ハンセン病の闘いの歴史に学びともに考えるBBS
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[2288] Re:[2287] 鶴見俊輔 投稿者:あずき 投稿日:2010/09/27(Mon) 21:11  


> 目の光は相変わらずだった。

テレビで何度か、鶴見さんのお顔を拝見しましたが、たしかに輝いていて、しっかりとものを見据える目をしていらっしゃいますね。その上かわいらしい(^^)。


[2287] 鶴見俊輔 投稿者:北風 投稿日:2010/09/26(Sun) 09:29  

全集完結の挨拶に京都へ。

いきなり話し始める。

戦後すぐ、ロシア人でらいの疑いのある少年がいるので、検診に行く通訳として、彼にあったのがはじめてであった。利発な少年で祖母と一緒に軽井沢に住んでいた。
らいと確認されたので草津の療養所に収容されたが、当時の園長は祖母もらいと診断して、一緒に楽泉園に収容した。見事な処置だった。

その後、そのことは脳裏から離れていた。数年の後、大江満雄や山室静と楽泉園をたずねた。今度は、自覚的にハンセン病者との出会いを求めて訪ねたわけである。集会の後、思い出して「ここにロシア人の少年がいるはずだが」とたずねて彼と再会し交わりが復活した。
ロシア人の少年トロチェフは、祖母から一対一でロシア貴族としての教養のすべて授けられていた。トロチェフは日本生まれだが、祖母はトルストイの隣に住み、「戦争と平和」には彼の大伯父や大叔母が大勢登場する。しかし、祖母はトルストイが大嫌いだった。ロシア革命は彼から始まるというんだ。
じゃ誰を評価するかといえば、プーシキン。見事な朗唱を聞かせてくれた。
祖母はのちにトロチェフの母となる娘を連れて、極東旅行に来たときロシア革命がおこった。持っていたルーブルは紙くずになった。とほうにくれた彼らを松旭斎天勝が拾い上げて日本に来た。おりしも、日本映画の草創期で、田舎の美少年・美少女を役者として連れてくるんだが、西洋風の立ち居振る舞い、テーブルマナーなどを教えるものがない。祖母はそういうことを教えて、母は外国人としてはじめて藤間流の名取になり映画にも出たという。驚いて僕は裏を取ったよ。『日本映画発達史』にちゃんと実名で出ている。
一方、若い白軍の将校がいた。ウラジオストクで軍艦を分捕って難民を乗せ、日本に来た。音楽の素養のある、そのロシア貴族は酒場でピアノを弾いて生計を立てた。それがトロチェフの父だった。しかし、二人は破局の末、別々にアメリカに渡った。祖母と孫はこうして日本に残された。

ロシア貴族というのは、日本の華族のように軟弱ではなくて剛毅な魂を持っている。彼は病気で膝から下を切断したが、よくオートバイを駆って高原から東京に出てきた。そのとき、東京のYMCAに泊まろうとしたが、断られた。たまたま居合わせた僕は、YMCAの「C」なんかとってしまえと憤慨したが、彼は自分で交渉してアメリカ人の経営する施設に宿をとった。
僕はそれを見届けて、憤慨が収まらないまま、夜行で京都に向かって翌日のゼミで、このことを話した。二、三日するとある学生が僕の部屋に来た。先生、そういう人たちの宿泊できる施設を作りましょう。土地はもう決めてきました。大学の三年生といえば、二十歳くらいでしょう。彼は、その年で、土地を借りられるだけの信用を持っていたんだ。

話はまだまだ続いて、それが、「交流の家」になっていくんだけれど、鶴見さんは、本人も意識しないような行動に、言葉を与える。そのことによってその行動は、改めて意味を獲得して、さらに次につながっていく。
帰りにいただいた本を新幹線の中でめくると、タゴールや東京裁判のパール判事を論じた中に、志樹逸馬が自然に出てくる。こういう世界史的なテーマの中に、他の思想家や学者と並んで、志樹逸馬をポンとおいてしまう。これが鶴見さんなのだ。

数年前、ハンセン病市民学会の東京集会での「基調講演」を鶴見さんにしようとい提案したが、見事に一蹴されたのであった。
こういう話を、直接、若い人に聞かせたかったが、そういう機会は失われた。

耳はやや遠くなっていたが、目の光は相変わらずだった。





[2286] さてと… 投稿者:通信社 投稿日:2010/09/24(Fri) 23:13  

しばらくは口を慎むか…。ではまた!


[2285] Re:[2284] [2282] [2281] [2280] [2279] 送料 投稿者:北風 投稿日:2010/09/23(Thu) 18:33  


> それに「物議をかもす」ものまで、挟み込む計画も実行した。君としては十分やっただろう(笑)。

ま、そういうことをいうと本気にする慌てものもいるから…。



[2284] Re:[2282] [2281] [2280] [2279] 送料 投稿者:通信社 投稿日:2010/09/22(Wed) 15:00  

> 「清貧」でもない。30年もやっていればいろいろあるよ。

まぁ。それはそうだが、基本的に思うことは「ハンセン病文学全集」の10巻を完結させたことは、粘り強くよくやったと思う。それに「物議をかもす」ものまで、挟み込む計画も実行した。君としては十分やっただろう(笑)。


[2283] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/09/22(Wed) 10:36  

「清貧」というのは、似合わんと思う。
私は、他所のBBSで「零細企業」と書いてしまったけど、
やっぱ、失礼だったかしら…。
今後は、業界で「3000番目ぐらいの出版社」と言うようにしましょうか?


