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[1720]  「部落の差別、らいの差別 〜福本まり子『悲濤』を読んで〜」 しまだ ひとし (その3)=論考の中半部です。詩:ふたつ                                                 (滝尾記す)                                                                                                                          投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/08/09(Sat) 11:18  


 「部落の差別、らいの差別 〜福本まり子『悲濤』を読んで〜」 しまだ ひとし (その3)=論考の中半部です。

   (らい詩人集団発行『らい』第七号(1966年7月発行)16〜18ページより)


                              人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二
                                        ‘08年8月9日(土曜日)

 (承継)ところで、生まれてこなければよかつたと思あれるということは、どういうことなのでしょうか。それは生きているその人が、みずから、自分は生きるに値しない存在だということを――差別する方にとっては当然のことを、うける方に――なっとくさせることではないでしょうか。

 差別の論理は、差別される者の生きていく権利の否定を基底にもつています。それは人間であることの否認をふくまなければ成り立たないものです。人間の姿をしていることは、あくまでもかりそめのことであり、「ほんとうの人間たち」にとつて、その存在が不用になつたときには、いつでも本来の形に引き下がってもらわねばなりません。

 あるときは人間であり、あるときは人間の勝手になしうるもの(動物とか、物とか)である存在が、この世界に存在するkとが、差別の論理にとつて必要なのです。この論理は、世界中の、だれもが、よりよく生きようとすることが不都合である者にとつてのみ、好都合な論理です。

 差別――それは人間がよりよく生きようとすることへの敵意であり、襲撃です。

 人間性の否定を必要とするものが、この世界にいるというところに、差別の本質があるのであり、ある人が部落民であることは、日本の歴史の条件にたまたまゆだねらああれたものであつて、差別を必要とするものにとつては、現在のらいが完璧に治るようになれば、もう一つの差別のできるらいをつくり出すでしょうし、いまの部落の解消の必要にせまれれば、もう一つの部落をつくるでしょう。

 差別の発生や根源についての論理的な解明は、なされているといえるでしょう。階級支配の存在です。それを存続させるためには、搾取は(どう形を変えても)必要であり、搾取にはどうしても人間が必要なのです(家畜や機械はどんな使いようをしても搾取といいません)。そこに、もともと人間であるものを、人間ではないとする論理が必要になつてくるわけです。支配者たちは、差別の論理がうけいれられることを「秩序」といいはつてきました。そしてその「秩序」を保ちつづけるために、あらゆる努力をはらつてきました。教育、法律、武力、習慣‥‥。(後略します=滝尾)


【後記】 昨日、高陽整形外科クリニックスの主治医に呼ばれて、肩部のレントゲンを2枚撮影。肩部の筋肉が可なり硬化している。それが私のような素人目のも撮影されたフイルムを見ればわかる。したがって、この「部落の差別、らいの差別」 (しまだ ひとし)は、三度に分けて紹介する。代わりに島田 等さんの詩二編を以下に収録したい。


(1)「春よ来い」 しまだ ひとし(『らい』第19号=1972年5月発行;掲載、13ページ)

拒まれることに馴れたトータルに
いらだちは部分だ

 “らい患者、およびらい回復者
 この村につれてこないという約束をせよ“
 ――なるほど
 ――なるほど
 “患者追放とは反対の方向に
 ひとつ、ひとつの村を変えないかぎり
 それは 変らないのではないか“
 ――なるほど
 ――なるほど

まるで他人事なのは
拒絶よりトータリティのひろがりの方が
なにほどか広いからだあろう

すでにトータル
哲学である前に現実であるので
秤はのせていない風にも揺れる
――春よ来い

春はあらゆる揺れるものの中からやってくる


(2)「うそのつきかた」 しまだ ひとし(『らい』第2号=1964年12月発行;掲載、8ページ)

いたくないとき
いたいいたいといつてはいけません
いたむとき
いたいいたいといわなければいけません
医者がくるときと 若い看護婦がくるときと
 で
いたいところが変つてはいけません

生きていたくないとき
「死にたい」なんていつてはqいけません
朝鮮人でないのに
朝鮮人だといってはいけません
らいであるのに
ハンセン氏病でないようなことを
いつたつていけません

(あぶじ!)
えむつているとき以外
もつとしやべろう
あること ないこと
うそをつかないのはうそつきだけ
おふくろと別れて
一人で日本に渡つてきたときから
らいのベットでかかるいまわまで
うそのきらいなやつらはなにをしたか

だから
日本に住む
朝鮮人でハンセン氏病よ
いのちながらえ
うそのきらいな日本人患者のあいだで
うそらしいうそをつけるのは
あなた方です

   (うそらしいうそ
   (もつと生きること)

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥



[1719] ご教示に感謝 投稿者:エミ 投稿日:2008/08/09(Sat) 09:33  

◎tamaさん、丁寧にご教示くださって、ありがとうございます。
「受けた要望書に対して直接答えない方針」というのには驚きました!
舛添氏は、厚労省改革をやる、と言っていますが、
国立ハンセン病資料館も、改革をすすめてほしいですね。

◎北風さんの「未確認情報」も、ありがとうございます。
では次回入札の折には、
ふれあい福祉協会 vs ハンセン病市民学会? 
(カゲの声:なんか、二項対立図式っぽいですねぇ。)



[1718] 未確認情報 投稿者:北風 投稿日:2008/08/08(Fri) 23:36  


ハンセン病資料館の運営は入札で行われているそうですが、ふれあい福祉協会しか応札がないのでふれあいに決まったとのこと。

次回は、ハンセン病市民学会が応札しようという動きがあるそうです。

本気かね。つまり、やる気はいいとしても運営する組織とノウハウがあってのことかということですが。




[1716] Re:[1715] 無題 投稿者:tama 投稿日:2008/08/08(Fri) 23:08  

> tamaさんの“要望書”、北風さんのある“申し入れ”に対し、国立ハンセン病資料館からは、いまだに何の応答もなされていないのでしょうか?
> もしよろしければ教えてください。

先日、資料館のある職員と、たぶん非公式の、話をしました。そこで伝えられたところによると、資料館は官庁同様に、受けた要望等に対して直接答えない方針だそうです。内部的には検討するとしても。

そんなわけで、この非公式の会談を除けば、資料館から私には何の応答もありませんし、どうも期待できないようです。
それにしても、もし上記方針が事実だとしたら、前世紀の対応ですねえ。というのも、私は河川環境に関する市民運動をしていますが、国土交通省の担当部局等から過去10年間に、実に500通近い書簡やメール、お詫び状等々を受け取っており、これがいまや官庁の常識と化していると言えるからです。
国土交通省でなくても、たとえば、昨年羽田空港拡張に関連するいわゆる「神奈川口構想」について多摩川の河口干潟守って欲しいという要望書を関係機関に送ったら、神奈川県知事、横浜市長、川崎市長の個人名義の(役人が書いたかもしれないけれども)丁寧な文面の返信が届きました。
(予想通り、東京都知事からは何も来ません。)

国立ハンセン病資料館が、市民のために文字通り「リニューアル」されるにはもう少し時間がかかるのではないかと、私は思います。


[1715] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2008/08/08(Fri) 22:00  

tamaさんの“要望書”、北風さんのある“申し入れ”に対し、国立ハンセン病資料館からは、いまだに何の応答もなされていないのでしょうか?
もしよろしければ教えてください。

検証会議最終報告書にあった資料の“現地保存”につおては当然のことながら各療養所の〈将来構想〉にも関連することと思うのですが・・・。
例えば「神谷書庫」などはどうなるのでしょうか。


[1714] Re:[1696] 無題 投稿者:tama(元「友の会」一会員) 投稿日:2008/08/08(Fri) 10:10  

> ただ目録の使い道については、小生の一存ではいかない話です。
> 小生は「元代表」としてではなく、「市民学会図書資料部会」の幹事の一人として手許に保管しています。
>
> しかし、あれだけ批判してきた資料館に、先方からの申し入れもないのに、当方から擦り寄るのも筋が通らないと思っています

他用で時間をとられ、ちょっと古くなってしまった話の蒸し返しで申しわけありません。
「目録」は、できたら、希望する人に公開していただけると有難いです。
これを元「友の会」やハ学会図資部会が、求められもしないのに資料館に提出する必要はない、と私も思います。北風さんが書いているように、友の会は図書資料の国立ハンセン病資料館への移管に反対してきたのですから。
資料館が目録を欲しければ、図書資料を委譲された全生園自治会に提供を求めれば済む話です。
そもそも一般に、資料を移管されたら、その受け渡しの目録があるはずだし、なければ双方が作成すべきでしょう。
その目録は、友の会の有志の皆さんが作成した目録と同じものになると思いますが、いずれも見ていないので、詳しくは私にはわかりません。

ついでながら、
ハンセン病市民学会も、大会で国立ハンセン病資料館のあり方を批判的に検討し、提言を出しましたが、それは資料館をもっと良くしたいがためであるはずで、同様に、資料館といろいろとコンタクトをとることは、なにも「擦り寄る」ためではなく、具体的に改善案を提示し、実現を迫るためだろうと思います。
原本もコピーも外部業者に貸し出し「作業中」で、資料が見られないなんて、いまどきありえない話だと思う。誰のための何のための資料館か、原点に立って考えてもらいたいと思う。


[1713]   「部落の差別、らいの差別 〜福本まり子『悲濤』を読んで〜」 しまだ ひとし>(その2)=論考の前半です。 (滝尾)                                                                                                                                                                 投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/08/07(Thu) 12:14  

 「部落の差別、らいの差別 〜福本まり子『悲濤』を読んで〜」 しまだ ひとし (その2)=論考の前半です。

   (らい詩人集団発行『らい』第七号(1966年7月発行)16〜18ページより)


           人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二
                         ‘08年8月7日(木曜日)12:08

