿密におぜん立てをしたとしか思えない。人を殺すために官憲が一体となり、極端な秘密主義と官僚主義のなかで事を進め、殺したあとも事実をかくそうとしている真実をおしつぶそうとする黒い意図が裏に働いているのだ。
>
> ◇“再審請求中でも処刑”
> ―国民救援会・日患・救う会抗議に当局が暴言―
> 国民救援会と日本患者同盟、藤本松夫を救う会の三団体の代表七名は、九月十八日午後三時、法務省を訪れ、当局に厳重な抗議を申し入れた。
> 勝尾秘書課長はまず「死刑執行命令にいつだれが、押印したかはいえない」と責任回避したうえで、@最高裁判決後は一回目の再審申し立て中であつても二回目であつても死刑は執行する。A処刑の決定は法務当局が資料を検討したうえで再審事由なしと認定した場合に行なう。B藤本氏の場合、熊本地裁が再審請求を却下することを確信していた。C減刑助命嘆願の却下や再審却下の通知を受刑者に通知する必要はない。D裁判で決まつたものをいつまでもずるずる処刑延期することは妥当でない、藤本氏は判決から五年もたつているとのべた。
> 各代表は、課長の発言は従来会見のたびに当局がいつてきた「再審の請求があるときは処刑しない」との言明とまつたく違う点を注目「最高裁の判決があつても、このような死刑にあたつては、当人は勿論のこと、当人を取りまく善意のひと、国民全部が充分納得、理解し得るだけの審理をつくし、処刑にあたつてはその説明と根拠が明らかでなくてはならない」「無実と信ずるから再審を申し立てるのだ、殺されてから真実が発見されても無意味だ。尊い人命を尊重する立場から慎重すぎるほど慎重に対処すべきだ」と要求した。
ドン・キショットさん、貴重な資料を有り難うございました。先日の抗議文と併せて、「藤本事件」のページと「藤本事件関連年表」(1962年のところ)に保存・掲載させて頂きました。
関原弁護士の言葉は、聞いたことがありましたが、法務省の暴言は初めて知りました。厚労省・法務省ほか、「官僚」というのは、非道い、としつこく言っている私ですが、こんなむちゃくちゃが、罷り通っていたのかと、これまた怒りを新たにしました。むちゃくちゃですね、全く・・・。
話は変わりますが、中山映画のblog、未だ返事が見当たりませんね・・・。
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監督が会いにきた 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 3日(土)22時44分32秒 引用 編集済
リベルさんへ
土曜日、恵楓園にいきました。社会交流会館も初めてですが、映画の撮影があっているのを知っていったわけです。はじめはどこか別の所で撮影のようでしたが、昼過ぎいきましたら、自治会棟で撮影中でした。それは映画撮影のイメージ通りで、大勢のスタッフ(30名といわれたましたが)と入所者など見物全体で50名以上でしょうか。後ろの人には 仕事をしていてください、といわれていました。(エキストラというわけでしょう)
よく知っている自治会の会議室で、関係者が主人公に資料を見せて訴えているところで、多い時は10回近くやり直しを続けていました。勿論シーンとして声もだせない状態で、あ、こりゃ監督に会えないなと 覚悟していた時ですが、チラと小生に気づかれた監督が出てきて私に挨拶されました。
私は単刀直入に 質問がいきますけど 宜しくお願いします。は? あのご存知ではなかったのですか? どなたからですか リベルさんです。どこの方ですか? 宝塚です。ああ、女性の方ですね。私:???
やはりリベルさんは リデルという女性と間違われてるのかな。
ほかにちょっと話しましたが、大勢の人を待たせているので、すぐ撮影の輪に入られました。返事の確約は されませんでした。映画制作の最中の忙しさもあり ちょっと返事の確約の一言が欲しかったのですが...........
夕焼けさんへ
ご批判は甘んじて受けますが、人間関係のことで深入りは避けています。ご了解ください。
(リベル) >質問がいきますけど 宜しくお願いします。は? あのご存知ではなかったのですか? どなたからですか リベルさんです。どこの方ですか? 宝塚です。ああ、女性の方ですね。
そう仰有って頂いた以上、質問状を突きつけざるを得なくなりましたね。本名で出すと、宝塚は宝塚だが、女性ではない、とがっかりさせるかも知れませんが・・・(笑)有り難うございました。(2.4 00:07)
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ちょっとお邪魔します。 投稿者:あずき 投稿日: 2月 3日(土)16時50分38秒 引用
>アンリ・ド・ブラーケレールという画家を知らなくて、検索してみました。「トランプ遊び」というのも好評のようですね。スペルが分かればもっと大きな画像が見られるのでしょうが、ご存知有りませんか?もしお分かりでしたら、お教えください・・・m(_ _)m (2.3 01:07)
リベルさんのご質問にお答えいたします。スペルは「Henri de Braekeleer」です。
この画家の絵は「ベルギー王立美術館展」の時に出会ったものです。
(リベル) ありがとうございました。早速Googleで検索しましたが、この絵のこれより大きいのは、見付かりませんでした。他に似た絵の大きいのは見付かりました。宜しければ、これをGoogleの「イメージ検索」して頂くと、あずきさん好みの絵が見付かるかも知れませんよ。(2.3 18:12)
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「全患協ニュース」No.201より 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月 3日(土)14時16分0秒 引用
「全患協ニュース」No.201(1962年10月15日発行)より
◇遺書かく時間も与えず真実の叫びを圧殺
―関原勇主任弁護士談―
藤本氏の処刑はまつたく抜きうちのむちやくちやなやり方だ。家族にも兄弟にも弁護人にも、そして本人にも知らせず、ヤミからヤミにほうむつたのだ。真実の叫びを一こともいわせぬように圧殺してしまつたのだ。
福岡刑務所の豊田教育部長は、三回“お別れ”を言つたとき、はじめて藤本氏が“死”を知つたようだというが、無実であり、再審の申立てをし、無罪を確信している人が、“お別れですね”といわれてピンとこないのはあたりまえだ。遺書を書く時間も、心の余裕を与えず、殺してしまつたのだ。
藤本氏の処刑は、きわめて計画的に綿密におぜん立てをしたとしか思えない。人を殺すために官憲が一体となり、極端な秘密主義と官僚主義のなかで事を進め、殺したあとも事実をかくそうとしている真実をおしつぶそうとする黒い意図が裏に働いているのだ。
◇“再審請求中でも処刑”
―国民救援会・日患・救う会抗議に当局が暴言―
国民救援会と日本患者同盟、藤本松夫を救う会の三団体の代表七名は、九月十八日午後三時、法務省を訪れ、当局に厳重な抗議を申し入れた。
勝尾秘書課長はまず「死刑執行命令にいつだれが、押印したかはいえない」と責任回避したうえで、@最高裁判決後は一回目の再審申し立て中であつても二回目であつても死刑は執行する。A処刑の決定は法務当局が資料を検討したうえで再審事由なしと認定した場合に行なう。B藤本氏の場合、熊本地裁が再審請求を却下することを確信していた。C減刑助命嘆願の却下や再審却下の通知を受刑者に通知する必要はない。D裁判で決まつたものをいつまでもずるずる処刑延期することは妥当でない、藤本氏は判決から五年もたつているとのべた。
各代表は、課長の発言は従来会見のたびに当局がいつてきた「再審の請求があるときは処刑しない」との言明とまつたく違う点を注目「最高裁の判決があつても、このような死刑にあたつては、当人は勿論のこと、当人を取りまく善意のひと、国民全部が充分納得、理解し得るだけの審理をつくし、処刑にあたつてはその説明と根拠が明らかでなくてはならない」「無実と信ずるから再審を申し立てるのだ、殺されてから真実が発見されても無意味だ。尊い人命を尊重する立場から慎重すぎるほど慎重に対処すべきだ」と要求した。
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「新・あつい壁」について何かを考えるとしたら、
やはりこの時点に立ち戻って考えてみたいと、
メモしてみました。
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愚民視されないためにも、慎重に冷静に!そして、提起する内容を重く、束ねることが先決で、リベルさんとの相違をまずは埋める汗 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 3日(土)12時46分26秒 引用
「再審する」という行為が、如何に通常とは異なる様相であるのか?ということは、想像できるものと心得ています。ですから、関原勇弁護士・山下峰幸氏のこれまでの行動は、その部分・・・、「冤罪」の確信、そして勝利というものが原告になる「ご遺族」に持ちえることが出来るのか否や!?にまずは、懸かっている・・・。そのことの理念の共有がまずは出来、ハンセン病に対する「スティグマ」・・・、このことの社会への解除を如何に市民レベルで、成していくのか?という、ある意味・・・果てしない闘争が我が国には、秘められているように思っています。
この大事な作業を置き去りに、映画化・・・、当初は藤本事件の映画化を!と言っていたと思いますが、このこと、つまり、
ご遺族との、「絆」を、もし!無碍に・・・映画制作を「正義」と前に進んでいるとすれば、このことが事実であれば・・・、「映画制作は何の為?」
たとえ、映画制作サイドが言う、藤本事件は題材であって、映画を作るのはハンセン病を罹患された多くの方々の為であって、そこに「正義」がある!
果たして完治された皆さまもほんとにこの思いで支持されているのだろうか?・・・、私は疑問です!?