[2282] Re:[2281] [2280] [2279] 送料 投稿者:北風 投稿日:2010/09/22(Wed) 09:11  

> > ご配慮恐れ入りますが、「貧乏出版社」だけ余計です。
>
> 失礼を申し上げたらしい。「清貧」と言い変えようか?

「清貧」でもない。30年もやっていればいろいろあるよ。



[2281] Re:[2280] [2279] 送料 投稿者:通信社 投稿日:2010/09/21(Tue) 22:48  

> ご配慮恐れ入りますが、「貧乏出版社」だけ余計です。

失礼を申し上げたらしい。「清貧」と言い変えようか?


[2280] Re:[2279] 送料 投稿者:北風 投稿日:2010/09/21(Tue) 17:56  


> 貧乏出版社に負担をかけないように。

ご配慮恐れ入りますが、「貧乏出版社」だけ余計です。



[2279] 送料 投稿者:通信社 投稿日:2010/09/21(Tue) 17:10  

本やら資料やら送った経験者から申し上げておきます。
送料は人数が多くなればバカにならない金額です。
貧乏出版社に負担をかけないように。

資料だって、タダでできるものではない。


[2278] 認証文字列「もおわいろ」でした。 投稿者:北風 投稿日:2010/09/21(Tue) 15:41  

岡野さんと森さんの「月報」ご希望の方に差し上げます。

送料をどうするか?
切手同封で郵便で申し込んでもらうか?

ま、いいか。Eメールでお申し込みください。
できれば、読後感をお書き込みください(もちろん匿名で結構です)





[2277] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/09/21(Tue) 09:07  

『ハンセン病文学全集』第9回配本月報=森幹郎著「「濫救惰眠論」から五十余年」の最後の締め括りの部分で、森さんは、

「一日も早く「国立ハンセン病療養所」を退所させ、「社会施設」に転所させること(看板の書換えも対応策の一例である)、これこそ「名誉の回復」のために、立法府及び行政府の採るべき喫緊の措置であろう。」

と述べておられる。
これについても、意見交換していただけないだろうか?
北風さん、もし、第9回配本月報も「たくさん余っている」ようでしたら、これを提供されてはいかが?

外野から勝手なこと言って、すみません!



[2276] よろしく。 投稿者:北風 投稿日:2010/09/20(Mon) 16:55  

全文をテキストにして>>>いってくれれば、月報を提供したのに。
たくさん余っている。



[2275] おかのゆきおさんの「傍観者の感想」 投稿者:朝潮太郎 投稿日:2010/09/20(Mon) 15:36  

今月の東京での国賠訴訟を支援する会の定例会では、SさんやKさんの指摘をふまえ、「傍観者の感想」全文をテキストにして意見交換が行われた・・・はずである。自分は欠席のうえその日の内容も聞いていないのだが、次の機会には国賠支援の活動に力を添えた人たちがどのように感じたか、何か伝えられそうなことがあれば書き込みしようと思っています。


[2274] ははー。 投稿者:北風 投稿日:2010/09/19(Sun) 10:11  

最大級の罵倒をされちゃいましたが、これも意見のひとつ。
一つ一つかみ締めて、自省の足しにすることにしましょう。



[2273] はははははのはあ。のすっとこどっこい。 投稿者:さり 投稿日:2010/09/18(Sat) 08:30  

>さりさんのような発言をもって、他者の発言に圧力をかけるのも、一種の言葉の暴力であろう。

ここはさ。「ハンセン病問題は、隔離政策の非をただし、偏見差別をなくすということが目的だよね」といいながら、たかが私の書き込み一つで、「言葉の暴力」だって。
この掲示板こそが、差別偏見の温床じゃないの?
この板は、美しい私のハンセン病、この偏見と差別と欺瞞の数々。そしておためごかし。
いやなモノにはふたをする。なかったことにする。他人の意見を「暴力」という。
矛盾の塊。
だから活発な意見交換なんてないんだよ。
私は怒って書いたわけではない。むしろあきれたというか。

>これには、このBBS上に紹介された、上記の文言が影響しているとみることもできますし、あるいはたんに、誰もわざわざややこしいことには関わらない/関わりたくない、というだけのことかもしれません。

この言い方もすごいでしょう。
書き込まないと、書き込まないロム者を、ひきょう者呼ばわりするんだもの。たった一つの選択肢しか上げられないところは、あなたのキャパの低さを物語っている。
書かないのは書かないなりの理由があるとは思わないところが怖いよね。
沈黙も一つの答えであるとは思いもよらないのだろう。
そして「言葉の暴力」「不当な圧力」なんて簡単に使ってくれるよね。
今からそんな事を小出しにしていると、オオカミ少年になるよ。


[2272] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/09/18(Sat) 00:24  

追加訂正いたします:
「傍観者の感想」1回目に引用下部分につて、ルリカケスさんがご意見を投稿してくださっています。

(ただ、それは「傍観者の感想」全文アップ前でしたので、↓中で「北風さん以外のどなたからも」と書いてしまいました、すみません!