 人生には、あるしめくくりをせまられるときがある――その人の意思にも、生きてきた年月の長短にも関係なく、それをせまられるときがある。

 そめくくり――というのは、そいつを片付けないと、その人の明日がはじまらないなにか――とでもいつたらいいでしょうか。福本まり子さんは十代でそれにつきまとわれた。『悲濤』を読んで、私はまず、少女からあまい夢のひとときもうばつていく、私たちのこの社会を憎む。

 私たちの社会は、愛する(と思つている)人が存在することが、他のなににもまして生きていくささえになる年頃の娘から、そのかけがえのないものをうばつていく。それはなぜかけがえがないか、――愛する者の存在は真実ではないこともありうるし、真実であることを確かめえないこともありうるのに、それがなぜかけがえがないか。

 それは、愛しようとしたということの確かさのなかに――よりよく生きようとしたことの偽わりのなかに、人間のしるしがあるからです。まだ固い蕾のような、孤立したひとつの心の動きのなかには、かぞえれば未熟なものはいくらでもあるでしょうが、それは、そこにそだっていつた人間の存在のたしかさを、消すことはできないのです。このたしかさこそ、「人間の敵」たちにとつて我慢のならないものであり、できるなら若い芽のうちに、傷つけ、枯らせたいものなのです。


 『悲濤』を読んで、私は正直なところ、はじめは福本まり子さんの苦しみを、私たちらくい患者の苦しみにくらべて、ぜいたくなという気持をうち消せませませんでした。彼女には理解のある尊敬できる父親があり、愛情をそそげる家族があり、なやみを話しあえる友人があり、健全な手や足があり、仕事があります。それらは、私たちらい患者の多くの者にとって、ほとんどうばわれているものなのです。

 そうは思いながら私は、私たちがうばわれているものを持ちあわせながら、そうであるのに、若く、早く、彼女は死んでいつたというその事実が、読み終つた本を閉じる手を重くするのです。差別――同じ苦しみを苦しんでいるという、その同じとはなになのか。


 私たちの生きている社会――この日本には、いまもさまざまな差別があります。身分による、人種による、思想による、病気や障害による、性による、古くからのものや、比較的新しいものや‥‥それからさまざまな差別のなかでも、本人の意思のとどかないところに根ざせさせられる差別ほど、やりきれないものはないといえます。生んでくれなければよかつたのにといつてみたところで、もう生まれているのです。

 しかし、差別する側からいえば、それこそ―本人の意思のとどかないところに根ざせさせられる差別こそ、快心のものでしょう。手のとどくところにあるものが原因になつているかぎり、差別される者は必死にそれをとりのぞく努力をするだろうからです。その点では、私たちらい患者の差別には、ハケグチがのこされているともいえます。(さしあたり現実的かどうかは別として)。「もつと医学が発達して、さらによい薬や、手術ができるようになれば」とか、「医者はなにをぼやぼやしとる」とか。


 ところが、生れてきたことだけが、差別の原因であるばあい、それをどこにもつていつたらよいか。部落差別の問題は、体のどこにもさがしたつて差違は発見できないだけに、差別としては、ずづと露骨で、つらいことになる――そう思つたとき、私は差別の問題を――私たちじしん、つよい差別、偏見に苦しめられていると感じながら――ぼんやりとしか考えていないところがまだ沢山あることを知らされるのです。


 差別の論理からいえば、差別の理由になしうるものが、変更不可なものほど完璧なのです。そうでないものは差別としては長つづきしないのです。だから差別には出生に起因するもの、本人の意思では左右できないものが多いわけですし――部落、朝鮮人、女――、病気では、治りにくい、醜くいものがえらばれるのです。(この稿は前半部分です。=滝尾)




[1712] Re:[1710] もうひとつ [1709] マルチン・ニーメラー  投稿者:リベル 投稿日:2008/08/07(Thu) 01:56  

> 無関心な人びとの共謀
>          ヤセンスキー
>
> 敵を恐れるな─彼等は君を殺すのが関の山だ。
> 友を恐れるな─彼等は君を裏切るのが関の山だ。
> 無関心な人びとを恐れよ─彼等の沈黙の同意があればこそ 地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。


マルチン・ニーメラー                                                
彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
(ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、)
私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。

彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。

そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。


こういうことにかけては、北風さんの右に出る人はまず居ないでしょうね・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!


[1711]  らい詩人集団発行『らい』創刊号(’64年9月)〜第25号('80年2月)に収録された島田等さんたちの詩文に関する作品の紹介!  (滝尾)                                                                                                                                                    投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/08/06(Wed) 22:08  


 <らい詩人集団発行『らい』創刊号(1964年9月〜第25号(1980年2月)に収録された島田等さんの詩、文などに関する作品の紹介> (その1)

          人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

             ‘08年8月6日(木曜日)21:55


 現在、人権図書館・広島青丘文庫が所蔵している図書の中に、らい詩人集団発行『らい』創刊号(1964年9月)〜第25号(1980年2月)がある。創刊号の代表者は、島田 等さんである。らい詩人集団発行『らい』第25号(1980年2月)が私の所蔵しているらい詩人集団発行『らい』の最終刊であり、編集・発行は島田 等となっている。その後、同誌が発刊)されたかどうかは、未だ確認していない。

 A5版で二十数ページの小冊子であるが、1964年から1980年までのハンセン病問題を知るうえで貴重である。とりわけ、その代表者である島田 等さんの思想や運動を知る上には、欠かせないものである。なぜなら、毎号にわたり詩、詞論、書評など掲載されており、貴重である。順序正しくこのホームページに掲載すれば良いのだが、思いのままに書いてみたいと思う。収録されている中には、森田竹治さん、近藤宏一さんなどの作品も収録されていて、懐かしい。表紙絵や表紙写真なども貴重である。

     ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
(1)らい詩人集団発行『らい』創刊号(1964年9月)の表紙写真の説明文と「あとがき」文の紹介

 1 監房壁面(表紙写真について):

 昭和六年(1931年=滝尾)最初の国立らい療養所として開所された愛生園には、開所とともに所内監房も設置されました。その後、(昭和二十八年)、予防法改正をめぐる患者運動の後廃止されたのですが取り壊すのに費用がかゝるというので、建物はそのまゝ放置され、附近の人達の物置小屋になつていました。今年になって精神病棟敷地工事が着工され、その土砂の捨て場になり、建物の半分が土の下になっています。

 この写真はすでに埋まった一室からとつたもので、日付などからおして、戦後書かれたものが多いようです。

 それだけに、戦後かなり長い間、強権下のらい政策が行なわれたことを表わしており、人権闘争と言われた予防法闘争が激しく闘われた根拠の一つを示すものであいます。
 らくがきの内容は大別して、特定の人物への怨嗟、セックス、日付表などです。この監房の変遷は、そのまゝ日本のらい政策の象徴といえましょう。


2「あとがき」より:

 表紙のレイアウトに、ぼくたちは一枚の写真を前にしてずいぶんと頭をなやされた。長島の桟橋をおりると納骨堂へ行く道の下に、戦前戦後(昭和二十八年頃)光田健輔の号令ひとつで閉じこめられたり、ほうりだされたりした監房がある。これが新らしく精神病棟をたてるために掘りだされた土で半分埋められてしまった。

 今、この監房を埋めて新らしい独身軽症者寮をたてるとの話が出ているが、それにしても、新らしいものが歴史の常である。ぼくたちはこれを認めながらも、この厳粛な事実の中に、ぼくたちの先輩が監房の中で血を吐きながら人間を主張した落書きを失しなうのはあまりにもしにびないと思い、ここにひとつだけとりだしてみました。以下略=滝尾 <すみお=編集人>。

     ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

(2)<骨まで愛して> しまだ ひとし(『らい』第7巻、14ページより)

「××シャン(さん)
こんどは<骨まで愛して>という唄が流行つとるんよ、
あとで教えてあげるけえな」
若いナース、ヘルパーは
なれた手つきで膳を下げながら
患者たちを笑わせる。

「ショウか、(そうか)ありがとう。
それでも×ちゃんは
あとであとでいうだけで
教えてくれたことがないけえのう」
ハダシで下りて
尿器をまさぐりながら
盲の患者はベットの下で応答する。

<愛>ということばを その人からきこうものなら
みんなゲラゲラ笑うほど
人間もくたばると
むすめたちは安心してそんなことばを投げかける。
年をとり くたびれて
ことばと実体が
こうもばらばらになってしまうと、
愛のなんのといつてみたつて
この世の中では
泣く泣く餓鬼をつくるくらいのことでしかないことを
身をもつて教えてやることもできず、
やれやれ
小便をすませて
ベツトへはいあがると
片付けた膳を重ねたのをかかえ
孫むすめのようなヘルパーは
ドアのもこうからやり返すのだ。

「なにいうとるの
人の気も知らんというて、
××シャン(さん)
大便のときベツトから離れるだけやで
内緒の話もできんわ。
早よう元気になりい!」



[1710] もうひとつ 投稿者:北風 投稿日:2008/08/06(Wed) 19:45  

無関心な人びとの共謀
         ヤセンスキー

敵を恐れるな─彼等は君を殺すのが関の山だ。
友を恐れるな─彼等は君を裏切るのが関の山だ。
無関心な人びとを恐れよ─彼等の沈黙の同意があればこそ 地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。






[1709] マルチン・ニーメラー Re:[1708]  少年たちは言いました。「僕たちなにもしいていないよ!」; 近況報告(滝尾)                                                                                                                   投稿者:北風 投稿日:2008/08/06(Wed) 19:29  

>
> だからあんたたち、悪いのよ!」
>


彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
(ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、)
私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。

彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。

そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。




[1708]  少年たちは言いました。「僕たちなにもしいていないよ!」; 近況報告(滝尾)                                                                                                                   投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/08/05(Tue) 22:22  