山下さんに突きつけられた苦情は、私も活字の違い(書籍かネット)はあれ、「藤本事件」と、書く事でクレーム若しくは、「訴えるぞ」が、追ってくる可能性もありますが、山下さんの場合は、中山監督に対する侮辱罪も視やにいれているとのことでしたが・・・。
だがここで、今一度考えておかなくてはならないことは、なぜ?「F事件」「菊池事件」としなければならなくなったのか?の真意だと、思っています。
「冤罪として追求するのはご遺族の意志で不可能になった」・・・、この不可能となった原因を、もっともっと考えるべきだと、今、私は考えています。
もっと言わせていただければ、「再審」には映画制作以前より、希薄であったご遺族の心情・・・その理由も、我々は想像するべきだと考えています!
なぜなら、冤罪か!死刑囚か? ハンセン病は治る病であったのか!不治の病であったのか? さらに、「父」は「兄」はハンセン病であったのか!そうではなかったのか?
これらの多くの疑念が明らかにされる!と、信じられるのであれば・・・、私ならその多くの疑念は、共に晴らせるものなら晴らしたい!
だが、先にも言いましたように、我が国の人権を重んずる文化、国民性を考えた時・・・、その想いは萎えてくるのです・・・!その現実国家を鑑みた時、ご遺族の心情と照らし合わせ、そうさせない社会作りが私たちの課題であり、努力しなければならないことだと言えるのでしょうが・・・、「ハンセン病問題」という人権に大きくに携わる我々意識下でも、多くの「差異」が・・・、その「差異」の根源はなぜ?であるのか!を、
私はリベルさんのBBSで、語り合え導き出されれば・・・と、欲は大きく膨らんでいますが・・・
そのことからの、「市民の意」を、提起する行動へと・・・、願っています!
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Re: レスはまだです 投稿者:リベル 投稿日: 2月 3日(土)12時12分10秒 引用 編集済
> 映画「新・あつい壁」製作・上映委員会・事務局の皆さんにお願いです。
>
> まず、質問をさせてください。
> 製作費目標額を1億5000万円と設定されていますが、
> その根拠をご提示いただけないでしょうか。
> わたくしには、当該映画製作に1億5000万円の製作費がかかるということが理解できずにおります。
> Posted by ドン・キショット at 2007年02月01日 18:30
今見ると、1月31日の記事がトップに来ています。その左の「コメント欄」に、ドン・キショットさんの記事見出しが出ています。
ドン・キショットさん、私も追いかけます・・・!
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レスはまだです 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月 3日(土)10時58分30秒 引用
映画「新・あつい壁」製作・上映委員会・事務局の皆さんにお願いです。
まず、質問をさせてください。
製作費目標額を1億5000万円と設定されていますが、
その根拠をご提示いただけないでしょうか。
わたくしには、当該映画製作に1億5000万円の製作費がかかるということが理解できずにおります。
Posted by ドン・キショット at 2007年02月01日 18:30
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(リベル) 拝見しました。このページの一番下ですね。やりましたね。拍手、大拍手です。これで口火が切られました、私も追随します。皆様もイザ出陣!!!(2.3 11:55)
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続きです! 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 3日(土)09時56分52秒 引用
私の「藤本事件」 2 ・・・。 投稿者:夕焼け 投稿日: 8月17日(木)07時14分9秒 引用
「藤本事件」と、いうノンフィクション(史実)から、特に主権者を疎外しつづけた行政国家の実態に迫るものとしては、これほどのものは、「やはりない!」と、思います。
ハンセン病被差別化問題が戦後の 日本国憲法下 で、しかも、司法までもが取り込まれていたという共謀罪的な社会形態(国家機構)。その中から起きた「藤本事件」の深層の真相。
この社会形態・構造は、選挙によるものだと、早くから指摘くださっていました、志村さんの声が蘇ります。
以下、貼り付けます!
★Re: 志村康さんとキャッチボール 13 ( No.13 )
日時: 2004/06/05 00:42
名前: 志村 康
憲法はいい線行ってっていると思います、帝国憲法から敗戦によって主権在民の民主憲法には改変されました。
あの戦争は自由と民主主義を求める戦争ではなく、侵略戦争であったと思います。
日本国民の一人一人が自由と民主主義については勉強が不足しており
人権にいたっては尚更その意識は低いのではないかと思います。
主権者である国民が主権を直接行使することができるのは、国会議員の選挙です。自分が決めその投票には責任を持つことになれば、私たち庶民が考える政策に近ずくはずです。
やるからには中途半端でない法律を作りたいですねえ・・・
以上です。
私にとっては大きな提起だし、主権の行使について少しでも深く考えてみる切っ掛けでもありました。
この時期、私たちは「藤本事件」についてBBS上で、論議をしていました・・・、これも志村さんからの ※菊池医療刑務支所・収容者処遇! ※医療刑務所在監者数の推移! と、いう提起があってです!
★日時: 2004/06/10 22:27
名前: 志村 康
いいものを見つけましたので、おすそ分けです
菊池医療刑務支所・収容者処遇
運営方法
1)当所に収容する者は等しく犯罪者であることに変りはないが一面病者であり、しかも前途の光明極めて乏しい同情すべき犯罪者であるから収容者に対しては所内規律に反しない限り、あくまで仁愛の精神を傾けて、更生意欲の助長を図ることとする。
2)病者であるから療養の点では、らい療養所と何等異なる所なく療養に専心せしめる。尚医療管理上専門的技術を要する面については菊池恵楓園の協力を得ることに法務省、及び厚生省間の協定が出来ている。
問題は公正な裁判によって刑が確定したかと言うことであります。「前途の光明極めて乏しい」が量刑に対して働いたかと言う疑念があるからです。藤本事件を知れば知るほど、疑念は募るばかりです。
続いて、
★Re: 志村康さんとキャッチボール 13 ( No.23 )
日時: 2004/06/13 22:50
名前: 志村 康
医療刑務所在監者数の推移
1953.3月10日開庁定員75名
54ー19 71−2
55−22 72−3
56−22 73−2
57−15 74−2
58−8 75−2
59−8 76−2
60−10 76年10月〜77年4月「不在監」
61−10
62−9 77−1
63−7 78−2
64−6 79−1
65−6 79年5月〜80年1月24日「不在監」
66−5 80−2 85−4
67−4 81−2 86−1
68−4 82−2 新庁舎落成(定員10名)5月28日
69−3 83−5 87−1
70−3 84−6 88−0
(続らい予防法を問うより) 87年11月より「不在監)
たった一人11月までの為に新庁舎が作られた。
以上です。
この提起を下に、僅かな皆さまですが・・・、論議をさせて頂きました・・・。
昨日の、
続 東京裁判について 投稿者:Ichiro 投稿日: 8月16日(水)13時36分48秒
Ichiro さんの書き込みが、偶然なのか必然なのか知る由も有りませんが、
> まあ、弁護も充分できないと、納得できる裁判ともいえないであろう。
この提起は、「藤本事件」の司法への大疑惑となっている部分だと、感じています。
確かに「藤本事件」から、多くが見え、考えさせられます。この 考証・検証 無しには来月・・・、次なる政権(安倍政権?)への大いなる疑念も、見えてはこないのでしょうね!
人気投票的、政権が国家運営される時ほど、怖ろしいものはない!ことは、他国の史実からも推察できます。
そういった意味からも、この 藤本事件 の「再審」は、なくてはならないものと考えます。
どうか・・・、映画化が国民意識の変容まで結びつくことと、ぶ厚い壁ではありますが、その壁を破り 再審の扉(とびら) を、開く一助になってくれればと、渇望しています!!
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昨年の8月から・・・(リベルさんの掲示板より) 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 3日(土)09時49分7秒 引用
私の「藤本事件」・・・。 投稿者:夕焼け 投稿日: 8月14日(月)07時22分42秒 引用
「志村さんとキャッチ」より・・・
春の嵐の中・・・ ( No.89 )
日時: 2004/04/19 07:27
名前: 夕焼け
台風接近前を思わせる雨、風の中・・・足早に歩いてきました。(運よく、老犬が早めにウンチをしてくれました)
昨日は、今年4月5日に発行されたある紙面より1951年の藤本事件に関する記事が、わりと詳しく「藤本差別裁判」として記載されていましたので、目を通してみました。この記事を読み、もっと詳しい記事はないかと探してみましたら、「復権の日月」の中に事件の概要が記されていました。
どうしてこの事件をもっと知りたくなったのか!
犯人とされた本人がこの世にいないから、死んでしまっているからもうどうでも良い!!
そうではなくて、国(再審請求中であったにもかかわらず法務大臣の判により死刑執行された)に国家に殺された可能性があるからと思えたからです。
今まで「黒髪校の通学拒否事件」と「藤本事件」は恵楓園と直接関係あるということで概要はそれなりに知っていたつもりだったのですが。
今朝の嵐の重苦しい中を早々と歩きながらでも、藤本さんのご家族、親戚の方々の心情などを考えてしまうと結着どころか、この事件は今も直、生きている事件だと・・・今度の中間報告の中でもしっかり触れられているのだろうか・・・?
藤本さんの死【処刑】について?という視点から今後の成り行きを見守っていきたい。
拉致された3人が何であんなに落ち込んで帰ってこなければならないのか?