[2271] Re:[2216] 物議 投稿者:ET 投稿日:2010/09/17(Fri) 23:55  

>********************************************************
> ハンセン病文学全集第9巻に「傍観者の感想」おかの・ゆきお氏のしおりが付いております、その内容は光田擁護論でありますが、原告団として看過できない内容が随所に書いてあります。
>
> 文学全集を出したのは営利であり、何等出版そのものには問題はありません、なぜ皓星社が光田擁護しおりをつけたのか謝罪と撤回を求めていただければと思います。
・・・*・・・*・・・

私には、「傍観者の感想」を“光田擁護論”と断じたその判断がどのあたりでなされたものか、まったくわからない。

「原告団として看過できない内容が随所に書いてあります」と言い、「謝罪と撤回を求」めるというのなら、少なくとも、その「看過できない内容」が書かれている箇所を示すべきではないでしょうか。

上に引いた文章を、いったいどういう形でどこへ回覧されたのかは存じませんが、原告団の名を使ってのこういった遣り方は、私には「不当な圧力」と映りました。
ということで、「傍観者の感想」を引用させていただき、その後の“ダラダラ”となったわけですが。
結局、北風さん以外のどなたからも、「傍観者の感想」に関して、わたしはこう読んだ、というふうなご意見・感想をお聞きすることができませんでした。

これには、このBBS上に紹介された、上記の文言が影響しているとみることもできますし、あるいはたんに、誰もわざわざややこしいことには関わらない/関わりたくない、というだけのことかもしれません。
しかし、私は、こういった不当な圧力がまかり通るようであってはいけないと思うし、またみんなが黙っていることによって、それを通してしまうことになってもいけないと思うのです。
ダラダラ、多謝


[2270] 無題 投稿者:北風 投稿日:2010/09/17(Fri) 09:02  

ハンセン病問題は、隔離政策の非をただし、偏見差別をなくすということが目的だよね。だけど、いま、大きな状況も、身近な小さな状況も、それに逆行しているように見える。

大きな状況を言えば、おかのさんやETさんが問題提起している。
小さな個々の状況についていえば、実は「さり」さんの発言が問題提起になっているんだと思う。

「支援者」というか、療養所に出入りしている人の多くは、「いつからこの問題にかかわってきたか」とその長さを競い、あるいは「自分こそが入所者さんの気持ちがわかっている」と自負する。だけれど、そうした態度自体が「偏見差別をなくす」ことに逆行した「特殊視」する態度だと思う。

おかのさんや森さんはそういうことをしなかった。イシガオサムさんもそうではなかった。同じ目線で対等にぶつかり合った。
栗生楽泉園の俳句の指導者だった大野林火は、初めて療養所を訪れたとき「魂と魂のぶつかり合いでやります」といった。最初の選評には「病苦に甘えた悲劇の押し売りはやめてもらいたい」と書いた。それ以来、なくなるまで32年間俳句の指導に療養所に通った。
そこには、同じ人間として互いに切磋琢磨する姿勢はあっても、上からの目線で「理解してやろう」という姿勢は微塵もない。栗生の俳人たちの林火に対する信頼は厚かった。

現在、「支援者」のなかに、おかのや森、イシガ、あるいは大野のような人いるのだろうか。
それは、当時の入所者が血気盛んな壮年で、現在は平均年齢80を越えたという、それだけの事情によるものだろうか。




[2269] あっちこっち 投稿者:北風 投稿日:2010/09/17(Fri) 08:17  

http://hpcgi2.nifty.com/kwalk/patio323/read.cgi?no=362
http://6322.teacup.com/takaamami/bbs

お話がいくつもの掲示板をまたいでなされるので、ややこしい。



[2268] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/09/17(Fri) 08:07  

(ほんとにダラダラのまんま、シマリなく終わりそう。)
最後っ屁的に言っておこう。

さりさんのような発言をもって、他者の発言に圧力をかけるのも、一種の言葉の暴力であろう。
まあ、こういうことを言われたのは、初めてではない。相当言われてきた。だいたいは、いきなり感情をぶつけてくるといったパターンで、変わり映えもしない、まるで同じ人に言われてるのかと勘違いしそうなぐらい、モノの言い方がみんごとステレオタイプなの。

ちょい違う意味で特筆すべきは、かつて某クソオヤジから、「自己義認は好かん」と、グサリ心臓を抉るようなことを言われたこと。
この場合は、おかげさまで、こちゃらの心臓のほうが多少鍛えられた感じだ。
であるかして、「おためごかし」ぐらいなこと言われてもどうってことないが、かといって、何も感じていないというわけではない。

[2264]の投稿者であるさりさんが、いわるゆる支援者であるのか、ウン年ウン十年のお付き合いをされておられる方であるのか、あるいはより近しい関係者であるのかどうかを、私は存じ上げない。ただ、文面から、熱心な人であるということは了解される。
けれども、[2264]のような発言は、(単にETの発言に対する非難にとどまらず、)結局のところ、モノ言おうとする人を黙らせ、(社会と施設入所者との間を含め)人と人との間のミゾを深めることにしかつながらないのではないかと思う。
なんとなれば、何かモノ言おうものなら、「そう言うおまえは何をやっているというのだ」「血も汗も流さない者が何を言うか」と、とっちめられるという例を見せてくれたわけだからね。
(こういうふうなこと言われるんじゃ、この板への参加だって、したくなくなるわな。)