 私が学校の教師であった頃、「人権副読本」に『歯車』という冊子があり、その冒頭に、「だから悪いんだ!」という短編が収録されていました。ロシアの作品だったと思います。

「一匹の猫が、数匹の犬たちに襲われていて、猫が毛を逆立てている。少年たちは、それを面白そうに見ている。 一人の中年女性(おばさん)と書かれていたと思いますが、叫びました。犬を追い散らして、少年たちに言いました。「あんた達、恥ずかしくないの!」

 少年たちは言いました。「僕たちなにもしいていないよ」
すると。その中年女性は、少年たちに叫びました。「だからあんたたち、悪いのよ!」

 最近、上記のロシアの短編を思いおこしました。また、岩波新書(青版)に『近代人の疎外』(?)という米国の翻訳本をも、思い出させていただきました。青年の交通事故死のことです。近代人は他者の「死」に関心をしめささない。

 惨死した交通事故死した青年に、近代人は、関心も興味も持たないという書き出しでした。


「”病、貧、孤独”も、どんなに近現代人のこころを、卑しく・貧しくしているのか。そして、私にとっても「孤独」を身近に感じるだけ、こころが痛みます。」という書き出しで、知人からメールが送られてきました。つづいて、その人は、こうも書いておられました。


 病気、生活困難、孤独死は、今のこととして誰にとっても身近でも起こっていますし、将来の問題でもあります。病にあっても、生活困難にあっても、孤独のただなかにあっても、平和で安心していられるほど人間という生きものは強くはないです。

  町田宗鳳氏は「平和のメッセージ」(岩波講座 宗教8 『暴力―破壊と秩序』2004年所収)を、「人間が平和でいることは、奇跡である。」をもって書き始めています。

 町田氏はその中で、「一日に平均4万人の人々が、食糧不足が原因となって命を落としているとされるが、先進国の住民が飽食の生活を送り続けているだけで、十分に殺人的な行為であり得ている。」と言い、また、

「悲惨な状況が地球の随所に存在することを知りながら、われわれが無知無関心を装うなら、それもまた加害行為のひとつと言えよう。それがどれだけ間接的なものであっても、「無視」という強者の力によって、弱者は刻々と命を縮めていくのである。」と言っています。


(註記)「しゅう」様へ;身体状況が最近、急速な悪化して、切手を貼ってのお手紙はなかなか出せません。すみませんがメールをいただけませんか。メールを返信する能力は残っております。

『滝尾英二的こころpaet2』掲載の「著者メール」か、また、メール・アドレス takio@fureai-cn.ne.jp です。よろしくお願いいたします。(滝尾英二)



[1707]   森山良子の『風〜LE VENT〜』をCDで聴きながら‥‥  (滝尾英二)                                                                                                                                              投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/08/05(Tue) 13:56  



森山良子の『風〜LE VENT〜』をCDで聴きながら
‥‥
                 
          人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

           ‘08年8月5日(火曜日)  13:45


 連日の猛暑続きで、食欲がなく、「はやく秋が来ないか」と思う毎日です。この暑さも地球温暖化もあるような思いで、一体、われわれの住む地球はどうなっていくのか、非常に心配している私です。

 加齢による急速な体力と気力の衰え! 最近は近く(バスで2停留場のところの)整形外科クリニックスへリハビリなどするために通院しています。1週間借りていたCDを6枚返却するため、病院から「貸しCD店」へ行くのが精一杯。とうとう「カラオケ喫茶・城」へは行けませんでした。だから、少々、歌謡談義でも「ホームページ」に書くことにします。

 借りたCDの中に、森山良子の『風〜LE VENT〜』がありました。「さとうきび畑(1969年バージョン);作詞・作曲=寺島尚彦など18曲収録のフォーク・アルバムです。
「風」をテーマにした歌は多く、最近もNHK歳末紅白歌合戦で、秋川雅史が2年続けて「千の風になって」を歌っています。五木ひろしも「ゆめかぜ」を昨年、歌っていますが、なかなか評判のよい歌謡曲です。石川さゆりの「風に盆恋歌」、北島三郎の「風雪ながれ旅」「風の坂道」、杉良太郎の「すきま風」「風が吹くまま」、坂本冬美の「風に立つ」、THE BOOMの「風になりたい」など。THE BOOMの「島唄」にも歌詞に「風」が出てきます。吉永小百合・和田弘とマヒナスターズの「寒い朝」も「風」の歌でしょう。

 その詮索はおいて、森山良子の『風〜LE VENT〜』の10曲目に「風」(作詞:北山修、作曲:端田宣彦)があります。11曲目は「白いブランコ(作詞:小平なおみ、作曲:菅原進)」ですが、この歌詞の中にも「風に吹かれて」と「風」が出てきます。

 「風」というタイトルの歌は古くは竹下夢二、北原白秋らの詩に作曲したもの、百曲ホドノ作品カが存在するといわれています。米国でもBOB DYLAN作詞&作曲の「風に吹かれて」が、公民権運動とも結びつき著名です。「風」をテーマにしたフォーク・ソングでは、森山良子が歌った「風」(作詞:北山修、作曲:端田宣彦)が断然著名です。1969年に発表された<はしだのりひこ&シューベルツ>で、今日でもDAMリクエスト番号=1512−01で歌えます。日本の代表する名曲です。


「風」(作詞:北山修、作曲:端田宣彦)

人は誰もただひとり旅に出て
人は誰もふるさとを振り返る
(中略)
振り返らず ただひとり一歩ずつ
振り返らず 泣かないで歩くんだ

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 昨日(8月4日)の『朝日新聞』社説は、「ヒートアイランド―風と緑が熱汚染を防ぐ」と題する社説を掲載していました。その冒頭の部分をつぎに紹介しましょう。たいへん参考になりました。


ヒートアイランド―風と緑が熱汚染を防ぐ <2008年8月4日(月)付『朝日新聞』社説から>

 JR東京駅に立つデパート「大丸」の解体工事が昨秋、始まった。高さ約60メートル。東京湾からの海風を妨げるというのが主な理由だ。デパート自体は北側のビルに移った。解体が終われば、皇居の森へ涼風が通るようになる。これによって、皇居手前のビル街の風速が3割増すという。

 ヒートアイランド現象を和らげる日本の「風の道」第1号といえる計画だ。大阪市も、大阪湾からの海風を中心街に導き、都市を冷ます計画に今年、初めて予算をつけた。

■温暖化との「二重苦」

 ヒートアイランド。直訳すれば「熱の島」。郊外に比べ、都市中心部の気温がポツンと浮かんだ島のように高くなる現象だ。日本ではほとんど手付かずに残されたことから、「最後の公害」ともいわれる。

 こうした「熱汚染」は、熱がたまるコンクリートの建物やアスファルト道路で地表面を覆ってしまったことが大きな原因だ。建物や自動車からの排熱も高温化に拍車をかける。暑くなれば冷房を強め、その排熱でさらに暑くなる。熱の捨て場所を考えずに進んできた都市開発のつけが、そこにある。

 地球温暖化だけでも難敵なのに、ヒートアイランドが火に油を注ぐ。この100年の間に、東京の平均気温は3度上がった。うち1度が地球温暖化、2度が熱汚染の影響といわれる。大阪では最低気温が25度以下にならない熱帯夜が、ひと夏に50日近くある。

 健康被害も深刻だ。昨夏、東京では熱中症で病院に運ばれた人が1200人を超えた。環境省の調査では、夜の平均気温が30度を超えると、半数が夜中に目覚める。都心を襲う豪雨の多発も、熱汚染と無関係ではないようだ。(以下は省略します。=滝尾)




[1706] 帰ってきてみると、丸善が大日本印刷の子会社に。 投稿者:北風 投稿日:2008/08/02(Sat) 14:38  

>http://current.ndl.go.jp/node/8451

雑誌記事索引データベースの販売は、日外アソシエーツとの関係で紀伊國屋に断られて、丸善が総代理店になっていたのだが、こんご、大学市場に強い丸善と、一足先に大日本の傘下に入っていた公共図書館に強いTRC〔図書館流通センター〕とが業務提携をしていくことになる。

これは当方にとっては追い風となるだろうが、丸善、TRCともに、発表まで部長クラスは全く知らなかったようだ。(もっとも以前から大日本が丸善の筆頭株主だったが、今回の増資で51%を大日本が持つ)

TRCが大日本の傘下にはいったときも驚いたが丸善までもか、というところ。なんせ、丸善は日本で最初の株式会社ですからね。

世の中、水面下で大きく動いているのを身近に実感。




[1705] Re:[1704]  政治家にも告げず、マスコミにも知らせず、二、三人の方と、人知れず伝馬舟を漕いで、島田さんの遺骨を三重の海に返したい!                                                       投稿者:北風 投稿日:2008/07/31(Thu) 15:24  


>  仏壇の引き出しに入れたまま、遠おから私も彼の地に旅立ちます。この身体では、三重県の果てまで、交通機関に乗りついて行けそうもなくなりました。いつか、どなたが三重の海浜の場所まで、ご同行していただけませんか。島田さんは、民陶がお好きで、日常の食事などの沖縄の赤絵、兵庫の穴釜の陶器などそのお人柄を偲ばせるものでいた。これ等の食器で、小料理屋で会食しませんか。一式いただいて私の書斎に飾っています。今年の秋に三重の島田等さんの生まれ故郷へ、どなたか行きませんか。島田さんも微笑されるはずです。
>

秋かあ。秋には時間が出来るといいなあ。

去年行ったとき、島田さんの家は、元のところに元のままであった。書庫だけは紙くずが散乱していた。

ご自身は酒は飲まないのに、「君は飲むからなあ」いくといつも冷蔵庫にビールがいっぱい詰まっていた。

明日は、奇しくも仕事で三重に出張です。




[1704]  政治家にも告げず、マスコミにも知らせず、二、三人の方と、人知れず伝馬舟を漕いで、島田さんの遺骨を三重の海に返したい!                                                       投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/07/30(Wed) 15:06  