政府がそのような雰囲気づくりを仕向けたのでは?藤本事件同様、国家の都合からという疑念が私の心を覆った。外の嵐以上に・・・重苦しい朝だった。
Re: 「いつでもつぶやき〜小さな思いをよせあって」2 ( No.90 )
日時: 2004/04/19 13:24
名前: 志村 康 <kiss-yo@aioros.ocn.ne.jp>
夕焼さん
1962年(S37)4月23日熊本地裁に第3回再審請求
6月15日全患協ニュースを藤本事件特集で出す
8月25,26救う会本部及び九州代表による現地検証
9月11日中垣國男法務大臣刑執行押印
9月13日志村康 懸案報告のため藤本さんに面会
同日第3回再審請求・却下
同日深夜福岡刑務所に移監命令
9月14日7:45菊池医療刑務所を発つ
10:30分福岡刑務所着
13:07刑執行
電文「一四ヒマツオシス」15ヒ12ジマデニオイデコウー中略―インカンジサンノコト」フクオカケイムショ
皆さんも感じてください、再審請求中に押印までするとは嗚呼!
遺書は無かった。
どうしても知っておきたいこと! ( No.91 )
日時: 2004/04/20 07:16
名前: 夕焼け
この藤本事件を語るとき、藤本松夫さんの人物像が見えてこないところに「そんな事件も起きたのか!!」に留まっていた様な気がします。逮捕されるまでの29年間、犯罪者扱いされたままで生涯を終えさせられた11年間。今私は、松夫さんについてたくさん語っておきたい!そんな朝です
藤本松夫さんが40歳で亡くなった!!
処刑されたのか?
殺されてしまったのか?
この真実を探ることが、私のハンセン病の歴史に、新たな一ページを開くことのように思えます。
国民の皆さんに「藤本事件」を知ってもらうことが良いことなのか?私には解る術もありませんが、私個人としましてはこの事件を追うことで、ハンセン病問題の“怒り”が新たに沸き起こりそうです。
政府が、今回とった帰国する三人【イラク人質事件】の、必要以上と思われる護送手段(あなた方は大変なことをしでかしたのだ)と、権威ある方々の、拉致された3人の方々についてのコメント(大変な迷惑をかけたのだ)。
「お召し列車」ならぬ、輸送の弊害で国民を惑わした国家の思惑とがダブり「私たちに何をしょうとしているのか政府は?」またまた疑念は膨らんでいく。
皮肉にも外は清々しさが漂う素晴しい朝だった。
どうしても、知らねばならぬこと! ( No.92 )
日時: 2004/04/20 23:12
名前: 夕焼け
願い叶ってか!藤本松夫さんの僅か一部にでも、触れることができました。
押し鮨(ずし)のように
狭苦しい箱の中に閉じ込められて
消えかけた命を今日もまた引きずっていく
ああ…わずかな空き地でいい
腹の底から『馬鹿野郎』と
大きな声が出せるところが欲しい
藤本松夫さんが獄中で書き残した詩だそうです・・・・・・。
志村さんの言葉! ( No.93 )
日時: 2004/04/21 07:08
名前: 夕焼け
『遺書はなかった』という過去形の言葉が・・・私には疑問文の言葉のように捉えられ、重い言葉となっています。
熊本日日新聞の小林義人記者が、無実を訴えたまま殺人罪で死刑になったハンセン病患者、故、藤本松夫さんの数ある詩・短歌の中から『馬鹿野郎』・・・なぜこの詩を掲載したのか?この事件を取材したからこそ選べた詩のような気がします。
私には解る・・・理解できそうな気がしています。こうして一夜明けた朝でもこの 慟哭・己の運命への愁訴 とも取れるこの詩が、朝の散歩時でも私の脳裏に投げ掛けてくるからです。
『遺書はなかった』・・・この言葉が投げ掛けるもの。処刑されたとされた【処刑されるにしてもそれなりの 慈悲 というものがこの時代であればあるはず、なのにそれらしいものが無いことが新たな疑念となっています】松夫さんと前日にお会いしたからこそ生まれる言葉なのだと感じています。
一体なぜ?誰に?なぜ死ななければならなかったのか?
遺書を書く時間も与えられないままに死刑が執行されたことへの“大いなる疑念!!”
今、改めて「隔離政策がもたらした冤罪だったのではなかろうか?」という視点から、この「藤本事件」を注視していきたい!!
5月の大型連休には、園内に保管されているといわれる遺品の中からせめて自治会誌に頻繁に投稿されたという手記や詩・短歌を覗くことはできないだろうかと・・・願いは募る朝だった。
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Ichiro さま 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 3日(土)09時32分33秒 引用
私は、この度の「映画制作」に関しては、一貫して無言のお立場であると、その心情も私なりに理解されると・・・、悔しいが納得をせざるを得ませんでいました。
だが、ここに至り、映画制作についての「疑問」を、お持ちであるから、と、いう書き込みを読ませていただき、私は落胆を通り越えた「嘆きの感」を、持ってしまいました。私も「あなた」もリベルさんのBBSに、随時お顔を出すようになったのは昨年の夏、時は「藤本事件の映画化に対する論議」の最中であったと思います・・・。
私は、この映画企画が前進することにより、菊池の辛辣で頑固な方に及ぼす これからの影響 を危惧し、映画制作の根本からの見直し、そして、再考からの出直しを!九州も関東もない中での・・・、仲間としての“皆が押さねば成らぬ”という意識下で、達成して頂きたかった・・・。
たぶん、あなたは菊池の辛辣な方の お立場からの動向 で 無言という手法 なのだと、感じていましたが・・・、
では、なぜ?ここ(映画撮影が開始された・クランクイン)に来て、今更と思える映画に関する思いなどを書き込むのですか・・・、窮地のお立場(辛辣な方)になる、その人のことを考えれば、当然!昨年の、8月時からの論議の中に入り、「砂の城になりはしないか?」と、思える要素について、共に議論されなかったのですか?
議論の最中、とても大事な 要点 に触れようとした時、あなたの書き込みが、如何に多くの熱い思いを削いでいたことか・・・?
共に中に入って あなた の感性からの主観をお聞きしたかったか!?私は逆に、わざと大事と思える論議をさせないとする行為なのか?と、疑念を抱え イラツキモ 持っていたのです!
私は、今は・・・、菊池の辛辣な方には 「何を偉そうなことを言っ取るか!?、貴様などに養護と思える自惚れた行為など頼んだ覚えは、無い!?」と、一掃されそうですが・・・、・・・この想いは伝わるを信じ、苦悩していた、いいえ、苦悩しているのです!
Ichiro さま、私がなぜ?辛口の批評するのかといえば・・・。
あなたも、「志村さんとキャッチ」に2年前より、ご参加されていたからなのです!
この2年間の中に、「藤本松夫」さんに纏わる・関わる主要なお話はしていたにも拘らず、どうもあなたは ご自分の研究テーマ以外 には 関心の域は出ていなかったようですね・・・、残念です!
当時の志村さんが持つ「藤本事件の疑惑」ましてや、ご遺族をの了解・支持なしには、到底出来上がる映画化などでは、無い!ことは百も承知している、にも拘らず・・・、なぜ?その土台を蔑ろにしたかの・・・映画制作協力と成ってしまったのか!?
私は決して、中山さんちの映画blog内の編集者言う、
>今回の映画製作にかける全国の入所者の方々の強い思いは、もしこの機会を逃せばもう次の機会はないという、そうした切実な思いや願いに裏づけられたものであるということを痛切に実感しました。一刻も早く映画を完成させ、その曉には、現在の入所者、退所者、そのご家族のみなさんにこそ、第1番目に観ていただきたいと切に願っています。<
つまり、高齢化率が深刻な為の、急がなければならない映画制作である!というは、詭弁としか私には思えません!如何にも訴えている感はしていますが、急がなければ成らない真実は、包んで仕舞い込まなければ成らない現実が、制作費も半分で出来上がるのかどうかは分かりませんが、クランクインした・・・、そのことからの 彼ら の今ある窮状を、報道の記事や、彼らのブログ内から読み取れます・・・。
「報道陣よ!しっかりしろ。あなた方は、社会的な責任・責務に携わっていることを、今一度!心し、活字からの怖さを、考えて欲しい・・・」
先生!私の書き込みが悔しかったら今一度、当時の志村さんに触れてみてください!
先生は、志村さんのことが、心配では「ありませんか?」
是非!上記の貼り付けを・・・、目を通されて、頂きたい!!
「支持する行為とは?」は、全幅の信用・信頼から導き出したい!が、私の考えです!?
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リベルさんへ 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 3日(土)04時50分42秒 引用 編集済
リベルさんへ
映画製作についての疑問、たしかにありますので 質問してくださいませんか。
しかし 募金して映画製作というのは 確かにあるようで、昨年もうちの団体(病院、介護老人施設、その他を経営している)では 切符を前に買って、当地(阿蘇市)に映画館がないので バスを連ねて(正確にいうと数日に分けて でした。勤務の都合がありますので) 隣町(小国町)に映画を見にいきました。いい映画でした。
題は忘れてしまいましたが、内容は 心に傷を負った少女が 阿蘇の牧場の生活で 立ち直るという筋でした。熊本でだいぶ募金したようです。阿蘇のロケーションが大々的にあったので 協力にやぶさかではないという話でしたが、勿論内容に賛同して協力したわけです。
今回も うちの会では 申し出以上に 切符を買いました。監督が近くで講演会を行われたそうで それは私は知りませんでしたので 出席していません。
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夕焼けさんへ Re: (無題) 投稿者:リベル 投稿日: 2月 3日(土)02時25分10秒 引用 編集済
リベルさん、私は「二律背反」も尊びたいし(蔑ろにしたくはありません)、「副次的矛盾」が生ずる世は、私なりに理解しているつもりですが・・・、今回の映画制作が内包している「基本的矛盾」に関しては・・・、もっと市民間での合意形成、理念の共有するという行為が求められているような気がしています。
>リベルさんが、映画制作に対して、昨年導き出された思いは、主観の相違はあれ、その思いは受け止めようと、私なりに 努力 が求められていました。(上手く伝えられません・・・、ごめんなさい! 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 1日(木)07時21分46秒 内の書き込み)
と、書き込ませていただいているように、リベルさんの思いが、>、「映画サイド」の言い分を100%良しとしているのでないことは、これまでの私の発言から、お汲み取り頂きたいと思います。だが、私は映画を「支持する」<
この点が、私なりの努力しなければならない部位なのでしょうが、このことが私には難しすぎるのです・・・。私は、この 争点 を、深めていくことが 大事 なことのように 今 は考えているのですが・・・!?