[2267] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/09/17(Fri) 01:45  

おかの・ゆきおさんの「傍観者の感想」中には、
「今あるハンセン病療養所がそのような施設として総合的な福祉施設の特区として一般の老人や、身体障害者や、難病の人達のための施設として再構築されたらと私は考えています。」
と述べている部分がある。

「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」では、
「第十二条  国は、入所者の生活環境が地域社会から孤立することのないようにする等入所者の良好な生活環境の確保を図るため、国立ハンセン病療養所の土地、建物、設備等を地方公共団体又は地域住民等の利用に供する等必要な措置を講ずることができる。
2  国は、前項の措置を講ずるに当たっては、入所者の意見を尊重しなければならない。」
となっている。

では、その尊重されなければならない「入所者の意見」がどういうものであるかは、示されているのだろうか?
(おかのさんの文章中のこの部分は、将来構想への提言ととれる部分なのだが。
こんなことをうっかり言おうものなら、
それが知りたいのなら、全国の療養所を聞いてまわればいいじゃないか、と言われるだろうか?)


[2266] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/09/16(Thu) 09:49  

さりさんが、
>「弱者を使って、自分の生きざまを押し付ける」
と仰っているのもは、ETの投稿に対する感想ですよね。
(ETに対して、虫唾だろうが、反吐だろうが、それが正直な感想であれば、吐いていただいてかまいません。でも、これでは、ダイアローグのきっかけにはなりませんね。)

おかの・ゆきおさんの「傍観者の感想」について意見交換とはいかないようですね。


[2265] 脚下照顧 投稿者:北風 投稿日:2010/09/16(Thu) 09:18  


まあ、けんか腰にならないでください。

「さり」さんとても、入所者の状況を代弁する形で「おためごかし」になっているとも読めるわけだし。

冷静に、生産的な「論争」をしましょうよ。




[2264] 感じたことをいくつか。 投稿者:さり 投稿日:2010/09/16(Thu) 08:57  

>全国13園の国立ハンセン病療養所の入所者たちに、あなたがたはあなたがたの住んでいる所に「ハンセン病」という冠を最後の最後まで被せていたいのですか、それはあなたがたがほんとうに望んでいることなのですか、と問うてみたい。

入所者の中で、PCを持っている人、また日常的に扱っている人が何人いると思っているの?
本当に「問うてみたい」と思っているのなら、こんなところで、時間を作って、何年かかけて、全国13園をまわったら。
入所者の方々と同じ風景を見て、歩いて、話してくださる方に伺ってみればいいんじゃないの。
なんでこんなところで、そんなこと吠えるのかわけわからない。
たまたまPCが見れる少数の人たちに、負担をかけているということは考えないのだろうか。

>答えてほしいというのは、私のために答えてほしいのではありません。

うそつき。私という主体があって、だからこそ聞きたいのでしょう。
誰かのためにとか言う、きれいごとは貴方だけでなく、もうたくさんだよ。
おためごかし。

>橋になりますか

こういう言い方、虫唾が走る。
私たちは、私たちのために生きている。
なぜ弱者を使って、自分の生きざまを押し付けるのだろう。
それはそうしなければ、生きていけないから?
ひとりで死ぬのはさびしいと甘えたことを言いながら、(誰だって死ぬ時は一人だ)他者にはきつい。
それなのに、自らの足や体(血や汗も流さず)や時間を使わず、恩着せがましいことを言う。
うーん。




[2263] よけいなオマケ 投稿者:ET 投稿日:2010/09/14(Tue) 20:28  

だれもが
どこかに
たどりつく
あなたは
橋になりますか


[2262] ダラダラ 3 わきみちします 投稿者:ET 投稿日:2010/09/14(Tue) 20:19  

――私は「ハンセン病」という名称そのものをなくすことによって偏見・差別がなくなるというふうに考えているのではありません。――とレスに書きました。このことにも関連しますので、おかの・ゆきおさんの「傍観者の感想」からの一部抜粋を他のBBSで紹介したとき、知人のひとりからいただいたレスを紹介させていただきます。

>「隔離主義」についても、ひとごとには思えませんでした。わたしたちはいつも他者を隔離し、差別して生きている存在なのではないだろうか。また、自らを他者から隔離することによって生きている存在ではないだろうか。
>いろいろ考えさせられました。

・・・*・・・*・・・
知人は、誠実に応えてくださっている、と思う。
たとえば、被爆者に対する差別、水俣病患者に対する差別……挙げたらきりがないだろう。
・・・*・・・*・・・

おかのさんは、文章の冒頭に、「今日、ハンセン病問題に関心をもち、この問題に取り組んでいる評論家や弁護士、学者その他おおぜいの人」たちの共通点として、「隔離主義に反対して、隔離主義こそ諸悪の根元であると言っていること」を挙げている。
私は、隔離それ自体を(おかのさんが挙げた人たちのようには)、必ずしも「諸悪の根元」とは思っていない。公衆衛生の観点からいえば、ごく普通に考えて、感染源は隔離を要することになるであろう。しかし感染源隔離は社会防衛として行われるのであって、明らかに感染源となりうる(またはその可能性を有する)場合、感染源となる可能性のある期間に限って、個人の人権が部分的に制限されることは当然想定される。ここで忘れてはならないのは、人権は、すべての社会構成員一人ひとりにあるのだから、たとえ部分的に制限されることがあるにしても、人権への配慮がなされないということはあってはならない、ということであろう。