 <島田等さんの遺骨を「三重」の海に流したい。政治家にも告げず、マスコミにも知らせず、二、三人の方とご一緒に、人知れず伝馬舟を漕いで、島田さんの遺骨を三重の海に返したい。>


                 人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

                    ‘08年7月30日(木曜日) 15:00

 真壁 仁編『詩の中にめざめる日本』(岩波新書・青版)1966年10月発行には、各詩の解説に、『ハンセン病文学全集』の内容と異なるところがあるようです。例えば長島愛生園に入所した詩人で作家の森 春樹の生れた年も真壁 仁編『詩の中にめざめる日本』では、一九一八年生れと書かれてありますが、『ハンセン病文学全集』<6 詩一> では、「1915年2月23日、愛知県名古屋市に生まれる。」となっております。三年間も異なっています。

 されはさて置き、私のこころの師である三重県鳥羽の海浜で育った島田等さんの死去された日、私は長島愛生園にました。島田さんのご意志で、葬儀はありませんでしたが、長島にある火葬場には、私も同行しました。晴天の大空には、煙りとなって三重の方向に飛んでいった光景を未だに忘れることは出来ません。

 森 春樹さんが書かれた「微笑まなかった男」の詩の末尾には、つぎの一節があります。

あの男は
固く口を閉ざし
ただ空間の一点を
見詰めていた が
とうとう蝕まれて
死んでいった。

あの男は
そのとき火葬場の煙突から
天に
 一羽の小さい鳥となって
 舞あがり
 はじめて微笑んだのだ。

私は
あの男の微笑を
見逃さなかった。


 直径=9cm、高さ=10cmの白い「骨壷」には、一九九五年一〇月二〇日、島田等没と書かれ、島田さんの生まれ故郷海浜の町名が書かれています。「海へこの遺骨を流せ!」とも。

 仏壇の引き出しに入れたまま、遠おから私も彼の地に旅立ちます。この身体では、三重県の果てまで、交通機関に乗りついて行けそうもなくなりました。いつか、どなたが三重の海浜の場所まで、ご同行していただけませんか。島田さんは、民陶がお好きで、日常の食事などの沖縄の赤絵、兵庫の穴釜の陶器などそのお人柄を偲ばせるものでいた。これ等の食器で、小料理屋で会食しませんか。一式いただいて私の書斎に飾っています。今年の秋に三重の島田等さんの生まれ故郷へ、どなたか行きませんか。島田さんも微笑されるはずです。

        ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

◆『ハンセン病文学全集』6 詩一、7 詩二の巻に収録されている森春樹氏の作品と著者紹介:

◆著者紹介[全集7 詩二の巻に所収]より、漢数字を算用数字に変更して引用
森春樹 1915年2月23日、愛知県名古屋市に生まれる。板前職人として働いていたが発病、1940年12月20日長島愛生園入所。独学で勉強。1991年11月25日死去。詩集『巨大なる石』(1955 炉書房)、創作集『微笑まなかった男』(1983 近代文藝社)。

◆収録作品
@我が影:1951年 緑の岩礁―長島愛生園合同詩集 (詩一p.66)
A指:1952年 小島に生きる―長島愛生園合同作品集 (詩一p.73)
B朝顔の花:1953年 いのちの芽―全国ハンセン病療養所合同詩集 (詩一p.111)
C『巨大なる石』:1955年 夏の日、柿、私の窓におきたい花、音、微笑まなかった男、サボテンの花、ペンダコ (詩一p.266-272)
D紙魚:1968年 つくられた断層―長島愛生園合同詩集 (詩二p.76)


  微笑まなかった男

あの宗教家は
 神を信じなさい
と 云った、が。

ある政治家は
 もっと皆様の幸福のために
 努力しましょう
と 云った、が。

ある慈善家は
 あなた方は こんな風光明媚な所に
 住んでいて 倖ですよ
と 云った、が。

いつかの慰問団は
 いつの日か 機会が
 ありましたら またきましょう
と 云った、が。

ある医師は
 きっと いつかは
 なおる時代もきましょう
と 云った、が。

あの男は微笑まなかった。

 つれづれの 友ともなりて
  慰めよ ゆくことかたき
       我れにかわりて
あの御下賜の歌にも
男は微笑まなかった。

すべてが信じられないように
あの男は
固く口を閉ざし
ただ空間の一点を
見詰めていた が
とうとう蝕まれて
死んでいった。

あの男は
そのとき火葬場の煙突から
天に
 一羽の小さい鳥となって
 舞あがり
 はじめて微笑んだのだ。

私は
あの男の微笑を
見逃さなかった。



[1703] Re:[1702] 無題 投稿者:リベル 投稿日:2008/07/30(Wed) 11:51  

> [1700]しゅうさんの投稿記事中のURLからは「不在の街」にも「東風吹かば」BBSにもジャンプできませんが……。
> (「">」の位置のせい? 私のPCがおバカなのかな?)

そうです。いやエミさんのPCがおバカなのではありません。「">」のせいです。早い方法は、一旦クリックして、上のURL欄に出たURLの最後の方の「%22%3E」を消して、「Enter」を押せばOKです・・・(^^)


[1702] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2008/07/30(Wed) 09:56  

[1700]しゅうさんの投稿記事中のURLからは「不在の街」にも「東風吹かば」BBSにもジャンプできませんが……。
(「">」の位置のせい? 私のPCがおバカなのかな?)


[1701] 多摩全生園に入園した厚木叡さんの詩=「伝説」の一節から!                                                                         投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/07/29(Tue) 23:29  


 幾人もの方から『ハンセン病文学全集』(詩巻)などに出てくる<ハンセン病詩人>の作品を詳細にお教えいただき、ありがとうございました!


 今日は、午前中には、高陽整形外科クリニックスで、手押し車をバスに載せ、リハビリなど受け、午後は、かなり遠方の「いずみ心療内科クリニックス」の予約をとって、行きました。交通機関を乗り継ぎ、下車後は行く道を間違え、たいへんでした。携帯でいずみ心療内科クリニックスへ連絡をとったのですが、電波の入りが悪く、迷い迷いの手押し車での通院となりました。

 心療内科の医師は、「ホームページを書き(読んでいるみたいでした。)カラオケへ行くという、意欲あう者は、うつ病などではない。心配なら、デパスは、強力な心の安定剤だから、いま、0・5ミリを2錠、一日に飲んでいるので、一日、1・5ミリグラムまで、飲んで大丈夫だから〜」ということでした。

もうくたくたで帰宅し、2時間ほど寝台で横になり、夕食は、乳製品のもで、パソコンを開いたら、「北風さんの=BBS」に、「しゅうさん」が、滝尾の投稿文にレスしていただいておりました。「しゅうさん」! ありがとうございます。

 さっそく、真壁仁編の『詩の中にめざめる日本』(岩波新書)の152〜153ページ収録の厚木叡さんの詩=伝説を読みました。


幾百年か日がめぐり  人々は死に絶えた
最後の一人は褐(から)いろの獅面神(スフインクス)となった
頽れた家々にはきずたが蔽い
彼等が作った花々が壮麗な森をなした
主のない家畜どもがその蔭に跳ね廻った


 これは、多摩全生園に入園した厚木叡さんの詩=「伝説」の一節です。


 人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二(‘08年7月29日、23:20)



[1700] Re:[1699] 真壁 仁編『詩の中にめざめる日本』(岩波新書)1966年発行に収録されている長島愛生園にいた詩人である森春樹さんの詩二編                                                                                                                                 投稿者:しゅう 投稿日:2008/07/29(Tue) 17:52  

>
>  真壁 仁編『詩の中にめざめる日本』(岩波新書・青版)1966年10月発行に収録されている長島愛生園にいた<ハンセン病詩人>である森春樹さんの詩・二編
>
>
>            人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二
>
>  「増える高齢者の自殺」の続編を書こうと、若いころ買い求めた本をあれこれ、探して読んでいましたら、真壁 仁編『詩の中にめざめる日本』(岩波新書)1966年10月発行の詩の数々がたいへん、こころにしみてきて、ホームページの原稿をほったらかしにして、読みふけました。


滝尾さん、はじめまして。
<a href="http://www.shuu.org/">「不在の街」</a>のしゅうと申します。
私も、真壁仁著「詩の中にめざめる日本」を持っています。それだけのことですが、うれしくなって、はじめて滝尾さんにレスさせて頂きます。
滝尾さんのお加減のこと、頑張っておられることはここで拝読して、陰ながら、病気が進まないように、元気を取り戻されるように、お祈りしていました。

>
>  石垣りん、茨木のり子、大関松太郎、樺美智子、峠三吉、八島藤子(本名・栗原貞子)浜口国雄、大江満雄らの詩とともに、長島愛生園にいた<ハンセン病詩人>である森春樹さんの詩・二編(音・指)が収録されていました。この二編とも私には記憶がなく、今日、改めて拝読しました。1918年生れと書かれているところから、ご存命されていたら90歳というお歳です。さっそく長島愛生園におられる多くの著書のある安部はじめさんに電話して、森春樹さんのことをお尋ねしました。


阿部肇さんはご存命ですか?、1952.11.20発行の長島創作会の「廃園の灯」を古書で見つけて、この本も持っています。阿部さんの作品はたくさんは知りませんが、その本に「義母」という味わい深い作品が載っていて拝読しました。この当時活躍されていた方がご存命と伺って、たいへんうれしいです。