私の中では、誠にスッキリと割り切れていると感じているのですが、でも、どうも説明が不十分なのかも知れません。自分の中の整理も兼ねて、もう一度書いてみます。
1)冤罪を追求する「死刑台のメロディー」のように、藤本事件を映画化するのかと、最初私は思っていました。しかし、ご遺族の意志でそれは不可能になりました。それでやむなく、藤本事件を「モチーフ」とした「ハンセン病差別の解決に取り組む映画」へと、路線変更になったのだろうと、私は推測しています。これは、やむを得ない事情だと思います。それならばそれで、その映画を作ることは、良いことだ。賛成する、『支持する』、声援する。というのが今の私です。
2)しかし、この路線変更について、何の説明も無いのはどうなのか?また、山下さんの「シナリオ批判」に対して、直接の回答が無いのはなぜなのか?制作費が篦棒に高い(皆様のお陰で、最近知った情報です)のは、どうしたことか?未だ「疑問」は有るかと思います。
私は「映画作り」の作法などについて、全く素人です。だから、そういう疑問に制作サイドが一々答えなければいけないのかどうかは、知りません。知らないから言えるのかも知れませんが、こういう疑問を見事に一掃してくれるような、メッセージを発してもらいたいのです。それが無い。それが不満です。『「映画サイド」の言い分を100%良しとしているのでない』というのは、そのことです。
100%良しとはしないが、支持するというのは、こういう意味です。こんな説明で、如何でしょう?分かって頂けたでしょうか?もし分かり難ければ更に追求して下さい。
そこで下のような提案をしているのです。サッパリと、疑問を一掃してもらうために、こちらから、働きかけてはどうか?疑問を箇条書きにして、ぶつけたらどうか?
こうしている内にも、撮影は着々と進行しています。さあ、どうしましょう。そうこうしている内に、はい完成。と言うことになって、いや結構良いのが出来たじゃないか。なるほど1億5000万円(1億8000万円でしたか)は、そこに使われていたのかと判明して、目出度し目出度しでチョン。ですか???(o_ _)oパタッ!
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気を取り直して再掲載:さあ、どうしようと・・・ 投稿者:リベル 投稿日: 2月 3日(土)01時21分24秒 引用 編集済
このような文章を作りました。このblogの一番下にある投稿欄から投稿するとか、上映実行委員会にメール(nakayama2005@dowbow.net)する(この場合は文章の一部を訂正しますが)とかを考えています。
『いつも拝読しています。
「新・あつい壁」がようやくクランクインし、菊池恵楓園でもロケが行われている由、新聞記事や、BBS「志村さんとキャッチボール」での志村さんの書き込みからも存じております。極寒の中、大変な撮影作業に、心から敬意を表します。
私の運営しているBBS「ハンセン病の落書き板」でもこのクランクインとその報道を契機に盛んな意見交換がなされています。一度ご来駕の栄を得たく存じます。「冤罪」問題のフェードアウトのこと、膨大な制作費の協力要請のことなど、批判的な立場の発言も、勿論あります。だからこそ、本当に参考になることが、お目に止まるかも知れないと思い、お勧めしてみる次第です。私達が本当に知りたいことだからです。
十分な情報を得られないでいる私達が、今回の映画化をどういう風に感じ、考えているか、その辺をお汲み取り頂けるかも知れません。
中山監督にも坂本克明委員長にもお読み頂き、厳しい反論を戴ければ、あらぬ誤解や、推測が解ける良い機会になるか、とも愚考します。
適当な投稿場所が見付からなかったので、こちらに書かせて頂きました。お目にとまることを祈っています。
665-0871 宝塚市中山五月台1−4−17 大槻雅俊 』
皆様の、1人で考えて勝手にせいとか、個人名を売り込むつもりかとか、出すならメールが良いとか、ここはこうした方がという文章の修正案とか、納得すれば積極的に応援する旨書いた方が良いとか、書かない方が良いとか、がいただければ有り難いと思って、お待ちしています・・・m(_ _)m
文章の、ここが悪いと言ったら、「削除」だの「アクセス禁止」だの穏やかでない手段に出たではないか! と仰有られると、これはもう穴があったら・・・(>_<)
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お詫び! 投稿者:リベル 投稿日: 2月 3日(土)00時34分11秒 引用
やれやれ、またやってしまったか、という心境です。
「○○○桟敷」はいけませんでした。私の大きなミスです。あの文章は、反省のため、削除も訂正もせずに、あそこに置いておきます。修正して改めて再掲載します。
人権感覚の欠如と言われても一言もありません。「」で囲めば良いか? という安直な感覚であったと、白状します。今後は、一層慎重に、言葉に気を付けるよういたします。厳しく反省致します。
ご不快にお感じになった方も、多くいらっしゃったと思います。心から、お詫び申し上げます。
なお、アクセス禁止は、解除しましたので、匿名さんどうぞまた何でもお書きください。ただし上↑のタイトルの下は、良くお読みください。また下のペイスト部分は、明日鬼が居なくなった頃、削除することを、今、お断りしておきます。
北風さんが、折角、冷静に擁護して下さっているのに、読みもせず先ず削除に走ってしまった軽率を、これも、お詫びします。
そうですね。爺い、消えろ! の声が出ない内に、進退を(柳沢さんでもなかろうに、大袈裟な)考えるべきかも知れません。今日、戸籍上は(実際のと二つ有るのです)、72歳になったことですし・・・。いや、真面目な話、です。
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削除のお知らせ 投稿者:リベル 投稿日: 2月 2日(金)18時28分3秒 引用 編集済
Re:さあ、どうしようと・・・ 投稿者:匿名 投稿日: 2月 2日(金)12時27分35秒
の投稿を、削除し、アクセス禁止にさせて頂きました。理由は、「悪意」のみからの投稿と判断したからです。投稿はコピーしてありますので、ご希望の方には、お知らせできます。
と書いてから、北風さんの投稿を読んで、やや、これは早とちりを・・・と。
ご参考までにその「投稿」をペイストします。私のレスも含めて。
「Re:さあ、どうしようと・・・ 投稿者:匿名 投稿日: 2月 2日(金)12時27分35秒
>私達、十分な情報から「つんぼ桟敷」に置かれている者達が、今回の映画化をどういう風に感じ考えているか、お汲み取り頂けるかも知れません。
リベルさんがあえて「」で囲んでお使いになったのか理解できませんが、
この言葉は放送禁止用語にもなっている差別用語ですよ。
あなたの人権感覚に対して大変失望しました。
人を傷つける言葉を平気であえて使うようなことは
絶対にやめてください。
許しがたい思いでいっぱいになりました・・・
(リベル) これを、どういう気持ちでお書きになったのか分かりませんが、余り信用の出来るお方とは思えませんので、「アクセス禁止」の手続きを取らせて頂きます。書いていらっしゃることが「アダルトサイト」か、それ以下の次元だと判断しましたので。この措置に反対のお方は、その旨お書きください。いや北風さんは結構です、持論を存じ上げていますから・・・。(2.2 18:12) 」
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人権感覚 Re: 宮古島の懐かしい顔 投稿者: 投稿日: 2月 2日(金)17時42分30秒 引用
>
> そういえば私のエッセイの出だしにこういうのがある。 ”目が不自由な人は ヘビにおじずと言う言葉があります。”
これは、ふざけた態度ですね。
> 魚の学会は いざり魚 などを訂正するそうである。人権というのは人間だけに認められているわけではなさそう。文章が不自由になってきたのはご時世であろう。
これも、ふざけていますね。
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宮古島の懐かしい顔 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 2日(金)17時21分59秒 引用 編集済
宮古島の懐かしい顔
宮古島の懐かしい顔がでてきました。
見過ごしていた。やっぱり検索力を強化しなくちゃ!
http://www.cosmos.ne.jp/~miyako-m/htm2/kyousei01.htm
http://www.cosmos.ne.jp/~miyako-m/htm2/kyousei02.htm
http://www.cosmos.ne.jp/~miyako-m/htm2/kyousei03.htm
http://www.cosmos.ne.jp/~miyako-m/htm2/kyousei04.htm
リベル様
そういえば私のエッセイの出だしにこういうのがある。 ”目が不自由な人は ヘビにおじずと言う言葉があります。”
魚の学会は いざり魚 などを訂正するそうである。人権というのは人間だけに認められているわけではなさそう。文章が不自由になってきたのはご時世であろう。
(リベル) 私に、呼びかけて頂いていますが、意味が、チョット分かりませんが・・・???