そもそも、退所規定の定められていなかった予防法における“終生隔離”には、人権に関する配慮が欠けていたというべきである。その点は徹底的に批判され、反省されなければならない。たとえ世間一般に人権思想が成熟していなかったとしても、少なくとも、社会防衛をする側、その施策者および、その立法者は、すべての人に同じく人権があることに十分配慮していなければならなかったはずである。もし、それが社会一般に通用していた偏見・差別のためにできなかったのなら、社会防衛した側、法もまた、社会一般と同様の偏見・差別の目を共有していたのだというしかない。
思うに、隔離は悪であったかもしれないが、だとしても決して絶対的な悪でもなく、「諸悪の根元」でもなかった。人権への配慮が欠けていた、人権への配慮が十分になされなかった点が悪かったというべきだ。もし一時的に人権制限されても、感染源となる可能性のなくなった場合の退所規定等がきちんと定められていたなら、終生隔離の思想は生まれようはずがなかったのである。光田健輔の隔離思想で批判されるべき点は、退所規定のない“終生隔離”を主義として押し通したことであろう。

人がこの世にただ一人で生きるのでない限り、生も、死も、己ひとりの意思のみではなんともならないものを含んでいる。それはその時点時点での身心の様態に左右されるだけでなく、他者との関係性、その時代その時点の社会的諸条件/時代背景/時代思潮にも左右される、ということでもある。であればこそ、死に向かって創造的に生きようとするならば、つねに己自身のなかから「創造的な想像力」を喚起してこなければならない。

ボランティア活動をされている人たちの話のなかで、最近よく、人に「寄り添う」、人の話を「傾聴する」ということがいわれているのを耳にする。これはなにも死にゆく人の看取りの場面に限らないだろう。むしろ日常療養の場、日常生活の場でこそ必要とされているのではないだろうか。

わが国においては死をめぐる語りをタブー視する傾向がある。それのみが原因というわけではないだろうが、医学は、近年まで「死の臨床」に手をつけずにきた。特に、西洋医学の医療現場では、死の臨床がかえりみられることは少なく、「死」と「死をめぐる語り」については、そのほとんどを宗教が引き受けてきた。だが、宗教もまた、わずかにその役割を果たしているにすぎず、大かたはその機能をうしなって久しい。
看取りという行為にしても、看護・介護の分野で専門的になされてきたとはいえ、主として病者の身のまわりのお世話をする、身体機能に障害をもつ人、不自由な人の身体的なことに関してお世話をするということに終始してきたような節がある。そこでは心の問題はつねに後回しにされ、置き去りにされてきたといってもいいだろう。

19世紀末アイルランド、英国で始まったホスピス運動には、「死の前の平等」「人権運動」としての社会的背景があったと聞く。
現在、わが国には、「日本死の臨床研究会」という学会がある(「死の臨床において患者や家族に対する真の援助の道を全人的立場より研究していくこと」を目的とし、1977年に創立された)。「日本死の臨床研究会」の今年度年次大会における大会長挨拶は、「超高齢者社会を迎える一方で、自殺大国となり、医療崩壊、がん難民などという言葉も聞かれます。(中略)私たちは、どんな時代を生きているのかをしっかりと見据え、死の臨床の現場から学ぶべき本当に大切なものを、みんなでもちより、話し合い、共有していきたいと思います。」というものであった。
最近は、さらに、「死の臨床」の現場から学んだことを「生の臨床」に生かしてゆこうという方向に向かいつつある。「死の臨床」から「生の臨床」へ――これは、ホスピス運動に始まったターミナルケアにおけるホスピスケアの質への反省から生まれてきたものだ。従来のホスピスケアが「死を受容させるケア」(=死の臨床)であったとするならば、それを「残されたいのちに中身を与えるケア」(=生の臨床)へと変えていこうという考え方を基本としている。
そして、「いのちに中身を与える」ケアを、死にゆく人たち、ターミナルステージの人たちだけなく、身体に障害をもつ人たちにも応用していこうとするものである。ここで最も重要視されるのが、いのちに中身を与える“コミュニケーション”。こうしたコンテクストで、人に「寄り添う」、人の話を「傾聴する」というとき、人は、人に対してどこまで想像力をはたらかせることができるかを問われることになる。
人の苦しみを理解することはできないにしても、思いをいたすことはできるはずだ。思いをいたすというのは、他者の痛み、苦しみに想像力をはたらかすことにほかならない。

後期高齢者医療の問題、12年間連続年間3万人超の自殺者(2009年の自殺者数は32,845人[これは2009年5月時点での国立ハンセン病療養所13園の入所者数の13.5倍超である];人口10万人あたりの自殺者数25.8人、国別順位では日本は世界第5位である[WHO])。標準治療はすでに終えた、あるいは適応できる治療法がない、ターミナルステージではないから緩和ケアはうけられない、がん難民。現在癌治療に適応される標準的な治療アルゴリズムから外れた患者、標準治療はすでに適応ずみでそれ以上の治療ができない患者、まだターミナルステージには至っておらず、緩和ケアの対象ともならない患者たちが大勢いる。これら人たちには、現在の癌治療システムのもとでは受けられる治療がなく、行き場がない。癌の“標準治療”と“緩和ケア(ターミナルケア/ポスピスケア)”との間のスキマに橋をかけ、スキマを埋めるシステムはまだないといっていい。