「ハンセン病文学全集」の詩の2には、森春樹さんの「巨大なる石」(1955年発行)から収録されているので、「夏の日」「柿」「私の窓におきたい花」「音」「微笑まなかった男」「サボテンの花」「ペンダコ」の7編の詩が撰集されて入っています。
森春樹さんは、詩だけでなく創作もずいぶん作られたのでしょう、創作集「微笑まなかった男」も1983年に出ています。その本からもハンセン病文学全集に「汚れた金色」「祭りの前夜」「蛍光」「いけにえ」「雪の花は」「弱肉強食」これらの作品が収められています。


>
>  安部さんは、こうおっしゃりました。“もう10年余り前に亡くなられました。森春樹さんの小説は晧星社から出ています。ご指摘の「音」「指」が、ハンセン病文学全集の「詩編」に収録されているか、どうかは分かりません”ということでした。
>
>  こころ打たれるこの森春樹さんの詩二編をつぎに紹介します。森春樹さんが亡くなられたのは、ちょうど私の年齢とほぼ同じだ、と思いました。


「詩の中にめざめる日本」には、ハンセン病詩人は2人の作品が入っていますね。森さんとあと一人は厚木叡(光岡良二)さん、厚木さんの「伝説」は、詩の作品として、たいへん魅力的ですので、ついそちらの方に目が向きましたが、滝尾さんの投稿を読ませて頂き、森さんの作品に改めて読み直し、感銘深くしました。

>
>
> 森 春樹=「音」
>
> 病が深まり 指は蝕まれ
> 掌に 鎌を握らせるのに
> 幾度も 繰り返し 繰り返し
> 繃帯で やっと結えつけるのである。
>
> 庭で咲きおえ枯死した
> ダリアの花を
> 見ている と
> むしょうに 耐えられなくなってきたから
> 主幹をぶった切った。
>
> するとその主幹から
> 夢想もしなかった音が とびだした。
>
> 神を信じない私だが
> その音が とび出したので
> いつ死んでもよい と思っていたが
> 死ぬことが ふと厭になった。
>
>
> 「指」
>
> いつの日から か
> 指は
> 秋の木の葉のように
> むぞうさに
> おちていく。
>
> せめて
> 指よ
> 芽ばえよ。
> 一本、二本多くてもよい。
> 少くてもよい。
> 乳房をまさぐった
> 彼の日の触感よ。
>
> かえれ
> この手に。
>
>

真鍋さんが「その指がふたたび芽生えるのに一本二本多くても良し、少なくともよしとは誰が書けるだろう。」とも書かれています。
表層ではなく、生きることの根源を見つめ続けて辿り着いた感慨でしょうね。

>  『詩の中にめざめる日本』の編者の真壁 仁さんは、この「音」「指」を評して『生のなかの生』を書いて、つぎのようにいっておられます。
>
> 「森春樹は‥‥一九一八年生れ。詩を書いてから二十年ちかい。不治といわれたハンセン氏病も、プロミンという薬ができてから快癒の希望がでてきて、患者の思想も宗教的なものから科学への信頼に変り、社会復帰の願望もつよくなってきている。人類がハンセン氏病をなくしていくことは、まさに科学と文明に負わされた課題である。‥‥詩集『いのちの芽』(三一書房刊)を編んで出版した大江満雄は、詩を書いているこの人たちに『生のなかの生』、悲惨のなかでもっとも人間らしい希望を見るといっている。」(30ページ)。
>

私もハンセン病文学の真価は、大江満雄さんの

詩を書いているこの人たちに『生のなかの生』、悲惨のなかでもっとも人間らしい希望を見るといっている。

この言葉が、その魅力をもっとも語っていると思います。

ハンセン病の偏見と差別の歴史からだけでなく、療養所の中で書かれてきた文学から学ぶものはたくさんあると思います。
患者さんが、悲惨の中にたぐり寄せた希望、閉ざされた中に表現することにいのちを削ってきたのです。それは、世の中の希望を見失った人たちに、また、こういう文学を読むセンスを持った人たちに、読まれて、大きな励みや勇気をもらえる人は多いのではないかと思うのです。
療養所の中から一向に社会へ出て行かれないこれらの作品がもっともっとひろく読まれるようになると良いですね。

ルリカケスさんの、一般の公立図書館に「ハンセン病文庫」のコーナーが設置されたことはたいへんな朗報だと思います。

こちらの投稿を<a href="http://shuu.org/cgi/bbs/kochi01.cgi">東風吹かば</a>にも転載させて頂きます。よろしく。


[1699] 真壁 仁編『詩の中にめざめる日本』(岩波新書)1966年発行に収録されている長島愛生園にいた詩人である森春樹さんの詩二編                                                                                                                                 投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/07/28(Mon) 22:14  


 真壁 仁編『詩の中にめざめる日本』(岩波新書・青版)1966年10月発行に収録されている長島愛生園にいた<ハンセン病詩人>である森春樹さんの詩・二編


           人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

 「増える高齢者の自殺」の続編を書こうと、若いころ買い求めた本をあれこれ、探して読んでいましたら、真壁 仁編『詩の中にめざめる日本』(岩波新書)1966年10月発行の詩の数々がたいへん、こころにしみてきて、ホームページの原稿をほったらかしにして、読みふけました。

 石垣りん、茨木のり子、大関松太郎、樺美智子、峠三吉、八島藤子(本名・栗原貞子)浜口国雄、大江満雄らの詩とともに、長島愛生園にいた<ハンセン病詩人>である森春樹さんの詩・二編(音・指)が収録されていました。この二編とも私には記憶がなく、今日、改めて拝読しました。1918年生れと書かれているところから、ご存命されていたら90歳というお歳です。さっそく長島愛生園におられる多くの著書のある安部はじめさんに電話して、森春樹さんのことをお尋ねしました。

 安部さんは、こうおっしゃりました。“もう10年余り前に亡くなられました。森春樹さんの小説は晧星社から出ています。ご指摘の「音」「指」が、ハンセン病文学全集の「詩編」に収録されているか、どうかは分かりません”ということでした。

 こころ打たれるこの森春樹さんの詩二編をつぎに紹介します。森春樹さんが亡くなられたのは、ちょうど私の年齢とほぼ同じだ、と思いました。


森 春樹=「音」

病が深まり 指は蝕まれ
掌に 鎌を握らせるのに
幾度も 繰り返し 繰り返し
繃帯で やっと結えつけるのである。

庭で咲きおえ枯死した
ダリアの花を
見ている と
むしょうに 耐えられなくなってきたから
主幹をぶった切った。

するとその主幹から
夢想もしなかった音が とびだした。

神を信じない私だが
その音が とび出したので
いつ死んでもよい と思っていたが
死ぬことが ふと厭になった。


「指」

いつの日から か
指は
秋の木の葉のように
むぞうさに
おちていく。

せめて
指よ
芽ばえよ。
一本、二本多くてもよい。
少くてもよい。
乳房をまさぐった
彼の日の触感よ。

かえれ
この手に。


 『詩の中にめざめる日本』の編者の真壁 仁さんは、この「音」「指」を評して『生のなかの生』を書いて、つぎのようにいっておられます。

「森春樹は‥‥一九一八年生れ。詩を書いてから二十年ちかい。不治といわれたハンセン氏病も、プロミンという薬ができてから快癒の希望がでてきて、患者の思想も宗教的なものから科学への信頼に変り、社会復帰の願望もつよくなってきている。人類がハンセン氏病をなくしていくことは、まさに科学と文明に負わされた課題である。‥‥詩集『いのちの芽』(三一書房刊)を編んで出版した大江満雄は、詩を書いているこの人たちに『生のなかの生』、悲惨のなかでもっとも人間らしい希望を見るといっている。」(30ページ)。



[1698] Re:[1697] [1696] 無題 投稿者:リベル 投稿日:2008/07/28(Mon) 18:08  

> しかし、1ヶ月経っても、「ご意見を承りました。所内での協議に生かさせていただきます」という役所の定型文書程度のものさえ届かず、黙殺状態(いまだに)だったので、資料館に配慮してもらわなくても、せめて一般市民から共感者が得られたらと望み、自分のホームページに公開しました。

なんという「無礼」というか、それ以前に人間として「常識」を忘れた人達ですね。これは本当に驚きました、今更ながら、ですが・・・(^^)。まあ、そんなもんだろう、という心の持ち方が、いけないのでしょうね・・・。


[1697] Re:[1696] 無題 投稿者:柴田隆行 投稿日:2008/07/28(Mon) 15:44  

> 大筋、柴田さんとおなじ趣旨の申し入れをしました。

私の名前が出ましたので、ハンセン病資料館への要望書に関して一言述べさせていただきます。
私は、自分が書いた要望がすべて通るとはもちろん思っていませんでしたが、ある程度はまじめに取り扱ってくださることを期待して、事前に文面以上の圧力をかけないように、文書のコピーを3名の方に再コピーしないようにとのお願いとともに渡して、しばらく非公開にしました。
しかし、1ヶ月経っても、「ご意見を承りました。所内での協議に生かさせていただきます」という役所の定型文書程度のものさえ届かず、黙殺状態(いまだに)だったので、資料館に配慮してもらわなくても、せめて一般市民から共感者が得られたらと望み、自分のホームページに公開しました。
ハンセン病市民学会東京大会の第一分科会で、全生園自治会長の佐川さんが私の要望書に言及され、全面的に賛同の意志を示してくださったのが、唯一の救いです。


[1696] 無題 投稿者:北風 投稿日:2008/07/28(Mon) 09:00  


大筋、柴田さんとおなじ趣旨の申し入れをしました。

ただ目録の使い道については、小生の一存ではいかない話です。
小生は「元代表」としてではなく、「市民学会図書資料部会」の幹事の一人として手許に保管しています。

個人的には、柴田さんが「ハンセン病図書館の歴史」をまとめる計画があるように伺っていますのでそうしたほうにも役立てて欲しいと思っています。またホームページに公開するのもいいと思います。
しかし、あれだけ批判してきた資料館に、先方からの申し入れもないのに、当方から擦り寄るのも筋が通らないと思っています。