>文章が不自由になってきたのはご時世であろう。
私の「○○○桟敷」発言のことを仰有って頂いているのなら、これは、私が間違っていると思っています。私が削除したのは別の理由からなのです。(2.3 02:31)
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失礼ながら 投稿者: 北風 投稿日: 2月 2日(金)13時10分30秒 引用 編集済
Ichiro先生は跨がせていただいて。
差別の問題は、本当に難しい。
昔(確か1972年)、そのものずばりの『偏見と差別』という本がありました。
「ヒロシマそして被爆朝鮮人」と言う副題で、平岡敬(この人はどっかの新聞記者で、のちに広島市長もしたと記憶しています)編、 未来社から出版された。
この編集をしたのも尊敬する僕らの大先輩で、もちろん人権感覚にあふれる立派な人だった。
ところが、この本の「序文」だったか「はしがき」だったかに、朝鮮人被爆者の代表が「(ケロイドのある)われわれを世間は○病やみのように扱う」と抗議しているのにびっくり仰天したことがあり強烈な記憶として残っています。朝鮮人被爆者への差別と偏見を告発しそれと闘っている人たちが、ハンセン病の人たちへの想像力が及んでいない。(もちろん、コトバの問題をいっているのではありません)
そのときから、「人権」を守り、「差別」と闘うということは、非常に個別的なことだ。人権一般、反差別一般ということはありえないのだ、と思い知りました。(あえて言いますが、差別と闘っている療養所の中は差別のない世界かといえば、全くそうではありません)
何かの差別に反対している自分が、気づかずにあるいは気づきながら他の部分では「差別者」になっていることが「普通」なのだと思います。そうならないためには、逆説的ですが、自分が「本質的に差別者」であることを自覚し、常に自分のうちの「差別者」をひとつひとつ克服しようとすることでしか、ありえないのではないかと思うようになりました。
だから「○○桟敷」一件をとり上げて「失望」するのは、早いと。リベルさんに「課題」があることを指摘すればいいんではないでしょうか。
まあ、昨日絡んだお返しに「リベルさん擁護」に回ったと取られると困るんだけど、真面目にそう思っています。
追加
ハンセン病の「啓発」に「ハンセン病は遺伝病ではなく感染症だ(だから、そういう「偏見」や「差別」はやめてほしい)ということがあります。これに対し稀少難病の会が「稀少難病の9割は遺伝性だ。そういうキャンペーンはやめてほしいとハンセン病の側に申し入れたけれど、聞いてもらえない」という抗議をしていますね。
(リベル) あ〜あ、申し訳も有りません。折角のご厚意を、私の早とちりで、台無しにしてしまって。
有り難うございました。感謝の言葉が見付かりません・・・。そうじゃないんだ、と言われそうですが・・・。(2.3 01:13)
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ハンセン病と医学:紹介 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 2日(金)12時30分24秒 引用 編集済
ハンセン病と医学U
−絶対隔離政策の進展と確立ー
森修一、石井則久
日本ハンセン病学会雑誌、76,(1),29-65,2007
雑誌の最新号の論文。ページ数からわかるように大著で、文献も135も引用している。この問題については、世界のハンセン病史、中世、ノルウエー、ハワイなどの歴史から日本の隔離政策への歴史、プロミンの出現、WHOの政策まで、論じて倦むことを知らない。お勧めの論文である。キーワードとして、医学、隔離政策、北里柴三郎、ハンセン病、光田健輔が書かれている。
昭和2年に菊池寛らが土肥慶蔵(定年を迎えた東大皮膚科教授)へ座談会で質問したが、「らい病は隔離さえすれば、(完治)できます」と言われたのは初めて小生は知りました。「一番難しいのは結核です」と続く。
この論文の読みたい場合の一つの方法は、日本ハンセン病学会に入会されることです。元入園者の方も何名もおられます。学会はHPを持っています。
http://www.hansen-gakkai.jp
(リベル) 日本ハンセン病学会のサイトは、私も紹介していますが、なかなか良いサイトだと思います。参考になるところへのリンクも有ります。(2.3 01:35)
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出版屋端役 投稿者:あずき 投稿日: 2月 2日(金)11時56分8秒 引用 編集済
「小豆」の身で「大豆」並みの騒ぎのもとを起こしてしまって、すみません。
リベルさんの丁寧な対応に感謝いたします。
北風さん。「レベルさん」じゃないでしょ。
↓これは、アンリ・ド・ブラーケレールの「窓辺の男」です。
(リベル) なにも「すみません」など、仰有ることは有りません。いろいろ考えたりして、勉強になりました。感謝するのみです。有り難うございました。
アンリ・ド・ブラーケレールという画家を知らなくて、検索してみました。「トランプ遊び」というのも好評のようですね。スペルが分かればもっと大きな画像が見られるのでしょうが、ご存知有りませんか?もしお分かりでしたら、お教えください・・・m(_ _)m (2.3 01:07)
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出版屋代表 投稿者: 北風 投稿日: 2月 2日(金)09時45分25秒 引用 編集済
「映画と比べちゃ可愛そう」に過剰反応してしまった(苦笑)。
どの世界でも安直なのもそうでないのもあるわけで、詰まんないことでレベルさんに絡んで御免。
【書き直すと、辻褄が合わなくなるので。「レベルさん」は「リベルさん」の間違いです。訂正してお詫びします】
(リベル) あ、レベルさんにはお伝えしておきました。ホッと安堵の胸を撫で下ろされた様子で、本当に嬉しそうに相好を崩しておられました。私までつられて嬉しくなったほどです。くれぐれもよろしくお伝えして下さい、と仰有っていました・・・(笑) (2.3 00:45)
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(無題) 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 2日(金)07時42分37秒 引用
匿名さま
匿名さん、 ・・・どういう、どのような方なのでしょう!?と、考えてしまいました。
>「したいこと」と「すべきこと」との交錯が生み出すエネルギーが
他者への感動を伝えられるのだと思います。
この 言霊 を、発信できる 方(ひと)がこのHPを訪れていることを知り、感慨無量の 朝 を、迎えています。
お礼が言いたいです。
リベルさん、私は「二律背反」も尊びたいし(蔑ろにしたくはありません)、「副次的矛盾」が生ずる世は、私なりに理解しているつもりですが・・・、今回の映画制作が内包している「基本的矛盾」に関しては・・・、もっと市民間での合意形成、理念の共有するという行為が求められているような気がしています。
>リベルさんが、映画制作に対して、昨年導き出された思いは、主観の相違はあれ、その思いは受け止めようと、私なりに 努力 が求められていました。(上手く伝えられません・・・、ごめんなさい! 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 1日(木)07時21分46秒 内の書き込み)
と、書き込ませていただいているように、リベルさんの思いが、>、「映画サイド」の言い分を100%良しとしているのでないことは、これまでの私の発言から、お汲み取り頂きたいと思います。だが、私は映画を「支持する」<
この点が、私なりの努力しなければならない部位なのでしょうが、このことが私には難しすぎるのです・・・。私は、この 争点 を、深めていくことが 大事 なことのように 今 は考えているのですが・・・!?