療養所と社会、このスキマもまだ埋まっているとは言い難い。それを埋めるような何が私たちにできるだろうか、ともに考えていく必要があるだろう。


[2261] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/09/13(Mon) 03:25  

>しかしハンセン病そのものを憎んではおられないとおもいました。
・・・*・・・*・・・
自分の病気をほんとうに憎んでいたら、生きていられなかっただろうと思います。


[2260] 無題 投稿者:暇人、おせっかいおばさんはわたし 投稿日:2010/09/12(Sun) 22:14  

おっしゃることよくわかりました。ちょっとはやとちりしていたのかもしれません。

>しかし、――これは私が実際にハンセン病療養所に住まっている方から聞いたことですが――国立ハンセン病療養所という名称を郵便物の宛先に書いてほしくない、と仰る人もいらっしゃる。療養所の住所で届くんだから、わざわざ「ハンセン病療養所」とは書いてくれるな、というんですね。
これは、どういうことだと思われますか?

ユダヤ人でアウシュビッツからの生還した女性の話ですが、

「誰かがわたしにどこの出身ですかと聞かれたら、わたしの生まれ故郷はドイツだと言ってもユダヤ系ドイツ人だとは答えないでしょう。ユダヤと言葉を口にするときわたしは苦い思いが波のように広がり、自分が罪人であるかのような恐怖に襲われるのです。「ユダヤ人」という言葉は一種のコンプレックスとなって私の心に傷を残していました。ユダヤ人であったがゆえに私の家族はアウシュビッツで死ななくてはならなかったのです・・・。」
なぜ「ハンセン病療養所と書いてくれるな」とおっしゃるのか。その理由は本人に聞いてみないとわかりませが

「ハンセン病であることを書いてくれるな」ということはハンセン病に罹患したゆえに差別や迫害を受け、深いトラウマを抱えておられるからでしょうか。それで「ハンセン病」という言葉が一種のコンプレックスになっているのでしょうか。そうだとすればとても悲しいことだと思います。
ハンセン病に限らず、迫害を受けたことにより、自分が罪人であるかのような思いにとらわれ、それが、コンプレックスになって傷を残すことはありえることだと思います。
上記のユダヤ人の女性は後にこのように述べてます。

「わたしは自分の人生や体に流れている血を否定することはしたくありませんでした。誇りをもってと自分自身に言い聞かせました」
なかなか難しい問題ですが、この女性のように自分を否定せず誇りをもって生きていきたいものです。



[2259] 無題 投稿者:ET 投稿日:2010/09/12(Sun) 17:36  

>谺さんはその地を第二のふるさととして草津の地を愛しておられるような気がするのです。その地で眠る多くの僚友。苦難に満ちていたとしてもその人生は貴重なものだとおもいます。そこにはその人の生きた証が刻まれている。
>ハンセン病という名称が消滅するということはもしかすると自分が否定される。
>自分の存在、生きた証そのものが、剥奪されることになるのではないか。
>社会から迫害され、過酷な人生に耐えてきた人達が、わたしたちには理解できない言葉を語ったりされることがあります。そのなぞめいた言葉の中にはわたしたちには図り知ることのできない、深い思いが刻印されているのではないでしょうか。
・・・*・・・*・・・
私は「ハンセン病」という名称そのものをなくすことによって偏見・差別がなくなるというふうに考えているのではありません。
また、「ハンセン病」という名称そのものが悪いとも思っていません。それは「癩」「らい」についても同様です。
(「癩」「らい」は差別用語だから使うなと仰る方もおられるけれど、そういうことではない、と思っているのです。
言葉はたんなる言葉であるにとどまらず、そこにさまざまなものを内包しています。それを明確に指し示す言葉をさしあたって私はもっていませんので、とりあえず、おきます。)

仰っておられること、私も感じていないわけではありません。
過去にハンセン病に罹患して苛酷な経験をされた方々のなかに、特に厳しい時代を生き抜いてこられた方に、ハンセン病というものを深く刻印され、内在化されておられるようなところが見受けられることがあるのも存じています。
すでに亡くなられた知人の一人もまた、そのようでありました。
私は、ハンセン病療養所に住んでいる人たちが「ハンセン病」という名称をなくしたいと思っているのだろうと、勝手に想像しているわけではなく、“ほんとうに望んいること”がわからないからこそ、先の投稿のような問いかけになったのです。
「あなたがたはあなたがたの住んでいる所に「ハンセン病」という冠を最後の最後まで被せていたいのですか、それはあなたがたがほんとうに望んでいることなのですか」というのはあくまでも問いかけです。そして、“ほんとうの思い”を答えてほしいと思っているのです。
答えてほしいというのは、私のために答えてほしいのではありません。いってみれば、自分自身の心のなか“ほんとう”を見つめてほしいからこその問いかけでもあるのです。

「国立ハンセン病療養所」という名称は、“自分(たち)がそこで生きた証として、少なくとも自分(たち)が生きている間は使い続けていきたい、それがわたし(たち)のほんとうに望んでいること”だ、ということであれば、それはそれでいいのです。

しかし、――これは私が実際にハンセン病療養所に住まっている方から聞いたことですが――国立ハンセン病療養所という名称を郵便物の宛先に書いてほしくない、と仰る人もいらっしゃる。療養所の住所で届くんだから、わざわざ「ハンセン病療養所」とは書いてくれるな、というんですね。
これは、どういうことだと思われますか?