資料館については、表面上の変化とは別に運営が「ふれあい福祉協会」の手を離れなければ駄目だと思っています。今回問題になって官僚のタクシー利用が9割減ったそうです。問題がおきれは、目先を変えてやり過ごし、ほとぼりが冷めれば元に戻すという官僚の手口はリベルさんがつとに指摘してやまないところです。

繰り返しますが、小生は「元代表」としても「市民学会幹事の一人」としても、個人の責任でこの問題を判断する立場にもなくするべきではないと思っています。

実際小生は、この問題で時間を割くことの出来ない現状にありますので、保管の担当者を含め、この場で、具体的に議論しあうのもいいのではないかと思います。







[1695] Re:[1693] 無題 投稿者:匿名希望 投稿日:2008/07/28(Mon) 06:12  

> >目録のデータは手許にあります。
> >ただ、目録データを資料館に引き渡して欲しいという「要望」がありましたが、これは現時点では断りました。
>
> >理由は、資料館にある申し入れをしたが、それに対する回答が未だにないからです。
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> 柴田さんは、2008年4月17日付で、国立ハンセン病資料館館長成田稔氏宛要望書を出され、公開しておられます。
> http://www11.plala.or.jp/tamast/bibl-yobo.pdf
>
> 北風さんは、資料館に「ある申し入れ」をされたとのことですが、その内容を公開されるお心積もりはないのでしょうか?
>
> たしか、3月に友の会会員および関心のある方なら誰でも参加可、ということで話し合いをもった折、自治会に要望書を出そう、資料館にも要望書なり質問書なりを出そうという話がありました。そして、その後、3月中に成田館長との懇談をもつという話もありました。
> そのとき、私は複数参加での懇談を希望しましたが、北風さんから、図書・資料部会監事とも相談しなければならないからそれは難しい、といわれたように思いますが、それは私の思い違いでしたでしょうか。で、複数参加での資料館館長との懇談は実現しませんでした。
> 「ある申し入れ」というのは、この話とは別個に北風さん個人で申し入れをされたということなのでしょうか?
> もし北風さんが、友の会代表and/or図書・資料部会部会長(or元友の会代表and/or図書・資料部会監事)としてその「申し入れ」をされたのでしたら、申し入れ内容を公開していただきたく存じます。
> (北風さんが個人的にされた申し入れでしたら、公開してほしいなどと厚かましいことは申しません。)
>
> 7月3日に資料館図書室に行ってお聞きしてきたのですが、
> ハンセン病図書館から移管された図書・資料は、現在業者のところにあって整理作業中とのこと。整理作業終了後に資料館に搬入され、その後、貸出システムを整えて貸出も行う予定、ということでした。
> 自治会のS氏&W氏との懇談のときに、ハンセン病図書館の図書資料の資料館への移管後は“貸し出しを考えている”とS氏は仰っていましたが、それが実現されようとしています。
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・
> >また、図書館を守れといい資料館の現状を批判してきたのに、図書館がなくなったとたん資料館に擦り寄るというのは無節操です。
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・
> 資料館の“現状”は変化しつつあるようです。
> ハンセン病図書館目録が何らかのかたちで生かされ、研究者・市民に公開され利用に供されることを願っています。

私もそのように思います。


[1694] 『朝日新聞・大阪本社版(朝刊)』(2008年7月27日)記載の「【耕論】増える高齢者の自殺」(23面)の記事を読んで!   (滝尾)                                                                                        投稿者:滝尾 英二 投稿日:2008/07/28(Mon) 05:25  


『朝日新聞・大阪本社版(朝刊)』(2008年7月27日)記載の「【耕論】増える高齢者の自殺」(23面)の記事を読んで!

           人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

              2008年7月28日(月曜日) 5:18


 今朝=7月27日の『朝日新聞・大阪本社版』23面に大きく取り上げられた記事は、<【耕論】増える高齢者の自殺」でした。『朝日新聞・大阪本社版』一面には、各ページの紹介記事が7記事載っていて、その3段目に「【耕論】増える高齢者の自殺」(23面)」とありましたので、早速、その記事を読んで見ました。

 まず一面には、各ページの紹介記事には、つぎのように書かれていました。「【耕論】増える高齢者の自殺」=「昨年1年間に自殺した60歳以上の高齢者は1万2107人で過去最多だったことが警察庁の調べでわかった。お年寄りが死を選ぶのはなぜか。食い止める道は? 精神科医、作家、高齢者との交流があるリサイクルショップ店主に聞いた。」と書かれてありました。


 23面には、「キーワード」として、「高齢者の自殺と孤独死」と題して「自殺対策基本法に基づき政府が昨年6月に閣議決定した自殺綜合対策大綱では、高齢者の自殺の背景として慢性的な病気や将来への不安、社会や家庭での役割をなくしたとの思いや身近な人を失ったつらさなどを挙げている。高齢化の進行に伴いお年寄りだけで暮らす世帯が増える中、誰にもみとられずに亡くなる「孤独死」も社会問題化している。ニュータウンなどを対象にした都市再生機構の調査でも、孤独死の件数が増える中で高齢者の増加の割合が著しい。

 なだ いなださん(作家・精神科医、1929年生まれ)は「老人をお荷物扱いするな」と題して『朝日新聞』の「【耕論】増える高齢者の自殺」で、つぎのようにいう。

「‥‥言ってみれば、老人というのは慢性のうつ状態にあるようなものなのだ。希望がなくなって暗いことばかりが続くと、死は恐怖ではなく救いに見えてくることがある。
 政府は自殺を減らそうと、自殺対策基本法や自殺綜合対策大綱を定めて取り組みを進めている。それなのに、一方では後期高齢者医療制度ななど先行きを暗くする政策を次々と打ち出し、トンカチで老人の頭をたたくようなことをやってくださる。これでは「自殺を防ぐ」というのはお題目にしか聞こえない。60歳以上の自殺が最多になったというが、増えない方がおかしい。‥‥お年寄りを守る」と言いながら、社会から排除しようとしているのだ。政治家が私たちの知恵や経験という「お宝」を生かそうとしないのであれば、選挙で首をすげ替えるしかない。」

 竹中星郎さん(精神科医、1941生まれ)は「社会からの孤立こそ問題」を論じ、松本哉さん(リサイクルショップ店主、1974年生まれ)は「自然体で知り合い増やそう」ということを主張しています。


 以下の記事は、『朝日新聞のホームページ』に掲載された<高齢者の自殺>の問題を紹介しましょう。

 こうして<高齢者の自殺>の問題をとりあげて「滝尾のホームページ」などに投稿するのも、私が孤独や病による生きるつらさから、「死は恐怖」ではなく、死そのものは「救い」だと感じているということを、親族や知人などに対して出すひとつのサインかもしれない、と思っています。

■高齢者の自殺の動機

 高齢者の自殺の動機としては病苦が6割以上を占めており、経済・生活問題、家庭問題がそれに続きますが、その背景にはうつ病などの精神疾患が存在していることが多いことが知られています(表3)。加齢と共に疾患を有する頻度および同時に罹患している疾患数共に増加していきます。高血圧症(リンク1参照)、糖尿病(リンク2参照)、脳梗塞(リンク3参照)後遺症、心臓病、関節痛などの慢性的疾患をかかえることが多くなりますが、こうした継続的な身体的苦痛がうつ病の引き金となりうる危険性を持っています。

 また、高齢になると近親者の死亡などによる環境変化、家庭内での人間関係のもつれを経験することが多くなり、こうした状態もうつ病の危険因子となります。うつ病に罹患するとすべてのことに対して悲観的なとらえ方をするようになり自殺志向が強まると考えられます(リンク4参照)。

 高齢者のうつ病は自殺の危険性が高いにもかかわらず本人が医療機関にかかることをいやがることが多く、また周囲が「年のせい」と取り合わなかったり、認知症と混同したりして適切な治療が受けられないケースがしばしばあるのも問題です。こうした背景から、高齢者のうつを予防するという観点が重要となってきます。高齢者の引きこもりを防止し、生きがいを創造することが、結果的に高齢者の自殺予防にもつながると考えられます。


■お年寄りの自殺の動機

 お年寄りの自殺の「原因・動機」の中でもっとも多いのは「健康問題等」で、60歳以上の自殺者の約7割を占めています。ただし、これらの原因は単独で論じられるものではなく、「経済・生活問題」「家庭問題」などと複雑に絡み合っているものと考えられます。 (福島県警察本部統計から)

■自殺の背景

 お年寄りの自殺の背景として以下の3つが挙げられます。

 第1は身体的負担です。
自殺の「原因・動機」の7割を「健康問題」が占めている事実が示すように、お年寄りの自殺者の90%以上が身体的異常を訴えており、約85%が入通院による治療を受けております。お年寄りの多くは自分の健康状態について悪い評価を下しがちで、病気を大きなストレスに感じ、「楽になりたい」「元の体にもどらないなら死んだほうがましだ」といった言動が目立ちました。高齢になると、高血圧症、糖尿病、脳梗塞後遺症、心臓病、関節痛などの慢性的疾患をかかえることが多くなります。こうした継続的な身体的苦痛がうつ病の引き金となり自殺につながると考えられます。

 第2は家族への精神的負担です。
自殺したお年寄りのほとんどが家族と同居していました。一人暮らしのお年寄りの自殺者は全体の5%以下に過ぎません。お年寄りの自殺者の多くが生前家族に「長く生きすぎた」、「迷惑をかけたくない」ともらしていました。お年寄りは病気がちになったり、体力が低下したり、物忘れが多くなることで心身両面の衰えを自覚し、同居する家族に看護や介護の負担をかけることへの遠慮が生じると考えられます。周りの者は決してそんなことは考えていなくても、御本人は負担に感じてしまうのです。

第3は喪失感と孤立です。
お年寄りの自殺者の約10%で落ち込みの原因として配偶者、子、兄弟など近親者の病気や死があげられます。行動範囲が狭くなりつつあるお年寄りにとって心身両面で近親者への依存度が増加するため、近親者の不幸は重く耐え難いものです。強い喪失感から閉じこもり・引きこもりがちとなり、孤独・孤立状態からうつに至ると考えられます。



[1693] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2008/07/28(Mon) 04:50  

>目録のデータは手許にあります。
>ただ、目録データを資料館に引き渡して欲しいという「要望」がありましたが、これは現時点では断りました。

>理由は、資料館にある申し入れをしたが、それに対する回答が未だにないからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

柴田さんは、2008年4月17日付で、国立ハンセン病資料館館長成田稔氏宛要望書を出され、公開しておられます。
http://www11.plala.or.jp/tamast/bibl-yobo.pdf

北風さんは、資料館に「ある申し入れ」をされたとのことですが、その内容を公開されるお心積もりはないのでしょうか?