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さあ、どうしようと・・・ 投稿者:リベル 投稿日: 2月 2日(金)06時18分24秒 引用 編集済
このような文章を作りました。このblogの一番下にある投稿欄から投稿するとか、上映実行委員会にメール(nakayama2005@dowbow.net)する(この場合は文章の一部を訂正しますが)とかを考えています。
『いつも拝読しています。
「新・あつい壁」がようやくクランクインし、菊池恵楓園でもロケが行われている由、新聞記事や、BBS「志村さんとキャッチボール」での志村さんの書き込みからも存じております。極寒の中、大変な撮影作業に、心から敬意を表します。
私の運営しているBBS「ハンセン病の落書き板」でもこのクランクインとその報道を契機に盛んな意見交換がなされています。一度ご来駕の栄を得たく存知ます。「冤罪」問題のフェードアウトのこと、膨大な制作費の協力要請のことなど、批判的な立場の発言も、勿論あります。だからこそ、本当に参考になることが、お目に止まるかも知れないと思い、お勧めしてみる次第です。私達が本当に知りたいことだからです。
私達、十分な情報から「つんぼ桟敷」に置かれている者達が、今回の映画化をどういう風に感じ考えているか、お汲み取り頂けるかも知れません。
中山節夫監督にも坂本克明委員長にもお読み頂き、厳しい反論を戴ければ、あらぬ誤解や、推測が解ける良い機会になるか、とも愚考します。
適当な投稿場所が見付からなかったので、こちらに書かせて頂きました。お目にとまることを祈っています。
665-0871 宝塚市中山五月台1−4−17 大槻雅俊 』
皆様の、出せとか出すなのご意見とか、出すならメールが良いとか、ここはこうした方がという文章の修正案とか、納得すれば積極的に応援する旨書いた方が良いとか、書かない方が良いとか、がいただければ有り難いと思って、お待ちしています・・・m(_ _)m
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念のため・・・ 投稿者:リベル 投稿日: 2月 2日(金)05時49分10秒 引用
夕焼けさんと、ドン・キショットさんへ、レスを書いておきました。大分離れましたので、念のため。
遅くなってご免なさい・・・m(_ _)m
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匿名さんへ Re: 夕焼けさんへ、二つの誤解に対する説明 投稿者:リベル 投稿日: 2月 2日(金)05時08分27秒 引用 編集済
冤罪を追求することは(再審も含めて)、ご遺族の固い意志が有り、不可能となった、と私は理解しています。だから、藤本事件はあくまでモチーフとして扱い、ハンセン病による差別の解決に取り組むという、中山映画には、賛成し声援を送っているのです。
>
冤罪として追求するのはご遺族の意志で不可能になったが、モチーフとして扱って差別の解消に取り組む、
ですか。
よく読むと、映画制作サイドが言っていることに、ご遺族の意志で不可能になったという情報を足しただけですね。
匿名さんの受け取り方はそうかも知れません。が、私はそういうことを書いているのではありません。「映画サイドの言っていること」ではなく、それは「事実として存在すること」でしょう。また、仮に」映画制作サイドが言っていることに、ご遺族の意志で不可能になったという情報を足しただけ」であっても、それがいけないことのように仰有る理由が分かりません。私は映画を「支持する」と言っていますが、「映画サイド」の言い分を100%良しとしているのでないことは、これまでの私の発言から、お汲み取り頂きたいと思います。
十坪住宅推進運動としてはご名答、という感じですが・・・
リベルさんのような聡明なお方が、これで納得してしまわれるとなると考えてしまいます。
十坪住宅推進運動との結びつきが私には分かりません。それから私は決して聡明ではありません。いずれにしろ私が納得しているのですから、「納得するな」と仰有られてもそれは無理なことでしょう・・・(笑)少なくとも、私はこれで納得することを恥じては居ません。
全療協にせよ恵楓園の志村さんにせよ、どうしてそんなに「藤本事件」を、あるいは藤本松夫さんを、ご自分たちの歴史の重みや厚みを、安売り、切り売りしてしまったのでしょう。
そうさせてしまったものは何だったのでしょうか。
言い換えれば、売り急がせてしまったものは何だったのでしょうか。
「売り急がせてしまった」と断定するのはどうなのでしょう。内情を知らない私達が、口にしてもよい言葉でしょうか。
そういふもの から在園者を守っていかなければならないというのが、
むしろ過剰なまでに、そういう力からは守って行かなければならないという使命のようなものが、私たちの間には、あったと思うのですが。
そういう思いは、「使命感」からではなく、心の底からの叫びが、自ずと抱かせるものであるべきなのでしょう。私は自分が、そのことを忘れがちであることに気付かせて頂きました。その点を感謝しています。有り難うございました。
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猪武者@自宅さんへ Re: にもかかわらず Re: これはリベルさんの言葉とは思えないね。 投稿者:リベル 投稿日: 2月 2日(金)03時17分13秒 引用 編集済
> しつこいようですが。
> まさにその「問答」そのものに対して申し上げた。
> 「一人歩きしている言葉」ではなく、まさに「リベルさんの腕の中に抱かれた」言葉に対して申し上げました。
>
> 自分の「仕事」を言うのではありません。「映画」と「出版」のかかわりについて申し上げている。
>
> なぜ「映画の仕事」を「出版」と比べたら「監督が可哀想」なのでしょうか。むしろ、そういわれた「出版」がかわいそうです。
> まあ、これが世間の出版に対する認識かと少し虚しくなりました。これ以上言いますまい。
しつこい、などという受け止め方は、全くしておりません。それだけ私の説明が、不十分、不誠実、横着であったのではないかと、恐れておりました。お読みになる他の方に分かりにくいといけませんし、もう一度、最初の問答を再掲載させて下さい。
(無題) 投稿者:あずき 投稿日: 1月30日(火)16時42分58秒 引用 編集済
映画「新・あつい壁」の制作過程、資金問題などを、ずっと読んできて思ったことなので
すが、これを「出版」に置き換えて考えてみるとどうでしょうか?「ハンセン病」をテー
マとして出版されたものはたくさんありますが、出版社がその資金協力を求めたという例
は聞いたことがない。そのことに誰も気付いていない。何故、映画の世界はそれを可能に
するのか?それに協力している方々にたずねてみたいものです。
(後略)
(リベル) いや、あずきさん、出版と比べては、可哀想でしょう、中山監督に。たとえば「もののけ姫」のエンディングロールを見てみると、ずらり、大スポンサーが名を連ねているでしょう。映画作りに詳しいわけではありませんが、興行収入の見込めるものは、あのようにスポンサーがどさっと大金を投じるのだと、そう思われます。だからそこは、理解して行かなければいけないと、私は思います。(1.30 23:30)
実は、プリントアウトしたものを、歩きながら読んで、ミニレコーダーに思うことを録音して、先程からそれを書き写して、再度考えていました。録音はとぎれとぎれに11回有りました。最後から二番目に「最初の問答に、本質的なものが有る気がするから注意」、という一言が有りました。
そのお陰で、本質を見付けられた気がします。だから、録音して、書き写したものの大半(誠実ではあるが、本質を見落とした弁明でした)は無駄にして、新たに書きます。
上のあずきさんの言葉の中の「ハンセン病」をテーマとして出版されたもの」から、私がイメージしたものは、1人の著者による単行本でした。後に太宰治の例が臆面もなく出てくるのがその証左ですが。これが、「問題の本質」です。「ハンセン病文学全集」「大辞林」「裁判全史」「日本国語大辞典」(並べ方に工夫しておる!)などの「出版」を完全に失念していました。弁解になりますが「出版」という事業と「映画制作」を比較する、という意識が、念頭に登らなかったのです。
いかがでしょうか?これで私の失言の理由がお分かり頂けたでしょうか?初めの方に「私の説明が不十分云々」と有りますが、これは残しておいて(書き直さずに)その言葉も間違いであった、とお詫びします。「説明」とか「不十分」とかの問題ではありませんでした。
「ハンセン病文学全集」を考えても、随分昔に、「発想」があり、作品の収集、編集委員の説得に始まって、長大な難路を踏破するのも「出版」という仕事です。言わずもがな、ですが。
> まあ、これが世間の出版に対する認識かと少し虚しくなりました。これ以上言いますまい。
と猪武者さんを嘆かせてしまった、私の罪は重いです。あずきさんの文章の読み方が不十分、横着でありました。でも良かったです、私の軽率を、気付かせて頂いて。頂門の一針として、今後の発言を、うんと慎重にするよう、気を付けます。
本当に、申し訳ありませんでした。猪武者さん、あずきさんだけでなく、他の皆さんにも心からのお詫びを申し上げます。
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余談:芸術とは 投稿者:リベル 投稿日: 2月 2日(金)00時59分33秒 引用 編集済
千住博さんの本を読んでいて、思い出しました。
十数年前、行きつけのバーで、某民放のおえらいさんと雑談をしていて、談たまたま芸術に及びました。
「ところで芸術とは、一口に言えば、何なんでしょう?」
彼は言下に
「芸術とは画商なり」と言い切りました。
「画商?」
「そう、画商です」
「?」
「家内の親父さんが、所謂『売れない絵描き』でしてね」
「・・・?・・・なるほどおっ・・・!」
となりました。かれの居宅は台所、トイレ、階段まで絵で埋まっているとやら。
「芸術とは画商なり」で検索すると、この話を紹介した私のサイトだけしか出てこないところを見ると、この言葉は、彼の創作なんでしょうね・・・恐れ入りました・・・。
モディリアニも売れない絵描きでした
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Re: 上手く伝えられません・・・、ごめんなさい! 投稿者:匿名 投稿日: 2月 1日(木)22時24分31秒 引用
夕焼け さま
ありがとう。
あなたのおかげでまた一つ世界を知りました。
「したいこと」と「すべきこと」との交錯が生み出すエネルギーが
他者への感動を伝えられるのだと思います。
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Re: 上手く伝えられません・・・、ごめんなさい! 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 1日(木)21時59分6秒 引用
> この裏づけは、田中等さんご夫婦が出所した鳥取のTさんに、スーパーへの買出しや、これからのTさんのサポート役を買っている事実を知らされたと同じに、非入所者問題、鳥取の高○事件から見える、「らい予防法」違憲国家賠償請求事件闘争時の疑問!が、私を大きく悩ましているからです。
>
申し訳ございません!上記の文を下記のように 訂正 してお詫び申し上げます。
この裏づけは、田中等さんの奥さんが、東日本退所者の会・柴 田 良 平 氏(http://www009.upp.so-net.ne.jp/shutoken/message1.html)をサポート(スーパーの買出し等、など)することをかっている事実や、非入所者問題が下で、起きたと推察される事件!鳥取の高○事件・・・、つい最近 Tさん は出所されましたが、ここにも心ある方々のサポートを知ることが出来ました。この退所者・非入所者問題から生じている多くの課題は、「らい予防法」違憲国家賠償請求事件闘争時との関わりが懸念されています。
田中等さんの友人からのメールで、事実誤認を知ることが出来ました。友人である方に感謝とご迷惑をお詫びし、事実誤認からの書き込みに対して皆さまにも・・・謝罪いたします。「申し訳ございません」
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もっかいトラ狸 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月 1日(木)20時26分6秒 引用
4 製作資金の調達計画
1)製作・上映協力券の普及
全国で33万枚の製作・上映協力券の普及を目標とする。(総製作費3億3,000万円)
このうちの約50%(1億5,000万円)を製作費とする。
2)製作助成金の申請
関係自治体及び各種団体等に製作助成金の申請をする。以上
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うーん、どうしても理解できない。
*上映協力券普及目標=33万人×1000円=3億3000万円(←これが総製作費?)
*このうち1億5000万円を製作費とする
「総製作費」−「製作費」=1億8000万円
(ってことは、最初っから、「製作費」名目で1億8000万円の粗利益を盛り込んだ目標設定になっているわけよね。)
そして最終目標として、3000ヶ所の上映と100万人の鑑賞を目指す。
これだけ短期間につくられる映画に1億5000万円の製作費がかかるとは、
私にはとても理解できない!!