[2258] ややこしいことしてすみません 投稿者:暇人、おせっかいおばさんはわたし 投稿日:2010/09/12(Sun) 16:41  

>前述したようにこの掲示板の投稿は控えますが、我が家でコメントしました。

と述べましたがこちらに書かせていただきます。かってに文章を引用しては失礼かなと思ったので。今までもやってきたことですが。(*^_^*)ややこしいことしてすみません。

ETさんは自分の思うことを率直に述べておられます。それはとてもいいことだと思います。回復者の方の発言に異議を唱えることは回復者をいじめているように受け取られるような気がして躊躇される人も多いのではないでしょうか。入所者の方の発言であろうと、ハンセン病にかかわる人たちの発言であろうと、疑問に思うことや異議を覚えることはどうどうと発言したらいいと私自身は思います。それが平等だと思います。

ただちょっと思ったことは、
>全国13園の国立ハンセン病療養所の入所者たちに、あなたがたはあなたがたの住んでいる所に「ハンセン病」という冠を最後の最後まで被せていたいのですか、それはあなたがたがほんとうに望んでいることなのですか、と問うてみたい。

あくまで憶測で述べることをお許しください。
ハンセン病に罹っていないもの(わたしたち)はその苦悩を真に理解することはできません。わたしはあることに気付いたのですが、
谺さんは人権無視の非道な国家政策、不当な差別などを心底怒り、憎んでおられます。また隔離政策を強行した光田氏を厳しく批判されています。しかしハンセン病そのものを憎んではおられないとおもいました。福音歌手のレーナマリアさんや、プロジェリアという病をもつアシュリーが、自分の病気や障害を憎んでおられないように。また苦難をともにしてきた同胞を愛しておられます。
たとえかつての療養所が暗黒の冷遇され、人権を無視された過酷な地獄のような場所であったとしても、人生の大半を過ごしてきた場所であり、苦しみを共にしてきた多くの仲間と過ごしてきた場所であり、谺さんにとって第二のふるさと(ホーム)ではないだろうか。
混血児救済に一生を捧げた故沢田美喜さんがおられますが、
沢田美喜さんが戦争混血児のためにを設立したエリザベスサンダースホームの混血児はサンダースホームを巣立ちの社会にでたが、日本の世間の風は冷たく、差別や陰湿ないじめや迫害を受け、石をもておわれるようにまるで犯罪者のように米国に渡った人もいたそうである。ある女性は混血児ゆえ社会で言われなき差別を受け、恋人ができ結婚の約束をしたが、相手の両親から猛反対を受け、相手との結婚をあきらめ失意の思いで日本を去りアメリカへ渡った。それでも彼女は日本を愛していて「いつか日本に帰りたい」と語っていた。彼女は米国人と結婚したが、帰化せず、国籍はそのまま。なぜだろうか。差別を受け迫害を受けた国でも日本という国名を憎まず日本人であることを願う。戦争混血児の苦しみもわたしたちには図り知ることのできない。その人達にしかわからない悲しみだとおもいます。

谺さんはその地を第二のふるさととして草津の地を愛しておられるような気がするのです。その地で眠る多くの僚友。苦難に満ちていたとしてもその人生は貴重なものだとおもいます。そこにはその人の生きた証が刻まれている。
ハンセン病という名称が消滅するということはもしかすると自分が否定される。
自分の存在、生きた証そのものが、剥奪されることになるのではないか。
社会から迫害され、過酷な人生に耐えてきた人達が、わたしたちには理解できない言葉を語ったりされることがあります。そのなぞめいた言葉の中にはわたしたちには図り知ることのできない、深い思いが刻印されているのではないでしょうか。



バビロンの川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた。
その柳の木々に私たちは立琴を掛けた。
それは、私たちを捕え移した者たちが、そこで、私たちに歌を求め、私たちを苦しめる者たちが、興を求めて、「シオンの歌を一つ歌え。」と言ったからだ。
私たちがどうして、異国の地にあって主の歌を歌えようか。
エルサレムよ。もしも、私がおまえを忘れたら、私の右手がその巧みさを忘れるように。
もしも、私がおまえを思い出さず、私がエルサレムを最上の喜びにもまさってたたえないなら、私の舌が上あごについてしまうように。