たしか、3月に友の会会員および関心のある方なら誰でも参加可、ということで話し合いをもった折、自治会に要望書を出そう、資料館にも要望書なり質問書なりを出そうという話がありました。そして、その後、3月中に成田館長との懇談をもつという話もありました。
そのとき、私は複数参加での懇談を希望しましたが、北風さんから、図書・資料部会監事とも相談しなければならないからそれは難しい、といわれたように思いますが、それは私の思い違いでしたでしょうか。で、複数参加での資料館館長との懇談は実現しませんでした。
「ある申し入れ」というのは、この話とは別個に北風さん個人で申し入れをされたということなのでしょうか?
もし北風さんが、友の会代表and/or図書・資料部会部会長(or元友の会代表and/or図書・資料部会監事)としてその「申し入れ」をされたのでしたら、申し入れ内容を公開していただきたく存じます。
(北風さんが個人的にされた申し入れでしたら、公開してほしいなどと厚かましいことは申しません。)

7月3日に資料館図書室に行ってお聞きしてきたのですが、
ハンセン病図書館から移管された図書・資料は、現在業者のところにあって整理作業中とのこと。整理作業終了後に資料館に搬入され、その後、貸出システムを整えて貸出も行う予定、ということでした。
自治会のS氏&W氏との懇談のときに、ハンセン病図書館の図書資料の資料館への移管後は“貸し出しを考えている”とS氏は仰っていましたが、それが実現されようとしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
>また、図書館を守れといい資料館の現状を批判してきたのに、図書館がなくなったとたん資料館に擦り寄るというのは無節操です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
資料館の“現状”は変化しつつあるようです。
ハンセン病図書館目録が何らかのかたちで生かされ、研究者・市民に公開され利用に供されることを願っています。




[1692] 返り討ち 投稿者:北風 投稿日:2008/07/27(Sun) 12:38  


下記の件に関しては、小生の見落としか、最近物忘れがひどくなったためでしょう。
考えてみれば、几帳面なエミさんに抜かりがあるはずがありません。

一矢報いたつもりが返り討ちという図ですね。

失礼しました。



[1691] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2008/07/26(Sat) 20:28  

メールが届かないとのことなので、この場をお借りします。

北風さん、7月6日当日の報告コピペは届きましたでしょうか?

7月6日の引継ぎは、お忙しい北風さんのご都合に合わせて設定された日時ということでした。当日10:30のお約束でしたが、9:50ごろに北風さんは“発熱のため来られない”というご連絡がSさんの携帯にあったとお聞きしました。

私は、少なくとも、会に関係する連絡事項は、当日ないし遅くとも翌日ぐらいにはしてきました。何日もほったらかしにしておくようなことはしたことがありませんよ。


[1690] コピペを送信しました 投稿者:エミ 投稿日:2008/07/26(Sat) 14:09  

北風さんへ:
7月6日当日のご報告については、Sさん、Fさん、私の3名が発信しております。届いていないとのことですので、つい先ほどコピペを送信いたしました。



[1689] 「元代表」 投稿者:北風 投稿日:2008/07/26(Sat) 14:00  


また「元代表」しては、本業の業務で「引継ぎ」には参加できませんでしたが、引継ぎがいかようなもので、誰が保管しているのか、当事者からも立会人からも報告を受けていません。



[4255] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2008/07/26(Sat) 13:55

再度お伺いします。[4252]の記事を「ともに考えるBBS」に転載させていただいてもよろしいでしょうか?
お答えになっていません。



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[4254] Re:[4253] 無題 投稿者:北風 投稿日:2008/07/26(Sat) 13:42



> こういうことを元代表のみが知っていて他の元会員が誰も知らない、という状況がどうして作出されるのでしょうか。私には理解できません。


会は3月31日に解散して、メーリングリストも削除されました。
報告するなら、一部の「元会員」ではなく全ての「元会員」になされるべきだと思いますが、その手立てもありません。

下記に書きましたように、「図書館友の会」としては、目録つくり(自治会に閉鎖延長の理由とした)の始末は、自治会に目録を提出したことで完結していると思います。
その後は、友の会の資産は「図書資料部会」に引き継ぐと全体集会で決定し、図書資料部会には不参加の会員も居ますから、いつまでも「元代表」という奇妙な立場ではなく、報告するとしたら「図書資料部会」にいきさつを説明すればいいと考えています。




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[4253] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2008/07/26(Sat) 13:29


[4252]の記事を、「ともに考えるBBS」に転載させていただけませんか。

こういうことを元代表のみが知っていて他の元会員が誰も知らない、という状況がどうして作出されるのでしょうか。私には理解できません。
どうしてそういった情報を発信なさらないのですか?




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[4252] 目録 投稿者:北風 投稿日:2008/07/26(Sat) 12:53



目録のデータは手許にあります。
ただ、目録データを資料館に引き渡して欲しいという「要望」がありましたが、これは現時点では断りました。

理由は、資料館にある申し入れをしたが、それに対する回答が未だにないからです。

また、図書館を守れといい資料館の現状を批判してきたのに、図書館がなくなったとたん資料館に擦り寄るというのは無節操です。

目録を山下さんの業績として資料館で活字化するという話もあるそうですが、小生には何の連絡もありません。また、活字化するならば、図書館友の会を引き継いだ「市民学会図書・資料部会」で行うのが筋だと考えます。

図書館友の会の作業としては、自治会に目録を収めたことで完結していると考えます。

また、デジタルデータは複製が容易ですから、どういうルートで誰の手に渡っているのかは不明です。

これ以上、目録に関して報告することはありませんし、今後もないと思います。




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[4251] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2008/07/26(Sat) 12:27


北風さん@元友の会代表 &しゅうさん@元目録担当者さんへ:
目録に関する“意見調整”はどうなっているのでしょうか。
「ともに考えるBBS」上でご説明いただけないでしょうか。



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[4250] Re:[4249] 無題 投稿者:リベル 投稿日:2008/07/26(Sat) 11:46


> ただ、「旧」朋は松本馨さんの理念に共感し、山下さんの仕事を高く評価し、図書館を閉鎖を決定した自治会の方針に明確に反対してきました。
> 新しい朋は、それとスタンスを明らかに異なっているのですから、そこを明確にしないと、逆に新しい集まり自体がその運動を引きずっているという誤解だって懸念されるでしょう。

そこのところは同感します。私もその点を懸念していたところでしたので・・・。




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[4249] 無題 投稿者:北風 投稿日:2008/07/26(Sat) 09:39



お詫びを言ってもらうのが本意ではありませんし、「新」朋が充実した内容になることを祈っています。
その意味で「温かく」見ております。意地悪を言っているかのように受け取られるのは本意ではありません。

ただ、「旧」朋は松本馨さんの理念に共感し、山下さんの仕事を高く評価し、図書館を閉鎖を決定した自治会の方針に明確に反対してきました。
新しい朋は、それとスタンスを明らかに異なっているのですから、そこを明確にしないと、逆に新しい集まり自体がその運動を引きずっているという誤解だって懸念されるでしょう。

「ぼんやりとした危惧」があるときには、あとで考えるとその危惧がなんであるかもっと突き詰めておけばよかったという経験は、小生も良くするところです。




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[4248] 申し訳ありません Re:[4247] やはり書いておこう。 投稿者:しゅう 投稿日:2008/07/25(Fri) 13:44


>
> >私たちもそうしたかったのですが 
>
> であるならば、本文にその旨入れることはもちろん、「元代表の了解を得て」とことあるごとに言っているのですから、一言その旨お話があってしかるべきではなかったかと思います。

いろいろと配慮が足りなくて、申し訳ありません。

私の想像力が足りないことで、友の会を軽視するつもりはなかったのですが、実際はそういうことになってしまい申し訳ありません。
こうした何かが生じるのではないかとぼんやり危惧してましたので、編集後記に「リニューアルした「朋」が皆さまに温かく迎えられるよう願いながら。」と書いた次第です。
お察し下さい。




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[4247] やはり書いておこう。 投稿者:北風 投稿日:2008/07/25(Fri) 11:13



>私たちもそうしたかったのですが 

であるならば、本文にその旨入れることはもちろん、「元代表の了解を得て」とことあるごとに言っているのですから、一言その旨お話があってしかるべきではなかったかと思います。