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Re: 同じ構造 投稿者: 投稿日: 2月 1日(木)19時16分38秒 引用
>
> ところで、Ichiroさんの投稿は、
> これもあれですか、ジツは何か深い訳があるとか??(苦笑
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ダミアン神父の感染発病:Skinsnes先生の話 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 1日(木)18時57分57秒 引用 編集済
ダミアン神父の感染発病:Skinsnes先生の話
ダミアン神父みたいに謎の多い人物については 色々の人の意見で総合して考えた方がよさそうである。私はJopling先生に色々話を聞いてエッセイを書いたが(●このブログにもある)、同じ問題について有名なハンセン病学者 Olaf K. Skinsnesが書かれたThe leprosy of Father Damien De Veuster. The Star, 43(2)10-11,1983-Nov-Dec)を書かれたのに気づいた。
●モロカイ島の殉教者ダミアン神父 日本医事新報、3669,65-67,1994.
ダミアンはジョセフ ダットン(年下の神父、ダミアンーダットン賞の)に、彼は既にハワイ島で顔に痒い、ひりひりする感じがあると告白したが、この著者はこれは心理的なものだろうと述べている。
●私は某大学に在籍した時に、痒みが著名であったハンセン病を2例発表したことがある。雑誌は皮膚病診療であり、この雑誌は、Medlineに採用されていない。しかしSkinsnes先生と私では横綱と前頭以下であるので、先生を信用しよう。
ダミアンは汗のない皮膚の変化を初めて1876年に気づいた。これが最初のサインであったろう。医学的には1885年1月に診断がつけられている。(または1884年の後半)彼のはっきりした皮膚の変化は死ぬ13年前、カラワオ(モロカイ島)到着後3年出現した。
ダミアンは1874年か75年、足が熱いと訴えた。これはらいに対する神経血管の反応だろう。らいそのものではない。ダミアンは凄く歩いていたし、労働者の靴を履いていた。
ハンセン病の潜伏期間は3−5年とも、また、15−20年とも言われる。
(ここに潜伏期間と 年少の人のL型らいの話がでてくるが省略する。)
ダミアンの時代、ハンセン病は人口の3−5%が罹患した。(文献を引いていないが、私が前に挙げた文献によると 1割であった)流行の通常は1%以下であるが、殆どの住民が罹患した例がある。(文献を挙げてあるが私はまだ読んでない)
中略
ダミアンはカラワオ(モロカイ島)に1873年5月10日に上陸した。(たぶん、同年2月、ハンセンは菌を発見した)著者の想像によると、ダミアンは彼の家族内にらい患者がいないので、少しは安心したろうという。(遺伝説を考えて)ナイセル(ハンセンのライバルでもある細菌学者)の弟子、アーニングがハワイに訪れ、ダミアンに細菌説を説明したので(?)ダミアンは半島に3年いたうちに菌をもらったと確信したのだろう。(アーニングはダミアン神父に診断を申し渡した)
●このあたり想像が混じっている。
当時の極めて悪い衛生状態を考えると、ハンセン病患者をお世話する人や、患者自身と比べてみても、ダミアン神父は、物凄い大量の菌の暴露を受けていることは間違いない。
ダミアンはたしかに体質的にらい菌に弱い体質ではあったが、発病後、13年も生き長らえた。
以前、ベルギーにハンセン病があったので、そこで感染したという説をとなえた中傷者もいる。2歳以下で感染したという人もいる。それはダミアンのハワイにおける経験と動機を貶め、科学的想像を名誉毀損にまでもっていくものである。
私の結論:ジョップリングがらいに罹り易い体質は5%としたのに対し、この著者はフィリッピンの研究で2%、または1%弱と考えている。%の相違はあるが、ジョップリングもこの著者も、体質により、凄い暴露があればL型を発病したという所は同じである。
●最後のcoincidence;Jopling先生は平成9年8月20日、Skinsnes先生は平成9年12月21日なくなられた。Skinsnes先生のお弟子さんの松尾英一先生(当時 国立感染症研究所ハンセン病研究センター長)がSkinsnes先生の弔辞を、私がJopling先生の弔辞をハンセン病学会雑誌の同じ号(67,2,1998)で書いた。
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覗いてきました 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月 1日(木)11時21分12秒 引用
> 時間の許す限り、このHPを、覗いてみてください・・・、映画制作へのカンパの、あまりにもの、その差異に驚かされます。・・・私にはこのHPから「誠意」が伝わってきます。映画制作への 挑戦 の、ひとつでもあります。
http://homepage2.nifty.com/bokuumi/
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↑を覗いてきました。(私も、海が見たくなりました。)
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1962年の全患協の声明 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 2月 1日(木)10時46分51秒 引用
◇声明書 [「全患協ニュース」1962年10月15日号より]
私たちは第7会全国ハンセン氏病療養所患者協議会支部長会議を開き、患者の権利を守り、生活の向上をかちとるための会議の席上、藤本松夫氏の死刑執行の報に接し深い悲しみといきどおりを感ずるものであります。藤本氏に対する死刑の判決は、まつたくハンセン氏病なるが故の偏見と予断にもとづく不当きわまるものであります。その裁判も世間の目にふれず暗やみでおこなわれたものでありました。私たちは、守る会、国民救援会、その他国民各層の支援にまもられて再審の斗いをつづけてまいりました。犯行時のアリバイも明らかになり無罪をかちとる日も近いと確信していたや先、ひそかに死刑執行したことは、人権を無視し、人命を軽んずる検察、法務の反動性をバクロしたものであります。私たちは、この人命軽視と、人権の侵害をてつてい的に追及し、無実の人命をうばつたものに対する斗いを、さらにおし進める決意であります。
1962年9月16日 全国ハンセン氏病患者協議会
第7回臨時支部長会議
(リベル) これは、死刑執行の二日後に出された抗議声明文ですね。早速頂戴して「資料」にしました。「藤本事件関連年表」からもリンクを張りました。貴重な情報を有り難うございました。(2.2 5:46)
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追記 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 1日(木)07時26分14秒 引用
貼り付けられた、HP内の「制作費募集」は、必見である!と、感じています!!
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上手く伝えられません・・・、ごめんなさい! 投稿者:夕焼け 投稿日: 2月 1日(木)07時21分46秒 引用
リベルさん!もしや、ですが・・・、この BBS をリベルさん以上に読み込んでいるのは私の方かもしれませんよ・・・。コピーだって、ほとんど取っているのです!リベルさんの散歩時の趣きとは多少の違いはありますが、色鉛筆などでコピーされた言霊などに、チェックや語りかけを、場所を変え・・・行なっているんです。
北風さんの言う、>小生は、理に走りすぎる「性」があって、
このことに、「あこがれからの学びを持ち得たい!」という、行動と自分では解釈しています。
「密約」なることばで、リベルさんを怒らせた感はありますが、どうぞ深い意味も、この言葉が地に落ちた言葉であったことすら知らずにいました。「内緒話」ぐらいの認識だったのです。ごめんなさい!
リベルさんが、映画制作に対して、昨年導き出された思いは、主観の相違はあれ、その思いは受け止めようと、私なりに 努力 が求められていました。
ですから、そのことを重要視すれば、クランクインとして動き出した現実に対しては「横槍は入れるべきでない」「見守る姿勢も、必要で・・・、悔しいけれど・・・」と、判断していた次第です。
この思いは、北風さんを含めた多くの心ある(真理を追い求め、そのことに汗を掻くことは決して厭わない)方々も、持ちえているのかなぁ〜!との判断で、リベルさん、北風さんの友情をお互いの書き込み内より、私なりに感じていましたので、このような書き込みとなりました。
今、私が持つ大きな課題!
「らい予防法」違憲国家賠償請求事件闘争(熊本国賠訴訟)時の、「2年10ヶ月間」に、藤本松夫さんのご遺族や、「藤本事件」を支援されて来た方々との、接点については、どうだったのだろう?と、いう真実・事実を考えているところです。
多くの民意を巻き込む(民意の同意!)?ことに成功したと思える熊本国賠訴訟、闘争時・・・、この時期にハンセン病問題との大きな軋轢をつくってしまい、松夫さんの家族・遺族の頑なまでの、壁が生じたのではと、感じているのです。
この裏づけは、田中等さんご夫婦が出所した鳥取のTさんに、スーパーへの買出しや、これからのTさんのサポート役を買っている事実を知らされたと同じに、非入所者問題、鳥取の高○事件から見える、「らい予防法」違憲国家賠償請求事件闘争時の疑問!が、私を大きく悩ましているからです。
この外にも、植民地以下のハンセン病被差別化問題・・・、川田えつこ元議員の国会内での一人だけの闘い・・・、控訴断念よりひと月も経たない六月という考えられないほどの速さでの告示224号の問題など・・・!?
私が、もしも・・・、もしも松夫さんの身内なら、本気で冤罪を暴くという観点からの闘いをしてくれるという真意がそこにあると、思えれば・・・、飛び込んでいくでしょうね・・・、私なら・・・
「父」の「兄」の汚名が、晴らされる!そのことが確信できれば、飛び込んでゆくでしょうね・・・、私なら・・・。
世間、マスコミの多くの民意を惹き寄せた、「らい予防法」違憲国家賠償請求事件闘争(熊本国賠訴訟)・・・ここに・・・、ご遺族の方々に触れていたのだろうか?という、傲慢としか思えないであろう想いが、私を襲っています・・・。
マスコミというより、全国版の新聞その支局長と知り合える切っ掛けを頂きました。彼の身内である新聞記者の気質への「理」を追究する姿に、心打たれ・・・、そのジャーナリストがもし、この「新・あつい壁」を、記事にするならと考えてしまった時、容赦なく追究のペンは離さないことでしょう!と、感じてしまいました。
北風さんのご紹介、「詩人尹東柱とともに集う」内の、>その非命の生涯を肝に銘じ、今の私たちの行くべき道を考える、そんな集いを開きます。
このような集会は、とても、心動かされます。
私からの情報としては、昨年の春より僅かばかりの支援しかできていませんが・・・、「映画制作をする行為」といった観点からは、決して無駄な情報とは思えませんので、紹介させて頂きます・・・!