[2257] 無題 投稿者:暇人、おせっかいおばさんはわたし 投稿日:2010/09/12(Sun) 14:59  

前述したようにこの掲示板の投稿は控えますが、我が家でコメントしました。

http://6721.teacup.com/iesu/bbs


[2256] おかの・ゆきおさん 投稿者:北風 投稿日:2010/09/12(Sun) 10:22  

おかのゆきお(岡野行雄)さんは、内村鑑三の晩年の弟子である政池仁の弟子の、いわば3代目無教会クリスチャンです。
政池氏は戦争中、平和論を唱えたため旧制静岡高校の教授を追われた硬骨漢で、当然、おかのさんの中にもそのDNAが受け継がれている。
政池の聖書研究会の相弟子に「新しき時代の新しき療養所」を書いた森幹郎氏がいて、二人は大学卒業後、おかのさんは愛生園の、森さんは光明園の職員として赴任します。
そこで、森さんの「新しき時代の新しき療養所」が、その冒頭に「濫救は惰眠をもたらす」と書いた部分が問題になって、その主旨である「新しき時代の療養所はどうあるべきか」という部分がすっ飛んでしまったのが、いわゆる「惰民論」です。
もともと、「濫救は惰眠をもたらす」というのは、「漏救はあってはならない」とセットで当時の社会福祉、社会事業の中で使われた言葉で、さほど特殊の言葉ではないそうです。
しかし、その言葉が一人歩きし、なぜか「惰眠」を「惰民」と表記して流布したため読んだことにない人まで感情的に反発し、主題である「新しい時代」(病気が完治し社会復帰の可能になった時代)の療養所のあり方を議論する問題提起がかすんでしなったことは今日から見ても悔やまれることです。

政池さんの弟子グループの中では、遠慮のない率直な物言いが特徴だそうですが、当時、三十になるかならないかの森さんの「挑発的」なイントロにその面目躍如です。
今回のおかのさんの文章も、お年を召しても(失礼)、「三つ子の魂」あるいは「雀百まで」の趣ですが、それに迷わされず、本質を読み解く事が大事ではないでしょうか。

しかし、若き日の森さんといい、おかのさんといい、遠慮のない口吻には苦笑いするばかりです。
もうひとつ付け加えれば、森さんやおかのさん、あまり直言がすぎてよく入所者に殴られていたというイシガオサムさんのような人がいた時代もある意味で、古きよき時代というべきでしょうか。





[2255] ダラダラ 2 投稿者:ET 投稿日:2010/09/11(Sat) 00:38  

おかの・ゆきおさんが「傍観者の感想」を書かれた2005年には、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」はまだ施行されていなかった。
だがもし、隔離政策への反省から生まれたはずの最終的な“解決”が、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」によって、「国は、国立ハンセン病療養所において、入所者(国立ハンセン病療養所に入所している者に限る。)に対して、必要な療養を行うものとする。」 という類のものであるとするなら、おかの・ゆきおさんの言うとおり、実際、なんとも皮肉なことに、光田健輔が最後まで唱え続けた隔離政策をついに完遂することになりはしまいか?
全国ハンセン病療養所入所者協議会は最後まで、「全国ハンセン病療養所入所者協議会」を名乗り続けるつもりですか? それでいいのですか、と問うてみたい。全国13園の国立ハンセン病療養所の入所者たちに、あなたがたはあなたがたの住んでいる所に「ハンセン病」という冠を最後の最後まで被せていたいのですか、それはあなたがたがほんとうに望んでいることなのですか、と問うてみたい。


[2254] Re:[2242] 無題 投稿者:ユン 投稿日:2010/09/10(Fri) 23:16  

>
> わたしは数年前テレビタイトル「あるホスピスケアの試み労働者の町山谷」を見た。
> 日雇い労働者の町" と呼ばれる山谷に、ホームレス・路上生活者のために設立されたきぼうの家。現在は、路上生活者のみでなく、末期ガン等に侵された余命に限りある方の終の棲家でもある。
> 入所者は元日雇い労働者だった高齢者の方が大半である。
> その日は施設のたなばた祭で、入所者がたんざくに願い事を書いた。そのたんざくに
> 「真っ黒な人生を真っ白にしたい」という願い事が書かれていた。それをみたスタッフたちは「これは重大な意味がある」だと思った。それを書いた高齢者のAさんは、末期がんか何かで余命何ヶ月ということだった。Aさんは戦争で最前線に立ち戦った。生き延びたが多くの仲間の死をみてきた。その後は悪の道(やくざか何か)に入り、凄まじい人生を歩んできたようである。さっそくスタッフたちは牧師を呼んだ。
> この人達はクリスチャンではないようであるがなぜ牧師を呼んだのだろうか。
> Aさんの意味深長な言葉に自分たちでは対応できないものを感じたのであろうか。
> 人間の力が及ばない、神仏に頼らなければ解決できない問題だと判断したからだろうか。この人達の行為は適切だと思った。
>
> 真っ黒な人生を真っ白にしたい
>
> はどういう意味がこめられているのだろうか。
> あまりにも悲しい、凄まじい、暗黒の人生を歩んできたゆえにせめて、清らかな、安らかな気持ちで死を迎えたいという意味だろうか。それとも自ら悪の道を歩んできたというAさん。あのダビデの祈りのように魂の救いを求めているのだろうか。
> 数年前みたテレビタイトル「あるホスピスケアの試み労働者の町山谷」が未だに深く心に焼き付いているのです。
> 「真っ黒な人生を真っ白にしたい」これが、最期をどう迎えたいかという人間の叫びなのでしょうか。
>
間違ったらごめんなさい。希望の家だったら、フランシスコ会の本田神父がやっているところです。彼は畳一枚の部屋で生活しながら祈る。ホームレスと大阪府の行政訴訟を指揮しています。何度か面識がありますが、イタリア留学を経て、原典に即して、聖書を読み直して、「貧しき人」という言葉が誤訳で「貧しくされた人」が正解であるという。つまり、社会構造が貧困を生んでいる場合、社会のあり方を変えないといかんということ。とすれば、イエスの教えのなかには革命的なものもあるのでしょう。


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