こういう場合は、巻次が変わるのが当然のことですから。



[1688] Re:[1668] [1638] [1636] そういえば、 投稿者:エミ 投稿日:2008/07/25(Fri) 20:18  

(…略…)
> ○明日7月6日(日)に、ハンセン病図書館友の会の残務整理のうち、会計監査後の余剰金をハンセン病市民学会図書・資料部会へ寄付するということで、その受け渡しの場に、私は立会人として同席することになっています。
> *私が立会人として同席するのは、元友の会の会合ないし元友の会執行部の合意により指名されたわけではなく、図書・資料部会会員の個人的な要望による個人的な行為であって、正式には元友の会からも図書・資料部会からもそういった要請があったわけではないことをお断りしておきます。
>
> (ただ、こうしたことが、元友の会会員/賛助会員の皆さんにまったく伝わっておらず、元執行部の一部のみで遣り取りされていることに対し、私は何度か情報を発信してくださるようにお願いもしましたが、本日只今までの時点で、そういった情報発信がなされたということも伝わってきませんので、この板[この板は元友の会談話室だったので]をお借りして公表しておきたいと思います。)
>
> その上で、再度お尋ねします。
> ○目録についての意見調整は、その後どうなっているのでしょうか?
> 元友の会代表である北風さんが把握されていないようでしたら、元執行部のどなたか、レスをいただけないでしょうか。
>
> ○残務整理について、その後の進捗状況と、目録が今後どのように利用に供されるかなど、報告あってしかるべきではないでしょうか。その報告を待っている元会員がいるということは、過日もメールにてお知らせしましたが、それに対するレスもいただいていません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

目録に関しては、7月6日の友の会余剰金受渡日に明確になりませんでしたし、その後も、目録について、一向にどなたからもレスをいただけないでいます。
目録担当者のどなたか、状況をお知らせくださいませんか。

立会人としまして、このことが明確にならないとどうもすっきりしません。
目録作成を担当された方は、どのような“意見調整”をされているのか、この板でご説明くださいますよう、お願いいたします。


[1687] Re:[1686] [1685] 機関紙「朋」の巻次継承について 投稿者:北風 投稿日:2008/07/25(Fri) 19:08  

> 以下の再生「朋」発行についての意見のやりとり拝見しました。

うるさいことを言うつもりはないのですが、11号までと明らかに編集方針が違うわけですから、その「形式」ないし「説明」はあってしかるべきだと思います。

一方で「制度的」に巻数の継続は必要だが、発行主体の変化は構わないというのも、理解に苦しみます。

したがって、<書誌的にというか仁義として>というのは「業界のルール」などではなく、ごく日常のルールという意味です。

小生が言っているのは、第一儀的に「巻数は1号からカウントしなおす」それが出来ないなら、本紙の紙面で説明する、ということで無理難題を言っているとも思えません。

「痛み」といえば、小生は別な痛みを感じていますが、Fさんにはご理解いただけないでしょうか。




[1686] Re:[1685] 機関紙「朋」の巻次継承について 投稿者:匿名F 投稿日:2008/07/25(Fri) 18:42  

以下の再生「朋」発行についての意見のやりとり拝見しました。
「埼玉県障害者団体刊行物協会」を紹介した者として、発行についての意思、趣旨の確認が足りなかったようで残念でなりません。
「埼玉県障害者団体刊行物協会」の定期刊行物は、ほとんど障害者を中心に、ボランティアが協力して発行している広報誌で、<書誌的にというか仁義として。>などと難しい業界のルールには拘っていないのが通常です。
私も地域でSSTK通信発行に参加していますが、不足のところは次号で補うよう努めてまいります。
最初から完全を求めるのは、プロの業界のこと、ご寛容のほどお願いいたします。同じ「埼玉県障害者団体刊行物協会」の通信を発行している者として痛みを感じています。
しゅうさんも、次号で説明が必要かと思います。
関係者の皆々様、どうぞご理解くださいませ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

> このようなやりとりがありました。
>
>
>
> [4246] Re:[4244] 私たちもそうしたかったのですが Re:[4243] 書誌的にというか仁義として。 Re:[4242] 落手 投稿者:北風 投稿日:2008/07/25(Fri) 10:05
>
>
> >
> > 郵政公社としては、「朋」としての通巻でないといけないようで、巻を別にすることが出来ませんでした。
> > 通巻だと、図書館友の会を引き継いでしるような印象を持たれやすいので、私たちも「再巻一号」のような別の号を付けたかったのですが、そのようには制度的にゆきませんでした
>
> 会の名称や代表者が変わった(つまり主体が変わった)のは「制度的」に良くて、「号数」のみが変わってはいけないというのは、解せない話ですが、当方も確認してみます。
>
> とにかく11号までは、一定の編集方針でやってきましたから、それに対するこだわりもあります。
>
> >「そう言う号に拘らないで、中身を取るように」と、埼玉県障害者団体刊行物協会の代表に意見されました。
>
> この意見は「ハンセン病図書館友の会」をないがしろにするものですし、それを受け入れたということはおなじことですね。
>
> また「制度的に駄目だった」が「そうしたかった」というなら、本文の中できちんと説明すべきでした。
>
>
>
>
> --------------------------------------------------------------------------------
> [4245] Re:[4244] 私たちもそうしたかったのですが Re:[4243] 書誌的にというか仁義として。 Re:[4242] 落手 投稿者:発送係 投稿日:2008/07/25(Fri) 09:36
>
>
> > > また、後半期の編集の実質的な責任者のところにも届いていないそうです。
> >
> > それは失礼しました、移転されて移転先にお送りしていると思うのですが、さっそく調べてみます。
> > お連絡ありがとうございます。
>
> 件の方はSさんでしょうか。佃の住所で先週金曜日に全員と一緒にお送りしました。
>
>
>
> --------------------------------------------------------------------------------
> [4244] 私たちもそうしたかったのですが Re:[4243] 書誌的にというか仁義として。 Re:[4242] 落手 投稿者:しゅう 投稿日:2008/07/24(Thu) 23:05
>
>
> > 巻号を継承していましたが、刊行・編集主体も変わっていますし、編集方針も大きく違うようですから、再刊1号などのように巻号は別にすべきだったと思いますね。
>
> 郵政公社としては、「朋」としての通巻でないといけないようで、巻を別にすることが出来ませんでした。
> 通巻だと、図書館友の会を引き継いでしるような印象を持たれやすいので、私たちも「再巻一号」のような別の号を付けたかったのですが、そのようには制度的にゆきませんでした。「そう言う号に拘らないで、中身を取るように」と、埼玉県障害者団体刊行物協会の代表に意見されました。
>
> >
> > また、後半期の編集の実質的な責任者のところにも届いていないそうです。
> >
>
> それは失礼しました、移転されて移転先にお送りしていると思うのですが、さっそく調べてみます。
> お連絡ありがとうございます。
>
>
>
>
> --------------------------------------------------------------------------------
> [4243] 書誌的にというか仁義として。 Re:[4242] 落手 投稿者:北風 投稿日:2008/07/24(Thu) 10:00
>
>
> >
> > 本日届きました。ありがとうございました。
> >
>
> 巻号を継承していましたが、刊行・編集主体も変わっていますし、編集方針も大きく違うようですから、再刊1号などのように巻号は別にすべきだったと思いますね。
>
>


[1685] 機関紙「朋」の巻次継承について 投稿者:北風 投稿日:2008/07/25(Fri) 10:14  

このようなやりとりがありました。



[4246] Re:[4244] 私たちもそうしたかったのですが Re:[4243] 書誌的にというか仁義として。 Re:[4242] 落手 投稿者:北風 投稿日:2008/07/25(Fri) 10:05


>
> 郵政公社としては、「朋」としての通巻でないといけないようで、巻を別にすることが出来ませんでした。
> 通巻だと、図書館友の会を引き継いでしるような印象を持たれやすいので、私たちも「再巻一号」のような別の号を付けたかったのですが、そのようには制度的にゆきませんでした

会の名称や代表者が変わった(つまり主体が変わった)のは「制度的」に良くて、「号数」のみが変わってはいけないというのは、解せない話ですが、当方も確認してみます。

とにかく11号までは、一定の編集方針でやってきましたから、それに対するこだわりもあります。

>「そう言う号に拘らないで、中身を取るように」と、埼玉県障害者団体刊行物協会の代表に意見されました。

この意見は「ハンセン病図書館友の会」をないがしろにするものですし、それを受け入れたということはおなじことですね。

また「制度的に駄目だった」が「そうしたかった」というなら、本文の中できちんと説明すべきでした。




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[4245] Re:[4244] 私たちもそうしたかったのですが Re:[4243] 書誌的にというか仁義として。 Re:[4242] 落手 投稿者:発送係 投稿日:2008/07/25(Fri) 09:36


> > また、後半期の編集の実質的な責任者のところにも届いていないそうです。
>
> それは失礼しました、移転されて移転先にお送りしていると思うのですが、さっそく調べてみます。
> お連絡ありがとうございます。

件の方はSさんでしょうか。佃の住所で先週金曜日に全員と一緒にお送りしました。



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[4244] 私たちもそうしたかったのですが Re:[4243] 書誌的にというか仁義として。 Re:[4242] 落手 投稿者:しゅう 投稿日:2008/07/24(Thu) 23:05


> 巻号を継承していましたが、刊行・編集主体も変わっていますし、編集方針も大きく違うようですから、再刊1号などのように巻号は別にすべきだったと思いますね。

郵政公社としては、「朋」としての通巻でないといけないようで、巻を別にすることが出来ませんでした。
通巻だと、図書館友の会を引き継いでしるような印象を持たれやすいので、私たちも「再巻一号」のような別の号を付けたかったのですが、そのようには制度的にゆきませんでした。「そう言う号に拘らないで、中身を取るように」と、埼玉県障害者団体刊行物協会の代表に意見されました。

>
> また、後半期の編集の実質的な責任者のところにも届いていないそうです。
>

それは失礼しました、移転されて移転先にお送りしていると思うのですが、さっそく調べてみます。
お連絡ありがとうございます。




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[4243] 書誌的にというか仁義として。 Re:[4242] 落手 投稿者:北風 投稿日:2008/07/24(Thu) 10:00


>
> 本日届きました。ありがとうございました。
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巻号を継承していましたが、刊行・編集主体も変わっていますし、編集方針も大きく違うようですから、再刊1号などのように巻号は別にすべきだったと思いますね。




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