時間の許す限り、このHPを、覗いてみてください・・・、映画制作へのカンパの、あまりにもの、その差異に驚かされます。・・・私にはこのHPから「誠意」が伝わってきます。映画制作への 挑戦 の、ひとつでもあります。
http://homepage2.nifty.com/bokuumi/
(リベル) >「密約」なることばで、リベルさんを怒らせた感はありますが、どうぞ深い意味も、この言葉が地に落ちた言葉であったことすら知らずにいました。「内緒話」ぐらいの認識だったのです。ごめんなさい!
夕焼けさん、そうでなくて、「天地神明に誓って」と言ったあのエコノミストさんが、簡単に再犯を犯したから「天地神明・・」が地に落ちた、と書いたのです。「密約」は未だ落ちていないし、落ちないだろうから、どうぞご安心ください。また、私が「密約」に過剰反応したことを恥ずかしく思っています。
「ぼくはうみがみたくなりました」の制作費を知って、ありゃっ!と驚きました。1億5000萬円???と。
レスが遅くなってご免なさい・・・m(_ _)m (2.2 5:19)
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にもかかわらず Re: これはリベルさんの言葉とは思えないね。 投稿者:猪武者@自宅 投稿日: 2月 1日(木)05時49分3秒 引用 編集済
>「「ハンセン病」をテーマとして出版されたものはたくさんありますが、出版社がその資金協力を求めたという例は聞いたことがない。そのことに誰も気付いていない」
>に対して私が
>「いや、あずきさん、出版と比べては、可哀想でしょう、中山監督に」
>と答えたのが、あの問答を生んだのです。
>言葉は、一人歩きし始めると、恐ろしい生き物になる、と実感しました。
しつこいようですが。
まさにその「問答」そのものに対して申し上げた。
「一人歩きしている言葉」ではなく、まさに「リベルさんの腕の中に抱かれた」言葉に対して申し上げました。
自分の「仕事」を言うのではありません。「映画」と「出版」のかかわりについて申し上げている。
なぜ「映画の仕事」を「出版」と比べたら「監督が可哀想」なのでしょうか。むしろ、そういわれた「出版」がかわいそうです。
まあ、これが世間の出版に対する認識かと少し虚しくなりました。これ以上言いますまい。
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Re: 夕焼けさんへ、二つの誤解に対する説明 投稿者:匿名 投稿日: 2月 1日(木)05時22分3秒 引用 編集済
>冤罪を追求することは(再審も含めて)、ご遺族の固い意志が有り、不可能となった、と私は理解しています。だから、藤本事件はあくまでモチーフとして扱い、ハンセン病による差別の解決に取り組むという、中山映画には、賛成し声援を送っているのです。
>
冤罪として追求するのはご遺族の意志で不可能になったが、モチーフとして扱って差別の解消に取り組む、
ですか。
よく読むと、映画制作サイドが言っていることに、ご遺族の意志で不可能になったという情報を足しただけですね。
十坪住宅推進運動としてはご名答、という感じですが・・・
リベルさんのような聡明なお方が、これで納得してしまわれるとなると考えてしまいます。
全療協にせよ恵楓園の志村さんにせよ、どうしてそんなに「藤本事件」を、あるいは藤本松夫さんを、ご自分たちの歴史の重みや厚みを、安売り、切り売りしてしまったのでしょう。
そうさせてしまったものは何だったのでしょうか。
言い換えれば、売り急がせてしまったものは何だったのでしょうか。
そういふもの から在園者を守っていかなければならないというのが、
むしろ過剰なまでに、そういう力からは守って行かなければならないという使命のようなものが、私たちの間には、あったと思うのですが。
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昭和14年15年という時代 投稿者:Ichiro 投稿日: 2月 1日(木)03時22分41秒 引用 編集済
昭和14年、15年という時代
リベル様 遅くなりました。
らい予防協会発行”療養の手引き”(昭和14年7月発行、内容は大体多磨全生園のことである)には 目的がハンセン病患者を入所させるという大目的のためですから、病気に関する説明は一切ありません。まあ無らい県運動の極期でしょうか。
治療に関しては写真多数で、大風子油を数年つづけると斑紋結節浸潤は消え、眉毛頭髪が再び生えるなど頗る効果があります、と書かれている。写真を見ると顔面頭部に包帯を巻いた患者さんが多いですね。ついでにいいますと、頭部の禿頭症は 日本では 特異的の多いといいます。
(外国では余りみられない)その理由はよくわかりません。
入所させるという目的のための写真は多いですね。農場、印刷工場、竹細工を行っている所、ミシンを使用している写真、芝居をしている写真、ブラスバンド、野球、宗教行事、図書館、学校、保育所、売店、豚舎、牛舎、果樹園、三浦環夫人の独唱会、消防団の出初式(軽症の人50名が団員とある。)文章は普通であり特に易しく書いた印象はない。
重症室は2列合計10名の部屋のようだ。各療養所の写真もある。時期的な問題で国頭愛楽園は建設中である。収容に使う大型自動車(16名乗れる)は 正に大型自動車で(バスという印象はない)、前に大きく 東京府というプレートがある。
多磨全生園が菊池恵楓園と異なることは、夫婦舎がこの時期に出来ていることでしょうか。恵楓園ではたしか昭和26年です。
昭和15年9月ナースの座談会(主婦の友)では、当時の考えがでています。
ナース:接触伝染ですが、接触しても健康な皮膚からは病菌は入りません。創傷のある部分から入りますから、そこの消毒さえしておけば大丈夫です。
婦長:カトリック信者の方は宗教上消毒をいたしませんから感染された方が稀にありますが(ママ)全国15,6ヵ所の療養所の看護婦が全部で200余名おりますが日本人の看護婦は今まで犠牲者は一人もでておりません。
患者さんに関して泣かせることを多数語っています。ちょっと初めて知ったのですが
婦長:朝夕の2回、患者が包帯のまま入浴して上がってきますから、すぐその場で包帯交換をしてやるのです。
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厚労省が逃げを打つ 投稿者:リベル 投稿日: 2月 1日(木)03時01分57秒 引用 編集済
「ニュース速報から持参しました。
WAM NET(独立行政法人 福祉医療機構)に「検証会議最終報告書」が?(2/1)
#「ハンセン病の落書き板」Re: 転載〔1〕 投稿者:リベル投稿日: 1月27日(土)01時00分57秒 をお読みください。
こうして、バラマキが始まったのです。この蠢動は、その内「厚生労働省」のHPから「検証会議」の文字が消え去ることを
予告しています。
WAM NET
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夕焼けさんへ、二つの誤解に対する説明 投稿者:リベル 投稿日: 2月 1日(木)02時08分45秒 引用 編集済
夕焼けさん、ご無沙汰でした。志村さんのところでチラッとお見かけした以外、見かけなかったので、お身体でも?と案じていましたが、先ず安心しました。遅くなりましたが、私は午前11時と午後11時に起床するものですから・・・。前に書きました下の二つのことに、お答えします。
この北風さんの行為が、私を重く悩ませ、クランクインという事実に対し、あきらめからの傍観の域?、そして、見守ることに努める決意!なのか、と、リベルさんとの密約を感じていました。
私と北風さんの間に「密約」をお感じになったとあります。それは間違った想像です。北風さんとはメールの交換を通じて資料を送り、送られることはあっても、それ以上の深い関係(笑)は全くありません。お会いしたこともなければ、電話でお話ししたことも有りません。
ましてや「密約」などという類のことは、天地神明に・・・おっと、これは某エコノミスト氏によって、地に落ちてしまいました・・・尊敬する父の霊に誓って、有りません。
そんな中、ここ数日映画制作に関する書き込みを目にし、リベルさんの求めているもの(真意)が、全く分からず、敢えて書き込みをさせていただいてる次第です。(中山監督は好きだが、映画化には多少の疑問もある!という、お立場)
私は映画化には「疑問」を持っていません。これは昨年の暮れに書いているように、私の中では解決し、皆さんにお詫びを申し上げています。冤罪を追求することは(再審も含めて)、ご遺族の固い意志が有り、不可能となった、と私は理解しています。だから、藤本事件はあくまでモチーフとして扱い、ハンセン病による差別の解決に取り組むという、中山映画には、賛成し声援を送っているのです。
私は、先に書いたように「あつい壁」(前作)は見ていません。だから中山監督を「好きだ、嫌いだ」と評価する資格もなく、どちらもいたしていません。ただ、上に述べたような、企画の根幹の変更について、その間の事情を全く説明せず、単に資金難を訴えられるというのは、我々にはいかにも唐突で、素直には頷けません。
もっと、胸襟を開いたオープンな姿勢で、語りかけて欲しいと思い、「期待しています」と書いています。
そういうわけで、「中山監督は好きだが、映画化には多少の疑問もある!という・・・」は誤解で、私は中山監督が好きだと申し上げたことは一度もなく、また、映画化については何の疑問も抱いてはいないのです。
お分かり頂けたでしょうか?疑問があれば、どしどしご投稿ください。お待ちしています。
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